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Hair(髪)

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 魔女のまじないや恋人同士の魔除けの交換などで重要視されていたことからも明らかなように、髪には人間の霊魂の少なくともその一部が宿っていると考えられていた。古代ギリシアのトロイゼーンの神殿では、結婚を控えた若い男女が、自分たちの髪の毛を救世主・神ヒッポリュトスに捧げた。これは、「ヒッポリュトスと女神との結びつきを、更に強いものにしようという意図」からだった[1]

 母なる女神が、を迎えた神や人間のための「冥界の女王」になったとき、に瀕している神や人間の霊魂は、安全を求めて母親の庇護のもとに身を寄せる子供のようなものとみなされた。太母の髪が、近づいてくる霊魂に守護のを投げかけてくれたのだった。エジプト人は、自分をウシル〔オシーリス〕と同一視することによって救いを見出したが、それは、女神が自らの髪を用いてウシル〔オシーリス〕に再生の魔法をかけてくれたからである。「ウシル〔オシーリス〕の姿は女神の髪で覆われている。振り広げられた女神の髪が彼の額を覆っている[2]」。アセト〔イーシス〕は、ウシル〔オシーリス〕のために喪服を着たとき、彼の霊魂を守るために自分の髪を1房切り取った。エジプトの寡婦たちは、死後の世界でお守りになるようにと、自分の髪の毛1房を亡くなったの遺体と一緒に埋めた。

 アセト〔イーシス〕が、「静止した心臓」という名で呼ばれていたウシル〔オシーリス〕を甦らせたとき、彼女は自分の髪の毛の力で新しい生命を生み出し、彼の心臓を再び鼓動させ、彼の男根を活性化して、ウシル〔オシーリス〕の生まれ変わりであるヘル〔ホルス〕を受胎することができた。彼女は、「自分の髪の毛から身体の温もりを生み出し、呼吸を通わせた。……彼女は『静止した心臓』の力のない部分に動きを甦らせ、彼からエキス(精液)を汲み取り、赤ん坊を作って、その赤子を1人で養った」[3]。彼女は更に、「自分の髪を娠り広げてその子の身体を覆って」、「神の子」を守った[4]

 人間界でも、女性が、自分の髪には同じような厄除けの魔力があると主張した例がかなりあった。エジプトのプトレマイオス三世は、紀元前247年のシリア遠征のとき、妻ベレニーケーが自分の髪をアプロディーテーの祭壇に捧げて武運を祈願してくれたおかげで、災難に遭わずに済んだ。その髪は、神殿から姿を消し、発見されたときには、天上の聖なる御姿の仲間入りをしていた。今もなお、かみのけ座〔Gr. BerenivkhV plovkamoV(ベレニーケーの編み髪), Lat. Coma Berenices, En. Berenice's Hair(ベレニスの髪)〕として大空に現れている[5]

 天空に現れる徴候や不思議は、一般には、来たるべき破局を示す重要な前兆と解釈された。「髪の精霊」とみなされた彗星の場合は、とくにそうだった。彗星は太母の巻き毛であって、世界の終末の日に、この世が太母のもたらす黄昏のの中に徐々に覆われていくとき、天空に現れると考えられた。の女神の姿は、ほとんどの場合、その房々とした髪の毛が逆立った様相を呈しており。しかもその髪の毛は、メドゥサ-メーティス-ネイト-アナテ-アテーナーといったゴルゴネイオンの場合のように、ヘビの姿をしていることがあった。「天におけるが如く、地においであるぺし」(天地対応)という魔術の原理にのっとって、女性の髪には女神の髪と同様の神秘的な力が分与されていたのである。タントラの賢者たちは、女性が髪を束ねたり解いたりすると、字宙の創造力や破壊力が活発になると言った[6]

