パニュアッシス

[解説]
 パニュアッシスの『ヘーラクレイア』は、およそ9000行、14巻に分かたれた、はるかに長大な作品であった。『イーリアス』『オデュッセイア』そして『テーバーイス』の後、アレクサンドリア期以前の叙事詩中最も長いものである。この長さの秘密は、かなり悠長な会話場面に場所を取るたっぷりの話術体にある(fr. 3, 13, 18-22 を見よ)。

 ネメアのライオンは巻1で言及され(fr. 6)、酒宴(ケンタウロスのポロスとの酒宴であったかも知れない)は巻3(fr. 9)に、おそらくはゲーリュオーンの牛を手に入れるべくエリュテイアの島に行くためのオーケアノスの渡河は巻5(fr. 13)に〔言及されている〕。ゲーリュオーン退治は、普通、エウリュステウスのための功業の終わりの方に来る。パニュアッシスにおいてもそうなら、この含意は、彼の詩の大部分は、エウリュステウス環の結末後に数えあげられる諸々の冒険と結びついていた、ということであろう。しかしわれわれは、諸々の挿話の順序について信頼できる証拠をほとんど有していない。それがない以上、諸々の断片の順序の案内として、アポッロドーロスの話を採用するのが便利である。彼の主要な出典はペレキュデースに採ったらしいが、彼〔ペレキュデース〕はパニュアッシスの数年後に書き、彼自身の混乱を引きこんでいる。[註]

[註]パニュアッシスの現代の3人の校訂者、Matthews, Bernabé, Daviesは、断片集の順番がみな異なるので、彼らの誰かひとりに従う必要を感じなかった。

 『ヘーラクレイア』のほかに、パニュアッシスは、イオーニアの伝説的な植民活動について7000行のエレゲイア詩を構成したと云われている。同類の長い古物研究的エレゲイア詩がセモニデース(『サモスの古事』)やクセノポーン(『コロポーンの建設』『エレアの植民』)に帰せられるけど、詩の流布とか、古代における影響のはっきりした痕跡がないし、いったい実際に存在したのかどうか、いくらか疑いが残る。




パニュアッシス『ヘーラクレイア(+Hrakleiva)

TESTIMONIA

Suda π 248 (ex. Hesychio Milesio)
 ポリュアルコスの子ハリカルナッソス人のパニュアシスは、怪異の解釈者(teratoskovpoV)にして叙事詩の作詩者で、鎮火しつつあった作詩術を復興させた人である。しかしながら、ドゥリス(FGrHist 76 F 64)は、〔彼のことを〕ディオクレースの子にしてサモス人、同様にヘーロドトスをもトゥーリオイ人と書き留めている[註]。さらに、パニュアシスは歴史家ヘーロドトスの従兄弟である。というのは、パニュアシスはポリュアルコスの子であるが、ヘーロドトスは、ポリュアルコスの兄弟リュクセースの子だからである。しかしながら、一部の人たちは、リュクセースではなく、ヘーロドトスの母ロイオーが、パニュアシスの姉妹だと記録している。さて、パニュアシスは第78オリュムピア紀年〔468/465 BC〕に存命した。だが、一部の人たちによれば、かなり早い時代だという。というのも、ペルシア戦争の時代に存命だっと。亡くなったのは、ハリカルナッソスの第3代僭主リュグダミスによってである。詩作者中では、ホメーロス後に位置づけられるが、一部の人たちによれば、ヘーシオドス後にもアンティマコス後にも〔位置づけられる〕。書いたのは『ヘーラクレイア』を14巻、9000詩行に、『イオーニア誌』を五脚韻詩〔エレゲイア詩〕に(コドロス、ネーレウス、イオーニアの植民市に関する地誌である)、7000詩行に。

[註]論点は、2人の主要な作者をどちらもハリカルナッソスに帰することをドゥーリスが否定したところにある。

Merkelbach-Stauber, Steinepigramme aus dem griechischen Osten 01/12/01=IG 12(1).145

げに、ヘーロドトスの甘き口と、快き叙事詩の歌い手パニュアッシスを
育てたるは、太古のバビュローンにあらずして、
ハリカルナッソスの岩多き野。彼らの歌を通して、
ヘッラス人たちの町々に、すぐれた栄誉を持つ。

