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松村武雄著
『希臘神話の新検討』(培風館、昭和28年5月)所収。

ゴルゴン神話と仮面儀礼





 遠い西方の海、へスペリデスの花園の附近若くはリビヤの地に、ゴルゴン族(Gorgones)が住んでゐた。蛇からなる頭・真鍮の爪・巨大な歯を持ち、時としては翼を生やしてゐると信ぜられた三名姉妹の女性怪魔である。末の妹なるゴルゴンはメドゥサ(Medousa)と呼ばれ、容姿がすぐれてゐたが、或る時その丈(たけ)なす金で海神ポセイドンの心を捉へ、アテナ女神の神殿で之と情を通じたので、神罰を蒙って、の毛が盡く蛇となり、その容貌の物凄さたとへん方なく、その眼に脱まれる者は、忽ち石に化してしまふのであつた。セリフォス島の王が英雄ベルセウス(Perseus)の母に恋し、ペルセウスを亡(な)きものにしようと欲して、メドゥサの頭首を獲て来ることを強要 した。青年英雄は、ヘルメス神に授けられた空飛ぶ靴をつけて、遠い西なるゴルゴン族の園に赴き、睨まれて石に化することから免かれるため、アテナ女神に与へられた鏡なす楯にメドゥサの姿をうつらせながら、後向きになって次第に之に近づき(一設では、メドゥサが眠ってゐる隙をねらって)、いきなり跳りかかってその頭首を斬り落した。そして島に帰って来ると、それを王の面前にぬっとさし出したので、王は見る間に石に化してしまったといふ[001]

 よく知られた神話ではあるが、蛇でしかもその眼がすべての者を石化させる頭首といふのが、洵に奇怪至極な観想であるために、従来多くの学者がさながら競ふやうに考察臺上に採り上げて、おのがじしなる解釈を下してゐる。

 先づ第一に、なべての神話に附き物の自然象徴説がある。自然界の或る事物若くは現象を標示するものとして此の蛇の女性を受取る学説である。たとへば、一派の学徒たちの主張するところに従ふと、ゴルゴンとしてのメドゥサは、夜の青白い月であり、それがヘルメス神の靴を穿いた英雄ベルセウスに殺されたのも、つまり月であったからに他ならぬ。なぜならへルメスの靴は「朝の徴風」であり、夜明けの風の吹くところ月はどうしても消え失せねばならぬからであるといふ。他の学者たちに従ふと、ゴルゴンは、荒れ狂ふ海洋の象徴であり、その眼に睨まれる者が盡く石に化するといふのは、海洋に対する人の子の恐怖感の物語化に他ならぬといふ。ヘルマン(J. G. Hermann)やフェルカー(K. H. W. Völcker)の如きは、との解釈をとる学者の代表的なものである[002]。更に他の学者たちに言はせると、ゴルゴンは雷雲の象徴であり、睨まれる者を石化させる眼は、雷雲の間から閃めき出て人を射る電光に他ならぬさうである。『英文学及び芸術に現れたる古典神話』(Classic Myths in English Literature and in Art)の著書によって我が国の人々にも親しまれてゐるゲーレイ(C. M. Gayley)の如きも、この説を抱く学者の一人である[003]

 およそかうした考説は、今日では、ことごとしく反駁するのが馬鹿らしい程に、いとも物古りたる旧式にして且つ肆意的な解釈である。ヘルメスの靴が「朝の徴風」であり、ゴルゴンが月であるなどいふ見方には、何等事実の裏付けがない。それは解釈者自身の放埒な想像以外の何物でもない。かうした解釈に憂身をやつす程なら、ケートレイ(T. Keightlry)のやうに、始めからベルセウスとゴルゴンとの物語を目して、純然たる神話詩的(ミソポエチカル)な想像からの作話(フィクション)であると言ひ切る方が、いくらさつばりしてゐるか判らぬ[004]。ゴルゴンを目して荒れ狂ふ海波若くは雷雲の象徴であるとする解釈は、これに比べると、まだしも幾分かましである。言語準的に或る程度の支持を有してゐるからである。

 gorgô は gorgos と血縁を持つ語辞であり、そして gorgos は、「恐るべき」、「迅速なる」の意である。古代末期のアレクサンドリヤの学徒へシュキオス(Hesykhios)の『辞典』が、既にさう解してゐる。上古希臘の綺語方言及びホメロス等からの古語難句の集解である此の辞書には、厳正な検討を加へると、誤謬が少くないが、しかしゴルゴーの解釈は、当ってゐるらしい。悲劇詩人ソフオクレスの断章に、海のニュンファイ(Nymphai)をゴルギデス(gorgides)と呼び、また海を匝る瀛河の神オケアノス(Okeanos)の娘たちがゴルガデス(gorgades)として引かれてゐるのも[005]、海波の動きの恐ろしさ若くは迅速さに因んでゐると思はれる。しかしそれだからといって、問題の怪物ゴルゴンを目して直ちに「荒れ狂ふ海波」の象徴であると論断するのは、全く早計である。なぜなら「恐るべき」若くは「迅速なる」ものは、決して「荒れ狂ふ海波」だけであるとは限らないし、また「恐るべき」若くは「迅速なる」を意味する語辞としてのgorgô から成る称呼を持ち、而して「荒れ狂ふ海波」とは何等の関渉をも有しない邪物が、実際に太だ古くから希臘の民間に広く知られてゐたからである(このことについては、あとで委細に考説する)。

 gorgô が「恐るべき」若くは「迅速なる」の義であることから、直ちにゴルゴンを目して「雷雲」の象徴となすヘルマン、フェルカー、ゲーレイ諸氏の推断も、同理によって太だ早計にして排他的な独断であるとしなくてはならぬが、この種の解釈中のより注目すべきものとして、英国の或る他の学者が、更に一個の奇説 — 自分から見ると — を出してゐる。曰く海は或る時代には空の海であり、海のニュンファイは雲であった。だからgorgô を語幹とする諸々の語辞は、「迅速に動く」の意に於て雲の称呼として用ひられると推断することが出来る。かくてゴルゴンは常に雲や雷霆や電光の人格化であるとすべきであり、それ故に此の怪霊は、雷霆・電火をその持物とする神即ちゼウス神やアテナ一神と特に結びついてゐるのであると[006]

