プレゴーン断片集

[底本]
TLG 0585
Publius Aelius PHLEGON Paradox.
(A.D. 2: Trallianus)
1 1
0585 001
De mirabilibus, ed. A. Giannini, Paradoxographorum Graecorum
reliquiae. Milan: Istituto Editoriale Italiano, 1965: 170-218.
Dup. partim 0585 003.
5
(Cod: 5,139: Paradox.)
2 1
0585 002
Testimonia, FGrH #257: 2B:1159-1160.
(NQ: 314: Test.)





"t"
Testimonia
"2b,257,T"

断片1
SUID. "Phlegon Trallianos"〔トラッレイス人プレゴーン〕の項。

 皇帝セバストス(ある人たちによれば、アドリアヌス〔在位、117-38〕)の解放奴隷。歴史家(historikos)。著書は、『オリュムピア年代記』16巻 — 第229回オリュムピア年までのすべての地で開催されたもの — 。また同じ内容で8巻。『シケリア記』『長命者たちと驚異譚について』『ローマ人たちの祝祭について』3巻、『ローメーの名所とその名の由来について』『オリュムピア祭優勝者の梗概』2巻、その他諸々。

断片2
SCRIPT. HIST. AUG. X 20, 1:

 マウロス人アエリウスの書に、プレゴーンがハドリアヌス帝の解放奴隷であるという言及をわたしは見出した。

断片3
PHOT. Bibl. 97:

 [1]広く知られているのは、トラッレイス人プレゴーン — 帝王ハドリアヌスの解放奴隷 — の『オリュムピア祭優勝者たちと年代記集成』である。[2]彼はこの書を、アルキビアデースなる者 — ハドリアヌスによって守備隊に配置された者たちの1人 — に献呈している。[3]この集成は、第1回オリュムピア年から始めているが、他の人たちもほとんど全員が主張しているように、初期のことは、誰かの精確かつ真実な記述があるわけではなく、各人が思い思いのことを書いて、一致しているわけでもないから、それだけにますます彼は書くことに名誉愛を発揮しているのである。とにかく、この集成は、わたしたちが主張しているとおり、第1回オリュムピア年から始まっている。そして、本人の主張では、ハドリアヌスの時代にまで及んでいるという。
[4]しかしわたしに読めたのは、第177回オリュムピア年までで(F12)……わたしにとってこのオリュムピア年までで5巻の著作になるのである。
[5]言い回しは、卑屈(chamaipetes)に過ぎるということもなく、アッティカ語をはっきりと維持した文体というわけでもない。とりわけ、オリュムピア年や、そこにおける競技の名称や実戦に関する、あるいはまた神託に関する粒々辛苦と功名心は尋常ではなく、聴き手をうんざりさせ、巻中他のことにはほとんど何ひとつ道草を許さず、言葉をむかむかさせ、魅力的なところは何ひとつないが、しかしさまざまな神託にはすこぶる精通している。

〔4 は欠番〕

断片5
SCRIPT. HIST. AUG. I 16, 1:

 famae celebris Hadrianus tam cupidus fuit, ut libros vitae suae scriptos a se libertis suis litteratis dederit iubens, ut eos suis nominibus publicarent. nam et Phlegontis libri Hadriani esse dicuntur.



"t"
『驚くべきことどもについて(De mirabilibus)』
(トラッレイス人プレゴーンの『驚くべきことどもについて』)


第"1*"章

 [1]<……>〔乳母は〕客人の〔部屋の〕戸口に歩み寄り、手燭の火影で、〔客人〕マカテースのそばに女性が座っているのを目撃した。

 [2]しかし、亡霊(phantasia)の驚異に、それ以上長くは我慢できず、〔彼女=亡霊の〕母親のもとに引き返し、大声で「カリトーさま、デーモストラトスさま」と叫んだ。彼らは立ち上がって、自分といっしょに娘のところにゆくものと思ったのだ。なにしろ、何かある神的な目論見によって、〔娘は〕生きていて、客人のところに客人といっしょにいるように見えたのだから。

 [3]しかしカリトーは、思いがけない言葉を聞いて、知らせの重大さと乳母の惑乱に、初めは心底仰天して失神してしまったが、少したってから娘のことを思い出して涙にくれ、この老女の狂気をくちをきわめてなじり、すぐさま狂気からさめるよう命じる結果になった。

 [4]しかし乳母は悪態をつき、ちかって正気で健全である、さもなければ、怖じ気づいて自分の娘に会いたくないのだと、本気になって言うので、カリトーはやっと、ひとつは乳母にせがまれ、ひとつは何が起こったのか知りたくなって、客人の〔部屋の〕戸口のところに赴いた。そして、報告を受けてから2刻限もたってしまうぐらい、長い時間が過ぎていたが、その時になってカリトーは戻ってきた。

 [5]だから、くだんの者たち〔客人と女性〕はすでに寝んでいた。そこで、この母親は〔闇の中から〕立ち現れると、上衣(himatia)や面影を見つけ、真実をさぐろうと考えたが、どうしてもそれができず、落ち着かなくてはならぬと思った。というのは、翌日に、起きてから女性をつかまえ、たとえ〔女をつかまることを〕しくじったにしても、マカテースからすべてを問いただせると期待したからである。これほどの行為をしておきながら、彼を愛する者に嘘をつくことは決してあるまいと。そこで、黙って立ち去った。

