サッポー Sapfwv

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Testimonia Vitae Atque Artis〔生涯と作品の証言集〕

1. P. Oxy. 1800 fr. 1〔紀元2世紀末-3世紀初頃〕
サッポーについて
 サッポーは生まれはレスボスの女性、都市ミテュレーネーの出身、父スカマンドロス、一部の人たちによれば、スカマンドローニュモスの娘。彼女には3人の兄弟があり、エリギュイオス、ラリコス、長兄はカラクソスで、彼はアイギュプトスに航海し、ドーリカという女と馴染みとなって、この女のために莫大な財産を蕩尽した。〔サッポーは〕末弟であるラリコスをより愛していた。彼女には、自分の母と同名の娘クレイスがいた。若干の人たちからは、その行いがふしだら(a[taktoV)であり、女性愛者(gunaikeravstria)だとして非難された。その容姿においては軽蔑されがち(eujkatafrovnhtoV)で、きわめて醜く思われ、容貌は浅黒く、背丈はひどく低かったらしい。彼〔アルカイオス?〕についても同じで、小さかった……カマイレオーン〔前4世紀頃〕のように……放浪した……彼から言う……[アイオリス]方言を用いて……抒情詩9巻を書いた、1巻はエレゲイア詩その他である。


2. Suda S 107 (iv 322s. Adler)
 サッポーはシモーンの娘、一説にはエウメーノスの、一説にはエーエリギュイオスの、一説にはエクリュトスの、一説にはセーモスの、一説にはカモーンの、一説にはエタルコスの、一説にはスカマンドローニュモスの娘だという。母はクレイス。エレッソス出身のレスボスの女性で抒情詩人。生まれたのは、第42オリュムピア年〔612-608 B.C.〕、この時、アルカイオス〔c. 625-620 B.C.〕、ステーシコロス〔632/28-556/2 B.C.〕、ピッタコス〔652/48-570/69 B.C.〕も存命であった。彼女にはラリコス、カラクソス、エウリュギュイオスという三人の兄弟がいた。彼女はケルキューラースという名の、アンドロス島から渡ってきた非常に富裕な人物と結婚し、彼との間にクレイスと名付けられた娘をもうけた。彼女にはアッティス、テレシッパ、メガラという三人の仲間(ヘタイラ)で友である女性たちがいたが、その女性たちと恥ずべき友情を結んでいたということで、誹謗された。彼女の弟子は、ミレートスのアナゴラ、コロポーンのゴンギュラ、サラミスのエウネイカである〔Cf. fr. 214B〕。彼女は9巻の抒情詩を書き、ブレークトロン〔竪琴を弾くための撥〕を発明した。彼女はエピグラム詩、エレゲイア詩、イアンボス詩、それに独吟詩なども書いた。


〔もうひとりのサッポー〕

3. Suda. S 108 (iv 323 Adler)
 サッポー。ミテュレーネー出身のレスボス女性で、竪琴弾き。この女性は、ミテュレーネー人パオーン〔Cf. test. 23.〕に対する恋情ゆえにレウカテスの崖から身を投げて溺れ死んだ。一部の人たちによれば、この女性も抒情詩を書いたという。

 「もうひとりのサッポー」は、サッポーを誹謗から救出したいと思った学者の発明に違いない。


4. Ael. V. H. 12. 19 (p. 135 Dilts)
 スカマンドローニュモスの娘で女流詩人のサッポーを。アリストーンの子プラトーンも彼女のことを賢女と書き留めている〔Phdr. 235bc〕。わたしはレスボスにもうひとりのサッポー、すなわち女流詩人でない遊女のサッポーがいたこと〔Athen. 13. 596e〕を聞き知っている。


CHRONOLOGY〔年代記〕

5. Marm. Par. Ep. 36 (p. 12 Jacoby)
 サッポーがミュティレーネーからシケリアに亡命して〔Cf. fr. 98(b)〕航海したとき以来、アテーナイの首席アルコーンはクリティアス、シュラクゥサイでは地主階級(oiJ gamovroi)が支配権を握っていた。


