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サトゥルヌス(Saturnus)


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クロノスのローマ名。クロノスは太母神レアと合体した原初の大地の神で、自分の子供たちを貪り食う「破壊者」としてのレアの機能を取得した。サトゥルヌスは、力 ルデアの占星術師の言う「黒い太陽」(アシ一エル)と同一と神とされた。「黒い太陽」は冬至の頃の最も低い相にある太陽を表し、冥界の地の底にいる「死の王」であった。ときには彼は「夜の太陽」と呼ばれた。

古代都市エデッサ(現在のトルコ南東部)の近くのハランにおけるサトゥルヌス崇拝では、黒い衣装を着て、次のような祈りとともに香、阿片、ヤギの脂肪、尿で作ったロウソクを燃やした。「主よ、その名は荘厳にして、その力は広大、その霊は至高なり、おお、冷たき者、乾きし者、暗き者、害に満てる者、主サトゥルヌスよ。……すべての策略を知れる悪賢き男親、偽りに満ち、賢く、理解ありし者、繁栄あるいは荒廃、幸あるいは不幸をもたらす者、その者こそ御身がかくなれる者なり」[1]

通例として、「死の王」は、「破壊者」シヴァのように、神であるとともにデーモンであった。彼は、夏の太陽を陽とすると、その陰の側面であって、人々は彼をなだめて再び春がめぐり来ることの許しを願った。この重要な祭りがローマのサトゥルナリア祭であって、この祭りに行われた多くの慣習がクリスマスの行事となったのである。サトゥルヌスの祭りにおいては、死とあがないが、太陽の新生を祝う楽しい行事とともに、祭りの特色となっていた。

生贄の犠牲者は、神そのものと王の身代わりの両方を表す者として選ばれた。彼 は殺され、彼と対応する神と合体するために冥界に送られた。「古代イタリアにおいて、サトゥルヌス崇拝が盛んであったところでは、ある期間、神の役割を演じ、伝統 的なサトゥルヌスの特権をすべて享受し、そのあとで、世界のために自らの生命を与える善き神の徳性を備えて死んでいく者を選ぶことが普遍的に行われていた。選ばれた者は、自らの手であるいは他の者の手によって、小刀あるいは火、あるいは絞首台の木にかけられて死んでいった」[2]

犠牲者を実際に殺すことは次第に象徴的に殺すことに代えられていったが、祭りそのものは決して廃止されることはなく、キリス卜教時代になると冬至の謝肉祭の一部となった。「謝肉祭の王を処刑する真似事は古代サトゥルナリア祭の遺物である。古代では、祝宴の王として行動した男は祭りの期間が終わると実際に死を課せられた。この慣習はローマの軍隊の一部ではキリスト教時代になっても続けられていた」[3]

サトゥルヌスの名からSaturday が生じた。Sun-day (ラテン語の dies solis)に新 しい太陽が生まれる前の、週末の安息日である。ユダヤ人にとってこの日は、太陽となって再び昇る前に闇の中で静止するサトゥルヌスのように、神が「休まれた」第7 日目であった。サトゥヌルヌスは7番目の惑星と同一視され、その占星術上の影響は、陰気、重苦しさ、暗さ、消極性、冷淡などの「気むずかしい」(saturnine) 性質にかかわるものとされた。

惑星のサトゥルヌス(土星)をバビロニアではニニプと呼んだ。ニニブはまた「黒いサトゥルヌス、死せる太陽の亡霊、悪魔的な年老いた父神」[4]である冥界の神の名でもあった。

しかしサトゥルヌスは全く悪魔的だったわけではない。冥界に住むほとんどの神々同様、彼も両義性を有した。彼はしばしば治癒者として尊敬された。我々が医薬のシンボルとしているRx (処方箋)は、サトゥルヌスの惑星を表すしるしとして始まったのであり、紙に書かれたこのしるしを呑み込むと、病気が治るとされた[補註][5]


[1]Cumont A. R. G. R., 28. 90.
[2]Frazer, G. B., 679.
[3]Moakley, 55.
[4]Hallet, 387.
[5]Waddel, 401.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)

画像出典:The King Drinks (between 1634 and 1640) by David Teniers the Younger, showing a Twelfth Night celebration with a "Lord of Misrule"

