アテーナイのアポッロドーロス(2/2)

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"t105-150".1
『大地について(Peri; gh:V)』あるいは『地誌(PerihghvsiV)』
"t105".1
第1巻
 〔未訳〕

"t1b".1
第1巻
105.1
Steph. Byz.:(TauroveiV)
 ケルト地方の都市、マッサリア人たちの植民市。市民はTauroevntioi。アポッロドーロスが『地誌』第1巻に謂う、taurofvroVとは、都市建設者たちを運んだ船のことである、と。彼らは、ポーカイア人たちの装具から放り出されてここにたどり着いたので、船の標識にちなんでその都市を名づけた。

"t106-150".1
第2巻
106.1
Idem:!Abulloi
 ネイロス〔ナイル〕河にすぐ近い、穴居人族のいる地方の族民と、アポッロドーロスが『地誌』第2巻の中に。

107.1
Idem:=Arianiva
 カドゥシオイ族に隣接する族民と、アポッロドーロスが第2巻に。

108.1
Idem:Au[gila
 中性で、リビアの都市。アポッロドーロス『地誌』の第2巻。

109.1
Idem:Aujsei:V
 リビアの族民。アポッロドーロスが『地誌』の第2巻に。

"109a".1
Idem:Aujsci:tai
 リビアの族民。アポッロドーロス『地誌』の第2巻に、ヘーロドトスも第4巻の中に。

110.1
Idem:Gaugavmhla
 ペルシスの場所。アポッロドーロスが『大地について』第2巻の中に。

111.1
Idem:2つの=Ibhrivai
 ひとつは、ヘーラクレースの柱のところ、イベール河にちなむ。これに言及しているのは、アポッロドーロス『大地について』第2巻の中。
 「ピュレーネーの内側には、イベールという大河が、内奥へと流れこんでいる」。

112.1
Idem:La:oV
 レウカニアの都市。アポッロドーロスが『大地について』第2巻の中で。

113.1
Idem:Mavrdoi
 ヒュルカノイ族の族民。アポッロドーロスが『大地について』第2巻に。

"113a".1
Idem:Massuvloi
 リビアの族民。アポッロドーロス第2巻。

114.1
Idem:NavstoV
 トラキアの都市。NestovVとも書かれる。アポッロドーロスが『地誌』第2巻に。

115.1
idem :Nou:bai
 リビアのネイロス近辺の族民。アポッロドーロス『大地について』第2巻に。Dabai:oiのように、Noubai:oiとも言われる。NoubavdeVも同じ。

116.1
idem :=Orbivtai
 インドの族民と、アポッロドーロスがアレクサンドレイアについて第2巻に。

117.1
idem :ParopavmissoV
 インドの都市の山。近隣住民であるParopamisavdaiは、これに由来する。しかしアポッロドーロスは『大地について』第2巻の中で、彼らに由来して山がそう呼ばれていると謂う。

118.1
idem :Tovretai
 ポントス海の族民。アポッロドーロスが『地誌』の第2巻に。

119.1
idem :+Ullei:V
 イッリュリアの族民。アポッロドーロスが『大地について』第2巻の中で。
 「ヒュレイス人たちより上方を、リビュルノイ人たちと一部のイストリア人たちはトラーキア人と言われる」。
 女性名詞は&UlliVとも。
 「ケッロネーソス・ヒュリケーは何よりもペロポンネーソスの前に横たわっていて、人口稠密な15の都市を擁すると謂われている」。

120.1
idem :Yhssoiv
 タウリニアの族民。アポッロドーロスが『地誌』の第2巻の中で。
 「次には、+ErmwvnassaKh:poV、第3はYhssoivの族民」。

121.1
idem :=Wri:tai
 インドの自治的族民。ストラボーンは……アポッロドーロスも第2巻に。
 「次いで=Wri:taiGedrwsivoi」。このうち前者はインド人で、断崖に住み……

122.1
Strabo XIV〔5, 22〕:
 ところが現に、……四辺から成るかかる形を三角形状と言うのは無学であり、地誌的説明にさえなっていない。しかるに彼は、喜劇ふうの韻律を使って地域誌(cwrografiva)をも発表し、『大地周遊』と銘打っているのだが。

123.1
Idem I, 105, B.〔3章21〕:〔断片161に同じ〕
 例えば、西方イベーリア人たちは、ポントスとコルキス地方より上にあたる諸地域へ移住したが、アポッロドーロスが謂うところでは、彼らアルメニア地方から境界づけるのは、まさしくアラクセース河である。

124.1
Steph. Byz.:!Adranon
 シケリアのアイトネーにある都市……アポッロドーロスは、族称を=Adrativtaiと謂う。

125.1
Idem:Ai\noV
 トラキアの都市……この都市は、アポッロドーロスは、Poltuobrivaと名づけられていた、と謂う。

126.1
Idem:+AlikarnassovV
 ……彼がトロイゼーンから流れ着いたことにちなむと、アポッロドーロスが。

127.1
Steph.:=AllovbrugeV
 ガラティア最強の族民と、アポッロドーロスが。

128.1
Idem:=Amfigevneia
 ……アポッロドーロスによれば、マキスティアにあり、アンティマコスによれば、メッセーニアにある。

129.1
Idem:=Antikuvra
 2つの都市がある。ひとつはポーキスに、……ひとつはマリエウスにあると、アポッロドーロスが。

130.1
Idem:Aujtomavlaka
 リビアの地方。ポリュイストールは第3音節に〔強アクセントを〕置くが、アポッロドーロスはAujtovmalaと謂う。

131.1
Idem:Bh:ssa
 ロクロイ人たちの都市。ヘーローディアノスは1つのσで書くが、アポッロドーロスは……2つで。

132.1
Idem:Damai:oi
 イクテュオパゴイ〔「魚喰い」の意〕人たち近辺の族民と、アポッロドーロスが。

133.1
Idem:=Eci:nai
 アイトーリア近辺の諸島……Levgontaiとか=EcinavdeVと〔呼ばれるの〕は、野蛮さや俊敏さゆえか、あるいは、マムシを多数産するゆえである。アポッロドーロスは、占い師エキオスにちなむと。

134.1
Idem:Qevrmh
 トラキアの都市。アポッロドーロスは、マケドニアの〔都市〕と謂う。テュキュディデースも。

135.1
Idem:Lakedaivmwn
 ……市民〔名〕はLakedaimovnioV……語中音消失でLavkwnと言われる。アポッロドーロスが謂うように、Kudwnia:taiの代わりにoiJ KuvdwneVと〔言われる〕ように。

136.1
Idem:Mevndh
 トラキアの都市、MevndhVの妻にちなむ。

137.1
Idem:=OdhssvV
 ポントスにある都市。サルミュデーッッス方面。アポッロドーロスは、オデーッソスは大山だと謂う。

138.1
Idem:Passargavdai
 ……アポッロドーロスは男性名詞で謂う。

139.1
Idem:Pevfnon
 ラコーニアの都市、中性名詞。アポッロドーロスはこれは島だと謂う。

140.1
Idem:Sikaniva
 アクラガース人たちの隣接地。川もシカノス河と、アポッロドーロスは謂う。

141.1
Idem:TevberiV
 イタリアの川。ここにローメー〔ローマ〕とラティノイ人たちの地方があると、アポッロドーロスが。

142.1
Idem:TevnedoV
 ……テネドスという都市もルキア方面にある。

143.1
Idem:Filwtevra
 トローグロデュティカ地方近くの都市、サテュロスの建設。アポッロドーロスはFilwterivVと呼ぶ。

144.1
Idem:=Wkaleva
 ボイオーティアの都市……ホメーロス。しかし=Wkavleiaと呼ばれたと、アポッロドーロス。

145.1
Idem:=WrikovV
 ヘカタイオスはエーペイロスの湖を=WrikovVと呼ぶ。……最も驚嘆すべき人アポッロドーロスはその都市を知っていた。

146.1
Idem:=WreovV
 エウボイアの都市……〔市民名は〕=WreivthV……しかしアポッロドーロスが4音節で謂うのは、eiが二重母音ではなく、ei、つまり、=Wrei<thVだからである。
 「かくのごとく、彼らはオーレイテース人たちの都市を攻略した」。

