ボーロス 生涯と著作
魔法と科学の間
ボーロス
デーモクリトス断片300
|
デーモクリトス断片300
[底本]
TLG 1304
DEMOCRITUS Phil.
(5-4 B.C.: Abderita)
Cf. et BOLUS Phil. et Med. (1306).
2 1
1304 002
Fragmenta, ed. H. Diels and W. Krantz, Die Fragmenta der
Vorsokratiker, vol. 2, 6th edn. Berlin: Widmann, 1952 (repr.
Dublin/Zurich; 1966): 130-224.
5
fr. 300 = fragmenta Boli.
(Q: 14, 834: Alchem., Gnom., Phil.)
『ソクラテス以前哲学者断片集』第IV分冊(岩波書店、1998.2.)
Fragment 300
300."tit 1-2"
ボーロスの『ケイロクメータ』と『薬効ある自然物』(『共感性をもつものらと反発性をもつものらについて』)
ナイルデルタの都市メンデスの人ボーロス(カッリマコスによる)については、Müller, Diels, Maass, Oder, Weidlich, M. Wellmann を参照。ボーロス-デーモクリトスは、アプロディシアスのクセノクラテースを介してプリニウス『博物誌』XX-XXX, XXXIV-XXXVIIへ、さらにクラテウアスを介してセネカへ、等々の経路で伝えられた。これらの資料源の問題およびボーロスの著作活動についてはM. Wellmann参照。『ケイロクメータ』という書名は、E. H. F. Meyerによる「手書きの証書」で説明することはできない。『スーダ』の「ゾーシモス」の項の、「『姉妹であるテオセピアに与うる錬金術』(アルファベット順28巻からなる。ある人びとは『ケイロタメ一夕』と題する)」によって説明すべきである。『イムゥト』(=イムホテプ=アスクレビオス)とも呼ばれるこの書物の大断片がシリア語で保存されている。その第8巻の緒言には次のようにある。「ここで説明されているのは、人の手によって行なわれ、ケイロトメータ〔原文のまま〕と呼ばれる操作がその中に見られるような種類の多数の技術である」(Berthelot)。したがって「ケイロクメ一夕」は「ビュシカ(・デュナメラ)〔(薬効ある)自然物〕」と対立するものである。周知のように予言術においてもその基礎をなしているこの二分法は、アリストテレス『自然学』B1. 192b8-30(ここにはceirokmhvtwnとある)にまで遡る。『ケイロクメータ』の内容と意義についてはM. Wellmann 参照。「『ケイロクメ一夕』の内容は、プリニウス『博物誌』XX-XXVIII, XXXII (一部はデーモクリトス派のアポロドーロス、一部はアナクシラオスもしくはアピオンに由来する)、ラジの『医学体系(本質の書)』(イブン・アル・バイタルが引用。資料源はアポロニオス。M. Wellmann 参照)、およびアラビア人イブン・ゾフル(1131年セビリャで没)の同名の書から復元できる」(M. Wellmann)。『デュナメロン(薬,薬物)』は古代の医学・薬学書にしばしばつけられた題名である。プロモトゥスおよびニコラオス・ミュレプソス『デュナメロン』(ギリシア語校本未刊)を参照。
"300, 1".1
SUID.
