世界の七不思議

[底本]
TLG 2595
PHILO Paradox.
(A.D. 4/6: Byzantius)
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2595 001
De septem orbis spectaculis, ed. K. Brodersen, Reisef殄rer zu
den sieben Weltwundern. Frankfurt am Main: Insel Verlag, 1992: 20-36.
(Cod: 1,600: Paradox.)





『世界の七奇観について(De septem orbis spectaculis )』

20."t"

ビュザンティオン人ピローンの『七奇観について』

20.1
 七奇観のそれぞれは、噂では、万人に知られているが、眼には、わずかな人たちに見られているのみである。なぜなら、〔七奇観をすべて見物するには、先ず〕ペルサイに旅立ち、エウプラテースを船で渡り、アイギュプトスを越え、ヘッラスのエーリス人たちのもとに滞在し、カリアのハリカルナッソスに赴き、ロドスに寄港し、イオーニアのエペソスを見学しなければならない。しかるに、〔これだけの〕世界を放浪し、旅の労に疲労困憊したとしても、願望を満たせるのは、人生の何年間もかけて、人生を過ごした後なのである。

 これに比して、教育(paideia)は驚くべき大いなる賜物である、 — ひとを旅から解き放ち、家で美しいことどもを示し、魂に眼を取り付けてくれるのであるから。しかも、〔教育(paideia)は〕驚異(to paradoxon)でもある。なぜなら、〔前者=じっさいに見学する〕ひとは、諸々の場所に赴いても、見るのは1回きり、通り過ぎれば忘れてしまう。すなわち、諸作品の精確さ気づかれず、細々した部分については記憶が遠のく。しかるに〔後者=教育によって知る〕ひとは、作業の驚嘆されるべき点と、諸々の苦心とを、言葉によって記録し、技術(techne)の働き(ergon)の総体を〔鏡をのぞきこむように〕熟視して、影像のおのおのにみられる類型(typos)を忘れられぬようにするであろう。それは彼が驚異的な事柄を魂によって見たからである。

 そこで、この書(logos)が七奇観のそれぞれを眼に見えるようにめぐりゆき、聞き手が、見学の光栄を受けて納得して首肯してくれれば、わたしが言っていることが明らかに信じられるであろう。というのも、これら〔七奇観〕こそは、称賛者たちが挙げる名は一致しているのだが、〔何が七奇観として〕見られるかは等しくても、〔七奇観のどこが〕驚嘆されるかは等しくないからである。例えば、美は太陽に似たり寄ったりで、みずからが光り輝くものの場合は、自余のものらが見つめることを許さないからである。


第1 吊り庭園(kepos kremastos)

 いわゆる吊り庭園(kepos kremastos)は、地表よりも上方に植物を有しているので、空中で耕され、樹々の根が上天の屋根となって地上を覆っている。すなわち、幾本もの石柱が支えとなって、その場所の全体が、諸々の柱(styloglyphos)のおかげで地下となっているのである。

 ヤツメヤシの梁が幾本もわからぬように横たえられており、これら〔の梁〕が、それらの間の耕地をきわめて狭く区切っている。他のものの中で、この材木だけは腐ることなく、湿ったり、重いものですり減っても、上に湾曲するだけで、根の発芽をたすけ、固有の気孔を通してみずからも外部に生長する機会を持つ。

 この上に、多量の土が深く盛られており、他には広葉樹やとりわけ諸々の果樹が植えられていて、多種多様・あらゆる種類の花が〔咲き乱れ〕、地表はただ一面すこぶる心地よく、楽しい上にもすこぶる快適である。さらに、この場所は畑のように耕され、〔普通の〕土地と似たり寄ったりの吸枝(ないし取り木)の農作業までもたらす。歩廊を散歩する人たちの頭上に、肥沃な耕地があるということにもなる。

 ところで、表面的な印象はありふれたものだが、非常に土が深い場所のように、天井近くの土は動かず、手つかずのままである。しかし、水の引きこみは、その水源を高い場所に有しているので、一方では、水流をまっすぐ低きに向け、他方では、螺旋状揚水機〔おそらくはスクリュー〕によって押し上げられて汲み上げられ、機械の力で、曲がりくねった導管を循環する。そして、頑丈で大きな井戸に引き上げられて、庭園全体に灌水して、深いところにある植物の根に給水し、畑に水分を確保する、ここから、当然、草は常緑を保ち、樹木の葉も、〔幹から分かれた太い〕しなやかな枝によって養われ、その自然本性を露を吸い、風通しのよいものとする。

