アブデーラのヘカタイオス

 c. 360-290 BC
 哲学的民族誌の著作者、懐疑派ピュッローンの弟子(FGrH 264 T 3)。プトレマイオス1世(305-283)の治下、エジプトのテーベを訪問。
[作品]
(1)『ヒュペルボレイア人たちについて』。世界の北限の地に住む人々の虚構の旅行記(とくに断片7参照)。メッセネー人エウヘーメロスの原型。
(2)『エジプト誌』(断片1-6)。エジプト人の国、住民、生活の典型的本質、政治形態についての理念的な記述。ヘカタイオスの熱狂は、エジプト狂いと隣り合っている(Jacoby)。彼はディオドーロス・シクルス第1巻10-98エジプト誌の主たる典拠であった。ディオドーロス・シクルス第40巻3. 8 = Hecataeusu F 6 のユダヤ人についての余談は、ギリシア語著作者によるユダヤ人に関する最初の言及である — 『ユダヤ人について』という作品は、Flavius Josephus (Ap. 1. 186 ff. or rather 2. 42 ff.)に帰せられるもので、彼の真作ではない。
(3)『ホメーロスとヘーシオドスの詩について』(T 1)は散逸。

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断片集(Fragmenta)

"3a,264,F".1.1
DIOG. LAERT. 1, 10:
 他方、エジプト人たちの哲学は、神々と正義とに関しては、次のようなものであったとされている。すなわち、彼らの謂うところでは、質料が〔万物の〕始元であり、次に四元素がそれから分離し、かくて生き物のようなものが仕上げられた。また太陽と月は神であって、前者はオシリス、後者はイシスと呼ばれていた。なお彼らは甲虫、大蛇、鷹、その他の動物によって、彼ら〔神々〕を謎めいた形で表現したと、マネトーの『自然学説要約』のなかや、ヘカタイオスの『エジプト人の哲学』第1巻のなかで謂っている。しかし神のほんとうの姿を知らなかったがゆえに、像を造ったり神域を設けたりしたのである、と。
[11] 世界〔宇宙〕は生成・消滅するものであり、球形である。星々は火でおり、それらの力によって地上の作物は生ずるという。また月蝕は月が地球の影に入るときに起るのだとか、魂は死後も存続して転生するとか、雨は大気の変化によってもたらされるのだとかいう。その他の現象についても自然究理したと、ヘカタイオスやアリスタゴラスが記録している。さらに彼らは、正義のために諸々の法律を定めたが、それらの法律はヘルメース神に溯らせている。また有用な動物を彼らは神々と思いなした。さらに、幾何学や天文学や数論を発明したのは自分たちだとも彼らは言っている。そしてそれらの学問の発明に関することは、事実そのとおりなのである。

"3a,264,F".2.1
DIODOR. 1, 46, 8:
 また、記録を手がかりに歴史記述しているのは、エジプトの祭司たちのみならず、ギリシア人たちの多くも(T 4)……その中には、ヘカタイオスも含まれるが、われわれによって述べられていることに賛同しているのである。

"3a,264,F"."3*".1
DIOD. LAERT. 1, 9:
 しかしヘカタイオスはさらに、彼ら〔マゴス僧たち〕に依拠して、神々は独自に生成したものたちでもあるという。またソロイ人クレアルコスは、『教育について』(V)の中で、ギュムノソピステースたちもマゴス僧たちの後裔であると謂っている。しかしある人たちは、ユダヤ人たちも同じ者たちに由来するという。これに加えて、ヘーロドトス(7, 35)を罪ありとしているのが、マゴス僧たちのことを著した人たちである。というのは、クセルクセースが太陽に向かって投げ槍を投げたり、海に足枷をはめたりしたはずはない、マゴス僧たちによってそれらは神と言い伝えられていたのだから。ただし、神像を破壊したというのは尤もだ、というのである。