ボーロスはメンデースの人のピタゴラス派。その著作は『読書から関心へとわれわれを導く諸々の研究について』、『驚くべき事物について』、『薬効ある自然物』。また『字母順・共感性をもつものらと反発性をもつものら……諸々の石について』、『太陽、月、熊座、灯火、虹に読み取れる徴について』がある。[別の資料によって]ボーロス-デーモクリトスは哲学者。その著作は『歴史探究』『医術』(自然の与える何らかの助けによる自然物を用いる処方を扱う)。
"300,.".1
VITRUV. IX 1, 14
私はまた、デーモクリトスの『事物の本性について』の諸巻および彼の『ケイロクメータ』と題する論考にも賛嘆を禁じえない。後者においても彼は、ちょうど柔らかい蝋に捺印する〈ように〉、試みた療法に自らの印を残している。
PLIN. N. H. XXIV 160
『ケイロタメ一夕』がデーモクリトスの手になることは確かな事実である。しかし同書における彼は、ピタゴラス以後の最も熱心なマゴスであって、なんとも異様な事柄を語っている。例えば、アグラオポティス草は、際だって美しい色彩ゆえにその「人びとの感嘆の的」という名を得たのだが、アラビアのペルシア国境地帯の大理石(マルモル)に生え、それゆえにマルマリティスと呼ばれる、と彼は言うのである。また、この草をマゴスは神々を招きたい時に用いる、とも。……[167]これらに、彼デーモクリトスの信奉者であるアポロドーロスはアエスキュノメネ草を付け加えた。
"300,3".1
COLUM. VII 5, 14
しかし高名なエジプト人著作家メンデースの人ボーロスは この人のギリシア語で『ケイロクメータ(Ceirovkmhta)』と呼ばれる著作は,誤ってデーモクリトスの名で伝えられている 、次のように考えている。この病気〔丹毒〕に関しては、もっと頻繁にかつ入念に羊の背を検査すべきである。それは、もし仮にいずれかの羊がこの病気に羅患していることが判明した場合、ただちに畜舎の入り口に穴を掘り、罹患した羊を生きながら仰向けに埋め、健康な羊にその上を歩かせるためである。そうすることでこの病気が追い払われる、と彼は考えるのである。
XI 3, 53
しかしエジプト人著作家メンデースの人ボーロスによれば、これはより軽微な労力で行なうことができるという。彼の勧めるところでは、畑のよく陽が当たり、肥やしの効いた場所にウイキョウとキイチゴを互い違いに植えておき、次いで春分が過ぎた後、前者を地面より少し下で切り、……[61] 古い著作家たちの中には、デーモクリトスのように種子をすべてヤネバンダイソウと呼ばれる草の液汁で処理せよ、また害虫に対しても同じ治療法を用いよと教える者がいる。……[64] しかしデーモクリトスは,ギリシア語で『反発性をもつものらについて』と題する書物で、月経中の女性が髪をほどき、裸足で畑の各区画を三度回ればこの同じ害虫〔芋虫〕は死んでしまうと断言している。
"300,4".1
SCHOL. NICANDR. Ther. 764
デーモクリトス派のボーロスは『共感性をもつものらと反発性をもつものらについて』で、ペルシア人は自国に生える致死性の植物をエジプトに植えて多数の人間を殺そうとしたが、エジプトは、風土がよかったため効果を正反対に変え、 その植物を極めて美味な実をつけるようにしてしまった、と言っている。
"300,4 a".1
CRATEUAS ed. M. Wellmann 18, 14 [Abh. d. G. G. d. W. N. F. II 1]
ルリハコベ(=AnagallivdeV)〔Dsc.II-209〕……これはデーモクリトスの処方集でも用いられている。
"300,5".1
PLUT. Quaest. conv. II 7, 1 p. 641 B
反発性についてしきりと無駄口をたたく者たちもいた。そして〈反発〉性をもつものについては他にも多くのことを耳にしたが、〈その中に次のようなこともあった〉。つまり、荒れ狂った象は子羊を見ると静まる、……
"300,6".1
PLIN. N. H. XXV 23
[『草本の効用について』という書物を著したビュタゴラスに続いて]デーモクリトスもまた同種の書物を著した。両人ともペルシア、アラビア、エティオピア、エジプトのマゴスたちを訪ねている。そして往古の人びとは両人の著作に眩惑されて、到底信じられぬようなことまで断言するに至ったのである。
PETRON. 88, 2
というのも、その昔、なんの飾りもない美徳がなお愛されていた時代には、高貴な学芸が栄えており、人間どうし最も激しく競い合って、後世を益するものをいち早く見いだそうとしていたものだ。こんなふうだったからデーモクリトスはありとあらゆる草本の液汁を搾り出し、岩石や潅木の効能を明らかにしようとしてその生涯を実験のうちに過ごしたのだった。
"300,7".1
GAL. de simpl. medic. X, 1 (XII 250 K.)
