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back.gif天に現れる人馬宮に関する前兆

ギリシア占星術文書目録4350_093

1年12宮の嬰児の誕生について





[底本]
TLG 4350 093
Peri; gennhvsewV brefw:n eijV ta; ib v zwvdia tou: ejniautou: (e cod. Ath. Bibl. Publ. 1350, fol. 64v + Ath. Soc. Hist. 58, fol. 1)
Astrol.

Date of manuscript = A.D. 18 & 19
Vernacular
A. Delatte, Codices Athenienses [Catalogus Codicum Astrologorum Graecorum 10. Brussels: Lamertin, 1924]: 171-192.



10.
(171)

1年12宮の嬰児の誕生について
セプテムブリオス月。天秤宮

 天秤宮の期間に生まれる少年は、病弱の友であるとせよ。**年間病弱で、眼と歯を患うだろう。ディコン??から解放されるだろう。多くの〔財〕を失い、領地を廻り、万人に尊敬されて、美しい死を死ぬ。(172) 徴を肩甲骨と脇腹に持つ。腹を患うだろう。海ないし河で危険に陥るだろう。王の中庭を逍遙し、偉大な人びとによって尊敬されるだろう。敬神的であらゆる知識において術知者であるとせよ。短気、威勢のよい人物である。また固有の隣人たちや友たちによって羨まれるだろう。遺恨を残さぬ人物であるとせよ。亭主持ちの女に罵られるだろう。侮られ、苦難をこうむり、失望させられる。彼を見捨てるだろう。だがが彼を見捨てることは決してない。気難しい人であるとせよ。最初の女を娶るが、これを捨て、子どもらに苦しめられる。また犬に咬まれる。剣で危険に陥る。石が????音を立てるだろう?。美しい老齢を過ごし、大病に陥り、家から家へと引っ越すだろう。厄年を持つのは3歳と24歳と35歳と56歳。そしてこれらを過ぎると85年間存命するだろう。奇跡を起こす人・聖ニコラオスを捧持せよ。また病気になったら、ダプノラドンとカッパリスの根を彼に飲ませよ、そうすれば健康になる。最後には腹の痛みが原因で命終するだろう。

乙女に〔ついて〕

 天秤宮の期間に生まれる乙女は、もしも第4曜日と主日に、何ごともいかなる仕事をも差し控えさせることがなければだが、幸いにも四足動物の豚、白馬や駱駝を購入する星(stoicei:on)を有する。短髪で、恋情的、きわめて別嬪、胸広い女であるとせよ。複数の夫を得るが、これに苦しめられる。犬どもや剣が原因で危機に瀕するだろう。悪罵を受けるだろう。陽気、星占い師、恋情家、自分の夫を信じる女になるだろう。別れないものであるとせよ。悪しき人間どもから妬まれ、多くの点で虐待されるだろう。徴を持つのは頭と胸と脇腹。病弱になり、失望するだろう。家から家へ引っ越すだろう。厄年を持つのは16歳と25歳。これらを過ぎると、85年間存命するだろう。彼女を救いたまうよう、尊師先駆者を捧持するがよい。

(173)

ノエムブリオス月、人馬〔宮〕

 人馬(宮)の期間に生まれる少年をして、病弱の友、美顔、邪眼の持ち主であるとせよ。その髪は巻き毛である。あらゆる術知と行事に物学びがよい。関節や膝や腕を患うだろう。良稟、活動的な者であるとせよ。鉄器で殴られる。海や河で危機に瀕するだろう。多くの者たちによって愛され、供給者、陽気な男であるとせよ。眼と頭を患うであろう。また病弱で、失望し、大いに労苦し、ひどい目に遭うだろう。酒飲み、恥知らず、恋情家、誰かを気に掛けることなきものであるとせよ。仲間から<悪罵を>聞くだろう。労苦し、ひどい目に遭うだろう。多くの領地を危険を冒して巡廻するだろう。友たちのために自分の魂を賭けるが、感謝されることはない。自惚れ屋とせよ、また多くの悪罵を受けもするだろう。また自分の何かの夢を言ってはならない。もし学問を学べば、大いに尊敬されるだろう。子どもに苦しめられる。とはいえ大喜びもし、家から家へ経巡り、女から愛され<かつ>姦通者である。また四足動物から輪を外す???。生き物は彼を外すだろう???。また脚に徴を持ち、顔と頭と腕と脇腹にも胸にも〔持つ〕。厄年を持つのは7歳と17歳と47歳。これらを過ぎると87<年間>存命するだろう。煩った場合には、軛の削りくずとバルサモン〔Dsc.I-18〕油をオリーブ油とともに彼に塗布せよ、そうすれば危険に陥ることは<ない>だろう。彼の最期は胸膜炎が原因であるとせよ。