"3a,264,F"."4*".1
PLUTARCH. De Is. 9 P. 354 CD:
 さらに、多くの人々は、エジプト人たちのもとにおけるゼウスの固有の名前はアムゥンであるとして、これをわたしたちは語形変化させてアムモーンと言うのだが、セベンニュス人マネトース(III C)は、この用語によって意味されているのは「隠されてしまっているもの」「隠れること」と思っているが、アブデーラのへカタイオスが謂うには、エジプト人たちは誰かに呼びかける場合、お互いに対してもこの言いぐさを用いる。すなわち、これは呼びかけの用語である。それゆえ、第一位の神は万有と同じ存在とみなし、〔この神は〕目に見えず、すっかり隠れているが、呼びかけ、呼び寄せると、顕現し、彼らに明らかなとなるとみなして、アムゥンと言うのである。

"3a,264,F"."5*".1
- - 6 p.353 B:
 葡萄酒は、へーリウゥ・ポリスで神に仕える人々が神域内にまったく持ちこまないのは、主にして王である御方が見守っておられるのに、下僕たちが酒を飲むのは、ふさわしくないからだが、その他の者たちは少量ならこれを用いる。また、浄めの儀式の長い期間を酒なしで過ごし、この期間、哲学し、学び、教えて、神事を達成する。また王たちは、神事文書に基いて、適量の酒を飲むことになってもいたのは、ヘカタイオスが記録しているとおり、祭司だからである。〔王たちが〕酒を飲みはじめたのは、プサムメーティコス以降である。それ以前は、飲酒せず、献酒もしなかったのは、〔酒が〕神々の愛するものではなく、その昔は神々に敵対するものの血だからである……以上のことは、エウドクソスが『周遊記』の第2巻の中(V)に。