 予言を与える巫女や魔女たちも同じような考えを抱いていたのであり、束ねていない髪は霊界を支配することができるという理由から、髪を結わずに術を行った。アセト〔イーシス〕やキュベレーといった母神たち、それにカーリーから流出した数々の女神たちは、自分の髪を束ねたり解いたりすることによって、天候を意のままに左右できると言われた。人間界で女神たちを代行していた巫女や魔女たちは、地上で自分たちの髪を結ったり解いたりすることによって、天上の女神たちに髪を結ったり解いたりさせることができた。このため、キリスト教時代のヨーロッパでも、魔女の髪は天候を支配するという迷信が相変わらず信じられていたのである。教会側の人々は、魔女たちは髪をほどくことによって嵐を起こし、悪魔を出現させ、さまざまの破療を行うと言った。 17世紀になっても。『悪行要論』〔1608年、グアッツォーによって編纂された魔女や魔術に関する専門書〕には、魔女は髪をほどくことによって雨・霰・風・稲妻を自由に操ることができると述べられていた[7]。チロル地方では、雷雨はすべて女が髪を櫛ですくことによって発生すると信じられていた。スコットランドの娘たちは、自分の兄弟が海に出ているときは、夜中に髪をとかすことを禁じられていた。嵐が起きて兄弟たちの船を沈めるといけないからというのがその理由だった[8]。シリアでは、オオカミ人間に対する悪魔祓いの儀式において、「聖日曜日の前夜に髪をとかした女に裁きを加える天使」に祈りが捧げられたのであり、このことからも、髪をとかす女と世界の終末の日のイヌという形で神話化された「オオカミ人間」との間には、一定の関連があったことがわかる[9]

 聖パウロは、束ねていない髪で女たちが意のままに操ることのできる「天使たち」(この場合は、デーモン)を極度に警戒していた。そこで彼は、「天使たちのためでもある」(『コリント人への第一の手紙』11: 10)から、女は頭に覆いをかけるべきであると主張した。この結果、悪魔を建物の中に入れないために、女性は教会の中では頭に何かかぶらなければならないというのがキリスト教の決まりになった。今日でも、教会へ行くときに帽子か頭髪用ショールをかぶっていく女性がいるが、彼女らは無意識のうちに女の髪にまつわる昔からの迷信を尊重しているのである。コウモリが悪魔と同一視され、その結果、コウモリは女の髪にからまり易いと誤まって考えられるにいたったが、この考えも、元はといえば同じ迷信から生まれたのである[10]

 古代の人々は、女の呪文が効果を発揮するためには髪の毛がなければならないと主張した。したがって、髪を失った女性は無害の存在だった[11]。そこで、キリスト教の尼僧やユダヤ人の妻たちは頭を剃ることを強いられたのである。ヨーロッパ中世におけるキリスト教会の異端審問官は、魔女のかどで訴えられた女は髪を剃ってから拷問にかけるべきだと主張した[12]。教会側の人々は、サタンは自分の信者たちに、「髪の毛がありさえすれば」災いを蒙ることがないと告げていると主張した[13]。異端審問官の中には、身体の毛も剃った方がよいとする者もいた。このようにして、 to make a clean breast(洗いざらい白状する)という表現が、男の魔術師の胸毛を剃り落とす習慣から生まれた。

 首尾一貫性に欠けることだが、教会側の人々は、女は自分から進んで自分の髪を切り落とすべきではないと考えていたようだ。ジャンヌ・ダルクを火刑に処した罪状の1つは、彼女が自分で自分の髪を切り落としたことだった。訴因の文面には、「この女は背教者である。なぜならば、神がかぶりものにせよと与えたもうた髪を、神意に背いて早々と切り落としたからである」となっていた[14]。審問官たちは拷問にかけるぞとジャンヌを脅したが、もしも拷問にかけられていたら、彼女の髪はやはり神意に背いて早々に切り落とされていたであろう。男たちは、先を越されるのではなく、自分たちの手で彼女の髪を切り落としたかったようである。