動物についてクセノクラテースと同様のことを書いた者は他にもいる。クセノクラテース自身もたいていの場合そういう人びとから引き写しているのである。というのも、このような事柄をこれほど数多く自ら実地に検証することがどうして可能だろうか。ともかく、かつてわれわれの王であったアッタロスはこのような事柄を実地に体験することに並々ならぬ野心を持っていたが、それでも明らかにこれほど多くのことを書いてはいないのである。私の弟子の一人が、〈ヘルメスの〉同じ題材を扱った論考を誉めて、その論考をも詳細に検討する機会を与えてくれたのだが、私の見るところ,それは著者が自分の眼で見て書いたものではないようである。それゆえ私としては、バシリスコスについても象についてもナイル河の馬についても、また他の何についても……言及しない。[本章B 300,13a参照]
PLIN. N. H. XXVIII 112
デーモクリトスは、カメレオンはまるまる1巻(!)の書物をあてる価値があ ると考えている……
これに対して、GELL. X 12, 1で批判。
〔参照〕GELL. X 12
[6] プリニウス・セクンドゥスが記したこれらの怪異や眉唾ものの話はデーモクリトスの名を冠するに値しない、と私は思う。[7] あるいは、これは同じプリニウスが第10巻[137]で、ある種の鳥は云々とデーモクリトスが書いていると主張しているのと同じようなものだ……[8] しかしながら、悪知恵の働くこれらの人びとによってこの種の作り事が数多くデーモクリトスの名で公にされているようである。彼らはデーモクリトスの名声と権威を隠れ蓑にしているのである。
(もっとも、ゲリウス自身次のような引用を行っている。IV 13, 2)
しかるべく旋律をつけて笛を吹けばマムシに咬まれた傷を癒す、と〈***〉と題するデーモクリトスの著作にも報ぜられている。その著作でデーモクリトスは、笛の音を奏でることが非常に多くの患者にとって薬となったと教えているのである。
"300,7 a".1
ANON. ROHDEI (Kl. Schr. I 397)
デーモクリトスは、自分でもその動物を目の当たりに見たとして次のように記 録している。「バシリスコスというこの怪物(デーモクリトスは、こう呼んでい る)は、体は小さく、動きは鈍く、頭はとがっており、その上に星型の王冠のような飾りを戴いている。皮膚は黄色で、力は比類なく、これを凌ぐものはない。リビュエのキュレネ地方の奥地で見られる。そこにはプシュロイと呼ばれる人間の一族もいる。というのもプシュロイ人はこの怪物の咬み傷を治療できるからである。この怪物に対しては家で飼われているイタチが反発性をもっている。バシリスコスはイタチの臭いにも姿にも耐えられず、即死してしまうのである。またイタチは、巣穴の前でバシリスコスを見つけるとばらばらに引き裂いてしまう」。反発性の力はこのようなものである。
300.8
[「デーモクリトス」を典拠とする博物学上の驚異や共感性による治療法は頻出する。プリニウス『博物誌』VIII 61, XI 80, XIII 131, XIV 20, XV 138, XVII 23, 62, XVIII 47, 159, 321[ウェルギリウス『農耕詩』I 276 ff.の引用を伴う]、XX 19, 28, 149, XXI 62, XXIV 156 XXV 13, 14, XXVI 19, XXVII 141, XXVIII 7, 118, 153, XXIX 72, XXXII 49, XXXVII 69, 146, 149, 160, 185。ソリヌス『異聞集』I 54 p.13, 4 Momms., III 3 p.45, 15(両者いずれもプリニウスには依拠しない。