[解説]
トロイア環は、『イーリアス』と『オデュッセイア』を含む8編の叙事詩から成る。失われた6編については、われわれは幸いにも、プロクロス『文学便覧(Chrestomathy)』から抜粋された筋の要約を所有している。『キュプリア』については、『イーリアス』の幾つかの写本の中に見出され、その他は、単独の写本(Venetus A)の中に伝存している。各叙事詩については、プロクロスが連続物の中のその位置、それが含まれる巻本の番号、作者の名を明言している。
『文学便覧』を書いたプロクロスが、5世紀の有名な新プラトーン主義(とにかく6世紀までと信じられている)であったか、それとも、初期数世紀の文法家であったかどうかは論争されている[註]。他の神話的出典、とりわけアポッロドーロスとの一致は、プロクロスがヘレニズム期の素材を再現していることを示しているので、実際的な違いはほとんどない。
[註] スーダのプロクロス伝(出典はミレートスのヘーシュキオス)の中のプロクロスは新プラトーン主義者である。他の見解についてはMichael Hillgruber, "Zur Zeibestimmung der Chrestomathie des Proklos." Rh. Mus. 133 (1990), 397-404を見よ。
彼〔プロクロス〕の証言は、幾つかの観点で欠陥がある。他の証拠からして明らかなのは、アイアースの自殺は、『アイティオピス』の末尾から、トロイアの陥落全体は、『小イーリアス』の末尾から削除されている、なぜなら、これらの出来事は、連続物の次の詩篇に含まれていたから、ということである。明らかに、彼(あるいはむしろ彼のヘレニズム期の出典)は、叙事詩の環に基づいて、むしろ個々の内容の完全な説明よりは、連続的で、繰り返しのない叙述に関心があった。また、諸々の断片が示しているように、意味深長な省略もある。例えば、『帰還譚(Nostoi)』は冥界への下降を内容とするが、プロクロスの中にそのほのめかしはないことが証拠である。彼の切りつめた要約は、アポッロドーロスからの並行する記述から幾つかの細部で充足させるのが至当であろう。そこでわたしは、鉤括弧(<……Ap. >)の中に補足することにした。注意が必要なのは、アポッロドーロスは他の出典、例えば悲劇作品から素材を時々組み入れていることである。
[解説]
題名は「キュプロスの叙事詩」を意味し、これがキュプロスに由来することを含意している。通常、作者はキュプロスの詩人、スタシノスかヘーゲシアス(あるいはヘーゲシノス)に帰せられるが、ホメーロスがこれをこしらえたが、娘の稼資としてスタシノスに与えたという話[註]が、明らかにピンダロスにすでに知られていた。このスタシノスについて、それどころか、ミレートスのアルクティノスやピュッラーのレスケースのような叙事詩の環作家との関連で名づけられた他の詩人についても、何も知られていない。
[註] TESTIMOIAを見よ。ヘーロドトスは、他に名のある主張者がいることを指摘することなく、ホメーロスが作者だという説に反対している(fr. 14)。
詩人は、トロイア戦争の始まりと、その時から『イーリアス』が始まる時点までに起こったことすべてを話す仕事をみずからに課す。結果として、作品は系統的な一貫性に欠け、単に挿話の長い継続をなすにすぎなくなる。それらの多くは伝承であり、『イーリアス』の中で触れられたことである。しかし『キュプリア』は、『イーリアス』が古典としてしっかり確立することになった後に構成されたにちがいない。諸々の断片(とくにfr. 1)の言語は、遅い時期の徴を示している。この詩の成立は、6世紀後半より早くはほとんどあり得ない。
Ael. V.H. 9.15
以上に加えて次のこともまた言われている。つまり、〔ホメーロスは〕貧窮して娘を嫁がせることができなかったとき、彼女に叙事詩『キュプリア』を婚資として持つよう与えたと。このことはピンダロス(fr. 265 Sn-M.)も同意している。
Cf. Hesych. Mil. Vita Homeri 5; Tzetz. Hist. 13.631-4.
