トラギロスのアスクレーピアデース

 トラギロスの出身(前4世紀)。
 悲劇の中で語られるギリシア神話の説明を『悲劇概要(ta; tragw/douvmena)』(FGrH 12)6巻に著した。初期の神話編纂家たち(例えば、アクーシラーオスやペレキュデース)のように、叙事詩や抒情詩のそれに基づいている。彼はアポッロドーロスの典拠になっているが、われわれに知られているのは、主として古註、とくにホメーロスのそれによってである。テオポムポスやエポロスのように、彼はイソクラテースの弟子であり([Plut.]X orat. 837c)、師から比較的優雅で循環的な文体とともに、通観的、伝統的構想を受け継いだ。(OCD)

feather.gif


断片集(Fragmenta)

"t1-28".1
『悲劇概要(ta; tragw/douvmena)』
"t1-29"."t"
第1巻から
"t1-29".1

Probus ad Virgil. Georg. III, 255:
 〔未訳〕

t1-2"."t"
第2巻から
"t1-2".1
Schol. Apoll. Rh. II, 562:「鳩を放てり」
 ノバト(peleiavV)によって、アルゴナウテースたちがシュムプレーガデス岩〔「打ち合う岩」の意〕を試したということは、アスクレーピアデースも『悲劇概要』の第2巻に記録している。

"t1-2".1
Ib. II, 328:
 ノバト(peleiavV)とは、鳩の1種だと、アリストテレースもそう謂っている〔『動物誌』544b〕。また、航行せんとして鳩を用いたことは、アスクレーピアデースも『悲劇概要』の中で謂っている。

3.1
Schol. in Hom. Odyss. μ〔XII〕, 69:
 サルモーネウスの娘テューローは、ポセイドーンから二人の子をもうけた。ネーレウスとペリアースである。クレーテウスと結婚し、彼から3人の子をもうけた。アイソーンとペレースとアミュターオーンである。アイソーンとポリュメーラーから生まれたのが、ヘーシオドスによれば、イアソーン、ペレキュデースによれば、母はアルキメデーである。しかしこれ〔アイソーン〕が命終するとき、子どもの後見人として残したのが、兄弟のペリアースで、これに王位をも手渡したのは、息子が成長したあかつきに引き継ぐためである。しかしイアソーンの母アルキメーデーは恐れて、ケンタウロスのケイローンに養ってもらうべく、彼を与えた。かくて養われ、若者となって、父祖伝来の支配権をペリアースに要求するため、イオールコスに赴いた。しかし後者〔ペリアース〕は、その前に彼はコルキス人たちのところから黄金の毛皮を持ってきて、火を吐く牡牛を亡き者にしなければならないと主張した。そこで、これを聞いたイアソーンは、ケイローンに言った。するとケイローンは未婚の青年たちを彼といっしょに送り出した。一方アテーナーはアルゴー号をこしらえた。かくて航行者たちは、ビテュニア人たちの土地に到着した。そして、ピーネウスが次の理由で身体障害者なのを目にした。すなわち、彼はボレアースの娘クレオパトラーから子どもたちをもうけたが、エウリュティアを後妻にし、この継母によって仲違いさせられた彼らを亡き者にした。そこでゼウスは立腹して、死ぬか盲目になるかどちらを望むかと彼に言った。彼は太陽を見ないことを選んだ。そこでヘーリオスが怒って、彼にハルピュイアたちをけしかけた。彼女らは、彼が食事をしようとしようものなら、腐敗のようなものを投げこんでかっさらうのだった。さて、このピーネウスを見て、イアソーン一行は、いかにして、いわゆるプランクタイ岩〔「漂う岩」の意〕を船で通り抜けたらよいか教えてくれるよう頼んだ。すると彼が云った、ハルピュイアたちが自分に襲いかかるのを追い払ってくれたら、と。そこで取り決めをして、そうすることを彼に約束した。そこで彼は彼らに言った、アルゴー号はどれくらいの速度を出すことができるか、と。すると、ノバトぐらいと謂うと、岩が合わさったとき、鳩を放つよう彼は命じた。〔鳩が〕途中でやめたら、航行してはならない、だが無事〔通り抜け〕たら、そのとき航行を試みよ、と。そこで彼らはこれを聞いて、実行し、鳩が尾〔羽根〕を掴まえられた間に、2つのシュムプレーガデス岩はアルゴー号に突進し合わさって、船の****閉じたが、自分たちは無事であった。他方、ボレアースの子ゼーテースとカライスは、食事するピーネウスからハルピュイアたちを追い払った。じつにこういう次第で、彼らはコルキス人たちの所にたどりついた。この記録は、アスクレーピデース〔の作品〕にある。