 中世のヨーロッパには、異教の毛髪重視から生まれた迷信が数多く存在していた。子供たちは、あまり早く髪を切ると体力が損われるという理由から、何年間も髪を切らずにそのままにしておかれた[15]。ジプシーの魔女は、恋人に捨てられた者に対して、愛する人の髪の毛を何本かひそかに切り取って、腕輪かロケットに入れて身に着けていなさいと薦めた。ある人の髪の毛を持っていれば、その人のに影響力を行使できるとされていたのである[16]。恋人たちは、誠実の証として、お互いの髪の毛を交換することが多かった。どちらか一方が相手を裏切った場合、その髪の毛を用いて裏切り者に復讐の呪いをかけることができた。

 魔女は髪の毛で見分けがつくと、ジプシーたちは言った。魔女の髪は、根元から3インチないし4インチまではまっすぐだが、それから先は、あたかも「滝の水が岩にあたってはねかえる」ように。ウェーヴがかかり始めるというのだった。これは、ジプシーたちがアジアから出るときに引き継いできた、極めてヒンズー的な考え方の1つだった[17]。この滝の水のように見える効果は、生来はまっすぐな髪を常時編んでおくことから生じるのであり、髪を編むことはヒンズー教徒やジプシーの女たちの風習だった。しかし出産のときは、ジプシーの女たちも、髪は編まずに垂らしたままにしておくのがしきたりだった。魔術の原理によれば、髪を編んでいたり、または、髪に結び目を作っていたりすると、出産が「途中で止まってしまう」のだった[18]。ヨーロッパの魔女-産婆たちもそのような考えを持っていたが、しかし産婆たちの中には、女たちの髪を編んでやって、編まれたその髪を乳飲み児と乳母を守る魔除けにした者も多かった。この風習は、アイルランドでは19世紀まで続いた[19]

 ホメーロスは、「結い髪のキルケー、人間の言葉を話す恐ろしい女神」と言った。すなわち、キルケーの髪と言葉は、女神カーリーの髪や言葉と同じように、創造と消滅を支配したのである[20]キルケーという名は「運命の糸を紡ぐ女神」の別名であり、この女神は、織機の前に座って人間のさまざまな運命を織り出すと同時に、生成の呪文を唱えた[21]。編みあげられたキルケーの髪は、霊魂の再生の象徴であり、彼女自身が、字宙的「円環」 Cirque、すなわち「カルマ(宿命)の車輪」を体現していた[22]

 運命の輸を編むという行為は、「五月柱の踊り」をはじめとするさまざまな異教の踊りの中で、太陽の光との光を象徴するリボンを使って表現された。五月祭の前夜、女の踊り手たちは、太陽の見かけの運行方向とは反対で、の逆行運動と同じ方向、すなわち女性にとって神聖とされた左まわりで、五月柱の周囲を回った。一方、男の踊り手たちは、女たちとは反対に太陽の見かけの運行と同じ方向(右まわり)で五月柱の周囲を回った。この結果、リボンが編みあげられていったが、このリボンは男性的な力と女性的な力が相互に浸透し合ったことを表していた[23]。この異教的な踊りは、今でもスクエアダンスにおいて、「グランド・ライト・アンド・レフト」の名で知られている「編みあげ」型の踊りとして生きている。この場合、男女の騎り手は、すれ違うときに手を触れ合うか否かは別として、 1つの円の周囲を向かい合って反対方向に進みながら、互いの位置を交換しつつ、いわば縒りひもを編みあげていくような形で踊るのである。

 太陽神の場合。髪は「光線」と男性的生殖能力の両方を表していた。アポッローンの男根的機能は、「黄金色の頭髪を持った雄」の意の添え名クリュスコメスによって暗示された。サムソンの場合と同様に、太陽神たちが髪の毛を切るということは、供犠としての去勢を意味した。昔から英雄去勢または断髪が行われた場所の1つにカルヴァリがあったが、カルヴァリは、「禿頭のされこうべ」の意の丘で、供犠を執行するための場所だった。ローマ人たちは太女神をカルヴァ(「禿頭」)と呼ぶことがあったが、この名は太古からのものなので、太女神がなぜそう呼ばれたかを知る者は誰もいなかった。おそらく、エホヴァを祀った聖なる山モリヤの場合と同じように、カルヴァという名は、「頂に祭壇が置かれている供犠の丘」から派生したものと思われる[24]

