101 Athen. 9. 410e (ii 395 Kaibel)
そしてサッポーが抒情詩の第5巻で、アプロディーテーに向かって、次のよう言うとき、
cerrovmaktra de;†kaggovnwn†
porfuvra katau<tmena
†tatimavseiV† e[pemy= ajpu; FwkavaV
dw:ma tivmia †kaggovnwn†
そよ風にたなびく 紫色のハンカチ、
〔ムナシスが〕ポカイアから送ってくれた
高価な贈り物
彼女は手拭きを頭の髪飾りだと言っているのだ。このことはヘカタイオス(F. G. H. 1 F 358)も明らかにしている……
101A (Voigt) = Alc. 347 (b) L.-P.
102 Heph. Ench. 10. 5 (p. 34 Consbruch)
(sc. 不完全な終わり方をする逆反復の詩格で)しかも第二節だけが逆反復歩格を有する韻律はよくある。この韻律によってサッポーも第7巻の終わりに歌を書いた。
gluvkhma ma:ter, ou[toi duvnamai krevkhn to;n i[ston
povqw/ davmeisa pai:doV bradivnan di= =Afrodivtan.
甘き母よ、もはや機織ることができませぬ
アプロディーテーさまのおかげで、あの子への想いに胸もひしがれて。
103 P. Oxy. 2294〔2世紀頃〕
……において……10編の詩と、それぞれの第1詩行。
〔第1の詩〕……というのは……話す……
〔第2の詩〕脚よろしき花嫁[の歌]
〔第3の詩〕……ゼウスの紫の外套をまとった娘……
〔第4の詩〕怒りを除けて紫の外套を……
〔第5の詩〕聖なるカリスたちとピエリアのムーサたち
〔第6の詩〕歌が心を……時……
〔第7の詩〕きよらな歌を聞いて
〔第8の詩〕新婚の部屋、友だちを気づかい
〔第9の詩〕彼女の髪、竪琴置き
〔第10の詩〕黄金のさんだる穿ける曙
……第8巻は13[?]行。第1巻から〔すべて同じ韻律である。第9巻には……。そしてこの巻は〕祝婚歌と題される。より善いのは……
103B (Voigt) (= inc. auct. 26 L.-P.) P. Oxy. 2308〔2世紀末-3世紀初め頃〕
]rhon qalavmw twdes[
]iV eu[poda nuvmfan ajb[
……房室……
……脚よろしき花嫁を……
103C (Voigt) = 214 L.-P.
104(a) Demetr. Eloc. 141 (p. 33 Radermacher)
時として〔サッポーは〕反復法(ajnaforav)によっても麗しさを得ている。例えば、夕星を歌った詩の場合のように。
!Espere pavnta fevrwn o[sa faivnoliV ejskevdas= au[wV,
†fevreiV o[in, fevreiV† ai\ga, fevreiV a[pu mavteri pai:da.
夕星は、
かがやく朝が 八方に散らしたものを
みな もとへ 連れかえす。
羊をかへし、
山羊をかへし、
幼な子を また母の手に
連れかへす。
(呉茂一訳)
[参考]
汝は晨朝(あした)の蒔き散したるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、母の懐に稚児(うなゐご)を帰す。
(上田敏訳)
というのも、優美さ(cavriV)は、ここ、「かえすfevreiV」という言い廻し(繰り返し)に由来するからである。
(b) Himer. Or. 46. 8 (p. Colonna)
思うに、あなたは夕星のようだ。
ajstevrwn pavntwn oj kavllistoV . . .
あらゆる星たちのうち最美な星が……
この、夕星に寄せる歌はサッポーのものである。
cf. 47. 17 (p. 195 Col.)
105(a) Syrian. in Hermog. Id. 1. 1 (i 15 Rabe)
また次のような文体は、諸々の感覚 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚 に快さを訴える描写である。
oi\on to; glukuvmalon ejreuvqetai a[krw/ ejp= u[sdw/,
a[kron ejp= ajkrotavtw/, lelavqonto de; malodrovpheV`
ouj ma;n ejklelavqont=, ajll= oujk ejduvnant= ejpivkesqai.
