イソップ、イシス、ヘリコーン山のムーサたちJohn Dillery イソップは狡猾で賢明な人物である。その胸の悪くなるような見かけの裡に隠された数々の才能の中に、話し、物語を語るというを素晴らしい能力があった。この能力は、「普通の才気」とか「民衆文化」の表現として、彼の役割の中核であった。そのうえ、それは『イソップの生涯』の初めに、わたしの知るかぎりでは、それまで気づかれなかった仕方で、非常に注意深く合図されている能力である。この合図は、3つの仕方で遂行されている。すなわち、(1つ)イソップのプリュギア出自、(2つ)イシス(一般的には書くことの、したがってまた言語一般の発明を帰せられる神格としての)の臨在、(3つ)そしてヘリコーン山のムーサたち(技巧的に話すことの、したがってまた文学の女神たち)の臨在である。後者の2つ、イシスとムーサたちとの結びつきは、『生涯』がイシス信仰の世界を最大限利用する可能性を惹起する。テキストの起源がグレコ-ローマン期の帝政エジプトにあることに注意が払われるとき、この世界へのその信頼ははっきり明らかとなる。 『生涯』のG本の初めから、ギリシア伝説のこの有名な傑物が、他の諸々の不幸せの中で吃りであることをわれわれは知る。「これら[身体的畸形の長い一覧]に加えて、その醜さよりもさらに大きな欠陥──話すことの欠如(ajfwnivan)を彼は持っていた。実際、彼は吃り、つまり、話すことができなかった(h\n de; kai; nwd;V kai; oujde;n hjduvnato lalei:n, §1)」[1]。ラテン語の『Vata Aesopi Lolliana』が、同じ特徴を単純な形(et inter haec omnia fuit mutus)で伝承する一方、W本は、イソップを、話がたどたどしく、耳障りな声をともなわせた(braduvglwssoV kai; bombovfwnoV)。 イソップの話すことの不能が、叙述面で重要であることは注目されてきたが、それは、虚偽の告発に直面した際の、彼の基本的な正直さを証明することが物語の中に含まれているからである。『生涯』が始まって間もなく、いくつかの無花果を食いつくした仲間の奴隷たちが、その果物はイソップが食べてしまったと彼を偽って告発した。会話では自分を守ることができず、彼は自分の胃袋の中味を吐き出して、無花果がないことを明らかにする。彼の告発者たちは同じことをするよう強制される。彼らは無花果を嘔吐し、それによって、みずからに有罪宣告することになった(§2-3)。しかし、会話のこの欠如は、イソップの道徳的性質を白日の下にもたらす『生涯』の冒頭から、他の挿話においても中心的である[2]。イシスの巫女が田舎で道に迷う。イソップは、畑で働いていたが、彼女を見つけ、彼女を元気づけ、本道にもどしてやる。イソップの親切に対する御礼に、「数多くの名前を持つ」イシス(#Isi muriwvnume)、彼の敬虔に応えて話す能力を彼に授けるよう(to;...lalei:n aujtw/: cavrisai)祈る。そのうち、イソップは畑で昼寝をするが、彼が眠っている間に、イシスその人が9ムーサたちに伴われて現れる。彼女は、イソップに声(fwnhvn, §7)を取りもどしてやったと告げ、この声にすぐれた話しぶりを授けるよう(th/: fwnh/: to;n a[riston carivsasqe lovgon)、ムーサたちに求める。彼女はムーサたちの一人ひとりに、自分自身のお家芸から何かを賦与するよう説得し(e[peisen de; kai; ta;V loipa;V MouvsaV eJkavsthn ti th:V ijdivaV dwrea:V carivsasqai)、彼女たちが彼に授与したのは、「言葉の創造と、ギリシアの物語を織り上げ、構成する才(lovgwn eu{rema kai; muvqwn +Ellhnikw:n plokh;n kai; poihvseiV)」。それから彼女たちはヘリコーン山に帰っていった[3]。イソップの目覚めの素晴らしい場面は次のごとくである(§8)。 oJ de; Ai[swpoV aujto; to; tacqe;n uJpo; th:V fuvsewV uJpnwvsaV diegevrqh kaiv fhsin"ouja:, hJdevwV u{pnwsa."kai; ta; blepovmena ojnomavzwn divkella, phvra, mhlwthv, mavndix, bou:V, o[noV, provbaton "lalw:" <e[fh>, "ma; ta;V MouvsaV. povqen e[labon to; lalei:n~ povqen~ nenovhka` pavntwV ajnq= w|n eujsevbhsa eijV th;n iJerofovron th:V !IsidoV. w{ste kalovn ejstin eujsebei:n. prosdevcomai ou\n ajpo; qew:n lhvyesqai crhsta;V ejlpivdaV." この引用部は、さまざまな観点から重要であり、この作品の前半の奇妙な細部を説明する助けになるが、そのすべては言語とその創造に関係しているのである。 1. イソップ:プリュギア出身のプリュギア人このテキストは、イソップの民族性に関して妙にくどい。「彼はたまたま奴隷であったが、出自はプリュギア出身のプリュギア人であった(th/: me;n tuvch/ h\n dou:loV, tw/: de; gevnei Fru;x th:V FrugivaV, §1)」。ひとつの側面では、これは次の事実への単なるほのめかしかも知れない、つまり、古典期においてプリュギアは奴隷の普通の補給地であったこと、そして、多衆がプリュギア人を知っていたのは、地中海地方全体の共同体の中に住んでいたプリュギア人の奴隷たちとの接触を通してであろう[4]、ということである。他方、イソップはプリュギア出身のプリュギア人、つまり、多くの人々がよく出会う、外地で奉公勤めをするプリュギアの奴隷ではなかった[5]。それ以上の何かがあるかも知れない。 イソップは、素性をいつもプリュギア人として性格づけられるが、彼のプリュギア人としての天性に対するこの冗語、お望みならこの強調は、ここではいかなる価値があるのか[6]。イソップが眠りから醒める場面は、この風変わりさの存在に対する手掛かりを提供するかもしれない。彼は起きあがると、彼は目にするものすべての名前を呼ぶ。これは、ヘーロドトスの『歴史』の中に報告されているファラオのプサンメティコスの有名な実験(Hdt. 2.2)を想起させる。そこでは、思い出されるであろうが、プサンメティコスは、どの民族が最も古いかを知りたいと思い、生まれたばかりの二人の赤ん坊を隔離して育て、何語をしゃべるかをみることにした、そうすれば、その発言は完全に「自然」であり、だからして最古のものであろうという推測に基づく。2歳になったとき、子どもたちは自分たちの保母が近づいたのを見て、becos という語をしゃべった。それは、後にわかったことだが、「パン」を意味するプリュギア語であった。この物語は、東ギリシア(イオーニア)とともにエジプト(メンピスあるいはナウクラティスに住むギリシア人を経由して)両方における民衆の説明に何らかの基礎を有する、とLloyd は主張する[7]。それはそうとして、ギリシア世界には、プリュギア人たちを世界の最古の民族のひとつとし、彼らの言葉は人類の言語の元形(ur-form)だとする民衆の伝承があったのかもしれない。おそらく、イソップの名づけの場面は、この普通の理解に部分的に対応している。目覚めると、このプリュギア人は、自分が目にする品目に名前を付ける(聖書『創世記』第2章19節におけるアダムを参照)。しかしながら、彼が話す語はギリシア語であって、プリュギア語ではない。(同様に、ヘーロドトスにおける子どもたちの物語は、ギリシア的背景をさらけだしている)[8]。ヘーロドトスの物語が、イソップの会話能力獲得の物語に何らか直接的な役割を演じたと主張することにわたしは躊躇するが、その背後にある観念、特にプリュギアを、人間の会話能力の最初の発展と関連する場所とみなすことは、そのとおりであろう。しかしながら、付け加えられるべきは、イソップとヘーロドトスとの密接な関係は、この挿話のほかに存する。ヘーロドトスはイソップの最初期の存在証明をわれわれに提供しているのであり(Hdt. 2.134)[9]、イソップ寓話のいくつかの企画は、この歴史家を模倣して書かれたかもしれないのである[10]。 Perryはその『Studies』(p.15)の中に、マルシュアースは、イソップ同様、プリュギア出身であること、そして、この二人の人物像は、「普通の、民衆文学(common, folk literature)」の表現者であり、アポッローン的なエリートの文学と対照的であることに注意を促している。ここから、このプリュギア的結合は、民衆文化の英雄としての二人の人物像に負うのかもしれない(後の大3節をも見よ)。しかしながらわたしは急いで付け加えるのだが、この結合は、「プリュギア出身のプリュギア人」の余計な繰り返しを説明するものではない。 2. イシスすでに論じされたが、このテキストにおけるイシスの突然の出現は「まったくいわれがない(quite gratutious)」こと[11]、このテキストにおける彼女の出現は、ある意味で、お飾りであり、実質的な意味を欠いている。