「頭髪は、西洋でも東洋でも、特別な注目を集めている。自分の生命力を維持すること、すなわち、仏教の用語で言えば、『生命力の流出を遮断する』ことを願う聖職者たちは、髪の毛を剃り落とす。聖書に登場するサムソンの場合には、長髪が活力の貯えられている場所だったが、これはシーク教徒の場合も同様である。宇宙の創造的・性的エネルギーの体現者であるインドのシヴァ神は、例外なしに、その長く豊かな頭髪が復雑に結われて、しかも高く積みあげられている姿で表現されている。シヴァ神を信奉するヨーガの行者たちは、頭髪の面で自分たちの神の姿を見習っている。豊かな髪は、シヴァ神の勃起した男根と同様に、神聖なエネルギーの豊かさを表している。……今日でも一般のインド人は。『風邪引き』を避けて健康でいられる方法(すなわち、生命力を保持する方法)は、仮に身体の他の部分が裸同然であっても、頭部だけは覆いをかぶって露出しないことであると信じている。彼らがターバンを巻いているのはそのためである[25]

 頭髪豊かなシヴァ神を崇拝したタントラのサーダカ(実践者)たちは、聖書に登場する「サドカイ人」の原型だったかもしれない。サドカイ人の親戚筋の宗派に属していて、ナジル人またはナザレ人と呼ばれた隠修士たちも、サーダカたちと同じように、決して髪を切らないことで有名だったのであり、この伝統は、耳の前に垂れ下がった巻き毛は切らないという部分的な形で、正統派のユダヤ教徒たちにも遵守された。東方の聖なる隠者の戒律は聖書にも現れていて、「彼は聖なるものであるから、髪の毛をのばしておかなげればならない」(『民数記』 6: 5)とある。しかし他方でキリスト教徒は、男に長い髪があれば恥になる(『コリント人への第一の手紙』 11 : 14)とも言った。

 男性的生殖能力が強いと禿になるという正反対の内容の神話は、ヒポクラテスによって広められた。これはおそらし彼自身が髪の毛を失っていたからだろう。彼の説によると、禿げている男は「災症を起こし易い体質であり、頭の中の血祭が、性欲によって激しく動かされ熱せられて表皮に達すると、毛髪の根が枯れて髪の毛が脱け落ちる」のだった[26]。禿と性的能力との間に相関関係があるという神話が今日まで続いているのは、ヒポクラテスのおかげである。
 これもまた長い間続いている別の神話では、魔女の髪は、土の中に埋められたりまたは水の中に入れられると、ヘビになると言われた。その髪の毛が月経中の魔女から抜き取られたものなら、なおさらであるというのだった[27]。この神話は、いわばゴルゴーン神話という根から派生した枝のうちの1枝であり、髪の毛がヘビである女の頭は、「知恵」の表象であると同時に、月経に関するタブーを破ろうとする人々への警告でもあった。

 髪と異教崇拝との間に関連があることは周知の事実だったので、英国の教会は男たちに対して、聖金曜日の前日の型木曜日には、頭髪とあごひげを刈り込み、復活祭に備えて「きちんとする」(すなわち。「キリスト教徒らしくする」)ように命じたものだった。したがってこの日は、古文書には、「髪を刈り込む木曜日」 Shear Thursdayと書かれている[28]