"3a,264,F"."6*".1
PHOT. Bibl. 244 p. 380a 7 (=DIODOR. 40, 3):
 第40巻、中程から。
 ユダヤ人たちに対する戦争を記述しようとするわれわれは、この民族のそもそもの確立と、彼らのもとにおける法制を、前もって要約して説明するのがふさわしいと考える。
 (1a) 昔、エジプトで疫病が蔓延したとき、多衆はこの害悪の原因を神霊的なもののせいにした。というのは、多数の多種多様な外人たちが定住し、神事や諸々の供犠に関して異なった仕来りを用いたため、自分たちのもとにおける神々に対する父祖伝来の崇拝が廃止される結果となったからである。土地生え抜きの人たちが推測したのは、他部族の連中を遠ざけないかぎり、諸々の害悪からの分離はないだろうということであった。
 (2) そこで、すぐに、多種族の者たちが追放されたわけだが、最も目立ち、最も活動的な者たちは、一団となって、一部の人たちの謂うには、ヘッラスや、もっと別の諸々の場所へと追いやられたが、彼らは語るに足る嚮導者たちを有しており、嚮導した他の人たちの中で最も有名なのが、ダナオスやカドモスであった。しかし、多くの民は、現在ユダヤと呼ばれる地 — エジプトからそれほど遠くはないが、当時はまったくの無人の地であったところに脱出したのであった。
 (3) この植民を嚮導したのは、モーセースと命名された者 — 知慮深さと勇ましさの点ではるかに抜きん出た者であった。この人物は土地を占領すると、他にも諸都市を建設したが、現在最も有名な都市、ヒエロソリュマ〔エルサレム〕と呼ばれる都市を建設した。さらに、彼らの間で最も尊ばれている神殿を建立し、神的なものに対する礼遇と儀式を発明・教示し、国制にかかわることを立法し、制定した。また、大衆を12部族に分割したのは、この数が完全数と考えたのと、1年を満たす12ヵ月の数と合致すると考えたからである。
 (4) しかし、神々のいかなる像をもこしらえなかったのは、神は人間の姿をしておらず、大地を取りまく天のみが神であり、万有の主であるとみなしたからである。そして、供犠は、他の諸々の族民たちのもとにおけるそれとは異なったのを確立した。それは、自分たちの外人退去令故に、一種非人間的で、外人嫌いの生き方を唱導したからである。また、人々の中から最も洗練され、族民全体を先導するに最も有能な人たちを選抜し、これを祭司に任命した。そして、自分たちの暇つぶしを、神殿と神の栄化と供犠に尽くすよう定めた。
 (5) またこの同じ者たちを、最大事の訴訟の裁判官たちにも任命し、法と仕来りの見張りをこの者たちに任せた。それゆえ、ユダヤ人たちに王はけっしていないが、大衆の統率権は、祭司たちのうち、知慮と徳で抜きん出ていると思われる者に与えられた。そして、この者を大祭司と命名し、神の言いつけを自分たちに告げる者とみなした。
 (6) さらにこの者は、言いつけられたことを議会やその他の集会において表明し、ユダヤ人たちはその役割にすこぶる従順であるので、たちどころに地にひれ伏して、これに通訳する大祭司にを崇めるという。律法にも、最後に、書き添えられている、モーセースは神から聞いて、しかじかとユダヤ人たちに言う、と(Cp. Deut. 29, 1)。
 (6a) また立法者は軍事行動に大いに配慮し、若者たちに、勇敢さと堅忍、総じて、いかなる災難にも耐え忍ぶ力を修練するよう強制した。
 (7) さらには、諸族の隣接地域に出征し、多くの土地を獲得して、分け合い、私人たちには籤で均分し、神官たちにはより多くを分けたのは、語るに足るほどの歳入を得て、気を散らされることなく、神崇拝に持続的に勤勉の従事するためである。また、私人の区画地を売却することを出来なくして、一部の者たちが強欲から区画地を売り払って、より貧窮した者たちを搾取したり、人口減少を来さないようにするためである。
 (8) この地の住民に子育てを強制するとともに、わずかな出費で嬰児たちが育てあげられたので、ユダヤ人たちの種族は常に人口稠密であった。
 (8a) また、婚礼と、死者たちの埋葬に関することも、自余の人間どものそれに比して大いに異なった法習を有するようにした。
 (8b) しかし、後に、他部族との混合から生じた〔他部族の〕優勢のため、ペルシア人たちの嚮導、ならびに、これを滅ぼしたマケドニア人たちの嚮導のもと、ユダヤ人たちの父祖伝来の法習の多くは乱れた。
 (8c) 以上のように、本巻においても彼が謂っているのは、ユダヤ人たちに包摂される諸族民、法習、エジプトからの彼ら自身の移動、神的なモーウセースについてである。これらのことは、たいていの場合虚言であり、真理についての虚言からの撤退を自分で他に転じ、今も、述べられている事柄から偽りの陳述を汲みあげているのだが、彼の場合は、これを再び精査している。すなわち、これはユダヤ人たちについては、ミーレートス人ヘカタイオスが記録していることからの引用である。???