147.1
Schol. Apollonii I, 1116:
 ネーペイア平野はキュジコス近辺にある……アポッロドーロスは、ネーペイア平野はプリュギアにあると謂う。

148.1
Schol. Pind.Ol. I, 35 ad verba,Despovtan Surakovsion iJppocavrman basilh:a:
 当時、ヒエローンはシュラクゥサイ人であって、決してアイトネー人ではなかったからと、アポッロドーロスは謂う。

149.1
Schol. Pindari Ol. IX, 63:
 プロートゲネイア〔「最初に生まれた女」の意〕の街……オプースに言っている。なぜなら、デウカリオーンとピュッラがそこに住んでいたと謂う。彼らの娘がプロートゲネイアである。アポッロドーロスは謂う、デウカリオーンとピュッラが住んでいたのは、オプースではなく、キュオーンだと。

150.1
Etymol. M.:=EllhnovpoliV
 アポッロドーロス。
 「アッタロスは、ヘッラス人たちの諸都市から住民を集めて、都市を建設し、これを=EllhnovpoliVと名づけたり」。

"t151a-175".1
『軍船について』
あるいは
『軍船目録について』
"t151-158".1
第1巻
"151a".1
Steph. Byz.:Plataiaiv
 ボイオーティアの都市。……平たい櫂にちなんで呼ばれたと、アポッロドーロスが『目録』の第1巻の中で。ボイオーティアが水没したとき、湖の畔に住んでいたボイオーティア人たちは、お互いに舟で往き来した。ここから、平たいと櫂から諸都市が呼ばれたという。

"151b".1
Eustath. ad Il. B, 502:
 言い伝えでは、Kw:paiとかKwpai<Vとか呼ばれたのは、言い伝えでは、かの地が湖になったため、土地の者たちがお互いに航行するとき使用した櫂(kwvph)のゆえという。ここからして、あの平たいに由来するプラタイアという都市も、きっと櫂を意味するのであろう。???

152.1
Idem :!Argoura
 テッサリアの都市、昔のアルギッサ……族名は=Argouri:oVにちがいないと、ピローンも。しかしアポッロドーロスが『軍船目録』第1巻の中で謂うには、=Argeivoiと名づけられるという。あるいは、命名が変化したか、あるいは、テッサリアの平野に隣接するゆえか。これこそホメーロスがペラスギコス・アルゴスと云ったものである。

153.1
Etymol. M.:=Asplhdwvn
 プレスボーンとステロペーとの子スプレードーンであると言い伝えられるからである。しかしアポッロドーロスは、アスクレーピアデースを次のように言っていると謂う。「いともとうときスプレードーンをも(Splhdovna t= hjgaqevhn)」。

154.1
Steph. Byz.:=WrwpovV
 ……族民名は=WrwpeuvV。なぜなら、同じ人(sc. アポッロドーロス)が『軍船目録』第1巻の中で次のように。
 「グライアという場所がある。オーローピエウス人たちの都市である」。

155.1
Strabo IX〔2, 14〕:
 しかし一部の人たちは、次のように書かなければならないと思っている。
  いとも聖いイーソス、また国の最端にあるアンテードーンを……
 これは、作詩法上、音律を調えるため、
  いとも聖いニーソスを……
に代えて、第1音節を伸ばしたものである。というのは、ボイオーティアのどこにもニーサは出て来ないと、アポッロドーロスが『軍船について』の中で謂っているからだ。したがって、イソスを上のように述べたのでないかぎり、これ〔ニーサという地名〕はありえない。

156.1
Strabo X〔3, 4〕:
 またアポッロドーロスも述べている、ボイオーティアを退去したヒュアンテス人たちは、アイトーリア人たちのもとに移住者となったと記録されている、と。

157.1
Idem lib. IX〔2, 42〕:
 結構なことに、軍船に関することを著した人たちは、わたしたちにこの種の資料を提供してくれてきた。わたしたちの仮説に親しいことを彼らが言っている場合は、われわれはそれに従うことにしよう。

158.1
Steph. Byz.:=Akthv
 アッティカ地方がそう呼ばれるのは、アクタイオスなる者にちなむ。で、彼は土地生え抜きの者であって、パボーリノスによれば、そこを王支配していた、そして、自分にちなんでその地方と国民を、そのように名づけた。しかし、アポッロドーロスは逆のことを謂う。
 「というのは、そういうふうに呼ばれたのは、それの大部分が海に接していたからである。すなわち、〔土地が〕三角形で、両方からスゥニオンに収束する2辺は、海に接し、これによって、ケクロプスの血を引く4つの部族のうち2つを、アクタイアとパラリアと命名した」。

"T159-162".1
第2巻
159.1
Strabo VII〔3, 6〕:
 しかし、アポッロドーロスが『軍船について』の第2巻の前置きとして述べている諸点は、けっして当を得た説とはいえまい。
 この著者はエラトステネースの主張に賛同するが、後者の主張によるとホメーロスをはじめそのほか古代の人びとは何れも、ギリシア人のことは知っていても、遠い地方の人びとのことについてはひどく無知だった。そして、この無知は、当時の人びとが長旅の経験もなく、船での往来にも慣れていなかったことからくる、という。
 アポッロドーロスがエラトステネースのこの説を弁護しながら述べるところによると、ホメーロスはアウリスを「岩礁の多い」と呼び、実際にもそのとおりである。また、エテオーノスを「山の尾に富む」、ティスべーを「鳩あまた棲む」、ハリアルトスを「牧草に富む」と呼んだ。しかし、(ギリシアから)離れた地方のことについては、当のホメロスもそのほかの古代人たちも知らなかった。
 とにかく、黒海へ流れこむ川は約40もあるのに、そのなかでも一番評判の高い川、たとえばイストロス、タナイス、ボリュステネース、ヒュパニス、パシス、テルモドーン、ハリュスのうちのどれひとつとしてふれていない。その上さらに、スキュタイ族にはふれもしないで「誇り高いヒッペーモルゴイ」とかいう部族、「馬乳の飲用者」族、アビオイ族を創作している。
 また、内陸に住むパプラゴニア族については陸路でこれらの地域に近づいた人びとから聞いて報告しているが、(黒海)沿岸地帯のことをまるで知らないし、知らないのはすくなくとも無理からぬことである。
 当時このあたりの海には航路が開けていなかったし、冬の悪天候とこの周辺に住む諸族とりわけスキュタイ族が野蛮なために、この海には「アクセノス(客に無愛想な)」という呼び名があった。これらの住民は異郷から訪れる人を捕えて供儀しその肉を食べその頭蓋骨を酒杯にしていた。その後「エウクセイノス(客に親切な)」という呼び名になったが、これはイオーニア人がこの海の沿岸にいくつもの植民市を建設したからである。
 おなじようにして、詩人も古代の人びともエジプト、リピュア両地方の事情についてもその知識がなく、たとえばナイル河の水位上昇や外海への沖積作用についてふれた箇所はひとつもない。エリュトラ、エジプト両海の間の地峡、アラビア、エチオピア、大洋オケアノスのそれぞれに面した地域、の何れについてもまったくふれていない。
 もっとも、哲学者ゼノーンが(ホメーロス詩を)つぎのように綴(り変え)るのに従わなければならないとすれば、話は別である —