[補註]
Recipi(受け取れ,処方)の頭文字Rをsaturnus1.jpgとしたりsaturnus2.jpgとするのは、ローマ神話の主神ジュピターの表示が ♃ であることから、おそらく調合された薬物にこのジュピターの雷電の斧 ♃ の一部を呪文として加えたものと考えられる。(大槻真一郎『錬金術事典』p.55)

[ローマ]
ローマのサトゥルヌス神は、ギリシアのクロノス神と同一ではない。少々性急な解釈によれば、同一ということになるが、それが当てはまるのは、かなり時代が下ってからのことである。ヤヌス神によってローマに迎えられ、その治世は黄 金時代であったとされる。文明化の英雄を象徴し、とくに農耕を教えた。この神に捧げられた祭り、サトゥルナリア祭では、社会上の関係が逆転し、召使いが主人に命令して、主人は奴隸のテーブルで給仕した。これは、サトゥルヌス神が父のウラノス神の王位を奪ったのち、こんどは自分も息子のゼウスもしくはユピテルに王位を奪われた故事の漠然とした記憶によるのだろうか。このような祭典は、精神分析のエディブス・コンプレックス的な意味に解釈されうるのではなかろうか。神と父と主人の抹殺である。サトゥルナリア祭の短い期間に、人民は、首長たちがかつてその父親に与えた運命を課す。サトゥルヌス神が父に与えたのと同じ運命だ。

シュメール人とバビロニア人にとって、サトゥルヌス神=土星は、正義と権利の星である(DHOB, 94)。ここには、後の初期 ロ―マと同様の意味が見出される。明らかに太陽の役割と結びついているようで、豊穣と、統治と、季節のように継起治世の継続性の3つの役割を持つ。

[錬金術]
ヘルメス(錬金術)思想においては、「通俗的錬金術師」から見れば、サ トゥルヌス神は鉛である。しかし「ヘルメス哲学者」にとって、それは溶解し腐敗し た物質の色としての黒色である。さらに第1の金属としての普通の銅であり、またライムンドゥス・ルルスの金属を分離するアゾ基硫酸塩である(PERD)。どのイメージ も、分離機能を示し、初めと終わりを兼ね、1つのサイクルにおける停止と新しいサイ クルの開始を示す。しかし、力点は、むしろ切れ目、あるいは前進に対するブレ一キに置かれる。

[占星術]
占星術で、土星は、集中、収縮、固定、凝縮、惰性の原理を表す。要するに、存在する物を固く結晶させ、固定させる力であり、それですベての変化に対立する。土星が〈大凶の星〉と名づけられたのは当然なのである。停止、欠如、不運、無力、麻痺といった、あらゆる種類の障害を象徴するからである。その感応力のよい面は、長期間の努力による深い洞察力を付与 し、忠誠、忠実、学識、断念、純潔、宗教に相当する。土星の2つの住居(磨羯宮と宝瓶宮)は、太陽や月と対立し、したがって光や生の喜びと対立する。人体にあっては骨格を支配する。

[解脱]
土星は、占星術師にとって「不吉な」惑星であり、その物悲しく弱い光は、 太古の時代から人生の悲哀や試練を想起させた。その寓意画は、鎌を振り回す骸骨と いう死を思わせるものである。土星が象徴する、生物学的・心理学的機能の最も奥底には、解脱の現象が認められる。人間の一生において継起する一連の別離の試練である。新生児の臍の緒を切断することから始まって、さまざまな断念・放棄・犠牲を体験し、最後に老人の最終的な放棄にいたる。この過程を通じて、土星は、我々の動物性と地上の絆という内面の牢獄から、我々を解き放ってくれる。本能的生活とその情念の連鎖から救い出してくれるのだ。その意味で土星は、精神のためにブレーキをかけ、知的・精神的・霊的生活を営む上で大きな力となる。

[心理学・固着]
「土星コンプレックス」は、人生において次々と執着してきたものを失うことに対する拒否反応である。また幼児期に対する固着、すなわち離乳期や欲求不満のさまざまな状況に対する固着であって、渇望の激化を招き、さまざまな形態 (大食、貪欲、嫉妬、吝嗇、野心、学識……)をとる。自分の子供を食べるクロノスのテーマによって、神話のカニバリスム的側面と結合する。このヤヌスの、もう一方の顔はまったく逆で、極端な離脱を示し、控え目な態度、「エゴ」の取り下げ、無感動、冷淡、断念が、極端な場合はペシミズム、憂鬱、生の拒否にいたる。
(『世界シンボル大事典』)