キナイトーン、アシオス、その他の詩人

[解説]
 神話的系譜上の諸々の疑問に対し、最初に頼る諸テキストの中に、パウサニアスが挙げる詩人の名はキナイトーンとアシオスと『ナウパクティア』である。これらのうち、ローマ時代に広く読まれたものは皆無で、キナイトーンとアシオスにとっては、パウサニアス本人がほとんどすべての断片の源泉である。キナイトーンはラケダイモーン人として説明されるが、彼について他には何もわれわれは知ることができない。エウセビオスは764/3 BCの年代を挙げるが、古代年代作家たちによって叙事詩人に割り当てられる他の年代のいずれか以上の価値はない。時たまキナイトーンに関連づけられる作品 — 『オイディポデイア』『小イーリアス』『テーレゴニア』という題名のでたらめさにはまごつかせられる。実際の諸断片は、これらのいずれかに帰属させることはできない。これらは(スパルタの詩人にふさわしく)アガメムノーンとメネラーオスの子孫たちについて、また、クレータの名士たちについて、メーデイアとイアーソーンの子どもたちについての情報を含む系譜学的作品に由来する。

 サモスのアシオスは、いくらかは肉と血の通った人物であるらしい。彼は都市と同じ名の父をもった。叙事詩の環のいずれかの作者であることを主張する人たちの中には現れない。彼の系譜学は、自分の生まれ育った島嶼の歴史と健全な関係を示している(frs. 7, 13)。ただし、それらもボイオティア(frs. 1-4)出身の英雄たち、ポーキス(fr. 5)、アイトーリアー(fr.6)、ペロポンネーセー(fr. 8-10)、そしてアッティカ(fr. 11)を含んでいる。六脚韻詩のほかに、アシオスはまた謎めいたエレゲイア詩をも引用されている[註]。

[註]Douglas E. Gerber, Greek Elegiac Poetry (Loeb Classical Library), p. 426.

 われわれは2人の無名の詩人からそれぞれ1つの断片を有している。この詩人たちは、パウサニアスが初期の作家、コリントス人カッリッポスによって引用されているのを見つけ出したもので、彼らは彼〔パウサニアス〕自身の時代にもはや流布してはいなかったものである。これらは、『アッティス』(しかしながら、断片はボイオーティアに関係する)の作者ヘーゲーシヌゥースのものである。カッリッポスは帝政初期の作家であり、多分、歴史家というよりは演示的雄弁家であったろう。しばしば主張されることであるが、2人の詩人とその断片は、これを彼はおそらくはオルコメノス人たちを前にした弁論の中で引用しているのだが、彼自身の工夫であったろう[註]。疑いに強い根拠はない。もしも彼が古い詩人たちの証言を忘れたがっていたのなら、確かに彼は月並みではない性格の詩句を持ち出したことになろう。ケルシアースが実在したことは、少なくとも、プルータルコスによって認められている。彼〔プルータルコス〕は彼〔ケルシアース〕をペリアンドロスとキローンの同時代人とし、『七賢人の饗宴』の中(156e, 163f)の対話者にしている。彼〔ケルシアース〕は、自分とペリアンドロスとを仲違いさせた幾つかの出来事に言及している。これは小説的虚構かも知れないが、詩人ケルシアースの幾つかの記録は、その背後にあるように思われる。

Carl Robert, "De Gratiis Atticis," in Commentationes philologae in honorem Th. Mommseni scripserunt amici (Berlin, 1877), 145-146; Felix Jacoby, commentary on FGrHist 331 (IIIB Supplement, 609).




