title.gifBarbaroi!


無名氏作

ホメーロスとヘーシオドスの歌競べ
(Certamen Homeri et Hesiodi)





[解説]
 この珍奇な作品は、現在の形では、ハドリアーヌスの在世、あるいは、死後間もなくの時代に成ったが、部分的には、ソフィストのアルキダマース(B.C. 400年頃)によるもっと早い時期の版を基にしている。プルータルコス(Conviv. Sept. Sap., 40)は、われわれが所有している版よりもより早い時期の(あるいは、少なくとも、より短い)版を使用している。現存の『歌競べ』は、しかしながら、明らかに、ホメーロスの生涯と系譜についてもっと他の拙く要約された原本と結びついており、おそらくは、伝ヘーロドトスの『ホメーロス伝』と源を同じくしている。その話題の範囲は以下のとおりである。(1)ホメーロスとヘーシオドスの(さまざまに報告されている)系譜と年代。(2)カルキスにおける彼らの歌競べ。(3)ヘーシオドスの死。(4)ホメーロスの遍歴と幸運。その境遇についての短い注記 — 世に聞こえた作品が創作され、死を迎える。

 この小冊子の全体は、もちろん、単なる「お話」である。唯一価値があるのは、(1)古代の人たちがホメーロスをどう見ていたかという洞察を与える。(2)「叙事詩の環」の詩に関する一定量の確実な情報。(3)『歌競べ』にしかない隔行対話(stichomythia)に含まれる詩断片。その多くは — われわれが手掛かりを得ているとすればだが — 「叙事詩の環」の詩に帰せられなければなるまい。(By H. G. Evelyn-White)



[底本]
TLG 1252
CERTAMEN HOMERI ET HESIODI
(3 B.C./A.D 2)
Cf. et VITAE HOMERI(1805).
2 1
1252 002
Certamen Homeri et Hesiodi, ed. T. W. Allen, Homeri opera, vol. 5.
Oxford: Clarendon Press, 1912 (repr. 1969): 225-238.
(Cod.: 2,449: Narr. Fict.)

H. G. Evelyn-White: Hesiod. With the Homeric Hymns (Loeb Classical Library)


邦訳は、松平千秋訳『ヘーシオドス/仕事と日』(岩波文庫)に併載されている。



ホメーロスとヘーシオドス、その出自と歌競べについて


 ホメーロスとヘーシオドス、これら最も神的な詩人たちが、自分たちの同市民たることは、あらゆる人間の祈念するところである。しかしながら、ヘーシオドスの方は、自分の祖国を名指しているので、いかなる愛勝からも解放されている。こう云っているからである。自分の父は、

ヘリコーンの山近く、惨めな村アスクラに住みつけり。
冬は厳しく、夏は辛く、よい時はいつだってない村に。(Op. 639-640)

 ところがホメーロスの方は、いわばあらゆる都市とその植民者たちが、自分たちのところで生まれたと言っているのだ。真っ先にはスミュルナ人たちが謂うには、自分たちのところにあるメレース河とニンフのクレーテーイスとの間に生まれた子で、初めはメレーシゲネーと呼ばれたが、しかしながら後に盲目となってからホメーロスと名を改められた、というのは、かれらのところでは、そういう者たちに対する仕来りの呼称だったからであるという。これに対してキオス人たちは、今度は自分たちの同市民であるという証拠を持ち出して、彼の血筋を引く者たちが生きながえてさえいて、ホメーリダイ〔「ホメーロスの後裔」〕と呼ばれていると言う。さらにコロポーン人たちにいたっては場所まで提示して、ここで彼は文字を教え、詩作を始めた、最初に詩作したのが『マグリテース』だと謂うのである。

 彼の両親については、さらに数多くの不一致があらゆる人々の間にある。例えば、ヘッラニコスとクレアンテースは、〔父親は〕マイオーンだと言い、エウガイオーンはメレースだと、カッリクレースはムナサゴラスだと、トロイゼーン人デーモクリトスは交易商人ダエーモーンだと、一部の人たちはタミュラースだと、アイギュプトス人たちは神聖文字書記のメネマコスだと〔言い〕、オデュッセウスの子テーレマコス〔が父親〕だと〔言う〕人たちもいる。母親としては、ある人たちはメーティスを、ある人たちはクレーテーイスを、ある人たちはテミステーを、ある人たちエウグネートスを、一部の人たちはポイニクス人たちに買われたあるイタカの女を、ある人たちは芸神カッリオペーを、何人かの人たちは、ネストールの娘ポリュカステーを〔挙げる〕。