 根は乾あがらないよう監視されていて、そばを流れる水分を吸い上げ、縺れあった地下の〔根〕を通して確実に行き渡り、樹木の安全確実な生長を維持する。

 この傑作は気まぐれであり、王者的であり、その大部分は強引である。なにしろ、農作業の労苦が見学者たちの頭上に吊り下げられているのだからして。


第2 メンピスのピラミッド群

 メンピスにあるピラミッド群は、これを建造するのは不可能、これを物語るのは驚異である。なぜなら、山々が山々に積み重ねられ、その四角錐の大きさは、運び上げる方法も思いつきがたく、これほど重い工作物が持ち上げられるのに、どれほどの力が必要だったか、誰しも当惑してしまうからである。

 まず、足場の四角形が決められると、切り出された諸々の石が、それぞれ準備された石の地上からの高さと同じ大きさで、土台を形成し、かくして工作物全体が少しずつ組み立てられて、ついにピラミッドに、つまり、日時計の針の形に仕上げられた。

 こうして、高さは300ペーキュス、周囲は6スタディオン。工作物全体がまとまって、どっしりしている、そのため、構造物全体がもともと一枚岩でできているように思えるほどである。しかし、諸々の石の自然は多彩な紫色のがお互いに組み合わされていて、そのため、あるところは白くて大理石のような岩、あるところはアイティオピア産の黒い岩、またその後ろにはいわゆる血色をした〔赤鉄鉱〕石、さらには、多彩な半透明の緑色の石があり、言い伝えでは、これはアラビアから運ばれたものという。

 また、中には、暗く輝く自然を有した草のように緑色をたたえ、その後ろにはまたマルメロのような黄色をしたものがあるが、ほかのものの色は紫がかり、ムラサキガイで紫に染められた石そっくりである。かてて加えて、驚倒する者にはすばらしさが、驚嘆する者には精巧さが、富者には壮大さが〔備わっている〕。

 さらに、登高〔しての眺めの〕偉大さは、旅の労苦の実りをもたらし、頂に立てば、底まで見下ろす人々の眼を暗くする。というのは、あるいは、人間がこのような仕事によって神々のもとに登るか、あるいは、神々が人間界に降りてくるかだから。


第3 ゼウス・オリュムピオス

 クロノスは天上におけるゼウスの〔父〕、ペイディアスはエーリスにおける〔ゼウスの〕父である。なぜなら、これを生みなしたのは、ひとつには不死なる自然であるが、これを〔生みなしたのは、もうひとつには〕ひとり神々を産み得るペイディアスの両手のみだからである。浄福なるかな、ひとり宇宙の王を見学し、雷霆ふるう〔ゼウス〕神を他の人々に示し得る人は。

 かりに、ゼウスがペイディアスの〔子〕と呼ばれることを恥じるなら、彼〔ゼウス〕の像の母はといえば、それは技術(techne)である。それゆえ、自然はゾウをもたらし、ペイディアスがこの動物の歯〔牙〕を切って、建造物のための素材として用いられるようにしたのだ。

 とにもかくにも、七奇観のうち、他のものらはわれわれは驚嘆するのみであるが、こればかりは、われわれはひれ伏しさえする。なぜなら、技術の働きは驚異であり、ゼウスの模倣は神々しいからである。だからして、労苦は称讃を博し、不死は崇拝を受ける。

 おお、ヘッラスの好機よ、げにこの好機ほど、後の世の何人も富むことはなかったほど、神々の宇宙に富み、彼より後の世が持ちえなかったほどの技術者を、不死の制作者として持ち、神々の顔 — 御身〔好機〕の時代の者はこれを眼に観ても、他の時代の人々には見ることあたわぬ — を人間どもに示し得る好機よ。というのも、げに、久しきにわたって、ペイディアスはオリュムポスに勝っていたのだ、想像よりは明証が、物語よりは知識が、そして見ることが聞くことよりもまさっているほどに。


第4 ロドスの巨像

   ロドス島は海洋上の島、昔は海底に隠されていたのを、太陽神〔ヘーリオス〕が出現させた、自分たちにも見えるようにしてほしいと、神々から頼まれたからである。この島に、70ペーキュスの巨像が立っているが、これは太陽神に供えられたものである。というのは、この神の似像は、これから造られた貨幣(symbolon)によって知られているからである。しかし、この〔巨像の〕技術者があまりに多くの銅を消費したので、この金属が不足しかけたほどであった。というのは、この建造物の鋳造は、世界的な青銅作品となったからである。

 しかし、ゼウスがロドス人たちに神々しい富を注ぐことが決してなかった所以は、〔ロドス人たちが〕太陽神崇拝に富を消費して、この神の似像を地上から天にまで引き上げようと企てたからなのか? この技術者は、外面的には、鉄製のかすがいや四角い石でこれ〔似像〕を固定したが、このうち差し込まれた横木は、〔神の鍛冶師〕キュクロープスのようなハンマー作業を示唆しており、隠されている労苦は、眼に見えるものらよりも大きい。というのは、見物者たちのなかの賛嘆者は、新たな疑問をいだくからである、どのような鋏(やっとこ)で、あるいはどれくらい強度のある鉄床(かなとこ)によって、あるいは労務者たちのどれほどの力によって、これほど重量のある方尖塔〔オベリスク〕(obeliskos)が鋳造されたのか、と。