アンミアヌス・マルケリヌス『ローマ史』XXVIII 4, 34。コルメラ『農耕について』VI 28, VIII 8, 6 IX 14, 6, XI 64。パラディウス『農事記』I 35, 7。さらに『農事記集成』におけるアナトリオス(デイオン・カッシオス、ケルスス、プリニウス、アフリカヌス、アプレイウスなどを介したもの)には極めて多い。天候の予知、共感性に基づく治療法(毒草、害虫、野獣などに対する)が記載されている。ボドレー図書館蔵のエビクテトスへの古注p. LXXIII 2 Schenkl 参照。『農事記集成』II 6に引用されたデーモクリトス著『水脈占いの技術』についてはOder, Philol. Suppl. VII (1899)240 ff.参照。]
SCHOL. BASIL. 21[ed. Pasq. Gött. Nachr. 1910, 200]
デーモクリトスには『井戸掘りの技術』という論文がある。他にも『水脈占いの技術』を書いた人びとがいる。
300.9
[東口ーマ帝国時代の偽書デーモクリトス著『共感性と反発性について』(ed. W. Gemoll Striegau 1884)は、アイリアノス『動物誌』I 35-38, VII 7-8 およびアナトリオス[『農事記集成』XIII および XV]に依拠している。]
"300,10".1
[ボーロスの著作『反発性について』の相当部分が人間の疾病を扱っていたことは明らかである。]
CELSUS I prooem. p. 2, 11 Dar. (CML I 18)
それゆえ、哲学を業とする人びとの多くがそれ〔医術〕に通じていたことをわ れわれは知っている。彼らのうち最も著名なのはビュタゴラス、エンペドクレー ス、デーモクリトスである。
TATIAN. 16. 17 p. 18, 6 Schw.
たしかに病気ということも、またわれわれの内なる物質の(機能の)停止とい うこともある。しかしその原因は神霊(ダイモーン)なのであって、人びとは病 気にかかると〈その神霊に〉責めを負わせる。病気が人を捕らえるときには、神霊がその人を襲っているのである(しかし時には、人自身が自分の愚かさという嵐でもって自分の身体の状態を動揺させる場合もある)。神の力を帯びた言葉に打たれると、これら神霊は恐れをなして逃げ去り、病気は癒される。[17] デーモクリトスに基づく共感性と反発性については、このアブデラ人は、巷間でよく言われるとおり、いかにもアブデラ人らしい愚にもつかぬことをしゃべくっているとしか言いようがないのである。
CAEL. AUREL. IV 1
しかし古い時代の医師のうちだれ一人としてこの疾病(象皮病)の治療法を処 方したものはいない。例外はテミソンと,哲学者のうちではデーモクリトス。ただし彼が象皮病について書物を書いたと言われているのが本当ならば、であるが。
ANECD. PARIS. [ed. Fuchs Rhein. Mus. 49, 1894, 557]
古い時代の医師のうちだれ一人象皮病に言及していない。哲学者のうちではデーモクリトスが、その『象皮病について』という書物で言及している。
ORIBAS. XLV 28, 1 CMG VI 2, 1 III 184
デーモクリトスに帰せられる、この疾病(象皮病)に関する書物は明らかに偽書である。
"300,11".1
Excerpte im VATIC. gr. 299f. 304ff. [Rohde Kl. Schr. I 383, ediert von M. Wellmann Berl. Sitz. Ber. 1908, 625ff.]