しかしながら、女神がイソップの会話能力獲得の物語に繋がるというひとつの項目は、彼女は言語に責任を有する神として広く認められているという事実である。典型的に、彼女は書くこと(gravmmata)の発明者として性格づけられているが、同じく話すことに結びつけられていることも珍しはない。いい例が、キュメー出身という彼女の徳論である(紀元前1世紀)。この文献の冒頭で、彼女はその「教師」ヘルメースとともに、書かれた言語の発明者として同一視されながら(§3)[12]、後には、彼女はギリシア人と非ギリシア人に異なった言語を授けた者であると告げる(ejgw; dialevktouV =$Ellhsi kai; barbavroiV e[taxa, §31)[13]。どちらの引用箇所においても明らかなのは、言語は区別するためのものだということである、最初の箇所では、聖なるものと涜聖的なものとを、第二の箇所では、ギリシアと非ギリシアとを。もちろん『生涯』の中では、彼女はイソップに声(fwnhv)だけを与えたとされる。例えば、『アリステアの手紙』の中では、fwnhvは、一般的な会話の機能ではなく、特殊な言語を指すのが常であるという場合は確かにある[14]。わたしはこの論考の終わりでこの問題に戻るつもりである。ここでは、グレコ-ローマン世界における特別によく知られている伝統は、イシスを言語に強く結びついた神格として性格づけられていると明言するだけで充分である。 ちょっとした徳論的伝統は、事実、『生涯』のもっと早い段階で反映されているようだ。彼女の巫女がイソップのために祈る際に、イシスを指して「数多くの名前を持つ」といっていることを想起せよ。これは、他の数多くのテキストの中で彼女がしばしば呼ばれる肩書きである[15]。それは、例えば、ビテュニアで、キオス出身のアヌビスへの有名な讃歌(紀元後1世紀)の中に、彼女の肩書きとして姿を現す。6行目:shv te mavkaira qea; mhvthr poluwvnumoV &IsiV〔御身、浄福な女神にして、多くの名前を持つ母イシス〕(Totti p. 14)[16]。もちろん、イシス讃歌は名前と添え名の単なる一覧でありえるけれども(例えば、P Oxy. 1380 )。 もちろん、グレコ-ローマン期のエジプト世界が、『生涯』の中で有意味な役割を演じ得たかどうかは、疑問とされるかもしれない。これに応えて、指摘される必要があるのは、この物語のエジプト的特徴はあまりに明白、かつ、重要であるので、『生涯』の最初期の版はエジプトで書かれ、紀元後2世紀以前ではないと信じるよう多数を導いたということである[17]。われわれはイシスを持つだけではなく、伝説的なファラオであるネクタネボの物語の中にその出現をも持つのである[18]。すでに論じられてきたことは、ネクタネボは『生涯』の中に単なる「有名な王」という便利な表現として見出され、彼がエジプト人であることは基本的にとるに足りない、というものであった[19]。この観察はそれなりの利点を有す。実際、「バビュロニア人」リュクールゴス──彼もまた『生涯』の終わりに有名である──に適用されるとき、それは的確である。しかしネクタネボの場合には、彼が見出される最も重要な場面である『生涯』§§112-15の解釈を提供したいのだが、叙述の中で、エジプト人の観点からその場所を理解できるのである。 そこでわれわれが読みとるのは、エジプトに着いたとき、イソップが対面したのは、白い衣裳に包まれ、頭に角を付けたファラオと、やはり白い衣裳をまとって参列する廷臣たちであった。ネクタネボに、「わしは何と見えるか?」、そして、「わりを取り巻く者たちみなをどう見るか?」と質問されたとき、イソップは答える、th/: selhvnh/ e[oikaV, kai; oiJ peri; se; toi:V a[stroiV(「御身は月の如し、御身を取り巻く者たちは星々の如し」§113)。次の日、ファラオは紫衣に、花々を持って現れる。イソップは彼を春の季節の太陽に、その廷臣たちを大地の果実に譬える。第3日目、ネクタネボは再び白衣で、その廷臣たちは深紅のローヴで現れる。イソップは彼を光線を伴う太陽に譬える[20]。ファラオが、自分の権力はバビロンのリュクールゴスのそれに超絶していると主張したとき、イソップは力強く彼に異を唱える。 この場面におけるいくつかの要素が、ギリシアの称讃文学において常套的だということ[21]、太陽と月のイメージは、角同様、グレコ-ローマン的世界に普通であること、そして、物語そのものが、賢者と王との対話という筋道に合わせられており、主題はギリシア語叙述(例えば、ソロンとクロイソス)に普通である、ほかと同様(例えば、ダニエルとネブカドネザール、ダニエルとベルシャザル)[22]ということは真実である。しかしながら、忘れられてならないのは、これらのイメージはエジプトの伝説上のファラオに結びつけられており、そういうものとして、エジプト文化の特殊な細部に、特にファラオの表現に関連されうるということである。 われわれが目にする最初のイメージは、ネクタネボが月を表す角を持った姿として、女神イシスのイメージを直接想起させる。彼女は通常、その頭に角と、角の間の月を象徴する円盤を持って立つ姿で表される。さらに、二番目に現れるネクタネボのように、イシスは花々ないし、他の植物の形を豊饒の角のように持って示されることしばしばである[23]。あるいは、ネクタネボが第3日目に太陽の装いをして現れたとき、ひとはすぐにホーロスの副次的な形であるハルポクラテス-ヘーリオスを考える。これは、その頭から放散する太陽の光を伴い、両手に豊饒の角を持ってしばしば示される[24]。これらの結合は、ネクタネボが現実的に女性の神格に譬えられていると見ることは困難であるからには、おそらく、イシス信仰のみの一般的推測を構成するだろう。実際、衣服──純白といい、さらにまばゆい色彩といい──この場面にひどく目立ったそれは、イシス信者たちによって身にまとわれた典型である[25]。 しかし、これは、この場面においてネクタネボをエジプト文化に結びつける唯一の道ではない。他に、競合する必要のない説明がある。3日にわたるネクタネボの外観の多様性こそが、ファラオの手のこんだ王権の肩書きとの接点をもよく有しているかもしれない[26]。月を意味すると解釈された角が示唆するネクタネボは、牛の姿をしたアピス、永遠に回帰するオシリスの化身、ホロスとして在位するファラオと密接に関連する観念として表されているのかもしれない[27]。アピスの牛の頭、完全な角と円盤を持った人間の姿のイメージ群は、五分五分で見つけられてきた[28]。円盤は、牡牛アピスの上に見出されるとき、太陽を表すというのはもちろん真実である。しかしながら、『生涯』の創作により近い時期(紀元後2世紀ないしそれ以後)に著作した後世の著作者たちは、しばしば誤ってアピスを月に結びつけた[29]。もしネクタネボがここで牡牛アピスとして描かれているのなら、ファラオの名前の最初(ホロス名)、あるいは、ロゼッタ・ストーンの説明(OGI 90)のように、「若き者、その父より王権を得たる者」、のふさわしい表現であったろう。ネクタネボの第2と第3のイメージ群は、その他の標準的なファラオ名の型の大方の中に類似点を見出す。再びロゼッタ・ストーンによって、特に象形文字の版によって判断するに、エジプトの肥沃さは、第2の「二重冠の主」名と、同じく第3の「Golden Horus」名との両方において特に顕著である[30]。もちろん、太陽のイメージは、明らかに、太陽神ラーの息子、技術的には、ファラオをの肩書きにおける第5にして最終要素、への注目と密接に関連している。ネクタネボの登場にわれわれが何を見るかは、曖昧ではあるが、ファラオの素性にとって中心的な王権の肩書きや名前の念入りな体系に気づくことであるかもしれない。このように、ネクタネボがエジプト人であるという事実は、この物語にとってほとんど何の重要性もない特徴というわけではない。 この作品のエジプト的傾向性は、特に重要な点であり、すぐ後で、ムーサたちに関して議論する際にわたしは立ち帰るつもりである。一般的に、目下の議論は、古代の小説類や関連する叙述がカルト的なサブテキストを入念に述べてきた(とくにR. Merkelbach との交流から生まれた一連の考え)という論争的な局面への接近に似ているということをここで言えば足りる[31]。しかし、わたしは、『生涯』と、イシス神秘宗教との、相違よりは関連を性格づけたい。言語とイシス崇拝の観念とは『生涯』の中に生きているが、しかし、神秘的な全体像から眺められた、イソップの生涯の体系的な取り上げ方、一種の「イソップの昇進」をわれわれは持たないのである。 3. ムーサたち『生涯』のW校訂本では、ムーサたちは全然現れないのに[32]、G本では彼女らはしばしば現れると、Perry は註した。Perry の観察では、ムーサたちがG本においてある程度イソップに結びつけられたのは、「その神がアポッローンである貴族たちや学園派の形式的な學問に対立するものとして、普通民衆の生まれついての才能」を表すためであった。イソップは民衆の知力や狡知の代弁者であり、それゆえ民主の伝統の紋章である[33]。アポッローンとのこの対立は、デルポイでのイソップの死の伝説を説明する助けとなる[34]。 ムーサたちの臨在に対するさらなる理由は、多分、彼女たちは時々イシスの仲間、あるいは、従者とされたという事実もそうであろう。プルータルコスが『イシスとオシリスについて』§3(352B)の中で観察しているところでは、イシスは、「書くことと、音楽と、詩の発見者」ヘルメースと結びつけられたこと。