"3a,264,F".7.1
DIODOR. 2, 47 (NATAL. COM. Myth. 9, 6):
 本書では、アジアのうち北へ向いた諸区域について記録するに足ると思っているので、ヒュペルボレオイ民についての神話の内容を述べても、場ちがいとは思わない。古代神話について記録している作家のなかでも、ヘカタイオスそのほか何人かによると、大洋オーケアノス方面でケルト地方と向かいあう位置に、ひとつの島があって、その大きさはシケリア島に負けない。この島は北寄りにあって、「ヒュペルポレオイ」が住みつき、この族民の名は、居住地が北風ボレアースよりもっと遠くに位置することに、因んでいる。しかし、島は地味が豊かな上にどのような作物でも育ち、その上格段に温暖な場所で、収穫を年に二度あげる。
"3a,264,F".7.10
[2] 神話作者たちによると、島のなかにレートー女神がお出になったことがあり、それゆえ島民の間では、アポッローンをほかの諸神よりとりわけ大事にして祀る。島民たちはまるでアポッローンの祭司のようで、その証拠に、この神は日ごと島民から賛歌を歌ってもらいつづけ、格段に大事に祀ってもらう。島にもアポッローンの壮麗な神苑と、加えて、話がいのある神殿があり、神殿は数多くの奉納物で飾られ、その形が円形をしている。 [3] 市もこの神に捧げられ、市の住民はほとんどがキタラ琴奏者、神殿内で琴を爪弾きながらこの神に賛歌を吟誦し、歌のなかでこの神の功業を厳かに称える。
[4] ヒュペルボレオイ民は一種独特な言語を使う。ギリシア人とこの上なく親近関係にあり、とりわけアテーナイ、デロス島両住民とはそうで、両住民とも古くからこの好意を受けてきている。神話作者によると、ギリシア人のなかにも、ヒュペルボレオイ民の許へ赴いた人びとがいて、高価な奉納物にギリシア語の銘を刻んで残した。 [5] 同じようにして、古くはこの北の民のなかからも、アパリスがギリシアの地へやって来て、デロス島民への好意と類縁関係を復活させた。
[5a] 話によると、月もこの島からだと、明らかにほんのわずか大地から離れ、月面には大地にも似て一種突き出た(山地状の)ところが、はっきり見える。 [6] 話によると、この神も19年ごとにこの島へ下りて来るし、星の周転も星の周期をもって完了に向かう。そしてこのため、ギリシアではこの周期をメトンの一年と名付けている。 [7] この神はこのようにして姿をお見せになる際、御自分のなさった仕事がうまく行ったのに上機嫌となって、夜どおし琴を爪弾き歌舞を演じ、これが、春分の日からはじまってすばる星が昇ってくる頃までつづく。
[7a] この都市と神苑を王支配するのが「ボレアダイ」と名づけられる人々で、ボレアースの子孫にあたり、終始この系譜に従って統治権を継承する。

"3a,264,F"."8*".1
STRABON 7, 3, 6 p. 299:
 〔Apollodoros 244 F 157 は〕以上の〔詩人〕たちにつづいて、史誌作家たちの方に歩み寄る。〔この史誌作家たちは〕リパイア山脈、オギュイオン山、ゴルゴ姉妹やヘスペリスたちの住み家〔ヘカタイオス『ミーレートス誌』1 F 197〕、テオポムポスの作品〔115 F 78〕にあるメロピス地方、ヘカイオスの作品にある都市キムメリス、エウヘーメロスの作品(63 T 5)にあるパンカイアの地のことを言っている。

"3a,264,F"."9*".1
SCHOL. PIND. O 3, 28a:
 どこにおいても、ヒュペルボレオイはアポッローンの神官である。だが、アテーナイ人ヒュペルボレオスなる者にちなんでヒュペルボレオイと呼ばれたとは、パノデーモス(III B)の謂うところである。ピロステパノス(IV)は、ヒュペルボレオスはテッサロス人だと謂う。他の人たちは、ポローネウスとアイオロスの娘ペリメーダとの子ペラスゴスの子ヒュペルボレオスにちなむという。ペレニコスは、ヒュペルボレオイはティーターン族の血を引くと謂う。しかしヘカタイオスは違ったふうに記録している。

"3a,264,F".10.1
(1 ; B4) SCHOL. APOLL. RHOD. 2, 675:
 ヒュペルボレオイは存在せずと最終的にヘーロドトス(4, 36)は謂うが……ポセイドーニオス(87 F 103)は、ヒュペルボレオイは存在し、イタリアのアルプス山地に居住すると謂う。ムナセアース(V)は、ヒュペルボレオイは、今は、デルポイ人と言われると謂う。ヘカタイオスは、自分の時代に至るまでヒュペルボレオイの種族が存在すると謂う。しかし、『ヒュペルボレオイについて』著された書は彼にない。ヒュペルボレオイ人たちの間ではアポッローンが崇拝されている、それゆえ、そこでも   が見られる。ヒュペルボレオイの種族は3つ。エピゼピュリオイ、エピクネーミディオイ、オゾライである。

"3a,264,F".11a*".1
STEPH. BYZ. s. =Elivxoia:
 ヒュペルボレイオイ人たちの島、シケリアより小さくない、カラムビュクス河の上流。島人は河にちなんでKarambu:kaiだと、アブデーラ人ヘカタイオスが。
"3a,264,F"."11b*".1
- - s. Karambuvkai:
 ヒュペルボレオイの族民、カラムビュクス河にちなむと、アブデーラ人ヘカタイオスが。