キナイトーン

TESTIMONIA

Plut. De Pyth. orac. 407b
 あのオノマクリトス一派や、プロディコス一派、キナイトーン一派の人たちが、託宣に悲劇的言い廻しや不必要なお荷物をお仕着せて、それにいかほどの非難をもたらしたかは、わたしは言うのを控えよう。

Euseb. Chron.
 Ol. 4.1〔764/763〕;ラケダイモーンの詩人キナイトーン(『テーレゴネイア』[註]を書いた人)が認められる。

[註]おそらく『系譜学』の間違い。

IG 14.1292 ii 11=Tabula Iliaca K (Borgiae) p. 61 Sadurska
 ラケダイモーン人キナイトーンによって、6600詩行に詩作されたと言われる『オイディポデイア』は飛ばして、『テーバーイス』を前提としよう…〔欠損〕…

Schol. Eur. Tro. 822
 ……『小イーリアス』を詩作した人に…〔欠損〕…。この人のことを、ある人たちは、ポーカイア人テストリデースだと謂い、ある人たちは、ヘッラニコス(fr. 202C Fowlwr, Hellan. gramm. fr. 6* MOntanari)のように、ラケダイモーン人キナイトーンだと〔謂い〕、ある人たちはエリュトライ人ディオドーロスだと〔謂う〕。


断片集

1 Paus. 8.53.5
 またキナイトーンは、その叙事詩の中で、ラダマンテュスはパイストス[註]の子、パイストスはタロスの子、タロスはクレースの子だと詩作した。

[註]パイストス(ヘーパイストスから校訂された)は、同名のクレータの都市の名祖である。クレースはその島の名祖。

2 Paus. 2.3.9
 ラケダイモーン人キナイトーンは、この人も系譜物語を叙事詩にしたが、イアーソーンとメーデイアとからメーデイオスと娘エリオーピスが生まれたと云った。が、この子どもたちについてはこれ以上何も詩作していない。

3 Porphyrius ap. schol. (D) Il. 3.175
 アリアイトス(FGrHist 316 F 6)が記録しているところでは、ヘレネーとメネラーオスとの子がマラピオーン、これからペルサイのマラピオイ人たちの種族が出る。だがキナイトーンに依れば、出るのはニコストラトス[註]である。

[註]ニコストラトスについては、"Hesiod," fr. 175.
 また、マラピオイ族については、『歴史』i.125, iv. 167.

4 Paus. 2.18.6
 オレステースが死ぬと、メネラーオスの娘ヘルミオネーとオレステースとの子テイサメノスが支配権を握った。また、キナイトーンが叙事詩の中に書いたところでは、オレステースには、アイギストスの娘エーリゴネーが生んだ庶子ペンティロスがいたという。

5 Paus. 4.2.1
 ポリュカオーンとメッセネーとの間にいかなる子どもたちがうまれたのか、わたしはひどく熱心に聞き知りたくて、いわゆる『エーオイアイ』や叙事詩『ナウパクティア』を読み、これらに加えてキナイトーンやアシオスが作成した系譜も〔読んだ〕。ところが、これらのことについては何ひとつ彼らによって詩作されていない。




アシオス

1 Paus. 2.6.4
 このことを、アムピプトレモスの子アシオスが詩作している。

アンティオペーは、ゼートスと、貴きアムピオーンを生んだ。
深く渦巻く河アーソーポスの乙女子が、
ゼウスのために、また、民の牧者エポーペウスのために。

2 Strab. 6.1.15
 詩人アシオスもこう言っている。ボイオートスをば

ゼウスの館で生んだは、器量よきメラニッペー。

3 Paus. 9.23.6
 プトーオスはアタマースとテミストーとの子、この子にちなんでアポッローンの添え名となり、山もその名を得た、とアシオスはその叙事詩の中で述べている。

4 Paus. 5.17.8
 アシオスはその叙事詩の中で、アルクメーネーもアムピアラオスとエリピュレーの娘だと。

5 Paus. 2.29.4
 叙事詩の詩作者アシオスは謂う、ポーコス[註]には、パノペウスとクリーソスとがおり、パノペウスの子がエペイオスで、ホメーロスが詩作したとおり(Od. 8.493)、木馬を製作した人物である。クリーソスから三代目の子孫がピュラデースで、クリーソスの子ストロピオスと、アガメムノーンの姉妹アナクシビアーとの間に生まれた子である。