6. Euseb. Chron. Ol. 45. 1 (p. 99 Helm, ii 93 Schöne)
 第45オリュムピア年の初年〔600/599〕、詩人サッポーとアルカイオスとが評判を得る。


7. Str. 13. 2. 3 (iii 65s. Kramer)
 また、サッポーも上記の人々〔アルカイオスとピッタコス〕とその盛期を共にした。何という驚異の人がいたことだろう。人々の記憶に残る時の流れは長いが、その中でも詩作によってこの詩人に、たとえわずかでも匹敵するだけの女人が誰か現れたのを、わたしたちは知らない。


8. Athen. 13. 598bc, 599cd (iii 318, 320s. Kaibel)

レスボスのアルカイオスが、琴の音に合わせて、サッポーへの憧れを
歌ったとき〔Cf. Alc. fr. 384〕、いくたび酔いに身を任せたことか、
そなたも知っておろう。ナイチンゲールの能弁な歌は
テオスの男〔sc. アナクレオン〕を悲しませるからと、詩人は愛した。
まこと、密の声音のアナクレオンは、レスボスの数ある女性の中にも、
とりわけ美しいサッポーを得んものと争った。

 以上の詩の中でヘルメシアナクス〔前3世紀頃の詩人〕は、サッポーとアナクレオンを同時代の人間とする過ちを犯している。アナクレオンはキュロスやポリュクラテスの頃の人、片やサッポーは、クロイソスの父親のアリュアッテスの頃の人だ。ただし、カマイレオーンの『サッポーについて』という書物によると、サッポーに宛てて作られたものだ〔fr. 358〕と言っている人がいるらしい。

さてそれから、深紅の球を私にぶつけながら、
金髪の愛神は きれいに刺繍をした
鞋の乙女と遊べといって、私に呼びかけるのだ、
ところが、その娘は、構へもよろしい
レズボスの女だもので、私の頭髪を
白いといって、兎や角と苦情を言ひ立て、
他の男の方ばかりを、夢中で見てゐる。

 カマイレオーンはさらに、サッポーはアナクレオーンにこう言った、と言っている、

黄金の椅子に座するムーサよ、述べたまいし
祝歌は、美形の婦人多しと聞く
テオスの国の、誉れ輝く老人が
歌いいしものにこそ。

これがサッポーの詩ではないことは、だれにも明らかだ。ぼくはむしろ、ヘルメシアナクスは冗談半分に、この色恋沙汰を歌っているのだと思う。だって、喜劇詩人のディピロスは、『サッポー』という芝居で、アルキロコス〔c. 680-c. 640〕とヒッボナクス〔盛時540/36〕をサッポーの愛人に仕立てたぐらいだからね。


9. Hdt. 2. 134.
 ……ロドーピスの盛時はアマシス王の時代〔568-526 B.C.〕に当たり……


10. Ael. ap. Stob. Flor. 3. 29. 58 (iii 683s. Wachsmuth-Hense)
 エクセーケスティデスの子、アテーナイ人ソローン〔c. 640/635-561/560 BC〕は、酒宴の席で、自分の兄弟の子〔甥〕がサッポーの歌を歌ったのに心惹かれ、少年にその歌を教えてくれと頼んだ。ある人が彼に、なぜそんなにその歌に熱意を示すのかと訊ねると、その歌を学んでから死ぬためだと謂った。


BIRTHPLACE〔誕生の地〕

11. Poll. 9. 84 (ii 171 Bethe)
 ミュティレーネー人たちは、サッポーを貨幣に刻んだ。

 Richter, Portraits of the Greeks i 70-72 は、ミュティレーネーから出土したこのような貨幣(1世紀-3世紀 c. A.D.)を示している。


12. Str. 13. 2. 4 (iii 66 Kramer)
 エレソスからはテオプラストスとパニアスが出た。共に、ペリパトス学派の哲学者である。

 Richter 上掲書は、エレソスから出土した貨幣を記録している。それには「エレソスの女サッポー(Sapfw; =Eresiva)と刻印されている。おそらく、サッポーはエレソスで生まれ、ミュティレーネーに住んだのであろう。