"3a,264,F".12.1
AELIAN. NA 11, 1:
 ヒュペルボレオイという民族と、そこにおけるアポッローンに対する崇拝は、詩作者たちが歌い、史伝作家たちも讃美するが、その中には、ミーレートス人ではない、アブデーラ人ヘカタイオスも含まれる。彼は多くの、かつ別の重要なことを言っているのであるが、これを今、引用する必要はないようにわたしに思われる……だが、この記述がわたしに引用させる唯一のことは、以下このことである。この精霊〔アポッローン〕の神官たちは、ボレアースとキオネーとの息子たちで、数にして3人、自然〔生まれ〕において兄弟、身の丈6ペーキュス。さて、この者たちが、仕来りの好機に、法に定められた神事を前述の〔神〕のために執り行う時、リパイアとそう呼ばれている山地から数えきれぬほどのハクチョウの大群が飛来する、そして、神殿のまわりを、あたかもこれを飛翔によって浄めてでもいるかのように周回したうえで、しかし次には、大きさは最大、美しさはこのうえなく優雅な、神殿の境内に舞い降りる。かくして、歌い手たちが自分たちの音楽で神のために歌い、もちろんキタラ弾きたちも、すべてに調和する旋律で合唱に伴奏する、まさにここにおいて、ハクチョウたちも合唱し、一致させて、いかなる不協和や調子外れをあのものたちが囀ることは決してなく、だから、まるで、指揮者から主音を受け取って、聖なる旋律に精通した土地の者たちに合わせて歌っているかのようである。次いで、讃歌が完了すると、精霊〔アポッローン〕に対する崇拝に仕来りの奉仕をし、前述のいわば有翼の合唱隊は、まる1日、この神を喜ばせると同時に歌ったうえで、去って行く。

"3a,264,F".13.1
ANON. Peripl. Pont. Eux. 49, 6 (=PS. SKYMN. 865 ff.):
 マイオータイ人たちから名前を採ってマイオーティスと呼ばれる湖が続く。これには、アラクセース河の流れが合流しているタナイス河が流れこんでいると、テオースのヘカタイオスが謂った。しかしエポロス(70 F 159)が記録しているところでは、果ての知れないある湖が源だという。

"3a,264,F".14.1
PLIN. NH 4, 94 (SOLIN. 19, 2):
 次に黒海を去ってヨーロッパの外側の地域について述べ、そしてリパエア山脈を横切って北海の岸を左へ辿り、ガデスまで行かねばならない。この方面には多くの名もない島々があると報ぜられているが、ティマイオス(III B)の記事によれば、スキタイの沖、海岸から一日航海の距離にバウノニアという一つの島があり、春先にはそこの浜へ琥珀が波に打ち上げられるとのことである。この海岸の残りは、ただいかがわしい大家の報告によってのみ詳細が知られる。北方に大洋がある。パラパニスス河の先、この大洋がスキタイの海岸を洗っているところをヘカタイオスはアマルキア海と呼んでいるが、この名は土語で「凍結した」という意味である。(中野定雄訳)

"3a,264,F".15.1
AETIOS Plac. 2, 20, 16:
 ヘーラクレイトス(22 [ 12] A 12)とヘカタイオスとは、太陽とは、海から出てくる知的な火の塊である、と。

"3a,264,F".17.1
PLUTARCH. Quaest. conviv. 4, 3, 1 p. 666 D E:
 ……自余の〔宴会〕と比べて、婚礼の宴会に最も多くの人たちが招待されるのはなぜかについて、〔Sossius Senecioが〕難問を提起した。たしかに、立法者たちのうち、奢侈を強く敵視した人たちは、婚礼に呼ばれる人たちの多さを最も厳しく制限したのだから。昔の哲学者たちのうち(と彼は謂う)、この理由について述べた人はアブデーラ人ヘカタイオスだが、少なくともわたしの判断では、彼は少しも説得的なことは述べなかった。彼が言うには、女を嫁にとる人たちが食事に多数を招待するのは、それが自由人〔家柄のよい者〕たちであり、自由人〔家柄のよい者〕たちから娶るのだと、多くの人たちが承認し、証人となるためだというのだが。

