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back.gif西脇順三郎の「菫」


古代ギリシア案内

澤正宏著『西脇順三郎のモダニズム』

『「ギリシア的抒情詩」全篇を読む』を読む






 『西脇順三郎のモダニズム:「ギリシア的抒情詩」全篇を読む』の著者・澤正宏は、「西脇順三郎『Ambarvalia』作品論集成」の編者であるらしい。詩集『Ambarvalia』の作品論を渉猟・集成した人物だとすれば、「ギリシア的抒情詩」を論ずるには、まさにうってつけの人物といえよう。
 さらに、「あとがき」によれば、家庭教師についてラテン語、ギリシア語まで勉強されたらしい。事実、着眼は斬新である。西脇順三郎の『Ambarvalia』、とりわけその中の「ギリシア的抒情詩」を論じようとする者は、必ず参照しなければならない書のひとつになるであろう。

 ただ、論拠の挙げ方に疑問がある。とりわけ、ギリシア関係の発言内容が問題である。疑問をいだいたところを以下に列挙する。


   菫

コク・テール作りはみすぼらしい銅銭振りで
あるがギリシャの調合は黄金の音がする。
「灰色の董」といふバーヘ行つてみたまへ。
バコスの血とニムフの新しい涙が混合されて
暗黒の不滅の生命が泡をふき
車輪のやうに大きなヒラメと共に薫る。

泡をふき 西脇順三郎は、「泡をふく」と言ってるのであって、「泡を吐き出す」とは言っていない。にもかかわらず、澤の註は、 —

 「泡を吐き出す」の表現は『イーリアス』(呉茂一訳、岩波文庫、昭50・7 参照)第4書426行目にみられる。A. T. Murray の英訳(Loeb. No.170, 1978)では「speweth forth the salt brine」とあり、非常に躍動的な表現となっている。(p.56)

 「泡をふく」を「泡を吐き出す」に言い換えたことには目をつぶるとしても、澤は2つの間違いをおかしている。
 ひとつは、英訳を参照したのなら、brine に泡の意味は(わたしの手持ちの和英辞典によれば)ないはずだ、ということ。
 もうひとつは、『イーリアス』第4書の426行目は、攻め寄せる軍勢を、打ち寄せる波に譬えたもので、葡萄酒の話とは関係がないということである。

 葡萄ないし葡萄酒が泡をふくという言い廻しは、ギリシア詩においては慣用的な表現である。

……しばらくすると
その場所からねばっこい泡が音を立てて吹き出したのです、
秋に実る時バッコスの葡萄の木から豊かな果汁が
泡立ちながら地面に注がれるのに似ていました。

  ..........ejkde; gh:V o{qen
  prou[keit= ajnazevousi qrombwvdeiV ajfroiv,
  glaukh:V ojpwvraV w{ste pivonoV potou:
  cuqevntoV eijV gh:n BakcivaV ajp= ajmpevlou.
   (ソポクレース『トラーキーニアイ:トラーキースの女たち』701-704、竹部琳昌訳)

泡の沸き立つ……酒杯。

  kuvlix..........ajfrw/: zevousan`
    (テオピロス断片2)

 用例には泡(ajfrovV)という単語が含まれているが、『イーリアス』のくだんの箇所には、ajfrovVではなくてa[cnhが使われていることがわかるであろう(もちろん、a[cnhは泡とも訳せるにしてもである)。
 もしも、どうしても海を出したいのであれば、アプロディーテー誕生の段を持ち出すべきであった。

さて彼〔クロノス〕が父の陰部を鋼鉄〔の鎌〕で刈り取って、
陸地から 大浪うねる海原へ投げ棄てるや、
それは久しい間 海原の面に漂うていた、そのまわりに
白い泡が不死の 肉から湧き立ち、そのなかで、ひとりの乙女が
生い立った。……(『神統紀』188-192、廣川洋一訳)

  mhvdea d= wJV to; prw:ton ajpotmhvxaV ajdavmanti
  kavbbal= ajp= hjpeivroio polukluvstw/ ejni; povntw/,
  w}V fevret= a]m pevlagoV poulu;n crovnon, ajmfi; de; leuko;V
  ajfro;V ajp= ajqanavtou croo;V w[rnuto. tw/: d= e[ni kouvrh
  ejqrevfqh`..........