あたかも、甘き林檎の、枝の先に赤づきて、
こずえのその先に、林檎摘む人が採り忘れている。
いいえ、採り忘れたのではありません、とどかなかっただけ。
[参考]
たかき樹の枝にかかり、
梢にかかり、
果実(このみ)とるひとが忘れてゆきたる、
いな、
忘れたるにあらねども、
えがたくて、
のこしたる紅き林檎の果(み)のやうに。
(上田敏訳)
(b) Himer. Or. 9. 16 (p. 82 Colonna)
サッポーのやったことは、乙女を林檎に譬えることであった……花婿はアキッレウスになぞらえ、若者をこの英雄の勲と同様に導いたのである。
(c) Demetr. Eloc. 106 (p. 26 Radermacher)
oi[an ta;n ujavkinqon ejn w[resi poivmeneV a[ndreV
povssi katasteivboisi, cavmai dev te povrfuron a[nqoV . . .
あたかもヒュアキントスの花が、山の中で牧人らの
足で踏みにじられてもなお、地のおもてに紫の花をほころび咲かせるのにも似て……
106 Demetr. Eloc. 146 (p. 34 Radermacher)
傑出した男に寄せてサッポーは謂う。
pevrrocoV wjV o[t= a[oidoV oj LevsbioV ajllodavpoisin
レスボスの歌い手が、他国の人々の間にあるごとく、際立って
cf. Eust. Il. 741. 16, Hsch. M1004
107 Ap. Dysc. Coni. 490 (i 223 Schneider)
a\ra。この語は、コイネー・ギリシア語とアッティカ語を除いて、あらゆる口語でh\raと言われる。
h\r= e[ti parqenivaV ejpibavllomai ~
まだわたしは処女の日々を恋しくおもうのかしら?
サッポー。
108 Himer. Or. 9. 19 (p. 84 Colonna)
さあ、それでは、彼を寝室の中へと導いて、花嫁の美しさに対面させることとしよう。
w\ kalhv, w\ carivessa`
おお、美しき女、おお、雅やかなる女
レスボス女の称讃は貴男にふさわしいからだ。
109 Epim. Hom. (Anecd. Oxon. i 190 Cramer)〔Il. i. 528h\(「彼は謂った」)について〕
h\si(「彼は謂う」)。
dwvsomen, h\si pavthr
われわれは与えようと、父が謂う。
とサッポーは謂う。しかしアルクマン(fr. 136 P.M.G.)は、hjsivnの代わりにhjtivと言う。
110(a) Heph. Ench. 7. 6 (p. 23 Consbruch)
四歩格(sc. 末尾が短拍で終わるアイオリス風ダクテュロス)。
qurwvrw/ povdeV ejptorovguioi,
ta; de; savmbala pempebovha,
pivssuggoi de; devk= ejxepovnaisan.
(新郎新婦の閏の戸口守る若者を揶揄して)
門番殿のおみあしの大きさは
なんと実に十四尺。
その各々の鞋作るのに、
十人もの靴匠が集まって
五頭の牛の皮を剥ぎ、
やっとこ縫いあげましたとさ。
(沓掛良彦訳)
(b) Demetr. Eloc. 167 (p. 37 Radermacher)
〔サッポーは〕粗野な花婿と結婚式における門番役とを、これとは違った卑俗な調子で、詩的というよりはむしろ散文的な言葉を用いてからかっている。
以下、195に続く。
111 Heph. Poem. 7. 1 (p. 70 Consbruch)
i[yoi dh; to; mevlaqron,
ujmhvnaon,
ajevrrete, tevktoneV a[ndreV`
ujmhvnaon.gavmbroV †(eijs)evrcetai i\soV† !Areui,
a[ndroV magavlw povlu mevsdwn.