"3a,264,F".18.1
EROTIAN. p. 55, 7 Na:
 kurbasivhn〔対格〕。いわゆるtiavraのこと。ヘカタイオスは謂う、喜劇作家たちは異邦人のpi:loVのことを言っている、と。

"3a,264,F"."19a".1
PORPHYR. Quaest. Hom. (I 383) I 138, 18 Schr:
 現在のディオスポリスは、昔テーバイと呼ばれており、ディオスポリスに関して多数の塔の遺跡が示されると〔人々は〕謂う。だが†カトーンが記録するところでは、大ディオスポリスは、ペルサイ人たちによって消失させられる以前、村落は3万3300、<アルゥラは3700>、人口は700万、100の塔に飾られていた。これを城壁で囲んだのはオシリス。しかし一部の神官たちの謂うには、100の塔を有し、各々からは重装歩兵1万、騎兵1000が出征し、<馭者は6>?である。
"3a,264,F"."19b".1
STEPH. BYZ. s. DiovspoliV:
 ……オシリスとイシスの建設。ペルサイ人たちによって消滅させられるまでは、†カトーンの謂うには、<3>万3300の村落を有し、人口は700万、アルゥラは測量された3700箇所、100の塔に飾られ、幅は400スタディオン。

"3a,264,F".20.1
NATAL. COM. Myth. 9, 15:
〔未訳〕

"3a,264,F".21.1
JOSEPH. c. Ap. 1, 186 (EUSEB. PE 9, 4):
 (T 7 a)へカタイオスは、さらに言葉を続け、ガザの戦闘後、プトレマイオスがシリアの支配者となったこと、さらにプトレマイオスの親切さや寛大さを聞いた多くの人びとが、彼とエジプトに同行し、彼らも彼の国の人の仲間になることを望んだ事情を述べる。

 [187] そのような〔住民たちの〕中に、ユダヤ人たちの大祭司エゼキアスもいた。彼の年齢はおよそ66歳、同国人からの信頼はきわめて高く、知的で、そのうえ能弁で、事務の処理にもすぐれた練達の人物であった。[188] なお(と彼は付け加える〉十分の一税をうけとり、住民たちの民生上の仕事をするユダヤ人祭司の総数は約1500名であった。

 [189] 再び彼は、エゼキアスの人物に言及して、次のように語る。

 この人は、このような名誉を得、またわれわれと密接な関係もできたので、何人かの友人たちを集めて〔文書を示しながら、移民上の〕利点をすべて彼らのために読みあげた。なぜなら彼は、彼らの居住区や政治的地位について書かれた書類をもっていたからである。

 [190] 次にへカタイオスは、わたしたちが律法にたいして払う敬意についてふれ、わたしたちが、律法を犯すよりはむしろ艱難に耐え忍ぶほうを選ぶということ、またそれが名誉であると考えていることを明らかにしている。

 [191] まさにその理由で(と彼は言う〉近隣の国の人たちや外国からの侵入者たちによって中傷されたり、またベルシアの王や大守たちによってしばしばひどい目にあわされたりもした。しかし彼らは〔律法にたいする〕敬意をゆるがすことはなく、その先祖たちの信仰を否認するよりは、この律法のために、むしろ素手のまま〔無防備の状態で〕拷問や最も残忍な形の死刑にも立ち向かうのである。

 [192] そして彼は、律法を守るに際しての彼らの頑強さについて、少なからざる証拠を提供してくれる。
 彼によれば、アレクサンドロスがバビロニアに滞在中のこと、倒壊したベーロスの神殿を再建しようとして、土木用の資材の運搬を自分の兵士たち全員に命じた。ところがユダヤ人だけは、その命令にしたがうことを拒み、重い懲罰に耐えて、高い罰金を支払った。ついに王は、彼らを許し、彼らをこの仕事から免除した。