そして、エジプトのヘルモポリスにおいて、「ムーサたちの指導者(Mousw:n th;n protevran, trans. Griffiths)」は同一人かつ同時にイシスと正義と呼ばれたということである[35]。これは、最後にわたしは立ち帰るつもりだが、重要な結びつきである。ここで何よりも先に明言さるべきは、プトレマイオス朝エジプトにおいてイシスと同一視された乙女座は、ディケーとかネメシスとも呼ばれたということ[36]、さらに、その徳論において彼女は正義と強く結びつけられていたということ[37]、である。OCG 83の中では、イシスはディカイオシュネーと呼ばれたように思われさえする。第2に、付け加えられるべきは、ヘルメース文書の『アスクレピオス』(§9)の中で、ムーサたちは人間の歌を教えるため、最高神によってこの世界に送りこまれたと記述されているということである。ヘルメース/トートとのこの結びつきが、イソップの当該箇所にとって重要かもしれない所以は、われわれは再び言語の発見とムーサたちとを関連して持つからである。そして、ヘルメース/トートとも、イシスはどちらからも遠く離れてはいない。ムーサたちがイソップに与える恩恵が、lovgwn eu{rema(「話の発見(discobery)」)であるのはおそらく偶然ではない。もちろん、eu{rhma という語は、ここでは「[神々からの]意外な授かり物」(LSJ, s.v. eu]rhma II)[38]、あるいは、「[いろいろな物語を]工夫する力」(Dalyの訳)でさえ、以上のことは何も意味しないであろう[39]。それにもかかわらず、ここでの eu{rhma の言及は、「文化的英雄」つまり「発明者」としてのイシスの世界を思い出させる。実際、彼女の徳論の中で彼女がgravmmata eu|ron meta; =Ermou:(「わたしはヘルメース/トートといっしょに、書くことを発見した」)と主張していることを想起するであろう。 事実、『生涯』とグレコ-ローマン期エジプトとの関連をわれわれがひとたび充分に把握するや、イシスとムーサたちとの他の関連は明るみに出る。プトレマイオス朝エジプトにおいて、マケドニアの世襲君主の側に、ファラオ的過去と自分たちを同一化しようする申し合わせたような努力があった。ファラオ王室の肩書きとの結びつきの中にすでにわれわれが見たように、ファラオは型どおりにホーロスと結びつけられ、プトレマイオス王朝はこの同一視を最大限利用した[40]。そのうえ、女王たちはイシスに関連づけられることができた。したがって、われわれがディオドロス1.18.4の中に、歌うことができ、他の諸芸の中に教える9人の乙女たちによってオシリスは伴われるとということを読むとき、オシリスは、事実、テキストがわれわれに告げるように[41]、「ムーサたちの指導者」(MoushgevthV)アポッローンを表すのみならず、ファラオ的王権の儀式と、プトレマイオス朝のギリシア世界との間の関連を促進するものとしてこの箇所を見るべきである。オシリスはアポッローンとなる、そのエジプトの設定にもどったとき、オシリスの復讐をする息子ホーロス、あるいは在位中の独裁者となるであろう。そのうえ、それはエジプトへの結びつきとして奉仕するムーサたちの指導者としてのアポッローンなのである。 ムーサたちがプトレマイオス朝にとって非常に重要であったのは、ムーサたちがマケドニア王家に関連していたからである。ディオドロス17.16.4が報告しているところでは、アレクサンドロスはアジアに出離する前、ゼウスとムーサたちとを讃えて、ディオンで演技の競演を開催した。この祭典は、彼の先祖たちの一人、アルケラーオス王によって始められたとわれわれがさらに告げられてきたものである[42]。ぷとれまいおすI世ソーテールが自身をアレクサンドロス家に関係させようとしたから、ムーサたちへの関係を築きたがったことは理解できる。これをわれわれは例えばアレクサンドリア図書館の設立に見る[43]。ムーサたちの指導者アポッローンとの結びつきで意義深いのは、『生涯』のG本の終わりで、彼の名前を持つ寓話の源に対する説明の一部として、イソップはサモスでムーサたちに献呈し、またムネーモシュネーの像を建てさえする。このため、神はマルシュアースに対するようにイソップに怒る[44]。 重要なことは、プトレマイオス朝エジプトにおいて、女王は、王と同様、ムーサたちと結びつけられたらしいということである。テキストは高度に断片化しているにもかかわらず、カッリマコスその『縁起集』のなかで、プトレマイオスII世ピラデルポスの妻にして妹アルシノエーを「十番目のムーサ」(Callim. F 2a Pf.)にした。『縁起集』のこの節に対するロンドン古註は、カッリマコスが序言の終わりに十という数を含めたのは、これがムーサたちの本当の総数であったからか、彼女たちの列に、ムーサたちの指導者アポッローンか女王アルシノエーを加えれば得られる数だからである。 イシスとのアルシノエーの同一視についてなおいっそう説得的なのは、初期プトレマイオス時代の文献で、その中で彼女は「イシス、アルシノエー、ピラデルポス」(OGI 31, PSI 539.3)と呼ばれている。そのうえ、彼女はピラエにあるイシス神殿のレリーフで特に有名である[45]。エジプトにおいて女王はまたイシスでもあるかぎり、イシスについてムーサたちと結びついていると考える慣例があったろうということができる。 プトレマイオス朝の慣例は、『生涯』の最初の形の創作の時代から時代的に隔たっているように見えるかもしれないが、ローマ時代の皇帝たちは、エジプトにおいてファラオとして自己表現する際に、アレクサンドロスやプトレマイオスを真似ることしばしばであったことが思い出さるべきである。別言すれば、『生涯』の原本と同じ場所、同じ時代に、広く輪郭を表したイシス文化は、王室イデオロギーと強く結びついたままであった[46]。わずかな例で足りよう。ピラエのイシス神殿では、ティベリウス皇帝が、イシス、ホーロス、ハトル、ハーの前に、勝利を収めた征服者として示されている。同じ組み合わせから、プトレマイオスXII世に特徴づける手本にした場面で[47]。後に、ウェスパシアは、明らかにアレクサンドロスのシワ訪問に倣って、アレクサンドリアのサラピス訪問を定型化した。そのうえ、エジプトにいる間、彼はサラピス/オシリスの代行者としてふるまったように見える[48]。ウェスパシアの息子ティテュスは、牡牛アピスの奉献で帯状髪飾りを身につけてメンピスに現れたとき、父親に対する革命を準備していると疑われた。この話は、ローマ期には、エジプトにおける王権は特にアピス崇拝に結びついていたという気づきを特に暴露する、というのは、この挿話のわれわれの出典(スエトニウス)は、ティトゥスによって遂行された儀式は、古代の慣例に従っているとはいえ、統治権の主張に等しかったからである[49]。ドミティアノスは、もちろん、イシスとサラピスの聖域をローマに建造した。カラカラ帝はイシスへの献身で有名であるが、早くにはカリギュラがそうであった[50]。 しかし、これら歴史的に考慮すべき事柄に加えて、『生涯』のG本の中でイシスとムーサたち両者の臨在を重要にする要素が明らかに働いている。ムーサたちに対するイシス自身の言葉が、彼女は話の基本的な力をイソップに授けるつもりであること、そして、これを技術的に(artfully)使う能力、つまり、物語の(muvqwn)構成における能力、を彼に与えるようムーサたちに望んでいる、ということである。ここで意図されていることは、声(fwnhv)と技術的な話(aujdhv)との区別であるようにわたしには思える[51]。これは古く、かつ、広汎に観察される区別であった。その実情は、序論におけるぎこちない繰り返しが説明を見出すだろう。 イソップの話すことの無能力の記述の中で、彼は「話の欠如(ajfwnivan)」に苦しめられているとわれわれは述べられる。実際、彼は吃りであり、話すことができなかった(h\n de; kai; nwdo;V kai; oujde;n hjduvnato lalei:n, §1)。長い間、nwdovVは「歯抜け」を意味すると誤解されてきた──ここ(前の文ではイソップの身体的な不具が列挙されている)にふさわしくない訳である。しかし、この箇所との結びつきからしばしば看過されてきたものは、この語は2つの異なった意味をもつということである。何人かの古代作家たちが、「歯抜け」という意味を知っていたのは本当である[52]。しかし他の者は、nh+ojdouVという語源からではなく、nh+aujd-、つまり「声無し」に求めた[53]。 しかし、「吃りであり、話すことができない」とわたしが訳したこの句は、もっと豊かな響きを付け加えている。イソップが声を(イシスから)、そして、話の賢明な粉飾を(ヘリコーン山のムーサたちから)獲得したというこのイソップ物語の部分に焦点を当てれば、この句は「口べたで話すことができない」と訳される方がよいかも知れない。イソップの「声無し」は、話すことの無能力のみならず、うまく話すことの無能力を内容とする。明らかな冗語は、イシスとムーサたちとの両方からの賜物を内容とする叙述によって説明されれば、取り除かれる。この結合の中で、その序文の中でイソップの吃りを註記している『Vita Lolliana』が、単純化された仕方でのみそうしている(inter haec omnia fuit mutus〔コレラノ間スベテハ無声タリ〕)ことを想起するのは重要である。