Arist. Poet. 1459a37〔『小イーリアス』のTESTIMONIA参照〕
Merkelbach-Stauber, Steinepigramme aus dem griechischen Osten 01/12/02 (de Halicarnasso)〔前2世紀ころ〕
45 〔この都市は〕パニュアッシスという叙事詩の名だたる主人を種蒔き
トロイアをめぐる叙事詩の詩人『キュプリア』を生めり。
Phot. Bibl. 319a34
さらに〔プロクロスは〕『キュプリア』という幾つかの詩作品についても言及し、一部の人たちはこれをキュプロス人スタシノス帰し、ある人たちはサラミス人ヘーゲーシノスに、またある人たちは、ホメーロスが書いたのだが、娘のためにスタシノスに与えたのであり、彼の祖国にちなんでこの労作は『キュプリア』と呼ばれるのだという。しかし彼〔プロクロス〕がこの理由に与しないのは、この詩作品は、語尾から第三音節目に鋭アクセントをつけてKuvpriaとはけっして添え名されていないという。
Schol. Clem. Protr. 2.30.5, ”キュプリアという詩作品”
『キュプリア』とは、叙事詩圏の詩作品である。ヘレネーの掠奪を内容とする。これの詩作者は不明である。叙事詩圏作者の1人であるから。
Schol. Dion. Thr. i.471.34 Hilgard, MargitesのTestimonia参照。
Proclus, Chrestomathia, suppleta ex Apollod. epit. 3.1-33
これらに続くのが、11巻で伝えられるいわゆる『キュプリア』である。これの綴りについては後に述べよう。目下の言葉の流れを邪魔しないためである。内容は以下のとおりである。
(1)ゼウスがトロイア戦争についてテミスと相談する。さて、神々がペーレウスの婚礼を祝って宴楽しているときに、エリスがやって来て、美しさの争いをアテーナーとヘーラーとアプロディーテーに惹き起こした。彼女たちは、ゼウスの命により、判定を受けるため、イーデー山のアレクサンドロスのもとに、ヘルメースに案内される。<アレクサンドロスに贈り物を与えようと約束する。そこでヘーラーは、選抜してくれたら、あらゆるものを支配する王位を与えようと謂い、アテーナーは、戦争の勝利を、アプロディーテーはヘレネーとの結婚を〔与えようと謂った〕。Ap. >アレクサンドロスはヘレネーとの結婚にそそのかされて、アプロディーテーに選ぶ。次いで、アプロディーテーの勧めで、彼は船を造る。<船を造ったのはペレクロス。Ap.>またヘレノスは、将来について彼らに預言する。アプロディーテーはアイネイアースに彼と同船するよう命じる。また、カッサンドラーも将来を前もって明らかにする。
(1)Cf. P. Oxy. 3829 ii 9
ゼウスは、半神〔英雄〕種族の不敬に有罪判決を下し、彼らを完全に滅ぼすことをテミスと相談する。そこで、ケンタウロスのキローンとともに、ペーリオン山で、テティスとペーレースの婚礼の供犠をしているときに、他の神々は宴会に招待したのに、エリスのみは、ゼウスの命によって、入るのをヘルメースが阻止する。そこで彼女は怒って、黄金の林檎を酒宴の席に投げこんだ。これをめぐってヘーラーとアテーナーとアプロディーテーの間に愛勝が起こったので、ゼウスは最美な者の褒賞とすることを提案した。
(2)さて、ラケダイモーンに上陸して、アレクサンドロスはテュンダレオースの子どもたちの客遇を受け、その後で、スパルテーでメネラーオスから<9日間>〔客遇を受ける〕。そして宴会の席でアレクサンドロスはヘレネーに贈り物を贈る。その後、メネラーオスは、クレーターに出帆する。<母方の祖父カトレウスの葬儀のためである Ap.>客人たちに、その出立まで、必要なものを提供するようヘレネーに命じた上である。その間に、アプロディーテーはヘレネーをアレクサンドロスと一緒にする。交わった後、できるかぎり多くの所有物を積みこんで、夜陰に乗じて船で抜け出る。<彼女〔ヘレネー〕は、9歳のヘルミオネーを置き去りにし、できるかぎり多くの財産を積みこみ、彼とともに夜陰に乗じて海に乗り出す。Ap.>しかしヘーラーは彼らに嵐を起こし、アレクサンドロスはシドーンに運ばれた後、その都市を攻略する。<アレクサンドロスは追跡されないよう用心のため、長い間、ポイニケーとキュプロスで過ごした。Ap.>そしてイリオンに向けて船出し、ヘレネーとの婚礼を挙行した。