(173)
乙女に〔ついて〕

 (人馬)宮の期間に生まれる乙女をして、歓喜する、眼麗しく、髪の長い女であるとせよ。聖なる天使たちの偉大な聖なる名号から成る護符を携行させよ、<そうすれば>危険に陥ることはないだろう。最初の男を得るが、これを捨て、男女の子どもをつくるだろう。恋情的、美しい子の持ち主、面倒見の良い女であるとせよ。また有翼類の (174) 肉を食させてはならない。熱湯のせいで危機に瀕し、肉ないし骨を患うだろう。9年間、両親を悩ませるだろう。悪罵を受けるだろう。反論家、お茶目、朗らか、何にでも驚嘆する女であるとせよ。四足動物の輪を外す???。病弱で自暴自棄となるだろう。とはいえ生きながらえるだろう。自分の四肢を<患うだろう>。短気、ポビトジアラな女であるとせよ。子どもらに苦しめられるだろう。喉に徴を持つ。<厄年を持つのは>8歳と14歳と40歳。そしてこれらを過ぎると、79年間存命するだろう。彼女を救いたまうよう、女主人神の生母と聖アイカテリネー〔アレクサンドリアのカタリナ。ジャンヌ・ダルクと話したとされる聖人の一人。祝日は11月25日?〕を捧持せよ。アメーン。

マイオス月。双子宮

 (双子宮)の期間に生まれる少年をして、姿形よく、顔が平板だが、考えは穏やか、女たちに愛される者であるとせよ。他の土地で命終するだろう。しかし多くの人たちに知己となる。学問から光をも有する。女の頭?によって罰をこうむり、剣で曲げられるだろう?。彼の年は他人の食べ物のものとなるだろう???。誰かの両親を相続するだろう???。兎の肉を食させてはならない。眼を患うだろう。犬や四足動物から輪を外すだろう???。しかし知者でもある。火と熱湯が原因で火傷する。薬を取る?。自分のものらを美しさゆえに与え、悪ゆえに取る???。最初の女を娶り、これを捨て、子どもらに困らされる。頭と胸と関節に患いを持つ。3年間情弱であろう。恋情的で、勤勉で、探究的で、受け入れやすい?男子であろう。真理を愛する。誰かの両親の行事が隣人たちによって喰われるだろう。高みから落ちるだろう。あらゆる術知に適合し、美しい術知を<選抜する>。また悪罵をも聞くだろう。徴を有するのは脇腹と胸。厄年を持つのは3、17、24、30、52歳。これらを過ぎると88年間存命するだろう。大コーンスタンティノスを捧持せよ。

(175)
乙女に〔ついて〕

 (双子宮の)期間に生まれる乙女は姿形がよい。3年間病弱であろう。これらを過ぎると、長生きとなる。夫の友。子どもをつくると、第1子・第2子<の際に>????。しかしその後は主なるに祈りを捧げるだろう。また自分の四肢を、邪悪な遭遇が原因で患うだろう。しかし短気である。徴を持つのは頸と眼と大腿。シャコの肉を食すべからず。多数の虚偽の悪罵を聞くだろう。彼女の乳房が病むだろう。短気な女0であろう。他人の土地を巡るだろう。また多くの点で自分の両親に愛され、両親のものらを相続するだろう。また????。またの教会にいつも真剣になるようにということも。徴を持つのは隠された四肢と肩。厄年を持つのは5歳、15歳。これらを過ぎると88年間存命するだろう。聖ヘレネー〔ヘレナ。コンスタンティヌス大帝の母親。祝祭日は8月18日。〕を捧持すること。

デケムブリオス月。磨羯宮

 磨羯宮の期間に生まれる少年は粗暴で、身内の者たちに愛される者であるとせよ。長生きで、眼は小さく、力あり、遊び好き、先に笑う者、喜びをつくるもの、思慮深く、短気にして恐れられるもの、???。手先は鈍くさい?。言説において (176) 確信的だが、万事において???。彼の生は把握しがたい。四足動物の輪をはずし、犬どもに咬まれるだろう。河で危機に瀕し、喪失するだろう。彼の歩みは<美しい>。また悪しき人間どもや拙劣な人間どもの妬みからよく危機に瀕するだろう。???。火によって火傷する。また???でもある。いいなりのものである??。???。両親は彼を大いに愛するだろう。とにかく行くところいつも的を外すことはない。多くの金銭の主人となるだろう。女においては移り気、陽気。長生と老齢に落ち、労苦を過ごす。眼と脾臓と関節と腹を患うだろう。だが大胆である。蛇に咬まれるだろう。良稟で、彼を見る者たちに<驚嘆され>、多くの者たちに愛されるだろう。別の土地に赴く。ある人との出会いは美しい。自分の両親を害するが、自分の生の大いなる賜物を得る場合には彼らを益するだろう。最初の女を娶るが、これを捨て、別の女に固執し、これに駄目にされるだろう。また学問を学べば、偉大な人たちに尊敬されるだろう。また多くの敵を蹴散らすだろう。徴を持つのは顔と膝と脚。患った場合は、乳香とシダー油を〔取り〕これを塗布せよ、そうすれば危機に瀕することはあるまい。そうして最後に彼の脇腹が原因で死が生じるだろう。厄年を持つのは3歳と11歳と28歳と35歳と45歳と57歳。これらを過ぎると (177) 85年間存命するだろう。しかし、任せたまうよう、???、彼を守りとおしたまうよう、超聖なる神の生母を捧持せよ。クリストスの母御が彼に率直さをもちたもうよう。

