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ミトラス(MivqraV)

megaira.jpg  ペルシアの救世主。ミトラス信仰はローマにおける、キリスト教と対立する最も主要な宗教であり、キリスト教時代の最初の4世紀の間は、キリスト教よりも盛んであった。西暦307年、皇帝は公式にミトラスを「皇帝の保護者」と呼んだ[1]

 キリスト教は多くの細かい点で、ミトラスの秘教を模倣した。のちになってその類似を得意の論法で説明して、キリスト誕生以前に、悪魔が真の信仰を先取りしてまねしたのだ、と述べている。キリスト教とミトラス教は、いくつかの点できわめて類似しており、聖アウグスティヌス(354-430)でさえ、ミトラスの祭司は自分と同じ神を崇拝していると述べている[2]

 ミトラスは、 「征服されざる太陽の誕生日」と呼ばれる12月25日に生まれた。この日は最終的には4世紀にキリスト教徒によって、キリストの誕生日として引き継がれた[3]。一説には、ミトラスは太陽神とその母との近親相姦的結合から生まれたというが、これは、神であって神の母の子であるキリストと全く同じであった。また一説にはミトラスの母は人間の処女であったと言い、その他の説によるとミトラスは母親がなく、「天界の父」の男根の稲妻によって受精した女性の「岩」petra genetrix(創生の岩)から奇跡的に生まれたと言う[4]

 ミトラスの誕生は、羊飼いと、「創生の岩」の聖なる生誕の洞穴に捧げ物を持って来た賢王(マギ)によって目撃された[5]。ミトラスは聖王伝説によく見られる奇跡の数々を行っている。死者を甦らせ、病人を癒し、目の見えない者の目を見えるようにし、足の悪い者を歩かせ、悪魔を追い払った。ぺトラpetra(岩)の息子であるペテロとして、彼は天界の王国の鍵を持っていた[6]。ミトラスの勝利と昇天は、太陽 が最も高い点へと昇る春分の日(復活祭)に祝われた。

 天に戻る前に、ミトラスは、黄道十二宮を表す十二弟子とともに、「最後の晩餐」を祝った。これを記念して、ミトラスの崇拝者は集まって十字架を印したパンの聖餐をともに取った[7]。これはキリスト教の7つの秘跡のモデルとなったミトラスの7つの秘跡の1つで[8]、ミズド mizd(ラテン語のmissa、英語のmass)と呼ばれた。ミトラスの姿は、彼の母の子宮を表す聖なる洞穴である岩の墓に埋められた。ミトラスはその墓から脱け出て再生すると言われた[9]

 初期のキリスト教と同様、ミトラス教も禁欲的な反女性的宗教であった。聖職者は独身の男性に限られていた[10]。女性はミトラス教の神殿に入るのを禁じられた[11]。ミトラス教信者の家族の女性は、男性の儀式に一切関与することなく、イシス、ディアナ、あるいはユーノーを祀る女性の神殿において太女神を礼拝した[12]

 創造神話から女性的原理を除去するために、ミトラス教徒は、「万物の母」ではなく、「単独で創造されしもの」と呼ばれる雄ウシを、天界の原初の楽園(Pairidaeza)に置いた。イヴの代わりに、この雄ウシが最初の男性の相手となった。すべての生物が雄ウシの血から生まれた。しかし、雄ウシが生命を生む方法は、奇妙なことに女性を模倣したものであった。雄ウシは去勢され生贄に供され、その血が月にまで流れて行き、魔術によって実を結んだのである。月は、女性の月ごとの魔術的な「生命の血」の根源であり、その血によって地上に現実の子供が生まれた[13]

 ペルシア人は異教世界では「清教徒」と呼ばれていた。彼らは、それほど清教徒的でもなく極端に男性主導ではなかった初期アーリア人の宗教を発展させ、ミトラス教を作った[14]

 ミトラスは、インド・イラン人の太陽神ミトラス、あるいはミトラスヴァルナであったと思われる。この神は「無限-女神」アディティの黄道十二宮を表す12人の息子たちの1人であった。別のアディティの息子が、「アーリア人」の名祖となったアリアマンであり、ペルシア人はこの神をミトラスの敵である「闇の大いなるへビ」アーリマンに変えた[15]

 もっと初期には、女性のミトラスが存在したと考えられる。へーロドトス(紀元前484?-425?)は、ペルシア人はかつて、アッシリアの「太母神」ミュリッタのような空の女神ミトラス(Mitra)を持っていたと述べている[16]

 リュディア〔小アジア西部の古代王国〕人は、ミトラスとミトラスの古い妻アナーヒターを結びつけて両性具有のミトラス-アナーヒターとした。この神は、アナトリアの神秘的祭儀における「へビとハト」神(へビは男性、ハトは女性を表し、両性具有神)のサパージオス-アナイティスと同一視された[17]

 アナーヒターは「水母神」であって、伝承では、彼女が生み、愛し、呑み込んだ太陽神の妻であった。彼女はアナトリアの「太女神」マーMaと同一視された。ミトラスは「水母神」とは反対の火、光、太陽の精として、アナーヒターと当然夫婦となった[18]。ミトラス神話によると、アナーヒターの「元素」である水が、原初の洪水で世界に溢れ、そのとき1人の男性が方舟を作って、家畜と自らを救った、という[19]。この物語はヒンズーの「マヌの洪水」にもとづくと思われるが、ペルシアとバビロニアの聖典を通して伝達され、のちに旧約聖書に、いささか改悪版となって記された。point.gifFlood.