 [6]かくて、明け方になって、神的な目論見によってにせよ、偶然によってにせよ、〔くだんの〕女性の方は気づかれることなく帰ってしまい、こちらの女〔母親〕の方は、来てみれば、〔二人は〕別れた後なので、その若者に対して腹を立て、[この客人に]最初からすべてを説明し、マカテースの膝にすがりついて、何ひとつ包み隠さず真実を言うよう頼むという結果になった。

 [7]若者の方は、初めはすっかり混乱してあらがっていたが、やっとのことで、〔女の〕名前はピリッニオンだと白状した。そして、通いだしたいきさつと、相手の恋情がいかほどのものであるかを説明し、両親に知られぬよう自分のところにやってきたと云い、事実を信じさせたいと望んで、金庫をあけて、その女性が残したもの、彼女からもらった黄金の指輪と、前の晩に置いていった胸帯とを取り出し〔て見せ〕た。

 [8]カリトーは、そういった証拠を眼にするや、叫び声をあげて、おのが着衣と上衣を引きちぎり、頭からヘア・ネットをかなぐり捨て、大地に身を投げ出して、知り合いの者たちに取り巻かれて初めて悲しみにくれた。

 [9]客人は、眼の前に起こっている事態と、一座の人々がみな悲痛にくれ、あたかも今まさに女性を埋葬しようとするかのごとくに弔いの歌をうたっているのを眼にして、心動かされ、〔悲しむのは〕やめるよう頼んで慰め、もしも〔女性が〕やってきたら、彼女に教えようと申し出た。そこで彼女〔母親〕は得心して、申し出をあだやおろそかにせぬよう心がけられよと彼に言いつけ、自分の部屋に引き下がった。

 [10]こうして、夜になって、ピリッニオンがいつも彼のところにやってくる刻限になったので、一同がその到着を知ろうとして見守るなか、彼女はやってきた。そして、いつもの時刻に入ってきて、寝椅子に腰掛けたので、マカテースはそぶりも見せず、しかし事実を調べたいと望んだのは、あまり多くを信じていなかったからだが、もしも屍体のそばにいるとしたら、相手があまりにも用心深く同じ時間にやって来て、しかも自分といっしょに食事し、いっしょに飲むので、あの連中が先ほど報じたことは信じがたく、てっきり、屍体盗人か何かが塚を盗掘して、着物(himatia)や黄金を女性の父親に売りつけたのだと思っていた。そこで、精確なところを知りたくて、彼ら〔両親たち〕をこっそり呼んでくるよう、僕童たちを送り出した。

 [11]すぐさまデーモストラトスとカリトーがやってきて、彼女を眼にすると、初めは声もなく、思いがけぬ光景に打ちのめされていたが、次には大声をあげて、娘にしがみついた、このときピリッニオンは彼らにこう云った。「ああ、お母さま、お父さま、この3日間、お父さまの家で、わたしはどなたも苦しめてはいませんのに、あなたがたはこの客人といっしょになって、どんなに不正にもわたしを疎んじられたことでしょう。とにかく、あなたがたはそのお節介ゆえに悲しみにくれる初めですが、わたしは再び定めの場所にもどります。だって、神的な目論見なしに、ここへやって来たのではありませんから」

 [12]これだけのことを云うと、たちまち屍体となって、眼に明らかな身体が寝椅子の上にぐったりと横たわっていた。母親と、それから父親は、彼女にとりすがり、この受難に、大騒ぎと弔いの歌が家じゅうにおこった、前代未聞の出来事と同時に信じがたい光景が見られたということで、事件はすぐさま都市(くに)じゅうの評判となり、わたしにも届けられた。

 [13]そこで、その夜は、わたしは群衆がその家に集まるのを抑え、このような噂が広まって何か新たな変事が起こらないよう用心した。

 [14]しかし翌未明には、劇場は満員であった。そして、いろいろなことが細切れに噂されていたので、先ず決定されたのは、わたしたちが塚に入って、〔棺を〕開け、寝椅子の上に身体があるのか、それともその場所がからなのをわれわれが見つけるのかどうか、知るのがよいということであった。というのは、女性の死後、6ヶ月もたっていなかったからである。

 [15]わたしたちによって納骨所 — 親族の者が往生すると皆がここに安置される — が開けられると、ほかの寝椅子の上には、眼に見える身体が、もっと昔の者たちのは、その骨が横たわっているのに、ピリッニオンが安置され、埋葬されたはずの寝椅子の上だけは、鉄製の指輪 — 客人のものであった — と、金箔の水差し — これこそは〔あの女性が密会した〕最初の日に、マカテースからもらったものであった — とが置かれているのをわたしたちは見つけた。

 [16]驚きあきれて、わたしたちはすぐさまデーモストラトスの、客人のもとに行って、ほんとうに眼に見えるのかどうか、屍体を見分した。そして地面に横たわっているのを眼にして、わたしたちは民会に集まった。出来したことは重大かつ信じがたいことだったからである。

 [17]集会は恐慌にも似た騒ぎにおちいり、ほとんど誰ひとりとして、事態を裁くことができなかったとき、先ずヒュッロス — 彼は最善の占い師としてのみならず、気鋭の鳥占い師としても、またその他の事柄においても、その術知によってわれわれの間で認められていた — が起ちあがって命じるには、女性を国境の外に封じこめるよう — 領土内に置いておけば、この地にさらに寄与することないゆえ — 、そして、ヘルメース・クトニオス〔土地のヘルメース神〕とエウメニスたちに供犠して厄払いをし、さらにそのうえ、ありとあらゆるものを清祓して、神具も土地の神々に対しての仕来りになっていることはすべて執り行うよう指示した。また、彼はわたしに個人的に王位と政事にも、ヘルメースとゼウス・クセニオス〔客遇のゼウス〕とアレースとに供犠するよう、これらのことをあだやおろそかにならぬよう執り行うように云った。

 [18]こういったことを彼が表明したので、わたしたちは言いつけられたことを実行したが、客人マカテース — このひとのところに亡霊が現れた — は、意気阻喪してみずからの生を絶った。

 これらのことについて王に書き送るのがよいようにあなたにみえるようなら、わたしにも書簡をください。そうしたら、話をしてくれた連中の身の上についても、詳細をあなたにお知らせしましょう。お元気で!