 [193] さらにまた彼によれば、彼らの国への侵入者たちは、〔その土地へ〕自分たちの寺院や祭壇をつくったが、ユダヤ人たちは、〔侵入者たちの〕太守に、ときには罰金を支払い、ときにはその許可をかちとって、それらのものすべてを引き倒した。

 そしてこのような彼らの行為を、彼は、賞賛に値するものとしてつけ加えている。
 [194] 次に彼は、わたしたちの民族の人口が厖大であることを語る。

 例えば、ベルシア人たちが、わたしたちの民族の中の多数の者を(と彼は謂う)バビロニアに連れて行ったにもかかわらず、また、アレクサンドロスの死後、さらに少なからざる数の者が、シリアの不安定な情勢のため、エジプトやフェニキアに移って行ったにもかかわらず。

 [195] また、この著者は、わたしたちが住んでいる国土の広さと美しさを語っている。彼は言う。

 彼らが住む所は、あらゆる種類の果物を生む最も豊饒な、ほぼ300万アルラの土地、それがユダヤの国の広さである。

 [196] そして、ここで再び彼は、遠い昔からわたしたちが住みついてきたエルサレムの町自体のことを語る。すなわち、その美しさ、広さ、そしてその数多い人口、神殿の建築物等についてである。

 [197] ユダヤ人たちは、その国内に多数の砦や村をもっている。しかし、周囲約50スタディオン、そしてほぼ12万の住民を擁する要塞都市はただ1つだけであった。それを彼らはヒエロソリュマ〔エルサレム〕と呼んでいる。
 [198] さて、このポリスのほぼ中央には、石の城壁があって、長さ約5プレトロン、幅100べーキュスの土地を囲っており、一対の城門によって中に入ることができる。構内には、一辺20ベーキュス、高さ10ベーキュスの、全く入手の加っていない自然石を積み重ねた角型の祭壇がある。そして、その傍らには、大きな建物が立っており、中には、重さそれぞれ2タラントの金でつくった祭壇と燭台がある。[199] これらの上には、夜昼を通じて消されることのない灯がおかれている。なお、あたりには、彫像も奉献物もなく、また聖域らしい木立その他の植物すら一本も見あたらない。そしてこのような場所において祭司たちは、ある種の清めの儀式を行って夜昼を過ごしているが、神殿内では、全員が酒を全く断っている。

 [200] 著者はさらに、ユダヤ人たちがアレクサンドロス王およびその後継者たちが行った遠征に参加したことを証言している。たとえば彼は、自分自身が目撃したという1人のユダヤ人兵士が関係する行軍中の一掃話を語っている。彼は次のように言う。

 [201] さて、わたしが紅海に向かって行軍していたときのことである。われわれについていたユダヤ人騎兵隊の中にモソラモスと呼ぶ一人の兵士がいた。この男は知的で、強健で、ギリシア人兵士、非ギリシア人兵士を通じ、最高の射手であることは衆目の一致して認めるところであった。
 [202] ところで、あるとき、多数の兵士が路上で右往左往し、やがて鳥占いをやっていた占い師によって全員が停止させられると、この男は、占い師になぜ停止させるのかと理由を尋ねた。[203] そこで占い師は、彼の視界にある一羽の鳥を指し示し、もしあの鳥があの地点で留まっているなら全軍は停止すべきであり、もし飛び立って前へ進むなら前進、もし後へ帰ってくるなら後退すべきなのだと答えた。すると、このユダヤ人は、無言のまま、矢をつがえて弓を引きしぼると、一矢でその鳥を射落し、殺してしまった。[204] 占い師と他の者たちは腹をたて、彼に向かっていっせいに非難を浴びせた。彼は言い返した。「なぜそのように立腹なさる。悪霊につかれた人よ」。そして彼は、鳥を手にとりあげると、さらに続けた。「自分の身の安全さえ、前もってわからなかったこのあわれな生物にわれわれの行軍のことを尋ねて、まともな返事が得られたらお笑いぐさだ。もしこの生物が未来のことを予知できるならば、モソラモスなどというユダヤ人の矢で射落されたりはせぬ。こんな場所へも飛んではこないはず だ」。