[註]ポーコスはポーキスの名祖。彼の息子たちはポーキスの都市パノペウスとクリサの名祖である。偽ヘーシオドスのfr. 58と比較せよ。

6 Paus. 3.13.8
 テュンダレオースの子どもたちは、母方の家系がプレウローンの血を引く。というのは、アシオスがその叙事詩の中で謂っている、テスティオスは、レーダーの父であり、プレウローンの子アゲーノールの子であると。

7 Paus. 7.4.1
 アムピプトレモスの子、サモスひとアシオスが、その叙事詩の中に作詩したところでは、ポイニクスと、オイネウスの娘ペリメーデーから、アステュパライアとエウローペーが生まれ、ポセイドーンとアステュパライアとの子がアンカイオスで、彼はいわゆるレレクス人たちを王支配したという。アンカイオスは、マイアンドロス河の娘サミアーを妻として、ペリラオース、エヌゥドス、サモス、ハリテルセースと、その次に娘パルテノペーをもうけた。アンカイオスの娘パルテノペーとアポッローンの間にリュコメーデースが生まれたという。アシオスはその叙事詩の中でここまで明らかにした。

8 Paus. 8.1.4
 アシオスによっても、彼に寄せて次のように作詩さている。

神にもまごうペラスゴスをば、高くそびえる樹々にうもれた山中に、
黒き大地は送り出せり。死すべき者らの種族が在るようにと。[註]

[註]アルカディア神話においては、ペラスゴスは大地から樹のように生い出た最初の人間であった。"Hesiod," fr. 160と比較せよ。

9 Apollod. Bibl. 3.8.2
 エウメーロス(fr. 31)および他のある人たちは、リュカーオーンにはまた娘カリストーがあったという。<しかし他の人たちは、彼女が彼の〔娘〕であることを否定する>。すなわち、ヘーシオドス(fr. 163)は、ニンフたちの1人であると言い、アシオスはニュクテウスの、ペレキュデース(fr. 157 Fowler)は、ケーテウスの〔娘だと言う〕のである。

10 Schol. Od. 4.797, "度量のひろいイーカリオスの娘御イープティメーそっくりに"
 ペーネロペーの妹はもっぱらそういうふうに呼ばれていた。アシオスは謂う。

イーカリオスの娘たち、すなわちメデーとペーネロペイアーも

しかしアンドローン(fr. 12 Fowlwr)は、ヒュプシピュレーだと言う。

11 Paus. 2.6.5
 シキュオーンをば、エポーペウスの子マラトーンの子ではなく、エレクテウスの子メーティオーンの子だと言い伝えられる。アシオスも彼らに同意する。

12 Paus. 4.2.1
 See Cinaethon fr. 5.

13 Ath. 525e
 サモス人たちの贅沢については、ドゥリスがアシオスの詩を引用して、彼らは腕に腕輪をつけ、女神ヘーラーの祭の時には、髪に櫛を入れて肩から背中までなびかせて行進したと謂っている。これが風習になっていたことは、「髪をお下げに編んでヘーラーの宮居に行く」という諺からも実証される。アシオスの詩というのはこういうのだ。

まさにそのように、髪をくしけずっては、彼らは
ヘーラーの宮居に参る。美しい衣を羽織り、
雪をなす長衣は、引きずって広大の地を払う。
頭の頂には、蝉[註]のごとく、金の飾り物がとまり、
金糸で束ねた髪は微風になびく。
技を凝らした輪飾りが腕を巻き、
楯に隠れた兵士を<…………>

[註]See A. W. Gomme's commentary on Thucydides 1.6.3.




ヘーゲーシヌゥース『アッティス

Paus. 9.29.1
 ヘリコーン山でムゥーサたちに初めて供犠し、ムゥーサたちの聖なる山と呼び名したのは、アピアルテースとオートスであり、また彼らはアスクレーを建設したとも言われる。それどころか、ヘーゲーシヌゥースはこれについて『アッティス』の中に詩作した。

そしてまた、大地を震わすポセイドーンはアスクレーの傍に横たわり、
一年がめぐってアスクレーはこの神の御子を生んだ。
アローエウスの子どもたちとともに、アスクレーを初めて建設したオイオクロスを。
そして、この市はヘリコーン山の、泉流れる麓にある。