第2章

 [1]また、アレクサンドレイア人ないしエペソス人のヒエローンが記録しているところでは、アイトーリアでも亡霊(phasma)が現れたという。

 [2]すなわち、ポリュクリトスという一人の市民が、アイトーリア連盟議長(Aitoliarches)として民会によって挙手選出された、先祖の代から美にして善なる〔貴族〕階級(kalokagathia)の出ゆえ、3年にわたって市民たちが彼を重用したからである。しかし、この職にあったときに、ロクリス女を妻に迎え、3夜をともにして交わったが、4日目に生を終えた。

 [3]女の方は、寡婦として家にとどまったが、出産の仕儀に至り、嬰児を産んだが、〔その嬰児は〕男性のと女性のと、恥部を2つながら備えもち、自然本性も驚くほど変わっていた。恥部の上部は全体に硬くて男性的であり、下部の大腿あたり女性的で、柔らかかった。

 [4]親類縁者はこのことに驚倒し、その嬰児をアゴラに連れてゆき、民会を招集してこのことについて評議すべく、供犠師(thytes)や怪異占師(teratoskopos)を呼び集めた。その〔占師たちの〕ある者たちは、アイトーリア人たちとロクリス人たちとの間に諍いが起こるだろう — 母親はロクリス女であり、父親はアイトーリア人であるから — と意見表明し、ある者たちは、嬰児と母親を国境に連れ出して、焼却すべきだと思った。

 [5]彼らがそういったことを評議しているとき、突然、すでに死んだはずのポリュクリトスが民会の中に、黒い衣装をまとって生みの子のそばに現れた。

 [6]市民たちはこの亡霊に驚倒し、多くの者たちは後も見ずに逃げ出そうとしたが、〔ポリュクリトスが〕現れた亡霊に勇気を出してうろたえることのないよう呼びかけた。そこで、騒ぎと混乱がおおかたしずまると、〔ポリュクリトスは〕か細い声で次のように発言した。「わたしは、市民諸君、身体的には死んでいるが、諸君に対する好意と友誼によって生きている。今も諸君のもとに現れ出たのは、諸君の有利になるように、大地をしろしめす方々をとりなすためである。されば、わたしの同市民たる諸君らに呼びかけるのである、 — うろたえることのないよう、また、意想外な亡霊の出現に腹を立てることのないようにと。そして諸君ら全員にお願いする、 — 各々の救済を祈願して、わたしから生まれた嬰児をわたしに返してくれるよう、それは評議している諸君に、何か他の暴虐がふりかからぬため、また、わたしとの競争心から、忌まわしく困難な事態の端緒まで諸君に生じることのないためである。というのは、諸君のために口寄せする占い師たちの気違い沙汰のせいで、嬰児が諸君に焼かれるのを見過ごすことはわたしに受け容れられぬからである。とにかく、わたしは諸君を赦す、 — このような思いもよらぬ光景に遭遇し、いったいいかにすれば目下の事態をただしく処しうるか行き詰まっておられるのだから。しかし、恐れることなくわたしに聴従なさるなら、目下の恐怖やふりかかった諸悪を変更できるであろう。逆に異なったふうな考えをいだかれるなら、わたしたちに逆らって、度しがたい災禍に陥られることのないよう、あなたがたのために恐れるのである。もちろん、わたしは生前好意を持っていたからこそ、今も思いもかけず現れて、諸君に災禍を予言しているのである。だからこそ諸君に要請するのである、これ以上わたしを引き留めることなく、正しく評議して、わたしによって述べられたことに聴従して、粛々と嬰児をわたしに与えるよう。というのは、これ以上時を長引かせることは、地にある主たちによって、わたしに認められていないからである」。

 [7]こう云うと、少しの間、静にした、要請されたことに対して、はたしてどんな提案を自分にしてくれるか、期待して。そこで、一部の人たちは嬰児を返して、亡霊と、そこに立っている精霊とを清祓すべきだと思ったが、大多数の者たちは、事態は重大であるが、自分たちにふりかかった窮地ではないのだから、ゆるゆると評議すべきだといって反対した。

 [8]すると、相手が心を傾注せず、自分の目論見を妨害しようとしているのを見てとって、再びこう発言した。「とにもかくにも、市民諸君、優柔不断のせいで、何かもっと忌まわしいことが諸君の身にふりかかっても、わたしのせいにせず、そういうふうにより都合の悪い方へと諸君をみちびいた宿命のせいにしていただきたい。この〔宿命〕は、わたしにも逆らって、わたしをしてわが生みの子に無法をはたらくことを余儀なくさせるのだ」。

 [9]群衆は駆け寄り、その奇怪なもの〔嬰児〕[の争奪]をめぐって争いが起こった。嬰児はわしづかみにされ、〔亡霊は〕その〔群衆の〕大多数を押しとどめると、それ〔嬰児〕をしゃにむに引きちぎっては喰らった。