(3)その間にカストールはポリュデウケースとともに、イーダースとリュンケウスの牛を盗もうとして発見された。そしてカストールはイーダースによって亡き者にされ、他方、リュンケウスとイーダースはポリュデウケースによって〔亡き者にされた〕。ゼウスは彼ら〔カストールとポリュデウケース〕に一日おきの不死を分け与える。
(4)その後、イーリスはメネラーオスに館で起こったことを知らる。そこで彼は<ムケーナイに Ap.>、イーリオン攻めについて兄弟と相談する。また、ネストールのもとに行き、ネストールは話のついでに、エポーペウスがリュクールゴスの娘を堕落させ、〔エポーペウスの都市シキュオーンが〕滅ぼされた次第、オイディプースにまつわる事、ヘーラクレースの狂気、テーセウスとアリアドネーにまつわる事を物語る。
(5)次いで、彼らはヘッラスを歴訪して指揮官たちを集める。<彼〔アガメムノーン〕の方は、王たちのそれぞれに伝令使を送り、彼らが誓った誓いを思い起こさせた。そして、各人自分の妻についても、安全を確保するよう勧告する。ヘッラスに対する共通の侮辱は等しいのだと言って Ap.>。また、オデュッセウスがいっしょに出征することを拒み、狂人の振りをしていたのを、彼らは見破った。パラメーデースの助言により、〔オデュッセウスの〕息子テーレマコスを折檻のために奪い取ることによってである。<つまり、テーレマコスをペーネロペーの胸から奪い、殺そうとするかのように、剣を抜いたのである>。<メネラーオスは、オデュッセウス、タルテュビオスとともに、キュプロス<のキニュラース>のもとに赴き、共闘するよう説得した。すると相手は、居合わせないアガメムノーンには胴鎧を贈り物とした。船50艘を派遣すると誓ったうえで、ピュグマリオーンの子が指揮する1艘を派遣し、残りは土で形造した上で、大洋に進水させた Ap.>。
(6)その後、彼等はアウリスに集結して犠牲を捧げる。そして、大蛇と雀たちに関することが示され、カルカースが事の成り行きについて彼らに予言する。
(7)次いで、彼らは乗り出して、テウトラニアに着岸し、ここをイーリオンのごとく攻撃した。テーレポスが迎え撃ち、ポリュネイケースの子テルサンドロスを殺したが、自らもアキッレウスによって傷つけられる。<〔テーレポスは〕ミュシア人たちに完全武装させ、いっしょになってヘッラス勢を船陣の方に追いつめて多数を殺した。その中に、抵抗していたポリュネイケースの子テルサンドロスも含まれていた。しかしアキッレウスが彼に向かって突撃したため、持ちこたえられずに追撃された。そして追撃されるうち、葡萄の枝にからまって槍で太腿を傷つけられる。Ap.>[4] さて、ミュシアから船で抜け出そうとしている彼らに嵐が襲いかかり、彼らは散り散りになる。アキッレウスはスキュロスに着岸し、リュコメーデースの娘デーイダメイアを娶る。その後、占いに従ってアルゴスにやって来たテーレポスを、アキッレウスが治癒させる。イーリオンに向かう航海の案内人になってくれるという条件で。<テーレポスがミュシアからやってきたのは、傷が治らず、あるときアポッローンが彼に、傷つけたものが治す者となるとき治癒を得ようと云ったので、襤褸服をまとってアルゴスにたどりつき、アキッレウスに懇願し、トロイアへの航路を示す約束したので、ペーリオン産のトネリコの槍〔の穂先の〕緑青をアキッレウスが削り取ることで、治癒される。こうして治してもらったので、航路を示た。この教示の確かさは、カルカースが自分の占術によって保証したものである。Ap.>[5]
(8)そして二度目に遠征軍がアウリスに集結したとき、アガメムノーンは狩りで鹿を仕留め、自分はアルテミスをも凌駕していると謂った。そこで女神が怒り、嵐を送りつけて、彼らの出航を阻止した。カルカースが女神の怒りを告げ、イーピゲネイアをアルテミスに供犠するよう命じたので、彼らはアキッレウスとの結婚を口実に彼女を呼び寄せかのようにして、供犠することを企てる。<さらにカルカースは謂った、アガメムノーンの娘たちのうち、美しさの点で最も力ある者がアルテミスの生贄に供されないかぎり、彼らが航行する手立てはないと……アガメムノーンはクリュタイメーストラーのもとにオデュッセウスとタルテュビオスを派遣し、イーピゲネイアを要請する。そのさい、彼女をアキッレウスに、遠征の報酬として妻に与えると約束したと言ってである。Ap.>しかしアルテミスは、彼女をさらい、タウロイ人の間に移り住ませて不死の身にし、一方乙女の代わりに鹿を祭壇に供える[6]。