乙女に〔ついて〕

 磨羯宮の期間に生まれる乙女は、薔薇色にして年頃は程々、短髪にして物学びよき女であるとせよ。その人生は理解しがたい。夫を取り、これに困る。子供の数は少ない<であろう>。捕囚に陥る。誰かに命令されることを我慢せず、固有の信念を実行し、妬みでおのれの生を喰らう。金銭は彼女に帰属するだろう。???。短気であるとせよ、そうして自分の夫とともに、きつい悪罵を???。自分の固有の夫から???。しかし美しい出会いを有する。???。乳房を患うだろう。錯綜と悪罵から???。そうして患ったら、蟹の脚と乳香とシダー油を取れ、これを塗布せよ、そうすれば危機に瀕することはあるまい。徴を持つのは眼と脇腹と乳房の上。明るく、穏やかで、非常に危険、非常に混乱して美しい心の持ち主であるとせよ。夫を得、子どもらをつくるであろう。出産の際に危機に瀕するだろう。????。多くの男たちによって妬まれるであろう。夫に苦しめられるであろう。厄年を持つのは (178) 3歳と8歳と35歳。もしこれらを過ぎると、99年間存命するだろう。奇跡を起こす者である大ゲオールギオスを捧持せよ。

イアヌゥアリオス月。宝瓶宮

 宝瓶宮の期間に生まれる少年は思慮深く、長生き、身体的で、狩猟の友であるとせよ。その顔は峻厳。また考えにおいて強力。笑うことなき人物。彼の逍遙は有害。歩き方は大股。年頃の終わりに王の中庭を逍遙するだろう。また多くの事柄の有識者<であろう>。最初の女を娶り、???。戦車に多難が生まれる。もし学問を学べば、大いなる諸行事の主として誇るだろう。薬草から経験を得て、危機に陥ることはないだろう。狩猟で??、獣たちによって危機に瀕するだろう。鹿肉はもちろん、いわゆるキジバトも食してはならない。 (179) 充分な期間ないし**ヵ月間病弱であろうが、もし<病弱さを>脱したら、美しい事どもを求めるだろう。友に自分の魂を賭けるが、感謝されることはないだろう。徴を持つのは大腿と胸。厄年を持つのは3歳と25歳と35歳。これらすべてを通過すると、79年間存命するだろう。しあkし聖イオーアンネースと神-言論者を、庇護したもうよう、また彼を救いたまうよう捧持せよ。

乙女に〔ついて〕

 宝瓶宮の期間に生まれる乙女は敏捷な女である。自分の生を守るだろう。大いなる行事を主宰するだろう。夫のせいで危機に瀕し、害される。夫を得ればこれを蔑ろにし、別の夫を得て、これを相続するだろうが、悪罵を得る。多くの点で恋情的、長生きにして非常に浄福な女である。 (180)

ペブルゥアリオス月。双魚宮

 双魚宮の期間に生まれる少年は最初の数年間病気がちである。デコ禿げになる。不平屋、思慮深く、飲酒の友、 (181)

乙女に〔ついて〕

 双魚宮の期間に生まれる乙女は姿形よく、敏捷、峻厳な顔つき、薔薇色、友たちに対して厳しい人物である。12歳までに夫を得るべく突進するだろう。恋情家。徳の友。3年間病弱であろう。 (182)

マルティオス月。白羊宮

 白羊宮の期間に生まれる少年は3年間病弱にして、8歳の時に病気がちとなる。姿形浅黒く、平板な顔、眼麗しい人物。その髪は赤味がかっている。またあらゆる術知に物学びよく、諸々の行事<に>勤勉である。自分の腎臓が原因で12の罰をこうむる。そして12の罰の終わりに、肝臓と膝を患うだろう。自分の若い頃に遠い地方に出かける。必然性に陥り、何ら悪いことが彼<に>突進することはないだろう。火と (183) 熱湯のせいで火傷する。美しい子の持ち主で、自分の友たちに信実、思慮<深く>???、恋情的で、女たちに愛される人物。主なるに祈りを捧げ、

乙女に〔ついて〕

 白羊宮の期間に生まれる乙女は姿形よく、平板な顔、敏捷な女であるとせよ。3年間と、12歳の時に病弱であろう。そしてこれらを満たせば、長生きとなる。危機に瀕し、また犬たちに咬まれる。そしてその後は多くの点で苦労するだろう。そして生を託宣され、夫を相続するであろう。そして子どもら<に>苦労させられるが、おそくには子どもらに歓喜する。服薬の経験をもつだろうが、死ぬことはないだろう。多くの財産を主宰するだろう。厄年を持つのは3歳と7歳と12歳。さらに25歳と32歳。これらを過ぎると、72年間存命するだろう。しるしを (184) もつのは脚、眼と腹と秘所。客の友、食卓の友、自分の友たちに信の女<であるとせよ>。遠い地方に出かける。腹と胸を患い、大病に陥るだろう。夫に苦しめられる。眼も頭も患うだろう。逍遙は有害である。出産時に強力な危機に瀕するだろう。また多くの人々から言葉を聞くだろう。しかしこの女が、超聖なる神の母に対する希望と勇気を持てば、何ものによっても害されることはないだろう。