Ibid. 01/12/02 de Halicarnasso

45〔この都市は〕叙事詩の有名な師匠パニュアッシスを種蒔き、
 イーリオンにまつわる叙事詩の歌人『キュプリア』を生めり。

Inscr. in poetae effigie, Mus. Neapol. inv. 6152 (I. Sgobbo, Rendiconti dell'Accademia Archeologica di Napoli 46 [1971] 115 sqq.)
 詩人パニュアッシスはこのうえなく苦痛である。

Dion. Hali. De imitatione fr. 6.2.2-4
 というのは、ヘーシオドスは、名前のなだらかさと韻律のある構成によって、快さを心がけた。これに対してアンティマコスは、張りと、競技的な頑丈さと、馴れ馴れしさからの脱却を〔心がけた〕。しかしパニュアシスは、両者の徳〔長所〕を導入し、自らは行事と独自の処理法に抜きん出ていた。

Cf. Quintil. Inst. Or. 10.1.52-54.

Clem. Strom. 6.25.1
 〔ギリシア人たちは〕他人の作品を勝手気ままに剽窃して、自分のもののように差し出した。まるで、エウガムモーンのように……また、ハリカルナッソス人パニュアシスは、サモス人クレオーピュロスから『オイカリアの攻略』を〔剽窃した〕。

Euseb. Chron.
Ol. 72.3〔490/489〕:詩人パニュアッシスが称賛される。

Proclus, Vita Homeri 1., v. ad Pisandrum
 叙事詩群の規準におけるパンニュアシスについては、先のペイサンドロスを見よ。


断片集

1 Paus. 9.11.2
 また〔テーバイ人たちは〕、ヘーラクレースとメガラーの間に生まれた子どもたちの墓を見せてくれる。その死にまつわる〔話〕を言うが、ヒメラ人ステーシコロス(PMGF 230)や、パニュアッシスが叙事詩編の中で詩作したことと何ら違ってはいない。[註]

[註]言及されているのは、ヘーラクレースが狂気の発作でわが子を殺害したことで、この話は、エウリピデースの悲劇『ヘーラクレース』でわれわれによく知られている。次の断片は、その浄めを求めてデルポイを訪れたことに関係しよう。アポッロドーロスLibrary 2.4.12 によれば、彼に与えられた神託は、ティーリュンスに赴き、エウリュステウスに仕えよ、というものであった。彼〔エウリュステウス〕は一連の難業を彼に引き受けさせる。

2 
 ポリュアルコスの子パニュアッシスは、ヘーラクレースにまつわる叙事詩を作詩した人であるが、カスタリアをアケローオスの娘だと謂っている。というのは、ヘーラクレースについてまさしく〔次のように〕言っているからである。

雪深きパルナッソスを速い足で突ききり、
アケローオスの娘カスタリアの不死の水のところに着いた。

3 Clem. Protr. 2.35.3
 というのは、パニュアッシスは、以上のことに加えて、他にも多種多様な神々が、人間どもに仕えたと記録しているからである。ほぼ次のように書いている。

デーメーテールは耐え忍んだ、その名も高い「両脛まがり」〔ヘーパイストス〕は耐え忍んだ、
ポセイドーンは耐え忍んだ、銀弓もったアポッローンは耐え忍んだ、
死すべき人のもとで、1年間、賃働きすることを、
頑なな心のアレースも耐え忍んだ、父の強制によって。

云々。[註]

[註]誰か、おそらくはアテーナーが、ヘーラクレースを守護しつつ、死すべき人間の主人の下に仕えた神々のさまざまな神話的挿話を思い起こさせている。話の内容は、次に充分説明されたのであろう。断片4と5はその文脈に合致する。

4 Apollod. Bibl. 1.5.2
 しかしパニュアッシスは、トリプトレモスはエレウシースの子であると言っている。というのは、デーメーテールが彼〔エレウシース〕[註]のところにやって来たと謂っているからである。

Cf. Hygin. Fab. 147.
[註]つまり、デーメーテールが乳母として仕えた館の王はエレウシースと呼ばれる。「デーメーテール讃歌」にあるケレオスではない。

