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タントラ教(Tantrism)

tantrism

 ヨーニ(「女陰」)崇拝または女性中心の性崇拝の体系。デヴァダシ(「聖娼」)のさきがけであるヴラーティヤ派と呼ばれるある秘密の教派の女たちが、数千年前にインドで創始したと伝えられている[1]。この宗教は、のちに書かれた。タントラとして知られる経典と関連があったので、タントラ教と呼ばれた。その主たる崇拝物はリンガ・ヨーニ(男根-女陰)で、これは男性原理と女性原理(シヴァ神とシャクティ・カーリ一女神)との合一を表すしるしであった。タントラ教は今日でもインド、ネパール、ブータン、チベットで広く行われてい る[2]

 タントラ教の根本原理は、女性は男性よりも多量の霊的エネルギーを所有しており、男性は女性との性的かつ情緒的合一によって初めて、神的なるものの認識に達すると いうものであった。基本儀式の1つは、マイトゥナ maithuna すなわち保留性交(ラテン語で coitus reservatus、男性がオルガスムに達しないようにするセックス)であった。その理論によれば、男性は射精によって生命の液体を費すよりもそれを貯えなければならない。タントラ教の修錬を積むと、男性は相手のオルガスムによって生じた液体を男根から吸収し、何時間にもわたって性交を持続できるようになった。こうして彼は、女神と永遠に合一している神シヴァのごとくになることができた。理論上では、このようにして保存された生命の液体は男の脊柱に貯えられ、各チャクラを通って上昇して頭部に至り、そこで神の英知の霊感を得て花を咲かせた。タン卜ラ経典は、 女神崇拝に基礎を置いた上述の儀式や他の儀式に解説を施しているが、合わせてこれらの儀式の根拠をなす哲学にも説明を加えている。

 タントラ崇拝を表す最も聖なるマントラ(真言)は、オーム・マニ・パドメ一・フーンすなわち「ハス(女陰)の中の宝石 (男根)」であった。リンガ・ヨーニの結合を象徴的に示すものは、女陰に男根が立っている形をした祭壇のことが多かった[3]。タントラの儀式の遺風により、中世ヨーロ ッパでは、「魔女」は女体を祭壇に見立てて礼拝すると考えられるようになった。

 タントラ仏教は、本来禁欲的な仏教と、古代の性の秘技修行との不自然な結婚から 生まれたものである。仏教は、5世紀後に興った禁欲的な仏教の子孫としてのキリ スト教と同じく、反女性原理と、男性は精液を漏らさず「自己」に集中して、その霊魂の活力を保持するために、女性に近づいてはならないという教義の上に成り立っていた。仏教の僧侶たちの主張によれば、彼らの予言者(ブッダ)は彼らに、性欲をすベて抑え、女性に会ったり話しかけたりしてはならないと命じた[4]

 しかし、初期キリスト教と同じく、仏教はまもなくその幅を広げて、厳格な堅苦し いジャイナ教徒から、「仏性は女陰に宿る」というような教義をもつ桁外れにエロティックなタントラ仏教徒にいたる一連の宗派をなした[5]。インド中の寺院において、仏教の聖者は官能的なシャクティと、ヤブ・ユム(父-母)と呼ばれる聖なる抱擁をしている姿で示されたが、この抱擁は永遠のオルガスムの至福を表しており、菩薩たちが至福の笑みを浮かべているのは実はこのためである。

 タントラ仏教の官能を旨とする諸形態がアジア中に浸透したが、のちに父権制的諸 宗派はそれらを抑圧し、歴史に存在したことをも否定した。タントラ仏教は、中国の六朝時代、唐、元のもとで栄えたが、やが て儒教を奉じる家父長たちはその排斥に成功した。日本の真言宗はタントラ仏教の弱体化した名残りの一派である。タントラ教はいまや中国や日本では言及されることもない。その芸術作品は破壊された。その筋はタントラ教などは初めから存在しなかったと思わせようとしている[6]

 同様の否定はイスラム教によって支配された領域でも見られた。そこではスーフィ 一教の神秘主義者たちがタントラ教の1宗派を長い間信奉していた。彼らはファナー (「恍惚」)の教義を強調していたが、これはフラワシ(「道の霊」)としても知られているピール pir (ペリ)すなわち妖精の恋人と一緒になって初めて達成できた[7]。男は彼 女を通して、神を超えて、神々をも呑み込む究極的な虚空の認識にいたるとされる「より大きく完全な自己消滅」に到達できた[8]

 初期グノーシス派キリスト教徒が自分たちの宗教をシネシャクティズムSynesaktism (「シャクティの道」)と呼ぶ場合があったが、これはタントラ教の別名であった[9]。これらのキリスト教徒たちは、タン卜ラ教の西洋における諸形態のいくつか、すなわちピタゴラス派や新ブラトン主義の神秘主義者たちの思想によって濾過された女神崇拝の諸哲学だけでなく、東洋のタン卜ラ教からも影響を受けた。プロティノスは、「口にすべきでない者」(神)の方向への精神の向上と,「美しい婦人を目にすること」とは同じだとした。神性認識への精神の上昇は6段階に分けられ、まず女性の美の知覚に始まり、「普遍的な美」の瞑想でその極に達した[10]