 この解釈は、言語学的事実の他に、更にゼウス及びアテナの持物といふ信仰的事実を拉し来ってゐる点で、より強く我々の注意をひく力を持ってゐるが、しかし自分はかうしたゴルゴン観にも亦賛同することが出来ない。なる程ゴルゴンはゼウス神やアテナ女神と関係が深い。ゼウス神の胸甲のただ中には、物凄い容貌をしたゴルゴン — gorgoneion 若くは gorgeiê kephalê として知られる — が彫みつけられてゐたし、そしてゼウス神は之をアテナ女神に譲り与へたと伝へられる[007]。またパライファトス(Palaiphatos)の言ふところによると、多島海の或る島に於てはアテナ女神がゴルゴーの名で崇拝されたし、ソフォクレスは、同女神を呼んでゴルゴーピス(gorgôpis) となしてゐる[008]。しかし此の怪霊と結びついてゐるのは、決してゼウス神及びアテナ女神だけではない。アポロン神やベルセフォネ女神とも密接な関係があり、更に英雄アガメムノン(Agamemnon)やヘクトル(Hektor)などとも結びついてゐる[009]。そしてこれ等の神々及び英雄は雷霆・電火友どとは全く沒交渉である。かくしてゴルゴンを目して雲・雷霆・電光の人格化となすこの特殊な解釈も亦、その論拠が太だ薄弱であるとしなくてはならぬ。


 これ等の自然現象的解釈と相並んで、宗教文化史的解釈が、早くも19世紀の前半に唱へられてゐる。1762年に生れ1835年に歿した、標象的芸術神話学派の驍将の一人であるベッティガー(K. A. Böttger)の説くところによると、ゴルゴンの一としてのメドゥサの邪眼によって人の子が石に化したといふ伝承は、古くフェニキヤ地方に行はれてゐた人身御供の習俗の回想であり、而してこの怪霊が希臘の一英雄ベルセウスによって退治されたとする伝承は、その嫌忌すべき宗教的習俗が、フェニキヤ人に比してより高い文化を持ってゐた希臘人の手で廃棄慶棄されたといふ宗教文化史的事実の回想に他ならぬといふ[010]

 この考説は、諸々の自然現象的解釈に比して考へ方が民衆の実際生括に即してゐるといふ点で、より嘉すべきものであるとしなくてはならぬ。しかし自分の見るととろでは、ゴルゴン観は、この考設によってもまだまだ正道に据ゑられてゐないやうである。なぜなら、

  1. 人身御供の儀礼といふだけでは、メドゥサに睨まれた者が盡く石化するといふ観想 — ゴルゴン観の一中核をなす観想が全く解け難い。
  2. ゴルゴンをさうした恐るべき怪霊として之を畏怖したのは、主として希臘本土の民衆であって、フェニキヤの民衆ではなかった。
  3. ゴルゴンと密接な交渉を有した神々は、盡く希臘人が崇信した神々であった。

からである。それにまたゴルゴンの住む国は、遠い西方の海のかなたとされ、若くはリビヤの地とされた。これを解して説話に於ける想像的な想定であるとすれば、問題は起らないが、之に反して、ベッティガーの考説を妥当に成り立たせようとするには、その一つの条件として、ゴルゴンの国がフェニキヤの地若くはその附近に位置したことが要求されるわけであり、そしてさうした要求は到底充足され得さうにも思はれない。


 メドゥサの問題は、20世紀になっても、我々を悩ましつづけてゐる。が、これに対する解答は19世紀までのそれ等よりは、より妥当になり若くはより尖新になり来った。

 先づ自然現象的解釈の最も優れたものとして、ロバート(C. Robert)のそれがある。Medousa といふ一語辞は、Eurymedousa(「広く知行する者」の義)の短縮形であり、かうした意味の名は、大地女神によく見るところである。従ってメドゥサは、本原的には恐らく一個の大地女神であったであらう。ところでアポロニオス(Apollonios)やエウフォリオン(Euphorion)の記すところでは、メドゥサを屠った英雄ベルセウスの本来の名は、Eurymedon であったといはれる[011]。そして Eurymedon は、Eurymedousa の男性形に他ならぬが故に、この英雄も本来は一個の大地神であったらしい。そしてベルセウスに関する神話の中核をなすものは、実にメドゥサの殺戮であるから、同神話は一の自然神話であるとすべく、緑なす大地(メドゥサ)が他の大地神(ベルセウス)に殺されて、荒涼たる形相(すがた)になることを説くところに、この神話の主旨が存するであらう。メドゥサの名が示すところは「花咲く大地」であるが、冬になると、それがゴルゴー即ち「恐るべき凝視者」となること、猶ほ大地女神デメテル(Demeter)が恚って眼を閉ぢると、大地が盡く不毛荒寥となるのと同一であると、ロバートは解釈してゐる[012]

 この解釈は、ひとしく自然現象的解釈であるとは云ひ条、19世紀までのそれ等に比照すると、「たよりになる」程度が、可なり多大であり、その意味に於て自然現象的解釈に於ける数段の進歩と言ふことが出来るであらう。しかし自分としては、どうも安心してついて行けない気がする。なぜなら、メドゥサ及びベルセウスの名称の言語学的考察の関する限りに於ては、頗る示唆に富んでゐるが、その他の点には、可なりの「解釈上の無理」が存してゐるからである。

  1. メドゥサが「緑なす大地」であることを證示する確(しか)とした事実が存しない。
  2. 草木の繁茂と凋萎との季節的現象に同一の大地若くは大地神の愉悦と憂愁や、一生一死を観ずるのは、多くの民族 — 古代希臘人をも含めて — の心理の実際であるが、さうした季節的現象を一の大地若くは大地神と他の一の大地若くは大地神との交替と観じた民族は、自分の知る限り皆無である。
  3. メドゥサ殺しがベルセウス神話の中核をなしてゐるやうに、メドゥサ神話は、その頭首を切り取られる事件を中核としてゐる。切言すれば、メドゥサは肉体的に観ぜられるよりは、寧ろ頭首だけとして観ぜられ、ペルセウスが敢行した女怪殺しは、さうした先行的観想の説明として想案されたとすべき強い理由が存する。然るにロバートの解釈によっては、この大切な事実の謎を解くことが全く不可能である。
  4. 冬季に於ける大地の荒寥は、春になれば消え失せて、繁茂駘蕩の形相(すがた)に変ずるし、そしてさうした推替は毎年繰り返される。さればこそ古代希臘人も、大地女神デメテルが一年の或る期間、おのが愛娘ベルセフォネの冥界に抑留されるのを悲しみ愁ふるために、冬の不毛荒寥が生じ、一年の他の期間愛娘が冥府から帰来しておのが側に在るのを悦び楽しむために、春の繁茂駘蕩が生ずると観じたのであった。然るにメドゥサにあっては、冬の荒寥と春の繁茂との年毎の推替が考へられてゐない。かの女は常住に「恐るべき凝視者」であるのみである。かくして口バートが試みたメドゥサの眼とデメテルの眼との類比は、全く不当であり、従ってメドゥサを目して「大地」とする推臆も頗るあやふやとなる。

