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back.gif第8章 ボナー『宝石』


インターネットで蝉を追う

第9章

テクストの変容・挿絵の変容






 いま、わたしたち「蝉スレッド」のメンバーが直面しているのは、テクストと挿絵とは、密接な関係があることは云うまでもないが、それでもなお、テクストにはテクストの論理(伝統)があり、挿絵には挿絵の論理(伝統)があって、両者は必ずしも一致するものではないらしい、という事実である。

 例えば、イソップ伝中に、貧しくてイナゴを捕って生計の足しにしている男の話が出てくる。シュタインヘーヴェルが典拠としたW本では、この男がたまたま蝉(tettix)を捕まえたことから寓話が展開している。しかし、挿絵はバッタになっている(キャクストンのイソップ伝中の挿絵を参照)。

 そればかりか、ギリシア語原本ではただ単に「貧しい男」だったのが、いつの間にか、鳥を捕ることを職とする人物に変えられているのである〔ギリシアでは捕鳥手段は鳥もちによる「鳥刺し」であったのが、諸訳では「鷹匠」に変えられている〕。

 これとともに、翻訳者自身も混乱したと見えて、
  シュタインヘーヴェル訳では、"fogel"を追って"grille"を捕まえ、
  マショー訳では、"lengoustes〔=sauterelles =locustas〕"を追いかけて"sigaille"を捕まえ、
  キャクストン訳では、"flyes"を追いかけて"nyghtingale"をつかまえたことになるのである。
 しかも、翻訳者がどう訳そうとも、挿絵は一貫してバッタを捕まえたことになっている!

 そういうわけで、テクストと挿絵の関係について、いま白熱した議論を展開中であるが、ひとつの事例を挙げておこう……(^^ゞ

 イソップ寓話に「燕と鳥たち」というのがある。これは、おそらく、「蟻と蝉」よりもはるかに由緒正しい寓話と見えて、Perry39、ラ・フォンテーヌI_8、バブリオスの散文フレーズ39、アデマール20、ロムルスI_20、したがってまた『伊曽保物語』国字本中24、天草本上11に採録されている〔「蟻と蝉」は、Perryの373。これはバブリオス由来の寓話として、ペリーによって正系から外されているとゆ〜こと〕。

 この「燕と鳥たち」の伝承をたどると、テクストについては、
1)主人公が変更されている。
2)捕鳥の手段が変更されている。
という変遷をたどることができる。また、
3)これを伝存する挿し絵との関係でみると、さらに興味深い事実を示している、ということができる。

 先ず、テクストでは、最も古いものは、わたしの知るかぎりでは、1世紀ころのものとされるライランズ・パピルスである。

=====(P. Ryl. 493)
 ……鳥もちをもたらす樫の木が育っているをの知って〔フクロウは〕、樫の木が育ったあかつきには、鳥たちの一族に災悪がおこるだろうと、鳥たちに警告した。しかし、この言葉を鳥たちはないがしろにしたので、樫の木は生長し、とある鳥刺しがこの樫の木から鳥もちを得て狩猟した、これをみて鳥たちは悔やみ、フクロウが将来を予見することにかけて恐るべき存在であるといった。だから今も、フクロウが飛びまわっているのを眼にすると、ほかに身を慎んだ方がいいことがあるかどうか、忠告を求めるのである。けれどもフクロウは言う。〔以下、欠損が多く、充分に文意がとれませんが、「後の後悔、先に立たず」と、皮肉をゆ〜てるようです〕

======

 ライランズ・パピルスにやや遅れて、ディオン・クリュソストモス〔Ac.D 40/50-110以後〕がこの話を採録している。

======Fabulae ap. Dionem Chrysostomum
1
 思うに、アイソポスはこういう寓話をも著している、 — 〔フクロウは〕賢明であるので、鳥たちに、樫の木が育つ初めのうちに、これを放置せず、あらゆる手を尽くして抜き取るよう忠告した。自分たちが捕まえられる薬、つまり、鳥もちがこれによってもたらされるから、と。そして、今度は、亜麻を人間どもが種播いた時には、この種をほじくるように命じた。育ったら、善いことにはなるまいから、と。三番目には、とある弓取りを眼にして、こう予言した、 — この男は、おまえたちの羽によっておまえたちを破滅させるであろう、この者には翼がないけれど、羽のついた矢弾を射ることで、と。しかし鳥たちは、この言葉を信じず、フクロウを愚か者だと考え、気が狂っていると言った。だが、しばらくして体験を通しての後、賛嘆し、真に最高の賢者だと信じた。だからして、〔フクロウが〕現れると、どんなことでも知っている者のように近づいてゆくのである。けれどもフクロウの方は、彼らにはもはや何も忠告することなく、ただ嘆くのである。