 [10]悲鳴が起こり、彼に向けて石が投げつけられ、相手から食い物にされるのを取り上げた。しかし相手は、投石に傷つけられることもなく、頭以外は嬰児の全身を食い尽くしてたちまち消え去った。

 [11]人びとはこの出来事に気味悪くなり、尋常ならざる巡り合わせに困じはてて、デルポイに使いを出そうとしたところ、地面に置かれていた嬰児の頭が発言して、これからどうなるかを託宣によって言った。
おお、はてなき地に住む歌に名高き民よ、
ポイボスの聖別されし、香のかおりたかき神殿に行くべからず。
汝の浄らかならざる手は血の気配を有し、
脚の前に、道中に、汚れをもてばなり。
されば、占術の言いつけはみな汝に繰り返さん。
すなわち、めぐりくる一年のこの日に
一同に死が定まりたり、ロクロイ人およびアイトーリア人たちの
魂は、アテーネーの目論見によってでたらめに暴行さる。
悪のやむこともなく、減じることもなからん。
何となれば、すでに人殺しの雨は烈しく降りそそぎ、
夜は万物を覆い、晴天も黒く
たちまち夜はエレボス〔暗黒〕を全地に目覚めさせ、
家のやもめはみな床の上に四肢をなげだし
妻も悲嘆の去るときなく、今や子どもらも
呻く、愛する父親にしがみついて。
かくまでに波浪はありとあるものすべてに覆いかぶさればなり。
ああ、ああ、恐ろしきことに見舞わるるわが祖国をわれは悲しむ
また畏れ多きことこのうえなき母親をも、永遠が赦すは後のこと。
神々はみな名もなき誕生を尋ねたもう
ロクリス人たちとアイトーリア人たちのうち、種は残れるかと。
そのために、わが頭を永遠は残せるも、今は万事
身体の部分は判別できぬまま消え去りもせず、地上に残せり。
されば、いざ、わが頭をあからさまなる白日のもとに据えよ、
陰鬱な大地の下、地中に隠すことなかれ。
彼らがひとつの土地を後に見捨てて、
アテーネーの他の土地と民のもとに進むがよい、
いつしか運命によって、死からの解放を汝らが得ることあらば。
 [12]アイトーリア人たちはこの託宣を聞いて、女たちや、幼い生子たち、老人たちをも、各人が可能なところへと避難させ、自分たちはどうなるかを見極めようとしてとどまった。そして、次の年に、アイトーリア人たちとロクリス人たちの間に戦争が起こり、双方とも多数の死滅が生じたという。


第3章

 [1]逍遙学派の哲学者アンティステネースも記録しているところだが、執政のアキリウス・グラブリオが、ポルキウス・カトーやルキウス・ウァレリウス・フラックスといった使節たちといっしょに、テルモピュライにおいてアンティオコスに対抗布陣したとき〔前191年〕、気高く闘い、アンティオコス麾下の将兵に武器を棄てざるを得なくさせ、〔アンティオコス〕本人は500人の旅団を率いて先ずはエラテイアに敗走し、そこからさらにエペソスに撤退するの余儀なきにいたらしめた。

 [2]そこでアキリウスは、勝利を報告するべくカトーをローメーに送り出し、自分はアイトーリア人たちのもとヘーラクレイア — ここは簡単に手に入れた — で宿営した。

 [3]さて、テルモピュライでアンティオコスと合戦したときに、ローメー軍に明々白々な徴〔前兆〕が現れた。すなわち、アンティオコスが〔野望に〕躓いて、次の日に敗走したので、ローメー兵たちは、自分たちの軍勢によって打倒された相手の殺戮と、分捕り品や掠奪物や捕虜たちの掻き集めに従事していた。

 [4]このとき、シュリア出身の騎兵隊指揮官ブウプラゴスなる者、王アンティオコスのもとで重用されていたが、彼自身も雄々しく闘って斃れた。さて、ローメー兵たちが敵陣営を完全に攻略したとき、真昼時、ブウプラゴスが、12箇所の傷を負ったまま、屍体の中から起きあがり、彼ら〔ローメー兵〕の陣地に現れ、か細い声で次のような詩句を述べた。
地に下りしハーデスの兵を掠奪するをやめよ。
クロノスの御子ゼウスは、暴虐を見そなわして、すでにお怒りなり、
将兵殺しと汝らの所行に憤怒せられ、
汝の地に豪勇の部族を派遣したまえり、
彼らは汝の支配を終わらせ、汝はおのれのなせしとおりのことを報いられん。
 [5]将軍たちはこの言辞にうろたえ、すみやかに兵大衆を総会に招集し、出現した亡霊について評議した。そして決定されたことは、言われた詩句ともども、これを吐き出したブウプラゴスはただちに焼却して埋葬し、軍陣の浄めをして、ゼウス・アポトロパイオス〔厄除けゼウス〕に供犠し、また、何を為すべきかお伺いを立てるべく、デルポイに使いを遣ることであった。

 [6]かくて、祭使たちがピュトーに到着し、何を為すべきかを聴くと、ピュティアは次のような託宣を述べた。
今こそ自重せよ、ローメー人よ、しかして正義をして立たしめよ、
パッラス〔アテーナ〕が汝に襲いかかり、はるかに屈強のアレースから
〔戦利〕品を失うことのないために。して汝は、幼き者よ、多くの苦労を重ねて
汝の土地に帰るべし、多くの至福を台無しにして。
 [7]この言葉を聞いて、エウローペーに住まう者たちのいずれかに遠征することをことごとく断念し、荷造りして、上述の場所からアイトーリアのナウパクトス — ここにはヘッラス人たち共通の神殿がある — に到着し、供犠と、仕来りどおりの公費による初穂祭の支度をした。