かうしたかずかずの難点を併せ持ってゐるロバートの解釈は、どうしても自分をしてこれに賛同することを躊躇せしめざるを得ない。

 ゴルゴンに観する神話的伝承は、20世紀に入って、更にまた新たに心理学的な視角から眺められ考へられるやうになつた。その代表的なものとして、独逸の精神分析学者フリューゲル(Flügel)の解釈及び英国の民俗学界の一有力者ローズ(H. J. Rose)の学説がある。

 フリューゲルは、その論考の一つなる『多面的生殖器象徴と男根割除錯綜』(Polyphallischer Symbolismus und der Kastrationskomplex)に於て、ゴルゴンの頭首に近頃流行の精神分析学からの解釈を企てて、この蛇の女性の頭首は、畢竟するに一の「男根象徴」である。男性の性欲的追迫から世の女性たちを防護してくれるところの陰茎の象徴に他ならぬ。之を目撃すれば、いかに好色の男子でも、忽ち情慾の衝動を失ってしまはざるを得ない。永遠の処女神であるアテナがゴルゴンの頭首をその胸甲に着けてゐるのも、之によっておのれの処女性を護るためであると説いてゐる[013]。警抜な説ではあるが、客観安当性には全く欠けてゐる。生殖器崇拝の研究者は、兎角棒状のものを見さへすると、之を生殖器の象徴と観じたがるが、それにしても、女人の頭首に陰茎の象徴を認取するに至つては、まさしく行き過ぎであり無茶であると言はざるを得ない。且つまたあとで委しく説くやうに、希臘人も古くから邪眼の観念・信仰を有し、兇悪な眼に睨まれることをひどく忌み懼れて、ゴルゴンの頭首を鋳出した金物を自分たちの胸に掛け、それによって邪眼の禍を防止するに努めたことは、まさしく事実であるが、しかしゴルゴンの頭首を身につけたのは、当然の事として女性だけではなく、男子も亦さうであった。とすると、ゴルゴンの頭首に陰茎の象徴を観じ、また男性の情慾を消すための女人の防身具と解するフリューゲルの考説は、車にこの一点から見ただけでも — 他にも非難すべき欠点が少くないが — 到底成立し難いと言はねばならぬ。

 次にローズは、結夢現象によってゴルゴンの観想及び神話の成立を説明しようと試みる。即ち氏は、

  1. 或る時或る所に、之を観る者が立所に石に化ナる程物凄い形貌をした一生物が存したといふのが、ゴルゴン神話の中核である。
  2. そしてこの神話は、或る結夢現象によって太だ簡単に説明される。悪夢の中で非常に恐ろしい或る一つの顔を見て、体がすくみ血が凍る思ひに迫ひ込まれるといふことは、或る時代若くは或る種族に限られた特殊現象ではない。そこにゴルゴンの観想の出発点がある。
  3. 一旦かうした観想がスタートすると、やがては、古代並びに近代の希臘に普く行はれた「邪眼」の迷信が、当然これと混融する。そこにゴルゴンの観想の完全な成立がある。
  4. ゴルゴン族の一なるエウリュアレ(Euryale)の名が"wild-leaping"を意味するといふ事実及び早期芸術がこの怪物を走り若くは大胯に歩く姿態に表出してゐる事実がまた、夢の中で追ひかけて来る夢魔とよく合致する。

と説いてゐる[014]。ゴルゴン伝承に関する諸多の考説解釈のうちで、ローズのそれが最も穏当であり事理に適ってゐると思ふ。氏は、ゴルゴンの如き怪霊が発生的に辿ったであらうと考へられる過程に、最も無理の少ない説明を与へてゐる。しかしそれにも拘らず、自分の見るところでは、氏の解釈は今一息といふところで事の真相を逸し去ってゐる。なる程悪夢の中で見る恐ろしい顔は、人をして体がすくみ血が凍る思ひを起さしめるであらう。しかし這般の思ひを起させる何物かがもし実際に民衆の日常生活の中に存してゐるとしたなら、ゴルゴン観の成立因をそとに求める方が、「夢」に之を求めるよりは、一層事理に適つてゐるとしなくてはならぬ。そして古き代の希臘人の関する限りに於ては、さうした恐ろしい或る事物が、彼等の日常生活裡に確かに弦儼存してゐたのである。


 ゴルゴン伝承の発生過程の究明を企てる者が、何をさし措いても先づ第一に念頭におかなくてはならぬ大切な一事は、この怪霊が、希臘人にとっては、一つの全身的な表象であるよりは、身体の一部としての頭首であったといふ事実である。