アプリリオス月。金牛宮

 金牛宮の期間に生まれる少年は、3年間病弱であろう。白子や鳥の頭を食さすべからず。また歯や眼を患うだろう。彼の髪は火色がかっている。知慮深い者であるとせよ。自分の父祖伝来の家を乱し、自分の両親を、自分の母親に対してはより過剰に、必然<事>によって — 病弱さのせいにせよに固有の信条のせいにせよ — 悩ませるであろう。しかし後には母親の祈りを相続するであろう。不安定、恥知らず、客の友<であろう>。亭主持ちの女のせいで暴行をうけ、大いなる必然性に陥る。もし3歳と10歳と20歳を満たすなら、大いなる行事を主宰するだろう。しかし毒薬が彼を病気にさせる。無知、飲酒の友、行事には物学びよい者であろう。自分の友たちを守る。また誠実で、万人に愛される。剣が原因で不具になる。四足動物が原因で危機に瀕する。しかし赴くところ、得損なうということはない。彼の子どもらは????。(185) 美しい子の持ち主、短気<であろう>。彼を火が煩わせるだろう。また熱湯で火傷する。またサソリに咬まれる。そのサソリを???傷口に当てよ、そうすれば癒える。犬どもに咬まれ、蛇どもに怯えるだろう。美しいものを浪費し、これを悪しきものに変えて??受け取る。感謝されることなく、自分の若いときに勤労するだろう。美しい死を死ぬ。また最初に男らしい子をつくるだろう。しかし別の子に苦しめられ、悩まされ、別の子らに好機嫌となるだろう。しかし賜物は彼に益することなく、受け取るかぎりのものも苦しめられるだろう。王の顔を見、多くの金銭を主宰するだろう。しかし患ったら、サソリの鋏?つまりカブロス?の殻と、月桂樹の葉と花と乳香とシーダー油を取れ。これを塗布せよ、そうすれば危機に陥ることはあるまい。徴を持つのは眼と肩甲骨の上と腕。厄年を持つのは3歳と7歳と23歳と42歳。これらを過ぎると、79年間存命するだろう。黄色い乙女に守られるだろう?。多くの人間どもが彼に失望するだろう。????。最初の女を埋葬し、多くの事で悩むだろう。大きな中庭を逍遙するだろう。第一人者と<なるだろう>。頭と肝臓を患うだろう。聖アナルギュロスたち〔コスマースとダミアノス〕を捧持するがよい。

乙女に〔ついて〕

 金牛宮の期間に生まれる乙女は敏捷、良稟、自分の夫に対して用心深い女であるとせよ。結婚すれば、これを (186) 嫌うだろう。子どもらをつくらなければ、苦しめられることもないだろう。誰か別人から生の通路を得るだろう。また何かの原因で悪罵を掻き立てるだろう。女たちの憎しみに陥り、手の傷が原因で危機に瀕するだろう。彼女を重い季節に直面させるのは悪しき風である。?????。 厄年を持つのは7歳と12歳と17歳と35歳と42歳。これらすべてを通過すると、平和とに対する愛のうちに善き年数の間存命するだろう。

マイオス月。双子宮

 双子宮の期間に生まれる少年は、眼麗しき者であるとせよ。おのれの両親に損害を与え、母親を悩ませ害するであろう。しかしその後、今度は彼らを益するであろう。短気、知慮深い者であるとせよ。火と水に苦しめられ、四足動物からアンキュローマ???を取り除く。多くの女たちが彼に敵対するだろう。多くの仕事を主宰するだろう。????。眼と腹と脚を患うだろう。個人、女たちへメタボロス???、(187) 観る者たちすべてに愛される者である。兄弟たちを恣にするだろう??。充分な領地を廻るだろう。厄年を持つのは3歳と6歳と17歳と33歳と53歳。そしてこれらを過ぎると、80年間存命するだろう。徴を肩と大腿に有する。牛肉を食ってはならない。そこで聖ゲオールギオスと超聖なる神の母を捧持するがよい。

乙女に〔ついて〕

(187) 双児宮の期間に生まれる乙女は火のごとく、蜂蜜色の髪、年頃はやや背が低く?、指長、短気、滑稽なことをする女。また多数の男たちに思慕されるだろう。また危険な目に遭うが、またもとにもどるだろう。多くの嘘?を聞くだろう。脇腹と膝と関節と頭を患うだろう。病弱に陥り、失望する。彼女の両親は不安定な男といっしょになり、数多ひどい目に遭うだろう。老齢に自分の隣人たちに熱望され、多くの点で彼女を中傷するだろう。手と脚を患うだろう。徴を喉に有する。厄年は5歳と12歳と33歳に持つ。これらを通過すれば、75年間平和のうちに幸運者として存命するだろう。そこで、助けたまうよう、われらの主なるイエースゥス・クリストスを捧持せよ。

イウゥニオス月。巨蟹宮

 巨蟹宮の期間に生まれる少年は、その<最初の>数年間病気がちであるとせよ。もし自分の厄を通過すると、長生きで浪費家であるとせよ。不安定な女と (188) 同衾してこれを娶る。子どもらに苦しめられるだろう。仕事場<と>財産を得る。自分の家において美しい友たちをつくるだろう。また〔その友たちが〕彼を益するだろう。厳格、狩猟の友であるとせよ。干し無花果はもちろん、牛肉も食してはならない。また多くの点で病弱になるだろう。〔つまり〕大腿と脚を患うだろう。美しい報酬を得るだろう。厄を持つのは3歳と5歳と9歳。またいつか恐るべき危機に瀕するだろう。また彼を観る者たちが失望するだろう。しかしが彼に失望することは決してないだろう。美しく、陽気、予め思案を巡らせることはないが、気まぐれな魂の持ち主。そうして一端のものを相続するだろうが、これによって破滅する。また多くの善きものらの主人である。またそれらを相続するだろう。やや興奮しやすく、子沢山、自足者である。多くの悪罵に捕まる。不安定な人物。多くの噂を聞き、拷問を受け、亭主持ちの女に愛される。徴を持つのは腕と、自分の肉の下の?臂、腿と肩、厄年を持つのは8歳と14歳と30歳と49歳。これらすべてをすぎると、78年間存命するだろう。また女主人神の母を捧持する。