さらに、それは話すことのイソップの獲得の似た話を伝承する一方で、イシスの巫女ないしイシスとムーサたちとの出現を内包しない(彼女たちの場所は、sacerdotes〔神官たち〕とdeus〔神〕への無名の言及に取って代わられる、§§4-8)。彼女たちが不在ということであれば、イソップの話すことの無能力の2つの本質への導入の中に、おそらく必要はないであろう。 4. 正義と詩的通過儀礼言語とイシスとムーサたちとの結びつきは、その女神がムーサたちの指導者というその装いの中に見られるときに見られ得るが、話すことのイソップの自己獲得という話と力強く反響する。それは、これら3つの観念がすべてこの導入的挿話の中にたっぷり見出されるからである。ムーサたちを伴ってのイシスの出現は、「まったくの不必要事」として性格づけられてきた。しかしながら、テキストの中における彼女の機能は、意味深く適切である。イソップは、話すことができないゆえに、不正を蒙っている人物である。彼の機知は彼を罰から救うが、彼の本当の報酬は、女神イシスが彼に会話能力を与え、彼女の従者であるムーサたちが彼に芸術的創作──彼女たちの授ける恩恵、彼女たちは言語と関連する神々だからである──を恵むよう言いつけるときにやってくる。 しかしながら、不思議なことが1つ残っている。『生涯』のG本の中で、これらの結びつき以上の何かが、イシスとムーサたちとの臨在を説明しているのかどうかということである。イソップが自身と対話する終わりで、畑でのまどろみの後、会話能力を授けられてことを発見した上で、彼は観察する、「それから、敬虔であることはいいことだ。そうすりゃ、神々から善望を受けることが期待できる」[54]。「善望(crhstai; ejlpivdeV)という句は非常に重要である、というのは、それはエレウシス密儀に顕著であり、デーメーテールをイシスに結びつけるグレコ-ローマン期イシス信仰の数ある特徴のひとつと見られてきたからである。実際、Merkelbachが最近提起したのは、デーメーテールとイシスの折衷主義は、『生涯』のまさしくこの箇所において特に明白であるということである[55]。 それでは、イソップの目覚めの物語の中で、われわれが持つものはといえば、それは通過儀礼の場面である。眠り、続く目覚めとは、「新しい」生に入る通過儀礼の普通の隠喩である。イソップの生が「新しい」所以は、吃りであることから、単なる会話能力ではなく、会話能力の芸術的使用を恵まれた存在へと根本的に変身したからである[56]。イソップは単なる話し手ではなく、言葉と物語の熟練した操り手になるかぎりにおいて、イソップの通過儀礼は、詩人たちは話の語り手の技巧へと入信しなければならないという、長年にわたるギリシア的観念と並行している。実際、イシスがムーサたちのめいめいに説いたのは、イソップに言葉の発明の才、ギリシア語の神話(muthoi)と詩作(poieseis)を織りなすこと(lovgwn eu{rema kai; muvqwn +Ellhnikw:n plokh;n kai; poihvseiV, §7)を恵めということであった。この句は、イソップの新しい技術を、詩の技巧とをうまく整合させる。 詩的通過儀礼の最も有名な実例は、(適切にも)同じヘリコーン山のムーサたちの手で行われたヘーシオドスの自身の通過儀礼の説明(Theogony 22-34; cf. 75-84)であり、アルキロコスが、月夜、少年としてムーサたちと出会ったことを詳述した叙述(これはパロス出土の碑文(SEG 15.517 = Tarditi E1 col. II 22-40)に伝存している)である[57]。ムーサたちの秘儀に入信したことのある、ある意味で詩人として、自分が話すことのできることを最初に悟ったときイソップは、彼女たちの名前を呼び出す(ma; ta;V MouvsaV, §8)。ある意味で彼はポッローン(もちろん、普通にはムーサたちの指導者として認められている傑物である)のライヴァルになる[58]。こうして、われわれが見てきたように、イソップはムーサたちとムネーモシュネー〔「記憶」〕に、また、リュクールゴスはムーサたちとイソップ本人にそれを寄進する! イソップがアポッローンを省略したことで、この神がイソップに怒ったとわれわれは告げられ(§100)、その怒りは、デルポイの住民たちがイソップの死を企む時にはっきりと思い出される(§127)[59]。彼らは黄金杯をイソップの持ち物中に隠し、彼がデルポイを去る準備をしたとき、その神に捧げられた神具を盗んだ涜神の罪で彼を告発する。われわれはぐるりと一回りしたことになる。イソップは、ちょうど『生涯』の初めにそうされたように、再び盗みの罪で告発されるのだ。しかしながら、この度は彼の機知は彼を救わず、ムーサたちとイシスとの彼の親密な交わりは役に立たない。福音書のたとえ話に似た形式で告げられるイソップの説諭的たとえ話は、デルポイの民衆に強く影響することなく、彼が庇護を求めたムーサたちの神殿から(ejn tw/: iJerw/: tw:n mousw:n, §142)彼を連れ去り、投げ落とすべき断崖へと彼を行進させるとき、イソップは彼らを呪い、「ムーサたちの監督官(to;n prostavthn tw:n Mousw:n, §142)」を、起こっていることの証人に勧請し、そしてみずから断崖から跳び降りた[60]。その後、デルポイは疫病(loimw/:)に見舞われ、ギリシア、バビュロン、サモスの人々がこの市を罰した。 『生涯』の初めと終わりは、ムーサたちとイシスに対する帰依者としてのイソップに集中する。ここでもう一度Merkelbach の、語りの表面は隠された信仰の根底に宿る意味をさらけだす、という命題を取り上げるのがふさわしい。今の場合は、イシス密儀のさまざまな段階を通しての入信の過程を反映している。『生涯』が語りを通してイシスとムーサたちを際立たせているのは、首尾一貫してではなく、主として初めと終わりにおいてであるかぎり、密儀における入信的生の扱いをその中にわれわれが見ることが出来るとはわたしは思わない。この点に関する『生涯』との対比を告げるのは、アプレイウスの『変身譚』の第11巻であろう。そこでは、われわれはルキウスがイシス宗教に入信する3つもの入信式の証人となる[61]。しかしわれわれが目にできるのは、ムーサたちの知識の使用と混ざったイシス信仰の一般的な売り込みにすぎない。『生涯』は「イソップの昇進」ではないかもしれないが、わたしがこの論考に望むのは、イシスとムーサたちの世界との皮相な関わり合いを示すことではない。むしろ、『生涯』の中心的要点を強調するために、この世界が技巧的に効果的に使用されているということである。それは、イソップの機知、物語を語る稀な能力を授けられた「エブリマン」としての彼の名声、そして最後に、最大のライヴァルであるアポッローンの手によって彼が蒙る不正のことである。『生涯』の起源を、グレコ-ローマン期エジプトにおける文脈の中に位置づけた時にのみ、これらの特徴が結びつくことをわれわれは目にする。イシスが「正義」と最初に連関したのはエジプトであった。イシス/ディケーの従者がムーサたちだったのはエジプトにおいてだった。最後に、アポッローンに敵対する一種の「民衆詩人」となることで、詩作の秘儀の入信の形式を経験したとわれわれがイソップを見ることを許すのは、まさそくこれらの神格の臨在なのである。 『イソップの生涯』のようなテキストを、グレコ-ローマン期の宗教の神秘的世界の象徴的タームの中に、組織的に告げているものとして考えるとき、実際大いなる注意が求められる。しかし同様に、『生涯』のような語りの中に、この世界への明らかに有効な関連に無知であったり、過小評価してはならない。小説上の秘教的信仰の影響のもっと柔軟な模型や、関連テキストが必要であるようだ。 ヴァージニア大学 2014.03.06. 訳了。 [脚註]The origins of this paper sprang from a seminar given on the Life of Aesop in the fall of 1997 at the University of Virginia by Prof. J.-Th. Papademetriou of the University of Athens. I would like to thank him again for his stimulating presentation. An anonymous referee for CP made several substantive improvements in the argument and considerably broadened its scope. Neither is responsible, however, for any errors that remain. 1. I follow the text of B. E. Perry. found in Aesopica (Urbana, 1952). For a recent discussion of the different recensions, see N. Holzberg, "Fable: Aesop. Life of Aesop,” in The Novel in the Ancient World, ed, G. Schmeling (Leiden, 1996). 