 ゴルゴン族は三個のゴルゴンから成るが、この「三組一体」(trilogy)は、三個のグライアイ(Graiai)や三個のモイライ(Moirai)と同じゃうに、聖敷としての三に敷を合せるための工作に他ならぬ[015]。本来は一名 — メドゥサとして知られてゐる一名だけである。しかも太だ奇妙なことには、メドゥサの名を持つゴルゴンは、殆んど常に一の頭首として我々に見参する。一人前の体をした怪霊として物語られるととは殆んどない。ポセイドン神と相馴れて天馬を産む物語や、英雄ベルセウスにその住処を襲はれて頭首を切り落される物語ぐらゐのもので、他の場合にはいつもただ一個の「胴体の無い頭首」が、ゴルゴンその者である。肉体美・姿態美を酷愛した古き代の希臘人は、絵画にも彫刻にも神々や河泉・林野の諸霊物 — たとへばニュンファィ、パン、サテュロイなど — 全躯を描き若くは刻むのを常としたが、ひとりゴルゴンの関する限りは、申し合せたやうに、はた型で押したやうに、その頭首ばかりを表現してゐる。希臘の古芸術作品の周到な研究者カー・オー・ミュラー(K. O. Müler)でさへ、ゴルゴンに関しては、メドゥサの頭首の物凄い表現からその美しい死顔の静穏な表情に至るまでの漸次的な芸術的発達を究め辿る以外に、手の出しやうがなかったことは、一巻の『古代芸術作物』(Denkmäler der Alten Kunst)が、明かに之を證示してゐる。ゴルゴンと聞いて古き代のへラスの民衆の心眼に浮び来ったものは、一の存在態(ウェーゼン)としての怪霊の全姿ではなくて、ただ恐るべき相貌をした顔面だけであった。ゴルコン観は、実はこの点で、他のすべての怪霊観からおのれを峻別してゐる。この特異な事情は、ゴルゴンなるものが、その表象に於て、第一次的には肉体を有しない頭首・顔面として発生し、そして第二次的により後期的にその全体の形態が想案されるに至ったことを示唆してゐる。一寸考へると、洵に奇妙な事実のやうであるが、実をいへば、それが本道である。ゴルゴンとしてのメドゥサに関する限り胴体よりも先に頭首があったのである。頭首がまづ存して、それを載すべき肉体が後になって案出されたのである。

 それならば、単なる頭首・顔面としてのゴルゴンは、いかなる事情若くは原由の下に生れ出たであらうか。

 或る学者は、或る動物の特異な形相に、さうしたものとしてのゴルゴンの成因を見出さうとしてゐる。ジー・エッチ・グリーン(G. H. Green)が、多くの触手とぎろりとした眼とを持つ章魚(たこ)が、蛇のゴルゴンの観想を形づくるに与かつて力があったとたし得ると説いてゐる如き、これである[016]。泰西の学者は、兎角怪物の形態を章魚からの示唆に帰することを好むらしく、ローズの如きも、百の手を持つ巨人的魔ブリアレオス(Briareos)の奇怪な形態に関して、クレタ芸術の愛好的主題たる章魚にその形成を負うてゐるだらうとなし[017]、また或る他の学者は、北欧神話に於けるオーデイン一神(Odin)の愛馬なる八脚のスライプニル(Sleipnir)を始めとして、聖数としての「八」までも、章魚の脚に示唆されたものと主張してゐる。なかなか興味ある見方ではあるが、自分などは可ゴルゴン観の関する限りに於ては、強ち章魚君などの援助を乞ふに及ばぬと信じてゐる。いな章魚説では説明し得ない大切な点がある。見る者を石に化する力能を持つことが、ゴルゴンの眼の特徴である。章魚の眼がいかにぎろりとしてゐても、之にさうした力が潜むとまで思ひめぐらすのは、衆庶の心理の実際ではないからである。

 他の学者 — たとへば、ローズは、先に説いたやうに、悪夢に現るる物凄い顔のまぼろしに、ゴルゴンの顔面の成因を観じてゐる。この仮説は、章魚説と違って、この怪霊が何故に見る者を石化させるかの謎をも併せて説明づけることが出来る。しかし、これも先に説いたやうに、悪夢の中の物凄い顔に優に匹敵し得るだけの物凄さを有する或る事物が、希臘人の生活中に実在してゐた以上、我々は、頭首・顔面としてのゴルゴンの成因としては、彼を棄てて此に就くのが、本道であらう。

 それならその物凄い「或る事物」とは、一体何であるか。曰く、ゴルゴネイオン(Gorgoneion)といふ仮面である。

 ゴルゴンの観想・信仰及びゴルゴンに関する神話がいかにして生れたかの真相を探り出したいと思ふ者は、古代希臘に見出されるゴルゴネイオンといふ呪術宗教的な仮面(マスク)に目をつけなくてはならぬ。この仮面は、英雄ベルセウスに斬り取られたゴルゴンの頭首に因んで作られたものであると伝承されてゐるが、さうした見方は、全く一の時代錯誤に他ならぬ。それは、此の仮面の怪奇凄愴を極めてゐるのに驚異した民衆が後期的に産み出した一個の民間推原説たるに過ぎない。実際のところ、古代希臘人は、へシオドスやフェレキュデス(Pherekydes)などが現れて怪魔ゴルゴンの神話をものする時代が来る遙か以前から[018]、かうした仮面を邪霊厭勝の目的で使用してゐた。つまり発生的にいへば、仮面ゴルゴネイオンは、怪魔ゴルゴンよりも一層古い存在である。上に列挙したいろいろの解釈の案出者たちにとって気の毒千万なことであるが、度肉にもゴルゴンの頭首の方が、ゴルゴンといふ神話的怪魔そのものの生れるに先だって既に幅を利かしてゐたのである。

 ゴルゴネイオンは、ぎらぎらと輝く物凄い眼をして獣のそれのやうな鋭い牙を突き出してべろりと長い舌を吐く形相に刻まれた仮面であった。希臘人は極めて古くから — ゴルゴンなどいふ怪魔的人物の誕生以前から、さまざまの邪霊の災を予防し若くは祓攘するために、さうした仮面を家の入口や竃の上に吊したり、楯に刻みつけたり、身に着けたりしてゐたし、またさまざまの公的な儀礼に於ても、舞踊者がこの仮面を被って、邪霊を駆除する舞踊を行うたのであった[019]。これが女怪ゴルゴンの母胎である。

 かうした見解 — 仮面ゴルゴネイオンに古典的怪霊ゴルゴンの成立困を見出さんとする見解は、自分が考へ出したものではない。それは英園の慧敏な学者ハリソン女史(J. E. Harrison)のかがやかしい新考説の一である。が、女史の説くととろは、真に要約的であり、端的簡明に問題の核心を掴み出してはゐるが、しかしそれだけに考究さるべくして未だ考究されないさまざまの問題が建留してゐる。固より問題の核心部に比べると、さうした残留問題は、言はば第二義的なものである。しかし初心の学徒は固より、相当な知識人さへ、残留問題が何であるかに気がつかぬのが実情であるばかりでなく、これ等を学び知ることが、問題の核心部に対する理会をより深くしより完全にする路であるととを思ふとき、我々は第二義的であるといふだけで、これ等を不問に附しではならぬ。自分は、かうした理由から、自分が考へて残留問題となすところのものを採り上げて見たいと思ふ。