2
 これに加えてまた、アイソポスは次のような話をもこしらえた。つまり、鳥たちがフクロウのところに押し掛けて要求することには、住みかのねぐらを立ち退き、今と同じような〔別の〕樹と、その枝に自分の巣を移すよう、そうすれば、もっとはっきりと歌うこともできよう。もちろん、この樫の木が育つまでのことで、時至らば、〔この樹に〕とまることも、緑の群葉から移り住むことも容易であろう、と。もちろん、フクロウは鳥たちに、そんなことはしないよう、まして、植物の生長を喜ぶなどとんでもない「宿り木が育ったら、鳥たちに破滅をもたらす」から、と諌めた。しかし鳥たちはフクロウの忠告を受け容れず、正反対に、樫の木の生育を喜びさえし、充分〔大きく〕なると、その上にとまって歌った。しかし、宿り木ができ、人間たちによって易々と捕まえられて、後悔し、フクロウの忠告に驚嘆したのである。今も、フクロウは有能にして賢明であるので、そういうふうで、だからこそ、喜んで近づくのは、その交際から何かよいことを手に入れられると考えるからである。たしかに昔のフクロウは、真に知慮深く、忠告することもできた。しかし今のフクロウたちは、フクロウのはねと眼と嘴を持っているというだけのことで、そのほかの点では、他の鳥類よりむしろ無知慮である。だから、自分自身にさえ何一つ益することができない。というのは、鳥捕りたちのもとに捕らえられ、隷従させられても、身をかわすことができないからである。

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 〔ディオン・クリュソストモスが何(誰)を激しく糾弾しているのか、興味あるところですが、今は横に置いておこう〕

 この主人公フクロウは、以後、イソップ寓話のテクストに現れることはない。かわって、主人公は一貫して燕になる。
 そして、鳥もちで捕鳥するということがわからなかったらしく、捕鳥手段はカスミ網一辺倒になり、それとともに、警戒すべきは麻の植えつけということになる。〔ディオン・クリュソストモスに、おもな捕鳥手段が列挙されていることも眼を引きます。また、彼がビテュニアの出身だということも〕。

 この捕鳥手段は、〔挿し絵の伝統の中で〕さらにもう一度変更される。それが、わたしたちがシュタインヘーヴェルの挿し絵で眼にする、あの木製の用具である(キャクストンイソップ伝中の挿絵を参照)。

 こういう変更史の中で、注目に値するのが、あのバイユーの壁飾り(「The Bayeux Tapestry」)の縁絵である。

Bayeux Tapestry JPG

 畑に種をまいているところから、これは麻を植えていると考えてよかろう。ところが、最後には竿で鳥を追っているから、これは鳥刺しということになる[註]。ということは、この図柄は、どこかから借用したもので、種をまくということと、鳥を捕るということとの繋がりが、この挿絵師にはわかっていなかった〔というより、わかる気もなかった〕ということであろう。〔アデマールの挿し絵も種をまいていますが、しかしこちらはその結果は図示されていない〕

[註]竿で鳥を追っている
  Wolfgang Grape, "The Bayeux tapestry-- monument to a Norman triumph", Prestel, 1994によれば、あれは「竿」ではなくて、投石具(sling)だということである。いわく、 —
Since Abraham does this in a drawing in the Old English Hexateuch, it has been supposed that the designer had a similar Anglo-Saxon illustration of the Old Testament before him as he worked (p. 42)

   この寓話で、捕鳥具に投石具(sling)を使っている例をわたしは知らぬ。マリイ・ド・フランスの作品でも、捕鳥具は"net"になっている(第17話)。
 むしろ、縁絵や挿絵の制作者は、伝承した図柄そのまま(ないし、多少の変更を加えて)新しく組み合わせるにすぎないという、わたしたちの主張の根拠のひとつになるのかもしれない。

 また、イソップ寓話を意図したというより、単に農作業風景を描こうとしたのではないかという考えも、当時の「暦」などの在り方から考えて、一考にあたいしよう。
 〔以上は、TAKEMULA_Hiloshi 氏の教示による〕
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