FAMILY〔家族〕

13. Ov. Her. 15. 61s. (Sappho Phaoni)
 私は六つの齢を迎えて間もなく、早く逝いた父親の骨を集めて涙を注ぎました。(松本克己訳)


14. P. Oxy. 2506 fr. 48, col. iii, vv/ 36-48.〔紀元1世紀-2世紀頃〕

ca[
..................
de[.]e[
qepo[   Lavri-
coV.[...]a.[
kwn.[.]filt[   =Eriv-]
guioV [ ] per ejmmavt[w]n. tau:[-
ta gar[ ] .in o{ti h\n [oij]kou-
ro;V kai; [] fivlergoV . [ ]sa
Sapfw[ ]i peri; tw:n[]ajdel-
fw:n e[  ]wdhtin[ ] . ose
[    ] . ta
     ]draV
     ] . ide
 〔カ[ラクソス]……[ラリ]コス……最も愛しい……[エリ]ギュイオスはその衣装ゆえに。これは彼女が家政にも長け、勤勉であったことを[示している]。サッポーがその詩において兄弟たちについて[歌っているように]……〕

15. Athen. 13. 596cd (iii 314s. Kaibel)
 ヘーロドトスは彼女のことをロドービス〔「薔薇の顔」〕と呼んでいるが、これは彼が、このドーリカは、デルポイに有名なオベリスク(それのことをクラティノスがこう歌っている、……<欠落>……)を奉納したドーリカとは別人だということを知らないからだ。ドーリカのためには、ポセイディッボスもエピグラムを書いている。彼は 『アイソペイア』の中でも時々彼女の名を出しているがね。エピグラムはこういうのだ、

ドーリカ、すでにして、骨となって挨を……<破損>……、
豊かな髪、没薬の香気を放つ衣装、
それにいとしのカラクソスを包んで、肌と肌
触れながら、朝一番の盃をもつ。
サッポーの美しい歌の、真新しい、繰るごとに
音を立てる巻物は今も残り、これからも残ろう。
そなたは幸いだ。海を行く船がナイル河口に来るかぎり、
ナウクラティスがそなたの名を守ろうゆえ。

 おそらく、ドーリカが本名、ロドーピス〔「薔薇の顔」〕は源氏名であろう。


16. Ov. Her. 15. 63-70, 117-20.
 不甲斐のない私の兄は、商売女にうつつを抜かして、財を散じ、汚名を流しました、よんどころもなく、今は擢を手に、みどりの海を放浪の旅、よからぬことで失くした富を、よからぬ手段で探しています。また、ためを思ってあれこれと苦言するこの私を、憎んでいます、それも私の率直な心、また律義な舌がさせましたのに。まるで苦労の種にはこと欠かないとでもいうかのように、幼い娘がまた私の心配を積み重ねます。……  喜んだのは兄のカラクソスで、私の愁嘆〔パオーンに対する報われぬ恋〕に上機嫌。眼の前を行きつ戻りつ、私の悲しみの原因を、いかがわしいものに見せようとして、「何を悲しんでいる? きっと娘が生きてるからさ!」……(松本克己訳)


LIFE〔人生〕

17. Porphyr. in Hor. Epist. 1. 19. 28 (p. 362 Holder)
 さて「男のごときサッポー」とあるのは、男性の方がしばしばよりすぐれている詩作において彼女がすぐれているからか、あるいは擦淫者(tribas)であったとの悪評が立っているからである。


Dion. Lat. ad loc. (ap. Gallavotti, S. e A. test. 67)
 non mollis, nec fracta voluptatibus nec impudica.
 〔?〕


18. Hor. Carm. 2. 13. 24s.

アイオリスの竪琴にのせ
おのが町の乙女たちを嘆き歌うサッポーを……

19. Ov. Her. 15. 15-20, 201s.

もう私には、ビュッロスの乙女たちも、メテュムナの娘たちも、またレスボスの乙女の群れも、魅力がない。アナクトリエーもとるにたりない。白くまばゆいキュドローもいとわしい。 アッティスにほれぼれと見入ったのも昔のこと。その他あまたの、私がこれまで愛した — それも罪なしとせず — 女たちも。かつては大勢の女たちのものだったその私の愛を、今は何と、あなた〔パオーン〕がひとり占め。……
アイオリスの竪琴に名を響かせた女たちよ! 私の竪琴の周りに集まるのはもうおやめなさい! (松本克己訳)