 古き代の希臘人は、仮面ゴルゴネイオンの物凄い相貌 — 殊にその眼の恐ろしさに、体がすくみ血が凍る思ひを感じた。ローズが謂ふ所の悪夢の中の恐ろしい顔に、覚醒時・日常時に面接したのであった。かくしてゴルゴネイオンの眼は、見る者を石に化する力能を持つと観ぜられ且つ信ぜられるやうになった。いな、事実によりよく即していふならば、かうした仮面を想案し創作した主たる動機・目的そのものが、物凄い眼が見る者を石化させるカ能を持つ呪面によって諸々の邪霊を厭勝し駆逐するに存したであらう。

 エルウォーシィ(F. J. Elworthy)が、その著書『邪眼』(The Evil Eye)の中で明かにしたやうに、呪的仮面の駆魔力は、主として三つの点にかかってゐる。その一は、見る者に笑をそそる表出を持つことであり、その二は、観者に嫌悪の念を起させる表情を持つことであり、その三は、対者の心に恐怖を起させる相貌を持つことである[020]。いかなる邪霊といへども、笑ひこけさせられては邪力を揮ふことが出来ぬ。嫌で嫌でたまらぬものを見る場合にも、われから退避する他はない。恐ろしいものをつきつけられた場合も亦さうで、邪力を発揮するどころか、早々に逃げ出さざるを得ない。仮面ゴルゴネイオンは、つまり第三の場合を狙ったもので、出来るだけその形相表情を物凄くして、それによって諸多の邪霊を畏怖させ厭勝しようと希求したのである。切言すれば、毒を以て毒を制し、邪霊を以て邪震を制せんとたくらんだところに、ゴルゴネイオンの出現がある。

 しかしまだこれだけでは、神話的存在態(ウェーゼン)としてのゴルゴンの「見る者を石化させる眼」の観想が、いかにして発生したかの疑問に対する十分な説明とはなり得てゐない。仮面ゴルゴネイオンが、邪霊を恐殺せんとする意図・目的の下に想案されたものであるからには、この仮面は出来得る限り物凄い表情を与へられねばならなかった。その物凄い表情の在所(ありど)の一つとして、「心の窓」といはれた「眼」が選ばれたのは、洵に自然である。かくして仮面ゴルゴネイオンの眼は、之を見る人の子に血が凍る思ひを起させる底の物凄さを持ったのであり、従ってこの仮面から生れ来ったゴルゴンも、その「石化する眼」を親譲りとして継承したのである。

 が、これだけの説明では、今言ったやうに、十分ではない。我々は希臘人の間に於ける「邪眼」(evil eye)の信仰を併せ考へるべきである。古き代の希臘人の間には、一睨みで人間を斃し得る邪力を持つ眼の観念・信仰が、広く存してゐた。テオクリトス(Theokritos)の田園詩などを読むと、それがよく判る。彼等はかうした眼を「オフタルモス・パスカノス」(Ophthalmos baskanos — 「凶悪なる眼」の義)と呼んで、太だしく忌み懼れてゐた。ところでさうした眼の持主が人間にも多々あると信ぜられてゐたので、油断をしてゐるといつやられるかも知れぬといふ心配がある。さうした心配をなくするために、彼等はよく仮面を用ひた。仮面を表す英語 mask、独逸語 Maske、仏蘭西語 masque などは、希臘語の baska の古形の崩れたものであり、そして baska から描き出された baskania は、護身符のことである。かうした言語的関係は、仮面の起原若くは使用目的が那辺に存したかを、我々に示唆してくれる。剖ち「仮面」なるものは、能動的な機能 — こちらから邪霊を迫ひ斥ける — を狙ふと共に、受動的な職分 — 邪霊からこちらを衛る — を狙って案出され使用され始めたものである。だから、仮面ゴルゴネイオンも、一方に於ては、能動的に、おのれの物凄い眼によって諸々の邪霊を恐殺すると信ぜられたと共に、他面に於ては、受動的に、人間の顔面を隠すことによって、邪霊・邪人の毒視から之を擁護してくれると信ぜられた。ゴルゴネイオンも、これ等二つの働きを予定して、希臘人に使用された。その物凄い「石化の眼」は、一面に於ては、邪霊を祓除する積極的な攻撃手段であったと共に、他の一面に於ては、いはゆるsimilia similibus curantur— 「類は類によって医す」の観念・信仰によって、その「石化の眼」を以て相殺的作用の下に、対手の「石化の眼」からその使用者を庇ってくれる消極的な防衛手段であった。かくして神話的存在態ゴルゴンの「石化の眼」も、かう考へて来ると、これに面接する者を石化するといふ積極的念呪能を有すると信ぜられたと共に、他方では、対手の邪力からおのれを防衛するといふ消極的な呪能を具へてゐると信ぜられてゐたと考へていいであらう。これは単なる理屈や推臆ではない。実際希臘人はゴルゴンの頭首を鋳物にして胸につけて、他の人間の毒視から安全であることに努めた。その習俗は、実際のところ中世紀まで欧州の諸々の国に行はれ、アングロ・サクソンの王者たちの如きも、貨幣の面に之を刻ませて、邪眼除けの護符とした。古き代のへラスの民衆は、かくて自身から他を推して、神々も亦さうした護身符を必要とすると考へた。ゼウスやアテナやその他多くの神が、ゴルゴンの頭首を、或ひは楯に描き、或ひは胸甲に刻みつけてゐると神話された訳は、偏へにここに存する。

 しかし本当のことを言へば、神々が楯に描き胸甲に刻んで常に身辺から離さなかったのは、神話化した人物としてのゴルゴンの頭首ではなくて、さうした頭首よりもも一つ以前のものであり、それの母胎をなしたものである仮面ゴルゴネイオンであつた。そしてその意図も、消極的に、邪眼からおのれを守るに存したよりは、寧ろその強勢な呪能・その物凄い形相によって、消極的に他の邪霊を制圧するに存したとすべき、数々の事情・理由がある。ゼウス神族と太初的巨魔軍とが、お互ひに全族の運命を賭した大戦 — いはゆるgigantomakia を敢行し、そしてゼウス神族が寧ろ危きに頻してゐた時、アテナがゴルゴンの頭首(実はゴルゴネイオン)を刻んだ楯を以てその場に馳せ参じたために、巨魔軍が俄然勢挫けたとなす古い神話的伝承の如き、その一つでなくてはならぬ。