633-34; cf. Holzberg, "A Lesser Known 'Picaresque' Novel of Greek Origin: the Aesop Romance and Its Influence," Groningen Colloquia on the Novel 5 (1993): 1-16. The fundamental study is still n. E. Perry, Studies in the Text History of the Life and Fables of Aesop (Haverford, PA, 1936). 2. Cf. J. J. Winkler, Auctor and Actor (Berkeley. 1985),286. 3. For the text at this point, see J.-Th. Papademetriou, "Notes on the Aesop Romance," RhM 123 (1980): 27. 4. Phrygians at Athens were especially known as slaves who worked in the mines; furthermore, the Phrygian name. Manes, in Attic comedy was immediately understood as referring to a slave. See O. Masson, "Les noms des esclaves dans la Grèce antique." in Actes du Colloque 1971 sur l’Esclavage (Paris, 1972), 15-19; M. M. Austin and P. Vidal-Naquet, Economic and Social History of Ancient Greece (Berkeley, 1977), 105; M. I. Finley, Economy and Society in Ancient Greece (Harmondsworth, UK, 1981). 169. M. Rostovtzeff, The Social and Economic History of the Hellenistic World (Oxford, 1941),3:1515 n. 49 observes that there was a considerable traffic in slaves from Phrygia in the middle of the first century B.C. on the basis of MAMA 6.260. Cf. too, e.g., Herodas 2.100-101. The concept of the Phrygians as a servile people lasted for a long time: Philostratus claimed that Phrygians frequently sold their children into slavery (VA 8.7.12); cr. G. E. M. de Ste. Croix, The Class Struggle in the Ancient Greek World (Ithaca, 1981), 163 and Finley, Economy and Society, 174. Romans regarded certain races as particularly servile; see K. Bradley, Slavery and Society at Rome (Cambridge, 1994),65. 5. It could be that Aesop's status as a slave from Phrygia is further accented by a passage such as Life §25, where Aesop's master Xanthus asks him what his nationality is; he replies, "Phrygian," and When asked what he knows how to do, replies, “absolutely nothing." This is patently not true, for he is good at storytelling, and will prove himself adept at outsmarting his master. 6. For the redundancy one may wish to adduce texts such as Xen, An. 5.2.29 (a man named Mysus from Mysia) or Theopompus FGrH 115 F 344 (a man named Magnes or perhaps an anonymous Magnesian); however, these are cases of men who may bear the same name as that of their ethnic group (there are textual difficulties in the case of the Xenophon passage). Names showing ethnic origin were common names for slaves: see Masson, "Noms des esclaves," 19. 7. A. B. Lloyd, Herodotus Book 2 (Leiden, 1976), 10-11. 8. Lloyd, Herodotus Book 2, 10. 9. M. L West, "The Ascription of Fables to Aesop in Archaic and Classical Greece," in La Fable, Entretiens sur l'Antiquité Classique, no. 30 (Geneva. 1983), 116-20. 10. Perry, Studies, 222, 224. 11. Winkler. Auctor, 286. 12. #IsiV ejgwv eijmi hJ tuvrannoV pavshV cwvraV |kai; ejpaideuvqhn uJpo; +Ermou: |kai; gravmmata eu|ron meta; +Ermou:, tav te; iJera; kai; ta;|dhmovsia i{na mh; toi:V aujtoi:V pavnta gravfhtai. (Text: M. Totti, Ausgewählte Texte der Isis- und Sarapis-Religion (Hildesheim, 1985], no. 1.) Cf. the most recent version of the basic text, Y. Grandjean, Une Nouvelle Arétalogie d’Isis à Maronée (Leiden, 1975), 75-79. Consult also D. Müller, Ägypten und die griechischen Isis-Aretalogien, ASAW vol. 53, no. 1 (Leipzig. 1961), 21; W. Peek, Der Isishymnus von Andros und verwandte Texte (Berlin, 1930), 31-34. On Isis' association with Hermes = Thoth. as well as Isis as scribe, see J. Bergman,Ich bin Isis (Uppsala, 1968),234-37, and J. G. Griffiths, Plutarch's "De Iside et Osiride” (Cambridge, 1970),263; cf. the Kore Kosmou §12 (Totti p, 12). 13. Cf. Grandjean, Une NouvelIe Arétalogie d’Isis, 82-84; Müller, lsis-Aretalogien 54-57. 14. carakqh:rsi ga;r ijdivoiV kata; th;n #Ioudaivan crw:ntai, kaqavper Aijguvptioi th/: tw:n grammavtwn qevsei, kaqo; kai; fwnh;n ijdivan e[cousin. uJpolambavnontai Suriakh/: crh:sqai~ to; d’ = oujk e[stin, ajll= e}teroV trovpoV (Letter of Aristeas § 11). Cf. A. Pelletier, Lettre d'Aristée à Philocrate (Paris. 