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知恵文学

賢者アヒカルの言葉

アラム語





[出典]
 筑摩世界文学大系1『古代オリエント集』(杉勇・三笠宮崇仁編、昭和53年4月所収)

aswan.jpg[解説]
 1704年はじめて発表された古代アラム語の碑文以後、19世紀末から今世紀の初めまで多くのアラム語で書かれたパピルスが発表され、ことにエジプトのナイル上流のアスワンに近いエレパンティネ島発見のそれは重要な意義をもっていた。これら文書は土地の人が肥料をえるために古代の廃趾を掘っているときに発見され、これらが1906年にイギリスのセイスとカウリーにより、1911年には多数がベルリン大学の中近東語学者エドゥワルト・ザハウによって発表された。その内容は法律文書、書翰、計算書、人名表のほかに、文学書が含まれていた。それによると、ここは紀元前5世紀のベルシア時代にユダヤ人の駐屯地イェプ(シエネ)のあとであることがわかり、当時のユダヤ人の習俗や信仰を知る貴重な資料であることがわかった。
 
 さて発見された文学書の一つは、イランのベヒスタン(ピストゥーン)のダレイオス1世の磨崖の碑文の写しであって、碑文は古代ペルシア語、新エラム語、バピロニア語の三カ国語で書かれ、楔形文字解読の上に重要な意味をもっているが、アラム語パピルスではバピロニア語の訳文ともみられる。他の重要な一つはここに訳出した「賢者アヒカルの言葉」といわれるもので、前者にまさるとも劣らない重要な文学作品で、以来多くの学者の注意をひいた。これより以前から「アヒカル物語」はシリア語、アラビア語、アルメニア語、エティオピア語、ギリシア語、古代トルコ語、スラヴ語、ルーマニア語などに訳出されていたが、いまやその最も古い原文ともおもわれるものが発見されたわけである。もっともこのアラム語文もおそらくアッカド(パニビロニア)語の原文にまで遡るべきであるとみられるが、まだアッカド語文は発見されていないし、カウリー(後出書)は語句にペルシア語の影響を みとめているが、ペルシア人はa literary peopleでないとするのに対して、伊藤氏はペルシア起源をとっている。この物語は、第一部はアヒカル自身の物語と第二部が賢者の言葉の集成となっている。

 原文は
 Sachau, Aram[a]ische Papyrus und Ostrake aus Elephantine, 1911, Tfln. 40-50;
 Cowley, Aramaic Papyri of the Fifth Century, 204 ff.:
 訳文は同上書のほか、
 Pritchard, Ancient Near Eastern Texts3, pp.427-30:
 Grelot, Documents aravi[e]ens d'[E]gypte, 1972, pp.427-52:
 後世の外国訳文は
 F. Nau, Histoire et sagesse d'Ahikar l'assyrien, 1909:
 Conybeare, Harris, Lewis, The Story of Ahikar, 1913(2):
 伊藤義教『古代ペルシア』、244-56頁。

  左上図。
  「エレパンティネはアッスワンの前面にあるナイル河中の小島で、南北3キロメートルくらい。エジプト名はイェーベウ、ここから発見されたパピルス文書ではイェーブとよばれているが、「象の場所」という意味。もっとも、象が住んでいるところの意味か、象牙の集散地の意味か、そのへんのことは明らかでないが、その意味をとってエレパンティネElephantineとギリシア語訳され、この呼び名のほうがひろく親しまれた。島の南端に都市址があり、ここに文庫があって、その址から多くのアラム語パピルス文書が発見された。ここには早くからユダヤ人がパレスチナより入植していた(前6世紀の中頃か、早くても前7世紀)。かれらは傭兵となって、バビロニア、エジプト、アラム、サマリア、フェニキア人を加えた混成兵団の一部を構成し、ペルシア人やバビロニア人を上級指揮官として、エジプトの南境をヌビアにたいして警備していた。アラム語というのはセム語の北西語派に属するもので、ひろくオリエント=西南アジアに通用していた。……問題の都市はイェーブ・ビールター(城市イェーブ)としてパピルス文書に多出する。下流(200キロメートルくらい)東岸にあるルクソール(現オフィ)で入手されたパピルス文書がJ・ユータンによって1903年に公表されてから、そのパピルスの出土地エレパンティネの名が一躍有名になり、1906年には同地出土のパピルス文書がA・H・セイスとA・E・カウリーによって発表された。ついで同年12月から翌年にかけてO・ルーベンゾーン指揮下のドイツ調査隊が来島、その成果はE・ザハウによって1911年に公刊された」(伊藤義教『古代ペルシア — 碑文と文学 — 』P.12-14)。