(9)次いでテネドスに寄港する。<ここを王支配していたのはテンネースで、彼はキュクノスとプロクレイアの子、しかし一部の人たちのいうところでは、アポッローンの子……さて、ヘッラス人たちがテネドスに接近するのを見て、テンネースは岩を投げて撃退しようとした。そしてアキッレウスに剣で胸を撃たれて死んだ。テティスがアキッレウスに、テンネースを殺さないようあらかじめ云っておいたにもかかわらず。というのは、テンネースを殺したら、アポッローンによって自分が殺されることになるからであった。Ap.>そして彼らが宴楽しているとき、ピロクテーテースが水蛇に咬まれ、その悪臭のためレームノスに置き去りにされた。またアキレウスは、招待が遅いことでアガメムノーンと仲違いする。<彼らがアポッローンに供儀祭を挙行しているとき、祭壇から水蛇が現れて、ピロクテーテースを咬む……オデュッセウスがこれをレームノス島に、自分が所持しているヘーラクレースの弓といっしょに棄てる。アガメムノーンの命令である。Ap.>
(10)次いで、彼らがイーリオンに上陸したのを、トロイア勢が封じこめ、プローテシオラーオスはヘクトールの手にかかって死んだ。ついで、アキッレウスはポセイドーンの子キュクノスを亡き者にし、彼らを退却させる。<アキッレウスには、テティスが書き送る。船団から最初に上陸してはならない。なぜなら、最初に上陸した者は、最期を遂げるのも最初になろう、と。他方、非ヘッラス勢は、遠征軍が押し寄せると知って、武装して海に突撃し、岩を投げて、上陸を防ごうとした。これに対しヘッラス勢のうち、船から最初に上陸したのはプローテシラーオスで、少なからざる者たちを殺した後、ヘクトールに殺された。この者の妻がラオダメイアで、彼の死後も〔彼を〕恋し、プローテシラーオスとそっくりの似像を造り、これと交わろうとした……プローテシラーオスが命終して後、アキッレウスがミュルミドーン勢とともに下船し、キュクノスの頭に石を投げ、殺す。非ヘッラス勢は、これが死体となったのを目にするや、城市の中に敗走し、片やヘッラス勢は、船団から跳び出し、平野を死体で満たした。そしてトロイア勢を封じこめ、攻囲した。また船団を揚陸する。Ap.> そして死体を収容する。また、トロイア勢に使節を派遣する。ヘレネーと財産の返還を要求してである。<ヘレネーと財産を要求して、オデュッセウスとメネラーオスを派遣する。しかし、トロイア勢のところで総会が招集されたとき、ヘレネーの引き渡しを拒んだばかりか、彼らを殺そうとした。ところがこれを助けたのが、アンテーノールであった。Ap.>あの者たち〔トロイア勢〕が聞き入れないので、ここにおいて市壁の攻防戦が始まった。
(11)次いで、領地に出撃し、周辺諸都市をも掠奪する。その後、アキッレウスはヘレネーを見たいと欲し、アプロディーテーとテティスが彼らを同じところに引き合わせる。それから、アカイア勢が帰還の衝動に駆られるのを、アキッレウスが引き留める。次いでまた、彼はアイネイアースの牛群を追い立てる。<彼はアイネイアースの牛群を追い立ててイーデー山に行く。だが、〔アイネイアース〕本人が逃走したので、牛飼いたちと、プリアモスの子ネーストールとを殺し、牛群を追い散らす。Ap.>そして、リュルネーッソスとペーダソスと、おびただしい数の集住諸都市を掠奪し、トローイロスを殺害する。<待ち伏せていて、テュムブレーのアポッローン神殿の中でトローイロスを殺害する。そして夜陰に乗じてその都市リュカオーンに行って、略取する。Ap.>パトロクロスはリュカオーンをレムノスに連れて行って〔奴隷に〕売り払う。
(12)戦利品の中からアキッレウスはブリーセーイスを褒賞として取り、クリューセーイスはアガメムノーンが。ついで、パラメーデースの死。そしてゼウスのはからいは、アキッレウスをヘッラス勢の共闘から離反させることで、いかにしてトロイア勢の負担を軽くするかということであった。そしてトロイア勢の共闘者たちの目録。
1 Schol. (D) Il. 1.5, ”ゼウスの神慮は遂げられていった”
しかし他の人たちは、ホメーロスは何らかの記録(iJstoriva)を基にして述べたのだと云った。つまり、言い伝えでは、大地は人間どもの数の多さのせいで重くなり、人間どもに何ひとつ敬虔さがないので、重荷を軽くしてくれるようゼウスに要請したという。そこでゼウスは、先ず第一にすぐにテーバイ戦争を引き起こして、これによってひどく多数を破滅させ、その次には、モーモスを助言者として用いて、イーリオン戦争を〔惹き起こした〕。これをゼウスの神慮とホメーロスが謂うのは、〔ゼウスは〕雷霆とか大洪水によって何でも滅ぼすことができたからである。それこそモーモスが阻止したことで、二つの考えを彼に提案した。死すべき者とのテティスの結婚と、美しい娘の誕生である。この2つから、ヘッラス人たちと非ヘッラス人たちのとの間に戦争が起こり、ここから、多数の者らが亡き者になって、大地が軽くなることになったのである。この記録は、『キュプリア』を詩作した者の作品中にあり、次のように云っている。
