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(Pillar)

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 オベリスク、メイポール(五月柱)、柱、聖なる木の幹、直立した十字架その他の、男性の神としてのシンボルは、おそらく、シヴァ神のリンガ(ペニス)が聖なる柱として崇拝されたインドに起源を有するものと思われる。インドでは、シヴァの添え名スターヌ(「柱」)は、擬人化された男根としてのシヴァを表した[1]。彼の聖なる柱のいくつかは、今もなお有名な巡礼の中心地となっている。このような柱から半径100キュービット(43-53m)の土地は、「シヴァの王国」として知られ、この土地では多くの奇跡が起こり、罪も即刻赦免された[2]。季節ごとの祭は今もなお、シヴァの「偉大なリンガ」を表す「メイポール」をその特徴としている[3]

 男根の柱はアジア北部とシベリアにも見られ、これらの地方では、このような直立 した柱に「都市の中心の強力な柱」あるいは「鉄の男性柱」という名を与えた。人々 はこのような柱を「男」あるいは「父」と呼び、血の生贄を捧げた[4]

 血は、古代においては、男根の柱にとって重要なものと考えられ、ヒンズー教徒は しばしば柱を赤く塗ったり、血を塗りつけたりした。古代エジプトの神話は、「血を流す木」と呼ばれる2本の柱が神殿の入口に立っていた、と述べている。この柱が流す 血は女性を妊娠させることができた[5]。ここには、男性の精液ではなく血が、豊饒を もたらす本質であるという、新石器時代の女性の「月の血」崇拝を模倣した原初の観 念の名残りが見出せるかもしれない。神殿の扉は女陰を表し、「女神の聖なる扉」 Er-per という名を与えられた[6]

 宗教的祭の際にシヴァの男根像を赤く塗ったり、血を塗りつけたりするインドと同様に、エジプトでも神殿の扉の前にある柱は、実際に人間が柱に吊され血を流した原初の時代の生贄の風習を記憶に留めて、「血で赤く塗られた」。

 ユダヤ人はこのエジプトの風習を受け継いで、過越の祭のときに、生贄の仔ヒツジの活力ある血で戸口の側柱を赤く塗った。側柱は、ボアズとヤキン(「力」、「神は彼を堅固にする」を意味する)と名づけられたソロモン神殿の前の柱(『列王紀上』 7 :19 -20)のように、男根を表した。

 ヒエラポリスでは、女神の神殿の扉の両側に巨大な男根の柱があった。毎年男性は それぞれの柱の頂点に登って、人間の犠牲者の血で柱を染めた古代の生贄の儀式を象 徴的に再現して、7日間そこに留まった。生贄は古代では実際に1週間吊されたままにして置かれたが、これはおそらく月経期間を模したものと思われる[7]

 シリアがキリスト教化されたとき、この風習は「柱頭の聖人」によって続けられた が、彼らは、キリスト教化以前に柱に登ってそこに留まった異教徒同様、高い柱の方 が天国により近いために彼らの祈りがはっきりと神に聞き届けられると考えた[8]。最 も有名な柱頭行者は聖シメオン(「柱のシメオン」)であり、彼は手足が壊疽にかかるまで高い柱の上に住み、清浄な強い芳香に包まれて死んだ[9]

 アテネの聖なる柱の周囲に教会が建てられ、「柱の聖ヨハネ」と名づけられた。かつて異教徒がやって来て、絹糸で柱に病気を結びつけたように、伝説上の聖ヨハネは、「病に苦しむ者は誰でも来て、絹糸を柱に結ぶように、そうすれば病は癒える」と命じた[10]

 教会と結びついた柱(尖塔、鐘楼など)は、女性と結合する男性のシンボルとは認め難い場合が多い。しかしヒンズ一教の寺院に付属している尖塔shikharaは一般的には 男根とみなされている[11]


[1]O'Flaherty, 354.
[2]Mahanirvatantra, 335.
[3]Avalon, 517.
[4]Eliade, S., 263.
[5]Maspero, 17-18.
[6]Budge, D. N., 144.
[7]Knight, D. W. P., 84.
[8]Frazer, F. O. T., 69.
[9]Encyc. Brit., "Simeon", 10.
[10]Hyde, 109.
[11]de Camp, A. E., 293.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)



画像出典:DAVID ROBERTS(1796 ? 1864)の『A journey in Egypt』。イシス神殿の円柱。