アリストパネース

[略伝]
アリストパネース(ビュザンティオンの)
Aristophan[e]s 前260頃生 学者
 エラトステネース〔Eratosthen[e]s, 前280頃キュレーネー生〕の後を継承し、前200年頃ではないかとされるが、アレクサンドリアの図書館長となる。そこで学問的重鎮となった人物で、ギリシア詩文の研究をすべての面で揺るぎないものとし、また発展させ、彼の高弟サモトラケのアリスタルコス〔Aristarchos, 前216頃生-144頃没〕によって継承された。
 彼はカッリマコス〔Kallimachos, 前270頃〕の『ギリシア文 学総目録(ピナケス)』を改訂・補足し、ホメロス・悲劇・喜劇の根本的改訂本でゼーノドトス〔Z[e]nodotos, 前325頃生〕、アレクサンドロス・アイトロス〔Alexandros Ait[o]los, 前280頃〕、リュコプロン〔Lykophr[o]n, 前280頃〕の仕事を凌駕した。
 韻律の分析を発展させ、「コロン」を認めてそれによってテキストを配列したため、以前の仔情詩の校訂に比べて一段とまさることになった。とりわけ権威のあったのはピンダロスの校訂である。パピルス文書の発見によって、彼の校訂方法についての我々の知識は確実に補足されている。
 彼は伝承テキストで意見を述べるために欄外の記号の使用を拡張し、以前は散発的だった句読点法を組織化し、重大結果を生むことになるアクセント法を導入した。
 彼の方法論上の学識は若干の劇の前置き(ヒュポテシス)に残存する。
 方言と慣用法に関する造詣の深さはその偉大な『用語辞典(レクセイス)』に蓄積されている。
 いくつかの学問的転換、たとえば『オデュッセイア』を第23巻296行で終わりにしたり、類推の原則を導入したりしているが(マロスのクラテス〔Krates, 前175頃〕参照)、古典期の著述家の「真作」を確立するのに明らかに功績があった。
 (ダイアナ・バウダー編『古代ギリシア人名事典』)

[底本]
TLG 0644
ARISTOPHANES Gramm.
(3-2 B.C.: Byzantius)

6 1
0644 006
Ceteri Aristophanis libri (fragmenta), ed. A. Nauck, Aristophanis
Byzantii grammatici Alexandrini fragmenta, 2nd edn. Halle: Lippert &
Schmid, 1848 (repr. Hildesheim: Olms, 1963): 264, 271, 273-277, 279-282.
5
frr. 1-7.
(Q: 628: Gramm.)





アリストパネースの他の書(断片集)
Ceteri Aristophanis libri (fragmenta)


1"t"
釣り合い(analogia)について

2"t"
アイギス(aigis)について

Eust. II. p.603, 28:
 文献学者アリストパネースは、『アイギスについて』という自身のある書を著して、他にもあまり正確でないことを言っているが、こういうことも言っている。つまり、ホメーロスは、激情や、そ〔の激情〕によって達成される事態と同名のことどもを、心に描かれる精霊(daimon)として神話的に表現したという(達成しようとすること[より正確には、もくろみ]も、達成された悪も、これら〔精霊〕のせいで眼に見えるとみなされた)。例えば、恋(Eros)、富(Ploutos)、争い(Eris)、暴慢(Hybris)、恐れ(Deimos)、恐怖(Phobos)、ひしめきあい(Kydoimos)、雷鳴(Bronte)、閃光(Astrape)、他にも無量のものらが、精霊に似た心象やそれに由来する徴表を、同じ名称でたしかに明らかにしているのである。さらに、それら〔擬人的な名辞〕の中で、同人〔アリストパネース〕は、旋風(to synestrammenon pneuma)や吹きおろす風(katarassos anemos)のことを、〔それらは〕下降的衝動を有するゆえに、アルカイオスとサッポーは、颪(katare (anemos))と言っている*1、と言っている。

*1 Alc. 135, Sapph. 160.
3"t"
悲しき知らせについて

Ath. III p.85. E. F:
 ところが、これ(テッリネー貝)については文献学者アリストパネースが『悲しき知らせについて』という著書の中で言及し、ジンガサガイ(lepas)*1はテッリネーと呼ばれるものと等しいと主張している。また、ミテュレーネー人カッリアスは、『アルカイオス詩におけるジンガサガイについて』という〔著書〕の中で、アルカイオス〔の詩〕に歌があり、その始めは、「岩と灰青の海との子」とあり、その終わりは、「子どもたちの胸をふくらませるは海のジンガサガイ」と書かれている、と主張している。しかし、アリストパネースは、ジンガサガイの代わりにカメ(chelys)と書き、彼の主張によれば、ディカイアルコスがジンガサガイを論題として言っているのはよろしくない、〔ジンガサガイとは〕幼児たちが、口の中に含んで、それによって笛を吹いて遊んでいること、われわれのところでも浮浪児たちがいわゆるテッリネー貝で遊ぶがごとし、ということである。

*1 ジンガサガイ(lepas)、HA 528a。「ジンガサガイ(lepas)は岩につく貝という意で、ジンガサガイPatella の類。これはアワビと同様、原始的な腹足類(巻貝類)である。(島崎)
4"t"
仮面について