[1]Frazer, G. B., 8.
[2]Book of the Dead, 54, 400.
[3]Budge, D. N., 250.
[4]Budge, G. E. 1, 443.
[5]Lindsay, O. A., 131.
[6]Rawson, A. T., 67.
[7]Wedeck, 152, 78.
[8]Frazer, G. B., 273.
[9]Summers, V., 225.
[10]Cavendish, P. E., 95.
[11]Graves, W. G., 396.
[12]Frazer, G. B., 789.
[13]Campbell, C. M., 595.
[14]Coulton, 253.
[15]de Lys, 153.
[16]Leland, 134.
[17]Leland, 160.
[18]Trigg, 58.
[19]Hazlitt, 341.
[20]Homer, Odyssey, 148.(正しくはX, 135-6)
[21]Graves, G. M. 2, 358.
[22]Lindsay, O. A., 239.
[23]de Lys, 374.
[24]Dumézil, 422.
[25]Rawson, E. A., 25.
[26]Knight, S. L., 79.
[27]Briffault 2, 662.
[28]Hazlitt, 541.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)

 大修館の訳書は、「ヒッポリュトス」を、「ヒュッポリトス」と、かなり恥ずかしい間違いをしている。



一般〕 爪や手足のように、人間の髪の毛はその人間との〈緊密な関係〉を保つと考えられている。髪を切ってもそうである。髪の毛はその人の特性を霊的に凝縮し、その人の個性を象徴する。その人とは「親和力」の絆で結ばれているからである。そこから聖者の聖遺物信仰、ことに髪の房の信仰が生まれるが、ここには崇拝の行為ばかりでなく、固有の効能にあずかろうとする欲求も含まれている。そこから、多くの家庭での巻き毛の束や乳歯をとっておく習慣は来ている。このような行為は思い出を永く留める以上の意味がある。髪の毛を持っていた人物のその時の状態を存続させようという意志のようなものを示しているからである。

人や人の力を表す〕 髪の毛は人間のある徳、ある〈能力〉を表すことが一番多い。たとえば聖書のサムソンの神話では筋力、精力である。髪の毛が完全に人間にとって代わることさえある。たとえば湯王は人民のために自ら人身御供となり、髪の毛を切る(爪も切ったとされる。爪は髪の毛と、生物学的にも、同等である)。鋳刀の大事を成功させるため、干将とその妻の莫邪はかまどに自らを生贄として捧げる、すなわち、切った髪の毛と爪をかまどに投げ入れる。同じことが西欧の錬金術でも報告されている。ヴェトナムでは切ったり、櫛で抜けた髪の毛を捨てない。なぜなら、その人の運命に影響を与える魔術に使うことができるからである。

髪の毛のないこと〕 成人年齢に達すると髪の毛を伸ばす。剃って髪のないことは中国ではある種の職につくことを禁じる身体の一部欠損にあたり、結局去勢を意味した。髪を切ることは供犠にあたるばかりか、降伏に相当した。それは自発的または強制的な、徳や特権の、結局は自己の〈人格〉の放棄であった。このような考えの痕跡はアメリカ・インディアンの恐ろしい頭皮はぎだけではく、修道士となるときはほとんどどこでも髪の毛を切ることが必要であるという事実にも見られる(釈迦牟尼の出家が思い出される)。ヴェトナム人はつむじの様子から、ある人物の運命や性格に関するありとあらゆる結論を引き出す。彼らは一種の髪占いを考え出したのである。

形態〕 髪の毛の切り方や整え方は常に個性だけでなく、社会的または精神的、個人的または集団的役割を示す決定的要素であった。髪形は日本の武士階級ではきわめて大きな重要性を帯びていた。フランスでも、人が髪を刈り始めた頃、王侯だけが長い髪の毛を持つ特権を有した。長い髪は〈権力〉のしるしだったのである。アジアでは髪を切ったり、形を変えたりすることが集団を支配する道具にしばしばなった。たとえば満州人の侵略者たちは中国人に弁髪(頭髪をたばね編んで背にたらしたもの)を強制した。

