ディオニューシオス・スキュートブラキオン2

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断片集(Fragmenta)2/5

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DIODOR. III 52, 1:

第5章 リビュア地方の自然と神話

第2節 リビュア・アマゾネス

[52] 黒海アマゾネスより古い女人族
 ……上述の諸地域にふさわしい話としては恐らく、アマゾネス族が古くはリピュア地方に住んでいた、ということについての報告ということになろう。これまでの一般の考えによると、ポントス地方内のテルモドン川一帯に住みついていた、と伝える族民だけがこれに該当した。しかし、真実はこれとはちがう。リピュア地方に住んだ族民の方が時代的にははるかに先行し、語りぐさになるほどの功業をやりとげたからである。

(2) 理由はわたしたちにもわからないではないが、ともかくあきらかに、大方の読者にはこの族民の歴史が耳に届かず、まったくの無縁となっている。リピュア地方のアマゾニダイ族は、トロイア戦争より何世代も前にまったく姿を消したのに、テルモドン川畔の族民は、この戦争よりすこし前に盛期を迎えた。だから、後代に属して一段となじみ深い族民が、時代も古くそのせいで、ほとんどの人にまったくなじみのない族民の、評判を相続してしまったとしても無理はない。

(3) 資料はディオニュシオスの著作
 しかしわたしどもは、古代の数多くの詩人史家やそれより後代でもかなりの数の作家が、リピュア地方の族民にふれているのを見つけ出している。そこで、その諸功業を、ディオニュシオスの説に追随しながら、要約して記録して行きたい。本書で典拠とするこの作家は、アルゴナウタイと、ディオニュソスをめぐる出来ごとや、そのほか最古の時代に行われた功業の数かずを、一書にまとめ上げている。

(4) リピュア地方にはいくつかの女人族がいて、戦闘的であり、勇放さではひじょうに驚異の的となっていた。すなわち、ゴルゴネス族はぺルセウスが遠征した相手と伝え、抜群の力を備えていたと聞かされて来た。この英雄はゼウスの息子で、その時代のギリシア人のなかでは一番優れ、最大の功業として今あげた族民への遠征をやりとげたことを、これら女人族の優秀さと力の証拠とする人が、あるかも知れない。今から報告しようとしている女人族の勇気は、当代の女人の本性に比べれば、その卓越ぶりが常識を絶したものである。

[53] 居住地帯とその暮らし
 話によると、リピュア地方内の西寄りの区域に、人の住む世界の果てにあたって、女人支配の部族があり、わたしたちの間での暮らしとは似ても似つかぬ暮らしを、しきりに求めていた。すなわち、戦のことには女人が骨を折り、一定期間遠征に加わる義務を持って、その間処女を守る、という習慣があった。そして、遠征の年齢を通過すると、男子に近づいて子をもうけようとした。また、統治の仕事と公共の問題すべてとを、女人たちが処理していた。

(2) 男子はわたしたちの間での結婚した女人とおなじようで、家庭内で暮らし、共に暮らしている女人から出る指図に従っていた。男子は遠征、統治、そのほか公共の問題にかかわるどのような自由討議、の何れにも参加しなかった。このような討議に加わると、男子の方が思い上って女人たちを攻寧することになるかも知れないからであった。

(3) 子供が生まれると男子の手に渡り、男親はこの子に嬰児の年齢相応に、乳そのほか煮焚きしたものを与えて養育する。そして、もしも女児が生まれれば胸乳を焼いて、若盛りの頃に盛り上がらないようにして置く。遠征のためには、身体から乳房が出っ張っていると、どうしても邪魔になると思われていた。それゆえ、女人たちが乳房(マストス)を取り除いているところからも、ギリシア人がこれら女人を、「アマゾネス(乳無し)」と呼び名することになった。

(4) 故郷は湖中の島
 神話作者によると、女人族が住んでいたのは島で、これが西寄りにあることから「へスペラ(西方の)」と呼び名がつき、トリトニス湖中に位置していた。湖は大地を囲む大洋オケアノスに近く、この呼び名はトリトンという名の川がひとつ、湖中へ注ぐところから来た。湖はエチオピア地方と大洋オケアノス沿いの山脈に近い。山はこれらの地域内で一番大きく、大洋オケアノスに向けて突き出し、ギリシア人はアトラスの名で呼ぶ。