 〔ホメーロス自身が〕呼び名されたのは、ある人たちが謂うには、メレース、一部の人たちが〔謂う〕には、メレシゲネース、アルテースである。彼がホメーロスと名づけられたのは、ある人たちが謂うところでは、彼の父親がキュプロス人たちによって人質としてペルシア人たちに与えられたからだといい、ある人たちは、眼が不具だったからだという。というのは、アイオリス人たちのところでは、盲人たちはそういうふうに呼ばれるからである。しかしながら、最も神的な皇帝アドリアノスの御代、ホメーロスについてピュティアによって何を述べられたかをわれわれが聞いている。すなわち、ホメーロスはどこの生まれか、誰の子かとこの王が問いただしたとき、次のように六脚韻で神来状態で口走った。

不死なるセイレーンの知られざる生まれと祖国の地を
我に尋ねるや。住まいはイタカ、
父はテーレマコス、ネストールの娘エピカステーが
母。はかなき者らのうちはるかに全知なる彼を生めるは彼女なり。

 これを最も信ずべき所以は、質問者と回答者の故ばかりか、とりわけ、この詩人が叙事詩を通して祖父〔オデュッセウス〕をかくも大袈裟に栄化しているからである。

 ところで一部の人たちは、彼はヘーシオドスの先達だという。が、ある人たちは、より若く、同族だという。そして次のように系譜づける。言い伝えでは、アポッローンと、ポセイドーンの娘アイトゥサとの子がリノス、リノスの子がピエロス、ピエロスとニンフのメトーネーとの子がオイアグロス、オイアグロスとカッリオペーとの子がオルペウス、オルペウスの子がドレース、[これの子がエウクレース]、これの子がイアドモニデース、これの子がピロテルペース、これの子がエウプレーモス、これの子がエピプラデース、これの子がメラノーポス、これの子がディーオスとアペッレース、ディーオスと、アポッローンの娘ピュキメーデーとの子がヘーシオドスとペルセースである。他方、アペッレースの子がマイオーン、マイオーンと、メレース河の娘との子がホメーロスであるという。

 一部の人たちが謂うには、彼らは同時に盛りにあり、その結果、エウボイアのカルキスでいっしょに競い合いもしたという。というのは、ホメーロスは『マルギテース』を詩作し、吟誦しつつ都市ごとに遍歴していたが、デルポイにも赴き、自分の祖国について自分は何者なのかを尋ねたところ、ピュティアが云ったという。

イオスなる島が汝の母の祖国なり。死せる汝を
受け容れん。されど、若き子らの謎に用心すべし。

 これを聞いて彼は、イオスへ赴くことは避け、あの地方あたりで過ごしていた。ところが同じころ、ガニュクトールが、エウボイアの王であった父王アムピダマースの葬礼を催し、強さや速さのみならず、知恵においても著名な人士をすべて、莫大な贈り物を報いて、競い合いへと招いた。そこでこの人たちも、言い伝えでは、偶然、カルキスに赴いておたがいに出遭ったのであった。この競い合いの審判者に任じられたのは、著名なカルキス人たちのうち、他の一部の人たちと、亡き王の兄弟であるパネイデースであった。そして、2人の詩人たちが驚嘆すべき仕方で競い合った結果、言い伝えでは、次の仕方でヘーシオドスが勝利したという。すなわち、中央に進み出ると、ホメーロスに一つずつ尋ね、ホメーロスの方は、答えたという。さて、ヘーシオドスが謂う。

メレースの子息、ホメーロスよ、神々からの分別を弁えたうえで、
いざ、先ず初めに我に云ってくれたまえ、はかなき者らにとって最善は何か。
ホメーロス
そもそもは、生まれぬことこそ地にある者らにとって最善、
されど生まれたからは、あたう限り早く冥府の門をくぐること。
第二に、ヘーシオドスが、
いざ、これも、我に云ってくれたまえ、神々にたぐうべきホメーロスよ、
死すべき者らにとって最美なるは何とおぬしは心に思うや。
相手が、
陽気が民全体の間にとどまり、
屋敷毎には、宴客たちが、順序よく坐して、
歌人に耳を傾ける時、側の卓は、
食べ物と肉に満ち、ぶどう酒は混酒器から
酌人が汲み運び、酒杯に注ぐ時。
これぞ最美なることと、我が心に知らる。