賢者アヒカルの言葉



第一欄[1-16行]

〔これらは〕彼の子……に教えた賢明で有能な書記官アヒカルという、者の〔言葉である〕。
〔というのは〕たしかに彼は私の息子になるべきでしょうと言った〔からである〕。〔彼の〕ことば以前に、アヒカルは偉くなって、そして〔全〕アッシリアの顧問官、
およびアッシリア王セナヘリブの国璽(の所有者)相であった。〔そして言った、〕「〔私は〕実に〔一人もの〕子供たちを〔もってなかったし、私の相談〕
や言葉にアッシリア王セナヘリブは(信頼するのが)常であった。〔それからアッシリアの王〕セナヘリブが死んで、
エサルハドンという名の彼の子が立って、〔彼の〕父〔セナヘリブ〕の〔代りに〕アッシリアの王となった。〔そのとき私は言った〕
『〔私は〕齢老りました、〔誰が(私の)あとで私(にとって)〕の子と〔……〕になるべきでしょうか。かつ私がアッシリア王セナヘリブに対すると同じように、王エサルハドンの国璽相となりましょうか。』
そこで私、〔アヒカル、は、私の女きょうだいの子で、彼が呼ばれ(名づけられ)ていたナディンを採りあげて、彼を育てあげました〕。
そして彼を教えて、〔大きな〕親切心〔を示し、王の前に、私といっしょに王宮の門のところ(宮中)に、彼の廷臣たちのうちに、彼をおいた。
私はアッシリア王エサルハドンの前に彼をつれてゆき、彼(ナディン)は
彼(王)が彼に尋ねたことを何でも彼に話した。そこでアッシリア王エサルハドンは彼を寵愛し、
『彼が息子をもってなかったので、〔彼の女きょうだいの子を〕彼の息子として育てあげた、全アッシリアの顧問官、賢き書記官アヒカルの生命の長からんことを』と言った。
アッシリアの王がこのように話したときに、私ことアヒカルは、アッシリア王エサルハドンの面前で、お辞儀をして敬意を表わした。
〔いく日かののち〕私ことアヒカルは、アッシリア王エサルハドンの顔ばせに御好意を見てとったので、私は答え、〔王の前で言った。『私はあなたの前の王であられたあなたの父君である王セナヘリブに仕えました。
〔……いまやごらんなさい。……〕


第二欄[17-31行]

