サッポー Sapfwv

 抒情詩人。前600頃。自作の詩に用いたレスボス方言ではプサッポー(Fsapfw/)。おそらく古代最大の恋愛詩人。
Sappho.jpg 詩またはそのほかの方面で女性が名声を得ることのまれなギリシア社会において、とくに絶賛された。生涯について知られていることはごくわずかで、古代の伝記作者たちは想像をたくましくしている。

 出身地はエレソスともミュティレーネーともいわれる。
 作品の中で触れている人々には、カラクソス(断片15と202では、エジプトで遊女のために多大な浪費をしたことを責められている)、ラリコス(断片203)という二人の兄弟、エリギュイオス(同じく兄弟の一人か)、またスカマンドローニュモスというおそらくは詩人の父親(この名はプラトンの挙げているものだが、ほかにも有力な名前が伝わっている)、クレイスという母親と思われる人などがいる。しかしクレイスという名前は、「私にはクレイスという美しい少女がいる」という断片132からの推測で、これは「娘」と解釈されているが、同様におそらく「女友達」という意味にも解せる。作品中にとりわけ多く名前があがっているのは、アナクトリア、アッティス、ゴンギュラなど詩人とつながりのあった少女たち、または競争相手であったアンドロメーダーである。男性が酒宴の席で若者に求愛したように、少なくともレスボス島では、女性は同性愛的な恋愛を自分の相手に伝えたり、実際にその思いをとげることが可能であったらしい。

 アルカイオスのような政治的関心は、当然のことながら見られない。それでもミュティレーネーの有力な家系についての言及があり、また伝承ではシチリア島に亡命したと伝えられている。

 仲間の娘たちに向けた詩は、ほとんどすべて、そのなかの一人への恋愛感情に焦点がおかれている。守護神アプロディーテーの助力を求めるための精妙だが執拗な祈りの詩(断片1)にみえるように、相手が目前にいる場合であれ、相手との別れを感動的に淡々と回想する涙をさそう作品(断片94)のように、相手が不在の場合であれ、この点に変わりはない。

 断片31では、ある少女の声や笑いに対する詩人の肉体的反応が描かれているが、そこでは、純真さと激しさが最高潮に達している。こうした感性は、愛情というもののもつ仮借ない強制力の具体例を神話に求めた詩(美しいヘレネーを描いた断片16)、あるいはヘクトールとアンドロマケーの結婚を生き生きと描いた詩(断片44)の中にまで一貫して現われている。とはいえ、用語や題材を完全なものにし、絶えずさまざまな角度から恋愛という主題に迫っている点は、詩人が「純朴な女性」ではなく、すでに芸術家だったことを示している。

 レスボス島やイオニアから来た年頃の娘たちに作詩術を教えたと昔から言われている(Page, Suppl. 261A)が、これは疑わしい。少女たちがイオニアヘ去ったのは、家族全体が政治的亡命を余儀なくされたとか、または結婚して故国を離れたというような、別の理由によるものであると思われる。結婚を契機に詩人の社交界を去る娘たちがいたことは、祝婚歌が明らかにしている。

 祝婚歌の1巻(断片104-117、断片103も参照)は全作品を9巻に編集したものとともに、あるいはその中の一部として流布していた。その名声のために、アルカイオスを拒み、アンドロス島出身のケルコラスという人物と結婚したが、パオーンを愛したことが原因で自殺したなどという逸話が生まれた。
 (ダイアナ・パウダー『古代ギリシア人名事典』)


 画像は、Simeon Solomon(1840-1905)の「Study of Sappho」(1862)。出典は、Tate Collections

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[底本]

D. Campbell,
Greek Lyric I,
Loeb Classical Library 142,
Harvard, 1982.



[参照した文献]

法月歌客『女詩人サッフォ』白星書院、大正14年(1925年)
日夏耿之介『海表集』野田書房、昭和12年(1937年)(『日夏耿之介全集・第2巻(譯詩・翻譯)』河出書房新社、1977年所収)
八木橋正雄『サッフォー詩集』(私家版)1980年
北嶋美雪編訳『ムーサイの谷の蜜の泉から/ギリシア詩文選』彌生書房、1984年
沓掛良彦「上田敏とギリシア詩文学:「サッフオの歌集」を中心に」1982年(『日本文化研究所研究報告』第18集所収)
沓掛良彦『サッフォー/詩と生涯』平凡社、1988年
呉茂一編訳『ギリシア・ローマ抒情詩選/花冠』岩波文庫、1991年
呉茂一編訳『ぎりしあの詩人たち』筑摩書房、昭和31年(1996年)
古澤ゆう子『牧歌的エロース:近代・古代の自然と神々』木魂社、1997年


forward.GIFサッポーの生涯と作品