 これらの詩句が陳べられるや、言い伝えでは、その詩句が、これは黄金〔の詩句〕だと命名されるほど、それほどまでに激しくヘッラス人たちによって驚嘆されたあまりに、今でもなお、公の供犠のおり、食事と奠酒の前に全員があらかじめ祈るのだという。対してヘーシオドスは、ホメーロスの目出度さに不安になって、難問の問いかけへと突き進み、次の詩句を謂う。

いざ、芸神よ、わがために、現に在ることも、未来に在るだろうことも、以前に在ったことも、
そういったことは何も歌うことなく、御身は他の歌を思い出したまえ。

 するとホメーロスが、難問を首尾一貫して解こうと望んで、謂う。

ゼウスの奥津城のまわりを、蹄の音響かせる馬たちは、
勝利をめぐって争えど、戦車を潰すことは決してない。

 ここにおいても美しく対戦したので、ヘーシオドスは多義的な意味へと突き進み、より数多くの詩句を言って、ホメーロスが一つずつ調和的に答えるよう要求した。さて、初めの〔句〕がヘーシオドスのもの、続く〔句〕はホメーロスのものであるが、時として、2つの詩句を通じて、ヘーシオドスが質問をしていることもある。

ヘーシオドス
しかして、彼ら、牛の肉を食事にとり、馬たちの頚をば
ホメーロス
汗をかきたる〔頚〕を〔軛から〕外せるは、戦いに飽きたるがゆえ。
ホメーロス
そしてプリュギア人たち — あらゆる男どものうち船に関して最善なる者たち、
ホメーロス
海賊〔行為〕によって海岸で夕餉を摂るほどに。
ヘーシオドス
残忍なギガースたちの部族に対して、手にてijovV〔矢、毒、鉄屑などの語義あり〕を放てり。
ホメーロス
ヘーラクレースは肩から曲がった弓を外せり。
ヘーシオドス
こやつの〔親〕は、善勇の男と手弱女の
ホメーロス
母。戦争はいかな女にも難事ゆえ。
ヘーシオドス
されど汝のために父と女主人たる母は交われり。
ホメーロス
黄金のアプロディーテーの加護もて身体をば種蒔くために。
ヘーシオドス
されど、婚礼にしたがったとき、矢を射るアルテミスは、
ホメーロス
銀弓にてカッリストーを殺戮せり。
ヘーシオドス
かくのごとくに彼らは日がな一日食事せり。何ひとつ
ホメーロス
家から持ち出すことなく。いや、勇士らの主アガメムノーンが提供したのだ。
ヘーシオドス
彼らは煤けた灰の中で食事を摂りつつ、
白き骨を集めたり。ゼウスの戦死せる
ホメーロス
気象すぐれたる子、神にまごうサルペードーンの〔骨を〕。
ヘーシオドス
しかして我らはシモエイスの野のほとりにかく陣を構え、
船陣から道を進んだ。両肩に
ホメーロス
柄拵えの剣と、長い軸受けを持った槍を携えて。
ヘーシオドス
まさにそのとき、善勇の若武者は、両手で海から
ホメーロス
嬉々として、気負い立ち、海面を駈ける船を引き上げり。
ヘーシオドス
その後、彼らはコルキスに至り、王アイエーテースは
ホメーロス
避けり。馴染みなく、無法な者と知っていたゆえ。
ヘーシオドス
されど、奠酒し深酒したとき、海の大浪が
ホメーロス
櫓座の拵えもよき船の上を渡るかと思えり。
ヘーシオドス
して、アトレウスの子は、これらの者すべてのために切に祈れり。破滅することが
ホメーロス
海では決してないよう。そして口を開いて話せり。
ヘーシオドス
食されよ、おお、客人よ、そして飲まれよ。おぬしらの1人として
愛しき祖国の地に帰郷されることはあるまい
ホメーロス
災難に遭っては。むしろ、恙なくもう一度家郷に帰り着かれよう。

 しかし、ホメーロスがすべてに対して美しく対戦したので、再びヘーシオドスが謂う。

さればほんのこれのみ、尋ぬる我に陳べたまえ。
アトレウスの子らとともにイーリオンに赴きたるアカイア人たちは幾ばくぞ。

 すると相手は、計算問題にこう答える。

火床が50、それぞれ〔の火床〕に
焼串が50、〔焼串〕ごとに肉塊が50。
肉塊1つの周りには300の3倍のアカイア人たち。

 しかしこの人数は信じがたい。なぜなら、火床が50だから、焼串は二千と五○○となり、肉塊は十二万……

 まさしくあらゆる点でホメーロスが凌駕したので、ヘーシオドスは羨ましくなって再開する。

メレースの息子、ホメーロスよ、芸神たち — 話によれば、
至高者たる偉大なゼウスの娘御たち — がそなたを栄化なさるからには、
節度あることを調和させて言ってくれたまえ、死すべき者らにとって
最美でもあり最も憎むべきでもあることとは何かを。切に聞きたいがゆえに。

