エピゴノイ

[解説]
 『エピゴノイ』の劈頭行(fr. 1)は、これが『テーバーイス』の続きになるはずだと公言している。幾つかの古代テキストの中で、それに付け加えられたのかも知れない。ただし、少なくともヘーロドトスの時代(4.32)以来、これは別個の詩の地位を保ってきたけれども。

 エピゴノイトその遠征は、『イーリアス』の詩人に知られている(4.405-408)。尤も、他の詩行、例えば5.115-117と14.111-127では、彼はディオメーデースが以前の戦争で身をもって証明したことを忘れているらしいが[1]。もしわれわれが神話作家たちの説明に信を置くなら[2]、七将の子どもたちはわれわれが期待するのとは違って、アドラストスの息子アイギアレウスによって嚮導されたのではなく、(アポッローンの神託の忠告によって)アルクマオーンによってである。周辺地方にある村々を蹂躙した後、彼らは、テーバイの北東5マイルにあるグリサースでカドモス勢に遭遇した。アイギアレウス[3]は、エテオクレースの子ラーオダマースに殺されたが、テーバイ勢は敗走して都市内に逃げこんだ。彼らの預言者テイレシアースが、これを棄てるよう忠告し、難民の流れが離れていった。彼はこれとともにテルプーサまで行き、そこで死んだ。彼らの一部は行って、テッサリアにヘースティアイアを建設し、他は、イリュリア部族エンケレイスの間に植民した。勝利したエピゴノイはテーバイを陥落させ、テイレーシアースの娘マントーを捕らえ、これをデルポイに、アポッローンへの感謝の供え物として送った(fr. 4)。彼女は最後は小アシアのクラーロスにいたり、そこにアポッローンの神域をもうけた。有名な預言者モプソスは、彼女の息子と言われた。

[1] Carl Robert, Oidipus, i.186, 195.
[2] 特に Pindar, Pyth. 8.39-56; Diodorus 5.66; Apollodorus 3.7.2-4; Pausanias 9.5.13, 8.6, 9.4-5; Hyginus, Fabulae 71; Gantz, Early Greek Myth, 522-525.
[3] エピゴノイの中で唯一戦死したのは、彼の父親が以前の戦いで彼を伴って逃亡した唯一人であったごとくである。

 ヘーロドトス(4.32)は、『エピゴノイ』の作者がホメーロスであることに疑問を表明し、アリストパネースの註釈家は、これをアンティマコス(おそらくはテオースのアンティマコス。前753年の日食を見たと推測される詩人[註])に帰する。これを基にして、テオスのアンティマコスから引用される詩句は、『エピゴノイ』に割り当てられ(fr. 2)、われわれもまたこの叙事詩が、太陽が黒くなる前兆を表していると推断できる。クラーロスに対する関心は、テオースに近いということから詩人にふさわしいだろう。しかし、彼が書いたのは、おそらく8世紀後久しく経ってからである。

Plutarchu, Life of Romulus, 12.2.




エピゴノイ(=Epivgonoi)

1 Certamen Homeri et Hesiodi 15
 ホメーロスは、勝利を得損なった後、巡歴して詩作品を語った。先ずは『テーバーイス』を……次いで『エピゴノイ』7000行を。これの初めは。

さあ、今度は、若武者たちから歌い始めよう、ムーサたちよ。

つまり、これもホメーロスの作品だと一部の人たちは謂っているのだ。

Schol. Ar. Pac. 1270, ”さあ、今度は、若武者たちから歌い始めよう”
 アンティマコスの『エピゴノイ』の初め。

2 Clem. Storm. 6.12.7
そして、テーイオスの子アンティマコスが云ったところで、

贈り物から、数多くの災悪が人間どものに起こる。

とアギアースが詩作した。(『帰還(Nosti)』 fr. 7)

おそらくエリピュレーの賄賂をほのめかしている。

3* Phot., Et. Gen., Suda s.v. Teumhsiva
 テウメーサの狐について、『テーバイ誌』を書いた人たちは、充分に記録している。例えばアリストデーモス(FGr Hist 383 F 2)。つまり、神々によってこの獣がカドモスの子孫〔テーバイ人たち〕に送られたのは、カドモスの血を引く者たちを王位から締め出したからであるという。言い伝えでは、デーイオーンの子ケパロスが、これはアテーナイ人で、獣を何も逃さぬイヌを所持していて、自分の妻プロクリスを心ならずも殺した後、カドモスの子孫がこれを浄めたのだが、このイヌでもってキツネを追跡したという。そして、テウメーサのあたりで捕獲されそうになったとき、イヌもキツネも石になったという。この作者たちがこの神話を採ったのは、叙事詩圏からである。

この話は、おそらくテーバイにまつわる叙事詩の1つの中で語られているのであろう。テーバイ人たちがカドモスの後裔を王位から締め出したのは、エテオクレースの死後だということが、梗概の上では『エピゴノイ』に帰せられている。

4 Schol. Ap. Rhod. 1.308b
 『テーバーイス』[1]を書いた人たちが謂うには、エピゴノイによって、テイレシアースの娘マントーがデルポイに送られ、初穂として納められた。そして、アポッローンの神託に従って出かけ、レベースの息子ラキオスと出遭った。血筋はミュケーナイ人である。そして彼と結婚し(というのは、これは託宣に含まれていたからである、出くわした者と結婚すべしということが)、コロポーンに赴き、そこで祖国の陥落にふさぎこんで落涙した。そこから、涙にちなんで[2]クラーロスと名づけられた。そして彼女はアポッローンのために神殿を造った。

[1] 『エピゴノイ』の間違いと考えられる。ここで『テーバーイス』の1部分とされているのでないならば。
「2」 KlavroVklavw(わたしは泣く)に由来するという語源論

5 Herod. 4.32
 しかしヘーシオドスは極北人について言及しており、またホメーロスも『エピゴノイ』の中で〔このことに触れている〕。もしこの詩が真実ホメーロスの作であるとすればだが。


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