20. Max. Tyr. 18. 9 (p. 230s. Hobein)
 かのレスボス女の愛とは、……ソークラテースの愛の技術以外の何物であろうか。両人はそれぞれが同じやりかたで、前者は女性に、後者は男性に、その愛を用いたのである。なぜなら両人は多くの者たちを愛したと言い、あらゆる美しいものに捕らえられたからである。ソークラテースにとってのアルキビアデース、カルミデース、パイドロスは、かのレスボスの女性にとってのギュリンノー、アッティス、アナクトリア一に相当する。そしてソークラテースにとっての敵対者プロータゴラス、ゴルギアス、トラシュマコスは、サッポーにとってのゴルゴー、アンドロメダに同じである。ある時は彼女らを非難し、ある時は吟味し、まさにあのソークラテース的な皮肉を用いるのである。


21. Philostr. Vit. Apoll. 1. 30 (i 32 Kayser)
 「いつの日だったか、おまえはわたしに尋ねた」と彼〔アポッロニウス〕が謂った、「パムピュリア女の名前は何というのかと。その女は、サッポーとつきあい、ペルゲのアルテミスに捧げる讃歌を、アイオリスとパムピュリアの様式でつくったと言われている女性であるが……さて、この賢女はダモピュレーと呼ばれ、サッポーの流儀にならって、処女の弟子たち(oJmilhttiva)をもち、恋愛詩や讃歌といった詩をつくったと言われる。じっさい、アルテミスに捧げる讃歌が彼女によって伝えられているが、それはサッポーのものを真似たものである」。


22. Sen. Epist. 88. 37 (p. 321 Reynolds)
 四千冊もの書物を文法学者のディデュモスは書いた。そんなにたくさんの余計なものを読んだだけだったとしても、私は憐れんだことだろう。それらの書物で問題にされていることといえば、ホメーロスの生誕の地のこと、アエネーアースの本当の母親のこと、アナクレオーンは情欲と深酒のどちらにいっそう耽って生活したか、サッポーは娼婦だったのかどうか、また、それ以外にも聞いたらすぐに忘れてしまわねばならないようなことだ。さあ、行って、人生はそんなに長くないと言ってやりたまえ。

 ディデュモスは、前1世紀のアレクサンドレイアの学者で、多作と勤勉さから「青銅の腸(はらわた)」と渾名された。多くの古典作家に対する注釈や辞書、文法書、文学史など、多方面にわたる著作を残し、また先人の注釈書や研究書からの引用や抜粋を通じてそれまでの文学研究の伝統を後世に伝えた。(大芝芳弘訳註)


23. Str. 10. 2. 9 (ii 348 Kramer)
 岩場の上に「レウカスに坐すアポロン」の神域と跳躍場。後者は恋を終えるところだと信じられていて、メナンドロスがいうとおり —

サッポーがうぬぼれ強いパオーンの後を慕い
恋に狂って遠目にもあざやかな岩壁から身を躍らせた、
神なるあなたに「主たる君よ」と祈りを捧げて。
こここそその岩場、はじめて身を投げたのはサッポー。

この作家によると、サッポーがはじめて身を躍らせたことになるが、もっと故事に通じた人びとによると、ケパロスがデイオネウスの息子プテレラスを恋した果てに身を投じたのがはじまりである。
 島の住民は父祖以来の決まりとして、毎年アポロンに対する供犠の式中で、罪に問われたもののなかから誰かひとりに、物見砦から身を投げさせて厄払いを行う。すると、ありとあらゆる飛ぶ鳥の類が身を投げた者にしっかり付くようにし、このためその飛ぶ力で飛び降り(る速度)を和らげることができる。他方、下の方では大勢が小さな釣舟でぐるりと取巻いて待受け、舟に乗せるとできるだけ島境の外へ逃がして生き延びさせる。

 おそらく、パオーンというのはアドーニスの別名であり、アプロディーテーが彼への愛を言明したサッポーの詩(cf. test. 58)が、実在する男性に対するサッポーの告白と誤解されたのであろう(Bowra, G. L. P.2 212-14)。