1962), p. 106, n. 2. This observation comes from Demetrius' explanation to Philadelphus of why the sacred text of the Jews has not already been translated. One is left to wonder whether this passage reflects an awareness of the difficulties of resolving un vocalized characters. Indeed, later in the same text we may have evidence suggesting that there was not a reliable Hebrew version of the Law for translation, perhaps for this reason: see §30, Pelletier, Lettre, pp. 118-20, n. 3, and R. Shutt, “Letter of Aristeas: A New Translation and Introduction," in The Old Testament Pseudepigrapha. ed, J. Charlesworth, vol. 2 (New York, 1985), p. 14, note e, with bibliography. 15. R. Merkelbach, Isis regina-Zeus Sarapls (Stuttgart and Leipzig, 1995),94-101 and Roman und Mysurium in der Antike (Munich and Berlin, 1962), p. 5. n. 4. 16. Cr. Grandjean, Une Nouvell Arétalogie d’Isis, 66. 17. See esp, Perry, Aesopica, 2-3. 18. An important figure in the Alexander Romance, indeed the "real" father of Alexander, as well as in the Dream of Nectanebo: see L. Koenen, “The Dream of Ndtanebos. in Classical Studies Presented to IV. H. Wilis, ed. D. Hobson and K. McNamee, BASP. vol. 22 (Urbana, 1985). 171-94. A demotic version of the Dream has now been published: K. Ryholt, "A Demotic Version of Nectanebos' Dream (P Carlsberg 562)," ZPE 122 (1998): 197-200. 19. F. Pfister, "Aesoproman und Alexanderroman," Philologische Wochenschrift 43 (1923): 813-14. and Winkler, Auctor, 280. 20. As Perry notes in his text ad loc., chap. 114 has dropped out of the G version. and has to be reconstructed from W. 21. Hence, in the hymn to Demetrius Poliorcetes, we find semnovn ti faivneq=, oiJ fivloi pavnteV kuvklw/|ejn mevsoisi d= aujtovV,|o{moion w{sper ojJ fivloi me;n ajstevreV,|h{lioV d’ ejkei:noV (Duris of Samos, FGrH 76 F 13. I owe this parallel to my student, Pavlos Avlamis). Further, Demetrius was similarly depicted with bull's horns, probably to link him with Dionysus: see R. Smith, "Kings and Philosophers." in Images and Ideo[ogies: SeIf-Definition in the Hellenistic World, ed. A. W. Bulloch, E. Gruen. A. Long, and A. Stewart (Berkeley. 1993), pp. 207-8 and n. 19. 22. It should be noted in this connection that this portion of the Life is based on the Aramaic Ahiqar Romance: see, e.g. Holzberg, "The Aesop Romance and its Influence," 2. 23. For images of Isis with horns and lunar disc on her head, as well as flowers/vegetation in her hands. see, e.g., Merkelbach, Isis regina-Zeus Sarapis, plates 88,95,96. and 97. 24. E.g., Merkelbach, Isis regina-Zeus Sarapis, plate 127. 25. Thus the famous fresco of Isiac worship from Herculaneum: see Merkelbach,Isis regina-Zeus Sarapis, plate IV (color) = plate 72 (black and white). Cf., e.g. Apul. Met. 11.9, of women in the procession of Isis: "mulieres candido splendentes amicimine"; Suet. Otho 12.1: "[Othonem] sacra etiam Isidis saepe in Iintea religiosaque veste propalam celebrasse," where white vestments are no doubt meant. For other colors, see J. G. Griffiths, Apuleius of Madauros: The IIsis-Book (Leiden, 1975), 126-27. 26. For what follows I depend on L Koenen. "The Ptolemaic King as a Religious Figure," in Images and Ideologies: SeIf-Definition in the Hellenistic World, ed. A. W. Bulloch et al. (Berkeley, 1993),48-50; consult also A. Gardiner, Egyptian Grammar, 3d ed. (Oxford, 1957),71-76. 27. Cr. Bergman, lch bin Isis, p. 252 and n. 2; Koenen. "The Ptolemaic King," 58. 28. See LIMC 2.2 (1984), sv "Apis" (p. 180, nos. 27-29). 29. See Griffiths, Plutarch's "de lside et Osiride, ad 368A (pp. 462-63); he cites, among others, Lucan, Aelian, Ammianus Marcellinus, Theoderet, and Porphyry. 30. Hieroglyphic version of the Rosetta Stone (from Koenen): "Lord of the Two Crowns | the Glorious | who has made firm the Two Countries I who has made Egypt beautiful ... " From the third name, "Horus triumphant over Seth of Ombos I who is green life for men ... " The one name that does not find a ready parallel with Nectanebo's appearances is the fourth element, the "Sedge and Bee" name, a title that is close to the "Lord of the Two Crowns.” 