 すると相手が謂う。

ヘーシオドスよ、ディオスの御子息よ、我が自発的にそれを言うよう
おぬしは命ずる。なれど我は大いに喜んで告げん。
己が己の尺度となることは、善きものらの最美なもの
ではあるが、あらゆる悪しきことの最も憎むべきことでもある。
さらに他に、何でもおぬしの心に好きなことを質問されよ。
ヘーシオドス
都市に最善に住みうるのはいかにして、またいかなる仕来りによってか。
ホメーロス
恥ずべきことから利得することを拒み、
善き者らが尊敬され、正義が不正者たちに及ぶならば。
ヘーシオドス
神々に祈るのに、何よりも善いのは何か。
ホメーロス
いついかなる時も常に自身に好意的でありますように。
ヘーシオドス
最短の言葉で、生まれるのが最善なものとは何か、おぬしは云うことができるか。
ホメーロス
我が意見では、人々の身体に宿る正しき心。
ヘーシオドス
正義と勇ましさにできることは何ぞや。
ホメーロス
私的な辛労によって公的な利益を獲得すること。
ヘーシオドス
人間どもの上に生まれる知恵の証拠とは何か。
ホメーロス
現状を正しく知ること、同時に好機に従うこと。
ヘーシオドス
はかなき者らを信じることに価値があるのは、いかなることにおいてか。
ホメーロス
為された事柄に危険そのものが付き随うことにおいて。
ヘーシオドス
幸福は、人間どもにいったい何と呼ばれるか。
ホメーロス
最少の苦痛と最多の快楽の後の死。

 これらの〔詩句〕まで陳べられるや、ヘッラス人たちはみな、ホメーロスに花冠を冠すべしと命じたが、王パネイデースは、めいめい自分の詩作品の中から最美なものを云うよう命じた。そこでヘーシオドスは先に謂った。

アトラースの姫御子、プレーイアデス〔昴星〕の昇る頃に
刈り入れ、その沈む頃に耕耘を始めよ。
この星は四十夜、四十日の間姿を隠し、
一年の廻るがままに、やがて鎌を研ぎにかかる頃、
ふたたびその姿を現す。
これぞ野の掟であり、海近く住む者にも、
また山峡に、波騒ぐ海原を離れて、
豊饒の沃野に住む者も、等しく守るべきものじゃ。
肌着一つになって蒔き、肌着一つで耕し、
肌着一つで刈り入れよ — デーメーテールの賜う大地の恵みをことごとく、
          (Op. 383-392 松平千秋訳)

 彼に次いでホメーロスが。

両アイアースを囲んでは 二重の陣列が がっきりと構えられたが、
その堅固さは、たとえよし軍神アレースが 押し寄せようとも、
また兵どもを揺がすアテーナーなりと 軽んじえぬほど、選り抜きの
武勇のつわものどもが、槍に槍を、大楯に楯の裾を重ねて
坦根となし、トロイエー軍ゃ、またヘクトールを待ち設けていた。
されば手に持つ小楯は楯に、兜は兜、人は人と、ひしめき合い、
馬の総毛の前立に、閃々たる 打金つけた大兜は、合点くたびに
触れあったが、それほど互いに びっしりと 立ち添うていた。
          (Il. xiii, 126-133)
されば人を滅ぼす戦いは 肉を切り膚を裂くと、それぞれに
突っ立てたる 長手の槍の、物の具に 漣波立ってゆらぎ渡り、
限を奪うばかりに 輝きわたる兜の数の、青銅よりして、
また新奇に磨き上げたる胸鎧から、または燦然たる大楯から、
押し寄せる兵どもの青銅の兵は燦めき立つ、この難儀を見て、
胸も傷めず悦ぶ者は、それこそ気強い男といわれてよかろう。
          (Il. xiii, 339-344 呉茂一訳)