4.1
Schol. Apoll. Rhod. II, 178:「アゲーノールの裔」
 すなわち、〔ピーネウスが〕アゲーノールの子だとは、ヘッラニコスが。ヘーシオドスが謂うところでは、アゲーノールの子ポイニクスと、カッシエペイアとの〔子〕。アスクレーピアデースもアンティマコスもペレキュデースも同様に謂っている。というのは、アラボスの娘カッシエペイアからポイニクスに生まれたのは、キリクス、ピーネウス、ドリュクロスであるから。他方、アテュムニオスは、添え名の上では、彼もポイニクスの〔子〕であるが、真実にはゼウスの〔子〕である。しかし一部の人たちは、彼[ピーネウス]はパプラゴニアで王支配したと記録している。〔パプラゴニア〕はアシアに属すると、ヘッラニコスは謂っている。

5."t"
第3巻から
5.1
Schol. Pindar. Pyth. II, 39:
 アスクレーピアデースは『悲劇概要』第3巻に次のように書いている。
 「一部の人たちが付け加えているところでは、ペレキュデースもそうだが、イクシーオーンは実際に気がふれ、彼に対する車輪の上で懲罰をも象徴的に解釈している。というのは、彼は渦巻きと旋回によって引っさらわれて御陀仏になったと言い伝えられているから」。

6."t"
第4巻から
6.1
Harpocratio:「デュサウレース」
 ……アスクレーピアデースは『悲劇概要』第4巻の中で、デュサウレースは土地生え抜きの者だが、バウボーといっしょに住み、プロートノエーとニーサス(ミーサス?)という子たちを得た、と謂っている。

7."t"
第6巻から
7.1
Suidas:「レーシアルコス」
 彼は、エピカルモスの作品において、神の言葉(ta; qevsfata)を述べる者である。言い伝えを述べていたのか、あるいは、アスクレーピアデースが『悲劇概要』第6巻においてのように、彼は真理を云うに最善の者であった。さらに別人もいた。

"8a".1
Schol. Pindar. Pyth. IV, 313:
 アスクレーピアデースが『悲劇概要』第6巻の中に記録している、アポッローンとカッリオペーとの間に〔生まれた子が〕、ヒュメアイオス、イアレモス、オルペウス。

"8b".1
Schol. Apoll. Rh. I, 23:
 オルペウスであるが、アスクレーピアデースによれば、アポッローンとカッリオペーとの子、一部の人たちによれば、オイアグロスとポリュームニアーとの子である。

"8c".1
Schol. Vatican. Eurip. Rhes. 892:
 アスクレーピアデースも『悲劇概要』第6巻の中で、カッリオペーには、とても多くの子どもたちがいると、以下の箇所で言う。
 「すなわち、カッリオペーと交わってアポッローンがもうけたと言い伝えられているのは、最年長のリノス、これに次いで3人 — ヒュメナイオス、イアメノス、オルペウス。最年少者には、……善学の欲望が見舞い、音楽について……万人の……。むろん、こういった情熱が……生じることはない」。

"t9-28".1
不確定の巻から
9.1
Schol. Pindar. Nem. VII, 62:
 アスクレーピアデースは『悲劇概要』を通して次のように謂っている。
 ところで、この死者(sc. ネオプトレモス)については、ほとんどすべての詩作者たちが一致している。つまり、彼はマカイレウスによって命終し、最初は神殿の閾の下に埋葬されたが、その後、メネラーオスがやって来て取り上げて、神域に葬ったと」。
 マカイレウスはダイタースの息子であると彼は謂っている。