私は老いた。私は王宮の門で働くことはできず、あなたに仕えることはできません。
〔ごらん下さい〕私の息子、その名ナディンというものは十分に成育しました。彼を書記官と全アッシリアの顧問官として私の地位をとらせて下さい。
彼をあたたの国璽相にして下さい。私の知恵も、それに私の助言も〔私は彼に教えてきました〕。』そこでアッシリア〔王エサルハドンは答えて、〕
私に言った、『実にさもありなん。〔お前の〕息子はお前の代りに私の書記官と国璽相とならん。彼は〔私のために〕お前の勤務をなすべきである。』〔それから私、アヒカルは、賜った、
与えられたお約束を聞いたとき〕わが家に赴いて、〔わが家で休息していた。〕
そしてこの、私が育て上げて〔アッシリア王エサルハドンの前に〕王宮の門で、王の廷臣たちのうちにおいたところのわが子(のこと)を
私は考えた。『私が彼のためになしたことの報酬に、彼は私の善意を求めるだろう』と。ところが
私が育てあげた私の〔女きょうだいの〕子は、私に対して邪悪と想像して〔彼の心中で言った。
『確かにこのようなことばを私は言いうる、「このアヒカル老人は、
あなたの父君たるセナヘリプの国璽相であったが、〔あなたに対して国土を腐敗させた、というのは彼は顧問官であり、有能な
書記官であり、後の助言とことばによって全アッシリアは(導かれたからである)。」〔そこでエサルハドンは、
私が彼に話そうとしたこれらのような〕ことばを聞いたときに大いに困惑して、アヒカルを殺すだろう。』それから
私の(実)子でなかった私の息子が〔私に対してこの虚偽を企んだときに……
……


第三欄[32-48]

するとアッシリア王〔エサ〕ルハドンは〔怒りをこめて〕〔答えて〕言った。
『我が父のパンを食べた我が父の役人の1人、ナブースムイスクンをわがもとに来させよ、
目のとどく限り、〔老いたるアヒカル〕を捜し求め
〔殺すがよい〕。さもなくば、この老〔アヒ〕カ〔ル〕は賢い書記官でもあり、
全アッシ〔リア〕の顧問官であるゆえ、我が意に背いてこの土地を腐敗せしめないとも限らぬ。』それから
〔アッシリアの王〕はこう言って彼とともにもう二人の男を任命して
〔ことの成り行き〕をみさせた。そこでこの役人〔ナブ〕ースムイスクンは自分の速〔い〕〔う〕まにのって〔出かけ〕、
〔これらの男たち〕もそれに従った。その後、三日も経って
〔彼と〕彼に従った〔他の〕者たちは私がぶどう畑の中を歩いている時私をみつけた。
〔さてこの〕役人〔ナブ〕ースムイスクンは〔私をみると〕〔す〕ぐさま衣服を脱ぎすてて、嘆きながら
言った。『あなたは〔正義〕のひと、その勧告と命令により全アッシリアが〔導かれて〕いた
かの賢明なる書記官でもあり、かつ良き勧告の主であられた方ですか。
〔あなたが育て〕あげ、あなたが王宮の門のところにつれてき(身を立てさせ)た〔あなたの息子の燈明〕よ、消えるがよい。彼はあなたを破滅せしめました。
〔悪い〕報いです〔それは。』する〕と私、アヒカルは実に恐ろしくなった。私は〔かの役人〕ナプースム〔イスクン〕に答えて言った。
『私はかつてあなたを不当な死から救った同じアヒカルではありませんか。エサルハドン王の父〔セナヘリブ〕があなたのことを怒って、〔あなたを殺そうと〕なさった。〔そのとき〕、私はあなたを私の家に連れていきました。そこで私はあなたを、


第四欄[49-63行]