デーモクラテース[写本のまま]の『頭痛について』、デーモクリトスの『眼について』、アブデラの人デーモクリトスの『眼の炎症について』、デーモクリトスの『眼の異常充血に対する処方』、デーモクリトスの『倒睫症(さかまつげ)について』、デーモクリトスの『眼の下に生ずる痣に対する処方』、デーモクリトスの『結膜の浮腫について』、デーモクリトスの『眼球の混濁について』、『目の下の黒痣,青痣に対する処方』、デーモクリトスの『口蓋垂の炎症について』、デーモクリトスの『胃の嘔吐に対する処方』、アブデラ人の『鎮吐剤』。
AEL. PROMOT. c. 26 [nach Marc. 295]
ペストの症状を呈し、皮膚が鉛色になった患者への処方……デーモクリトスの 著作中には他に沼沢の瘴気に当たった患者への処方もある。[以下,処方が続く]
"300,12".1
[『共感性について』における共感性による治療法中、最も恐ろしげなものは、マゴスのオスタネース[OstanesあるいはOsthanes]の名に結びついていたように思われる(註)。]
いわゆるオスタネースはボーロスの著作活動の模範であった。オスタネースはボーロスの『共感性について』と同じ構想による『自然学』を書いた。「石について」の部分の断片が二つ医師のアエティオス『医学』II 32.30に保存されている。V. Roseをさんざん悩ませた忌まわしい「デモステネース(ディオゲネース)」は、オスタネースである。これと同じテクストの損壊がキュプリアヌスの『神がみの似像はあってはならないということについて』6に見られる.写本cod.Sangermanensis(9世紀)の当該個所では、第二の書き手によってhosthenesがdemosthenesに訂正されている。(M.Wellmann)
TATIAN. 17 p. 18, 15
[300.10に掲げた一節に続いて]そのポリスの名の由来となった人[アブデラの建国者であるアブデロス]はヘーラクレースの友であったと言われるが、この人物がディオメデースの馬たちに喰らい尽くされたのと同じく、マゴスのオスタネースを褒めそやす者〔デーモクリトス〕は、最期の日には永遠に燃える火の餌食とされるであろう(註)。……この病いは反発性にもとづく治療では退治できないし、狂った者は皮の護符をぶら下げたところで癒されはしない。
ヘーラクレースを苛んだ、ケンタウロスのネッソスの血を染み込ませた胴着のイメージ。魔術の創始にはケンタウロス(ケイローン)が伝統的に結びつく。(Dumont)
APUL. Apol. 27
確かに彼らは、あたかも生じることを知っている事物を生じさせることもまた彼らにはできる かつてエビメニデースやオルペウスやピュタゴラスやオスタネースがそうであったように かのように,マゴスと俗に呼ばれている。[ザカリアス・スコラステイクス『セウエルス伝』S.62 ed. Kugener 参照]
"300,13".1
PLIN. N. H. XXX 8ff.(註1)
私が見いだした限りでは、それ[魔術(マゴスの術)]に関する著作物が現存する最初の人はオスタネースである。彼はペルシア王クセルグセースの起こした対ギリシア戦争に際してクセルクセースに供奉し、その途上この奇怪な術の、いわば種子をばらまき、ありとあらゆる場所を訪ね歩いては、世人を悪習に染ませたのである。もっと丹念な著作家たちは、この人物より少し早い時代にいま一人 のゾロアストレス(ゾロアスター)、つまりプロコンネソス出身の人物[アリス テアス]がいたとしている。確かなことは、誰にもましてこのオスタネースこそ が、この学問への欲望へ、のみならず狂気じみた渇望へとギリシア人を駆り立てたのだということだ。とはいえ私とて、文筆における最高の名声と栄誉が,往古よりほとんど常にこの学問の領域に求められてきたということに気づいていないわけではない。[9] 確かにビュタゴラス、エンペドクレス、デーモクリトス、プラトーンはこれを学ぼうとして船出したが、その実情は外遊というよりは国外追放といった体のものであった。帰国後彼らはこれを広め、これを奥義としたのである。デーモクリトスはコプトスの人アポロベクスとダルダノスとポイニクス(註2)を紹介した。デーモクリトスはダルダノスの墓の中にまで、その著書を探し求めたのである。実際、彼らの教説にもとづいてデーモクリトスは自分の著作を公刊したのであるが、これらの著作が誰によってにせよ人類に受け入れられ、記憶を通じて伝えられていったということほど驚くべきことは、人の世に何一つとしてない。