わたしはエチオピア人の国へも往き、シードーン市やアラビア
へも往った。

 しかし、ホメーロスについては(以上の点を)驚くほどのこともなく、というのも詩人よりさらに後代の作家たちでも数多くの点で正しい知識を欠いたまま驚異談を口にしている。
 まず、へーシオドスは「犬人族」、「巨頭族」、「小ぴと族」を語り、アルクマンは足に水かきのある人種を、アイスキュロスは「犬頭族」、「胸に眼のついた人種」、「ひとつ目族」 — これは『プロメテウス』に見える — そのほか数限りもない物語を述べたてる。
 アポッロドーロスは以上の詩人たちにつづいて史誌作家たちの方へ歩みを向ける。それによると、これらの作家の物語のなかにはリパイア山脈、オギュイオン山、ゴルゴー姉妹や薄暮女神へスペリスたちの住家がある。
 また、テオポンポスの伝えるメロピス地方、ヘカタイオスに出てくるキンメリス市、エウへーメロスのいうパンカイアの地、アリストテレースには砂粒から出来た河原石が降雨で溶けた話がある。また、リピュア地方には、ディオニューソスの市があるものの、おなじひとりの人間が二度この市に出会うことはできない、という話もある。
 上記の著者は、一部の作家がホメーロス詩に従ってオデッッセウスがシケリア島あたりを放浪したと物語っているのを、非難する。すなわち、もしも物語どおりであれば作家たちはさらにまた、放浪はこの島あたりの出来ごとだが詩人が話を創作しようとこれを大洋オケーアノスの方へ移した点に、ふれなければならなかったろう。
 さらにいえば、ほかの作家たちの説を容認するとしても、カリマコスは文法家を自称しているかぎりこれを認めるわりには行かないだろう。この文法家はガウドス島をカリュプソの島、コルキュラ島をスケリア島と(綴り変えて)呼んでいる。
 また、著者は上記以外の作家たちをも責めているが、それによるとこれらの作家はゲレナ、アカケシオン、イタケ島内のデモス、ペリオン山中のペレトロニオン、アテナイにあるグラウコピオンについて誤った説明をした。著者はさらに、以上の諸項に加えてほかにもこの種の細かな諸項を取上げた後に説明を終える。
 しかし、それらの事項のほとんどはエラトステネースからの借物であり、しかもその所説は先に本書でもふれたとおり当を得たものではない。
 なるほど、この種の諸事項については後代の人びとの方が古人よりよく承知しているものだということは、エラトステネースやアポッロドーロスがいうとおりだとしなければならない。しかし、このように限度を越えて追及を進めるという姿勢は、とりわけホメーロスに対するばあい当然非難してよいことでもあろうし、逆に、あなた方は自分たちが知らないのを棚にあげて詩人のせいにしているではないか、という反論を受けても当然だろうと思う。

"160a".1
Strabo I〔2, 24〕:
 しかしこの点では、詩人は無知であって、アポッロドーロスが『軍船目録について』第2巻の中で述べているかぎりのその他の事柄と同様、いくつもの場所について在りもしないことを虚言している。

"160b".1
Strabo I〔2, 35〕:
 この説を立てる人びとも、もちろん地理について実地を知らないまま説明しているのではなく、むしろ説話の形のなかに、その所論を盛りこんでいる。
 アポッロドーロスはへーシオドスそのほかの作家たちによる物語を持ち出しているが、これらの物語についてもおなじことがいえるし、おまけにこの著者はその際自分がどんな方法でこれらの物語をホメーロスのそれと比べているかを知っていない。
 すなわち、著者はホメーロスが黒海やエジプトについて語るくだりを引合いに出して詩人の無知を責め、詩人はほんとうのことを説明しようと思っていながらそれを行わず、無知であるばかりに実際には存在しないことを実在するかのように語っている、としている。
 しかし、へーシオドスが半犬人、長頭人、侏儒族の物語を諮っても、その無知を責める人はないだろうし、当のホメーロスでもこれらの人間のことを説話に述べ、今あげた侏儒ピュグマイオイ族もそのなかに入るが、それでもその無知を責める人はあるまい。
 アルクマイオンが自分の足を屋根代りにする人間族のことを、アイスキュロスが犬頭人、胸に眼のある人間、一眼族のことを、それぞれ報告している際でも、事情はおなじである。
 たしかに、散文作家たちが歴史記述の形をとって書を著わすばあい、当の著者が説話を記述しながらそれと認めていなくても、わたしたちはたいして気にもかけない。かけないのは、作家たちがわざと説話を織込んでいるのがすぐにはっきりするからで、織込むのは自分たちがほんとうのことを知らないからではなく、怪異と娯楽の効果を狙って実在するはずのないものを創作するためである。
 しかし、内容がはっきりしないことや誰もが知らないことについて上記のような説話を、しかも殊のほか説得力を見せて語ったりすると、今度は無知なままに語っていると思われる。
 テオポンポスは自分が史書のなかで説話をも述べるつもりだと言明してこれを認めているし、しかもその程度は、へーロドトス、クテーシアス、へッラニコス、そして『インド誌」を著わした人びとの何れよりもましである。

"160c".1
Idem 〔2, 37〕:
 ところで、アポッロドーロスが、エラトステネース派の人々を弁護しながら、カッリマコスを非難する所以は、文法学者でありながら、ホメーロス的主題にそむき、かつ、漂流が描かれている諸々の場所をオーケアノス沿岸に置こうとする意図にそむいて、ガウドスやコルキュラの名を挙げているからである。

"160d".1
Tzetz. Chil. VII, 760:
 ところがアポッロドーロスは『目録』の第2巻で、TzevtzhVのように?真実なる魂を持って、怪物にして拵え物だと考え、次のように書く。
 「半犬人(+HmivkuneV)、長頭人(Makrovkranoi)、(Pugmai:oi)は拵えものである。水かき脚人(SteganovpovdeV)とか、胸に眼のある人間(Sternovfqalmoiv)とか、犬頭人(Kunokevfaloi)そのものも、一つ目人(Monommavtoi)もろとも、そうである。神話の長細脚人(+ImantovpodeV)とか長細脚人(+Imantoskelei:V)とか、一人っ子人(Monotokh:tai)とか!ArjrJineVとか口無し人(!Astomoi)も同様。後屈した指を持つ族民(=Opisqodavktuloi)も、笑うことなき族民(=Agelastou:nteV)も」。

"160e".1
Strabo XII〔3, 26〕:
 というのは、彼〔アポッロドーロス〕が謂ったからである、彼〔詩人〕はポントス周辺にある有名なものの多くを知らない、例えば河川、族民……。

161.1
Strabo I〔3, 21〕:〔断片123に同じ〕
 例えば、西方イベーリア人たちは、ポントスとコルキス地方より上にあたる諸地域へ移住したが、アポッロドーロスが謂うところでは、彼らアルメニア地方から境界づけるのは、まさしくアラクセース河である。

162.1
Schol. ad Hom. Il. Q, 284:
 しかしこの記録は、他の多くの著作家たちの作品や、文法学者アポッローニオス『諸種族』の第2巻に、もっと詳しく述べられている。

"t163".1
第5巻
163.1
Athenaeus III, 7〔82b〕:
 シドゥスがコリントスの村だということは、リアノスが『ヘーラクレイア』の第1巻の中で、アテーナイ人アポッロドーロスも『軍船目録について』第5巻の中で述べている。

"t164-165".1
第7巻
164.1
Steph. Byz.:Litaiv
 ラコーニア地方の都市。アポッロドーロスが第7巻で。

"t163".1
第5巻
"164a".1
Idem :Korwvnh
 メッセニア地方の都市と、アポッロドーロスが『目録』の第7巻で。

165.1
Strabo VIII〔6, 1〕:
 ……そして、アルテミドーロスが謂うように、エピダウロス・リメーラ。ただし、アポッロドーロスは、これはキュテーラ島の近くにあると記録している。良港(eujlivmenon)だったので、短く縮めて、limenhravのようにLimhravと呼ばれたが、その名称が書き替えられた。