ひとがその兄弟に対してしてやるように扶養してあげて、かの人(セナヘリブ)からあなたをかくまい、「私は彼を殺しました」と言い、ついに大分経ってから、のち、幾日もたってから
あなたをセナヘリプ王の前に連れてゆき、王の前であなたの罪をゆるし、そのおかげで王はあなたになんら害を与えられませんでした。
そればかりでなく、セナヘリブ王は私があなたを殺さず生かしておいたことで大層気をよくなさった。さあ、いま、
ちょうど私があなたにして差し上げたように、あなたも私にしてください。私を殺さないでください。またのちの日まで、私をあなたの家にかくまってください。
エサルハドン王は私を誰かのように(?)思い出し、私の助言を求められることになるでしょう。そのときあなたが、
私を王の前に連れていってくだされば王も私を助命してくださることでしょう。』すると役人ナブースムイスクンは〔答えて〕言った。『怖れなさるな、セナヘリブ王およびアッシリアの全軍(万民)がその勧告によって〔導かれていた〕全アッシリアの父アヒカルよ。』
それから役人ナプースムイスクンはその仲間たち、つまり共にいたかの二人の男たちに向って言った。
『〔耳をか〕たむけ、〔よく注意していてくれ〕、今私が〔私の〕策を打ちあけるから。実によい策だ、これは。』
〔する〕とこの二人の〔男たちは答えて〕彼に言った。『〔おっしゃ〕ってください。おお、お役人さまのナブースムイスクン殿。
なん〔でもあなたの欲される(思う)ところを。私たちは〕あたたに〔耳を傾けましょう。〕』役人ナブースムイスクンは口を開き、彼らに言った。『よくきくがよい。
〔アヒ〕カルは偉大なる人物〔であり〕、エサルハドン〔王〕の御璽をあずかっていられる方だ。
そして〔アッシ〕リアの軍隊はことごとくこの人の勧告と命令によって導かれていた。〔不当にも〕この人を殺すようなことはやめようではないか。君たちに私の宦官〔である奴隷〕を一人やろう。
このアヒカルの身代りとしてその男をこの二つの山々のあ〔いだ〕で殺そうではないか。〔このことが報告され〕て、アヒカルの死体を見(確かめ)るべく王が他の〔家〕来に
私たちのあとをつけるよう遣わされよう。そのとき彼らは私の奴隷であるこの宦官の死体を発見することになろう。


第五欄[64-78行]

そして、つまるところはエサルハドン〔王〕もアヒカルを思い出してその助言を求め、
彼について〔後悔したりなさることだろう。〕』
 (第五欄後半は欠損してわずかしか残っていないので、以下14行ほどを断片的に訳してみる)
そしてエサルハドン〔王〕の心は〔私のところに帰ってきて、彼の役人や廷臣たちに(次のように)〕言うだろう。
『私はお前たちに、〔もしアヒカルだけを見つけたら、(浜の)砂(ほど多)〕数の富をやろう。』そしてこの忠言は〕
彼の仲間たち、それら〔両人〕には良しとみえた(気に入った)。〔彼らは、役人のナブースムイスクンに答えて言った。〕
『あなたの思いのままになさい。〔彼を殺させないように。しかしあなたは、
ここにいるアヒカルの身代りの宦官であるその〕奴隷をわれわれ(両人に)渡すべきである。彼はこれら二つの山間で殺さるべきである。』
そのときに〔アッシリアの国では、『エサルハドン王の書記官アヒカルが〕
殺された』〔と報ぜられた。そのとき〔その役人である〕ナプースムイスクンは、私を彼の家に連れていって私を隠し、また〕
彼は〔彼の兄弟と同じように一人前の男〕としてそこで私を育てあげ、〔そして私に言った……『パンと水は私の主君のところに運ばれるべきである。……〕』
多量の食べもの(?)と〔豊に〕(ほかの)物資を彼は私に与えた。〔それからその役人であるナブースムイスクンは
エサルハドン〔王〕のところに行って、彼に言った、『あたたが私に指図したのに従って、私はなしてきました。〕
私は赴いていって、〔その〕アヒカルを見つけて、〔彼を殺した〕。』それからエサルハドン〔王〕がこのことを聞いたときに、〕〔彼がナブースムイスクンといっしょに任命した二人の〕者に彼は尋ねて言った。〕
『彼が言う〔ようであった。それから〔王〕エサルハドンが……している間に……〕
第五欄の右半分 — いや、半分以下 — しか保存されていないので翻訳するにはあまりにも多く憶測に頼らなければならない。しかしながら、ナプースムイスクンの仲間達が彼の計略に賛成して、ちょうどアヒカルがかつてナプースムイスクンを養ったごとく、ナプースムイスクンがアヒカルを養ったということは確かである。前者とその二人の仲間達は、エサルハドンにアヒカルを殺害したと報告する。物語の残りの部分は全く失われている。結局は王も実際にアヒカルの助言が得られないのを痛切に悔むようになり、彼がまだ生きていることを知って非常によろこび、アヒカルは復職し、ナプースムイスクンは褒賞を受げたということをのちの校訂版によって知ることができる。