乱れた髪の毛〕 中国には、儀式的態度としての「乱れた」、「ほさぽさの」髪の毛のシンボリズムが存在する。今日でもそれは〈喪〉のしるしである。かつては、意味は同じなのだが、〈服従〉のしるしであった。仙人や、「一を守る(守一)」ため道教の一者集中の方法を行う者たちはぼさぽさの髪をしていた。古代のある儀式舞踊は「乱れ髪」で踊られた。それはまた仕事中の魔法使いたちや、秘密結社のロッジに入会を希望する者の髪形であった。このような髪の毛をすることは、一般的にいって、個々の人生や日常生活や社会秩序にある制約なり慣習を放棄することを意味するようである。ここで、60年代のビート族のことを考えることはできないだろうか。

 ヒンズー教の図像では、乱れた髪は〈恐るべき神〉たちの特徴であることが最も多い。ギリシア神話のゴルゴンやテュボーンの場合も同様である。しかし、それは〈シヴァ神〉の特徴でもある。それは風神〈ヴァーユ〉、すなわち風と関係する。また女神〈ガンガー〉とも関係する。ガンジス川というのは、シヴァ神のもじゃもじゃの髪の毛から流れ出たガンガー女神のことをいう。≪宇宙≫の網状組織、「織物」は〈シヴァ神〉の「髪の毛」からなるとされるが、この髪の毛とは空間の諸方向のことである。

 頭の周辺部に伸ばした髪の毛はまた〈太陽光線〉のイメージである。より一般的には天との関係に関与する。中国では髪の毛を切ったり、同じことであるが、山の木を切って雨を止めた。別の次元で、イスラム教徒の髪の房、またヒンズー教の神々の「前髪の房」(〈シカー〉)の役割にも注目したい。それらは人間を越えた領域との実際の可能な関係のしるし、個人性の超越、「宇宙からの脱却」のしるしのように思われる。

ケルト〕 ケルトの伝承には髪が成年のシンボルあるいはしるしであると明示するものはない。ただし、島部の文献では、髪を長くすることは〈貴族、または王族の資格〉を示すとされている。短い髪を持つのは従僕か下級の者であり、重要人物の描写でブロンドか褐色の髪のことが省かれることは稀である。古代、髪の毛は独立のガリア人の識別記号であった。ローマの属州のガリア・ナルポネンシスに対し、まだ自由なガリアは〈長髪のガリアGallia Comata〉と呼ばれる。すなわち「長髪族の住むガリア」である(あるいはGallia braccata「ゆったりしたズボンをはいたガリア」ともいう)。「喜び勇んで戦いに戻っていくトレウェル人よ、お前も、そしてお前、丸刈りのリグリア人よ、かつては肩まで髪を伸ばし、長髪族の全ガリアを率いて進んだ、あんなに美しかったリグリア人よ」(ルカヌス『ファルサリア』1、441-443)。この古代ローマの詩人はトレウェル人に託して〈独立自由の〉ガリア人を、そしてリグリア人に託して髪の毛とともに自由を失い、生来の勇猛さも捨て去ったガリア人を表そうとしている。とにかく、ケルト人は髪の毛を非常に大切にし、続いたり編んだり、古代の何人かの文筆家によると、染めたりもした。シリウス・イタリクスは自分の髪をマルスに捧げた1人のガリア人の例を引いている(『ポエニ戦役』4、200)。アイルランドのキリスト教化の初期、聖職者の剃髪は深い謙虚のしるしであった。ケルトのキリスト教徒の剃髪は、あらゆるテキストに記されている神ルフの剃髪と同じであると長い間考えられいていた(WINI、5、733および以下;ZWIC、1、47-48および60)。

髪の毛を切ること〕 髪の毛は絆であり、ここから取得、さらには〈同一化〉の呪術的シンボルに髪の毛はなる。ザンベジ川下流地方の雨乞い師には2つの精霊、ライオンとヒョウの精霊がついていた。これらの精霊が離れないように、彼は決して髪の毛を切らず決して酒を飲まなかった(FRAG、3、259-260)。フレイザーが強調するよう、王や聖職者などの髪の毛はしばしばタブーの対象で、切ってはならないものである。