乙女について

 巨蟹宮の期間に生まれる乙女は、道理に適い、陽気、気前のよい女であるとせよ。<他の者たちを>回心させるが、感謝されることはない。子どもらを相続するであろう。滑稽なことや巫山戯たことを愛する女。清浄で、数多くの善きことどもを (189) 相続するだろう。しみったれで、短気、恋情的な女。そして彼女の病弱さは頭と内臓に起因するだろう。また後には手と脚を患うだろう。干し無花果と牛肉を食させてはいけない。しかし魂において恥知らず<であるとせよ>。誰かから感謝されることなく、隣人たちから悪罵を聞くだろう。気が小さい女<であるとせよ>。高所から落ちる。出産時に危機に瀕するだろう。病弱で失望するだろう。厄年を持つのは3歳と5歳と13歳と25歳と45歳。これらを過ぎると、81年間美しく存命するだろう。捧持すべきは、聖なる使徒たちのペテロスとパウロス。

イウゥリオス月。獅子宮

 獅子宮の期間に生まれる少年は、陽気な日に<生まれる>。3ないし4年間患うだろう。姿形よく、思慮深い者<であるとせよ>。しかしお節介ゆえに固有のことや他人のことに心を傾注するとせよ。木材のせいや傷のせいで危機に瀕するだろう。高所から転落するだろう。女のせいで客になるだろう。しかし手や脚のアナルトリアスモスをも有する。アカイロストモス<であるとせよ>。頭と歯を患うだろう。ニラネギ〔Dsc.II-179〕とトリグリオンを食させるな。何かの夢を言ってはならない。また運を変え、財産にふさわしい人物となるだろう。多くの人たちに愛されるだろう。女にすぐ満足する者。????。丘陵や樹木、あるいは高い岩に登ってはならない。????。気が小さい者<であるとせよ>。剣が原因で蟹脚〔内反足〕を???。犬どもに咬まれるだろう。(190) 幼時、病弱であろう。父祖伝来の家産を乱すだろう。悪行して無恥な女を娶る。しかしその生は欠如しないであろう。不平家、頭丸く、多言、蜜色の髪の持ち主。多くの者たちが彼を尊敬するだろう。大きな中庭を逍遙するだろう。多くの虚言を聞くだろう。ペイスマタレース、気が小さく、色黒い者<であるとせよ>。徴を持つのは肩と大腿。厄年を持つのは15歳と20歳と32歳。もしこれらを過ぎると、多くの美しい年月存命するだろう。聖エーリアスと女主人である神の生母を捧持し、勧請すること。

乙女に〔ついて〕

 獅子宮の期間に生まれる乙女は、その夫に対して厳しく、家政的で、勝利の友、知の友の女である。膝と大腿と脚を患うだろう。サソリに咬まれる。気が小さく、病弱の友。呼吸の圧迫が原因で危機に瀕するだろう。自分の夫に苦しめられるが、その後に感謝をささげるだろう。弱さの友、ポビトザラ?、中程にして薔薇色の者<であるとせよ>。両親によって????。喜んで家から家へ???。様々な大きな動物に<よって>損害を受けるだろう。厄年を持つのは15歳と18歳と42歳。もしこれらを過ぎると、83年間存命するだろう。大いなるデーメートリオスとテオドーラとエーリアを捧持するがよい。

(191)

アウグゥストス月。処女宮

 処女宮の期間に生まれる少年は、3年間病弱であろう。5年間彼にこころを傾注せよ。自分の両親を悩ませるだろう。反乱者、反論家であるとせよ。男児・女児の子どもらをつくるであろう。最初の子に苦労し、別の子に喜びをおぼえる。彼の生は欠けるところがないだろう。囁く者、粗暴な者、丸顔の持ち主、勤勉家にして知慮深く、飲酒の友<であるとせよ>。多くの公事にたずさわるであろう。行事を失うだろう。女を娶り、これを失うだろう。内臓に疾患を持つ。テュメーティコスにしておしゃべり<であるとせよ>。膝と心臓と胴を患うだろう。剣で手に入れる。????。王の中庭を逍遙するだろう。偉大な者たちに尊敬されるだろう。また自分の訴訟相手たちにも勝利するだろう。他の都市や地方を廻るだろう。女たらし?にして多弁家<であるとせよ>。客遇され、危機に瀕するだろう。徴を持つのは脇腹と胸。厄年を持つのは3歳と8歳と20歳と35歳。もしこれらを過ぎると、81年間存命するだろう。また救主クリストスとその母を捧持するがよい。