第六欄[79-94行]

なき叫ぶロバより強いものは〔な〕にか。〔それは重い荷である。〕
錬えられ、教えられ、足枷をはめられた息子は〔栄え(成功し)よう〕。
梶棒(鞭)から汝の息子をかばう(引きとめる)なかれ。さもなくば〔息子を悪から〕救うことはできまい。
息子よ。もし私がお前を打ったとしても、お前は死ぬことはあるまい。しかし、もし私がお前を、お前の心のままにさせておげば、〔お前は生きのびることはあるまい。〕
奴僕には打撲を、奴婢には懲〔戒〕を、そして汝の奴隷すべてには風紀を。
脱〔走〕した奴隷、〔あるいは〕盗癖のある下女を買う〔者〕は、その財産を浪費し、放恣の評判によって父や子孫の名を汚すことになる。
サソリはパソを〔見つけても〕よ〔ろこばないが〔味わう〕ものにとってははるかに佳いものである。
〔……〕婢(汝は奉仕し(働い)た)〔………〕
獅子はその穴ぐらの隠れ場所で牡鹿を嗅ぎつけ、牡鹿にとびかかって捕える。そしてその血を流し、その肉を喰う。〔人〕間の交際(遭遇)もまさにかくのごとし。
獅子〔を恐れて〕
ロバは自分の〔荷〕を置きざりにして運ぼうとしない。彼は仲間に重い荷物を運ばせ、自分のものではない荷を自分の荷といっしょに運ばせ、ラクダの荷を運ばさせるだろう。
ロバは愛ゆえに牝ロバに向って身をかがめ(敬礼をす)る。そして鳥は〔……〕
(なすべく)ふさわしきこと二つと、第三には神シャマシュによろこばれることは、酒を飲〔み〕、飲ませるぺく(他人に)与える者、用心深い(慎重な)(知恵を大切に守る)者(それに)
たにかを耳にしてもしゃべらない者。 — 見よ、それがシャマシュにとって大切なことなのだ。だが酒を飲んでも(酒)を飲まさせないもの、
その用心深さ慎重さ(知恵)を失ってしまっているもの、〔そして……〕が見られる、 — 〔……あなたは置いた……用心……〕


第七欄[95-110行]