 [8]以上のことが完了したとき、将軍ポプリオスが狂気におちいり、気がふれて、憑かれたように多くの埒もないことを口走ったが、そのあることは韻律をもち、また散文のものもあった。このことが兵大衆に伝わるや、皆してポプリオスの幕舎に馳せ参じ、かつは、指揮にかけては経験深く、自分たちの中で最強・最有能な人物の不幸に、不安に駆られて呆然とし、かつは、何が言われているのかを聞こうとした結果、そのいくつかの内容に打ちのめされて、ますますもって否応なく窒息の憂き目をみるありさまであった。彼によって韻律をもって言われたのは、彼がまだ幕舎の内にあるときだが、こういう内容である。
おお、祖国よ、いかにまがまがしきアレースをばアテーネーは汝に送りたまうか、
幸い多きアシアを蹂躙し、イタリエーの地 — ゼウスの建設したまえる
愛しき三角島(Thrinakie)なる花冠もよろしき都市に着きしとき。
すなわち、精兵も多き剛毅の遠征軍が、
太陽の昇る地 — 遠くアシエーより到来し、
王はヘッレースポントスの狭き通路を渡り来たって
エーペイロース人なる君主と固き誓いを交わすであろう。
しかして、アシエーから、はたまた愛しきエウローペーから、
数限りなきアウソニエーの遠征軍をば駆りあつめ、
汝を征服し、死におくれた者らや市壁をわがものとし、
自由の日を終わらせて、万人を奴隷の境遇に
陥れるであろう。度量広きアテーナイエーの憤怒のゆえに。
 [9]こういった詩句を言うと、下着(chiton)のまま幕舎の外に飛び出し、散文でこういうことを口走った。「お明かししよう、おお、将兵ならびに市民諸君、エウローペーからアシアに渡って、貴殿らはアンティオコス王との海戦・陸戦に対陣して勝利し、タウロスのこちら側の全地と、その地に建設された諸都市を制覇して、アンティオコスをシュリアに追い払った。そして、この〔地〕と諸都市とをアッタラスの息子たちに返し、アシアの住民たるガラタイ人たち — 貴殿らに反抗した連中を打ち負かし、その女たちや生みの子どもや、ありとあらゆる備品を貴殿らはわがものとし、エウローペーへとさらっていった。しかるに、エウローペーの住民たちは、プロポンティスとヘッレースポントスとの間のトラケーの海岸地帯を、遠征によって解放した貴殿らに、アイノス〔アイトリアの都市〕人たちの領地を争って襲いかかるであろう、そして何人かを戦死させて、襲撃の分け前にあずかることであろう。さらに、〔生き残った?〕他の者らが  ローメーへと運ばれる間に、アンティオコス王との間に条約が成立するであろう。そのために〔彼アンティオコスは〕金銭をつぎこみ、だれかの領土を離叛させているのであるから」。

 [10]これだけのことを述べあげると、号泣しながら大声で次のことを言った。「わしには見える、アシアから青銅に身をかためた軍勢と王、さらにはありとあらゆる族民が、エウローペー攻撃に同じところに集結し、疾走する馬蹄のとどろき、血まみれの殺人、恐ろしい掠奪、物見櫓と市壁の倒壊、数えきれぬ領土を破壊して荒れ野となすのが」。

 [11]これだけのことを云うと、再び詩韻によって次のようなことを言った。
黄金の前立てをつけしネーサイオン〔平野〕の馬たちが
貴き地に侵入する、われらが防柵を尻目に
— かつてわれらの町に〔これを〕造りしは、幸多きシュレークウサイの
老巧なるエーエティオーン、愛しき友愛を深めんとて、
青銅の礎の上に据えつけ、結わえには黄金の結び目を
つけ、ありとある光線の中に、ヒュペリオーンの子
眼にも綾にきらめくそのかたをつなぎとめた —
げにもそのとき、汝に、ローメーよ、ありとある難儀なる苦痛が結果せん。
すなわち、幅広き軍勢が到来し、汝の全領地を破壊し、
財物を失い、町は大水に見舞われ、
地は河川に満ち、冥府にも満ち、
嘆かわしき、忌まわしき、名状しがたき奴隷の勤めをすることになろう。
女も、戦争から帰還する良人を迎えることもなく、
冥府〔ハデース〕、地下に住まいする黒衣の神は
亡じにし者どもの中に、母親から奪いし生みの子をもろともに得、
かくて異邦のアレースは奴隷の日を〔ローメーに〕押し着せるであろう。
 [12]これだけの発言をすると、沈黙し、軍陣の外に歩み出ると、一本の樹に登った。兵の群がついてゆくと、これに呼びかけて、次のようなことを云った。「わしは、おお、ローメー人および自余の将兵諸君、今日という日に、炎のごとき巨大なオオカミにむさぼり食われて命終することになっている。しかし貴殿らは、わしによって云われたことが、すべて貴殿らの身に起こることを知るであろう。そして、今に起こる獣の出現とわしの殺害とをもって、わしがある神的な啓示によって真実を云ったのだということの証拠となさるがよい」。これだけのことを云うと、遠ざかるよう、そして、獣が近づいてきても誰のそれを邪魔せぬように彼らに命じ、もしも追い返したら、かれらに得にならぬと主張した。

