ボイオティア北東岸の港湾都市アンテードーン出身の女流抒情詩人。
後代の伝承では、ピンダロス〔前518生(?)-466以後没〕と、女流詩人コリンナとの師匠という。コリンナは、ピンダロスと比較してミュルティスを批判しているので(断片15)、ミュルティスの年代決定はコリンナの年代決定に依存する(しかし、コリンナの年代は決定しがたい)。
ミュルティスの詩断片は伝存していないが、プルタルコスが「ギリシア疑問集(Quaestiones Graecae)」の中で、ボイオティアの半神エウノストスについて要約しているところから見て、地方的な神話と縁起に関心を示していたことがうかがえる。
(OCD)
[底本]
D. Campbell, Greek Lyric IV, Loeb Classical, Harvard, 1992
1 Plut. Qu. Gr. 40
……以上のように、アンテードーンの女流抒情詩人ミュルティスが述べている。〔以下の PMG716 参照〕
2 Sud. Κ 2087
コリンナは……、ミュルティスの弟子。
3 Sud. Π 1617
ピンダロス……。ミュルティスという女性の弟子で、〔ピンダロスは〕第65オリュムピア紀年〔520/516 BC.〕に生まれた……。
4 Anth. Pal. 9. 26. 7s.= テッサロニケーのアンティパテール〔9人の女流詩人たちの最後に〕
……見よ、甘き声したミュルティスを、
〔以上は〕みな、尽きることなき詩篇の女流作家たち。
PMG 716 Plut. Qu. Gr. 40
タナグラのエウノストスとは、いかなる半神か、また、いかなる理由で、彼の社は女たちにとって立ち入り禁止なのか?
エウノストスは、ケーピソスの子エリエウスとスキアスとの息子であった。言い伝えでは、ニュムペーのエウノスタに育てられたので、その名をつけられたという。美しく、義しく、それに劣らず知慮深く厳格な人物であった。ところが、人々の言うには、コローノスの娘たちのひとりで従妹にあたるオクネーが彼に恋した。しかし、エウノストスは彼女の誘いを拒み、あまつさえ罵って、これを非難するために〔彼女の〕兄弟たちのところへ出かけようとしたので、この乙女は先手を打って彼に対して事を捏造し、エウノストスが自分を力ずくで交わろうとしたとして、これを殺すよう兄弟たち――エケモス、レオーン、ブゥコロス――をたきつけた。そこで彼らは待ち伏せして、その若者を殺害し、そのためエリエウスは彼らを投獄した。そこでオクネーは後悔し、混乱を味わい、かつは恋情ゆえの苦痛から逃れようとし、かつは兄弟たちのことを嘆いて、エリエウスに真実をすっかり白状し、彼はまたコローノスに報告した。そこでコローノスが裁定し、オクネーの兄弟たちは追放され、彼女は崖から身を投げた。以上のように、アンテードーンの女流抒情詩人ミュルティスが述べている。かくして、エウノストスの英雄廟と社は、女たちにとって立ち入ることも近づくことも禁止として固く守られてきた。そのため、地震や旱魃や、その他ゼウスの徴の凶兆が現れるたびに、タナグラ人たちは、この場所に女がひとしれず近づいたのではないかと探索して、念入りに調べるようになった。