Ath. XIV. p.659. A:
 マイソーン(Maison)は喜劇の俳優になった、生まれはメガラ人であるが、この人物は自分にちなんでマイソーンと呼ばれる仮面を発明した人でもあると、ビュザンティオン人アリストパネースが『仮面について』の中で主張し、彼〔マイソーン〕は奉公人の仮面も料理人の仮面も発明したと〔アリストパネースは〕称する。だから、当然ながら、これら〔奉公人や料理人〕にふさわしい滑稽話をもマイソーン話(Mais[o]nika sk[o]mmata)と呼ばれるのである。

5"t"
アテーナイの娼妓たちについて

5.1.
Aelian. V.H. XII, 5:

 娼妓のライス(Lais)は、ビュザンティオン人アリストパネースの主張では、アクシネー(Axine〔斧-女〕)とも呼ばれたということ。そして、彼女のこの添え名を、その性格の粗野さ〔を表す〕として非難した。

Helleborus.jpg

5.2.
Ath. XIII. p.586. F:

 また、『ピリッポス弾劾、暴行のかどで』の中で、リュシアスは娼妓のナイスについても言及し、『メドーンに対して、偽証のかどで』の中でも〔言及している〕。つまり、これが娼妓の通り名である。というのは、アンティパネースが『娼妓たちについて』の中で述べているところでは、本名はオイアであったが、彼女はアンティキュラ*1と呼ばれていたと称する、その理由は、酒に乱れ狂った連中といっしょに飲んでいたせいか、あるいは、医師ニコストラトスが彼女を身請けしたが、死んだとき、彼女に数多くのヘッレボロスを遺し、ほかのものは何一つ遺さなかったからだという。

 〔H. l. pro Antiphanes Fabricius cum libris BF. requirebat Aristophanes, fortasse recte, cf.Harp. p.23, 2:
 アリストパネースは(ita enim libri ABCFM, vulgo cum Maussaco editur Antiphanes)『娼妓たちについて』の中で主張する。ひとびとがアンティキュラと呼んだのは、酒に乱れ狂った連中といっしょに飲んでいたからだ、しかしある人たちは、医師ニコストラトスが死んだとき、彼女に多数のエッレボロスを遺したからだと。〕

*1 アンティキュラ(Antikyra) はテルモピュライの北西、スペルケイオス河口、マリス湾岸にある都市。この岩山にヘッレボロスが多く植生する(パウサニアス『案内記』X_36)ことから名づけられたと考えられる。ヘッレボロス(またはエッレボロス)は、黒い種(Helleborus cyclophyllus、左上図)と白い種(Vertrum album)とがあり(テオプラストス『植物誌』)、頭痛・嘔吐をひきおこさせるが、身体を浄化するのに薬効があるという(ディオスコーリデス『薬物誌』IV_150-151)。
 画像出典:mt. pelion Nature Link, Greece
 ぺーリオン山は、テッサリアのマグネシア半島の山地で、ケンタウロスたちの故郷である。上記サイトは、じつに美しい動植物の画像が満載されている。ぜひ寄ってもらいたい。
6"t"
メナンドロスの対比列伝集ならびに、そこから抜粋された精選集

Porphyrius ap. Euseb. Pr. Euang. X, 3. p.465. D:
 テオポムポスやエポロスが盗作の情熱に燃えさかっていたとしたら、メナンドロスもこの欠点に満たされていたとしても、いったい、どうして驚くことがあろうか。文献学者のアリストパネースは彼をすこぶる愛していたので、『彼〔メナンドロス〕の対比列伝集ならびに、そこから抜粋された精選集』の中でこれをやんわりと非難したが、ラティノスは、メナンドロスの自作でない作品について著した6巻本の中で、彼の大部分は盗作だと暴露した。

7"t"
動物たちについて

7.1.
Io.〔Joannes Laurentius〕 Lydus de Magistr. P.R.〔De magistratibus populi Romani〕 III, 63. p.257, 15:

 〔エロプス(elops)という魚はやわらかく、半透明、肉は(固くて繊維質なのではなく)あたかも結晶して冷ややかと思われるほどであり、胎生で反芻のようなことをする。生まれつき繁栄した場所で過ごす。それゆえ、ローメー人たちのところでは笛やシンバルの伴奏つきで給仕されると、アテーナイオスが主張している〔7. 294f〕。泳ぐときは、自分の両側にあるヒレで両眼を護る。〕こ〔の魚〕をエロプス(elops)と称するのは、アリストテレース〔『動物誌』505a15参照〕ほかすべての自然学者たちで、ビュザンティオン人アリストパネースも、〔『魚類の自然』〕の摘要の中で。

7.2.
Aetemid. II, 14. de trigla disserens.

 これ(trigla)〔アカボラ〕*1こそは子を成さぬ女たちにとって善きものである。3度産卵するからである。ここから、これにその名がついたのも当然であると、アリストテレースも『動物たちについて』の中で主張し(543a)、アリストパネースも『アリストテレースに関する覚書』の中で〔主張している〕。

*1 アカボラtrigleは赤いボラMullus surmuletus(およびM. barbatus)である。イタリアでは今でもtrigliという。ピュタゴラス教徒は食べなかったが(『断片集』第189)、ローマ人は珍重した(Plinius, IX, 30)。(島崎)

7.3.
Hierocl. in Hippiatr. praef. p.4:

 ところで、ビュザンティオン人アリストバネースは、動物たちの自然に関する事柄を、哲学者アリストテレースの著書から要約して、ウマは50年以上も生きることができると主張している〔HA 576a, Cf. 545b〕。

"append"."t"
諸々の現象(Phainomena)

 //END
2003.07.17. 訳了


forward.gifアルケラオス断片集
back.GIFインターネットで蝉を追う/目次