10.1
Harpoctation: Melanivppeion〔メラニッポス廟〕
 リュクールゴスが『リュコプローン反駁』の中で。テーセウスの子メラニッポスの英雄廟であると、アスクレーピアデースが『悲劇概要』の中で謂っている。

11.1
Schol. Hom. Il. γ〔III〕, 325:
 ポリュプリオスが謂う、『悲劇概要』を書いた人が、パリスを育てたのは、牧夫アルキアロスだと記録している、と。

12.1
Schol. Il. ζ〔VI〕, 155:「ベッレロポンテースを」
 この人物は、もとはヒッポノオスと呼ばれていた。しかし、コリントス人たちの権力者ベッレロスを亡き者にしたので、ベッレロポンテース〔「ベッレロス殺し〕と呼ばれるようになった。自然本来はポセイドーンの子であるが、添え名の上ではグラウコスの子である。そして、ポセイドーンから、ゴルゴーンの一人メドゥーサから生まれた有翼の馬ペーガソス(だからこそ、その命名をも得た、ゴルゴーンの頚から跳び出た(ejkphdavw)からである)をもらい、これに騎乗した。しかし、同族殺人をしでかしたので、つまり、同市民たちの中のベッレロスなる者を殺害したので、アルゴスに逃れた。で、プロイトス王から浄めに与り、彼とともに暮らした。しかし、プロイトスの妻アンテイアがベッレロポンテースに恋し、自分と同衾することを求めた。しかし彼は神法にかなうことを尊重して拒絶した。するとアンテイアは、自分恋情をプロイトスに先を越して言いつけるのではないかと恐れて、先にベッレロポンテースを讒訴した、彼に暴行されたというふうに。しかしプロイトスは自分手でベッレロポンテースを殺すことを望まず、リュキアへ、義父イオバテースのもとへ彼を送った。自分を敵視する手紙を運んでいるとは思っていない彼を。彼〔イオバテース〕は、彼が御陀仏にされようとしていると分からぬよう、彼を数々の闘技の練習台にしたが、   。なぜなら、諸々の災悪のこれほどの大群を力で打ち負かしたからである。そこで彼を自分の娘カサンドラーと結婚させ、王国の相当な部分を与えた。しかし彼は、自分の為し遂げた事績に高慢となり、ペーガソスを連れて天を窺おうとしたと言われている。なぜなら、われわれが言い伝えてきたように、この馬は背に翼を持っていたからである。だがゼウスが怒って、ペーガソスに激情を投げこんだため、ベッレロポンテースは転落し、リュキアの平野、自分にちなんでアレーイオンと呼ばれる平野に墜落して、障害者となってその地をさまよい、馬の方は、ゼウスに頼まれてエーオースが贈り物としてもらい、宇宙の周囲を倦まず周回することになった。この記録は、アスクレーピアデースの作品『悲劇概要』の中にある。

13.1
Schol. Ven. Hom. Il. η〔VIII〕, 467:
 レームノス人たちは、仕来りから、アプロディーテーに供儀を捧げず、自分たちに対して死罪を立法した。なぜなら、女神が怒って、男たちには、トラーキアの女たちに対する一種の渇望をうえこみ、自分たちの女たちは無視して、おとなしくしていたと言われる。かくして、〔レームノスの男たちは〕トラーキアに渡り、そこの女たちを称えて交わりを結んだ。対して、レームノスの女たちには、奇妙な狂気に陥らせた結果、あらゆる男たちを殺し、この企てを得損なってはならぬということを票決するにいたった。かくて、男たちに関してこの不幸が生じたときに、イアーソーンがアルゴー号で上陸し、女たちの中で最も強力なヒュプシピュレーと交わったと言われている。彼女から生まれたのがエウネオースだと言い伝えられている。この記録は、アスクレーピアデースの作品『悲劇概要』の中にある。

