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アンドキデス伝

([Plutarchus] : Vitae decem oratorum)

By THESAURUS LINGUAE GRAECAE CD ROM#D
[Sp.]834B10-835B8



 アンドキデスは、父親は、かつて〔446/5年〕ラケダイモン人たちとの 和平をアテナイ人たちにもたらした〔祖父の〕アンドキデスの子レオゴラスであり、区はキュダテナイ区ないしは トライ区民、生まれは貴族階級の出であるが、ヘラニコスによれば(FGr Hist 4F 170a)、ヘルメスの血も引いているという。つまり、ケリュクス家の血筋が彼まで続いているということである。それゆえ、かつては グラウコンとともに艦船20艘を率いて、コリントス人たちから離反したケルキュラ人たちの救援を手がけたこともある。しかし、その後、みずからもヘルメス神像を毀損したとして、また、デメテルの秘儀に関しても過ちを犯したとして、不敬涜神の責めを受け、 [註]こういった嫌疑で裁判を受けたが、不正者たちを密告するという条件で無罪放免になった。しかし、ありとあらゆる努力を払い、神事に関して過ちを犯した連中を見つけだしたのであるが、彼が密告した中には、自分の父親も含まれていたのであった。かくして、他の連中はみな糾明して破滅させたが、父親は、すでに投獄されていたにもかかわらず、救出した。父は国家のために多くの点で利するであろうと請け負ったからである。たしかに彼は虚言しなかった。というのは、レオゴラスは公金を横領した多くの者たちを、また、他にもひとに不正した連中を糾明したからである。そしてこういう次第で彼はその罪を免れた。他方、アンドキデスの方は、政治方面では評判がよろしくないので、貿易商に従事し、キュプロスの王たちや他の多くの有名人たちに厚遇された。女市民たちの一人、つまりアリステイデスの娘、ということは自分の姪でさえ、人知れず家から連れ出して、キュプロスの王に贈り物として送り遣ったからである。しかし、そのために法廷に召喚されそうになったので、再び彼女をキュプロスから盗み出して、その王に捕らえられて投獄された。しかし逃げ延びて国にたどり着いた。「四百人」が国事を司った時期である。しかし「四百人」によって投獄されたが、逃げ延び、その寡頭制が解体したとき、「三十人」が支配権を受け継いだときであるが、<再び>国から追い出された。そこで、亡命の間、エリスに住んだが、トラシュブウロスの一味が帰還したとき、彼も国にもどった。そして、和平に関してラケダイモンへ派遣されたが、不正と決定されたので亡命した。すべては自分の著した弁論の中で彼は明らかにしている。というのは、ある弁論は秘儀について弁明する人のものであり、ある弁論は帰還を要請する人のものである。ところで、彼の盛器〔アクメ〕は、哲学者ソクラテスと同時代である。が、彼が生まれたのは、第78回オリュムピア年、アテナイではテオゲニデスが執政官の時〔468/7年〕である。したがって、彼はリュシアスよりも8歳年長である。この人物を添え名にしているものに、いわゆる「アンドキデスのヘルメス像」というのもあるが、これは、アイゲイス部族の奉納物であって、アンドキデスが近くに住んでいたためにアンドキデスの名を冠されたのである。しかし彼自身も、自分の部族が競演するディテュラムボスのために円舞合唱隊に合唱隊奉仕し、勝利して、石灰岩のシレノス像の真向かいの上に鼎を奉納したのである。彼の弁論は単純、無技巧、平坦にして修辞的表現をとらない。


[訳注]

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