聖書に登場する洪水の話「大洪水」は、古代世界全域に知れ渡っていた洪水神話群から、のちの時代になって派生したものである。聖書が書かれる何千年も前に、シュメールのジーウースードラによって方舟が作られている。アカデにおいては、洪水の英雄の名前はアストラハーシスと呼ばれていた。バビロニアでは、ユタ・ナピシュテイムといったが、この男は人間の中でただ1人不死を得た。ギリシアではデウカリオーンという名前で、水がひいてから、妻ピュラーの助けと、水の太女神テミスの忠告を受けて、再び地上の人口を増やした人であった。アメリカでは、英雄はジシュトロスといったが、これはシュメールのジーウースードラの転読したもので、彼の方舟はアララット山に乗り上げた[1]。
カルデア人に伝わる最初の説明によると、洪水神話の主人公は「舟を造って、仕上げよ。洪水によってわたしは物質も生命も滅ぼす。生命ある物すべてをもって舟に乗れ」と神に言われた。そのあとには技術的指示が続いた。方舟は長さ600キューピット〔キュービットはラテン語で肘を表すcubit urnに由来する。中指の先から肘まで の平均的手と腕の長さである。約18-21インチ〕、幅60キューピットに作り、外側に3600の3倍のアスファルトを塗り、内側にも同じ量を塗るように指示された。 3600の3倍の運搬入が蓄えた品を入れた箱を運ぶが、そのうちの3600の箱は主人公自身の家族のためで、 「水夫たちは3600の2倍の箱を自分たちの間で分けた」[2]。ノアの方舟はこのような昔の荘大な話と比べると規模ははるかに小さかったようだ。
かなり昔のことになるが、 1872年にジョージ・スミスがアッシュルバニパルの書庫にあった「創造の十二書」を訳していたとき、洪水神話の古いものを発見した[3]。宗教的権威者が隠そうとした詳細は、洪水を起こした神が太母に逆らった点だった。太母は地上の子供たちが溺れるのを望まなかったのだった。母イシュタルは、逆らった神を厳しく罰して、 「大稲妻」をもって神を呪った。女神は天に魔法の虹をかけて、干申が地上の祭壇の供物に近づくのを遮った。「無謀にも神が洪水嵐を起こして、私の民を破滅させたからである」[4]。
アッシュルバニパル
アッシリアの王(紀元前669?-630?)軍の指導者であり、政治家。ニネベで楔形文字のテキストを収集したが、これは19世紀に、考古学者に再発見された。
旧訳聖書の記者は古代の洪水神話の他の詳しい部分は写したが、怒った母親に食事抜きで床に追いやられる悪戯つ子のように、神がパビロンの偉大な売春婦に罰せられるのは認められなかったのだ。このように記者たちはイシュタルの虹という障害物を、神自らが天に立てた「契約のしるし」の虹に変えてしまった(W創世記J 9 : 13)。チグリス・ユーブラテスの流域は破壊的な洪水の影響下にあった。その中の1つにとくに記憶に残るものがあった。地質学者はこれをテラ島(サントリン島)を吹き飛ばし、クレタ文明を破壊した火山による氾濫に結びつけている。レナード・ウーリー卿(1880-1960)がウルの遺跡を発掘していたとき、 大洪水の跡を発見した。 8フィートの厚さにおよぶ、人工物の発見されない、粘土層があったのである[5]。そのような洪水が、インド・ヨーロッパ人のすべてが信じていた水による混乱と同一視されたのかもしれない。それは周期の終わりに世界を呑み込む氾濫で、そこから新しい世界が「実体のない太母」の子宮の中で再生するというものである[6]。方舟と積荷は、 1つの宇宙が破滅し、新しい宇宙が誕生するまでの混沌の期間を通り抜りる生命の種を表わしていた。聖書の中でさえ、女神の女陰であるハトによって「誕生」が告げられたのである(『創世記』8:12)。
グノーシス派の文献に、洪水を起こす神を邪悪な、人間を破滅させるものとする、さらに古い見方がのっていた。人々がエホヴァだげを崇めるのを拒んだので、嫉妬した神はすべての生命を消滅させる洪水を起こした。幸運にも、女神が反対して、 「そしてノアとノアの家族は女神から発した少量の光、すなわち女神のお告げのおかげで方舟に救われ、そこからまた人類が世界に満ちるようになった」[7]。
このグノーシス派の解釈の根源は、バビロニアと古代ギリシアの両方にあった。ギリシア人によると、原初の海、母テミスがデウカリオンと妻に「彼らの母である大地の骨、つまり石から人間を作る方法についてのオカル卜の知識(光)を与えたことになる[8]。石や骨から人間を生み出す奇跡は人気があった。イエスがこのことに触れているし、 『エゼキエル書』の中の神は骨の谷でこの奇跡を行っている(『エゼキエル書』 37)。
Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)
[画像出典]
The Great Flood, by anonymous painter, The vom Rath bequest, Rijksmuseum Amsterdam.
〔神話・再生〕 伝承や神話に見られる、洪水の象徴的意味を認めたからといって、史実を否定することにはならない。天災の中で、洪水が異色なのは、性質からいっても、壊滅的でないからである。洪水は「発芽と再生の予兆である」。
「洪水は、〈実りあるもの〉が衰弱し、疲弊しているからこそ壊滅的な被害を加える。しかし、必ずそれは新しい人類と新しい歴史をもたらす」。
洪水から思い浮かぶことは、「人類が、水の中へ、新しい時代の体制の中へ、再吸収されるという発想であり、新しい人類は、ここから生まれる」。
洪水による諸大陸の壊滅を、地理学的な神話として考えてみよう。アトランティスは、おそらく現実にそうだったのである。洪水は、よく人類の過ちに結びつけられる。道徳的なものもあれば、儀礼的なものもある。洪水は、洗礼のような清めとよみがえりである。それは集団的な大掛かりな洗礼である。それも、人類が熟慮のはてに決めたのではなく、たぐいない至高善の御意によるものである。洪水が啓示するものは、「人間の意識とは異なる、別の意識に、人の命がいかに恩恵をこうむっているかということである。……人の命は、もろいものだから、周期的に再吸収する必要がある。実りあるすベてのものは、栄枯盛衰をならいとしているからである。実りあるものが、洪水の周期的な再吸収によって再生されなければ、衰えるまま、創造的な可能性は枯?し、最後は絶滅の道をたどろう。悪意やら〈原罪〉といったものが、結局人類を醜く変えた。実りあるものも、創造力もなくなれば、人類は老衰し、不毛のまま干からびていこう。下等な人間にゆっくり退行していく代わりに、洪水は、一瞬にして、水の中へ再吸収し、〈原罪〉は、そこで清められ、そこから、新しく再生した人類が、登場してこよう」(ELIT、144、183)。
〔ケルト・神話〕 聖書の洪水は、アイルランド神話の文脈の中では、起源神話に利用された。洪水は「先史」と「有史」の境界を象徴する。というのも、かつての民族は、すべて絶滅したからである。最初の人間、フィンタンだけが、難を逃れた。彼は、「波の背」に乗って、砂浜にたどり着き、数世紀の間、そこで眠った。その後、彼は、胸に畳んでおいた昔ながらの知恵の数々を、洩らさずアイルランドの賢者に伝えた。(『世界シンボル大事典』)