高々と屋根を、
ヒュメーナイオス、
あげよ、家建てる男らよ、
ヒュメーナイオス。
花婿が入るのだから、アレースのごとく、
背高き男よりもはるかに丈高き〔花婿が〕
112 Heph. Ench. 15. 26 (p. 55s. Consbruch)
同じ女流詩人〔sc. サッポー〕は、イアムボス調終節〔ー∪∪ー∪ーー〕をもったコリアムビコス調〔chorius(ー∪)とiambus(∪ー)とからなる長短短長格(ー∪∪ー)詩格〕7/2=31/2音節を用いる。
o[lbie gavmbre, soi; me;n dh; gavmoV wjV a[rao
ejktetevlest=, e[ch/V de; pavrqenon a]n a[rao . . .
soi; cavrien me;n ei\doV, o[ppata d= . . .
mevllic=, e[roV d= ejp= ijmevrtw/ kevcutai proswvpw
. . . tetivmak= e[xocav s= =Afrodivta
さいわいなる花婿よ、祈りのとおり、御身の婿儀は成就せり
祈りのとおりの処女を娶って……
御身の姿こそ優美なれ、御身の眼は……
蜜のごとくして、恋心は憧れの面輪にあふれたり。
……アフロディーテ一は御身にいや高き栄誉をさずけたまいぬ。
113 D. H. Comp. 25 (vi 127s. Usener-Radermacher)
サッポー風祝婚歌がこれである。
ouj ga;r †eJtevra nu:n† pai:V w\ gavmbre teauvta
おお、花婿よ、かくのごとき乙女は二人となし
114 Demetr. Eloc. 140 (p. 33 Radermacher)
文飾を用いることによって生ずる優美さは、サッポーの作品の中にはっきりと、また数多く認められる。例えば、繰り返し(ajnadiplwvsiV)を使って、花嫁が自分の処女性に向かって、「処女の日々よ……」と謂い、相手が彼女に向かって同じ文飾で、「もはや……帰って来やせぬ」と応えるように。
parqeniva, parqeniva, poi: me lovpois= apoivch/ ~
†oujkevti h[xw pro;V sev, oujkevti h[xw†.
処女の日よ、処女の日よ、わたしを捨ててどこに行くの?
もうあなたのもとに帰って来ませぬ、もう帰って来ませぬ。
115 Heph. Ench. 7. 6 (p. 23 Consbruch)
五歩韻律(sc. アイオリス風ダクテュロス詩格)は、終節に2音節を持つ。
tivw/ s=, w\ fivle gavmbre, kalw:V ejikavsdw ~
o[rpaki bradivnw/ se mavlist= eijkavsdw.
何に君を、おお、愛する花婿よ、美しく譬えん?
何よりも君をほっそりした若枝に譬えん。
116 Serv. in Verg. Georg. 1. 31 (iii 1. 139s. Thilo-Hagen)
gener〔義理の息子〕がここでは夫の代わりに用いられていると多くの人たちは言う。ちょうど、サッポーが、祝婚歌という書の中で言っているように。
cai:re, nuvmfa, cai:re, tivmie gavmbre, povlla,
ご機嫌よう、花嫁よ、ご機嫌よう、誉れ高き花婿よ、
numfivoVの代わりにgavmbroVを使って。
gavmbroVは、婚礼の際のあらゆる男性の関係に使われる。
117 Heph. Ench. 4. 2 (p. 13 Consbruch)
〔韻律は〕katalhktikavと呼ばれる。最後の歩格が、イアムボス調のように、短音である場合には。
†caivroiV aj nuvmfa†, cairevtw d= oj gavmbroV
ご機嫌よう、花嫁、そしてご機嫌よう、花婿。
117A (=197A Voigt) Mich. Ital. Or. ad Mich. Oxit. (C.R. 10, 1960, 192s., Herm. 91, 1963, 115ss.)〔Michael Oxites は1143年頃のコンスタンティノープルの司教〕
貴殿 最美な花婿、至純の人 のために、最も神々しき大祭司殿、〔教会との〕神秘的な婚礼のために、わたしたちは祝婚歌を歌います。しかし、それは……のようにではなく、また、女詩人サッポーが歌うようにでもありません。軟弱な律動とみだらな旋律で歌を編み、賞金稼ぎの馬たちに花婿を譬え、薔薇の優しさに花嫁となる処女たちを比べ、琴よりも調べただしい発話をしましたが……
117A (Voigt) Hsch. X 85
xoavnwn proquvrwn`
なめらかな門扉の
〔xoavnwnは〕ejxesmevnwn〔磨かれた〕の意。
カトゥルスの"rasilem.....forem"(61. 161)から、サッポーの婚礼祝歌に帰せられる。
117B (Voigt) = inc. auct. 24
118 Hermog. Id. 2. 4 (p. 334 Rabe)
一般に、選択不可能な事柄に選択を帰属させると、一種の甘美さをもたらす、例えば……サッポーが竪琴に問い、その竪琴が次のように答える場合のように。
a[gi de; cevlu di:a †moi levge†
fwnavessa †de; givneo†
いざ、きよらなる竪琴よ、われに言え
みずから声をなせ
云々。
119 Schol. Aristoph. Plut. 729 (p. 364 Dübner)
hJmituvbion〔手拭い〕。soudavrion〔汗拭き〕の代わり。使い古した一種の麻布で、ejkmagei:on〔ナプキン〕のようなもの。サッポーも。
aijmituvbion stavlasson
滴のしたたる手拭い
120 Et. Mag. 2. 43
bavzwは「わたしは言う」という意味。……この語からajbakhvV〔「言わない、黙っている、やさしい」〕が派生。これを用いているのがサッポー。例えば、
ajllav tiV oujk e[mmi paligkovtwn
o[rgan, all= ajbavkhn ta;n frevn= e[cw . . .