"t166-175".1
第8巻とそれ以下
166.1
Stephanus:!WlenoV
 ……アポッロドーロスは『軍船目録』の第8巻の中で、これを男性名詞で謂う。
 「オーレノスとパッレーネーとは、今はまだ結論に達していない」。

167.1
Strabo X〔2, 10〕:
 アポッロドーロスは、時には、紛らわしさ(oJmwnumiva)は添え名によって区別すると言い、〔例えば〕島を言わんとして、「また岩の峨々たるサモスの(Savmoiov te paipaleoevsshV)」と云う者は、「ドゥリキオンにもサモスにも(Doulicivw/ te Savmw/ te)」と〔言って〕、「サメーにも(Savmh/ te)」とは〔言わ〕ない。これは明らかに、都市としてはSavmhSavmoVも異形同義(sunwnuvmwV)だが、島なのはSavmoVのみ、と推測して言い表しているのだ。というのは、Savmhは都市として言われていることは、各都市から求婚者たちが現れたと、「サメーからも20と4人の人士がまいりますし」と数えあげていることからも、また、クリュメネーに関する言葉〔話〕「彼女の方は、それから、サメーにと嫁がせた」からも明らかである。

Idem 〔2, 16〕:
 しかし、アポッロドーロスは、〔島は〕今でも〔往時の姿を〕とどめ、島内に小都市アラルコメナイが当の地峡に位置していると言う。

168.1
Idem X〔2, 21-22〕:
 アポッロドーロスは、先に云ったとおり、カルキス市とタピアッソス山を、モリュクリア市より上の方に置き、カリュドーン市も〔プレウロン、〕カルキス両市の間に位置すると謂う……
 しかし内陸の、アカルナイアに面しては、エリュシカイオイなる連中が言われているとアポッロドーロスは謂う。これに言及しているのはアルクマンである。

169.1
Strabo, X〔4, 3〕:
 〔クレタ島の〕大きさは、島誌に関しては厳密であるとアポッロドーロスが謂うソーシクラテースが画定している云々。

"170a".1
Idem VIII〔3, 6〕:
 アポッロドーロスが教えてくれているところによると、詩人はいかなる仕方で同名の諸都市を区別していたかというと、例えばオルコメノスの場合、アルカディアのそれは「羊にゆたかな」と呼び、ボイオーティアのそれは「ミニュアイ人の」と〔呼び〕、サモス・トラケーの場合は、結合して、

サモスとイムブロスの中間の

イオーニアのそれから区別するためである。こうして、テスプローティス地方のエピュラも、「遠方の」と、「セッレーイス河畔の」とを区別すると彼は謂う。
 しかし、以上の所説は、彼が大部分を引用しているスケープシス人デーメートリオスの所説と一致しない。なぜなら、後者が謂うには、セッレーエイス河があるのはテスプローティス地方ではなく、エーレイアのエピュラのそばにあるからであるが、これはわれわれが先に述べたとおりである云々

"170b".1
Schol. Il. N, 301:「エピュレー人」
 さて、今彼が言っているのは、テッサリアのいわゆるクラーンノン人のことだと、アポッロドーロスが記録している。

"170c".1
Schol. codicis Hamburgensis ad. Hom. Odyss. A, 259:「エピュレーのメルメロスが子イーッロスのもとから帰る途中」
 イアーソーンはメーデイアとともに、テスプローティアのエピュラに着き、ペレースをもうけた。その子がメルメロス。その子がイーッロスである。こういった者たちがテスプローティアを王支配した。そのように記録しているのが、アテーナイ人アポッロドーロス。

"170d".1
Eustath. ad Odyss. B, 328:
 あるいはまたエピュレーにちなむ。彼女は、メーデイアのおかげで、数多の薬草に精通した者となったと、アテーナイ人アポッロドーロスが記録している。

"171a".1
Suidas:KavlumnoV
 アイギュプトスの食べ物。KaluvmnioVの代用。ピラデルポスがカリュドナイから種子を輸入したからである。(しかし)アポッロドーロスは、カリュドナイはカリュバイ?のように言われると謂う。

"171b".1
Etymol. M:
 KavlumnoVハエジプトの食べ物。KaluvmnioVの代用。なぜならピラデルポスがカリュドナイから種子を輸入したからである。「諸島とカリュドナイ」、これらはカリュバイのようにカリュドナイと言われるとアポッロドーロスは謂う。

172.1
Strabo VIII〔6, 6〕:
 ここで、ヘッラス、ヘッレーネス、パンヘッレーネスについては意見が対立している……アポッロドーロスは、テッサリアの住民のみがヘッレーネスと呼ばれたと謂う。

ミュルミドネスとか、ヘッレーネスと呼ばれた (Il. B, 684)

 しかしながら、ヘーシオドスやアルキロコスは、全体がヘッレーネスともパンヘッレーネスとも言われていたことを既に知っていたという。前者は、プロイトスの娘たちについて、「パンヘッレーネスが彼女たちに求婚した」のように言い、後者は、「パンヘッレーネスの悲しみとしてわれらタソスに駈け集まった」のように。

173.1
Strabo VI〔1, 3〕:
 同じ地域の周辺にある古のクリミサもピロクテーテスの〔建設に成る〕。アポッロドーロスは『軍船について』の中で、ピロクテーテスに言及し、一部の人たちが言っていると謂う。つまり、クロトーン地方に到着して、クリミサ砦と、これより上に都市コーネーを建設し、これによって彼らはコーネス人と呼ばれた。そして彼の命により、一部の人たちはシケリアに出発し、トローイア人アイゲステスとともに、エリュクス一帯に城壁を築いた……

174.1
Schol. Apollonii III, 1090:
 テッサリアは、本来はハイモニアと呼ばれていた。他にも幾つもの名称を有する。ピュッロディアとも呼ばれたのは、デウカリオーンの妻ピュッラーにちなむ、[テッサリアは往古、ピュッラーと呼ばれていた]、とリアノスが。
 昔のピュッラー、往古の人たちがこれをそう呼んでいたのは、デウカリオーンの本来の配偶者ピュッラーにちなむ。
 ハイモニアーに改めたのは、ハイモーンにちなむ。この勇ましい息子を生んだのがペラスゴス。つまり彼がテッサリア人ハイモーンという子をもうけた。で、彼の国民はテッサリアにちなんで改名された。かれらは、ヘーラクレースの裔である父親テッサロスの子ペイディッポスに由来し、トローイ戦争後そう呼ばれたと謂い伝えられる。〔領土は〕4つの部分に分割された。ペラスギオーティス、テッサリオーティス、イオールキティス、プティオーティスである。以上のことは、アポッロドーロス『軍船目録』の中に展開されている。

175.1
Strabo VII〔7, 10〕:
 アポッロドーロスが謂うには、〔ドードーネーの〕神域のまわりの沼沢地(e{loi)にちなんでこのように〔ドードーネーのもとの名称ヘロピアと〕呼ばれていたと思われている。しかしながら、詩人は、神域のまわりの住民をヘロイではなくセロイと言っているのだと〔アポッロドーロスは〕推測しているのであって、傍証として、ある河をセレーエイスとも名づけていることを挙げる。確かに名づけている、次のように謂う場合に。

遙かなる地エピュレーから、セッレーエイス河の畔よりに (Il. B, 659)

 テスプロートイ人たちのところにあるエピュラではなく、エーリス人たちの内なるそれである。というのは、後者にはセッレーエイス河があるが、テスプロートイ人たちのところにはなく、モロッソイ人たちのところにもないのである。