それに神々にとっても彼女(知恵)は貴重(な存在)である。〔永遠に〕王国は〔彼女(知恵)のもの〕である。天〔国〕において彼女(知恵)はしっかりと(地位に)着かされている。神聖なる者たちの主が〔それを〕高めたからだ。
〔私の息〕子よ。あまりしゃ〔べり〕すぎて、お前の胸に浮かぶ〔ことをこと〕ごとく口にしてしまうようなことのないように。というのは、人の目や耳は、いたるところでお前の口〔に〕注意しているからだ。それが〔お前の〕破滅のもとにならぬように。
あらゆる〔一分の隙もない〕警戒心、それ以上の警戒がお前の口を見守っているのだ。そしてまた〔お前が〕耳〔にする〕ことについては心を強壮にせよ。たぜなら、言葉は小鳥だから。いったん放たれると誰も再び〔それを把える〕ことができない。
まずお前の口の秘密を〔数え〕よ。それからその数に従って〔お前の兄弟に〕彼の助けのため、お前の〔言葉を〕口にするがよい。というのは、口の教えは、戦争の教えより強いからだ。
王の言葉を軽く扱ってはならない。それをお前の〔肉体〕のための薬とするがよい。王の御言葉は実に柔らかい。(しかし)それは〔両刃〕の刀よりも鋭く、強い。
お前の前を(きびしいもの=表情を)見るがよい。王者の顔に表われたきびしい表情は(面前では)〔ぐずぐずするな〕ということを(意味する)。その怒りは稲妻の如くすばやい。お前自身のことに注意するがよい。
お前の言〔った〕ことに対してそれが向〔けられ〕、天命を全うすることなく破滅することにならぬようくれぐれも注意するがよい。
いったん命令されたならば、王の怒りはまさに燃える火だ。すぐに〔それを〕行うがよい。お前に袋をかぶせ、(その火が燃えないように)お前の両手を覆いかくすようなことのないようにせよ。王の命令には激怒がある(からだ)。
  — 何故に木は火と、肉はナイフと、そして人は〔王〕と相争わなければならないのか。
 私は苦い西洋カリンの実を味わったこともあるし、菊ジシャを〔食べたこともある〕。だが貧困より苦いものはない。
甘きは王の御言葉。だがそれは竜の肋骨を折ることもある。目に見えない疫病(死)のごとく。子供が多いからといって狂喜するな。また少ないからと言って〔悲嘆にくれる〕な。
王は「慈悲神」の如きものだ。彼の声もまた大きい。神が共にいてくださる者でなければ、その前に立つことのできる者がいようか。
シャマシュのように仰ぎみて美しきものは王なり。そして、静かに地を歩む者にとって、その御姿は気高い。
よき器はその心に言葉を隠しもっている。そして割れた器はそれを出してしまう。
獅子が〔ロバに挨拶し〕ようとして歩み寄り、「お前さんに平安あれかし。」ロバは答えて獅子に言うには〔……〕。


第八欄[111-125行]

私は砂を持ちあげたこともあり、塩を運んだこともある。だが〔負債〕ほど重いものはない。
私は搗き砕いた藁(もみがら)を持ちあげたこともあるし、糠(バン屑)を持ったこともある。しかし居侯(駐留外人)ほど軽いものはない。
戦い(剣)は、悪しきにつけ善きにつけ、親友の間の静かな水面に波を立てるものだ。もし人が小さくても、偉大になれば、その言葉はその人を越えて高く飛翔する。なぜなら、彼の開口は即ち
神々の御〔発〕言であり、そして、もし彼が神々に愛されているならば、神々はなにかよいことを彼の口に入れて発言させるからである。
誰もその名を知らぬような星が天にはたくさんある。同様に、誰も人類すべて(のこと)を知っていはしないものだ。
海にはライオン(lb')は居たい。従って洪水のことをlb'と呼ぶ。
山羊は寒さを感じていた。豹が山羊に出遭った。豹は口を切って山羊に答えていった。「こい、わしがお前をわしの皮で包んでやろう。」
山羊が豹に答えていうには、「殿、(どうして)私にそんな必要がありましょうか。私の皮をとりあげないで下さい。」
豹は血を吸うためでなければ仔山羊に挨拶するようなことをしないからである。 — 熊が仔羊のところにいって、「〔お前たちのうち一匹だけわしにくれ。それで〕やめるから。」仔羊たちが答えて言うには「私たちの中からどれでもお好きなのをおとり下さい。私たちは〔あなたさまの〕ものですから。」
まことに〔神々さまなしに〕足を上げたり下ろしたりするのは人間の能力のおよばぬことだ。
まことに、お前の足を上げたり下ろしたりすることはお前の力の及ぶところではない。もしよいことが〔人の〕口から出れば、〔それは彼らにとってよいことであり〕、
またもし悪いこと(禍)が人の口から出れば、神々は彼らに対して禍をもたらされるであろう。 — もし神々の両眼が人々の上にあれば、
人はまるで家を破壊する(家に押入って逃げていく(?))盗賊のように、暗闇の中で見ることなしに木を伐ることができよう……。


第九欄[126-141行]