 さらに、髪の毛を切ることは戦争や旅行の間、したがって、ある誓いの間は中止される。エジプト人は旅をしている間は髪を伸ばし続けた。切りも梳きもせず、髪の毛(ひげも)をはやし続けることは数多くの民族(ニューギニアのパプア族)にとって喪のしるしで、しばしばある誓いの結果である。現代史にもフィデル・カストロの「カストロ髭」という見事な例が見られる。彼はキューバが専制から解放されない限り髪の毛を切ることもひげを剃ることもしないという誓いを立てたのであった。

子供の髪の毛〕 髪の毛はの、あるいは〈いくつかのの1つ〉の宿り場とみなされている。セレベス島やスマトラ島では髪の毛に住むを失う危険を犯さないよう子供の髪を伸ばさせる。ドイツの一部では満1歳にならないと子供の髪を切ってはならないと考えられていた。そうしないと、その子供は不幸になるのであった(同書、258頁以下)。

 非常に多くの民族が初めて子供の髪の毛を切るときを重要な儀式とし、その儀式は悪霊を遠ざけるため過剰なほど神の慈悲を乞い願うことを特徴としている。なぜならそのとき、生まれたときからの髪の毛とともに生命力の一部を子供は剥ぎ取られるために、悪の力に対して特別に侵されやすいと考えるからである。なかんずくアリゾナのインディアン、ホーピ族の事例がそうで(TALS参照)、彼らはこの作業を、1年に1回、冬至の祭りのときに、必ず集団で行うのである。インカ人の世継ぎの皇太子が初めて行う散髪は2歳に達したとき、離乳と同時になされる。そのとき、彼は名前をもらったが、エル・インカ・ガルシラソ・デ・ラ・ヴェガによると(GARC、65頁)、「それは王の親類全員が宮廷に集まる大祭であった」。

 この組み合わせは髪の毛と〈生命力〉の間に結ばれたつながりをはっきりと示している。未来の王は名前をもらう、したがって一個の人間になる、と同時に出生前の生と結ばれた生まれたときからの毛を失うのである。ということは、髪を切り、名づけられることでそれまで母から受けていた生命力に自分自身の生命力が交代するということである。同時に離乳がされるという事実もこの解釈を裏づける。

婚姻との関連〕 生命力の概念はと〈生涯〉の概念を導く。酋長ドン・タラエスパによる次のようなホーピ族の婚姻儀式の描写がある。婚約者の女性の親戚は2人の髪の毛を洗ってから、「一緒にすりつぶしたユッカ(清め多産とする力を持つ)の入ったたらいに入れる。それから一緒に撚(よ)りあわせて紐にする。そうすることがアンズの果肉が種にくっつくように、2人を互いに結びつけると信じられているからである」(TALS、227)。

 同じ意味で、イランの詩は波打つ髪の房を、ぴんと張った弦が両端をつなぐ弓にたとえる。愛し合う2人の間に織りあげられる絆のイメージである。巻き毛は恋人たちが決して破らないと約束する結婚の誓いの証を象徴する。

植物との関連〕 象徴的思考の中では、髪の毛は〈草〉、大地の髪、したがって、植物と結びつく。農耕民族にとって髪の毛の成長は栄養のある植物の成長を表す。「未開」といわれるすべての民族が髪の毛を重視し、大切にするのはそれゆえである。成長の概念は上昇の概念に結ばれている。天は豊餞の雨を降らせ、この雨が天に向かって大地より植物を立ち上がらせる。そこで髪の毛はしばしば贖罪の儀式で、羽、天の神々への人間からの伝令と組み合わきれるのである。