"175a".1
Bekker. An.:
 ピュトドーロスは『字母について』の中で、デーロス人ピッリスは『カドモス以前の時代について』の中で、ダナオスがこれ〔sc. 文字〕を移入したと謂っている。アナクシマンドロス、ディオニューシオス、ヘカタイオスといったミーレートスの著作者たちも、これを証拠立てている。アポッロドーロスも『軍船目録』の中で彼らを挙げている。

"175b".1
Cramer. An. I:!AloV(Il. B, 682)
 テッサリアの都市。アポッロドーロスは、この都市は男性名詞で言われていると。

"t176-180".1
『トローイア勢の陣構え』
176.1
 同じ事柄〔アマゾーン女人族の根拠地〕について『トローイア勢の陣構え』の中で論じたアポッロドーロスについては、多くのことが先に述べられたが、今も言われるべきである。というのは、彼はハリゾーネス人たちをハリュス河より外側に受け取らねばならないとは思っていないからである。ハリュス川の対岸からトローイア勢に来援した例はひとつもないからである。
 さりとて、古人のこのような意見を、全員が一声を合わせて、ハリュス川の対岸からトローイア戦争を共有した者は誰もいないということもできない。むしろ反対の証拠をひとは見出すからである。実際、マイアンドリオスは、エネトイ人たちはレウコシュリア人たちの地から出陣して、トローイア勢と共闘した、と謂っている。
 またアポッロドーロス本人が、ゼーノドトスの詩行を引用している。それはこう書いている。

野生の半驢馬の産地と知られたるヘネタイの郷から (Il. B, 852)

 これを、ミーレートス人ヘカタイオスは、アミソスと受け取っていると〔アポッロドーロスは〕謂っている。アミソスとは、レウコシュリア人たちのもので、ハリュス河の外側にあるということは、述べられてきたところである。

177.1
Strabo XIV〔2, 28〕:
 また、詩人は次のように述べた。

次にまたナステースは鴃舌を使うカリア人らを引率してきたが、 (Il. B, 867)

 詩人はあれほど多くの非ギリシア系部族を知っていながら、なぜカリア族だけを「非ギリシア民のことば遣いの」といい、しかも、「非ギリシア民の」といった例はひとつとしてないのか。この点は理解できない。従って、トゥキューディデースのいい方も誤まりで、それによると「へラス人の総称をまだ欠いていたために、したがってまた、これと対比して異民族を区別する名称の必要もなかったので……、ホメーロスはパルパロイ(非ギリシア人)という言葉を使っていない」。しかし、「へラス人の総称をまだ欠いていた」という説については、当の詩人が誤りとして反論していて —

その方の誉れをひろくへルラスじゅう、中央アルゴスまで伝えるにつけ。

そしてまた —

さてまたへルラスじゅうや、中のアルゴスなど巡回されようとなら、

 また、カリア族が非ギリシア民と呼ばれていないのなら、「非ギリシア民のことば遣いの」という表現も適切であったはずがない。たしかに、この史家の説も当を得ていないが、この点では文法家アポッロドーロスの説も同断である。後者によると、ギリシア人は「非ギリシア民の」という言葉を一般的な意味で使いながら特にカリア族をののしるような意味あいを持たせようとしている。とりわけイオーニア人の使い方がその例で、これは、かれらが相手と敵対関係にあり、戦闘をつづけてきたため、相手を嫌っていることによる。以上のようなわけで「非ギリシア民」という名を使わざるをえなかった。

178.1
Idem XIV〔5, 22-29〕:
 なぜなら、アポッロドーロスは、『軍船について』の中で、さらに次のようなことを言っているからである。すなわち、彼が謂うには、アシアからトロイア勢への援軍すべてが、半島の住民であるとして、詩人によって列挙されているが、その半島の最も狭い地峡は、シノーペーに面した湾奥とイッソスとの中間である。〔これより西に当たる〕外側辺は、彼が謂うには、三角形状になるが、〔各辺は〕不等であり、その一辺はキリキア地方からケリドーニア諸島に伸び、もう一辺はそこから黒海入口に、もう一辺はそこから再びシノーペーに〔伸びる〕……
 以上のことを検討しながら、アポッロドーロスは謂う、ガラティア人たちは17番目の族民で、これはエポロスの時代よりも新しい……。
 しかしながらアポッロドーロスは以上のことは何ら顧慮せず、16の族民に17番目のガラティア人たちの族民を付け加えた。これは、他の点では有用だが、エポロスによって言われたり看過されたりしたことの検討には不必要なことである。そしてその理由は本人が述べているも同然である。これらすべてはあの人〔エポロス〕の時代より新しいというのだから。
 そして詩人の検討に移るのだが、彼が次のことを言っているのはただしい。すなわち、トロイア戦争以降、今日に至るまでに、非ギリシア系諸族の間にさまざまな変動が起きて、混住が非常に進んだというのは。というのも、幾つかの種族が付け加わり、消え去り、離散し、ひとつに結びついたからである。だが、詩人が幾つかの種族に言及していない所以を、その当時その族民によっていまだ居住されていなかったとか、別の種族に含まれていたとか、二つの根拠を挙げるのはよろしくない……
 さらに、次の点でもひとはアポッロドーロスを非難することができよう。つまり、後世の学者たちは、ホメーロスの諸表現のなかに、多くの箇所を改訂しているが、〔アポッロドーロスは〕これをさらに反駁するのが常であったにもかかわらず、上記の箇所については無視したばかりか、同様に言われていないために矛盾した箇所をひとつに結びつけたのである。
 例えば、リュディア人クサントスは謂う、トローイア戦争の後、プリュギア人たちはエウローペーのポントス左岸地域から到来し、これをベレキュンテースやアスカニアから率いたのがスカマンドリオスであったという。するとアポッロドーロスはこれに付言して、クサントスが言及しているこのアスカニアには、ホメーロスも言及しているとして、

さてもポリュキュスと、神にもまごうアスカニオスとは、プリュギア人たちを
アスカニアから引率せり。

 しかし、もしもそうなら、移住の方はトローイア戦争後に起きたのであろうが、……
 プリュギア人たちについては以上のように云いながら、ミュシア人たちについてもこれと一致しないことを〔アポッロドーロスは〕付け加えるのである。例えば、ミュシアにもアスカニアという村が、同名の湖のそばにあると言われていると彼は謂う。この湖からはアスカニオスという川も流れており、エウポリオーンもこれに言及している。

ミュシアなるアスカニオスの流れのほとりに

 アイトーリア人アレクサンドロスも、

そしてこの者たちはアスカニオスの流れの傍に住まいをも持っている、
あのアスカニアの湖水のほとりに。シレーノスと
メリエーの子ドリオーンはこの地に住んだ。

 彼〔アレクサンドロスが〕謂うには、ミレトゥポリスに向かうキュジコス一帯をドローニスとかミュシアと〔人々は〕呼ぶという。

179.1
Steph. Byz.:TevnedoV
 リュキア方面にテネドスという都市もある。しかしアポッロドーロスはこれはパムピュリアの都市だと謂う……アポッロドーロスは『目録』の中で、パムピュリアの住民はtenedei:V、島の住民はTenedivoiだと。

180.1
Schol. Il. N, 12,「トラーキアの、森にゆたかなサモスの」
 イオーニアのサモス人たちは、トローイア戦争の2009年後、ピュティアに坐す方〔アポッローン〕から、トローアスにあるトラーキアに移住すべしとの神託を受けた。彼らにちなんでサモトラーケーと命名された。この記録はアポッロドーロスの作品に。

"t181-185".1
『ソープロン論考』
181.1
Schol. Il. E, 576:
 ???