5 Sext. Emp. Adv. math. 1.260
 歴史家たちは言っている、われわれの知識の元祖アスクレーピオスは、雷に撃たれて亡くなったと……ステーシコロス(PMGF 194)は『エリピュレー』の中で、テーバイ攻めで斃れた者たちの中の何人かを生き返らせたせいだと云い……パニュアシスは、テュンダレオースの死体を甦らせたせいだと。[註]

Cf. schol. Eur. Alc. 1; Apollod. Bibl. 3.10.3; Philod. De pietate B 4906 Obbink; schol. Pind. Pyth. 3.96.
[註]アポッローンは、わが子アスクレーピオスの死に動転して、雷霆の製造者キュクロープスを殺した。この浄めをするため、彼は1年間、アドメーテウスに仕えさせられた。

6 Steph. Byz. s.v. Bevmbina
 ネメアの村〔の名〕……パニュアシスが『ヘーラクレイア』第1巻の中で。

そしてベムビナのライオンの獣の皮。

他にも。

7

またベムビナの怪物のライオンの皮。

8 [Eratosth.] Catast. 11
 蟹〔座〕。これは、ヘーラーによって星々の中に置かれたと思われている。それは、ヒュドラを倒すとき、他のものたちはヘーラクレースに加勢したのに、これ〔蟹〕のみは湖から跳び出して、彼の足に咬みついたとは、パニュアシスが『ヘーラクレイア』の中で謂っているとおりである。ヘーラクレースは怒って、それを足で踏みつぶしたと思われる。そこから、12獣帯の中に数え入れられることで、大いなる名誉に与ったのである。

Cf. Hygin. Astr. 2.23; schol. Arat. 147; schol. German. Arat. pp. 70 et 128 Breysig.

9 Ath. 498d
 パニュアッシスは『ヘーラクレイア』第3巻で謂う。

輝く黄金の大甕で酒を割り、そこから
いくたびもskuvpfoVで汲んでは、甘き飲み物をあおった。[註]

[註]ヘーラクレースがエリュマントスの大猪を捕まえに行く途上、ケンタウロスのポロスに客遇されたことに触れているのであろう(Apollodorus, Library 2.5.4.)。ステーシコロス『Geryoneis』(PMG 181=S19 と比較せよ)。

10 Schol. Pind Pyth. 3.177b
 幾人かの人たちが謂うには、テュオーネーはセメレーとは別人であり、ディオニューソスの養い親であると、パニュアシスが『ヘーラクレイア』第3巻の中で。

すると彼は養い親テュオーネーの懐から跳び出してきた。

11 Ath. 172d
 pevmmata〔という菓子〕については、セレウコス(FGrHist 634 F 2)が謂うのには、最初に言及したのはパニュアッシスで、アイギュプトス人たちのもとにおける人間供犠について説明している〔書の〕中で、多くのpevmmataを供え、多くの雛鳥nossa;V o[rniVを〔供える〕と言っている。

多くのpevmmataを供え、多くの雛鳥nossa;V o[rniVを〔供える〕。
cup.jpg
HERAKLES & THE CUP-BOAT OF HELIOS
ca. 350 BC

12 Ath. 469d
 パニュアシスは『ヘーラクレイア』第1巻[註]の中で謂っている。ヘーラクレースはネーレウスからヘーリオスの杯をもらいうけ、エリュテイアへ船で渡った、と。[註]

[註]このことが第1巻のような早い巻に出てくるとかほとんど考えられない。断片13は、4巻か5巻に出て来ることを示唆している。

13 "Ammonius" in Il. 21.195 (p. Oxy. 221 ix 8; v.93 Erbse)
 セレウコスが指摘していることだが、アケローオスはオーケアノスと同一人物だと、パニュアッシスが『ヘーラクレイア』第5巻の中で〔次のように〕言っている、と。

して、いかにして、銀の渦巻くアケローオスの流れを渡りたるや、
オーケアノスの幅広き河の水の道を通って。[註]