 拝蛇教徒やモンタノス主義者のようなキリス卜教徒が、女の聖霊、神の女性霊(つ まり神のシャクティ)であるソフィア Sophiaの名のもとに、女の生命力を崇拝するのに性交儀礼を行ったのは明らかである。彼らの「霊的結婚」という儀礼はキリスト教会正統派の誤解を受け、正統派はのちにその儀礼を「信仰の試金石」と呼んだ。彼らによれば、何人かの男女の聖人たちは、まぐわうことなく裸で共寝することで自分たちの純潔を証明したのであった。上述の「聖人たち」が避けたのは、おそらく性交そのものではなく、男がオルガスムを感じないようにするだけであったろう。タントラのヨーガ行者と同じくグノーシス派の聖人も、保留性交 coitus reservatus によって自分たちが「完全なものになった」と考える場合もあった。そのため彼らは全裸で乱交に耽っても罪の意識を感じずにすんだ[11]

 これらの宗派は5世紀末までには滅ぼされ、以後、世に名高い「信仰の試金石」の ことも聞かれなくなった[12]。正統派の教父たちは、性交は子供をもうけるためだけに行われるべきものであり、女性は性の喜びを一切感じてはならないと定めた[13]

 タントラ教を信じるキリスト教徒は異教徒の汚名を着せられたが、一方、イスラムの指導者たちはスーフィ一教では性愛崇拝を攻撃していた[14]。スーフィ一教の神秘主義は、自らを「恋人たち」と呼び、世界を支える力としての女性原理を崇拝した吟遊詩人たちの手で、ひそかに命脈を保った。スーフィ一教のヨ一ニ崇拝はヨ一ロッパの 吟遊詩人に影響を与えたが、彼らは十字軍遠征に続く数世紀の間の宮廷風恋愛流行の基礎を築いた。教会は彼らを悪魔崇拝者と呼んだが、その理由は、彼らが「罪深くも」 神ではなく女性を愛したからであった。女 性は当時の神学によって、悪魔と同じだと考えられていたのである[15]。 Romance.

 宮廷風恋愛流行時の英雄たちがドゥルダリアdrudariaという名のもとに、タントラ教のマイ卜ゥナを実践したのは明らかである。このドゥルダリアというのは男性の自己否定と結びついた一種の性愛の秘技 (保留性交)であったが、純潔なものでは全然なかった。それどころか、その詩はエロチック極まるものであった[16]。吟遊詩人の中世騎士物語にはときどき、東洋のタントラ教と明白な関係のある個所がでてくる。たとえば、ペレドゥールの神秘な愛しの女が、実は自分はインド出身であると明かしたり、トリスタンが愛しの女イゾ一デに、自分の名は2音節からなるタントリスTantris という言葉の音節を入れ換えてつくったものであると語るときである[17]

 決して公に認められることはなかったが、タン卜ラ流のセックスは、秘密の教え通りであるにせよ、独自に発見された方法としてであるにせよ、歴史が始まって以降、西洋の諸国で行われてきている。「魔女」の 烙印を受けた中世の女神崇拝者たちは明らかにこれを知っており、受胎調節のテクニックとして用いていたかもしれない。集会に参加した女性で妊娠したものは1人 もいないと主張されていた[18]

 1848年に再びマイトゥナは、オナイダ共産村の創立者ジョン・ハンフリー・ノイズ によって公の知るところとなった。彼がマイトゥナを再発見したのは、4回妊娠してその度に危険な目に遭った彼の妻を、「心ならずも受胎してしまう恐怖」から守る術を探しているときであった[19]。ノイズは自分の発見を「男の禁欲」すなわちカレッザ karezza と呼び、共産村のメンバーたちにそのテクニックの手ほどきをした。次いで彼らはさまざまな相手と、ノイズの言うところの「雑婚」に及んだが、望まぬ妊娠をするものはいなかった[20]。19世紀および20世紀のオカルト協会のうちのいくつかが、さまざまな理由からタン卜ラ教の「保留性交」coitus reservatus を実践したが、これ が西洋の男性の「正常な」性技のレパートリーに加えられることは稀であった。


[1]Rawson, A. T., 80.
[2]Encyc.Brit., "Tantrism",
[3]Rawson, E. A., 47.
[4]Campbell, Or. M., 352.
[5]Briffault, 94.
[6]Rawson, E. A., 255.
[7]Bullough, 150.
[8]Campbell, Oc. M., 194, 451.
[9]Bullough, 105.
[10]Collins, 113.
[11]Bullough, 112.
[12]Legge, 2, 77.
[13]Bullough, 114.
[14]"Sadock, Kaplan and Freedman, 23.
[15]Briffault, 3, 490.
[16]Briffault, 3,483.
[17]Loomis, 211. ; GuerberGuerber, L. M. A., 238.
[18]Knight, D. W. P., 236.
[19]Crow, 179.
[20]Carden, 55-56.

Barbara G. Walker : The Woman's Encyclopedia of Myths and Secrets (Harper & Row, 1983)