驚異譚 断片集
[底本]
TLG 0579 ORPHICA
009
Testimonia
Test.
H. Diels and W. Kranz, Die Fragmente der Vorsokratiker, vol. 1, 6th edn. Berlin: Weidmann, 1951: 1-6. Breakdown: test. 1-16
[邦訳]
『ソクラテス以前哲学者断片集』第1分冊(岩波書店、1996.12.)がある。
(1.)
SUID.
トラーケーにあるレイベートラ(都市はピエリア地方にある)の出身、オイアグロスとカッリオペーの息子。このオイアグロスという人は,アトラースから5代後、その娘たちの一人アルキュオネーの血筋であった。生まれたのは、トロイア戦役の11世代前である。そして、彼はリノスの弟子になり, 9世代を生きたとされているが、11世代を生きたとする人びともいる。著書:『トリアグモイ』(しか悲劇作家イオーンの作と言われている)。この書には、いわゆる「聖なる祭服」(世俗的な祈りである)が含まれている。『神殿建造』。 24編の叙事詩から成る『聖なる言説』(ただし、テッサリアの人テオグネートスの作と言われ、ピュタゴラス派のケルコープスの作とする人びともいる)。『託宣集』これは、オノマクリトスに帰せられる。『秘儀』(これも同様にオノマクリトスのものと謂われている)。<『鉱物誌』>。この著作には、石の彫刻についての章が含まれ、これは「80の石」という副題がついている。『救済』。これは,シュラクゥサイの人ティモクレース、あるいは、ミレートスの人ペルシノスの作と言われている。『混酒器』。これは、ゾーピュロスの作と謂われている。『大母神のための着座式』と『バッコの祭式』。これらは、エレアの人ニキアースの作と謂われている。『冥界降り』。これは、ペリントスの人へーロディコスの作。『ペプロス』『網』。これらも、へーラクレイアの人ゾーピュロスの作であるが、ブロティノスの作とする人びともいる。『神名一覧』1200行の詩。1200行の詩。『天文学』、『砂占い』『犠牲の儀式』、叙事詩の『卵による供犠』あるいは『卵占い』。『聖衣の着装』、『諸神讃歌』、『コリュバンテスの儀式』、そして『自然論』。これはブロティノスの作と謂われている[Lonon fr. 7 Crönert CavriteV für Lio]。
クロトーンのオルペウス。詩人。アスクレーピアデースはその著『文法学』j第6の中で、彼と僭主ペイシストラトスとが知己であると謂う。〔著作は〕『12年周期』。『アルゴナウティカ』他。
カマリナのオルペウス。叙事詩人。『冥界降り』の著者と謂われている。
(1a.)
SUID.
ヒッポス・ニッサイオス……『網』の中でオルペウスは言う、ニサはエリュトラーにある場所だ、と。
(1b.)
CLEM. Str.〔雑録集〕 131 (II 81, 7 St.)
ムゥサイオスに帰されている『託宣集』は、オノマクリトスの作であり、オルペウスの『混酒器』はへーラクレイアの人ゾーピュロスの作であり、『冥界降り』は、サモスのプロディコスの作であると言われている。イオーンは云々
(2.)
ALCAEUS fr. 80 Diehl
なぜなら、この定めをば、オル<ペウスはせしめたからである>
生まれ<来たりて惑える者<>たちに、<死を逃れることを>。
彼が<あらゆる点で>知者であり、明敏な才覚に<長けている>としても、
<青二才よ>、ゼウスの意に反しては、髪の<毛一本も<抜け落ちる>ことはなかったものを。
(2a.)
IBYC. fr. 17 Diehl
高名なるオルペウス
(3.)
AESCHYL. Ag. 1629
あなたの舌は、オルペウスのとは、逆むきについているようだ、
彼は、のどの調べの楽しさで、生きとし生けるものの、長となったが……(久保正彰訳)
Vgl. Simon. fr. 27D. Eur. Bacch. 561. Iph. A. 1211.
(4.)
Paus. x 30, 6
[ポリュグノートスによる冥界画について]再び画面の下の方へ目をやると、パトロクロスの次にその隣にオルぺウスが、丘の上のような場所に座って左手をキタラ琴にやり、もう一方の手で柳にふれている。黒ポプラと柳が生えたところ、とホメーロスが思っていた、あのペルセポネーの杜らしい。この楽人はギリシア風の姿であり、衣服も頭の被り物も、トラケー風ではない。(飯尾都人訳)
(5.)
