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聖ヨサパト(Josaphat, Saint)

 ヨサパトの名は、仏教の称号ボディサットBodhisat(菩薩)〔ただしくはBodhisattva〕がキリスト教に導入されて転訛したものであり、したがって聖ヨサパトは、軽率にも悉逮多・釈迦牟尼をキリスト教の聖人に列したものだった。中世の聖人製作者たちが、ブッダの若い頃の物語を改作して、聖ヨサパトの話を作りあげた。聖ヨサパトの父親は「インドの王」と呼ばれており、王はこの息子をキリスト教徒にさせまいと監禁しておいた[1]。しかし、ともかくも、この若者はキリスト教に改宗し、例によって数々の奇跡を行った。その奇跡のうちのいくつかは、ブッダの伝記に記されている出来事を借用したものだった。聖ヨサパトは、中世の人々の間で非常に人気があった。当時のヨーロッパで仏教が悪魔の作品として嫌悪されていたことを考えると、これは何とも皮肉な成り行きだった。


[1]Attwater, 58.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 point.gif上田敏『菩薩物語由来』参照


『黄金伝説』174
 バルラームとヨサパト(またはヨアサプ)は、1583年以来『ローマ殉教録』に聖人として名前が記載されるようになったが、元来は伝説上の人物である。修道士バルラームと彼の弟子で、父王の反対を押しきってキリスト教に入信し、修道生活に入った王子ヨサパトの物語は、ギリシア語でいわば修道士小説に仕立てあげられ、11世紀以来西欧でも広範な読者を見いだし、内容、形式の両面から文学や美術に大きな影響をあたえた。全体が三部からなっていて、ダマスコスのヨハネスの筆になるものとされている。

 最近の研究によると、その原型は、インドの釈尊伝説(たとえば『過去現在因果経』に語られている王子シッダルタの出家物語)と仏教説話にあり、これがシリアに伝播し、ダマスコスのヨハネスがシリア語からギリシア語に訳述し、これに修道生活の手引きになる寓話、教訓、教義論などをつけくわえたものらしい。小説的なおもしろさをもった聖伝ではあるが、8世紀における東方の修道理想を解明する重要な資料にもなっている。

The Tree of Life パルマ(イタリア北部の町、フランス語ではパルム)の洗礼聖堂の南玄関をかざっているベネデット・アンテーラミの浮彫り(13世紀初頭)〔左図〕、ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂内のイシドロ礼拝堂の浮彫り(同じく13世紀初頭)が両聖人を描いた最も古い図像であると言われる。

 なお、このバルラームとヨサパトの聖伝は、すでにキリシタン時代に『聖ばるらあんとじょざはつの御作業』と題してわが国に翻訳されている。
 (『黄金伝説』第4巻訳注、p.398-340)


[画像出典]
Thais - Antelami Benedetto - Lunetta con la leggenda dell'albero della Vita Antelami Benedetto
(Valle d' Intelvi 1150 circa - 1230 circa)
Lunetta con la leggenda dell'albero della Vita Argomento: Scultura altomedioevale e romanica
Epoca: Secolo XII
Descrizione: Marmo, particolare della lunetta che orna il portale sud del Battistero, rappresentante l'Albero della Vita secondo la favola di Barlaam. 1196 - 1216 circa.
Description: Marble, detail of the south portal of the Baptistery, representing the Tree of Life according to Barlaam. About 1196-1216.
Ubicazione: Parma, Battistero