 ここでもまた、ホメーロスに驚嘆したヘッラス人たちは、詩句の然るべき程をいかに超えていることかと称賛し、勝利を与えるよう命じた。しかし王は、ヘーシオドスに花冠を授けた。義しいのは、農耕や平和へと誘う者であって、戦争や殺戮を詳述する者ではないと云ってである。さて、このようにして、言い伝えでは、勝利を得たのはヘーシオドスであって、青銅の鼎を受け取り、〔次のように〕添え書きして芸神たちに奉納したという。

ヘリコーンの芸神たちにこれを奉納せるはヘーシオドス。
カルキスにおける讃歌において詩聖ホメーロスに勝利したれば。

 さて、歌競べが終わると、ヘーシオドスは、託宣を受けるため、また、勝利の初穂を神に奉納するため、デルポイに渡った。彼が神殿に近づくと、女預言者が神憑りとなって、〔こう〕云ったと謂われている。

この男は幸いなるかな、我が館に奉仕する
ヘーロドトス、不死なる芸神たちに栄化されるとは。
まこと、彼の盛名は、暁〔の光〕が拡がるかぎりに拡がろう。
されど、ネメイアに坐すゼウスの麗しの森に用心せよ。
そこにおいてこそ、死の終わりが定められておる。

 そこでヘーシオドスはこの神託を聞いて、ペロポンネーソスからは離れていた。かしこのネメアを神が言っていると考えて。だが、ロクリスのオイノエーには行き、ペーゲウスの息子たちであるアムピパネースとガニュクトールのもとに逗留した。神託を〔満たしていることを〕知らないままに。というのは、この場所全体が、ネメイアのゼウスの神域と呼びならわされていたからである。そして、オイノエー人たちの中で彼の暮らしがかなり長く続いたため、若い男たちが、自分たちの妹とヘーシオドスが姦通していると猜疑し、殺して、アカイアとロクリスの間の海洋に沈めた。しかし3日目に、死体はイルカたちによって陸地に運ばれ、彼らのもとでアリアドネーの土地の一種の祝祭が催されていたので、みなが海岸に駈けつけ、死体を認知し、これを哀哭しながら埋葬し、殺害者たちを追及した。連中の方は同市民たちの怒りを恐れて、漁師の舟を引き下ろして、クレーテーへ脱出した。航海の途中、彼らをゼウスが雷霆で撃ち、海に沈めたと、アルキダマースは『ムーサの殿堂』の中で謂っている。しかしながらエラトステネースが『ヘーシオドス』の中で謂うところでは、ガニュクトールの息子たち、つまり、クティメノスとアンティポスとは、前述の理由で亡き者にしたため、占い師エウリュクレースによって歓待の神々に生贄とされたという。しかしながら、前述の連中の妹である処女は、堕落の後自ら縊れた。だが、堕落したのは、ヘーシオドスの旅の連れだった、名をデーモーデースという外人のせいで、これと彼とは同じ連中によって亡き者にされたと〔エラトステネースは〕謂う。後になって、オルコメノス人たちは神託に従って彼を移して自分たちのところに埋葬し、その墓に刻んだ。

祖国は小麦畑豊かなアスクラなれど、死しては、
馬多き大地ミニュアースがヘーシオドスの骨を
保つ。知恵の吟味において審判された者らのうち、
その盛名たるや人間界に最多の者の〔骨を〕。

 ヘーシオドスについては以上のとおりである。他方、ホメーロスは、勝利を得損なうと、巡歴して詩作品を語るを常とした。先ず第一に、7000行の叙事詩『テーバーイス』を。これの初め。

語れ、女神よ、渇きのひどいアルゴス、領主たちの出どころを。

 次いで、『エピゴノイ』7000行。その初め。

さあ、今度は、若武者たちから歌い始めよう、ムーサたちよ。

 というのは、これもホメーロスの〔作品〕だと一部の人たちは謂うからである。さて、これらの叙事詩を聞いて、ミダース王の子ら、クサントスとゴルゴスは、彼に、自分たちの父王の墓にエピグラムを詩作するよう依頼した。その上には、青銅の処女〔像〕があり、ミダースの死を嘆いていた。そこで次のように詩作した。

我は青銅の処女、ミダースの墓標の上に坐す。
水は流れ、大樹は芽吹き、
河はみなぎり、海は洗とも、
また、陽が昇り、明るい月もまた現るとも、
我は彼のこの歎きに満ちた塚の上にとどまり、
通りがかる人々に示さん、ミダースのここに埋葬されてあることを。