乙女に〔ついて〕

 処女宮の期間に生まれる乙女は、病弱のせいであれ必然事のせいであれ、3年間父祖伝来の<家>を乱すであろう。もし8歳になれば、貪欲な者となる。また40歳になれば、大いなる必然に陥るだろう。25年間は (192) 淫らになる。大いなる人たちによって罰せられるだろう。短気、子沢山であるとせよ。しかし火が彼女を恐れさせるだろう。また???。彼女の若いときに悪い目に遭うだろう。**年間不運であろう。小児に苦しめられるだろう。肩と腹と関節を患うだろう。20歳の時に病気に罹るだろうが、護符を身に携行すれば、多くの危機に瀕することはないだろう。火に焼かれるだろう。両親の行事を相続するだろう。多くの非難を聞くだろう。突然死する。徴は胸と肩と喉に持つ。厄年は8歳と17歳と29歳と45歳と55歳に持つ。これらを過ぎると多くの美しい歳月の間存命するだろう。救主クリストスとわれらの女主人神の生母を捧持するがよい。

 月々の終わり。

2019.07.01. 訳了


[先駆者]
 洗礼者ヨハネの添え名。To; hJliotrovpion tou: prodrovmou〔「先駆者の向日草」?〕とは、洗礼者のヨハネの祝祭日〔6月24日〕のことである。通常の慣例に反して、洗礼者聖ヨハネの主要な祝祭日は、彼の誕生を記念するものである。しかし、彼の受難と斬首による死の記念もまた、8月29日に執り行われている(『聖人事典』)。

[アイカテリネー]
  [ヘレネー]
[大ゲオールギオス]
 殉教者。三、四世紀。祝祭日は4月23日。
 聖ゲオルギウス〔聖ジョージ〕は、初期の殉教者たちの中で最も有名な人物の一人であり、特に東方正教会においてはひじょうに崇拝されており、そればかりでなく世界の多くの国々で崇拝されている。彼の生涯の歴史的詳細は何も残っておらず、彼にまつわる伝説があまりに突飛であるために、彼は決して実在しなかったとか、彼はある種の異教の神話のキリスト教化された改作を表しているとか、あるいは彼の名は実際にはその時代の他の人物を指すものである、といったことを論証しようとする努力がなされてきた。こうした努力は、その説得力よりもむしろその巧妙さの点で際立っているものである。古くから兵士の聖人としての聖ゲオルギウスに対する広く行き渡った崇敬は、パレスチナに、すなわち現在のロドにあたるディオスポリスに中心地を持っていた。聖ゲオルギウスは、明らかに、三世紀の終わりか四世紀のはじめにそこで殉教したということ、それが彼について理性的に推測され得ることのすべてである。六世紀の初頭にはすでに、彼は「その行為が神にのみ知られている」善良な人間として言及されていた。
 【黄金伝説】によって中世後期の時代に普及した彼の最も有名な物語は、彼が力パドキア出身の騎士であり、リビアのシレナでおとめの王女を竜から救い出し、その王国の大部分がキリスト教化することに導いた、ということを語っている。さらに様々な不思議な出来事が起こった後に、ゲオルギウスはディオクレティアヌス帝の迫害の犠牲となり、いくつかのすさまじい拷問を受けて斬首されたという。象徴としてひじように重要な意味をもつ奄を殺したということは、ゲオルギウスが実際には初期の異教の神話に属していることを示すものだと言われてきたが、それに類したことは後のキリスト教伝説の中に初めて見いだされるものである。
 聖ゲオルギウスは、ノルマン人の征服のかなり前に、イングランド(またアイルランド)において知られていた。それから、イングランドや他の国々の十字軍兵士たちは、東方における彼の名声を発見した。たとえば、ゲオルギウスやもう一人の兵士の聖人である聖デメトリウスは、アンティオキアの攻撃の成功によって信頼されていた聖人であった。ゲオルギウスは騎士の守護聖人となり、また国王エドヮード三世が1348年頃彼の奨励のもとに、ウィンザーの聖ゲオルギウスの礼拝堂の建物を刻印したガーター勲章を設立した時、ゲオルギウスはイングランド国家の守護聖人にあげられたのかもしれない。1415年に、彼の記念日はイングランドにおける最高位の祝祭とされ、こうして他の場所におけるのと同じように、イングランドでは彼が特別に崇敬され、その祝祭は今なお厳粛に行なわれている。白地に赤い十字架の聖ゲオルギウスの旗は、長い歴史を持つものであり、ひじように広く普及したために、しばしばキリスト教世界全体の旗とみなされているほどである。
◆参考文献
 I.H. Elder, George of Lydda (1949).(『聖人事典』)