31. Merkelbach. Roman und Mysterium passim; on Isis in particular, see Register, sv "Isis." A close parallel in this connection with the Life is the famous "Isis Book" (11) of Apuleius' Golden Ass, though see sec. 4 below. For criticism of this view, see, e.g., E. Bowie and S. Harrison, in their comprehensive review of studies on the novel, "The Romance of the Novel," JRS 83 (1993): 160-61; it should be pointed out that even these scholars find in the main convincing Merkelbach's views that Isiac elements are found throughout Apuleius' Metamorphoses, ibid., 17l. Isis in Greek. novels: Heliod, 1.2.6,30.4 (in dream), 9.9.4-S; Achilles Tatius 5.14.2, 26.4 (Isis and justice); Xenophon Ephesius 5.13.3 (Isis savior). 32. Perry, Studies, 14. One should add that Isis is found only once in the W recension. in the parallel episode: there priests of Isis (or one priest, the text is uncertain: see Perry, critical note ad loc.) are similarly lost and led to safety by Aesop; he naps in the fields and the goddess Tyche appears in his dream and bestows upon him excellent speech and story-telling (§§4-7). Tyche can be a byform for Isis: see Merkelbach, lsis Regina-Zeus Sarapis, 99, and Griffiths, Plutarch's "de lside et Osiride,” p. 390, n. 4. 33. Perry, Studies, I5. See esp, J.-Th. Papademetriou, Aesop as an Archetypal Hero (Athens, 1997). 15. Note also Winkler's remarks, Auctor, 279 and 287, about grotesques who "utter critical truths about authority.” 34. Schol. to Ar. Vesp. 1446 = Perry, Aesopica, p. 220, no. 21: cf. Hdt. 2.134. See also below. 35. Cf. Griffiths, Plutarch's “De Islde et Osiride ad Ioc, Importantly, the association of Isis with the Muses seems not to be found in visual art in the Greco-Roman period: cf. Tran Tam Tinh, LIMC 5.1 (1990), s.v. "Isis," 36. Koenen, "The Ptolemaic King," pp. 106-7, with notes. 37. Griffiths, Plutarch's “De Isidat Osiride,” p. 264, n. 1. 38. eu{rema is a late form of eu{rhma : see LSJ, s.v. eu{rema. 39. In Anthology of Ancient Greek Popular Literature, ed, W. Hansen (Bloomington, 1998), 114. 40. See esp. Koenen, "The Ptolemaic King," 58; note also idem. "Die Adaptation ägyptischer Königsideologie am Ptolemaerhöf.” in Egypt and the Hellenistic World, ed. E. van’t Dack, P. van Dessel, and W. van Gucht, Studia Hellenistica, vol. 27 (Louvain, 1983), 143-90. See also. e.g., R. Hunter. The "Argonautica" of Apollonius (Cambridge, 1993), p. ISS, n, 20. 41. parqevnouV ejnneva dunamevnaV a/[dein kai; kata; ta; a[lla pepaideumevnaV, ta;V para; toi:V $Ellhsin ojnomazomevnaV MouvsaV` touvtwn d= hJgei:sqai to;n =Apovllwna levgousin, af= ou{ kai; MoushgevthV auJton wjnomavsqai. 42. Note that this same event is alluded to in Arrian (Anab. 1.11.1), although it is unclear whether the story derives from Aristobulus or the "Vulgate." A. Bosworth, A Historical Commentary on Arian's History of Alexander, vol. 1 (Oxford, 1980),97, points oute that the sacrifice and festival of the Muses at Dium was in fact a celebration of the Olympia. In another relevant text, Eurydice, mother of Philip, made a dedication to the Muses (Plut. Mor: 14B-C); cf. U. v. Wilamowitz. "Lesefrüchte,"Hermes 54 (1919): 71, cited by N. G. L. Hammond, A History of Macedonia, vol, 2 (Oxford, 1919), 16. 43. I do not mean to suggest that dynastic connection was the only reason why Ptolemy I was interested in the Muses. 44. oJ de; Ai[swpoV quvsaV tai:V MouvsaiV iJero;n kateskeuvasen auJtai:V, sthvsaV mevson aujtwn Mnhmosuvnhn, oujk =Apovllwna. oJ =Apovllwn ojrgisqei;V aujtw/: wJV tw/: Marsuva/ (§ 1 00); cf. §127. It should be noted that Mnemosyne is sometimes connected to Isis (Merkelbach, lsis regina-Zeus Sarapis, 234). See also Life 123, where king Lycurgus of Babylon sets up a golden statue of Aesop and the Muses: Aesop becomes himself the Musegetes. 45. See esp. Koenen, "The Ptolemaic King," 92-94. For Arsinoe at Philae, see L. Zabkar, Hymns to Isis in Her Temple at Philae (Hanover and London, 1988), 12-15.