(5) 今あげた島はひじように広く、あらゆる種類の果樹に溢れ、地元ではこれらの巣実から食料を得ている。島には家畜も多く、山羊と羊で、飼い主たちはこれらの家畜から乳と肉をとって、食用に供している。この部族は総じて穀類を利用しないが、これは、自分たちの間でこの果実が不足する目に遭ったことが、これまで一度もないことによる。

(6) 最初の戦
 アマゾネス族は群を抜いたカを持ち、戦に出かけると、最初に島内の諸市を「メネ」だけ残して破却した。この市は神市と見なされていて、そこに住みついていたのがエチオピア族系の「イクテュオパゴイ(魚喰い)」族であった。島には大きな噴火口があり、貴石がたくさんに出て、これらをギリシア人はルビー、紅玉髄、エメラルドと名づけている。

 つぎに、近隣のリピュア族や遊牧民の大半を相手に戦って破り、トリトニス湖内に大規模な市ひとつを建設し、その地形に因んで「ケロネソス(半島)」市と命名した。

[54] 最初の外征
 そして、この市から出撃して大きな計画に取りかかったが、これは、この族民が、人の住む世界を広範な区域で襲撃しよう、という衝動に取りつかれたことによる。

 遠征の最初の相手がアトランティオイ族だったといい、この族民はその諸地域内の何れの族民よりも穏和で、肥沃な土地と大きな諸市に分かれ住んでいた。だからこそ話によると、この族民の間に伝わる神話では、諸神誕生のことは大洋オケアノス沿いの諸地域近くで起き、この点ではギリシア人の間での伝承神話と一致しているが、後者についてはその詳細をすこし後で述べて行く。

(2) 軍勢と武具
 ミュリナがアマゾネス族の女王となると、歩兵三万、騎馬三千からなる軍勢を組織した。この族民の間では、戦闘にあたって騎馬隊の使用を、ほかの諸族以上に強く望んでいた。

(3) 武具には巨蛇の皮を張って使い、それというのも、リピュア地方には、この生き物の信じられないほど巨大なのがいるからであった。さらに、防御用に剣と槍、弓を使い、弓では敵の正面から射るだけでなく、退却の際にも追撃する敵に後ろ向きに射ながら、よく命中させていた。

(4) アトランティオイ族の降伏
 そして、アトランティオイ族の土地へ攻めこむと、「ケルネ」市の住民と対戦して勝ち、退却する敵と同時に城壁内へ侵入して市を制圧した。そして周辺諸族を恐怖に震え上がらせようとして、捕虜を残虐に扱い、壮年男子を斬殺し子供と女人を奴隷にして、市を破却し尽した。

(5) 伝承によると、ケルネ市民が蒙った災難の話が同系諸族の間へ伝わると、アトランティオイ族は驚き恐れ、和議を結んで自分たちの諸市を相手に譲り、命令を受けたことを何でも実行する旨を伝えた。女王ミュリナは、これら族民を寛大に扱った上で友好関係を結び、破却した上記の市の代りに自分とおなじ名の市を建設した。そして捕虜たちを、地元民のなかの希望者と共に、この新市へ住まわせた。

(6) これにつづいて、アトランティオイ族は女王に盛大な贈物を捧げ、公共の場で語りぐさになるほどの諸特典を呈する、という決議を行った。女王はこれら族民の好意を受け入れ、加えて、この部族を親切に扱うつもりだと伝えた。

(7) ゴルゴネス族征服
 地元民は近隣地帯の「ゴルゴネス」族から再三攻撃を受けて来たし、総じて、この族民が自分たちの土地を狙っていると思っていた。話によると、ミュリナはアトランティオイ族に見込まれ要請を受けて、今述べた族民の土地へ攻め入った。相手族は抗戦したので激しい戦となり、アマゾネス勢が優位に立って対戦した敵を全滅させ、3000を下らない敵を生け捕った。残りの族民は一団となって、どこか木の生い茂った場所へ逃げこんだので、女王は森に火をかけようと企てた。相手族をひとり残らず滅ぼしたかったためだった。しかし、この企てをやってのけることは出来ないまま、地方境へ引き返した。