 [13]兵大衆が命令されたとおりにすると、間もなくオオカミがやってきた。ポプリオスはこれを眼にするや、樹の上から下りてきて、仰向けに横たわった、するとオオカミは、万人環視の中、彼を食いちぎってむさぼった。そして、その身体を、頭を除いて食い尽くすと、山中にもどっていった。

 [14]兵の群が近づいて、残骸を収容し、これを仕来りどおり弔おうとしたとき、大地に置かれた頭が次のような詩句を述べた。
われらの頭に触れるべからず。アテーナイエーが
荒々しき怒りを心にいだきし相手にとって、神の頭(こうべ)に触るるは、
掟にあらざればなり。否むしろ手を退いて、
占いの業に耳傾けよ — その業もて汝に真実を述べんほどに。
されば、この地に大いなる頑強のアレース来たりて、
またもや石の物見櫓、長き市壁を打ち壊し、
われらが幸い、幼き生みの子、はたまた伴侶をも
捕らえ、波を越えてアシエーに攫い行かん。
これを汝に云うは、過つことなきポイボス・アポッローン
ピュティアにおわすこの神こそ、御みずからの頑強の召使い〔オオカミ〕をば我にさしつかわして
冥福者たちの、そしてペルセポネイエーの館へと導きたまいしかた。
 [15]以上の詩句を聞いて、〔兵たちは〕非度い混乱に陥り、頭の置かれていたところに、アポッローン・リュキオスの神域と祭壇を建造すると、艦船に乗りこみ、めいめいがそれぞれの祖国へと出航した。かくて、ポプリオスによって云われたことはすべてが成就することになったのである。


第4章

 [1]ヘーシオドス、ディカイアルコス、クレアルコス、カッリマコス、他にも何人かの人たちが、テイレシアスについて次のことを記録している。エウエーレースの子テイレシアスはアルカディア[の男であるが]、キュッレーネーの山中でヘビが別のヘビと交尾しているのを眼にして打ったところ、〔テイレシアスは〕たちまちにして形姿を変えた。すなわち、男から女になって、男と交わることになった。

 [2]しかしアポッローンが彼に託宣して、交尾しているヘビを追いかけ、そのひとつを同じように打てば、もとどおりになろうとあったので、テイレシアスはこの神に言われたことを守って実行したおかげで、そうやってもとの自然をとりもどした。

 [3]ところが、ゼウスがヘーラと口論して、性交においては女の方が男よりも性愛の快楽の点でまさっていると主張し、ヘーラはその正反対のことを主張したため、その両方を経験したことがあるゆえをもって、テイレシアスに訊くべく呼び寄せるのがよいと彼らに思われた。問いただされた彼は、10ある快楽のうち、男が享受するのは1、女は9だと言明した。

 [4]ヘーラは怒って、彼の両眼を抉りだし、盲目としたが、ゼウスが彼に占いの才を与え、7世代にわたって活かしたという。


第5章

 [1]同じ人たちが記録しているところでは、ラピテース族の領地のエラトス王に、カイニスと名づけられた娘が生まれたという。

 [2]この娘とポセイドーンが交わって、何でも望みのことをしてやると彼女に約束し、彼女は自分を男に、それも不死身の男に変えてくれるよう要求した。

 [3]ポセイドーンが要求されたとおりしてやったので、〔彼女は〕カイネウスという〔男名〕に改名されたという。


第6章

 [1]マイアンドロス河畔のアンティオケイアでも、男女(androgynos)が生まれた。アテーナイでアンティパトロスが執政官の時、ローメーでマルクス・ビニキウスとティトゥス・スタティリウス・タウルス — クルビヌスと通り名された人物 — とが執政のときである。

 [2]すなわち、貴顕の両親をもった処女が、13歳になったので、多数の者たちに求婚された、気だてのよい娘だったからである。ところが、両親が望んだ相手と婚約し、結婚の当日になって、家から出かけようとしたときに、にわかに激烈このうえない苦痛が彼女を見舞い、〔処女は〕悲鳴をあげた。

 [3]親類縁者が彼女を助け、胃の痛覚や内臓〔腸〕のさしこみに見舞われたものとおもって看病した。しかし、痛みは3日間ずっと続き、激痛がみなを行き詰まりに陥れ、激痛は夜も昼もゆるむことなく、あまつさえ、国じゅうの医者たちがどんなに手当てしても彼女には利かず、激痛の原因さえ何ひとつ発見できぬまま、4日目の明け方、激痛のより大きな高進があり、大きな呻き声をあげたとき、突如、彼女に男性の性器が勃起し、乙女は男になった。

 [4]しばらく後、ローメーのクラウディウス皇帝〔在位、41-54〕のもとに連れてゆかれた。皇帝は、この徴のせいで、カペトニヌス丘にまします厄除けゼウス〔Alexikakos Deus〕に祭壇を建造した。


第7章

 [1]メーウーアニア — イタリアの都市 — でも、セバストス〔アウグストゥス帝〕の娘アグリッピネーの居宅で男女(androgynos)が生まれた。アテーナイでディオニュソドーロスが執政官のとき、ローメーでデクムス・ユニウス・シラヌス・トルキュアヌスと、クィントゥス・ハテリウス・アントーニウスとが執政のときである。

 [2]すなわち、名をピローティスというある処女 — 生まれはスミュルナ〔リュディアのイオニア地方の都市〕女 — が、両親によって婚約が整い、男と結婚しようとした時に、彼女に男性の性器があらわとなって、男になったのである。