正しい人に向って眉を〔しかめたり〕、矢を向けたりしてはならぬ。神様がその人をお助けになって、お前に同じ行為で報いられるといけないから。
〔空腹を感じたならば〕息子よ、あらゆる収穫をあつめ、あらゆる労役に服すがよい。そうすれば食い、満腹し、子供らに与えることになろう。
〔もし〕お前より正しい人に向って弓を引き矢を放つと、それは神からみれば罪悪となる。
〔もし〕〔貧窮し〕たならば、息子よ、お前が食べ、満足を味わい、子供らとも分ち与えられるだけの穀物を借りるがよい。
重い借金をするな。また悪人から借金するな。その〔上、もし〕借金をしたならば、
〔返済する〕まで心を休めてはならぬ。〔借〕金は〔必要たときには〕楽しいものだ。しかしその返済は一家の中味(内容)となる。
〔息〕子よ、〔耳にしたものをことごとく〕自分の耳で〔試すべきだ。〕〔嘘つきに耳を貸し〕てはならぬ。人の魅力はその真心にあり、人の厭らしさはその唇の嘘言にあるのだから。
〔はじ〕めは嘘つきに対して王座が〔据えられる(?)〕こともあろうが、最〔後には人々〕はその嘘を発見して顔に唾をはきかけることになろう。
嘘つきの首は切られている。〔つまり、嘘つきは非常に静かなものの言い方をする?〕まるで〔……〕目のとどくところから顔を〔隠している〕南の(?)処女のように、まるで
神々に由来しない不幸を起す人のように。 —
お前のわけまえなるものを〔軽んずるな〕。またお前に拒否されたものを無闇に欲しがるな。
富を〔増殖〕するな。またお前の心を迷わす(堕落さす)な。
父の名や母の名に誇りをもたぬ〔ような者は誰であれ〕〔その上を〕太〔陽〕が照らすことのありませぬように。なぜならば、その男は悪い人間であるから。
私の不幸は〔私自身から〕出たものだ。(それならば)誰に対して私は私の身の明しを立てられようか。肉親の息子が私の家を秘かに調べ上げて、他人に対して悪口を言った。
〔私の息子が〕私に対して虚偽の証人となった。それではいったい私の身の明かしを立ててくれたは誰か。私自身の家から憤りが生じた。されば私は誰と争い勝つべきなのか。
お前の〔秘密〕は友〔だち〕の前で打ち明けるな。お前の名が彼ら(の前で)軽蔑されるといけないから。


第十欄[142-158行]

お前より(位の)高い者と仲違いするな。お前より高貴(?)でかつ強い者と〔競うなかれ。たぜなら彼 は〕
お前の分け前から〔奪って〕自分のものに〔加える〕だろうから。
見よ、〔大人〕と(競う)小人がまさにこの通りだ。
お前から叡知をとり去ってはならぬ〔……〕。
お前の視(力)が衰えるといけないから、あまり見つめぬがよい。
(あまり)甘くてはならぬ。人々がお前を〔呑み込んでしまう〕といけないから。また〔人々がお前を吐き出してしまうほど〕苦くてもならぬ。
息子よ、〔昇格し〕たければ、位の高いものの位を落し、〔低い者を昇格させ給う〕〔神の前に謙虚であれ〕。
神は呪い給わぬのにどうしてひ〔と〕の唇が呪えるものか?
 (152-55行は非常に破損しているのでここでは省略する)
神は曲解者の口をひねり、その舌を抜き取ってしまわれよう。
よき目を暗くせしめ給わず、〔よき〕耳を〔ふさぎ〕給わず〔よき口には〕真実を〔愛せしめ〕、それを言わしめ給うだろう。


第十一欄[159-172行]