PORTRAITS〔肖像〕

24. Cic. Verr. 2. 4. 125-7.
 というのも、迎賓館〔I.e. シュラクゥサイの。cf. test. 5.〕から奪われたサッポーの像については、お前にももっともな言い訳ができようからだ、お前を容赦し、宥恕してやらねばならないとさえ思えるほどである。シーラーニオーンの手に成る、あれほど完壁で、あれほど優雅で、あれほど精巧な作品を手にできる個人がどこにいよう、いや、個人はおろか、一国の国民でさえ、どこにあろう、誰よりも洗練された目をもち、誰よりもその道に造詣の深い人物、すなわち、ウニッレースをおいて他に。……
 しかも、奪われたサッポーがサッポーみずからへのどれほどの追慕の念をあとに残していったか、言葉では尽くしがたいほどであります。なぜなら、サッポーの像そのものも並み外れた見事な出来ばえの像ながら、台座に刻まれたギリシア語の碑銘も非常に有名なものであって、その道に造詣の深いその男、そのギリシア人もどき、こうしたものを繊細に見分けるその男、ただ一人こうしたものの価値が分かるその男なら、ギリシア語の一文字でも知ってさえいれば、確かに、像ともども、その碑銘も奪っていったはずでありますが、実際は、碑銘は取り残され、像を欠いた台座に記されたその銘が、その主が何であったかを告げ、その主が奪い去られたことを示しているからであります。


COMEDIES〔喜劇作品〕

25. Athen. 10. 450e (ii 479 Kaibel)
 このアンティパネースは『サッポー』の中で、この詩人がこんなふうに謎をかけていることにしている。ある人物がそれを解くが、……


26. Athen. 11. 487a (iii 72 Kaibel)
 ディピロスは『サッポー』で、

アルキロコスよ、ゼウス・ソーテール様とアガトス・ダイモーン様に 捧げる、あふれんばかりのこのメタニプトリスを受けたまえ。

EPITAPHS〔墓碑銘〕

27. Anth. Pal. 7. 14 = Antipater of Sidon xi Gow-Page

アイオリスの地よ、汝が覆えるはサッポー、不死なるムーサらに
伍したる 死すべき身のムーサと歌い讃えられ
キュプリスとエロースもともにこの詩人をはぐくみ、ベイトー〔「説得」の女神〕もまた
ピーエリアの乙女〔ムーサ〕らの永遠に生くる花冠を編みぬ、
ギリシア全土にはよろこび 汝には誉れあるようにと。おお、
紡錘まわし三重の糸つむぐモイラたちよ、
いかなれば永遠不滅の日々を紡がざりしか、
ヘリコーンの乙女〔ムーサ〕らの不滅の贈り物を考え出した歌人に。

28. Anth. Pal. 7. 17 = Laurea i Gow-Page

アイオリスの墳墓を過ぎ行くとき、旅人よ、言うなかれ、
われ、ミテュレーネーの歌人なれど、死せり、と。
なんとなれば、これを造れるは人間の手、かかるひとの作品は
速き忘却の中へと流れゆく。
されど、ムーサたちへのもてわれをはかれば、

知るべし、われ冥府の闇をのがれしことを、そして、竪琴の歌に名高き
サッポーの名の称えられずして、一日とて夜の明くることなきを。

ANCIENT EDITIONS〔古代の諸版〕

29. Schol. metr. Pind. Pyth. 1 (ii 5s. Drachmann)
 ……11音節のサッポー風詩格、これによって第1巻全体が書かれている。


30. Heph. Poem. 1. 2 (p. 63 Consbruch)
 普通の韻律体系(susthmatikav)、これは、サッポーの第2巻と第3巻が示すように、一行ずつ書かれるとか、体系ごとに書かれるとか言う人は健全である。その所以は、古代の書き物において、それぞれの歌は2行ずつparavgrafoVで特徴づけられるからであり、さらにまた奇数行に見いだされることはないからである。それは体系ごとに書かれることをわたしたちは認める。逆に、対になった詩行のおのおのは同等であり、サッポーはすべての歌を偶数行で構成したという偶然も起こりうるからである。行単位で書かれたとひとは謂ってよいであろう。