 澤正宏は、「暗黒の不滅の生命」という言い廻しが、どうしても気になるらしい。そこで、この葡萄酒が何か特別のものであることを導き出そうと、ギリシア語文献から「プラムノスの酒」なるものを見つけ出してくる。曰く、 —

 暗黒の混酒のイメージは、すべての黒い酒の称といわれるプラムノスの酒に拠るだろう。この葡萄酒は註(2)の『オデュッセイア』に出ている(呉茂一『ギリシアの詩人たち』筑摩書房、p.69、昭31・9 参照)。(p.55-56)

 プラムノスの酒という言葉は、『イーリアス』第11歌639と、『オデュッセイア』第10歌235に出てくる。澤が註(2)というのは、後者をさし、この箇所で呉茂一は次のように説明している。

 プラムノスの酒というのは、後にイオニアの闊達な詩人アルキロコスの詩にも出て来る、アテーナイオス("Dipnosophistae" 1. 30. c. d.)によると、イカロス島の産との説や、すべての「黒い」酒の称とか、いろいろで瞭かではない、まず強い苦味のある葡萄酒らしいが、どうしてそれが此の箇所に選り出されたか、これまた明らかでない。『オデュッセイア』の古註〔スコリア〕ではプラムノスという島の産ともあるが、この島の所在が判然しない、イカロス島の山の名(巌がプラムニオス、つまりプラムノスの巌というので)かも知れず、他は好い加減な故事つけで、理由は全く不明である。(『ギリシアの詩人たち』p.69-70)

 要するに、プラムノス酒と言っても、赤葡萄酒であるということ以外、何かよくわからないのであって、わからないものを持ち出すのは、研究者としていかがなものか……。
 「暗黒の(黒い)葡萄酒(mevlaV oi\noV)」なるものもまた、ギリシア詩では慣用的な表現であること(Od. v. 265 ; IX. 196 etc.)を、澤が知らなかったところに問題がありそうだ。

 「黒い葡萄酒」は『食卓の賢人たち』にも出てくる。「葡萄酒のうち、あるものは白くあるものは黄色く、あるものは赤い」(32c)。この箇所の訳註で、柳沼重剛はこう記す。

ギリシア人の色の表現はしばしば読者を当惑させるが、ここの「赤い」の原語は実はmelanos. つまり「黒い」である。しかし葡萄に関するかぎり、「黒い」とはつねに「赤葡萄酒」を意味している。(訳本第1巻、p.117)

 ギリシア文学の専門家のこのような発言が、おそらくは、澤正宏の次の発言を生んだものと思われる。

 一般に、古代ギリシア人の色彩の概念は固定せず融通性がある。プラトンの「チユイオス」に灰色の説明があるが、「灰色の董」の出典は不明。西脇順三郎は古代ギリシア人における董色と灰色との同一視をよく採りあげ、その後も詩集『えてるにたす』(昭森社、昭37・12)のなかで、「灰色の葡萄酒色の海に」というような表現をしている。「灰色の海」はホメーロス以来古くからある表現である。(p.56)

 日本語で「灰色」と訳される可能性のあるギリシア語として、faiovVglaukovVkuavneoVの3つが考えられる。プラトンの『ティマイオス』で説明されているのはfaiovVである(Ti. 68c)。ホメーロスのいう「灰色の海」はglaukovVである(Il. xvi. 34)。
 日本語では「灰色」としか訳されていないのに、ギリシア語では言い分けているのである。いったいどうして「古代ギリシア人の色彩の概念は固定せず」などと言えるのか!?
 しかし、わたしのこの言い方には、もちろん、嘘がある。何をどのように言い分けるかは、それぞれの言語によって異なるからである。

 3つの語の違いについて説明しておこう。

faiovV 黒(mevlaV)と白(leukovV)の中間色である。
glaukovV 本来、色を表す語ではない。L & Sによれば、「without any notion of colour」と説明し、gleaming の訳語を充てている。されば、『イーリアス』第16歌34を、松平千秋は「灰色の海」と訳しているものの、呉茂一は「白々しい海」と訳すのである。
 英訳ホメーロスにおいても、事情は同じで、西脇順三郎の参照したホメーロスは、greyと訳されていたと考えられる。
 このglaukovVであるが、やはりL & S によれば、後に色を表すようになったという。この意味でのglaukovVは、オリーヴの葉、枝の色であり(ソポクレース『コローノスのオイディプース』701、エウリーピデース『タウリケーのイーピゲネイア』1101、『トローアデス』802)、葡萄の色であり(ソポクレース『トラーキーニアイ』703)、葡萄の葉の色(AP ix. 87)である。
kuavneoV 燕の色であり(Simon. 74)、カワセミの色であり(Arist. HA 616a15)、深海の色であり(エウリーピデース『タウリケーのイーピゲネイア』7)、群雲の色である(Il. v. 345, xx. 418, Od. xii. 75)。


 ホメーロスで"glaukh; qavlassa"が使われているのは、わたしの検索では、『イーリアス』第16歌34の1箇所のみである。にもかかわらず、この箇所は後続の諸テキストによってさかんに引用され、ホメーロスを代表する表現になってしまった。澤が「『灰色の海』はホメーロス以来古くからある表現である」というのは、そういう意味である。
 ところが、ホメーロスでは、"polih; qalavssa"ないし"polih; a{lV"なる表現が頻出する(わたしの検索では『イーリアス』で11箇所、『オデュッセイア』で13箇所)。この"poliovV"こそは、第一義的に荒れ模様の海を形容し、一般には老人の白髪をさす。この意味での「灰色の海」が珍しい表現でも何でもないことは明らかである。訳語からしかテキストを読めなかった澤が、この2つを混同していることは明らかであろう。