182.1
Athen. III〔89a〕:
 アテーナイ人アポッロドーロスは『ソープロン論考』の中で、「紫貝よりも強欲な」という句を持ち出して、これは諺だと謂い、さらに、ある人々がいうように、染料に由来すると言う。つまり、〔この染料は〕自分に触れるものは何でも自分の方に引きつけて、かたわらに置かれたものらに、自分の色の輝きを作りこむからだと。しかし他の人たちは、生き物に由来するという。

183.1
Idem lib. VII〔309c〕:
 kwbiovV〔ハゼ〕のことをkwvdwnと呼ぶのは、シケリア人たちだと、コロポーン人ニカンドロスが『用語解』の中で、またアポッロドーロスも『ソープロン論考』の中で。

184.1
Athenaeus VII〔281f〕:
 アテーナイ人アポッロドーロスは『ソープロン論考』(これは男たちのミモス劇を論じた本だ)の第3巻の中で、「ベラよりも淫らな」という句を取り上げてこう謂っている。
 「ベラという魚は、全体は黄色っぽいが、ところどころ紫ばんだところもある。この魚を捕まえると、二匹つるんで捕まるそうで、一匹がもう一匹の上になって、尻尾についてくるという。このように、一匹がもう一匹の尾についてくるところから、昔の人は、淫乱な人のことをベラと呼んだ」。

185.1
Schol. Aristoph. ad Vesp. 523:
 善き神霊のために灌奠すること。アポッロドーロスは、実際、(善き神霊の)酒盃を途中で再度満たすことを、『ソープロン論考』第4巻の中で明らかにしている。

"t186-188a.1
『エピカルモスについて』
186.1
Suidas:Kardiwvttein
 「心臓が痛い」意、シケリア人たちの言い廻し。われわれなら「がつがつした飢え(boulimia:n)
 アポッロドーロスは『エピカルモスについて』第6巻で、シケリア人たちは飢えで口ががくがくすることをKardiwvtteinと言うと謂う。これこそクセノポーンがboulimia:nと言うところのものである。

187.1
Athenaeus XIV〔648d〕:
 こういう、エピカルモスの偽作品を作ったのは、有名な人たちだったんですね。例えば、アリストクセノスが、『国制』という副題を持つ『市民法』第8巻の中で謂っているように、笛吹きのクリュソゴノスとか。またピロコロスは、『占いについて』の中で、アクシオピストス — 生まれはロクロス人にせよ、シキュオーン人にせよ — は『規則』とか『所見』を詩作したと謂っている。アポッロドーロスも同様に記録している。

"188a".1
Varro De LI. IV:
 〔未訳〕

"t188b-237".1
『語源について』
あるいは
『語源探究』
"188b".1
Varro De L. L. lib. VI, pr.:
 〔未訳〕

"188c".1
Ven. A. ad II. A, 244:「少しも大事にしないで(Oujde;n e[tisaV)」
 無をより多く取る……アリスタルコスは、無を引き寄せることだと言う。アポッロドーロスは『話しことば』の中で、充分なこと、何ひとつないことだと。

"188d".1
Idem ,Π, 95:「引き返してこい(pavlin tropavasqai)」
 ニキアースはpalinprovpavasqai1語に解する。アポッロドーロスは分離して。

"188e".1
Idem , W, 110:「誉れを与えるつもりだ(protiavptw)」
 アポッロドーロスは……前置詞をtで書く。

"t189-190".1
第1巻
189.1
Athenaeus XIV〔663a〕:「Kuvmbh
 ピレーモーンは『アッティカの語彙』の中で、kuvlixの1種だと。アポッロドーロスは『語源集』の中で、パポス人たちはこの酒盃をkuvmbaと呼ぶと。

190.1
Athenaeus XIV〔663c〕:
 ところでmattuvh〔料理の名前〕とは、アテーナイ人アポッロドーロスが『語源集』第1巻の中で謂うところでは、masa:sqai〔「噛む」〕に由来すること、mastivchや、とくにma:zaと同様と。しかしわれわれは、mavttein〔「形づくる」〕に由来すると謂う。

"t191-237".1
第2巻
191.1
Athenaeus II〔63d〕:
 アポッロドーロスが『語源集』第2巻の中で、蝸牛の中に「宴の妨げ(kwlusivdeipnoV)」と呼ばれるものがあると謂っている。

192.1
Apollonius Lexic. Homer.:「取り上げて(=AeivraV)」
 ……「差し出す(provsfere)」の代用。「酒などは決して持ってきてくださいますな(mhv moi oi\non a[eire))」(Il. 6. 264)。……そういうふうに述べられるのは、差し出す者が差し出される物を取り上げるからであり、取り上げること(ai[reion)が差し出すこと(prosfevrein)だからである。これに由来するからこそ、パン(a[rtoV)も名づけられたのだと、アポッロドーロスはそう謂う。

193.1
Idem ibid.:「小躍りした(!Atalle)」
 アポッロドーロスは「尾を振った(e[saine)」とか「跳びはねた(ejskivrta)」〔の意と解す〕。子ども(pai:V)から戯れる(paivzein)が派生するように、ajtalovVからajtavlleinが〔派生する〕。ajtalovnは、aJpalovnnhvpionと言われても、説得的でないことはない。

"194a".1
Idem ibid.:「Oijopovlw/(もの淋しいところに)」
 アポッロドーロスは、「羊たちのさまようところに(ejn w/| o[i&#lt;eV polou:ntai)」と〔解する〕。

"194b".1
Schol. Il. N, 473:Oijopovlw/(もの淋しいところに)」
 あるいは、oi[Vたち、つまり、羊たち(provbata)のさまようところに。なぜなら、さまよう(polei:n)とは、うろつく(ajnastrevfesqai)という意味だから。

195.1
Idem ibid.:「梳ってから(Pexamevnh)」(Il. X, 176)
 アピオーンは「髪をすいてから(kteniasamevnh)」と〔解す〕、アポッロドーロスも。また羊毛を梳くこと(xavnein)もpevkeinは意味する。keivreinも同じくpevxaiの意。povkoV〔粗い羊毛〕も。kataxavnasa〔の意〕も明らかである。

196.1
Idem ibid.:「大楯(SakespavloV)(Il. E, 126)
 アポッロドーロス。あるいは敵軍の楯(savkoVの複数)を振りまわして。

197.1
Erotianus:「Cevlwma
 cavlasma(気晴らし)のこと。アポッロドーロスが謂っている。

198.1
Zenobius Cent. II, 94:「Grau:V SevrifoV
 アポッロドーロスが謂うには、Serifiva grau:V〔Mantis religiosa(藁しべバッタ)をも意味する〕という一種の諺で、処女のまま老いたる女。

199.1
Athenaeus II〔66a〕:「豚の脳」
 ……アテーナイ人アポッロドーロスは、昔の人たち誰ひとりとして脳味噌を名指すことさえしていないと謂っている。確かにソポクレースも、『トラキスの女たち』の中で、ヘーラクレースがリカースを海に投げ落としたと詩作したが、脳味噌を名指すことはせず、「白い髄」といって、名指しされるべきでない言葉を避けている。

頭髪からは白い髄が滴り落ち、同時に
頭蓋は割れて血にまみれた。(781-782)

 その他のものらについては、あからさまに名指ししているにもかかわらずである。またエウリピデースも、アステュアナクスがヘッラス人たちによって投げ落とされたのを、ヘカベーが嘆くのを導入して、謂う。「可哀想な坊や……云々」(『トローイアの女たち』1173-77)。

200.1
Idem IV〔172f〕:
 アテーナイ人アポッロドーロスがデーロス人たちについて述べていることも、わたしは知らないわけではない。〔デーロス人たちは〕神事のために訪れる人たちに、料理人や給仕人を提供し、彼らの中にはその仕事から、マギス〔練り粉屋〕とかゴンギュロス〔丸め屋〕とかいう名前がついていた、と。

201.1
Idem XIV〔646a〕:「Kuribavna
 一種の平菓子名指してアルクマーンの作品にあるとアポッロドーロス。

202.1
Idem XIV〔646c〕:「Ywqiva別名Yaquvria
 アテーナイ人アポッロドーロスは、またテオドーロスも『アッティカ弁』の中で、ywqivaはパンのちぎられたものが呼ばれると。ajttaravgoiと名指しするところのものである。