されどわれは、遺恨をもつことを知らぬ身、
やさしき心根をもつ
121 Stob. Ecl. 4. 22. 112 (iv 543 Wachsmuth-Hense)(結婚に際しては相手の年齢を考慮する必要がある)
サッポーの〔作〕。
ajll= e[wn fivloV a[mmi
levcoV a[rnuso newvtron`
ouj ga;r tlavsom= e[gw sunoiv-
khn e[oisa geraitevra
あなたはわが友なれど、
より若き女を妻にしたまえ。
われ歳もまされば
夫婦たるに堪ええねば。
122 Athen. 12. 554b (iii 223 Kaibel)
じっさい、自分が美しい、今が盛りだと思う人々が花を集めるのは自然なことだ。だから、ペルセポネーに仕える乙女たちは花を集めると言われるし、サッポーも見たと謂っている
a[nqe= ajmevrgoisan pai:d= †a[gan† ajpalan.
若い娘が花を摘んでいるのを。
123 Ammon. Diff. 75 (p. 19 Nickau)
a[rtiとajrtivwVとは異なる。すなわち、a[rtiは時間の副詞であるが、ajrtivwVは完全に仕上げられた作品に使われる。だから次のように言うサッポーは誤っている。
ajrtivwV me;n aj crusopevdiloV Au[wV
今しも黄金造りの靴を履いた暁女神が
ajrtivwVを時間の副詞の代わりに用いているからである。
124 Heph. Ench. 15. 4 (p. 48 Consbruch)
長長格(spondhv)で始まると、3つの短短長格(ajnavpaiston)を形成するように分割されることができる。サッポーの作品にあるように。
aujta; de; su; Kalliovpa,
して、カッリオペー〔ムーサのひとり〕よ、御身みずからが
この形態もまた韻律学にかなっている。
125Schol. Aristoph. Thesm. 401 (p. 267 Dübner)
花冠を編むのは若者や恋する者の習いであった。老女たちが花冠を編むという習慣に言及。サッポー。
†autaovra† ejstefanaplovkhn
わたし自身、若いころ、花冠を編んだものでした
126 Et. Gen. (p. 22 Calame) = Et. Mag. 250. 10s.
dauvw.。「わたしは眠 る」。サッポー。
dauvoiV ajpavlaV ejta<iv>raV ejn sthvqesin.
優しい女友達の胸に抱かれて貴女の眠るとき
ヘローディアノス(i 453 Lentz)は言う、この表現はサッポーの作品に一度だけある。
127 Heph. Ench. 15. 25 (p. 55 Consbruch)
サッポーは2つのijqufallikovV〔バッコス讃歌に用いる韻律〕を含む詩行を作った。
deu:ro dhu\te Moi:sai cruvsion livpoisai . . .