31 Caes. Bass. de metr. (6. 258 Keil)
 (パライコス風11音節詩格)はサッポーに頻出する。その11巻には、そのような詩行が、連続してもばらばらにも、出てくる。


32 Phot. Bibl. 161 (p. 103a Bekker, ii 123s. Henry)
 さまざまな抜粋が、ソフィストであるソーパトゥロスの12巻本に読まれた。その書は、数多くのさまざまな記録や文書から編集されたものである……ただし、第2巻は、ソーテーリダスの娘パムピリアの『要約』第1巻からと……マグネーシア人アルテモーンの『有徳の女性の功業物語』からと、なおそのうえに、犬儒派ディオゲネースの『名言集』から、さらにはその他のさまざまな書、とりわけサッポーの第8巻からの引用を含んでいる。


Metres〔韻律〕

33 Mar. Vict. ars gramm. (6. 161 Keil)
 サッポー風スタンザは、アルカイオスによって発明されたにもかかわらず、サッポー風11音節詩格と呼ばれる所以は、音節の数と、発明者アルカイオスよりもサッポーの方が頻繁にそれを用いたことによる。スタンザは第4行目に含まれる。というのは、おわかりのとおり、3行は等しく11音節詩行(Horace, Ode 1. 2. 1-3)であるが、エポーデないしは短い詩行によって完結するまでは、意味が完成しないのである。


34 Hor. Eoist. 1. 19. 28
 男のごときサッポー〔Cf. test. 17.〕は、アルキロコスの音楽を調律せり、おのが詩脚を選んで。


35 Anth. Pal. 9. 190. 7s.

サッポーがエーリンナを抒情詩において凌駕していたほどに、
エーリンナはサッポーを六脚韻詩において凌駕していた。

36 Dion. Hal. Comp. 19 (vi 85 Usener-Radermacher)
 もちろん、古代の抒情詩人たちは — わたしが言うのは、アルカイオスやサッポーのことだが — 、スタンザ(strofhv)を短くつくった、その結果、わずかなコーロン(kw:lon)の中に多くの変化を導入することなく、またごくわずかのエポデー(ejw/dhv)を用いるのが常だった。


ANCIENT COMMENTATORES〔古代の評釈〕

37 Plut. Mus. 16. 1136c (vi 3. 13 Ziegler)
 また、混合リュディア調も感情を表す調べで、悲劇によく合っています。アリストクセノスの言では、サッポーが最初に混合リュディア調を発明し、彼女から悲劇詩人たちが学んだ、とのことです。(戸塚七郎訳)


38 Athen. 14. 635b (iii 401 Kaibel)
 メナイクモス〔ギリシアの歴史家、前300頃〕は『芸人たちについて』で、phktivV〔竪琴の一種。test. 2, Athen. 635c-636cを見よ〕とmagavdV〔リュディアないしトラキア起源の20弦の楽器〕は同じもので、ともにサッポーの発明だと言っている。


39 Athen. 14. 639a (iii 410 Kaibel)
 クレアルコス〔前300頃盛期〕は『恋愛談義』の第二巻で、色好みの歌とかロクリス風と呼ばれる歌とかは、サッポーやアナクレオーンの詩とどこも違わないと言っている。


40 Sud. D 1496 (ii 138 Adler)
 ストラトニケアのドラコーン〔前140頃?〕、文法学者……〔著書〕『サッポーの詩格について』『アルカイオスの抒情詩について』。


41 Str, 13. 2. 4 (iii 67 Kramer)
 史家ヘッラニコスも、サッポーやアルクマイオーンの詩の註釈家カッリアス〔前200頃〕も、ともにレスボスの出である。


THE VERDICT OF ANTIQUITY〔古代の評価〕

42 Dion. Hal. Dem. 40 (v 214ss. Usener-Radermacher)
 次の文体は洗練され、壮観で、荘厳というよりはむしろ優美である。常に名辞の滑らかさや柔らかさを採用することを望み、快い音調と旋律 — 快さが出るのはこれらからである — を求める。次に、それらが偶然に配置されることを要求せず、別々のものらが無考えに合致することも要求せず、むしろ、どんなものらがどんなものらに並置されると、より音楽的な響きをつくることができるかを判断し、また、どんな形式(sch:ma)を採れば、連繋(suzugiva)をもっと優美に仕上げられるかを考察し、そうやっておのおのの部分をぴったり合うよう試みるのである。すべてが平らに、滑らかになり、結合調和がぴったり合致なるよう多大な配慮を払って……何かこういったことが、わたしには、この結合調和〔文体〕の特徴でもあるようにみえる。これの範例として、詩人の中ではヘーシオドス、サッポー、アナクレオーン、散文作家の中では、アテーナイ人イソクラテースとこれに近い人たちを挙げよう。