 既に考説したやうに、gorgoneion は、gorgô から出た語辞であり、そして gorgô と同じゃうに、「恐るべき」若しくは「迅速なる」を意味する。それならば、問題の呪面及びそれから発生した怪霊は、何が故に「恐るべき」若くは「速迅なる」の義を持つ語辞で表出されたであらうか。

 「恐るべき」はこの場合全く当然である。今までに縷説したやうに、問題の仮面も、はたそれから生(な)り出た怪霊も「恐るべき」ものであることを、その主要特質としてゐる。考へねばならぬのは、「迅速なる」である。

 自分の見るところでは、古き代の希臘人は、啻に呪面ゴルゴネイオンに太だ恐るべき呪能を観じたばかりでなく、猶ほまたその呪能が、太だ迅速に対者に作用すると信じてゐた。さうした信仰は、言はば一の願望から来てゐる。希臘人は、諸多の邪霊を厭勝せんがために、問題の呪面を想案した。とすればそれが持つ呪能が時を移さず、出来るだけ速かに邪霊に作用することを願望したことは、洵に当然でなくてはならぬし、そしてまたさうした「願望」が一の「信仰」の形を採ることも、全く自然の帰趨でなくてはならぬ。問題の呪面が — 従って之から発生した怪霊が、「迅速なる」の義を有する語辞を以て呼ばれたのは、偏へにこれがためであると、自分は思ふ。

 これは単なる臆測ではない。ゴルゴンと復讐霊エリニュエス(Erinyes)とが、古代希臘人の問で類同した存在態であると観ぜられた事実が、これを支援してゐる。

 一の神話的伝承は、ポセイドン神が草原でゴルゴンと歓会して天馬ベガソス(Pegasos)を生ませたと語ってゐるが、ポセイドン神とエリニュエスとの間にも之と同似した事件が起ってゐる[021]。悲劇詩人アイスキュロスも、悲劇「みき捧げ人」(Khoephoroi)の中で、エリニュエスをゴルゴンに比べ譬へてゐる[022]。かくて或る学者の如きは、これ等二つの存在態を目して同一概念の部族的若くは地方的変種に過ぎない。即ちゴルゴンが特にアッティカ民衆の観じた雷雲の人格化であるに対して、エリニュエスは主としてミニュア民衆の考へたそれであるに過ぎないとなしてゐる。この見方は、第一に、ゴルゴン及びエリニュエスをそれぞれ特定の一地方の産物となす点で「行き過ぎ」であり、第二に、両者を雷雲の人格化となす点で、事実に反する失考であるが、しかし或る意味に於て両者が同一の機能を持ってゐることは、どうしても肯定しなくてはならぬ。

 エリニュエスは、呪ひの力の具象化としての蛇と虚偽を照し出す浄玻璃の鏡とを手にして‘邪行を為した人間を飽くまで迫及し責罰すると信ぜられた。邪行への責罰・復讐といふ希臘人の希求がこの女神を産み出したのであり、そしてさうした責罰復讐は、能ふ限り迅速に実現されることを希求するのが人情である。かくて実際に希臘人は、エリニュエスの追及・責罰がまことに迅速に行はれると信じてゐた。彼等は、或る事象の結果が速刻に現れたことを言ひ表す場合、好んで「エリニュエスの復讐の如く速かに」といふ語を用ひたのであった。とすればエリニュエスと機能的に密接な関係を有し、そしてそれがためにこと混同される場合もあったゴルゴンが — 従ってまたその母胎たるゴルゴネイオンが、その呪能を発動させることに、エリニュエスと同じゃうに迅速であったと信ぜられたのは、洵に自然であらう。


 かくして、ゴルゴンとしてのメドゥサなる怪霊及び之に関するさまざまの神話的伝承は、窮極するところ「祭儀用呪面の申し子」の若干であるとする見解が、他のより旧い諸見解のいづれよりも、一層大きな確率を有するとしなくてはならぬ。しかしハリソン女史から這般の新説を聞かされた一般知識人のうちには、疑ひの眼を以て、若くは少くとも半疑の眼を以て、之に対する者が、決して少くないと思ふ。さうした人々を説得するには、之と同似した現象が他にも実存することを指説することが、何より肝要である。それなら這般の同似現象の事例が存するかといふに、少くとも自分の見るところでは、若干見出されるやうである。

 その一は、他ならぬ我が国にある。

 『本朝文粋』に見ゆる一つの説話によると、昔南都元興寺の鐘楼に、夜毎鬼が現れて、鐘を撞く者を捕へ啖うた。この寺に道場法師といふ者があり、膂力が人にすぐれてゐたので、一夜鐘楼に行って、鬼の来るを待ち、これと取り組んで格闘を始めた。暁に及んで鬼が退散しようとしたが、法師はその頭を掴んで放さなかったので、遂に鬼は頭皮を剥がれ、その皮宍が法師の手に遺った。そしてその鬼頭は高市(たけち)郡の古寺に永く遺存したといはれる。この伝承は、そぞろにゴルゴンに関する神話的伝承を想ひ起させる。

  1. 英雄ベルセウスがゴルゴンといふ一怪魔を退治したやうに、道場法師も一鬼物を退治してゐる。
  2. ゴルゴンがベルセウスのためにその頭首を斬り取られたやうに、鬼物も道場法師のためにその頭の皮宍を剥ぎ取られてゐる。

といふ点で、二者がまさしくその揆を一にしてゐるばかりでなく、両勇者の素性までが不思議に著しく相類同してゐる。雨者にはその内容の相似た「怪誕説話」がまつはってゐる。即ちベルセウスが、神の預の下に、黄金の雨に変じて一女人の体に降り来った雷霆神ゼウスの子であるやうに、道場法師も、雷神に預言されて、その力で一女人の腹から生れ出たと伝へられてゐる。ところで『南畝莠言』を見ると、「元興寺の鬼面并図」と題して、