こちらへ出でませ、ムーサたち、黄金の〔館〕を後にして……
128 Heph. Ench. 9. 2 (p. 30 Consbruch)
四歩格(sc. coriambikavは、より長い詩行にみられる、例えば、サッポーの詩行は次のように始まる。
deu:tev nun a[brai CavriteV kallivkomoiv te Moi:sai
いざ、こちらへ、やさしきカリスたち、また髪うるわしきムーサたちも
129 Ap. Dysc. Pron. 83bc (i 66 Schneider)
ejmevqen〔「わたしのもとから」〕。この使用はアイオリス詩に繁い。
(a) e[meqen d= e[ch/sqa lavqan
して、おまえはわたしのことをすっかりお忘れ。
(b) h[ tin= a[llon ajnqrwvpwn e[meqen fivlhsqa
それとも、わたしのことよりも、誰か他のひとを愛しておられる
130 Heph. Ench. 7. 7 (p. 23 Consbruch)
ajkatavlhktovn四歩格(sc. アイオリア・ダクテュリコン)とは、これである。
!EroV dhu\tev m= oj lusimevlhV dovnei,
glukuvpikron ajmavcanon o[rpeton
エロースが、それこそまたわたしを、あの手足をぐったりさす者が、こづき回す、
甘くて苦い、どうしようもない うごめくものが。
おそらく、次の131に直接続く。
131 Heph. Ench. 7. 7 (v. ad fr. 130)
!Atqi, soi; d= e[meqen me;n ajphvcqeto
frontivsdhn, ejpi; d= =Andromevdan povth/
アッティスよ、わたしを心に厭うからとて、
アンドロメダーのもとに飛んでいきやる
132 Heph. Ench. 15. 18 (p. 53s. Consbruch)
同様に、逆の〔i.e. 長短格と短長格とが衝突した〕文体の最初のもの、つまりもうひとつの独立した(kw:la)から構成される詩句(ajsunavrthtoV stivcoV)があり、これは終節が完全な長短格の2歩格と、短長格の2/7=3+1/2歩格から構成される。これが中間休止(tomhv)を置き換える場合は、prokatalhktikovnとなる。
e[sti moi kavla paviV crusivoisin ajnqevmoisin
ejmfevrh<n> e[coisa movrfan KleviV ajgapvata,
ajnti; ta:V e[gwujde; Ludivan pai:san oujd= ejravnnan . . .
われに美しき娘あり、黄金色の花にもまがう
容姿のいとし子クレイス、
この愛しきものをリュディア全土とも、はた恋しき〔レスボスと〕とてもゆめ換えるまじ。
これの第2行目には、明らかに、中間休止があり、前述のように、完全な2歩格の長短格と、2/7=3+1/2音節の短長格から構成されている。これに対して第1行目は、音節の前に休止があるせいで、prokatalhktikovnとなり、完全な2/7=3+1/2音節の短長格'e[sti moi kavla paviV'と、2音節の完全な〔長短格〕'crusivoisin ajnqevmoisin'から構成されるのである。そして3行目は、行末の余分の音節のある〔2歩格の長短格〕'ajnti; ta:V e[gwujde; Ludivan'と、短い音脚不全〔の2歩格長短格〕'pai:san oujd= ejravnnan'とから構成されている。
133 Heph. Ench. 14. 7 (p. 46 Consbruch)
しかし、それ〔sc. イオーニア詩型〕が不完全になるとき〔i. e. ∪∪ー∪ー∪ーーのように音節が逆転する〕、6つないし7つの単音節〔i. e. ∪ー∪ー〕のイアムボス詩型によって先導され、サッポーの作品にあるように、次のようになる。
(a)
e[cei me;n =Andromevda kavlan ajmoivban . . .
アンドロメダは美しき報いを受ける……
(b)
Yavpfoi, tiv ta;n poluvolbon =Afrodivtan . . . ;
プサッポーよ、なにゆえ恵み深きアプロディーテーを〔勧請せしか〕
134 Heph. Ench. 12. 4 (p. 39 Consbruch)
三歩格(sc. 短音節からなるイオーニア詩型)のうち完全な詩は、
za; <t=> ejlexavman o[nar, Kuprogevnha,
夢の中でわたしはあなたとお話ししました、キュプリス生まれの女神〔アプロディーテー〕さま
サッポーの作品にある。
135 Heph. Ench. 12. 2 (p. 37 Consbruch)
かくてすべての歌はイオーニア方言で書かれた、アルクマン(fr. 46 P. M. G.)によっても、サッポーによっても。
tiv me PandivoniV, !Wirana, celivdwn . . . ;
なぜにまた、ああ、イーラーナーよ、パンディオーンの娘の燕がわたしを
さらにアルカイオスの多くも(v. Alc. 10B)