 それでは、古代ギリシア人は、菫草を何色と見なしていたのか。
 テオプラストス『植物誌』によれば、菫(i[on)には黒い種〔ニオイスミレ、学名:Viola odorata〕と、白い種〔コアラセイトウ、学名:Matthiola incana〕との別がある。ディオスコーリデス『薬物誌』によれば、コアラセイトウには花に違いがあり、白、黄色がかった色、淡青色、紫などがあるという(Dsc. III-138)。対して、前者は「黒い」と表現される。

スミレは黒いし、花びらにしるしのついたヒアシンスも黒い。
それでも、花冠にはいちばん珍重される。(テオクリトス『牧歌』第10歌28-29)

  kai; to; i[on mevlan ejstiv, kai; aJ grapta; uJavkinqoV`
  ajll= e[mpaV ejn toi:V stefavnoiV ta; pra:ta levgontai.

 じっさいのところ、このスミレは、ギリシア詩においてどのように表現されているのだろうか。

わたしは御身に、ロドクレイアよ、この冠を送ろう、美しき花々で
みずからわれらの掌で編みしもの。
ユリあり、薔薇の顎あり、露けきアネモネあり、
またしっとりしたナルキッソスあり、kuanaugevVなスミレもあり。
これをかむって、傲りをやめよ。
御身も花冠も、花咲き、そしてしおれるものを。(AP v-74)

 kuanaugevVとはどんな色か。この語は、エウリピデースの『アルケースティス』261に出てくる。

  kuanaugevVな眉の下から眼を光らせる/翼をつけた冥府の王。

 松平千秋は、これを「青黒い眉」と訳している。
 灰色とすみれ色とを同一視するのは、単なる誤訳から来る誤解とみなしてよいのである。

 このような誤解が、ギリシア文学についての単なる不案内にとどまっている間はよいが、読解の根本にかかわってくると、問題は大きくなる。


   カリマコスの頭とVoyage Pittoresque

  I

海へ海へ、タナグラの土地
しかしつかれて
宝石の盗賊のやうにひそかに
不知の地へ上陸して休んだ。

僕の煙りは立ちのぼり
アマリリスの花が咲く庭にたなびいた。
土人の犬が強烈に耳をふつた。

千鳥が鳴き犬が鳴きさびしいところだ。
宝石へ水がかゝり
追憶と砂が波うつ。

テラコタの夢と知れ。

  II

宝石の角度を走る永遠の光りを追つたり
神と英雄とを求めてアイスキュロスを
読み、年月の「めぐり」も忘れて
笛もパイプも吹かず長い間
なまぐさい教室で知識の樹にのぼつた。
町へ出て、町を通りぬけて、
むかし鶯の鳴いた森の中へ行く。
重い心と足とは遠くさまよつた。
葉はアマリリスの如くめざめて
指を肩にさゝやく如く、あてた。
心は虎の如く滑らかに動いた。
あゝ、秋か、カリマコスよ!
汝は蝋燭の女で、その焔と香りで
ハシバミの実と牧人の頬をふくらます。
黄金の風が汝の石をゆする時
僕を祝福せよ。

 この詩を採りあげて、澤正宏はここに、西脇順三郎が「詩作を衰えさせていった原因の、一つの解明に」つなげようとする(p.153)。その論拠として、彼は、この詩に人為と自然の対立を見てとり、この詩人は現代の牧人として、「自分のなかのロマン主義的なものとの対峙を放棄して」(p.172)、自然に回帰したと解く(=説く)。この主張の焦点をなすのが、「めぐり」の解釈である。

 自然との一体感をしばらく忘却していたこの近代の牧人は、「知識の木にのぼ」るという人為を捨てて、町から遠い自然の樹のなかへ入っていくが、対立の中心を人為と自然とにおいている点でも、作者は牧歌詩の文学形式を踏まえている。「アイスキュロスを/読」むことは、ギリシアの神々の正義と英雄時代の再現とを読むことだが、僕という牧人にとっては、それは何よりも、牧歌が理想とした人間が神や英雄と親しく交際した黄金時代(ウェルギリウスの『Eclogues』牧歌・IV、15-17行目 参照)を知的に求める行為である。だがこの行為すらも、「光線の美が文学の美である」(「文学青年の世界」(昭7・10)という作者のモダニズムの文学観に基づく僕の行為(1行目)とともに、知という人為による詩的行為として排される。自然の運行(規則性、秩序性)を強く意識した「めぐり」という言葉にわざわざカッコを付しているように、作者は年月(7行目で過去の自然との体験をよびおこしている)や四季(12行目以降は秋を背景)の「めぐり」(回転するという意味のギリシア語periforavを意識か。前出『Eclogues』に頻出)と一体になった、作者独自の牧歌詩をめざしているのである。(p.168)