人間どもの無量の部族が、たえず地上を徘徊し、
底深き大地の広がりを重くせし時ありき。
ゼウスはこれを見て憐れみ、頑ななる心のうちに
人間どもを除いて、万物を養う大地を軽くせんことを決心せり。
イーリオンをめぐる戦争の大いなる争いを煽ることで、
死によって重みを軽くせんものと。かくてトロイアーなる英雄たちは
殺され、ゼウスの神慮は遂げられたり。
Cf. schol. Eur. Or. 1641.
2 Philod. De pietate B 7241 Obbink
さらにまた、『キュプリア』を書いた人が〔謂うには〕、彼女〔テティス〕はゼウスとの結婚を逃れたことでヘーラーに喜ばれた。だが、彼の方はそのことで立腹し、死すべき者と結ばれるよう誓ったのだ、と。
Cf. Apollod. Bibl. 3.13.5.
3* Schol. (T) Il. 18.434a, "まったく不本意ながら、夫の閨にも耐え忍んだ"
ここから、〔ホメーロスの〕若い世代の作家たちは、彼女〔テティス〕の諸々の変身を謂う。
Cf. Apollod. Bibl. 3.13.5
そこでケイローンがペーレウスに、彼女をつかまえて、変身してもじっと押さえているよう教えたので、〔ペーレウスは〕機会を窺っていてひっつかまえ、時には火、時には水、時には獣になったが、もとの姿にもどるのを目にするまでは、放さなかった。
4 Schol. (D) Il. 16.140
というのは、ペーレウスとテティスの婚礼の際に、神々は宴楽のためにペーリオン山に集まり、ペーレウスに贈り物を携行したが、ケイローンは生い茂ったトネリコを伐って、槍にするよう渡した。言い伝えでは、アテーナーがこれを削り、ヘーパイストスがこしらえたという。この槍によって、ペーレウスも諸々の戦いで武勲をたて、その後はアキッレウスが。この記録は『キュプリア』を詩作した人の作品中にある。
Cf. Apollod. Bibl. 3.13.5
そしてペーリオン山中で結婚し、その際、神々は結婚を祝して宴をはり、歌った。そしてケイローンはペーレウスにトネリコの槍を、ポセイドーンは馬のバリオスとクサントスを与えた。これらの馬は不死であった。
5 Ath. 682d-f
花冠の花については、叙事詩『キュプリア』を詩作した人 それがヘーゲシアースにしろスタシーノスにしろ、<あるいはまたキュプリアスにしろ> が言及している。とにかくデーモダマース それがハリカルナッソス人にしろ、ミレートス人にしろ は、『ハリカルナッソスについて』(FGrHist 428 F 1)の中で、『キュプリア』こそはハリカルナッソス人の詩作品だという。とにかく、これの作者が誰であろうと、第1歌の中で次のように言っている。
優雅女神らと季節の女神たちが織り、
そして、春の花で染めた衣裳を、彼女らはまとう。
季節が運んでくれる花、例えば、サフランにヒュアキントス、
みずみずしい菫の花、美しい薔薇の花、
甘く神々しい香り、この世のものとも思えぬ、
流れも美しいナルキッソスのカップ…〔破損〕…アプロディーテーが
すべての季節の香りをたき込めた衣裳をまとうた。
この詩人は花を冠として用いることを知っている。こういう詩があるのだ、
6
笑みを愛でるアプロディーテーが、侍女を伴って
<……〔欠落〕……>
綾なす冠を戴くニンフら、それに優雅の女神らは
大地から生い出る芳香の花々を編んで頭に載せ、
黄金なすアプロディーテーも加わって、泉に富むイーデーの山あいに、
うるわしい歌を響かす。
7* Naevius(?), Cypria Ilias fr. 1 Countney (ex libro I)
彼女のきらめく頸は、宝石散りばめられた首飾りに囲まれてあり。
8 Schol. (D) Il. 3.443
トロイアの王プリアモスの息子アレクサンドロスは、パリスとも呼び名されるが、アプロディーテーの指図により、ハルモニドス、あるいは、若手作者たちの一部によれば、船大工ペレクレースによって、自分のために船を建造し、アプロディーテーとともにメネラーオスの都市ラケダイモーンに赴いた。
Cf. schol.(A) Il. 5.60a (Aristonici); schol. Nic. Ther. 268; Apollod. epit 3.2 (supra in Argumento).