 さて、〔この技術者は〕白い大理石状の岩でできた趾(basis)を据え、その上に、巨像の両足(pous)を、70ペーキュスの神が立ち上がったさいの均衡を考えて、足首の骨(astragalos)までを最初に固定した。なぜなら、趾の跡(ichnos)だけで、すでにその他の人像よりも上に聳えていたからである。そういうわけで、くるぶし(sphyron)〔から上〕は、建造されるものらの上方で鋳造しなければならなかったのである。あたかも、作品全体が作品の上に登ってゆくかのように。

 まさしくそういう理由で、その他の人像の場合は、技術者たちは〔これを〕最初にこしらえ、次いで、部分部分に分けて鋳造し、最後に全体を組み合わせて立てるのをつねとした。しかしこの〔巨像の〕場合は、最初の鋳造物に、第2の部分が追加建造された。そして、その次の部分が、再び同じ目論見を繰り返した。金属の部分部分は動かすことができなかったからである。

 こうして、あらかじめ完成されていた部分の上で鋳造が行われ、諸々の横木による配分と、かすがいの差し込みが確保され、中に入れられた岩の平衡が固定されたのは、この作業を通して、確実に動かないようにという目論見からであった、その都度、いまだ完成されていない巨像の部分のために、膨大な量の土を盛りあげて、すでに労作された部分を地下に隠して。地上に出ている部分の鋳造を実行し、これを繰り返したのである。

 この手順によって、希望した頂点まで少しずつ上昇し、銅500タラントン、鉄300〔タラントン〕を消費して、神に等しい神を作り、大胆にも大いなる作業を担いとおしたのである。すなわち、〔技術者は〕第2の太陽神をこの世に奉納したのである。


第5 バビュローンの城壁

 セミラミスは、王らしい目論見に富んでいた。そういうわけで、奇観の宝物を残して死んだ。すなわち、バビュローンを、260スタディオンにわたって土塁を築いて城壁で囲い、この都市の周囲〔をめぐるのに〕は1日行程の労を要するようにしたのである。しかも、驚嘆すべきはその大きさのみではなく、建造の堅牢さも、地域の中央の広さもそうである。すなわち、焼いた煉瓦で{瀝青で}造営されたのである。

 また、城壁の高さも優に50ペーキュスを超え、甬道(paradromis)の幅は、四頭立ての戦車4台が同時に駈けぬけられる。塔(pyrgos)はきわめて数が多く連続しているので、大軍を受けとめることができる。そういうわけで、ペルシアのこの都市は堡塁でありながら、居住されている都市について、その〔都市の〕中に閉じこめられていることに気づかれない〔都市な〕のである。

 幾万を何倍もする人々が町中全体に住んでいる。さもなければ、これほど広大な耕地を耕すことは難しい、バビュローンはこれほど広大な居住地を有しているので、居住者たちは彼らの間だけで、つまり城壁の内側で旅をするのである。


第6 エペソスにあるアルテミス神殿

 エペソスにあるアルテミス神殿のみが、神々の館である。なぜなら、眼にした者は、この地が入れ替わって、不死の天上界が地上に引きずり降ろされたと信じたであろうから。というのは、ギガースたちとか、アローエウスの子どもたちのうち、天上に攻めのぼるなどということをしでかそうとした連中とかは、神殿ならぬオリュムポスを襲撃しようとして、山々を積み上げた。おかげで、その労苦は着想よりも大胆なものであったが、しかしこの〔アルテミス神殿建造の〕技術は労苦よりも〔大胆なものであった〕。

 すなわち、基礎なす大地の底を技術者は解体し、壕の深みを際限なく掘り下げ、切り出された石を土台として投げこんだ、大地の下の隠れた作業に、山々の岩盤を消費して。かくて、安全を揺るぎなく固め、来るべき重さを支えられるよう、地軸を想定して、先ずは土台を投げこんだうえに、足場として空中に10段の基部を立ち上げ……〔欠損〕

 第7話としては、ハリカルナッソスのマウソレイオン (マウソレウム)〔 小アジアのカリアの総督マウソロスのために, 彼の新都ハリカルナッソスに建築家ピュテオス Pytheos が建てた大墓妓建築〕が述べられるはずであるが、原文は欠けている。

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2004.04.13. 訳了。


forward.gifシモカッテス家のテオピュラクトス『自然の諸問題(Quaestiones physicae)』