elizabeth.jpg女性との関連〕 髪は〈女性〉の主要な武器の1つであり、髪が見えているか、隠されているか、結ばれているか、解かれているかはしばしば女性が気持ちを開き、すべてを捧げようとしているか、あるいは慎ましくしようとしているのかを告げるしるしである。キリスト教のイコノグラフィーでマグダラのマリアは常に解けた長い髪をした姿で描かれるが、これは初めの罪女という立場を思い起こさせるためというより、神への信従のしるしである。ロシアでは結婚した女は髪の毛を隠した。またある俚諺は、娘は頭が覆われないうちは男と遊んでよいと断言する。女性の髪に結びついた性的な挑発の概念が、次のようなキリスト教の伝承の起源にある。それは女性は頭を露わにして教会に入ることはできないというものである。したがって、なにも頭に被らずに教会に入るのは法的な自由を行使するというばかりでなく、道徳的な放縦の願望を表明することになる。ロシアでは1つだけの下げ髪は娘しかしてはならない。それは処女のしるしであるからである。結婚すると女性は2つの下げ髪をする。

髪を梳くこと〕 ある人の髪を続くことは、多くの民族(ロシア、インドのドラヴィダ族)にとっての虱取りと同様に思いやり、もてなしの証である。代わりに、ある人に髪を梳かせることは〈愛情〉、信頼、親密さのしるしである。ある人の髪を長々と続くのは、やさしくなで、揺すり寝かしつけることであり、ここから多くの国のおとぎ話の魔法のくしが来ている(アンデルセン『雪の女王』の花の老婆の金のくし、参照)。多分ロシアの小学生たちが試験の前夜は、覚えた課業を忘れる危険があるので髪を梳くのを避ける習慣もそこから来ているのだろう。

神話〕 エヴェンキ族の神話では「失われた太陽」を連れ戻すため、あらゆる人間の髪の毛を1本ずつ使って袋網を編まねばならない(エヴェンキ族の民間伝承『北の国の話』、モスクワ・レニングラード、1959)。

宗教〕 キリスト教の宗礼では髪に関するすべてが多種多様なシンボルとして働く。たとえば隠者は髪を伸ばした。ナザレ教徒の例に従い、隠者は剃刀やはさみを決して使ってはならなかったのである。そこで彼らは豊かな、もじゃもじゃな毛をしている。中世では、隠修士は年に1度髪を切らせることもあった。髪を伸ばすことは身を飾ることとはみなされていなかった。反対に修道会に入る者は剃髪にされた。これは改俊のしるしであった。

 老人に髪を切ってもらうことは従属の意味、一種の後見受諾の意味を持ちえた。長い髪の毛を持つことに力が存在すると考えられたので、髪を切ることは権力喪失の価値を帯びた。

 俗人の場合、女性は贖罪の苦行の期間は除き、髪を短くする権利がなかった。悔俊者は男女ともに髪を切るよう奨められた。男あるいは女の、ある種の罪人の丸刈り頭は今日に残るこのシンボリズムの無意識的継承ではないだろうか。アレクサンドリアのクレメンスとテルトゥリアヌスは女性に髪を染めたり、かつらを被る自由を与えなかったが、この禁止も「贖罪」の精神に由来し、誘惑の術策を禁じるものである(聖職者については〈剃髪〉の項参照)。

 髪の毛に与えられた重要性は非常に大きく、この面での違反者は教会に入ることを禁じられ、宗教による正式な埋葬をされないことがあった。

 若者の断髪には祈りが伴った。古代、中世の典礼書にはそのための祈祷が含まれている(M・アンドリュー『中世初期のローマ修道会』、ルーヴァン、1931;『霊性辞典』の当該項、分冊4、833-834貢)。

 聖フアン・デ・ラ・クルスは、パウロの「愛は、すべてを完成させる絆です」(『コロサイ』3、14)という表現を踏まえ、妻の髪の毛は「の諸徳の花束を結ぶもの、〈意志と愛〉なのである」と考える。
 (『世界シンボル大事典』)


[画像出典]
1。上村松園「焔」
大正7年(1918)
絹本着色
縦190.9 横91.8

2。Art cyclopedia
Franz Xavier Winterhalter[German Academic Painter, 1805-ca.1873]
Elizabeth of Bavaria
Elizabeth of Bavaria (1837-98),
Wife of Emperor Franz Joseph I of Austria (1830-1916)