9 Clem. Protr. 2.30.5
さらに、『キュプリア』を書いた人も現せしめよ。
カストールは死すべき者であり、彼には死の定めがさだめられているが、
しかるにポリュデウケース、アレースの若枝は不死である。
10 Ath. 334b
叙事詩『キュプリア』を詩作した人(それがキュプリアスという人だったにせよ、スタシノスだったにせよ、あるいはそのほか何と呼んでもらいたかったにせよ)ネメシスがゼウスに追われて、そのせいで魚に変身したと詩作している。
髪の美しい、ネメシスは、三番目に、驚くばかり美しい
へレネーを生んだ。神々の王ゼウスの愛欲に縛られて
せんかたなく生んだもの。クロノスの子から逃れたが、
その強大のカにはあらがうすべもなく、交わったのだ。
胸を恥(アイドス)と怒り(ネメシス)が重く苦しめるまま、
地の下を、不毛の海の暗い底を、逃げに逃げる。
ゼウスはそれを取り押さえんと、胸を焦がしつつ追う。
それをば逃れようと、ネメシスは、
ある時は波立ち騒いで轟く海を走る魚のよう、
ある時は地の果てを流れるオケーアノスに行き、
またある時は豊かな稔りをもたらす大地に沿うて走りつつ、
大地の養うあらんかぎりの恐ろしき獣に姿を変じた。
11 Philod. De pietate B 7369 Obbink
そして『キュプリア』を書いた人が〔いうには〕、ネメシスをば、彼〔ゼウス〕もまた鵞鳥に等しくなって追いかけた、そして交わって〔ネメシスは〕卵を生み、これからヘレネーが生まれたと。
Apollod. Bibl. 3.10.7
しかし、ある人たちは、ヘレネーはネメシスとゼウスの子だという。というのは、これ〔ネメシス〕がゼウスとの交わり逃れようと、ガチョウに姿を変えたところ、ゼウスもまた白鳥と同じ姿となって交わったというのだ。この交わりによって卵を生んだ。ひとりの羊飼いがこれを聖林の中で見つけて、レーダーのところへ持って来て与えた。彼女が箱に入れて保管しておいた。すると時を経てヘレネーが生まれたのを、自分の娘として育てたということである。
Cf. Sappo fr. 166; schol. Call. Hymn. 3.232; schol. Lyc. 88; ps.-Eratosth. Catast. 25.