 わたしは詩人のこの詩篇を読んだことがなく、わたしが生まれる以前に打ち捨てられてしまった。コリントスのカリッポスが『オルコメノス誌』の中で、この詩人の詩句を論拠としているし、わたしたちも当のカッリッポスに教えられて、同じように論拠としている。




ケルシアース

TESTIMONIA

Plut. Sept. sap. conv. 156e
 ムネーシピロスがこれを云うと、詩人ケルシアースは、すでに問責する気も解け、最近、キローンの要請でペリアンドロスと仲直りしていたので、「それでは一体」と謂った、云々

Plut. Sept. sap. conv. 163f
 そういうわけで、詩人ケルシアースは、他の予期せざる救いと、ペリアンドロスの父キュプセロスのことを思い出した……これこそが、キュプセロスがデルポイに館を建てた理由である……そこでピッタコスがペリアンドロスに話しかけて、「よきかな」と謂った、「ペリアンドロスよ、ケルシアースがその館のことを思い出して詩作したのは。というのは、あのカエルたちの理由を君に尋ねたいとしばしばおもっていたもんだから。何を望んでやつらは、あんなにたくさん、ナツメヤシの根もとのまわりに彫られているのか……」。するとペイサンドロスがケルシアースに尋ねるよう、というのも、彼〔ケルシアース〕が知っており、キュプセロスがその館を浄めるとき、居合わせたのだから、と指示したので、ケルシアースが微笑して、云々


断片

Paus. 9.38.9
 アスプレードーンを住民が見捨てたのは、言い伝えでは、水が乏しかったからである。この都市の名前は、アスプレードーンに由来し、彼はニンフのミデイアとポセイドーンとの子だという。オルコメノス人ケルシアースが詩作した叙事詩もまた、彼らに同意している。

ポセイドーンと、その名も高きミデイアとから
息子アスプレードーン生まれたり。舞場も広き城市の中で。

 ケルシアースの叙事詩も[1]わたしの時代もはやひとつとして聞かれず、以上の〔詩句〕もカッリッポス(FGrHist 385 F 2)が、オルコメノス人たちを扱った同名の書の中に引用されたものである。またケルシアースについては、ヘーシオドスの墓にあるエピグラム詩をも[2]、オルコメノス人たちは記憶している。

[1] 数ページ前にパウサニアスが引用したヘーゲーシヌゥースの詩と同じく。
[2] このエピグラム詩についてはCertamen 14を見よ。パウサニアスは1ページ前(9.38.4)に引用している。




ダナイス

TESTIMONIUM

IG 14.1292 ii 10=Tabula Iliaca K (Borgiae) p. 61 Sadurska
 叙事詩で…〔欠損〕…、そして『ダナイスたち』6500行で、そして…〔欠損〕…


断片集

1 Clem. Strom. 4.120.4

そしてそれから、ダナイスの娘らはすばやく武装した。
流れもよろしき河、主なるナイルの畔で。

2 Harpocr. A 272
 ピンダロス(fr. 253)と、『ダナイス』を詩作した人が謂っている。エレクトニオスとヘーパイストスと[註]は、大地から現れたと。

[註]「ヘーパイストスと」は原形が損なわれているだろう。通常の物語では、ヘーパイストスは、アテーナーを強姦しようとして、精液を地に漏らし、これがやがてエリクトニオスを生んだ、というものである。

3 Philod. De pietate B 5818 Obbink
 『ダナイス』を詩作した人によれば、神々の母の侍女たちがクーレースたちである。




ミニュアース

1 Paus. 10.28.2
 ポリュグノートスは『ミニュアース』という詩に依拠しているようにわたしには思われる。というのは、『ミニュアース』には、テーセウスとペイリトオスとを扱った段があり、

まさしくそこで、老いたる渡し守カローンが操る死者を乗せる舟を、
両人はその船着き場でつかまえられなかった。

 そこで、この詩に依って、ポリュグノートスもカローンをすでに年老いた者として描いたのである。

2 Paus. 10.28.7
 しかし、オデュッセウスを扱ったホメーロスの詩も、いわゆる『ミニュアース』や『ノストイ』(これらにも冥界やそこでの恐ろしい出来事にふれた段があるからだが)も、エウリュノモスというダイモーンのことは知らない。

3 Paus. 9.5.8
 さらにまた言われているところでは、アムピオーンは、自身もレートーとその子どもたちに向かって暴言を吐いた廉で、ハーデースの館で償いをしたという。アムピオーンの受けた罰については、ミニュアースの詩作〔の中〕にあり、アムピオーンについてもトラキアのタミュリスについてもともに扱っている。