14.1
Schol. Hesiod. Theog. 223:
 アスクレーピアデースが『悲劇概要』の中で謂うには、ゼウスは犬に変身してネメシスと交わったという。

15.1
Schol. Venet. ad Eurio. Orest. 1640:
 アスクレーピアデースは記録している、彼(オレステース)はヘビに咬まれて、かしこ(アルカディア)で命終した、と。

16.1
Schol. Eurip. Alc. 1:
 アドメートスのもとでのアポッローンの賃働きに関する人口に膾炙している通俗的な記録がこれである。今、エウリピデースはこれを利用している。さらに、ヘーシオドスも、アスクレーピアデースも『悲劇概要』の中で、同様に謂っている。

17.1
Apollodor. II, 1, 3, 3:「普観者(panovpthV)アルゴスを」
 アスクレーピアデースは、〔アルゴスを〕アレーストールの〔子だ〕と言い、ペレキュデースは、イーナコスの〔子だと言いい〕、ケルコープスは、アルゴスと、アソーポス河神の娘イスメーネーとの〔間に生まれた子〕、しかしアクーシラーオスは、彼は土から生まれた、と言う。

18.1
Idem III, 7, 1:「ミーノースは……」
 アスクレーピアデースの謂うところでは、ヘーリオスとペルセーイスとの娘パーシパエーを娶り、アステリオスの娘クレーテーを〔娶って〕、子どもたちとしてはカトレウスを生んだ云々。?

"19a".1
Schol. Apoll. Rh. I, 156:
 ネーレウスがもうけた子どもたちは、クローリスからは、ネストール、ペリクリュメノス、クロミオス。違った女たちからは、タウロス、アステリオス、ピュラオーン、デーイマコス、エウリュビオス、エピレオーン、アンティメネー、エウアゴラス、だがアスクレーピアデースの謂うところでは、アラストールも。

"19b".1
Hyginus Poet. Astoron. c. 21, de Hyadibus:
 〔未訳〕

20.1
Schol. Homer. Odyss. λ〔XI〕, 582:
 ゼウスとプルートーとの〔子〕タンタロスは、神々とともに過ごし、彼らとともに食事していたが、不満足な気持ちでいた。それで、ネクタルとアムブロシアーを盗んで、自分には必要ないので、同輩たちに与えた。このことで怒ったゼウスは、彼を天上の生活から追放して、両手を縛りあげ、高い山の上に吊した。シピュロス山(ここに彼は葬られた)は、育ったところでもあるという。この記録はアスクレーピアデース〔の作品〕にある。

"21a".1
Schol. Eurip. Phoen. 45:
 アスクレーピアデースが言うところでは、テーバイ人たちが総会のたびごとに集まったのは、スピンクスの難題のためであった。すなわち、彼らに神託があったからである。スピンクスの託宣を解かないうちは、災悪からの解放はなく、もし集まらないときは、市民たちのうち何びとであれ、〔スピンクスが〕望む者を彼女が掠うであろう、という。

"21b".1
Athenaeus X〔456b〕:
 スピンクスの謎については、アスクレーピアデースが『悲劇概要』の中で、次のようなものだと謂っている。

この地上に、二本足にして四本足にして三本足にして、
声はただ一つなるものあり。地上空中はたまた水中に
生きとし生けるもののうち、ただひとり本性を変ず。
さりながら、四本足にて行くときは、四肢の力弱くして、
二本足、三本足のときに比ぶれば、歩みは遅し。(柳沼重剛訳)

22.1
Schol. Hom. Od. λ〔XI〕, 269:
 (sc. メガラーは)ヘーラクレースに娶られて、テーリオマコスとクレオンティアデースという子どもたちをもうけた。しかし彼〔ヘーラクレース〕が、犬〔ケルベロス〕との闘技のために冥府に押しかけたとき、テーバイ人たちの王リュコスが、ヘーラーに口説かれて、ヘーラクレースの子どもたちに花冠を冠したのは、犠牲にするためだった。というのは、彼が還ってくるとは思わなかったからである。ところがヘーラクレースはやって来て、彼とその子どもたちを亡き者にした。しかし、ヘーラーのために気がふれ、自分の〔子どもたち〕を殺害した。さらに、兄弟のイーピクレースをさえ、アテーナーがとめなければ、〔殺害〕しようとした。この記録はアスクレーピアデース〔の作品〕にある。