 periforavはギリシア語。だとすれば、ラテン語テキストである『Eclogues』に「頻出」するはずがない、という揚げ足取りはしないにしても、論者は2つの点で間違いをおかしている。ひとつは、ここでいう「めぐり」を意味するギリシア語はperiforavではないという点で。もうひとつは、『Eclogues』に「めぐり」が頻出するわけではないという点で。
 わたしはラテン語が出来ないので、ラテン語に関して語るのははなはだ心許ないが、例えば、『Eclogues』第4歌12「大いなる月々がめぐりはじめる」と、同じく47行目「めぐれ!」とは、ラテン語の原文では言い分けられているように思う。
 たとえ言い分けられていようと、そのどちらもがギリシア語のperiforavの訳語なのだと強弁するなら、そもそもperiforavは「めぐり」のギリシア語ではないと言おう。

 ギリシア語において、periforavは、天体の運行に使われる言葉である。ところが、詩の作者・西脇順三郎が言っているのは、天体の「めぐり」ではなく、月日の「めぐり」 — もっと言えば、人事であり、祭事の「めぐり」である。これに該当する言葉をギリシア語に求めれば、peripevlomaiであり、peritevllomaiである。

年がめぐり定めの時が来るたびごとに永久に、エレウシースの民の子孫は、互いの間に合戦と恐ろしい争いを引き起こすことになるだろう。(ホメーロス風讃歌「デーメーテール讃歌」265-267)

  w{rh/sin d= a[ra tw/: ge peripelomevnwn ejniautw:n
  pai:deV =Eleusinivwn povlemon kai; fuvlopin aijnh;n
  aije;n ejn ajllhvloisi sunavxous= h[mata pavnta.

〔ゼウスは〕娘神には、巡りゆく年を三つに分けた一季は、暗く霞む冥界に充てられるものの、残る二季は母神や他の不死なる神々とともに暮らしてよいと認めた。(同上、445-447)

  neu:se dev oiJ kouvrhn e[teoV peritellomevnoio
  th;n tritavthn me;n moi:ran uJpo; zovfon hjeroventa,
  ta;V de; duvw para; mhtri; kai; a[lloiV ajqanavtoisin.

 このことから、何が考えられるか。
 澤正宏は、人為と自然の運行とを対立させて、現代の牧人たる詩人は、自然に回帰しようとしていると解くのであるが、詩人が強く意識しているのは人事の「めぐり」であって、自然の運行ではない、ということである。詩人=僕が入っていった森は、自然の森ではなく、あくまで詩人の詩想の森にすぎない。

 もうひとつ。
 peritevllomaiは、時のめぐりのみを表すが、peripevlomaiは、時のめぐりとともに、「ある場所をめぐる」ことをも意味し得る。西脇順三郎の詩集の題名Ambarvaliaは、「畑-めぐりの儀式」の意味である。「めぐり」という語には、「カリマコスの頭とVoyage Pittoresque」とAmbarvaliaとを繋ぐ何らかの仕掛けがあることが窺える。

 このようにみてくると、ギリシアに関する澤正宏の発言には的外れが多いが、典拠として挙げるテキストの読解についても、疑問を持たざるを得ないことが多い。

 作者は石像としてのカリマコスを季節感覚との連想によって全く異なったイメージに変容させていく。十三行目では、弱くなっていく秋の光を強くする力の象徴としての蝋燭(傍点〔太字〕部分の考え方は古代ローマ人にみられた〔註22〕)が連想され、これがカリマコスに結び付けられ、カリマコスの能力の比喩である蝋燭の「焔と香り」とが、作者にとっては女性的なイメージだったので「蝋燭の女」と表現されたのである。焔のついた蝋燭には、作者に「文学へ蝋燭を立てる」(詩論の題名、昭7・12)という使い方があるので、微光ではあるが、作者が僕をとおしてめざそうとしている詩の方向( I 章や詩「コリコスの歌」との対応から考えるとイマジズムとなる)を照らしてくれるものという意味も含まれてくる。(p.169)

 〔註22〕として、この論者はペトロ−ニウスの『Satyricon(サテュリコン)』を挙げるのであるが、わたしには、この論者が言うような内容は読み取れなかったし、また、西脇順三郎の随筆「文学へ蝋燭を立てる」は、「文学とは如何なるものであるか定義づける人達」に対する弔いの意味は読み取れても、この論者が言うようなことは読み取れない。どちらが正しいかの判定は、各自の読みにゆだねることにしよう。

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