[神-言論者イオーアンネース]
 使徒また福音書記者。『ヨハネ福音書』冒頭の一句、「はじめにロゴスがあった。そしてロゴスは神のものであった。そして神であったのだ、ロゴスは」から神-言論者と呼ばれる。100年頃エフェソ(?)で死去。祝祭日は12月27日。
 彼は、ガリラヤの漁師であり、彼とその兄弟聖大ヤコブはゼベダイの息子たちで、自分たちの網を繕っていた時に召命を受けて、イエス・キリストに従っていった (マルコによる福音書1・19,20)。兄弟は、性格の点で、明らかに激しやすく性急な気質を持っていて(マルコによる福音書10・35〜41、ルカによる福音書9・54〜56)、イエスは彼らに「雷の子ら」というあだ名をつけた。他方イエスは、変貌やゲッセマネにおける苦悩という重要な時に、自分と一緒にいる者として、聖ぺトロと共に彼らを選んだ。さらに伝承は常に、最後の晩餐の時に自分の師の胸に寄りかかった無名の「イエスが愛した弟子」をヨハネと同一視してきた。イエスはこの弟 子に、十字架上で自分の母の世話を託した。この弟子は、 復活の朝にペトロよりも先に墓に走って行き、墓が空であるのを見て信じた。またこの弟子は、ティべリアス湖畔で復活の主を最初に認めた人物である。使徒言行録では、ヨハネは再び、神殿における足の不自由な男の癒しの際に、ペトロと一緒に見いだされ、ペトロと入獄を共にし、サマリアの改宗者たちのところにペトロと一緒に行っている。聖パウロは、ヨハネをペトロとヤコブと共に、エルサレム教会の柱として名前を挙げている(ガラテヤの信徒への手紙2・9)。
 後にヨハネは、パトモス島に流された。「わたしは神の言葉を説教し、イエスを証ししたからである」(ヨハネの黙示録1・9)。ヨハネは、彼の最後の年月をエフェソで過ごし、そこでひじょぅな高齢で死去した、と言われている。彼があまりに年老いて説教することができなくなった時に、ヨハネは集まってきた人々にただ「互いに愛し合いなさい。それが主の命令であり、もしあなたがたがそれを守れば、それだけで十分である」と言った、と聖ヒエロニムスは書いている。彼がローマにやって来て、そこで煮え立った油の大釜の中に投げ込まれた時に も無事に出てきたという話は、伝説上のことである。
 第四福音書、聖書の三通の手紙そして黙示録は、伝統的に、その著者としてヨハネの名を担っている。現代では、これらの著作の著者問題と歴史的価値は、聖書学者の間で重大な論争の主題であり、学者の中にはそれらの著作を誰が書いたかを知ることができることを否定する者もいる。しかしヨハネへの伝統的な帰属は、決して全く信用されないものであるということではない。図像上のヨハネの表象は、鷲である。
●参考文献
A.H.N. Green-Armytage, John who Saw (1952).
(『聖人事典』)

[ニコラオス]
(『聖人事典』)
 主教。4世紀。祝祭日は12月6日。
 6世紀に、コンスタンティノープルでは、聖ニコラスの教会があった。また東方では9世紀から、西方では11世紀から、彼はキリスト教世界の最も有名な聖人たちの一人となった。彼は、国や地方や教区や都市の保護者、数え切れないほどの教会の守護聖人、水夫や子供たちや 商人や質屋などの守護聖人となり、敬虔な慣習や民間伝承の中でほめたたえられ、絵画や彫刻で無数の回数にわたって表示されたのである。しかし、彼の個人的な経歴について確実に言い得ることは、わずかに彼が4世紀に リュキア(小アジアの南西)のミラの主教であったという ことだけである。
 他方、彼についての伝説は広範囲にわたり、彼の最初の伝記が9世紀初めに出て以来、それは時に子供じみたものであった。伝説の最も影響を及ぼした部分は、三人の少女たちの物語である。ニコラスは、真夜中に、窓越しに持参金として金が入つた三つの袋を投げ入れることによって、彼女たちを売春から救い出したのである。こ の絵画的な描写は、塩水桶の中に閉じ込められて殺された三人の子供たちに、彼が命をもたらしたという話のもととなった、と言われている(子供たちの頭と丸い袋の混同によって)。彼はまた、リュキア海岸沖で遭難していた 水夫たちばかりでなく、無実の罪で処刑されようとしていた三人の男たちを、奇跡的に死から救い出した、と言われている。ニコラスが、コンスタンティヌスの即位以前に、自らの信仰のために苦難を経験しており、また325年のニケ―アにおける最初の公会議に出席していたという、それほどセンセーショナルでもない言明を、歴史的に支持するものはない。1087年に、ィタリアの商人たちは、聖ニコラスの聖遺物と言われているものをミラから盗んで、アプリアのバリに安置した。それらは、今なおそこにある。それが、時々彼がバリのニコラスと呼ばれる理由である。
 子供たちの保護者としての聖ニコラスは、「ファザ−・クリスマス」の起源である。彼の祝祭日には、プレゼントが贈られた──幾つかの国々では今もなおそうである──。また「サンタ・クロース」とは、アメリカを経由して、彼の名のオランダ方言の形、シンテ・クラアスに由来するものである。彼の表象は、三つのボールである。今日、ベンジャミン・ブリトンのカンタータ「聖ニコラス」が、吾ばれている。
◆参考文献
 C. W. Jones, St Nicholas of Myra, Bari, and Manhattan (1978)
(『聖人事典』)

[十字架]