[55] 世界制覇へ
 アマゾネス勢は、昼間の成功に気をよくして夜間の見張りをなおざりにしていたので、捕虜の女人たちがこれを襲い、征服し切ったはずの勝者の持つ剣を引き抜いて、大勢の相手を殺した。しかし最後には、アマゾネス勢が多勢で四方から捕虜の周りへ押し寄せたので、捕虜の女人たちは誇り高く戦いながら、ひとり残らず斬り殺された。

(2) ミュリナは、遠征仲間のなかから戦にたおれた兵たちを、三つの火葬の薪のなかで茶毘に付すと、大きな塚の上に墓三つを立てた。これらを今日までアマゾネス族の土墳の名で呼ぶ。

(3) ゴルゴネス族の最期
 それより後代に、ゴルゴネス族がふたたび勢力を伸ばしたが、その後ゼウスの息子ペルセウスとの戦に破れ、当時のこの族民の女王がメドゥサであった。そして結局は、へーラクレースの手でアマゾネス族共ども完全に滅び去った。後者の英雄が西寄りの諸地域へ出かけて、リピュア地方の地に標柱を立てた折のことである。英雄の考えでは、自分が人間族全体に功労を尽す道を選んだのに、それら諸族のなかに一部、女人支配の族民がいるのを見逃したのでは、不当なことになるからであった。また、トリトニス湖も地震が起きた際に姿を消し、消えたのは、湖のうちで大洋オケアノス寄りになった諸地域が裂けたことによる、という。

(4) エジプトからシュリアまで
 話によると、ミュリナはリピュア地方のほとんどへ出向いた。そして、エジプト内へ足を踏み入れると、イシスの息子ホロスが当時エジプトの王位にあった許を訪れて、友好関係を結び、アラビア族との戦を遂行して多くの敵をたおし、シュリア地方を打倒した。キリキア族は贈物を用意して女王を迎え、受けた命令を実行することに同意したので、自発的に投降したものとして自由民の資格を存続させた。このため、この族民には今日に至るまで「自由キリキア族」の呼び名がある。

(5) カイコス川に達する
 女王は、タウロス山脈一帯の諸族が格段に強力であったのをも戦に下し、大プリュギア地方を通過して(わたしたちの)海へ下った。そして、引きつづき沿岸地方を征服地に加えた後、カイコス川を遠征の境界とした。

(6) 槍先で奪い取った地方のなかから、植民市建設に適した諸地点を選ぶと、いくつかの市を築き、築いたなかの一市を自分とおなじ名とし、残りを一番重要な将だった者たちに因んで、キュメ、ピタナ、プリエネとした。

(7) 女王は以上の市を海沿いに建設し、さらにほかのいくつかの市を、内陸へ入った諸地域内に築いた。また、島をもいくつか、とりわけレスボス島を支配下に置き、この島内に建てた市がミュティレネで、遠征に参加した自分の姉妹とおなじ名である。

(8) サモトライケに母神を祀る
 それから、ほかの島をもいくつか征服し、その折、冬の嵐に遭い、諸神の母なる神に祈りを捧げて安泰加護を乞うと、ひとつの無人島へ流れついた。そして、夢のなかでのひとつの幻影のままに、この島を今述べた女神の神島とし、祭壇を築いて盛大な供犠の式を挙行した。また、この島をサモトライケと名づけたが、この名をギリシア語に直すと、まさしく「神島」となる。ただし、一部の史家の説によると、それ以前この島の呼び名がサモスであったのを、当時島内に住みついていたトラキア民がサモトライケと名づけた。

(9) 神話作者たちによると、アマゾネス族が本土へ引き返した後、諸神の母なる神はこの島を気に入り、ほかの人びとに加えて、とりわけ御自身の息子「コリュパス」たちを、島内へ住みつかせた。これらの息子が誰方を父親として出来たかは、密儀の際に秘密の教えのなかで伝授されている。母神はまた、今も島内で催す密儀の式をも教示し、錠を定めて神苑を不可侵なものとした。