[10] これらの[魔術(マゴスの術)に関する]著作には信頼性も一切の正当性も欠けているため、デーモクリトスのこれら以外の業績を是認する人びとは、これらはデーモクリトスの手になるものではないと言うほどである。しかし、これは無益である。誰にもましてこの人物こそが人びとの魂に魔術〔マゴスの術〕の甘い味を教え込んだのは確かなことなのである。そして、二つの技術、つまり医術と魔術〔マゴスの術〕が双方ともに同じ時代に花開いたということも実に驚くべきことである。前者はヒッポクラテスが,後者はデーモクリトスが、ローマ建都第300年ごろ(註3)から戦われたペロポネソス戦争のころに流布させたのである。……[11] アレクサンドロス大王の御代にも、大王に供奉する栄誉にあずかった第二のオスタネースが、この技術の権威を少なからず増した。そして、この人物が全世界を遍歴したことは、何人も疑わないであろう。
(註1)プリニウスの資料源はアピオンの著作『マゴスについて』である。(M.Wellmann)
(註2)「ダルダノスはソロモン王の魔術上の競争者のひとり(『列王記上』5, 11)。ヨセフス『ユダヤ古代史』VIII 2, 5(43)、E. Meyer, Reitzenstein参照。フルゲンティウス『ウェルギリウスの譬喩について』(Muncker,Myth. lat., 141)によれば,ダルダノスは魔術的な内容の『薬物論(デュナメラ)』を書いた。ファウスト伝説中に余命を保っている。プリニウスの言う「ポイニクス」〔Phoenixは「フェニキア人」とも人名「ポイニクス」ともとれる〕とはフェニキア人モコスのことではないか」(M.Wellmann)。ダルダノスは通常プリュギア人とみなされている。Phoenixをアキレウスの師で文字の発明者のポイニクスと考えるのも悪くない。魔術関係パピュロス文献におけるオスタネース、アポロベクス、ダルダノスについてはDieterich参照。
(註3)CCC(300)をCCCXX(320)に修正する意見もある(Mayhoff)。〔ローマ建都は前753年とされる。ペロポネソス戦争開戦は前431年。〕
"300,13 a".1
GAL. de simpl. med. X 1 [XII 248 K.]
実際、それら〔薬〕のうちには汚らわしく厭わしいものがある。法律でも禁じ られているものもある。これらについて〔アプロディシアスの〕クセノクラテースが それほど昔の人物ではない、われわれの祖父の時代の人物である ローマ帝国政府が人肉食を禁じているにもかかわらず、どのようにして書いたものか、私は知らない。しかしとにかく彼は、自ら確かめたのだとして、いかにももっともらしく、人間の脳や肉や肝臓を食べることによって、また頭蓋、下腿、指の骨を焼いて、あるいは焼かずに飲むことによって、また血液のみを飲むことによって、いかなる疾病が治療されるかを記述しているのである。
PLIN. N. H. XXVIII 5ff.
そして、ギリシア人の中には、爪の切り屑にいたるまでありとあらゆるものを調べ上げたあげく、−つ一つの臓物や四肢の味さえも語っている者が少なくないのである。実際それはあたかも、人間がけだものになり、医療そのもののなかで病気と言うべき状態になることが正気の沙汰であるかのようであるが、もしそれが奏効しなかったなら、その失望たるやさぞ大したものだろう。人間の内臓を見ることすら罪とされている。ましてそれを食べるとは何事か。こんなことを考えついたのはどこのだれなのだ、オスタネスよ。[6] お前にこそ、その咎がある。人間の法の破壊者、怪異の造り手よ、お前こそがこれを初めて創始したのだ 私は確信する 、〈お前の〉生涯が忘れ去られぬようにと。人間の四肢を一つ−つ喰らうことを、だれが考え出したのか。いかなる臆測にそそのかされたのか。かかる医術がいかにして起源しえたのか。毒の使用が治療よりも安全だと思い込ませたのはだれなのか。この儀式を考え出したのは、なるほど異邦の夷どもであろう、しかし、この技を自らのものとしたのはギリシア人ではなかったか。[7] デーモクリトスの論考集〔ケイロクメータ〕が現存しており、そこでデーモクリトスはある病気には敵の頭骨が、またある病気には友の、また客の頭骨がより有効であると述べているのである。
PHILO BYBL. b. Eus. P. E. I 10, 53
[「マゴスのゾロアストレス(ゾロアスター)が『ペルシア聖典集成』において」「ハヤプサの頭を持つ神」について……、との記述に続いて]そのことについてはオスタネースも『八書(=OktateuvcoV)』と題する著作で、同じことを述べている。
PEBECHIOS
b. Berthelot Chim. au. moyen âge II 309 f.