 [205] ところでわたしは、ヘカタイオスによる証言は、十分に示したようである。このような主題を、なお追究したい方は、彼の本によって容易に吟味なさることができよう。(秦剛平訳)

"3a,264,F"."22*".1
JOSEPH. c. Ap. 2, 42:
 アレクサンドロスがわたしたちをそこに集めたのは、彼が苦労して建設したアレクサンドリアに住まわせるべき住民が不足していたからではなかった。彼は、注意深い資格審査をした後、その勇気と忠実さにたいして、これらの特権をわたしたちの民族に与えたのである。
 [43] 彼がわたしたちの民族に敬意を払っていたことは、わたしたちに関するへカタイオスの言葉によってよく示されている。すなわち、ユダヤ人たちが彼に示した配慮と忠誠のゆえに、彼はサマリアをその国土に加えて、かつ貢納を免除したのである。
 [44] アレクサンドリアに居住するユダヤ人たちにたいするアレクサンドロスの見解はラグスの子プトレマイオスによって受け継がれた。彼は、その守備兵としての忠実さと勇敢さを買ってエジプトの要塞の維持を彼らにまかせ、またキュレーネやリビアの都市にたいし、勢力の拡大を望んで、ユタヤ人の一団を送ってそこに住まわせた。
 [45] ついで彼の後継者となった、フィラデルフォスとあだ名されたプトレマイオスは、国内にいたユダヤ人の囚人たちをすべて解放したのみならず、多額の金さえ与えた。しかしながら、彼がわたしたちに払ってくれた最高の敬意は、彼がわたしたちの律法を知り、さらにわたしたちの聖典を読みたいと熱心に望んでくれたことであろう。[46] とにかく彼は〔エルサレムへ〕使いを出し、彼のために律法を〔ギリシア語に〕翻訳してくれる人を送るよう要求し、転写の正確さを期して、その仕事を普通人ではなく、[47] 当時の第一級の学者、ファレーレウスのデーメートリオスと彼の護衛者、アンドレアスおよびアリスタイオスに託したのである。もし彼がわたしたもの律法や先祖伝来の哲学、またわたしたちの生活の規範としているものを軽蔑して、敬意を払っていなかったら、おそらく彼は、これほど強い関心を示さなかったであろう。

"3a,264,F"."23".1
ARIST. ad Aristocr. eo. 31
"3a,264,F".23.6
 これらのこともあなたのもとで充分に論じられる必要があるのは、この律法がより哲学的でもあり、あたかも神的なもののように純粋でもある故である。それゆえ、著作者たちや詩人たちや、史家たちの多くは、前述された書物や、それに基づいて治められている人たちに言及することからは、彼らにおける観照が聖的で厳粛であるために、遠いからである、とアブデーラのヘカタイオスは謂っている。

"3a,264,F".24.1
CLEM. AL. Strom. 5, 113, 1 (EUSEB. PE 13, 13, 40):(112, 4)
"3a,264,F".24.2
 さらに、然り、悲劇も、〔われわれを〕偶像から引き離して、天を見上げることを教える。例えばソポクレース(F 1025 N 2)は、『歴史』を著したヘカタイオスが、「アブラムとアイギュプトス人たちについて」という箇所で、舞台の上でまっすぐに叫んでいると謂う。

神はひとり、真実ひとり、
そは天を造り、広い大地をも、
海の灰色の波をも、暴風たちを造りたもうた方。
しかるに多くの死すべきわれわれは心惑い、
災禍に対する慰めを得るために、
神々の像を石から、青銅から、
黄金細工や象牙から型どる。
そしてこれらに供犠や悪しき祝祭をもって
花冠とし、そうすることで敬神だと思っている。

forward.GIFアブデーラのヘカタイオス、断片25