4 Paus. 4.33.7
 ポーカイア人プロディコスは、(ミニュアースを扱った叙事詩が彼の作とするならばだが)[註]、タミュリスはムーサたちに向かって自慢した廉で、ハーデースの館で罰を受けたと謂う。

[註]付加表現。おそらくミニュアースはここではミニュアース人の土地。タミュリスとその傲りについては、Iliad 2.594-600を見よ。

5 Paus. 10.31.3
 しかし、いわゆる『エーオイアイ』(Hes. fr. 25.12-13)と『ミニュアース』とはお互いに一致している。すなわち、アポッローンがクーレース人たちをアイトーリア人たちから守ってやり、メレアグロスはアポッローンによって殺された、と謂っている。

6 Philod. De pietate B 4922 Obbink
 『ミニュアース』を書いた人も言ってる、オーリーオーンは死すべき者であり、アルテミスによって殺されたと。

7* P. Ibscher col. i〔前1世紀〕[註]

0[「          人間どものうち何びとも]
  わしを滅ぼすことはできなんだ。腕力によっても長い槍によってもな。
  じゃが、恐ろしいモイラと、レートーの子がわしを滅ぼした。
  じゃが、さぁさ、わしにこのことを逐一話してくれ。
  いったい何のために、これほどの道程を冥府まで下ってきたのか。
05 いったい何のために、ペイリトオスが信実の仲間としてついてきたのか。
  […〔欠損〕…]生者としてここに来るいったいどんな理由があるのか」。
  これに今度は最初に話しかけ、物語をしたのは、
  アイゲウスの子テーセウス、民の牧者に[…〔欠損〕…]して。
10 「尊きメレアグロス、知慮深きオイネウスの子よ、
  まさしくそのわけを、とくと、お話ししよう。
09 ペイリトオスをば、厳しい打撃を与える女神エリーニュスがひどく惑わせた。
12 輝かしきペルセポネーを[…〔探しに来たのだ〕…]。
  雷霆をはためかすゼウスが頷いたと[…〔欠損〕…]謂ったからだ。
  それも、不死なる者たちの習いによって、妻として嫁がせると。
15 というのも、噂では、あの方々は大いに名のある兄弟姉妹に
  求婚し、愛しい生みの親のいないところで結婚するという。
  だからして、浄福な者たちの中から婚約者を得る気になったのだ。
  自分のきょうだいで、父を同じくする者を。というのは、
  彼が謂うには、自分は偉大なハーデースよりも生まれが近いという。
20 髪うるわしきデーメーテールの娘御ペルセポネーにな。
  というのは、彼が謂うには、自分は彼女の兄妹で、
  父を同じくするが、ハーデースは愛しき叔父にすぎないと。
  こういう次第で、幽冥濃き地下界に行くと謂ったのだ」。
   かくのごとく彼は謂った。するとオイネウスの子は物語を聞いて身震いし、
25 これに答えて慰めのことを話しかけた。
  「テーセウスよ、武装せるアテーナイ人たちの統帥よ、
  思慮も深いヒッポダメイアはいけなかったのか、
  意気盛んなペイリトオスの配偶者として[…〔欠損〕…]
  […〔欠損〕…]qeravponta〔…〔欠損〕…〕
  〔さらに4詩行の断片と、続くコラムに22詩行の断片〕

[註]冥界でメレアグロスがテーセウスに話す。

8* Pausimachus ap. Philod. De poematis 1 col. 123.6 Janko

滅びた者たちとともにある彼女は、幾重にも祈願する女王[註]

[註]ペルセポネーのこと。パウシマコスピロデーモスによってのみ知られる人物。口調のよい作文法について書いた。おそらく200BC頃の人。


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