43 Anth. Pal. 4. 1. 5s. = Meleager i Gow-Page

彼〔メレアグロス〕が〔花冠に〕編みこんだのは、アニュテーの数多の百合、モイローの数多の
白百合、サッポーのは数少ないが、しかし薔薇を……

44 Ov. Her. 15. 29s.
 〔私の名は、早くも世界中に謳われています。〕同じ故郷の同じ詩歌の仲間アルカイオスも、これほどに誉れは高くない、彼の方が歌の響きは荘重ですが。(松本克己訳)


45 Demetr. Eloc. 132 (p. 132 Rhys Roberts)
 ところで、優美さが存するのは主題においてである。例えば、花嫁の庭園、祝婚歌、恋情、サッポーのすべての作詩〔Cf. fr. 195.〕。


46 Men. Rh. p. ejpid. (9. 268 Walz, 3. 402 Spengel)
 詩人や歴史編集者の作品にはこのような〔I.e. 神々の恋愛に関する〕数多くの記録がある。そこからあなたは充分な補給を得られるだろう。さらにまたサッポーの恋愛詩からも、ホメーロスやヘーシオドスのそれからも引用できるだろう……


47 Men. Rh. p. ejpid. (9. 132, 135s. Walz, 3. 333, 334s. Spengel)
 祈りの讃歌は、サッポーやアナクレオーンやその他の韻文作家たちの作品の多くと同じである、数多の神々に対する祈りをもっているからである……祈りの讃歌の韻律は、作詩においては非常に長い。なぜなら、多くの場所から神々を同時に勧請することができることは、サッポーやアナクレオーンの作品の多くの箇所にわれわれが見いだすとおりである。例えば、アルテミスは無数の山々から、無数の諸都市から、さらには河川から呼び出し、アプロディーテーは、キュプロスから、クニドスから、シュリアから、その他数多くの土地から呼び出すからである。そればかりではない、諸々の場所そのものをも素描することができる、例えば、河川から呼び出す場合、水とか川岸、萌えそめた草、川岸で行われる合唱舞踏、そういった諸々をも書き加えるからである。神域から呼び出す場合も、同様である。その結果、彼らの祈りの讃歌が長くなるのは必然なのである。


48 Apul. Apol. 9 (p. 10 Helm)
 しかもなお、他の人たちは同じこと〔I.e. 恋の歌をつくること〕をしたのだ、その事実にあなたは気づかないかもしれないけれど。ギリシア人たちの間では、テオスの人〔アナクレオーン〕、ラケダイモーンの人〔アルクマン〕、ケオスの人〔シモーニデース〕、他にも無数の人たちが、さらにまたレスボスの女性も含まれ、この女性はじっさい気まぐれに書いたが、その歌の甘美さによって、彼女に話法の風変わりさにわれわれを黙従させるほどにきわめて偉大であった。


49 Ov. Trist. 2. 363-5

多くの酒と恋を結び合わせること以外に
テオスの老抒情詩人〔アナクレオーン〕のムーサは何を教えたというのか?
レスボス島のサッポーは恋以外に少女たちに何を教えたというのか? (木村健治訳)

50 Himer. Or. 28. 2 (p. 128s. Colonna) 〈美しい〉女たちの中でサッポーのみは、竪琴に恋し、それゆえにまたアプロディーテーとエロースたちにすべての詩を捧げた、処女の美しさと優雅さを作詩の口実として。


51 Hor. Carm. 4. 9. 9-12

アナクレオーンが戯れに歌うことも、 「時」はこれを滅ぼさなかったし、アイオリスの乙女〔サッポー〕の 竪琴に託した恋の熱き想いは、いまなおいのちありて息づいている。