"300,14".1
SENEC. Ep. 90, 32
「デーモクリトスは、石材を徐々に傾けて造った弧を中央の要石でつなぎ合わ せるアーチを発明したと言われている」と(ポセイドニオスは)言う。私はこれ は誤りだと言いたい。というのも、橋も門もデーモクリトス以前にあったに違い ないし、それらの頂部はたいていの場合湾曲しているからである。そのうえ諸君はこのことを忘れている。この同じデーモクリトスは象牙を柔らかくする方法や、小石を煮てエメラルドに変える方法(註)、つまり今日でもこれ〈に〉適するとわかった石が染色されている方法を発明したのだ。
(註)ディオスクゥリデース『薬物誌』II 87(171, 8)、プルタルコス『悪徳は不幸の十分条件か』4 p.499E、シメオン『セト』S.119(Langk.)参照。ボーロスの『染色術』が念頭にある。これはライデンおよびストックホルムの化学関係パピュロスと同様の純技術的な著作である。この書名はボーロスの信奉者ポクモス(『スーダ』の「ポタモス」の項)によって確証される。おそらくこの(またアナクシラオスの)著作に、プリニウスの次の言葉は向けられているのかもしれない。「しかし確かに、どのように染めることによって水晶からエメラルドその他の透明な宝石、紅玉髄から紅縞馬瑠、他の石から他一切の宝石を作るか これ以上に儲かる詐術は人の世にない については、あえて名はあげないが、権威者たちの論考がある」(『博物誌』XXXVII 197)。同117参照。この著作は神秘的な性格は決して帯びていない。この著作は上記二つのパピュロスを補助として復元できる(M.Mellmann)。『染色術』についてはM. Wellmann参照。ただしKrollは疑念を表明している。
300.15
[古代末、『ケイロクメータ』の、すでにいくぶんかは錬金術的であった性格に付会して錬金術師たちの文献が書かれた。散逸したデーモクリトス著『自然学および神秘学』なるものでは、デーモクリトスはマゴスのオスタネースの高弟の相貌を呈している。オスタネースはメンフィスの神殿でデーモクリトスに往古の書物の奥義を伝授し、デーモクリトスは、それからの抜粋を伝えているのである。主要著作五篇は以下のように題されている。]
1.『金について』
2.『銀について』
3.『岩石について』
4.『紫貝について』
5.『レウキッボスに与うる書』
[以下は、これらからの抜粋]
"300,16".1
SYNCELL. I 471 Dind.
自然研究家(fusikovV)で哲学者だったアブデラの人デーモクリトスがその盛年にあった。彼はエジプトでメディア〔ペルシア〕人オスタネースから秘法を伝授された。オスタネースは当時のペルシア大王により、メンフィスの神殿で他の神官、哲学者たち その中にはユダヤ人の賢女マリアもおり、またパムメネースもいた とともにエジプトの諸神殿を監督するために派遣されていたのである。デーモクリトスは金と銀と岩石と紫貝について曖昧模糊とした書きぶりで著作した。マリアも同様である。しかし、この二人、デーモクリトスとマリアは、多数の賢明な謎めいた言葉でその技術を隠したとしてオスタネースに称讃された。他方彼らはパムメネースを出し惜しみをせずに書いたとして非難したのである。
"300,17".1
[SYNES.] ad Dioscorum comment in Democr. [Berthelot Coll. d. Alchim. I 56, 7]
デーモクリトスはアブデラ出身、自然研究家、自然界のあらゆる事物を探究し、存在するものについてその本性に従った形で著作した。アブデラはトラキアのポリスである。しかしデーモクリトスははなはだ学問に優れた人物になった。エジプトに赴き、エジプトの全神官とともにメンフィスの神殿で大オスタネースから奥義を伝授された。これに触発されて染色についての四書、つまり『金につ いて』、『銀について』、『岩石について』、『紫貝について』を著した。私が言わんとするのは、デーモクリトスは大オスタネースに触発されて著作したということである。というのもあの人物[オスタネース]こそ、「自然は自然を楽しみ、自然は自然を支配し、自然は自然に打ち勝つ」……[=ネケプソfr.28,4 Riess, Philolog. Suppl. VI(1891/3)379. Kopp,Beitr. z. Gesch. d. Chemie, I p.130]と書いた最初の人だからである。