(10) トラキア族に敗れる
 今述べている時代に、トラキア族モプソスが、おなじ部族の王リュクルゴスの手で亡命の身とされると、自分に従って国外へ出た一団を率いて、アマゾネス族の地方へ侵入した。この指導者といっしょに遠征したのが、スキュタイ族のシュピロスで、前者とおなじく、トラキア地方に隣接するスキュティア地方から、亡命の途についていた。

(11) 両軍の対戦となり、亡命者側の軍勢が優位に立つと、アマゾネス族の女王ミュリナをはじめ、そのほかの女人勢の大部分が戦にたおれた。時は進み戦うごとに、終始トラキア勢が優勢だったので、ついには生き残りの女人勢をふたたびリピュア地方へ退却させた。

 リピュア地方出のアマゾネス族の遠征も、終末は以上のようであった、と神話作者たちは述べている。

第三節 母神誕生の二つの神話

[56] リピュア族の神誕生神話 — ウラノスの功業
 本書でアトランティオイ族のことにふれた際、諸神の誕生についてこの族民の間に伝わってきた神話を、述べて行くのは適切だと見なしたが、それは、この話がギリシア人の間に伝わる神話とほとんど変りがないからであった。

(2) アトランティオイ族は、大洋オケアノス沿いの諸地域に住みつき、肥沃な土地に分かれ住みながら、神を拝み異郷からの客に親切なことでは、近隣諸地方よりはるかに優れているように思えた。その地での話によると、諸神の誕生は自分たちの間で起きた。そして、この族民によると自分たちの説明内容には、ギリシア人の間の詩人のなかでも一番際だっている詩人も同調し、その詩行のなかでへーラー女神を導入して語らせ —

というのは、これから養いゆたかな大地の涯へ、神々さまの
祖でおいでのオーケアノスと、テーテュース小母さまに逢いに伺うとこですの。

(3) 初代王ウラノス
 この族民の伝える神話によると、自分たちの間で最初ウラノスが王となると、人間たちが散在して住んでいるのを市の周壁のなかへ集めた。そして自分に服従する人びとに無秩序と動物並みの暮しを止めさせ、そのために果樹栽培の利用と貯蔵そのほか暮らしに役立つ物を、かなり数多く発見した。さらに自分は人の住む世界のほとんど、とりわけ西寄りと北寄りの諸地域をも、支配下に置いた。

(4) 星座を注意深く観察しながら、宇宙の下で将来起る出来ごとを、数多く予言していた。また、大衆のため、太陽の運行を基に一年を、月からは一月の数を、さらに一年ごとの季節の区分を、それぞれ教えた。

(5) それゆえ、大衆の方も、星座の恒久的な配置のことを知らないため、予告どおりの出来ごとが起こるのに驚異をおぼえ、これらの知識をもたらした人は神の本性を分有していると思っていた。そこで、この王が人間のため功労を尽したのと、星座についての(予言)知識を具えていた結果、王が人間界から(神界へ)移って後は、不死の栄典を付与した。そして、王の呼び名を宇宙へ移した。これは、ひとつには星座の出没そのほか宇宙をめぐる出来ごとに、この名が向いていると思われるのと、さらにこれほど大きな栄典を捧げれば、王が尽した功労を凌ぐほどの価値があるからで、このため大衆は万世の後までも、王を万有の王と呼び名することとした。

[五七] 大母神の誕生由来

巨人族誕生
 この族民の伝承神話によると、ウラノスは何人かの妻との間に子供を四五人もうけ、そのうち18人がティタイアを母としたので、それぞれに個有の名を持ちながら全員共通に、母親に因んでティタネス一族と名乗ることになった。

(2) ティタイアは、思慮深く、民衆のため数多くの善い事を行ったので、死後親切にしてもらった人びとから神と見なされ、名をゲーに改めてもらった。また、王に娘もいて、なかでも一番年長の二人は残りの姉妹よりはるかに優れ、それぞれの呼び名をパシレイアとレアーといった。後者をパンドーラーと名づけた人びともいる。

(3) 大母と呼ばれた女王
 前者は長姉で、思慮深く知力に秀でていることでは、残りの姉妹をはるかに抜き、自分の兄弟みんなを、等しく母親並みの親切さで育て上げた。それゆえ、大母の呼び名をも受けた。そして、父王が人間界から出て諸神の間へ移った後、民衆と兄弟たちの同意を得て、まだ処女のまま王位を継承した。並みはずれた思慮深さを持っているため、夫に迎えたいと思うほどの相手もいなかった。しかし、その後自分の息子たちを王位の継承者に残して置きたいものと思って、自分の兄弟のなかのひとりヒュペリオンを夫に迎えた。この兄弟にはこの上なく親しく接していた。