「宝暦五年乙亥聖武天皇千年の御忌に、南都元興寺にて開帳ありし霊宝の中に古き面あり、其形左のごとしといふ。」

として、一個の物凄い表情 — 仮面ゴルゴネイオンそっくりの恐ろしい眼と牙とを具へてゐる — をした仮面の図を掲げてゐる。この仮面が邪霊駆祓を狙ふ儀礼に用ひられたものであることは、それが「道場法師一面龍雷五魂。八雷変相悪魔降伏神像」といはれた事実から、容易に且つ安全に推測することが出来る。

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 かうした諸々の事実を併せ考へると、

  1. 古く元興寺に、一の儀礼用の仮面が存して、邪霊厭勝の目的に使用された。
  2. その仮面は、邪霊を駈祓する呪具として、高度に物凄い表情をしてゐたために、それが持つ本来の呪術宗教的な意義が晦冥になるにつれて、一種の邪鬼の頭首若くは之を模したものと考へられるやうになった。
  3. さうなると、さうしたものがどうして元興寺に存するかが自ら問題となり、或る者が鬼物と格闘してその頭の皮宍を剥ぎ取ったといふ観想が、自ら発生した。

といふ推定が、少ならぬ程度に蓋然率を有することになる。

 更にまた我が国の「元興寺の鬼」と同じやうに、ゴルゴンに類同した径霊として、支那に饕餮(とうてつ)がある。

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 『左伝』の言うふところに従ふと、昔者帝鴻氏・少\UTF{76A1}氏・\UTF{9853}\UTF{980A}氏に、それぞれ不才の子があった。帝鴻氏の子は、無\UTF{8CF4}の輩を集め悪事に耽つたので、民衆は之を渾敦(こんとん)と呼んだ。少\UTF{76A1}氏の子は、道徳を侮蔑し有徳の君子を誹謗したので、天下の民が之を窮奇といった。\UTF{9853}\UTF{980A}氏の子は、頑迷不遜で非違の行為が多かったので、衆庶は之を呼んで檮\UTF{674C}(とうこつ)となした。これ等の三凶と相並んで、縉雲氏にも不才の子があり、飲食・貨財に貧欲で、下民の物資を奪って私腹を肥やしたので、天下の民は之を饕餮と呼んだ。莞帝の時に至るまで、これ等の凶徒はその勢を恣にしてゐたが、舜が堯帝の臣となるに及び、四方の賢人を招致すると共に、四凶を捉へて四方の極涯に追放して、魑魅を禦ぐことを命じたといふ[023]

 この記述を読む者は、すぐに尚書の一叙説を想ひ浮べるであらう。そこには四罪若くは四凶としての共工・驩兜(くぁんとう)・鯀(こん)・三苗が四方に流されたことが記されてゐるし、更に孟子萬章篇にも、「舜、共工を幽に流し、驩兜を崇山に放ち、三苗を三危に放ち、鯀を羽山に\UTF{6B9B}す。四罪して天下咸(みな)服す」とある。左伝の記叙と尚書のそれとは、かくして太だ類同してゐるので、多くの学徒が両者を同一視してゐる。即ち左伝の杜注は、左伝に拳ぐるととろの四凶 — 渾敦・窮奇・檮\UTF{674C}・饕餮を目して尚書に於ける驩兜・共工・鯀・三苗にそれぞれ相当するものであると断じ、而して後漢の賈逵・服虔などの先儒も悉くその見るところを同じうしてゐる。

 しかし左伝に見ゆる四凶追放の叙説は、尚書に於ける四罪追放の記叙に準(なぞら)へて作為したものと考ふべきかずかずの事由がある。第一に左伝に於ては、並存したのは、渾敦・窮奇・檮\UTF{674C}の三凶であり、饕餮は自ら別個の存在の態をなしてゐる。これを三凶と併せたのは、尚書の四罪とその数を同じうさせるための工作とすべきであらう。且つまた第二に、追放された四凶はそ九ぞれ「魑魅を禦ぐこと」を命ぜられたとあるに反し、追放された四罪に関しては、この事が見えてゐない。この事実は、四凶がその性質に於て四罪と異ることを示唆してゐる。果然賈逵・服虔の註によると、渾敦・窮奇・檮\UTF{674C}・饕餮は、啻にその兇悪な性質を表出する語辞であるばかりでなく、猶ほまたそれぞれ一種の怪異な獣を意味したといふ。そしてこれ等を一種の怪獣とするとき、「魑魅を禦ぐこと」を命じたといふ伝承が、初めて妥当になり生きて来る。更に一歩を進めて考へると、本来怪獣と信ぜられたのは、恐らく四凶の全部では、なくて、ひとりその中の饕餮だけであり、而して四罪に呼応するために饕餮が他の三凶と一聯の存在態として採り上げられたととろから、本原的には饕餮についてのみ考へられた力能 —「魁魅を禦ぐこと」の力能が、一なみに四凶に通ずるやうに叙説されるに至ったのであらう。自分がかうした推測を下すのは、他の三凶と異って、ひとり饕餮だけが、実際に怪獣として広く且つ屡々銅器などに彫刻されて、今日まで残存してゐるからである。

 それなら饕餮は、そもそもいかなる存在態であったらうか。普通には漢の東方朔撰とされてゐるが、実は魏晋南北朝に降るらしい『神異経』は、

「西南方に人あり。身に毛多く、頭上に豕を戴き、貧なること狼悪の如く、好んで自ら財を積み、人穀を食はず、彊き者は老弱の者より奪ひ、群を恐れて単なる者を撃つ。名づけて饕餮といふ。」

となしてゐるが、これが原初的な饕餮の表象であるとは、どうしても考へ難い。この存在態の姿は、既に周代の銅器などに鋳刻されて後代に及んでゐるが、その表現するところは、殆んどすべて顔面だけで、体躯をも併せ描いてゐるものは、極めて稀である。この顕著な事実は、

  1. 饕餮として知られるものが、本原的には顔面のみの形に観ぜられてゐたこと。
  2. 体躯は、顔面からの後期的観想であり、神異経に於ける叙説の如きは、疑もなく頗る後代的な潤色に他ならぬこと。

を、吾人に示唆してゐる。

 それならさうした顔面だけの怪獣は、いかにして発生したか。これには古くから種々の推定説があり、或る者は人間の顔面を怪奇にしたものであるとなし、新らしくは、森三樹三郎氏の如き、

