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梟と鳥たち(Perry437)
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思うに、アイソポスはこういう寓話をも著している、 〔フクロウは〕賢明であるので、鳥たちに、樫の木が育つ初めのうちに、これを放置せず、あらゆる手を尽くして抜き取るよう忠告した。自分たちが捕まえられる薬、つまり、鳥もちがこれによってもたらされるから、と。そして、今度は、亜麻を人間どもが種播いた時には、この種をほじくるように命じた。育ったら、善いことにはなるまいから、と。三番目には、とある弓取りを眼にして、こう予言した、 この男は、おまえたちの羽によっておまえたちを破滅させるであろう、この者には翼がないけれど、羽のついた矢弾を射ることで、と。しかし鳥たちは、この言葉を信じず、フクロウを愚か者だと考え、気が狂っていると言った。だが、しばらくして体験を通しての後、賛嘆し、真に最高の賢者だと信じた。だからして、〔フクロウが〕現れると、どんなことでも知っている者のように近づいてゆくのである。けれどもフクロウの方は、彼らにはもはや何も忠告することなく、ただ嘆くのである。
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これに加えてまた、アイソポスは次のような話をもこしらえた。つまり、鳥たちがフクロウのところに押し掛けて要求することには、住みかのねぐらを立ち退き、今と同じような〔別の〕樹と、その枝に自分の巣を移すよう、そうすれば、もっとはっきりと歌うこともできよう。もちろん、この樫の木が育つまでのことで、時至らば、〔この樹に〕とまることも、緑の群葉から移り住むことも容易であろう、と。もちろん、フクロウは鳥たちに、そんなことはしないよう、まして、植物の生長を喜ぶなどとんでもない「宿り木が育ったら、鳥たちに破滅をもたらす」から、と諌めた。しかし鳥たちはフクロウの忠告を受け容れず、正反対に、樫の木の生育を喜びさえし、充分〔大きく〕なると、その上にとまって歌った。しかし、宿り木ができ、人間たちによって易々と捕まえられて、後悔し、フクロウの忠告に驚嘆したのである。今も、フクロウは有能にして賢明であるので、そういうふうで、だからこそ、喜んで近づくのは、その交際から何かよいことを手に入れられると考えるからである。たしかに昔のフクロウは、真に知慮深く、忠告することもできた。しかし今のフクロウたちは、フクロウのはねと眼と嘴を持っているというだけのことで、そのほかの点では、他の鳥類よりむしろ無知慮である。だから、自分自身にさえ何一つ益することができない。というのは、鳥捕りたちのもとに捕らえられ、隷従させられても、身をかわすことができないからである。
この寓話については、第9章 テクストの変容・挿絵の変容をも見よ。