PROCLUS Schol. Hesiod. Opp. 631 p. 361, 6 Gaisf. :.
ヘッラニコスが『ポローニス』(FGrHist. 4 F 5 I 109)の中で謂っているところによると、へーシオドスはオルペウスから<10代目>に当たる。
HEROD. II 53
実際、私が思うに、へーシオドスとホメーロスは、私よりも400年だけ古い時代
に生きた人たちで、それ以上古くはない……そして彼ら二人より前であると言われている詩人たちも、この私が見るところでは、もっと後の人であった……この後半部の、へーシオドスとホメーロスに関する事柄は、この私が語っていることである。
(6.)
EURIP. Alc. 357
もしわたしにもオルペウスの歌と調べがあって、
デーメーテールの姫君か、またはその背の君を
歌に酔わせて、そなたを冥府から連れ出すことができるのであったなら、
すぐに地の下に降りてゆくものを。(松平千秋訳)
(7.)
同 962
われらは広く詩文を漁り、
天空にも想いを馳せ、
大方の哲理にも触れてはみたが、
アナンケーよりも強いものは見付からなかった。
それを防ぐ手立ては、トラーケーの歌人、
オルペウスの書き記した書板の中にも、
はたまたポイボスが、
病苦に悩む人間のために調合し、
アスクレーピオスの一族に
与えた秘薬の中にすら
見付けることはできなかった。(松平千秋訳)
(8.)
HIPPOL. 952
さあせいぜい得意がって、菜食主義を
謳い文句に、オルペウスを教祖に祭り上げ、
煙のようなたくさんの教典を崇め奉っては、バッコスの秘儀に耽っているがよかろう。(川島重成訳)
(9.)
EURIP. Cycl. 646
それより、オルペウスのよく効く呪文を知っています。
燃え木がひとりでに脳天に近づいて、
大地の子の一つ目野郎を焼いてくれる呪文です。(中務哲郎訳)
(9a.)
Hypsipyle [OX. Pap. VI n. 852 fr. 1 col. 3, 8 p. 36 Hunt: 52 Amim]
(ヒュプシピュレー)……一方、船の真ん中の、帆柱の傍らで
アシアー風の嘆きに充ちた歌を
オルペウスがトラーケーの竪琴で音高く奏でました、
それが漕ぎ手たちには大きく櫂を漕ぐたびに
合図となる歌なのです。時にはすばやく動かすように、
時には樅ノ木の櫂を休めるようにと。
(9b.)
[fr. 64 col. 2 p. 70 Hunt: 66 Amim]
(エウネーオス)アルゴー船がわたしとこの弟をコルキスの町へ連れて行きました。
(ヒュプシピュレー)私の乳房から乳飲み子を。
(エウネーオス)イアーソーンが、わたしの父が、母よ、亡くなったとき……
(ヒュプシピュレー)ああ、お前は悪い話を伝えてくれる、そして私の目に息子よ、涙を溢れさせる。
(エウネーオス)オルペウスがわたしとこの弟をトラーケーの地へ連れて行きました。
(ヒュプシピュレー)その人はどんな風にあなた方の哀れな父に感謝の念を示したのですか。私に話して、息子よ。
(エウネーオス)わたしにアシアーの竪琴で奏でる音楽を教えてくれましたが、
弟には戦の神の戦いの武具について訓練しました。
(10.)
[] Rhes. 943
神聖な秘儀の松明行列を教えたオルペウスも、
お前が屍としたこの子のいとこだというのに。
それに、お前の町アテーナイのムーサイオスもそうだ。
誰よりも遠くまでその名を轟かしたあの男も
我々の仲間とポイボス・アポローンが面倒を見てやった者だ。(片山英男訳)
(11.)
ARISTOPH. Ran. 1032
オルペウスはわれわれに秘儀と殺人を犯さないこととを教え、
ムーサイオスは病の治療と神託を、(内田次信訳)
(12.)