[註]相手はヘーラクレース、話し手は多分ゲーリュオーン。

14* Schol. Nic. Ther. 257a, o{t= a[nqesin ei[sato calkou:〔銅の花に見えるときがある〕
 〔男性名詞calkovVのところを女性名詞で〕a[nqesi cavlkhVとも書かれる……しかしcavlkhとは花〔紫花、学名Chrysanthemum coronarium「シュンギク」Dsc.iv-58〕のことで、これにちなんで紫魚(porfuvra)とも〔人々は〕名づけている。『ヘーラクレイア』中の直喩のように。

     甲鱗がきらきらきらめいた。
あるときは蒼黒く、時には銅の花に似て。[註]

[註]意味はおそらく緑青のような緑色のこと。この詩行は、おそらく、黄金のリンゴを護っている大蛇の記述に由来するのであろう。

15 Hygin. Astr. 2.6.1
 跪く人〔座〕[註]。エラトステネース曰く。これは上述の大蛇に対して位置についたヘーラクレースである。戦闘の用意をし、左手にライオンの毛皮、右手に棍棒を持っている。彼はヘスペリデースを護っている大蛇を殺そうと努めている。この大蛇は、眠りの衝動でその眼を閉じることは決してないことが、護り手の身分の証である。これについてはパニュアッシスが『ヘーラクレイア』の中で告げている。

Cf. [Eratosth.] Catast. 4; schol. German. Arat. pp. 61 et 118 Breysig.
[註]現代のヘラクレス座のこと。

Avienius, Phaen. 172-187

 次に汝は奮闘する人の形姿を見るであろう。
 昔アラトス〔63-66〕は言った、これに名はなく、
 奮闘の理由もわからないと。
175されど、パニュアッシスにはわかっていた。
177彼が語るには、アムピトリュオーンの息子は、
 若さの最初の花盛りにあったが、度外れた僭主の支配に服し、
 知られざる南部がはるか遠く隔たったところ、
180ヘスペリスたちの領地にやって来た[1]。
 そして黄金の林檎を摘み取った。何も知らずいぎたなく眠りこけた番人に守られたのを。
 その後で、執念深い憎しみをいだく継母[2]の創造せし大蛇は、
 曲がりくねった蜷局をゆるめて、
 行く手を閉ざしていたものの、勝者の一撃に倒れた。
185かくして、言い伝えでは、身体を左膝で支えつつ、
 かくして休息したという話だ。
 功業をはたしたうえで。

[1] パニュアッシスは明らかにヘスペリデスをアフリカのはるか南に位置づけている。ペレキュデースはそれをはるか北方に移動させることができる(fr. 17 Fowler ~ Apollodorus, Library 2.5.11). See JHS 99 (1979), 145.
[2] ヘーラーのこと。ヘーラクレースの執念深い敵である。

16 Schol. Od. 12.301.
 『シケリア地誌』の作者ニュムポドーロス(FGrHist 572 F 3)は、ヘーリオスの牛群の番人はパラクロスであると、ポリュアイノス(639 F 7)とパニュアシスが謂っている、と。

17 Paus. 10.29.9
 パニュアッシスが作詩したところでは、テーセウスとペイリトオスが背もたれ椅子に坐っている姿は、足枷をはめられているところではなく、足枷の代わりに、彼らの肉体が石になったと謂った。[註]

Cf. Apollod. epit. 1.24; schol. Ar. Eq. 1368.
[註]彼らは、ペルセポネーをペイリトオスの妻として救出するために冥界に降った後、そこで拘留される。ヘーラクレースは、ケルベロスを捕まえるために冥界に行ったとき、彼らを見つける。

18 Comm. in Antim. p.442 Matthews, "Stugo;V u{dwr"〔ステュクスの水〕
 〔『テーバーイス』の詩人は〕冥界に配置する。ちょうど、冥界におけるシーシュポスについて言うパニュアッシスと同様に、〔次のように〕謂う。

はたしてかく云うや否や、ステュクスの水が彼を覆いつくした。

 実際のステュクスはアルカディアのノーナクリスNonakris近く、ケルモスChermos山の北東壁から滝となって60メートル落下、クラティスKratis河に流入する河で、毒性があると考えられていた。(高津春繁『ギリシア・ローマ神話辞典』)