203.1
Schol. Aristoph. Plut. 535:「火傷の火脹れ(Fw/:deV)」
 ……アポッロドーロスは、火とか冷たさにによる赤らみ、あるいは、はれ、火による水ぶくれ〔と解す〕。貧乏人たちが手仕事をするためにこれにかかる時のように。

204.1
Schol. Apollonii III, 281:「四方に鋭い眼をくばりつつ(=Oxeva dendivllwn)」
 「鋭くあたりを見まわしつつ、そして、眼で自分に頷きつつ??」の代用。ホメーロスは〔眼を〕方向転換する」の代わりに、この言い廻しを置いた。顔の方向転換に傾きつつ眼で頷くこと。アポッロドーロスも同様。

205.1〔237eに同じ〕
Schol. Il. A, 148:「上目に(+Ypovdra)」
 副詞。これはどこから派生するのか。アポッロドーロスは2語から派生すると言い、ヘーローディアノスは1語と〔言う〕。

"206a".1
Schol. Ven. ad Il. Z, 97:「かの荒くれた槍の使い手、潰走をもたらす剛の者を(a[grion, aijcmhth;n kratero;n, mnhvstwra fovboio)」
 

"206b".1
Idem ad Q, 221 ad verba 「外袍をがっしりとした手にたずさえて(fa:roV e[cwn ejn ceiri; paceivh)」
 いったい何を意味しているのか。アポッロドーロスは、くるんで手に持ったと〔解している〕。

207.1
Schol. Nicandri Alexiph. 393:
 strovmboVとは、昔の人たちが巻き貝の貝殻と言ったもので、ラッパの代わりに使った。アポッロドーロスも『ホメーロスの書』の中で、そのように云った。「独楽のように〔打って〕ゆすぶり」〔Il. 14. 413〕。

208.1
Hesych.:!AgoV to;n ajgkw:na
 アポッロドーロスは、腕の中の一部だと。

209.1
Idem:+Alivploa
 海を舟で渡る者と、アポッロドーロスが。

210.1
Idem :PariambivdeV
 アポッロドーロスがイアムボス詩の作品で、竪琴弾きの歌い手たちが歌う歌曲が作られたと謂う。

211.1
Etymol.:=Alavstwr
 ……アポッロドーロスによれば、ajlitei:nに由来し、これは仮借なく(ajlitaneuvtwV)不正することだという。

"211a".1
Bekk. An.:=Ergodotw:n
 習慣によってのように。アポッロドーロスが。

"211b".1
Idem :!Aflasta〔船尾の飾り〕
 ajkrostovlia〔複数形〕。アポッロドーロス。

212.1
Idem :=AsalhvV
 無思慮な女、何の思慮もない女。Savlhは思慮〔という意味〕だからである。ajsalhvVは不注意なひと。アイスキュロスは、思慮を欠いた狂気(ajsalh;V maniva)。そういうふうにヘーロディアノスとアポッロドーロス。というのも、ソープローンは、不注意(ajmerimniva)や無思量(ajlogistiva)をajsalevaと呼ぶから。

213.1
Idem :DaththvV
 ……アポッロドーロスはsで謂う。daivwからdastovVが派生、動詞はdastw:。完了はdedavsthtai、sを欠いて、dedavthtai。これから名詞dathtvVpepoivhtai〔「作る」の完了〕、poihthvV〔名詞「詩人」〕、diaireth:reV〔名詞「宴客」の複数〕、meristaiv〔「分配者」複数〕のごとく。

214.1
Idem :+ElinovV
 葡萄樹と、アポッロドーロスが。

215.1
Idem :KerameuvV〔陶工〕
 kevramoV〔陶土〕から派生。これはe[raからe[ramoVkevramoVが派生。アポッロドーロスは、焼かれた土(kekaumevnh gh:)をe[raと謂う。

216.1
Idem :Kefalhv
 ……これは、アポッロドーロスによれば、一種のkalufhv〔水没地〕であり、脳味噌はkaluvptein〔隠れる〕とskevpein〔覆う〕から派生。

217.1
Idem :Kinurhv
 ojdurtikhv。普通には、咆える際に尻尾を動かせることから、牛のために悲しむこと(kinuvresqai)と述べられている。さらにアピオーンも、この語源をアポッロドーロスの作品に発見して、牡牛が尻尾を伸ばすことに由来すると言われ、語源の発見を換えたと謂う。

218.1
Etym :Kovrsh
 頭のこと。アポッロドーロスによれば、korufou:sqai〔頭をもたげる〕から。

219.1
Idem :Krh:teV
 アポッロドーロスは、この島のあたりの大気はよく悲鳴をあげたこと(eu\ kekra:sqai)に由来すると。

220.1
Idem :Krovtafoi〔こめかみ〕
 ……アポッロドーロスによれば、両方からいっしょに叩いた(sugkekrovthntai)からと。

221.1
Idem :=Orsoquvrh
 ……アポッロドーロスが謂うには、一部の人たちによってojrsorovka〔対格〕と言われ、これを通して水がほとばしるもの。

222.1
Idem :=OsfuvV
 ……アポッロドーロスによれば、一種のojstofuhvVのようなもの。すなわち、ojstwvdhV〔骨質〕。

223.1
Idem :Pwvgwn〔髭〕
 アポッロドーロスによれば、年齢の定まった徴。

224.1
Idem :+RavciV
 アポッロドーロスによれば、rJh:xiVであり、左側から右部分を判別することに由来。???

225.1
Idem :#Wta
 アポッロドーロスは、o[ssa〔噂〕を受け取ることに由来。

226.1
Photius Lexicon:Mevlasma
 頭の染み。アポッロドーロス。

227.1
Idem :Pelikavn
 ボイオーティア人たちが白い板を〔そう呼んだ〕のは、斧で伐られたことから。アポッロドーロスは、杯の一種と。

228.1
Idem :SkiagravfoV
 今の背景画家(skhnogravfoV)のこと。そう、アポッロドーロスが。

"229a".1
Suidas :KuvboV
 立方体。KuvboVは、ぐるりに底面を持ったもの。アポッロドーロスによれば、kufovthV〔球状〕に由来すると。なぜなら、頭部が取り囲まれていることを、kubisth:sai〔転がる〕と言われるのがならいだから。エピグラム詩にも、

我は知れり、わが頭の上に
いつもあらゆる賽を投げていることを。

"229b".1
Etymol. M. :KuvboV
 ぐるりに底面を持ったもの、立方体の投票石。アポッロドーロスによれば、kufovthV〔球状〕に由来する。なぜなら、頭部が取り囲まれていることを、kubisth:sai〔転がる〕と言われるのがならいだから。kubista/:nは、逆さまになって跳ぶこと(ejpi; kefalh:V phd/:n)〔とんぼがえりを打つこと〕である。なぜなら、頭はkuvbhと言われるのがならいだから。kuvptw〔わたしは隠す(現在・1人称・単数)〕kuvyw〔未来・1人称・単数〕からkuvboVができた。これからkubisthvVkubisthvr〔宙返りする者=軽業師〕ができた。kolumbhthvV〔水に潜る人〕ということである。

230.1
Suidas :Larinoi; boveV〔脂ののった牛〕
 ……アポッロドーロスはまた、栄養がよい者たちのことをlarinoivと。Larineuveinsiteuveinだから。

231.1
Idem :+Ravxai
 katabalei:n〔打ちおろすこと〕の代わり。アポッロドーロスがそういうふうに。

232.1
Idem :Frou:doV
 pro; oJdou:、立ち去ってしまった者、出郷者(e[kdhmoV)のように。アポッロドーロスが。「Frou:doVとは、道の前にある者」と彼は謂う、「あるいは、すでに外にいる者」。

233.1
Eustath. Il. E:
 一部の人たちが、エニューオー(=Enuwv)のuを有気音として発音することも。よりよいのは、気息音化しないことだと彼は謂う……あるいは、アポッロドーロスによれば、ejnauveinに由来するからこそ、そう発音することである。