 ミトラスの終末論によれば、水に始まったものは火に終わる、と言う。「最後の日」に行われる光と闇の軍勢の激しい戦いは、地上を大変動と燃焼で破壊しつくす。ミトラスの祭司職の教えに従った徳ある者たちは、光の精霊に加わり救われるであろう。他の教えに従った罪深い者たちは、アーリマンと堕天使たちとともに地獄に投げ込まれる。

 キリスト教の救済の概念はほとんどすべてペルシアの終末論から生じたものであって、セム族の隠者やエッセネ派の人々のような太陽崇拝者や、さらにミトラス教の厳格な規律と活気ある戦いの場面が戦士にふさわしいと考えたローマの軍人たちによって受け入れられた[20]。ユリアヌス(331-363)、コモドゥス(161-192)のような皇帝の治下で、ミトラスはローマ軍隊の至高の守護者となった。

 広範囲にわたってミトラス教と接触した結果、キリスト教徒もまた自分たちをキリストの兵士と考え始めた。彼らの救世主を「世界の光」、「昇る太陽へーリオス」、「正義の太陽」と呼び、ユダヤの安息日ではなく日曜日(太陽の日)に祝祭を行い、救世主の死は日食によって示されたと主張し、7つのミトラスの秘跡を採用し始めたのである。ミトラス教徒のように、キリスト教徒も、死後7つの惑星球を通って、最も高い天界に昇るために洗礼を受けた。一方悪しき者(非洗礼者)は闇に引きずり落とされるとされた[21]

 バチカン丘のミトラスの洞穴神殿は、 376年キリスト教徒によって占拠された[22]。ローマのキリスト教の司教は、ミトラスの最高祭司職名であったパテル・パトルム〔父の中の父〕さえもキリスト教に取り入れた。この名称がのちに教皇(Papa、または Pope)となったのである[23]

 ミトラス教は、マニ教的キリスト教の教義に多く入り込み、 1000年以上にわたって、かつてのライバルに影響を与え続けた[24]。「公現祭」は、救世主生誕の地に「太陽-祭司」すなわち賢王の到来したことを記念するミトラス教の儀式であって、 813年にいたって、やっとキリスト教会に引き継がれた[25]


[1]Legge, 2, 271. ; Angus, 168
[2]Reinach, 73.
[3]J. H. Smith, D. C. P., 146. ; Campbell, M. I., 33.
[4]de Riencourt, 135.
[5] H. Smith, 129. ; Hooke, S. P., 85. ; Cumont, M. M., 131.
[6]H. Smith, 129.
[7]Hooke, S. P., 89. ; Cumont, M. M., 160.
[8]James, 250.
[9]H. Smith, 130, 201.
[10]Legge, 2, 261.
[11]Lederer, 36.
[12]Angus, 205.
[13]Campbell, Oc. M., 204.
[14]Knight, D. W. P., 63.
[15]O'Flaherty, 339.
[16]Larousse, 314.
[17]Cumont, M. M. 17.
[18]Cumont, O. R. R. P., 54, 65.
[19]Cumont, M. M. 138.
[20]Cumont, M. M., 87-89.
[21]Cumont, M. M. 144-45.
[22]J. H. Smith, D. C. P., 146.
[23]H. Smith, 252.
[24]Cumont, O. R. R. P., 154.
[25]Brewster, 55.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



 キュモン『ミトラの密儀』の訳者・小川英雄によれば、「神名は、仏・伊語系統の研究者は「ミトラ」と呼ぶが、英・独系統の著者は「ミトラス」とすることが多いようである」(小川英雄『ミトラの密儀』p.240)。ここではギリシア語表記の読みを採った。

[弥勒信仰および マイトレーヤ信仰との関係]

 仏教には、弥勒菩薩が存在し、「弥勒信仰」がある。この弥勒は、サンスクリット語ではマイトレーヤというが、マイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名である。[要出典]すなわち「マイトレーヤ」は、ミスラ神の名と語源を同じくする。「mitra/miθra」は本来「契約」というほどの意味だが、後には転じて契約によって結ばれた親密な関係にある「盟友」をも意味するようになった。マイトレーヤはその派生形容詞/名詞で「友好的な、友情に厚い、慈悲深い(者)」の意味となる。また、弥勒の字である阿逸多 Ajitaはミトラスの母であるアーディティヤが変化したものと言われている。[要出典]ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられ[33]、クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒の形成に影響を及ぼす[34]。ミイロの神格は太陽神であるということ以外不明であるが、定方晟はマニ教の影響なども考慮して、救世主的側面があったのではないかと推測している。

 松本文三郎の仮説では、このような比較神話学および比較言語学の系統分析によって、ミトラス教の神話体系が仏教では菩薩として受け入れられ、マイトレーヤを軸とした独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたとする[35]。マイトレーヤ信仰または弥勒信仰はのち中国など東アジアに伝わった。

 なお仏教の弥勒信仰以外にも、インドではヴェーダにミトラス神(?????, mitra)が記されている。
 中央アジア経由でソロアスター教から仏教に融合されて日本に至った神にミトラス神がある。ミトラス神はゾロアスター教では主神アフラ・マズダの下位の神である。このミトラス神が漢訳されて毘沙門天つまり多聞天となった。ミトラス神は、ソロアスター教の文献によれば千の耳を持つとされる。ゆえに多聞天と意訳された。(京都大学名誉教授、宮崎市定が推定)[要出典]。
  (Wikipedia「ミトラス教」)