[アナルギュロイ]
anargyroi.jpg  コスマスとダミアノス。殉教者。年代不詳。祝祭日は9月26日。
 シリアのキュロスで苦難を受けた、これらの名前を持つ二人の初期の殉教者がいたという十分な証拠がある。しかし、彼らについてはそれ以上何も知られていない。五世紀以降、彼らの崇敬はひじように広範囲にわたるようになっていった。これほど遠方に、また急速にその名声が広がった殉教者は、ひじようにまれである。彼らは、「聖なる文無し」と呼ばれ、守護聖人として祈願されるようになった。というのは、彼らの伝説の核は、彼らが、医療費を請求することをしない開業医の双子の兄弟であり、キリスト教徒への迫害の時に自分たちの信仰のために死刑に処せられた、ということであるからである。この伝説の詳細──彼らに加えられた刑罰、起こった奇跡など──tは、ひじように途方もない記述である。ある時期には、コスマスとダミアノスは実在していたのではなく、単に異教のディオスクーロイというゼウスの双子の息子たち(カストールとポリュデゥケス)の物語のキリスト教化された改作である、ということを示そうとする努力が熱心に行なわれたことがある。また彼らの崇敬の特色は、「孵化」と呼ばれた異教的な儀式の採用であった。すなわち、病人が御利益を願って、聖人の教会の中で眠るというものである。これは、キリスト教以外の他の諸宗教にも知られている慣行であり、様々な中心地で他のキリスト教の聖人たちにも捧げられているものである。聖フロルスと聖ラウルスの項目を参照。(『聖人事典』)

[パンテエレーモーン]
 パンタレオン。殉教者。304年頃(?)死去。祝祭日は7月27日。
 この殉教者の崇敬は、主にビティニアと関係している。そこでは、皇帝ユスティニアヌスが、ニコメディアに彼の教会を再建したが、彼についての真正な詳細は、何も残ってはいない。彼はすぐに、伝説の題材とされた。これらの伝説によれば、彼は皇帝ガレリウスの宮廷医師であったが、一人のキリスト教徒の友人によって、自堕落な生活から救い上げられた。ディオクレティアヌス帝の迫害で逮捕された時、奇跡の輝きのただ中で、彼が首尾よく斬首される前に、彼を死刑にしようとして、六つの異なる方法で、空しい試みがなされた。申し立てられている彼の職業のために、聖パンタレオンは、医療関係者の間でひじょうに人気の高い守護者となった。南イタリアのラヴェロに保管されているこの殉教者の血と言われている聖遺物は、液化の現象を示している(聖ヤヌアリウスの項目を参照)。(『聖人事典』)

[デーメートリオス/テオドーロス/エーリアス]
  [デーメートリオス]
 殉教者。年代不詳。祝祭日は10月8日。
 シルミウム(セルビアのミトリヴィカ)で殉教した助祭であったように思われるが、彼に対する崇敬の主な中心地はテサロニケになっていった。そこで語られている物語は、彼がマクシミアヌス帝の時代にキリスト教を宣教したために、裁判もなく殺されてしまった一人の地方の人間であったということである。その伝説は敷衍されて、デメトリウスは、ローマの地方総督として、また有名な戦士の聖人として描かれるようになる。聖ゲオルギウスや聖プロコピウスらの聖人たちと同様に、こうしてこのキリストの兵士は、殉教した文字通りの兵士に変えられていったのである。テサロニケの町は彼の聖遺物を所有していると主張し、彼は東方教会全体に知られるようになっていった。(『聖人事典』)

[テオドーロス]
 殉教者。年代不詳。祝祭日は11月9日。
 「新兵」と呼ばれた聖テオドロスの伝承は、彼をボントスのアマセアで、異教の礼拝をしていた自分の僚友たちに加わることを拒否したローマの兵士にしている。再拘留されていた時に、母なる女神の神殿に火をつけたために、彼は残酷にも拷問を受けた。獄中で彼は、天の幻によって強くされ、最後には、燃える炉の中に投げ込まれることによって殺された。ポントスに、殉教したテオドロスという人物がいたという十分な証拠がある。彼は四世紀から崇拝され、エウカイタの彼の埋葬地は、重要な宗教上の拠点であった。彼は、聖ゲオルギウスと聖デメトリウスと共に、東方の偉大な「兵士聖人」のうちの三番目の人物となり、竜との戦いは、それがゲオルギウスに帰される以前に、テオドロスに帰されていたように 思われる。しかしながら、彼の物語の後の形は、ひじょうに矛盾したものになっており、もう一人の「将軍」聖テオドロス(祝祭日は2月7日)がそれらを説明するために捏造されるなど、途方もない潤色によって複雑なものとなっていった。(『聖人事典』)

[エーリアスと同志たち]
 殉教者。エジプトで生まれ、309年にカイサリア・マリティマで死去。祝祭日は2月16日。
 これらの殉教者たちの話は、その時代にカイサリアで 生活していた歴史家のエウセビオスによって記録されている。彼らはエジプト出身の五人のキリスト教徒であった。彼らは、その信仰のためにキリキアの石切り場で強制労働の刑を宣告された何人かの自分たちの信仰の兄弟たちと、いたわりの心から同行した。その帰路、このエジプト人たちは、パレスチナのカイサリアの城門で、取り押さえられて尋問された。彼らは、エリアス、エレミヤ、イザヤ、サムエルまたダニエルと名乗り、自分たちの町はエルサレムであると答えた(上なるエルサレムを意 味している)。長官は、もっと正確な情報を奪い取るために、彼らを拷問にかけるよう命令した。しかし彼らは、沈黙を守り、ついに斬首された。(『聖人事典』)

 
forward.GIF週日における嬰児の誕生に関する徴