 「銅器などに彫刻されてゐる饕餮の顔は、著しく模様化されてはゐるが、その受ける感じから言へば、人間よりも猫族に近いやうに思はれる。特にその誇張された眼光の鋭さは、猫族特有の陰険さを想はせるに十分である。さういへば苗と猫とは発音も近く、聯想されやすい性質の字である。またその性質を見ても、山間を馳け廻り、時に平地に現れて人家を掠める苗族の行動が、漢民族の眼に山猫の如く映ったとしても不自然ではあるまい。かやうな点から考へると、饕餮の原型は猫族であると言へるのではなからうか。」

と考説してゐられる[024]。この怪異的存在態の genesis については、他にもいろいろな見解が存し、諸説紛々として帰するところを知らぬといふのが実情であるが、吾人が当面の問題としてゐるところから言へば、「原型は何であるか」は、さして肝要な考究事項ではない。「何のためにかかるものを観想したか」といふ意図・目的を究め知ることが出来れば、それで事は足りる。

 それならば、怪物饕餮の図は、何が故に諸多の器物に描出されたであらうか。『左伝』宣公の条に周の大夫王孫満の語るところとして、夏の世が盛んであった頃には、諸国に命じて、各地に存ナる奇異な存在態の図を書いて提出させ、朝廷でそれ等を鼎に鋳刻するのが常であった。その意図するととろは、之を衆庶に展示して知見を博くし、神(あや)しきもの・姦(よこしま)なものを示教するに存し、衆庶は之によって、山林沢川に入つても、不若(あや)しきものを禦ぎ、魑魅魍魎に会せずに済んだとなしてゐる[025]。更に呂氏春秋先識覧に載する考説に従ふと、

 「周の鼎には饕餮を著く。首ありて身なし。人を食ふに、未だ咽(の)まざるに害その身に及ぶ。以て報更を言へるなり。」

とある。しかしかうした考説は、疑もなく後代的、な一種の「さかしら言(ごと)」であり、儒教的な歪曲説であって、共に原初的な意図・目的に卸したものではあり得ないであらう。首だけで身躰の無い怪物なるが故に、「人を食ふに、未だ咽まざるに害その身に及ぶ」となす如き、太だしく理に囚はれた観想であり、それによって因果応報の理を説いて一種の民衆教育を施すベく、問題の怪物を器物に刻んだとは、どうしても受取り難い。怪物の形像を予め展示しその害を避けしめる意図に出づとの解釈も、根の浅い合理主義的功利教育説である。予備知識の所有が必ずしも実害防止に役立つものでないばかりでなく、器物に描出される物そのものが、怪物どもばかりとは限らず、熊・虎・狗・鶏など人のよく知る物も併存する以上、予備知識説は、その成立が覚束なくならざるを得ない。寧ろ森三樹三郎氏の如く、

 「然しこれは儒家一流の合理主義による解釈であり、饕餮模様が広く行はれてゐた事実の説明にはならない。むしろ原始的には魑魅を禦ぐといふ意味に於いて魔除けとして用ひられてゐたと見るべきであらう。」

と解するのが[026]、事の真相に最も近いとすべきであらう。

 かくして饕餮は、本原的には、一種の仮面であったかも知れないし、若くは一種の模様・図案であったかも知れないが、しかしそのいづれであったとしても、それを盗み出した意図・目的は、怪奇な顔面が持つところの表情によってさまざまの邪霊を厭勝しようとするところに存したとしなくてはならぬ。だからこの怪物は、体躯の無い顔面としてスタートした。しかしさうした怪奇な顔面の存在は、当然一の怪物的存在態を人々に観想せしめざるを得なかった。かくして伝承が久しくなるにつれて、いつしかその体躯が想定され、はては苗族の如き、漢民族から見れば一種の蛮族とされるものと結びつくに至ったのであると思はれる。



[註]
  • [001]
     Apollodorus, Bibliothec34 seq.; Hyginus, Fabulae, 63, 64; Ovid, Metamorphoses, IV. 610 seq. 等参看。

  • [002]
     J. G. Hermann, De Mythologia, II, p. 180; K. H. W. Völlcker, Mythologie des japetischen Geschlechtes (1824), S. 212.
  • [003]
     C.M. Gayley, The Classic Myths in English Literature and in Art (1911), p. 517. 参照。

  • [004]
     T. Keightley, Mythology of Ancicnt Greece and Italy (1909), p. 223.

  • [005]
     Sophoklcs, Fragmenta, 167.

  • [006]
     Encyclopaedia Britannica, vol. X. p. 784.

  • [007]
      Homeros, Ilias, V. 736 sqq.; Aiskhylos, Eumenides, 825. 参照。

  • [008]
     Sophokles, Fragmenta, 291.

  • [009]
     Homerosの詩篇によつて知られる。

  • [010]
     K. A. Böttiger, Kunst-Mythologie, Band I, S. 369.

  • [011]
      Apollonius Rhodius, Argonautica, 4; Euphorion, Fragmenta, 16, 71.

  • [012]
     C. Robert, Die Griechische Heldensage, S. 222.

  • [013]
     Flügel," Polyphallischer Symbolismus und der Kastrationskomplex ", Internationale Zeitschrift für Psychoanalyse, Band VII.

  • [014]
      H .T. Rose, A Handbook of Greek Mythology (1928), pp. 29-30.

  • [015]
     このことについては、拙著『古代希臘に於ける宗教的葛藤』579頁参照看。

  • [016]
     W. H. Roscher, Ausführliches Lexikon der Griechischen und Römischen Mythologie, I. 5. 142, 2. 参看。

  • [017]
     Rose, Op. Cit., p. 22.

  • [018]
     Hesiodos, Aspis, 230 sqq.; Pherekydes, Scholia on Apollonius Rhodius, Argonautica, IV. 1091, 1515.

  • [019]
     J. E. Harrison, Epilegomena to the Study of Greek Religion (1921), p. 3; J. Hastings, Encyclopaedia of Religion and Ethics, S. V. "Gorgoneion."

  • [020]
     F. J. Elworthy, The Evil Eye (1895), p. 158.

  • [021]
     Pausanias, Hellados Periêgêsis, VIII. 37.

  • [022]
     Aiskhylos, Khoephoroi, 1048.

  • [023]
     左伝文公十八年の条。

  • [024]
     森三樹三郎『支那古代神話』85頁。

  • [025]
     左伝宣公三年の条。

  • [026]
     森三樹三郎前掲書86頁。


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