136 Schol. Soph. El. 149 (p. 110 Papageorg.)
「ゼウスの布令役」。〔夜啼き鶯〕は春の徴をもたらすからである……サッポーも。
h\roV a[ggeloV ijmerovfwnoV ajhvdwn
春の布令役、妙なる声の夜啼き鶯
cf. Sud. A 651
137 Arist. Rhet. 1367a (p. 47 Roemer)
なぜなら、人々が恥ずかしく思うのは、醜いことを現に口にしたり行ったりしているときとか、その気持ちのあるときであるから。それはちょうど、アルカイオスが、
qevlw tiv t= ei[phn, ajllav me kwluvei
ai[dwV . . .
私には、口に出して云いたいことがあるが、しかし恥じらいが、それを押しとどめる
と言ったとき、サッポーが答えて次のように詠っているとおりである。
. . .
aij d= h\ceV e[slwn i[meron h] kavlwn
kai; mhv tiv t= ei[phn glw:ss= ejkuvka kavkon,
ai[dwV †kevn se oujk †h\cen o[ppat=,
ajll= e[legeV †peri; tw: dikaivw†
よきこと、美しきことを求める気持ちがあなたにおありなら、
悪しきことを口にせよと、あなたの舌が煽り立てるのでなければ、
恥じらいがあなたの目を覆い隠すこともなく、
あなたは悪びれずに言うべきことを口にされたことでしょう。
138 Athen. 13. 564d (iii 244 Kaibel)
またサッポーは、その姿形ゆえことのほか驚嘆され、美しいと思われている男に向かって、
sta:qi † ka[nta† fivloV
kai; ta;n ejp= o[ssois= ojmpevtason cavrin
(わが前に)立ちたまえ。もしわらわを愛したもうならば、
そなたの目に宿るかぎりのものを、開きたもうて。
139 Philo (P. Oxy. 1356 fol. 4a 14ss. + Lobel S. m. p. 55)
神々に関する女流詩人サッポーの忠告には劣る。すなわち彼女は謂う。
qevoi d[ . . . ] . nesw . [ . . a]u[tik= ajdavk[ruton qe[
神々は……ただちに……涙なき者を……
140(a) Heph. Ench. 10. 4 (p. 33 Consbruch)
(antispasticな)四歩格のうち、次のものは純粋な韻脚不完全詩行である。
katqavskei, Kuqevrh=, a[broV !AdwniV` tiv ke qei:men;
kattuvptesqe, kovrai, kai; katereivkesqe kivqwnaV.
キュテーレーさま、やさしきアドーニスは亡くなりました。どうしたらいいのでしょう。
乙女たちよ、胸を打ち、長衣を裂いて悲しむがよい。
(b) Paus. 9. 29. 8 (iii 64 Spiro)
レスボスのサッポーも、パムポス〔詩人〕の讃歌からオイトリノス〔「悲運(oi\noS)のリノス」の意〕という名前を学び知り、アドーニスとオイトリノスとを合わせて歌った。
141 Athen. 10. 425d (ii 425 Kaibel)
アルカイオスは、ヘルメースも彼ら〔神々〕の酒酌みだと言い、サッポーもそう言っている。
(a)
kh: d= ajmbrosivaV me;n
kravthr ejkevkrat=,
!ErmaiV d= e[lwn o[lpin qevois= ejoinocohse.
酒和え甕があって、
それでアンブロシアを和えて、 それをヘルメースが皮袋にとって、
神々に酌んでまわる。
(b)
kh:noi d= a[ra pavnteV
karcavsi= h\con
ka[leibon ajravsanto de; pavmpan e[sla
gavmbrw/.