19 Stob. 3.18.21 (PanuavssidoV); 12-19 cit. etiam Ath. 37a, 12-13 et Suda οι 135

 客友よ、さぁさ、もう一杯飲みたまえ。これもまた今は徳というもの。
 男たちのうち、饗宴においてきわめて多量の酒をば、
 善くかつ業巧みに飲む人は、同時にまた他の人をも疾呼激励するもの。
 宴においても戦闘においても、敏捷な男は等しいもの。
05つらい戦闘を引き受ける。そのさなか、
 勇敢であり通し、勢い烈しいアレースのこと〔戦争〕を持ちこたえる者は少ない。
 この人の名声は等しいとわしはみなすのじゃ。宴に参加して
 自ら楽しむとともに、他の民をも引きこむ人はな。
 なぜなら、儚い者がしんじつ生きているとか、我慢強い人間の生を
10生きているとは、わしには思えぬのよ。
 欲を抑えて、酒から離れた場所にとどまる者は。それは馬鹿者ぞ。
 なぜなら、この地上に生ける者らにとって、酒は火に等しき益あるもの。
 悪を祓う善き験者、あらゆる呪い歌の随行者。
 声を合わせて歌い舞う折も、恋に胸が焼けつくときも、
15酒こそ陽気と楽しきさんざめきに欠かせぬ喜ばしき友。
 心労と憂いの避難所。
 されば、汝、宴の卓を囲むとき、心も機嫌よく
 飲むべし。御馳走に満腹したとて、禿鷹のように、坐っていてはならぬ。

 うんざりして、好機嫌になることも忘れはてて。

20 Ath. 36d
 叙事詩作者パニュアシスは、最初の盃はカリス、ホーライ、デイオニューソスのために捧げ、次の盃はアプロディーテーと、もう一度デイオニューソスのために、ヒュブリスとアテーのためには三度目の盃を〔捧げる〕。パニュアシスは謂う。

 初めの盃の籤を当てたもうはカリスたち、朗らかに笑みたもうホーラたち、また
 また雄叫びあげるディオニューソス。すなわち人の子に恵みを用意したもう神々。
 次いではキュプロスに誕生したもうアプロディーテー、またディオニューソス。
 このとき酒の功徳は極みに高まる。これを干し、
05干したるのちは美(うま)き宴に背をぱ向け、わが家をさして
 去り行かば、いかなる禍も襲うことなからん。
 さりながらもし、三献目も頂戴つかまつるとて
 羽目をはずして干すときは、不幸をうち従えたる
 厄介者ヒュプリスとアテー、さてこそ出番と現われる。
10いざ帰りたまえ。ほどほどにうま酒を喉に通した君は。
 仲間の者らは限るにまかせ、奥方のもとへ帰りたまえ。
 うま酒を三献まで飲むときは、虞あり、
 胸のうちにヒュプリス、怒りを込み上げさせて、
 こよなき交歓を悪しき結末へと至らしめんかと。
15されば、われに聞きて、盃を重ねるをやめよ。(柳沼重剛訳)

21 Ath. 37a (post fr. 19)
 さらに、また。

 輝く酒は、神様が人間にくださった最高の贈り物。
 歌という歌、舞いという舞い、そして世の
 あらゆる恋が、酒と相和する。ほどほどに
 飲めば胸のうちより、あらゆる憂いは露と消える。
05ただ忘れるな。度を越せば、なおいっそうの憂いが残る。(柳沼重剛訳)

22 Ath. 36d (post fr. 20)
 さらに続けて、度を越した飲酒について。

アテーとヒュブリスの定め、彼に付き添うて去らざればなり。[註]

[註]この詩行は、断片21に直接続くかも知れない。

23 Schol. (T) Il. 24.616b, "ai{ t= ajmf= =Acelwvi&on"
 一部の人たちは、"ai{ t= ajmf= =Acelhvsion"〔アケレーシオンあたりの〕と〔読む〕。リューディアにある河で、この河からヒュッロス河が分流している。そして〔言い伝えでは〕ヘーラクレースがこの地域で病気になったのを、これらの河川が彼に熱い湯の浴場を差しだしたので、子どもたちをヒュッロスと呼んだ。オムパレーから生まれたのがアケレースで、彼はリューディア人たちの王となった。アケレーティデスというニンフたちもいると、パニュアッシスが謂う。