23.1
Schol. Homer. Odyss. λ〔XI〕, 326:
 イオクレースの子アムピアラーオスは、タラオスの娘エリピューレーを娶ったが、あることが原因でアドラストスと仲違いし、再び仲直りするとき、自分とアドラストスがお互いに仲違いの基となる事柄については、エリピューレーが裁定に委ね、彼女に従うという誓約に同意した。その後、テーバイ攻めが行われたとき、アムピアラーオスはアルゴス人たちを離反させ、来たるべき破滅を予見した。しかし、エリピューレーが、ポリュネイケースからハルモニアーの首飾りを受け取り、アムピアラーオスが自分たちといっしょに出兵するよう強要するアドラストス一統の側に味方した。アムピアラーオスは、贈り物の受け取りを目にして、エリピューレーをさんざんになじったものの、みずからは出征に進発し、アルクマイオーンには、母親を殺すまでは、子孫ともどもテーバイ攻めに進軍してはならぬと下命した。そこで、これらすべてをアルクマイオーンは果たしたが、母親殺しのために気がふれたと言われている。しかし神々が彼の病気を治してやったのは、神法にかなって父親を助けて母親を殺戮したからである。この記録はアスクレーピアデース〔の作品〕にある。

24.1
Schol. Homer. Odyss. λ〔XI〕, 321:
 アイゲウスの子テーセウスは、アマゾ−ン女人族のアンティオペーからヒッポリュトスという子を得たのち、クレーテー人たちの王ミーノースの娘パイドラーを娶った。しかし継母のたくらみを用心して、息子ヒッポリュトスを、アテーナイからトロイゼーン支配に派遣した。というのは、彼には、ピッテウスの娘アイトラーを介して、そこでの一種の母系支配権があったからである。しかしパイドラーは、ヒッポリュトスに対する恋情に陥り、彼に恋い焦がれて、初めはアプロディーテーの神殿をアテーナイに建てた。現在、ヒッポリュテイオンと呼ばれているものである。しまいにはトロイゼーンにやって来て、自分と交わるよう若者を口説こうと思いつめたが、彼はその言葉〔手紙〕を受け取って腹を立てたので、彼女は科が自分に跳ね返ることを恐れ、テーセウスに対して、ヒッポリュトスが自分を口説いたといって離間させたと言われている。ところで彼〔テーセウス〕は、言い伝えでは、ポセイドーンから、何でも祈ればかなえてやると同意された3つの祈りが与えられていたので、パイドラーを信じて、その〔祈願の〕うちの一つで、わが子の破滅を彼〔ポセイドーン〕に要請した。そこで、あの者〔ヒッポリュトス〕の方は、戦車競技の練習をしているとき、突然、海から牡牛が出現し、馬たちが惑乱したため、彼が引きずられて死ぬことに同意した。また、パイドラーの方は、讒訴が発覚したので、縊死したという。この記録はアスクレーピアデース〔の作品〕にある。

"25a".1
Schol. Eurip. Hecub. 1273:「哀れな犬の墓というのだ、船乗りたちの目印になる」
 犬の墓について、アスクレーピアデースも謂っている、不仕合わせな犬の墓と〔人々は〕呼んでいる、と。

"25b".1
Tzetzes Lyc. 315:
 ヘカベーのことをスキューラクス〔「犬ころ」〕と(リュコプローンが)言うのは、エウリピデースが神話めかして謂うように、犬になったからである。「火のような皮を持った犬になった」。アスクレーピアデースも、彼女が亡くなった場所について、「そこには不仕合わせな犬の墓もある」。

26.1
Schol. Homer. Od. κ〔X〕, 2:
 つまり、アイオロス〔という名の人物〕は3人いた、第1はヘッレーンの子、第2はヒッポテースとメラニッペーとの子、第3はポセイドーンとアルネーとの子である。アスクレーピアデースが謂うには、ポセイドーンの血を引くこの〔アイオロスの〕ところに(オデュッセウスは赴いた)のである。

27
 〔欠番〕

28.1
Probus ad Vergil Georg. II, 84:
 〔未訳〕

2012.11.23. 訳了。


forward.GIFディデュマルコス