かくてあの者たちはみな
盃を持して
献酒し、ありとあらゆる幸いを祈った、
花婿に。
142 Athen. 13. 571d (iii 259s. Kaibel)
とにかく今でも、自由人である婦人や少女たちが親しい友人のことをヘタイラと呼んでいる。サッポーにもそういう例があるね(fr. 160)、さらに、
Lavtw kai; Niovba mavla me;n fivlai h\san e[tairai レートーとニオベーは、まことに親しい女友だちだった。
143 Athen. 2. 54f (i 127s. Kaibel)
ejrevbinqoV〔ひよこ豆〕。……サッポー。
cruvseioi d= ejrevbinqoi ejp= ajiovnwn ejfuvonto
黄金色のひよこ豆が岸辺にすくすくと伸び
cf. Eust. Il. 948. 44
144 Hdn. p. klivs. ojnom. (ap. Aldi Thes. Cornucop. 268v: v. Choerb. ii. lxv 43s. Hilgard) = cod. Voss. gr. 20 (Reitzenstein Gesch. Et. 367)
例えば、Sapfwvは〔属格〕Sapfw:V、LhtwvはLhtw:V。こういうふうな用例(P. M. G. 979)が明らかにしている。サッポー本人の作品にも、
mavla dh; kekorhmevnoiV
GovrgwV
もうゴルゴーにはうんざりの人たちに
ゴルゴーはサッポーのライヴァル。cf. test. 20, fr. 213.
145 Schol. Ap. Rhod. 1. 1123 (p. 99s. Wendel)
(a)cevradoV。小石の集まり…… (b)ceravdeVは小さな石の積みあげの意味……サッポーも言及している。
mh; kivnh cevradoV.
塚を動かしてはいけません〔Cf. Alc. 344.〕
146 Trypho Trop. 25 (Rhet. Gr. viii 760 Walz)
諺……サッポーの作品にあるように。
mhvte moi mevli mhvte mevlissa
蜂蜜も蜜蜂もわたしには望ましからず
cf. Diogen. 6. 58 (i 279 Leutsch-Schneidewin) 〔この諺は〕嫌なことともども、何か善いことまで身に受けることを望まぬ人たち対して〔用いられる〕。
147 Dio Chrys. 37. 47 (ii 29 Arnim)
じっさい、サッポーはとても美しく云いました。
mnavsesqaiv tinav faimi †kai; e{teron† ajmmevwn.
わたしは謂いましょう、誰か別の人が、わたしたちのことを記憶してくれるだろう
と。
というのは、忘却はこれまで何びとか他の人を躓かせ、欺いてきましたが、正しい審判は善き人をひとりも欺きませんでした。ですから、わたしのために男らしく真っ直ぐに起ってください。
148 Schol. Pind. Ol. 2. 96f (i 85s. Drachmann)
意味(nou:V)。富は、それ自体だけでなく、徳によっても飾られるとき、自身の善と徳の善とを適切に享受し、美しきものらの追求に賢明な知慮を有する。というのは、それらの片方だけでは快適でないからである。カッリマコス〔Lov. 95s.〕もサッポーも〔次の〕ようにいう。
oj plou:toV a[neu †ajrevtaV oujk ajsivnhV pavroikoV,
aj d= a[mfotevrwn kra:siV †eujdaimonivaV e[cei to; a[kron†
富は、徳添わずしては、無害なる隣人ならず、
両者あいまじわってこそ至福の極み
149 Ap. Dysc. Pron. 126b (i 99 Schneider)
そしてアイオリス方言では〔sfi(彼らに)は〕αをつけて言われる。
o[ta pavnnucoV a[sfi katavgrei
夜通しの(眠りが)彼らの(眼を)閉じるとき
サッポー。
150 Max. Tyr. 18. 9 (p. 232 Hobein)
〔ソークラテースは〕刑死するとき、クサンティッペーが悲嘆するのに腹を立てたが、彼女〔sc. サッポー〕も、娘に〔腹を立てた〕。
ouj ga;r qevmiV ejn moisopovlwn †oijkiva/†
qrh:non e[mmen=` ou[ k= a[mmi prevpoi tavde.
ムーサたちに仕えまつる女たちの館に哀悼歌の声あげるは無法。
そのような振る舞いは、われらにふさわしからぬこと。