Schol. Ap. Rhod. 4.1149/50
 パニュアシスが謂うには、ヘーラクレースはリューディアで病にかかり、ヒュッロス河神のおかげで癒やしを得た。これはリュディアにある。彼〔ヘーラクレース〕の2人の息子たちもヒュッロスと名づけられる所以である。

24 Steph. Byz. s.v. Tremivlh
 リュキアがそう呼ばれていた。住民はTremilei:V。トレミレースにちなむ、とパニュアシスが。

して、そこに偉大なトレミレースが住んでおり、乙女を
オーギュギアのニンフを。プレークシディケーとひとの呼ぶ乙女を。
銀のシブロスで、渦巻く河のそばで。
彼女からは、おぞましき子らが生まれた。トローオス、ピナロス、
そしてクラゴスが。こやつは、力のかぎり、あらゆる畑地を荒らしたやつ。

25 Steph. Byz. s.v. =Aspivs
 リビアの都市……リュキアに近い島でもある。他に、レスボスとテオスとの中間の島でもある……近くにプシュラという別の島もある。他にも、シュラクゥサイ人クレオーンが『諸々の港について』という書の中に〔書いている〕ように、樹のない島でもある。またピサも対岸[註]でもあると、パニュアシスが『ヘーラクレイア』第11巻の中で。

[註]小アシアの南方にあると推測されている。

26 Clem. Protr. 2.36.2
 しかり、アイドーネウスもヘーラクレースに弓で射られたとホメーロスが言っている(Il. 5.395)。エーリスはハーデースだったとパニュアッシスは記録している。さらにまた伴侶ヘーラーも同じヘーラクレースによってと、この同じパニュアッシスがすでに記録している。

砂丘の多いピュロスにおいて。

Arbob. Adv. nationes 4.25
 ハーデースと女王ヘーラーとは、ヘーラクレースのおかげで負傷したと記録したパニュアッシスは、あなたがたのひとりではないのか。

27 Et. Gen. (A) s.v. mu:qoV
 党争(stavsiV)〔の意〕……パニュアッシスも〔言っている〕。

かつて二重のmu:qoVが[……]民の[……]後悔した。

テキストが損なわれていて、理解不能。

28 Apollod. Bibl. 3.14.4
 しかし、へーシオドス(fr. 139)は、彼〔アドーニス〕をポイニクスとアルベシポイアの子と言い、パニュアシスは、スミュルナーを娘に持ったアッシリア王テイアースの子であるという。この女は、(アプロディーテーを崇拝しなかったので)その怒りによって父に対する恋情に陥り、自分の乳母を共謀者として、何も知らぬ父と、十二夜の間、臥床を共にした。しかし彼はこれを知るや剣を抜いて彼女を追った。女はまさに捕えられんとして、神々に姿を消すことを祈った。神々は憐れんでスミュルナーと呼ばれる木にその姿を変えさせた。十カ月の後に、その木が裂けて、いわゆるアドーニスが生れた。アプロディーテーは、彼の美しさの故に、いまだ幼い彼を神々に秘して箱の中に隠し、ペルセポネーに預けた。しかしかの女神は彼を見た時に、返そうとしなかった。ゼウスは審判の結果、一年を三分し、アドーニスはその三分の一を自分の、三分の一をベルセポネーの、三分の一をアプロディーテーの所に留まるベく命じた。しかしアドーニスは、自分の分をもアブロディーテーに加え与えた。後に、アドーニスは狩猟中に猪に突かれて死んだ。[註]

Cf. Philod. De pietate B 7533 Obbink; schol. Lyc. 829; Ant. Lib. 34.
[註]この物語のいかほどがパニュアッシスに依拠しているのか、あるいは、いかなる文脈にあるのかは、明らかではない。断片29はこれに属するに違いない。

29 Hesych. η 652

=Hoivhn`〔「暁の君」対格〕

「アドーニスを」〔の意〕。パニュアシスが〔言う〕。

30 Schol. (h *B) Il. 1.591-Et. Magn. s.v. bhlovV
 さらにパニュアシスもサンダル(ta; pevdila)のことを

bhlav〔「踏み板」の意か?〕

と言う。


forward.GIF『テーセーイス』