12* Schol. (D) Il. 3.242
ヘレネーが……かつてテーセウスに誘拐されたとは、先に述べられたとおりである(ad 3.144,=Hellanicus fr. 168c Fowler)。というのは、かつて起こった誘拐ゆえに、アッティカのアピドナーという都市が掠奪されたからであり、カストールは、その当時の王アピドノスによって右大腿を負傷したからである。しかしディオスクーロイはテーセウスを捕らえることができず、アテーナイを荒らした。この歴史はポレモーン(?)あるいは叙事詩の環作家たちの作品、また一部は抒情詩人アルクマンの作品(PMGF 21)中にある。
13* Naevius(?), Cypria Ilias fr. 2 Courtney (ex libro II)
彼は内室に進み入り、彼女の寝床を手に入れたり。
14
順風と平穏な海にめぐまれて
Herod. 2.116.6-117
アレクサンドロスがアイギュプトスへ漂流した物語をホメーロスが知っていたことは、これらの詩句〔Il. 6.289-292〕明らかなことである。シュリアはアイギュプトスと境を接する国であり、シドーンの町を建てたポイニクス人はシュリアに住んでいるのだからである。叙事詩『キュプリア』がホメーロスの作ではなく、誰か他の詩人の手に成るものであることも、右の詩句によってまったく明らかであるといえる。『キュプリア』には、ヘレネーを連れたアレクサンドロスは、順風と平穏な海にめぐまれスパルテーを発ってから三日目にイーリオンへ着いたとあるが、『イーリアス』には、アレクサンドロスがヘレネーを連れて漂白したとあるからである。
15 Paus. 3.16.1
近くには、ヒラエイラとポイベーの神域がある。叙事詩『キュプリア』を詩作した人は、彼女らはアポッローンの娘たちだと謂っている。
16 Schol. Pind. Nem. 10.110〔61?〕, ”タユゲトスから遠見をしたリュンケウスは、樫の木株の中に潜んでいる彼らを見つけた”
アリスタルコスが、"h{menon"〔潜んでいる彼を〕と書くべきだと主張するのは、『キュプリア』の中で言われている歴史に従っているのだ。というのは、『キュプリア』を著した人が謂うには、カストールは樫の樹の中に隠れているのをリュンケウスに見つけられたのだという。同じ書にはアポッロドーロスも従っている(FGrHist 244 F 148)。これに対してディデュモスは謂う……『キュプリア』を書いた人も次のように言っているのを引用する。
ただちにリュンケウスは
タユゲトスに歩み寄り、迅速の脚にまかせて、
頂上に登ると、タルタロスの裔ペロプスの島全体を
見渡した。恐ろしい両眼で、栄えある英雄を
たちまち見つけ出した。樫の樹の洞の中に両人、
馬を飼い馴らすカストールと、懸賞もたらすポリュデウケースとを。
そして<強力のイーダースが>すぐ側に立ち、大きな樫を突き刺す
云々
17 Philod. De pietate B 4833 Obbink
カストルが、アパレウスの子イーダースによって槍で突かれたと、『キュプリア』を詩作した人が書いた。また、アテーナイ人ペレキュデースも(fr. 127 A Fowlwr)。
18 Ath. 35c
まことに酒を、メネラーオスよ、神々は、最善のものとしてお造りになったのだ
死すべき人間どもにとって憂いを散ずるようにと。
『キュプリア』の詩人は、それが誰であろうと、これを謂っている。
19 Schol. (D) Il. 19.326
Paus. 10.26.4
叙事詩『キュプリア』が謂うには、リュコメーデースによってはピュッロス、ネオプトレモスはポイニクスによって彼〔アキッレウスの子〕に付けられた名だと謂う。その所以は、アキッレウスが年齢的にまだ若くして戦争することを(nevoV polemei:n)始めたからだと。
20 Schol. Soph. El. 157, ”今もお元気なのは、クリューソテミスにイーピアナッサと”
アガメムノーンの娘を3人として述べる(Il. 9.144)ホメーロスに従うか、あるいは、『キュプリア』の作者のように、〔クリューソテミスとエーレクトラに加えて〕イーピゲネイアとイーピアナッサの4人がいると彼は謂っているかである。
21* Chrysippus, SVF ii.57.11
もしアガメムノーンが次のように否定したのであれば、
アキッレウスの剛毅な心を、かくもむやみやたらに激怒させようとは、
思いも寄らなんだ。いかにもまったくわが友なりしかば。
ここには命題(ajxiwmav)がある……
22 Paus. 4.2.7
叙事詩『キュプリア』を詩作した人が謂うには、プローテシラーオスは、ヘッラス勢がトローイア一帯を押さえたとき、最初に上陸を敢行した人で、このプローテシラーオスの妻がその名をポリュドーラといい、オイネウスの子メレアグロスの子だという。
