女流抒情詩人。前5世紀。
シキュオン出身。讃歌、ディテュランボス歌、酒宴歌などを作曲。
『アドニス讃歌』で、アドニスは以下のように描かれている。冥界に下ったとき、地上に残してきた物の中でいちばん美しいものは何かと問われ、「太陽の光、月、星々。熟れた瓜、リンゴにナシ」と答える。
この一節は馬鹿げていることから、一種の格言となった。これ以外の作品は、ほとんどすべて散逸。
(ダイアナ・バウダー『古代ギリシア人名事典』)
[底本]
D. Campbell, Greek Lyric IV, Loeb Classical, Harvard, 1992
断片1 Euseb. Chron. Ol. 82.2〔451/450 BC.〕
喜劇詩人のクラテスとテレッシラと抒情詩人のバッキュリデースが名声を博す。また、プラクシッラとクレオブゥリナも有名である。
断片2 Athen. 15. 694a
シキュオーン女のプラクシッラも、酒宴歌の作詩で驚嘆されている。
断片2 Anth. Pal. 9. 26. 1ss. = テッサロニケーのアンティパテール
これら神の舌もてる女たちを讃歌にて養いしはヘリコーン山
すなわちマケドニアなるピエリアの岩鼻なり――
プレークシッラ、モイロー……
〔以下、4行略〕
以上はみな、尽きることなき詩篇の女流作家たち。
9人の芸神たちを生みしは偉大なるウゥラノス、しかしてこの9人は、
ガイアの生みしもの、死すべき者らにとって不壊の好機嫌となるよう。
断片4 Tat. Or. ad Gr. 33
リュシッポス〔シキュオーン出身の有名な彫刻家。前360頃-315活動〕はプラクシッラの銅像を造った。詩作を通して何ら有用なことを云わなかった女なのに。
Loeb747 Zenob. 4. 21
「プラクシッラの『アドーニス〔讃歌〕』よりもばかげている」。愚か者たちについていわれる。プラクシッラはシキュオーンの叙情詩作家であったと、ポレモーン〔F.H.G. iii 147〕が主張している。このプラクシッラは、讃歌の中でアドーニスを描写し、下界の連中に、どんな最美なものを後に残してきたのかと問われ、彼をして次のように言わせている。
最美なものとて、わが後に残せしものは、陽の光、太陽や月に、キュウリやその他のものらを枚挙するような者は、おそらくは馬鹿者であろうから。
第二に星々の輝きに、月の顔、
はたまた旬のキュウリにリンゴにナシ。
Loeb748 Heph. Ench. 2. 3(sunekfwnhvsis について)
……あるいは2音節が1音節に(sc. 受け取られる)……。しかしながら、これは叙事詩にも現れる。例えば、コリンナの第5巻(Corinna 657)や、プラクシッラの『アキッレウス』と題する歌集のディテュラムボス詩においてのように。すなわち、
ajlla; teo;n ou[pote qumo;n ejni; sthvqessin e[peiqon.
しかし、胸の内なるこころを、彼らは決して説得しなかった。
Loeb749 Ar. Vesp. 1236ss
それじゃ、テオーロスがクレオーンの足許に横になっていて、
彼の右手をとって、こう歌ったとしたら――
=Admhvtou lovgon w[ eJtai:re maqw;n tou;V ajgaqouvV fivlei,これに君はどんな酒宴歌つけて言うのか?
アドメートスの話(logos)に、おお朋よ、学んで、善勇の者らを愛せ、
tw:n deilw:n d j ajpevcou gnou;V o{ti deilw:n ojlivga cavriV.……これを、ある人々はアルカイオスの〔作といい〕、ある人々はサッポーの〔作という〕。しかしどちらでもなく、プラクシッレーの酒宴歌に帰せられる。
そして怯懦な連中からは遠ざかっていよ。怯懦な連中に優美さはほとんどないと知って。
Loeb750 Ar. Thesm. 528ss.
して、わしは諺に賛成じゃ、
昔のな。つまり、石の下は、
どんな石の下でもきっと
弁論家が噛みつかぬよう、よく調べねばならんというのじゃ。
Schol. ad loc.
プラクシッラに帰せられる詩による。
uJpo; panti; livqw| skorpivon w[ ejtai:re fulavsseo.
どんな石の下にも、おお朋よ、サソリは見つかるものだ。
Loeb751 Athen. 13. 603a
しかしシキュオーン女のプラクシッラの主張では、クリュシッポスはゼウスにさらわれたという。
Loeb752 Hsch. B 128
しかしシキュオーン女のプラクシッラは、この神(sc. ディオニュソス)はアプロディーテーの子どもだと記録している。
Loeb753 Paus. 3. 13. 5
プラクシッラによって詩作されているところでは、カルネイオスはエウローペーと<ゼウスの>子にして、これを育てたのが、アポッローンとレートーであるという。
Schol. Theocr. 5. 83
カルネア祭。プラクシッラの主張では、カルノスにちなんで名づけられたという。彼はゼウスとエウローペーの子で、アポッローンに恋された。
Loeb754 Heph. Ench. 7. 8
さらに、「散文詩体のダクテュロス詩(logaoidika daktylika)」と呼ばれるものもある。これは、ほかの箇所はダクテュロス詩脚を有するが、最後はトロカイオス詩脚という、二詩脚併用(syzygia)を有するものである。そして、これには特徴があって、2つのダクテュロス詩脚にトロカイオス詩脚という、二詩脚併用(syzygia)を有するものが、アルカイオス風10音節(Alkaikon dekasyllabon)(Alc. 328)と呼ばれ、3つのダクテュロス詩脚に〔トロカイオス詩脚という、二詩脚併用(syzygia)を有する〕もの(―∪∪―∪∪―∪∪ ―∪―∪)が、プラクシッラ風(Praxilleion)〔と呼ばれる〕。
w[ dia; ta:V qurivdoV kalo;n ejmblevpoisa
parqevne ta;n kefala;n ta; d j e[nerqe nuvmfa
おお、窓を通して美しく見える御身よ
その頭は乙女、下は若妻