そのふるまいが〔宜し〕きを得、また心もよい人はや〔ま〕の上に建〔て〕られた強大な都〔市〕のようなものだ。〔彼を打ち負かすことのできる者は誰もいない。〕
神と共に住まう人〔以外は〕どうやって自分自身の方法によって自分の身を守ることができようか。
〔……〕だが神が共に居てくださる方、その人を一体誰が投げ倒すことができよう。
(162行はむつかしく、ここでは省略する)人はその仲間の心の中に何があるのか〔知っていない〕。だから善人が悪人に会った時には〔注意させなくてはならない〕。
旅の道づれにはさせまい。また隣人にもさせまい — 善人を悪人とを。
茨が柘榴の木に手紙をやって〔言うに〕「茨より柘榴君へ。何故に君の(果)実に触れる者に対してかくもおびた(だしい)(君の)棘を向けるのか。」
柘榴の木は茨に答えて言うのに、「君よ、君に触れる人には、からだ中が棘だらけではないか。」
人々のうちで正しい者は、彼と接する者すべてが、彼の味方になる。
悪人の〔都市(家?)〕は平穏な目にはことごとく分解(破壌)してしまい嵐(小凪ぎ)のときにはその門が 倒されてしまうだろう。
なぜなら、〔彼らこそ正しき者の目指す〕餌食〔となるから〕。 — 私がまなざしをあげてお前を見た、その私の両眼、そして分別をもって私がお前に与えた私の心を、
〔お前はさげすみ、そして、お前は〕私の名を汚辱に曝した。
悪人がお前の衣のはし(スカート)をつかんでも、とらせておくがよい。そのあとでシャマシュの近くにゆくがよい。
シャマシュは彼のものをとってお前に与えてくれるだろう。


第十二欄[173-190行]

 (この欄の左手の側は欠損しており、下半部分も断片的で復原困難である)神はあなたと共に心正しい者として私を起し(身を立て)給うた。〔……〕
私の敵は死ぬだろうが、私の刃によってではない〔……〕
私はお前を糸杉の木の隠れ場所に残し、それからお前の友だちをおき去りにして、〔汝の敵に〕名誉を与えた。
彼が何を〔……〕したを知らない者は、憐むべきかな(?)。
賢者は語る、〔…〕の口を開くことが〔……〕の故に(179-185行欠文)
青銅の家の中に蛾が落ちた〔……〕
私の魂はその道を知らない、だから〔……〕
飢餓は、苦いものと湯を甘く(美味く)する。〔……〕
騒ぐ者は、バンでもって満足させ、〔貧乏人の心〕はワインでたんのうさせよ。
 (190行欠文)


第十三欄[191-207行]

 (この欄でも、文章はわずかしか残っていないので、要旨がはっきりしないが、およそ次のごとくである)
人は彼の弓を曲げて矢を射る。〔………〕
もしお前の主人がお前に水を保管するように任され、〔お前がそれを忠実に実行するならば、主人は、お前に黄金を残してくれるかもしれない。……〕
 (195-97行断欠)足枷をして、泥棒である奴隷は、買うべきではない。
〔自分の主人を非難するような者は、訴訟で係蹄(わな)にかけられることになろう。あたかも彼が主人公に悪態をついたかのように。
 (199-203行欠)〔……ある男が〕ある〔日〕野性のロバに言った。「お前に乗せてくれないか。そうしたらお前を養ってやろう〔……。」〕
〔野性のロバが答えるには〕、「あなたの扶養費と飼料は〔しまっておくがよい〕。しかしあなたが私に乗るような目にあいたくはありません」〔……〕。
〔……〕肉と靴〔の間に〕彼をして私の足に小石をおかせないで下さい。
〔……〕金持に「わが富の故に、われに栄誉あり」などと言わせまい。


第十四欄[208-223行]

アラビアの人に海を、シドンの人には砂漢を見せる〔な〕。なぜなら彼らの仕事は違うから(?)
ブドウ酒を踏みしぼる者は、それを味わうべき人であり、造る者は、それを守るべきである。
 (以下は断片的で、文意を解することはできないほどである)

//END

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