(4) 二人の子へーリオスとセレネーが生まれ、何れも容姿の美しいこと思慮深いことでは驚異の的であった。そこで、話によると、母親の兄弟たちは、その母である女王が子宝に恵まれたのを嫉み、父親ヒュペリオンが、何時かは王位を自分の手元へ引き寄せるのではないか、と恐れて、まったく神をも恐れぬ所行をやってのけた。

(5) すなわち、(一味としての)誓いを交わすと父親を斬り殺し、へリオスが年端も行かない子供なのを、エリダノス川へ投げこんで溺死させた。この不運な出来ごとがあきらかになると、セレネーは並みはずれての兄弟思いだったので、屋根の上から身を投げた。母親は遺体を探して川沿いに行くうち、気を失いそのまま眠りこむと夢を見、そのなかで、へリオスが自分のそばに立つと、わが子二人の死を嘆き悲しまないようにと慰めた。すなわち、ティタネス一族の誰もが相応の報いを受けることであろうし、自分と姉妹とは、何か神の御配慮により、姿を変えて不死の本性を得ることになるから、というものであった。これは、人間たちが、それ以前天空(ウラノス)にある「神火」と呼んでいたものをへリオス(太陽)、「暦の月」をセレネー(月)と、それぞれにいい換えることになるからである。

(6) 女王は、夢からさめて大衆に、夢に見たことと自分の身に起きた不運を子細に語り終えると、死んで行った子供二人には、神に等しい栄典を付与することとし、自分の身体には、誰ひとりもはや触れてはならない、とすることに決めた。

(7) 女王狂乱
 つづいて狂乱に襲われ、娘の玩具のなかで音を立てることの出来るのを手に掴むと、国中を放浪し、髪をすっかり解き放ち、太鼓やシンバルを打ち鳴らして、入神の境に至ったので、見る人びとが驚き恐れるほどになった。

(8) 誰もが母なる女王の受難を憐れみ、なかにその身体に触れるものも出ると、大雨が降り、立てつづけに落雷が生じた。そしてその時、パシレイア(女王)の姿は消え失せた。大衆はこの不意の変事に驚異をおぼえると、へリオスとセレネの名を天空にある星の方へ移して栄典を捧げ、これら二人の子の母親を神と見なして祭壇をいくつか築くと、太鼓やシンバルを震わせそのほかあらゆる楽器を使って、母なる女王の身に起きた出来ごとを真似(て再現し)ながら、供犠そのほかの栄典を数かず供した。

[58] プリュギアのキュベレ誕生
 この女神の誕生は、プリュギア地方にもその伝承がある。……

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第4節 クロノスとゼウス

[60] アトラスとその子供たち
アトラスと天文
 伝承神話によると、ヒュペリオンの死後ウラノスの息子たちは王国を分け、これらの王のなかでも一番秀でていたのが、アトラスとクロノスであった。2人のうち、前者には大洋オケアノス沿岸の諸地域が割り当てとなり、治下の人ぴとにはアトランティオイの名が付き、その地方内で一番大きな山をおなじくアトラスの名で呼んだ。

(2)  話によると、王は天文分野の事象を詳しく正確に述べ、天球に関する説を、人びとの間にはじめて広く知らせた。そして、これがもとで、宇宙全体がアトラスの両肩に乗せて運ばれていると思われたが、これは、神話が天球の発見とその記録の件を謎めかせていたことによる。

ヘスペロス明星となる
 この王に息子が何人か出来、そのなかのひとりが、神をよく拝み治下の人びとを正義と親切をもって扱うことでは格別優れ、その名をへスペロスと呼んだ。

(3) この息子がアトラス山頂へ登り星の観測を行っていたが、突然大風が吹いたのに連れ去られて姿を隠した。この若者の能力が優れていたので、大衆はこの災難を悲しみ不死の栄典を付与し、天空にある星のなかでも一番際だって見える星に、息子の名とおなじような呼び名(へスペロス=宵の明星)を付けた。