46. Of course, one can say that the process began with Mark Antony, who had himself represented as Dionysus-Osiris together with Cleopatra as Selene-Isis (Dio 50.5.3). This was at one level consonant with Antony's efforts elsewhere to identify himself with Dionysus (see P. Zanker, The Power of lmages in the Age of Augustus [Ann Arbor. 1988], 57-65). But he was surely also aware that in Egypt the ruler and his queen were regularly identified with Osiris/Horus and Isis. 47. Zabkar, Hymns to Isis, 67. 48. See Tac. Hist. 4.82-84: Vespasian's interest in Sarapis is connected to the Ptolemaic origins of the deity's worship. Cf. A. Henrichs. "Vespasian's Visit to Alexandria," ZPE 3 (1968): 5I - 80, esp, 71. 49. Suet. Tit. 5.3: "postquam Alexandriam petens in consecrando apud Memphim bove Apide diadema gestavit, de more quidem rituque priscae religionis; sed non deerant qui sequius interpretarentur,” 50. SHA M.Ant. 9.10 see Merkelbach, lsis regina-Zeuus Sarapis, 140-41 for Caligula. 51. M. L. West, Hesiod "Works and Days” (Oxford, 1978). ad 1.79 (p. 163) cites the scholia to Iliad 19.407, as well as Galen 16.204 K. and CMG 5.10.2(1).172 = SVF 2.44. A passage such as Isoc. De Pace 8.3 is illustrative in this regard. He writes, oJrw: d= uJma:V oujk ejx i[sou tw:n legovntwn th;n ajkrovasin poioumevnouV, ajlla; toi:V me;n prosevcontaV to;n nou:n, tw:n d= oujde; th;n fwnh;n ajnecomevnouV. Not only do the Athenians not pay attention, they do not even hear the voice of the speaker. that is, as a mere sound. 52. LSJ 9th ed. rev., s.v. nwdovV, lists several instances from Old Comedy, including Ar. Ach. 714 and Plut. 266, as well as Arist. Melaph. 1068a. 53. J.-Th. Papademetriou, "H MUQISTORIA TOU AISWPOU. PROBLHMATA MEQODOU, KRITIKHS KAI ERMHNEIAS,” ARCAIOGNWSIA 7 (1993): 166-67, citing B. E. Perry, "Some Addenda to Liddell and Scott," AJP 60 (1939): 29-40. I should note that the alternative meaning for nwdovV= 'without voice' has not been incorporated in the Revised Supplement (1996) of LSJ. 54. w{ste kalovn ejstin eujsebei:n. prosdevcomai ou\n ajpo; qew:n lhvyesqai crhsta;V ejlpivdaV.
55. Merkelbach, Isis regina-Zeus Sarapis, p, 62 and nn. 2 and 3, and pp. 222-23. Cf. N. Richardson, The Homeric Hymn to Demeter (Oxford. 1974), 312, who notes, in commenting on Isoc, Paneg. 4.28, hJdivouV ta;V ejlpivdaV, that “ejlpi;V ajgaqhv etc. is a formula, used especially in connection with the Mysteries [of Eleusis]"; he cites in support C. A. Lobeck, Aglaophamus vol. I (Königsberg, 1829), 69, and F. Cumont, Lux Perpetua (Paris, 1949). 401. It must be admitted, however, that the phra. s e "good hopes" is fairly common: cf. Xeno-
phon Hell. 3.4.18. = Ages. 1.27. 56. Thus, Apuleius' "Isis Book" begins with Lucius waking and having a vision (11.1); even more instructive is his narrative later (11.26), “ lo! the great sun had now traversed through its zodiacal orb and had finished a year, when my sleep was again disturbed by the ever-watchful care of the kindly divinity, who warned me that I needed further initiation and further ritual" (rursus tetetae, rursus sacrorum, trans. Griffiths). Cf. M. Beard. J. Nonh, and S. Price, Religions of Rome (Cambridge, 1998), 1:287-88. 57. G. Tarditi, Archilochus. Fragmenta edidit Veterum testimonia collegit (Rome, 1968), 5. 58. It should be remembered in this connection that Callimachus clearly recounts a type of poetic initiation at the beginning of the Aetia. First, Lycian Apollo speaks directly to Callimachus (F 1.23-28 Pf.). Then, in a manner that is clearly meant to recall Hesiod's encounter with the Muses, Callimachus is transferred in a dream from Libya to Mt. Helicon (Florentine schol. to F 2.18 Pf., and Pfeiffer ad Ioc.); cf, Pfeiffer, History of Classical Scholarship (Oxford. 1968), 124-25. For a late adaptation of both Hesiod's and Callimachus' "initiation" into poetry, see Quintus of Smyrna Posthomerica 12.308-13 (though the dream element is absent). Note P Oxy. 3537. See also M. Dickie. "Poets as Initiates in the Mysteries: Euphorion, Philicus and Posidippus," A & A 45 (1998): 49-77. 59. kai; tou: =ApovllwnoV mhnivontoV dia; th;n ejn Savmw/ ajtimivan, ejpei; su;n tai:V MouvsaiV eJauto;n ouj kaqivdrusen ... 60.Ai[swpoV katarasavmenoV aujtouvV, kai; to;n prostavthn tw:n Mousw:n mavrtura proskalouvmenoV, o{pwV ejpakouvsh/ aujtou: ajdivkwV ajpollumevnou ...(§142). Note the probable pun on Apollo's name in the final word. 61. Cf. Beard. North, and Price, Religions of Rome, 287-88. |