第8章

 また、同じころに、別の男女(androgynos)がエピダウロスで生まれた。困窮した両親の子で、それまではシュムペルウサと呼ばれていたが、男になってからは、シュムペローンと名づけられ、庭師をして生涯をすごした。


第9章

 さらにシュリアのラオディケイアでも、名をアイテーテーという女が、夫といっしょになったが、やはり形姿を変え、男となってからはアイテートスと変名した。アテーナイでマクリノスが執政官の時、ローメーでラミアのルキウス・アエリアヌスと老セクストゥス・カルミニウスとが執政のときである。この〔男女(androgynos)〕はわたしも自分の眼で見た。


第10章

 ローメーでも男女(androgynos)が生まれた、アテーナイでイアソーンが執政官のとき、ローメーでマルクス・プラウティウス[とセクストゥス・カルミニウス・]ヒュプナイオスとマルクス・フルウィウス・フラックスとが執政のときである。これが原因で、元老院は祭司たちにシビュッレーの神託を書き上げるよう命じた。彼ら〔祭司たち〕は宥め、神託を撰集した。

 その信託とは、以下のとおりである。
 〔以下、31行と43行の2つの神託が記されているが、わたしの力量ではとうてい訳せませぬ。精進して出なおしてきますです、ハイ〕


第11章

 [1]メッセーネーでは、遠くない昔、アポッローニオスの主張では、石で造られた瓶が、嵐と大水の力で運ばれてきたので壊された、するとその中から人間の3倍もある頭がはみ出してきた。2列の歯を持っていた。

 [2]この頭が誰のものかを調査していて、碑銘を明らかにした。すなわち、「イーダース」と刻されていたのだ。そこで、メッセーネー人たちは、公費で別の瓶をこしらえ、もっと安全なところにこの半神を葬った。この半神を、ホメーロスが主張しているその半神であるとみなしたのだ。
イーダース、そは当世、地上にある人間どものうちでもっとも力強き者、
踝(くるぶし)麗しき早乙女のために、げにも主神ポイボス・アポッローンにさえ
刃向かって弓とりし者。     〔Il.IX_558〕


第12章

 またダルマティア〔アドリア海の東岸に広がる地域〕でも、いわゆる「アルテミスの洞窟」の中には多数の屍体を眼にすることができ、これの肋骨は16ペーキュスをこえるという。


第13章

 文法学者のアポッローニオスが記録しているところでは、ティベリウス・ネロ〔Tiberius 〔Claudius〕 Nero(在位、54-68)〕の御代に、地震が起こって、アシアの数多くの名のある都市が跡形もなく消滅した。これを後にティベリウス帝が自らの出費で再興した。これに応えて〔人々は〕彼の巨像をこしらえて、ローメー人たちの市場にあったアプロディーテー神殿の傍らに立てたが、諸都市も次々と人像を並べ立てた。


第14章

 [1]またシケリアでも、地震によって少なからざる諸都市と、レーギオン近辺の地域も被害を受けた。ポントスの少なからざる族民も地震に揺られた。

 [2]地割れまで起こって、そのせいで巨大な身体が現れ、これに驚倒した地元民たちは、移動させることをためらったが、見せ物にするため1体の歯をローメーに送った。〔その歯は〕1プースどころか、その尺度さえ超えるものであった。

 [3]ティベリウス〔Julius Augustus Tiberius(在位、14-37)〕のご覧にいれて、この半神が彼のもとに輸送されることを望むかどうか、使節団が尋ねた。これに対して、帝が賢明にも望んだのは、自分がその大きさを知る機会を失うことなく、かつ、屍体盗みという不敬行為を回避することであった。

 [4]すなわち、ひとりの無名ならざる測定家 — 名をプウルクロスといい、その術知によって彼〔ティベリウス帝〕に重用されていた — に、歯の大きさに応じた顔を塑造するよう命じた。そこで彼〔プウルクロス〕は、歯のでかさから推して全身とその顔がどれくらいになるか計測して、すぐに製作して帝王のところに運んだ。するとくだんの〔帝王〕は、この見物に満悦なりといって、その歯をかしこ — それが運送されてきたところに送り返した。


第15章

 [1]〔上に〕述べられたことを信じないわけにいかないのは、アイギュプトスでも、ニトリアイという地方があって、ここでそれに劣らぬ身体が露出している、〔それは〕地下に埋蔵されているのではなく、白日のもとにさらされ、まぜこぜにもならず、ちぐはぐにもならず、きちんと並んでいて、近づくと、これは大腿骨、これは脛やその他の四肢の〔骨〕とわかるほどであった。

 [2]それゆえ、慧眼の士なら信じないわけにいかないであろう、 — 往古、自然は盛時にあって、万物は神々に近く育ちあがったが、時代がくだるにつれて、大きな生き物たちも衰退したということを。


第16章

 ロドスにおいても、大きさでいえば、比較すると現今の人類などはるかに及ばないほどの〔大きな〕骨をわれわれは代々伝えている。


第17章

 同じ人の主張では、アテーナイの近くにひとつの島があるという。アテーナイ人たちはこの島を防壁で囲おうとした。そこで壁の基部を掘削していたところ、100ペーキュスもある棺が見つかり、その中に、棺と同じ大きさのミイラが入っていた、その棺には次のように刻されていたという。
マクロセイリス〔「長い縄(尻尾?)」の意〕、小さき島に埋葬さる
齢5000年を生きての後に。


第18章

 またエウマコスは、その『周遊記(Periegesis)』のなかで主張している、 — カルケドーン人たちが自領に堀をめぐらせるために掘っていたところ、棺のなかに横たわる2体のミイラを見つけた、そのうちの1体は身の丈24ペーキュス、もう1体は23ペーキュスあったという。