(4) アトラスの七娘すばる星となる
 アトラスには娘も七人いて、誰もが共通に、父王の名をもらって「アトラスの娘」と名乗ったが、それぞれにはマイア、エレクトラ、タユゲテ、ステロペ、メロぺ、ハルキュオネ、そして最後の娘にケライノという呼び名が付いた。娘たちは、この上なく有名な英雄や神と交わって人間族の始祖の座につき、もうけた子供たちにはそれぞれの能力が優れていたため、神や英雄という名が付いた。たとえば、長姉マイアはゼウスと交わってへルメスを産み、この子が人間のため数多くの道具を発明した。ほかの娘たちもおなじようにして、際だって優れた子を産み、それぞれに諸族や諸市の始祖なり創建者となった。

(5) だからこそ、一部の非ギリシア民の間だけでなくギリシア人の間でも、最古の英雄たちはそのほとんどが系譜を遡ると、この娘たちに行きつく。娘たちは格別に思慮も深く、その死後人びとの間で不死の栄典を贈ってもらった。すなわち、宇宙のなかでそれぞれに座をもらい、まとめて「プレイアデス(=すばる)」の呼び名が付いている。また、娘たちに「ニュンペ」の呼び名もあったが、これは、地元民が女人のことを(既婚と未婚を問わず)共通に、「ニュンペ」と呼んでいたからである。

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[61] クロノスとゼウス
二人のゼウス 伝承神話によると、クロノスはアトラスと兄弟でありながら、神をないがしろにし欲深いことでは類を見ないほどで、姉妹レアを妻とした。二人の間に生まれたのがゼウスで、これが後に「オリュンポスに坐す」という添え名をもらった。ゼウスはもうひとりいて、こちらはウラノスの兄弟、クレタ島の王となったが、評判では後代のゼウスよりはるかに後れをとった。

(2) 後に生まれたゼウスは宇宙全体の王となったが、先に生まれたゼウスは今あげた島を支配して息子10人をもうけ、子供の名は何れも「クレス」であった。また、島をも自分の妻イダイアに因んで呼び名を定め、島内で最期を迎えて埋葬された。葬いを受け入れた場所は当代でもまだ知らせてもらえる。

(3) とはいえ、島内に伝わる神話は以上の物語と一致しないが、島内の物語については、本書のクレタ島誌(V 64ff.)のなかで細部にわたり記録する予定である。

クロノス王の西方制覇
 話によると、クロノスはシケリア島やリピュア地方、さらにはイタリア地方でも支配者となり、総じて西寄りの諸地方内に王国を組織した。そして全地域で、守備隊をもって市の砦や諸方の要害の地を支配していた。だからこそ、それから後今日に至るまで、シケリア島をはじめ西寄りの諸区域では、大半の高地を上記の王に因んでクロニオンの名で呼ぶ。

(4) ゼウス王となる
 さて、クロノスに息子が生まれてこれがゼウス、父王とは反対の生き方を求め、すべての民に寛大で親切に振る舞ったので、大衆はこの王を「父」と呼び名した。この王が王国を引き継いだのは、一説によると父王が譲位したので自発的にであったが、異説もあって、大衆が父王の方を憎んで新王を選んだ、ともいう。そこで、父王はティタネス一族を率い息子に向かって戦を起したが、息子の方が戦にこれを破り、全土を支配すると、人の住む世界全域へ出て行つては人類に功労を尽した。

(5) 新王は体力そのほかあらゆる点で格別に卓越し、このため、たちまちのうちに全宇宙を支配することになった。そして、総じて全力を尽して、神をないがしろにし邪悪を働く者たちを懲らしめ、大衆のために功労を尽した。

(6) そしてその御礼として、人間界から移り去った後ゼウスという名を贈られた。この王のおかげで人びとが「美しく生きる(kalw:V zh:n)」ようになった、と思われたからであ る。さらに、宇宙のなかにその座を占めて、恩恵を蒙った人びとから栄典を受けた。栄典とは、すべての人びとが心から願って、故王が神であり宇宙全域を永遠にわたって支配していることを、公けに宣言したことである。

 アトランティオイ族の間に伝わる神話の要点は以上である。


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