"300,18".1
[デーモクリトス著『自然学および神秘学』の題名のもとに、これら四書の抜粋がBerthelot, Coll. d. Alchim. I p.41 ff. に収められている。以下はその見本]〔として、『自然学と神秘学』、『レウキッポスに宛てて出されたデーモクリトスの手紙 V』、ゾーシモス006、ゾーシモス016などを引証している。それぞれの頁を参照されたい。〕
"300,19".1
[PAPYR. LONDIN. 121〔後3世紀〕c. 5b v. 168 [Kenyon, Greek Pap. in the Br. Mus. (I 1893) S. 89; Pap. Graec. mag. ed. Preisendanz II 7]の処方中最初のもの〔以下に掲示〕がすでに錬金術の始まりを示している。]
デーモクリトスの消閑処方集(paivgnia)
a. 鋼製品を金製品に見えるようにする:純粋な硫黄と白墨を混ぜて作れ。
b. 卵を林檎に似せる:卵を茄で,酒と混ぜたサフランを塗れ。
g. 料理人が火をつけられないようにする:そのかまどにヤネバンダイソウを入れよ。
d. ニンニクを食べても臭わないようにする:テンサイを焼いて食べよ。
e. 老婆があまり無駄話をせず、あまり飲まないようにする:その飲み物に松の枝を刻んで入れよ。
V. 絵に描いた剣闘士を戦わせる:その下で兎の頭をいぶせ。
z. 冷たいものを食べた人が暖まるようにする:身体を洗うように、海葱をぬるま湯に浸して与えよ。それから油による治療。
h. [テクストが破損している]
q. 大酒を飲んでも酔わないようにする:豚の肺を焼いて食べよ。
i. 歩いても喉が渇かないようにする:〈生〉卵を酒〈に〉落として泡立てて飲め。
ia. 何回も性交できるようにする:小さな松かさ五十粒と胡椒の実〈二十粒〉を碾くいて2キュアトスの酒とともに飲め。
ib. 勃起したいときに勃起できるようにする:胡椒を碾いて蜂蜜とともに君の足の裏に塗れ。
『消閑処方集』についてはM. Wellmann 参照。擬デーモクリトスの信奉者ラリサのアナクシラオスの『消閑処方集』は宗教史的意義を有する。グノーシス主義の成立、シモン・マグス、ウアレンティノス派のマルクスに影響を与えたからである。擬キュプリアヌス『再洗礼主義について』16(III 89 Hartel)、エイレナイオス『異端派論駁』I 13(エビパニオス『異端派論駁』34, 1 Vol. II 217 D.)参照。プセロス(アフリカヌスに由来)に見られる残欠はWestermann, Parad., 146, 14 にある。(M. Wellmann)
"300,20".1
PAPYR. MAGIC. LUGD. 384 [Dieterich Jahrb. f. kl. Ph. Suppl. XVI 813. Preisendanz a. O. S. 81]
デーモクリトスの球。〔患者が〕生きるか死ぬか、予後を判定する道具。どの 月齢の頃に〔太陰暦で月の何日に〕発病して寝ついたかを知れ、これと誕生時に つけた当人の名前を合算し、30で割れ。そして余りの数を「球」の中に見て取れ。もしその数が上部にあれば生きる。下部にあれば死ぬ。[この記事の下に図表がある]
この種の予後判定具はデーモクリトスに言及する魔術文献に頻出する。ホラッボロンの『ヒエログリュピカ』I 38はこの種の予後判定具とともに魔術師イアンプレスに言及している。イアンプレスはボーロスの資料源の一つかもしれない。写本cod. Matr. 4616 fol. 82vにはこれと類似の予後判定具を含むビュタゴラスの著作がある。Pap. Lond. 121, 833 K.には『デーモクリトスとビュタゴラスの夢占い』がある。Deubner,Abt参照。(M. Wellmann)
//END
2010.06.11.
|