52 Themist. Or. 13. 170d-171a (p. 209 Dindorf, p. 245 Downey)
 もちろん、わたしたちは、サッポーとアナクレオーンが恋情の称讃に無節度であり法外であることを容認する。なぜなら、彼らは個々の身体に孤立しており、恋に陥った者たちがその称讃によってうぬぼれに陥っても、何らの危険もないからである。しかし、そこでは、恋が王者であり、恋される者が王者である……


53 Aul. Gell. Noct. Att. 19. 9. 3s. (p. 573 Marshall)
 食事が終わり、酒盛りと会話の時間になったとき、彼(sc. アントニウス・ユリアヌス〔2世頃のスペインの弁論家〕)が、男女それぞれのすぐれた歌い手と竪琴弾きたち — 彼の知り合いで、若き主人が命じておいた — が呼び入れられるよう希望を述べた。少年・少女たちは、呼び出されると、アナクレオーンやサッポーの歌のいくつか、さらに、最近の作家たちの魅力的で扇情的な悲歌を喜んで演じた。


54 Plut. Mul. Virt. 243b (ii 226 Nachstüdt)
 では、どうか。今度は、作詩術や預言術をば、男のそれと女のそれとが別々のものではなく、サッポーの詩とアナクレオーンのそれ、あるいは、シビュッラの預言とバキスのそれを対比させて、同じだと証明するなら、この証明を正当に非難しうる者はいまい。


55 Anth. Pal. 5. 132. 7 = Philodemus xii Grow-Page

もしも彼女がオピキア〔中部イタリア〕の女性で、フローラという名であり、サッポーの詩を歌えない女ならどうか……

56 Cat. 35. 16s.

……乙女は サッポーのムーサより
より多くを学べり。

57 Anth. Pal. 7. 15 = Antipater of Thessalonica lxxiii Gow-Page

わが名はサッポー、世の歌人に女としてまさりたり
マイオーンの裔〔=ホメーロス〕が男の歌人にまされるがごとくに。

58 Anth. Pal. 7. 407 = Dioscorides xviii Gow-Page

愛する若者たちにとって恋愛の最も甘美な後ろ盾、
サッポーよ、ムーサたちもいっしょになって、はたせるかな、貴女をピエリア
あるいは木蔦茂るヘリコーンが飾る。アイオリスなるエレソスのムーサである貴女、
彼女らと等しく息づく貴女をば。
あるいはまた、ヒュメーン・ヒュメナイオス〔婚礼の神〕は燃え盛る炬火を持ち
貴女とともに花嫁たちの寝台の上に立つ。
あるいは、キニュラスの若き枝〔アドーニス〕を哀悼するアプロディーテーと
ともに嘆き悲しみつつ、貴女は浄福者たちの聖なる杜を目にする。
いずこにもあれ、貴婦人よ、貴女に挨拶します、神々に対してのように。貴女の歌
〔つまり〕不死なる娘たちを、今もなおわたしたちはもっているからです。

59 Anth. Pal. 9. 189

来たれ、牛の眼したへーラーの輝く神域へ、
レスボスの女たちよ、足どりもしなやかに舞い踊りつつ。
ここにて美しき合唱舞踏を女神に捧げまつれ。されば、おんみらを先導せん、
サッフォーが、黄金の竪琴を手にとって。
心愉しき歌舞に興じる女たちのさいわいなることよ。まことを甘き讃歌を
カリオペーの口から聞く心地する。

60 Anth. Pal. 9. 506

ムーサたちは9人という人たちがいる。何と迂闊な!
ほれ、見よ、レスボス出のサッポーこそ十番目。

61 Tz. p. Pind. metr. 20-22 (Cramer, An. Par. i 63)〔12世紀頃〕
 時間の浪費が、サッポーとサッポーの作品、その竪琴と抒情詩に起こったので、さあ、他の詩行をあなたのために例に挙げることにしよう。

 Tzetzes は12世紀頃のひと。少なくとも、12世紀のビュザンティオンでは、サッポーの作品の片々が直接知られていたことがわかる。



forward.GIFサッポーの詩作品(1/4)