234.1
Idem Il. I, 147:[望みの姫をペーレウスの館に率いて行かせよう。その上わたしは祝いの引き出をどっさりとな、付けてやろう(Fivlhn ajnavednon ajgevsqw Pro;V oi\kon Phlh:oV` ejgw; d= ejpi; meivlia dwvsw)]
 さらにまた知るべきは、アリスタルコスは、ejpifevrnia〔嫁資〕同様、ejpimeivliaという1語の部分だと解したことである。しかしアポッロドーロスは、分割して言う。「引き出物を渡そう(elpidwvsw meivlia)」。すぐ下でも引用するように。「これまで人が娘に持たせたことがないほどの」〔Il. 9. 148〕。

235.1
Idem Odyss. :
 

236.1
Idem Odyss. L, 579:「腹膜(Devrtron)」
 アポッロドーロスによれば、腹のあたりの大網膜のことで、これをあの人は輝く脂(ajrgh;V dhmovV)〔Il. 11. 818,; 21. 127〕とも呼ぶ。

237.1
Idem Odyss. M, 22:
 「二度死ぬ(disqaneveV)という語に2つの部分をアポッロドーロスは認めて言う、二度とか三度とかいう語は、結合する際にシグマを棄てる。例えば、divpouVtrivpouV。だから、diqaneveVもそうすべきであった。しかしアポッロドーロスの言葉は、数をかぞえるときは別と考えるべきである。というのは、discilivoi〔2000〕やtriscilivoi〔3000〕をわれわれはシグマを付けて謂うからである。彼自身はまさしくそうしている。

"237a".1
Herodian, Peri mon. lex.:
 

"237b".1
Apollon. gramm. De pronom.:
 アテーナイ人アポッロドーロスも、トラーキア人ディオニューシオスも、指示的つなぎ言葉(a[rqra deiktikav)をも代名詞(ajntwnumiva)と呼んだ。

"237c".1
Cramer. Anecd. Oxon. II :QeovV
 観ること(qei:n)から派生という。ある人たちは、太陽と月との輝きゆえに観られることのもとから派生という。

"237d".1
Idem An Ox. I(Epimer. Hom):「風の(=Anevmoio)〔Il. Z, 346〕
 ことば(rJh:ma)に由来する固有名詞。アポッロドーロスはajnuveinから派生という。詩人はajei:nからという。

"237e".1
Idem ib. I :+Upovdra〔Il. A, 143(8?)〕
 この副詞はどこからできたのか? アポッロドーロスは2語から派生と言い、ヘーロディアノスは前置詞からそういうふうに1語から派生という。hjremw:からhjrevmaが派生し、sigw:からsivgaが派生したように、oJrw:からもo{raが派生し、uJpo; 〔という前置詞〕によってuJpovraができ、dという余分語の使用でuJpovdrauJfpra:sqai〔上目遣いに見る〕という意味である。他の仕方でも〔説明される〕。drw:という語があり、blevpwを意味し、これからdravsiVdra:maも派生する。だから、drw:からdra:が生じ、uJpovを付けてuJpovdraつまりuJpoblevpeindrapevthV〔逃亡者〕???。しかしヘーローディアノスが言うには、uJpodravxから生じる云々

"237f".1
Idem ib. I :
 ???

"t238a-242"
『アテーナイの遊女たちについて(Peri; tw:n =Aqhvnhsin eJtairw:n)』
"238a".1
Athenaeusu XIII〔567a〕:
 ところが君ときたら、おお、ソフィスト君、男友達ではなく、女友だちを引き連れて居酒屋に入りびたりで、たらしこまれた女たちを身の回りに少なからず連れて、この手の本をいつもたずさえている。〔ビュザンティオーンの〕アリストパネースや、アポッロドーロスや、アムモーニオスや、アンティパネースや、さらにはアテーナイ人ゴルギアスや、そういった、アテーナイの遊女たちについて著したあらゆる連中の本をな。

"238b".1
Idem XIII〔583d〕:
 というのは、われわれの美しきアテーナイは、かくも多くの遊女を産した。……実際、ビュザンティオーンのアリストパネースは、100と35人を、アポッロドーロスもその大多数を数えあげた。

239.1
Athen. XIII〔586a〕:
 パノストラテーについては、アポッロドーロスが『アテーナイの遊女たちについて』の中で謂っている、「虱門」と呼ばれていた、その所以は、門口に立って虱を捕っていたからだ、と。……この遊女たちの綽名はカタクチイワシ。これについて先に挙げたアポッロドーロスは謂う。スタゴニオンとアンティスは姉妹で、彼女らがカタクチイワシと呼ばれたのは、白くもあり、痩せてもいるのに、眼が大きかったからであると。

240.1
Harpoctration:「Fanostravth
 ……アポッロドーロスが『アテーナイの遊女たちについて』の中で、この遊女が「虱門」と名づけられたのは、門口に立って虱を捕っていたからだと謂っている。

241.1
Idem:「Navnnion
 アポッロドーロスは『遊女たちについて』の中で、この遊女が牝山羊と言われたのは、贈り物(Qallovn)で小売り商人を喰らったからだと謂っている。というのは、山羊が若芽(qallovV)を喜ぶことは、ソポクレースも『牧人たち』で云々

242.1
Athen. XIII〔591a〕:
 アポッロドーロスは『遊女たちについて』の中で、プリュネーは二人いたと数えあげている。そのひとりは「泣き笑いちゃん」、もうひとりは「サペルデス〔魚の名〕ちゃん」と綽名されていたと。

"242a".1
Athenaeus XIV〔636f〕:
 アポッロドーロスは、アリストクレース宛て書簡の中に返書している。
 「現在」と彼は謂う、「われわれが竪琴(yalthvrion)と呼んでいるもの、これはmavgadiVのことである。他方、kleyivamboVと呼ばれていたもの、さらにはtrivgwnoV〔三角琴〕とかe[lumoVejnneavcordon〔九弦琴〕とか、さらに曖昧なものらは、使用に供されなくなった」。

"t243-247".1
『酒和え瓶について』
あるいは
『酒盃について』

"243a".1
Athenaeus XI〔501a〕:
 ディオニューシオスの弟子パルテニオスは、amphithetosなピアレー〔Il. 23.270〕を、脚がついていないピアレーと聞く。しかしアテーナイ人アポッロドーロスは、『酒和え瓶について』という小篇の中で、立てたり支えたりすることができないで、口で立てるピアレーだと。

"243b".1
Eustath. ad Il. Y, 616:
 アポッロドーロスは、amphithetosなピアレーとは、脚ではなく、口だけで支えることのできるピアレーだと言っている、と謂われている。

244.1
Athenaeusu XI〔479a〕:「Kotuvlh
 ……アポッロドーロスは、〔コテュレーとは〕背が高くて窪みのある盃だ、と。

245.1
Athenaeusu XI〔483a〕:
 アポッロドーロスは、パポス人たちのところでは、kuvmbaと呼ばれる酒盃だと。

246.1
Athen. XI〔485d〕:「LepasthvV
 ……アメリアス、オイノコエーがレパステースと呼ばれると謂う。アリストパネースとアポッロドーロスは、キュリクススの一種だと。

247.1
Athen. XI〔497f〕:「SeleukivV
 この杯がセレウコス王に由来して名称をもっていることは、先に述べられた。これはアテーナイ人アポッロドーロスも記録しているので。

End.
2012.12.05. 一応、訳了。


forward.GIFディオニューシオス・スキュートブラキオーン