Av. 693
はじめにあったのはカオスと夜(ニュクス)と黒いエレボスと広いタルタロス。
ゲーもアーエールもウーラノスもなかった。エレボスの涯のない胸の奥に
黒い翼を持つニュクスがまずはじめに風卵を産む、
季節がめぐりそこから生まれ出たのは憧れをかきたてるエロース、
背中を黄金の翼で輝かせ、吹きつける旋風に似たもの。
その方こそ広いタルタロスの人目につかないくぼみで翼あるカオスと交わり、
わたしたちの種族の雛をかえし、誰よりも先に光りの中へと連れて上がった。
それまでは不死なるものたちの種族は存在しなかったのだ、エロースがすべて
を交わらせないうちは。
それぞれが互いに交わったのでウーラノスが生まれ、オーケアノスが、
ゲーが、そしてすべての至福の神々の不滅の種族が生まれた。(久保田忠利訳)
(12a.)
TIMOTHEUS Pers. 234 Wilamowitz
カッリオペーの子にして、彩り豊かな音楽を作り上げるオルペウスが、ピエリアで最初に竪琴(リュラー)を生みだした。そして彼の後に、テルバンドロスが10本の弦による音楽を作り出した。
(13.)
CLEM. Strom. VI 15 (II 434, 19 St.) aus HIPPIAS [86 B 6]
おそらくこれらの内の、あるものはオルペウスにより、あるものはムゥサイ
オスにより、またあるものはへーシオドスにより、さらにまたあるものはホメーロスによって、簡潔に、それぞれの人なりの仕方で語られたものであろう。
(13a.)
OLYMPIODOR. b. Phot. bibl. c. 80. 61 a 31
これ〔オアシス〕を、へロドトス[III 26]は「浄福なる者たちの島」と呼んでいるが、オルペウスとムウサイオスについての伝承を著したへーロドロスは、それを「パイアキス」と呼んだ。
(14.)
PLATO Symp. 179D
ところが、オイアグロスの息子オルベウスの場合には神々は、かれの求めてやって来た妻の幻影はお見せになりましたけれども、彼女そのものはこれを与えずに、かれをば当外れのまま冥府より送り帰えされたのであります。それは、かれが竪琴弾きなるがゆえに女々しく、アルケスティスのように恋のためには死ぬことをも敢てするどころか、生きながら冥府に入って行くことをうまくやってのけたと恩われたからであります。それゆえにこそ神々は、かれに罰を課して、かれの死を女たちの手にかけて遂げしめられたのであります。(金松賢諒訳)
(14a.)
Ion 536 B
さて、それら最初の指輪、つまり、詩人たちに、今度は他の詩人たちが別々に連なって神来状態になるのです、ある者はオルペウスに、ある者はムゥサイオスに。しかし大多数の者はホメーロスに憑かれ憑依するのです。あなたは、おおイオーン、そのひとりであり、ホメーロスに憑かれているのです。
(14b.)
ISOCR. XI 38
〔詩人たちは〕神々自身について、敵を罵るときでさえ誰もあえて口にしないような話を語っている。盗み、姦通、また人間の世界で賃仕事をしたと悪罵を浴びせているだけではない。子供を食べ、父を去勢し、母を縛めたとかのほかにも、多くの無法行為の物語を神々について捏造している。詩人たちはこれらの誹誇中傷に相応するだけの罰は受けなかったが、しかしまったく罰を免れたわけでもない。ある者は……が、これらの話に最も触れることの多かったオルペウスは八つ裂きにされて最期を遂げた。(小池澄夫訳)
(15.)
DIOD. V 64, 4
一部の史家の報告によると、これはエポロス〔FGrHist. 70 F 104 II 68〕をも含めてのことだが、イダ山に住むダクテュロスたちとは、プリュギア地方のイダ山方面で生まれ、ミュグドンに従ってヨーロッパ本土へ渡った、一団を指す。そして、呪術者のうちに入っていたので、呪歌、密儀、入信儀礼に従事し、サモトライケ島一帯で時を過して、これらの仕事を行っては、地方民をすくなからず恐れ戦かせていた。ちょうどこの頃、オルペウスもこの一団の弟子となったが、この弟子は詩や歌唱の素質が格別に優れ、これを使ってこれらの仕事に奉仕していた。そして、密儀や入信儀礼を島から持ち出し、はじめてギリシア人の間へ広めた。(飯尾都人訳)
(16.)
THEOPHR. char. 16, 11
また、彼〔迷信深い人〕は、夢を見たらいつも、夢占い師、予言者、鳥占い師のところに赴いて、どの神や女神に祈ったらよいのかと尋ねるのである。そして、毎月、妻と(もし妻にその暇がなかったら乳母と)そして子供たちを伴って、オルペウス教の秘儀を伝授する者のところに秘儀を授かりに行くのである。
2015.10.10.
|