23 Schol. (T) Il. 16.57b, ”囲壁もよろしき都市を攻め落として”
〔この都市を〕『キュプリア』を詩作した人はペーダソスだと、しかし〔ホメーロス〕当人はリュルネーッソス(Il. 2.690)だと。
24 Schol. (bT) Il. 1.366c
クリュセーイスは、テーベーへ、アルテミスに供犠していたエーエティオーンの姉妹にして、アクトールの娘であるイピノエーのもとに赴いて、アキッレウスに捕まえられた。
Eust. Il. 119.4
しかし一部の人たちが記録しているのは、プラコスの麓テーベーからクリュせーイスが捕まえられたのは、そこに避難してからでもなければ、『キュプリア』を書いた人が謂ったのと違って、アルテミスの供犠のために赴いていたからでもなく、女市民であったか、あるいは、アンドロマケーの同市民であったからだ、と。
25* Schol. (A) Il. 24.257b (Aristonici)
〔難点があるのは〕トローイロスが戦車を駆る(iJppiocavrmhV)と述べられていることから、若手作家たちは、彼が馬に乗って追跡されたと詩作したことである。そして彼らは彼が子どもだと推測するのだが、ホメーロスは、添え名を通して一人前の戦士であることを明らかにしている。なぜなら、他の者は騎士(iJppovmacoV)とは言われていないのだから。
26
オイノーとスペルモーと、<輝ける果実>エライイース
Schol. Lyc. 570
これ〔アニオス〕をばアポッローンはデーロスに運んだ。彼〔アニオス〕はドーリッペーを娶り、アニオスの娘たち(Oijnotrovpoi)、つまり、オイノー、スペルモー、エライスをもうけた。彼女たちにディオニューソスは、望むときに種子を得られる能力を与えた。ペレキュデースが謂うには(fr. 140 Fowler)、ヘッラス勢が自分のところにやって来たとき、自分のところに9年間と滞在するよう説得した。だが彼らには、神々から、十年目にイーリオンは掠奪されるだろうと託宣されていたのだ。また彼は彼らに、自分の娘たちによって食糧を供給されることを約束した。このことは、『キュプリア』を詩作した者の作品にもある。またカッリマコスも、『縁起物語』の中(fr. 188 Pf.)でアイノスの娘たちに言及している。
Cf. ib. 580
彼女たちはまたトロイアに赴いて、飢えたヘッラス勢をも救済した。カッリマコスもこのことは証言している。
581
というのは、ヘッラス勢が飢饉に見舞われたとき、アガメムノーンはパラメーデースを介して彼女らを呼び寄せた。そして彼女らはロイテイオンにやって来て、彼らの食糧を供給した。
Simon. PMG 537; Apollod. epit. 3.15; Dictys 1.23.
27 Paus. 10.31.2
パラメーデースは、魚の漁に出て来たところを溺死させられ、手を下したのはディオメーデースとオデュッセウスだと、叙事詩『キュプリア』の中で読んだのをわたしは知っている。
28 Paus. 10.26.1
レスケオース(Il. Parva 19)や叙事詩『キュプリア』は、エウリュディケーをアイネイアースの妻に配している。
29 Plat. Euthyphro 12a
つまりぼくが言うのは、〔次のような〕詩作をした詩人が詩作したのとは反対のことだ。
その業をなし、これらすべてを生ぜしめしゼウスをば、
たしなめることを彼〔彼女?〕は拒む。恐れのあるところ、また羞恥(AijdwvV)もあればなり。
Schol. ad loc.ei[rhtai de; ejk tw:n Stasivnou Kuprivwn〔スタシノスの『キュプリア』からの引用〕; item Stob. 3.31.12.; cf. Mantiss. proverb. 1.71.2 i{na - aijdwvV laudant etiam Plut. Aigis et Cleom. 30.6, Mor. 459d; Diogenian. 5.30; Apostol. 9.6.
30 Herodian. peri; monhvrouV levxewV 9 (ii.914.15 L.)
そして〔サルペードーンは〕オーケアノスにある特別な意味の、ゴルゴーンたちの住まいである島で、『キュプリア』の作者が謂うには。
彼によって妊娠して、ゴルゴーンたち、身の毛のよだつ妖怪を生んだ、
彼女らは渦深きオーケアノスのほとりサルペードーン
峨々たる島に住んだ。
31 Clem. Storm. 6.19.1
再び、スタシノスが詩作した箇所
父親を殺してその子どもたちを残して置くは、愚か者。
クセノポーンが言う……
Versum laudant etiam Arist. Rhet. 1376a6 (v.l. uiJou;V), 1395a16 (v.l. kteivnwn); Polyb. 23.10.10 (uiJou;V).