 彼らから〔褒美として〕銀の酒杯を受けると、デルポイのアポッローンに奉納した。〔次のように〕刻銘して。

主ポイボスよ、まことホメーロスが美しき贈り物を納めん。
賜った知恵の御礼に。御身は我に盛名をいつも賜れり。

 その後、彼は叙事詩『オデュッセイア』12000行を詩作したが、『イーリアス』15500行はすでに詩作していたのである。さらにそこからアテーナイへやって来て、彼はアテーナイ人たちの王メドーンのところで客遇されたと謂われる。評議堂では、寒く、火が燃えていたので、次の詩行を座興でつくったと言われる。

子どもらは男〔父親〕の冠、都市の塔、
また、馬たちは野の飾り、艦船は海の〔飾り〕、
市場に坐する民を見ることぞ〔よき〕。
されど、家に火の燃えさかるを見るは、さらに有り難し。
冬の日に、クロノスの子の雪降らすときには。

 そこからさらにコリントスに赴き、詩作品を吟誦した。そして大いに栄化されたのち、アルゴスにやって来て、『イーリアス』から次の詩を語った。

またアルゴスや、城壁に名を得たティーリュンスを保つ者ども、
さてはヘルミオネー、またアシネーの深い入江を抱く邑々、
トロイゼーンからエーイオナイ、また葡萄のしげるエピダウロス、
またアイギナやマセースを受領するアカイアの若殿ばら、
この者どもを率いるのは 雄叫びも勇ましいディオメーデース
すなわちテューデウスの子にして、オイネウスの子たる父の気象を受け継ぐ者、
およびステネロス、これは名もいと高いカパネウスのいとしい息子、
それに三人目として続くのは神にもならぶ丈夫、エウリュアロスで、
タラオスの裔なるメーキステウスの殿の息子と世に聞こえた。
この一党をかいなべて統率するは、雄叫びも勇ましいディオメーデースで、
彼等と一緒に 八十艘の黒塗りの船が随って来た。
          (Il. ii, 559-568 呉茂一訳) 船内には、戦争に熟練したる戦士らが居並びたり。
すなわち、麻の胸甲を着けたアルゴス人たち、戦争の突き棒が。

 アルゴス人たちの指導者たちは、詩人中最も有名な詩人によって自分たちの種族が讃美されたことにことのほか喜び、彼をば莫大な贈り物で栄化し、青銅の像を建てて、日ごと、月ごと、年ごとに、ホメーロスのための供犠を挙行すること、他の供犠は5年ごとにキオスに派遣すること、を票決した。彼の像には〔次のように〕刻銘した。

これは詩聖ホメーロス、誇り高き全ヘッラスを
言の葉うるわしき知恵にて飾りし者なれど、
とりわけアルゴス人たちを。髪よろしきヘレネーの復讐に、
神の築きし城壁のトロイを打ち毀せし者らを。
大都市の民が、ここに彼〔の像〕を建て、
不死なる者らの栄誉でもって報いる所以なり。

 この都市でかなりの期間過ごしたのち、全祭めあてにデーロスに渡った。そして角の祭壇の上に立って、アポッローンに寄せる讃歌を語った。その初め。

遠矢射るアポッローンのことを思い出し、忘れはすまい。

 この讃歌が終わると、イオーニア人たちは彼を共通の市民となし、デーロス人たちはその詩を白い板石に刻して、アルテミスの神殿に奉納した。そして全祭が終わると、彼はイオスのクレオーピュロスのもとに航行し、すでに老年になっていたので、そこでしばらく過ごした。そして海辺に座っていると、言い伝えでは、幾人かの子どもたちが漁から帰るのに尋ねた。

君たち、潮海の獲物を漁る者たちよ、我らが得たるははたして何ぞ。

 するとその子らが云うには。

捕らえたるは捨て置きたり、捕らえざりしはここに持つ。

 言われたことがわからないので、何を言っているのか彼らに尋ねた。彼らが謂うには、漁では何も獲れなかったが、虱捕りをして、捕まえたものはそこに捨て置き、捕まえなかったものは、着物の中に連れているという。そこで、自分の生の終わりが到来するという占いを思い出し、自分の墓のエピグラムを詩作した。そしてそこから引き返そうとして、泥があったので、滑って、横倒しになり、言い伝えでは、3日目に亡くなった。そしてイオスに埋葬された。エピグラムはといえば、これである。

ここに大地の蔽えるは聖なる頭、
世に優れたる武士の功称えし詩聖ホメーロス。
          (松平千秋訳)

//END.
2012.06.02. 訳了。

forward.GIFインターネットで蝉を追う/目次
back.gifBarbaroi!