第19章

 [1]シノーペー〔黒海南部沿岸パプラゴニアの都市〕人テオポムポスが『地震について』の中で主張しているところでは、キムメリオス・ボスポロスで、突如、地震が起こり、彼らのところにある丘のうち、ある山の背が崩れて特大の骨を露出させた結果、身の丈24ペーキュスあるミイラが見つかったという。

 [2]また、彼の主張では、この骨を近在の非ギリシア人たちはマイオーティス湖〔アゾフ海〕に投げすてたという。


第20章

 ネロのもとに、四頭で、その他の部分も釣り合いのとれたのを有する嬰児がもたらされた。アテーナイでトラシュッロスが執政官のとき、ローメーでプブリウス・ペトロニウス・トゥルピリアヌスと、カエセンニウス・パエトゥスとが執政のとき〔いずれもA.D. 61年の執政〕である。


第21章

 また別の嬰児で、右肩の上に生えついた頭をもったのも生まれたことがある。


第22章

 ローメーで意外な徴(paradoxon semeion)が現れた。アテーナイでデイノピロスが執政官、ローメーでクィントゥス・ウェラニウスとガイウス・ポムペイウス・ガッルスとが執政のときである。すなわち、将軍職にあったライキウス・タウルスの妻の召使い女は、高位・高官の連中〔と交わって〕猿を分娩したのである。


第23章

 コルネーリウス・ガッリカヌスの妻は、ローメーでアヌビスの頭をもった嬰児を産んだ。アテーナイでデーモストラトスが執政官、ローメーでシリア人アウルス・リキンニウス・ネロとアッティカ人マルクス・ウェスティヌスとが執政のときである。


第24章

 イタリアの都市トリエント出身の女がとぐろ巻いた蛇を出産した。ローメーでドミティアヌス皇帝〔在位81-96〕が9回目の執政、ペティッリウス・ルフスが2回目の執政のとき、アテーナイで執政官不在の年である。


第25章

 ローメーである女が2頭の児を分娩したが、この児は犠牲占い師たちの指図でティベリス河に投げこまれた。アテーナイで後に帝王となったハドリアヌス〔在位117-38〕が執政官のとき、ローメーで皇帝トラヤヌス〔在位78-117〕が6回目の執政、ティトゥス・セクスティウス・アフリカヌスが執政のときである。


第26章

 医師のドーロテウスが『覚書』のなかで主張するところでは、アイギュプトスのアレクサンドレイアで、稚児が出産したが、この産児は意外(paradoxon)だったのでミイラにされて保存されたという。


第27章

 ゲルマニアにあったローメーの軍隊 — ティトゥス・クルティリウス・マンキア麾下の部隊であった — のなかで、上と同じことが起こった。すなわち、出産したのは将兵の奴隷であった。アテーナイでコノーンが執政官、ローメーでクィントゥス・ヴォルシウス・サトゥルニヌスと、プブリウス・コルネリウス・スキピオが執政のときである。


第28章

 さらにまたアンティゴノスが記録しているところでは、アレクサンドレイアで、一人の女が24回出産し、その大多数を育て上げたという。


第29章

 [1]また、同じ都市で、別のある女も、1回の出産で5人の子を分娩し、3人は男児、2人は女児で、これらを帝王(autokrator)トラヤヌスは自分の費用で育てるよう命じた。

 [2]さらに1年後、この同じ女が再びもう3人産んだ。


第30章

 ヒッポストラトスは、『ミノースについて』という書の中で主張する、 — アイギュプトスはネイロス〔ナイル〕河神の娘エウリュッロエーというたったひとりの妻から50人の息子をもうけた、と。


第31章

 ダナオスも同様に、ネイロス河神の娘エウローペーというたったひとりの妻から50人の娘を得たという。


第32章

 クラテロスの主張によれば、アンティゴノス王の兄弟は、5歳〔以上に〕なった者で、若者であれ、成人であれ、老人であれ、既婚者であれ、子をつくった者であれ、これを殺害した者には有罪判決を下したという。


第33章

 メガステネースの主張では、パダイアに居住する女たちは、6歳になると子を産むという。


第34章

 [1]アラビアのサウネーという都市で、非常に高い山で馬身ケンタウロスが発見された。この山は致命的な毒草に充ち満ちている。その毒草は、都市と同じ名称で呼ばれており、破滅の迅速さと薬効を最高に発揮する。

 [2]王は、この馬身ケンタウロスを生け捕りにして、ほかの贈り物といっしょにアイギュプトスの皇帝のもとに送り出した。これの食べ物は肉である。しかし、風土の変化に堪えられず命果てた、そこでアイギュプトスの総督(eparchos)はミイラにして、ローメーに送り届けた。

 [3]かくて、初めてこの王国で見せ物にされたのであるが、その顔は人間のよりも獰猛であったが、腕とその指はミイラ化しており、肋骨は前脚と腹部をつないでいた。その蹄は馬の硬蹄で、たてがみは、ミイラ化したせいで皮膚ともども黒っぽかったものの、黄色がかっていた。大きさは描かれているほどではなかったが、逆にまた小さくもなかった。


第35章

 上述の都市サウエーでは、馬身ケンタウロスたちがほかにもいたと言われている。ローメーに送られたということを信じない人がいても、調べることができる。なぜなら、ミイラにされて皇帝領に保管されていることは、上述したとおりだからである。

//END
2003.03.08. 訳了


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