ヘルメス選集(CH) XVI

アスクレーピオスの解義、アムモーン王へ





[底本]
TLG1286
CORPUS HERMETICUM
vel Hermes Trismegistus, vel Hermetica
(A.D. 2?/4)
16 1
$Oroi =Asklhpiou pro;V !Ammwna basileva, ed. A.D. Nock and
A.-J. Festugière, Corpus Hermeticum, vol. 2. Paris: Les Belles
Lettres, 1946 (repr. 1973): 231-238.
5
(Cod: 1,346: Phil., Theol.)




アスクレーピオスの解義、アムモーン王へ

神について。質料について。悪について。運命について。太陽について。知性的有性について。神的有性について。人間について。周全体の体制について。7つの星辰について。像にかたどられた人間について。



1
 大いなるロゴスをあなたに、おお、王よ、ことづかりました。〔そのロゴスは〕他のあらゆる〔ロゴス〕のいわば筆頭のごときもので、記憶に値し、多くの人たちの思念に倣ったものではありませんが、彼らに対する多くの反論を含んでいるものです。もちろん、わたしのロゴスにも、あなたにとって調和しないように見えるものがあるでしょう。というのは、わが師ヘルメースは、しばしば、私的にも、時にはタトが同席して、わたしと対話なさりながら、こう言っていたものです。「わしの諸書に出会う者たちにとって、著作はきわめて単純明瞭であるように思われるだろう、しかし、後日、ヘッラス人たちがわれわれの話し言葉を自国語に翻訳しようと企てるときには、〔その著作は〕逆に不明瞭となり、言葉の意味(nou:V)を隠されたものとして持ち、なおそのうえにきわめて不明瞭となるであろう。これ〔翻訳〕とは、書かれていることに対する最大の歪曲にして不明瞭化にほかならない」と。


 ロゴスというものは、父祖伝来の話し言葉によって表現されるとき、言語の意味(nou:V)を明瞭に保持します。というのも、音声の特質それ自身、つまり、アイギュプトス語の名辞にそなわる〔音声〕が、それ〔音声〕自身の内に、言われている事柄の作用力(ejnevrgeia)を保持しているからである。
 そういう次第で、可能なかぎり、王よ、あなたには万事が可能ですが、このロゴスが翻訳されることから身を離し、このような秘儀がヘッラス人の中に入ってゆかぬよう、また、ヘッラス人たちの傲岸、散漫、虚飾ともいうべき弁舌が、〔わたしたちの〕名辞の厳粛さ、堅固さ、活動的弁舌を骨抜きにしないようにしてください。なぜなら、ヘッラス人たちの有するのは、おお、王よ、論証をうみだす空虚なロゴスであり、ヘッラス人たちの愛知(filosofiva)は、ロゴス〔複数〕の騒音に過ぎません。これに対し、わたしたちが用いるのはロゴス〔複数〕ではありません。〔わたしたちが用いるのは〕活動力に満ちた音声なのです。


 では、今からロゴスをはじめましょう、神に呼びかけたうえで。万有の主人、制作者、父、包含者(perivbolon)、一者でありながら万物、全者(oJ pa:V)でありながら一者なる〔神〕に。というのは、万物の周全(plhvrwma)は一であって、一の内にあり、一者に次いで第二のものの〔周全〕というのではなく、両方で一であるものの〔周全〕である。そして、この意味(nou:V)をわたしのために持ち続けてください、おお、王よ、ロゴスの研究(pragmateiva)全体にわたって。というのは、万物にして一であり、同一であると思われているものに、一者から切り離そうと企てる者があれば、万物という名称を多様さに基づいて、しかし周全(plhrwvma)に基づいてではなく、受け取り、不可能なことであるのに、全(to; pa:n)を一者から解消して、全(to; pa:n)を破壊しようとするのである。いやしくも一が存在するなら、万物は一であるはずで、現にそうであり、決して一であることを断じてやめないであろう、周全(plhrwvma)が解消しないために。


 そこで、見よ、地下の最中央部に、水と火の多くの泉が噴き出しているのを、そして、同じところに、火と水と地の3つの自然(fuvsiV)が見え、ひとつの根に基づいているのを。ここから、〔地が〕あらゆる質料(u{lh)の貯蔵庫とも信じられており、一方ではそれ〔質料〕の供給につとめ、他方では代わりに上方からの本質(u{parxiV)を受得する。


 このように、造物主(dhmiourgovV) — わたしが言うのは太陽(h{lioV)のことにほかならないが — は、天と地を結合し、一方では有性(oujsiva)を引き下ろし、他方では質料を(u{lh)を引き上げて、自分の周囲にも自分の内部にも万物を引き入れ、自分からも万物を万類に与え、その光を惜しみなく恵み与えるのである。じっさい、彼こそは諸々の善き作用力(ejnevrgeia)の源であり、〔その作用力は〕天や空中のみならず、地上にも、最下層の深みや底なしの深淵にまで及んでいるのである。


 知性的有性(nohth; oujsiva)なるものも、もしも有るとすれば、それはその〔太陽の〕嵩であり、この〔有性の〕容器はそれ〔太陽〕の光であろう。この〔有性〕が何から成り立ち、あるいは、どこから流出するかは、ひとりそれ〔太陽〕のみが知っている…〔欠損〕…あるいは、場所にしても自然にしても、自分自身の近くにあり、…〔欠損〕…†われわれによって見られることはないが、強いて努力すれば、推測によって理会することができます†。


 しかし、この〔太陽の〕眺めばかりは、推測によるのではなく、相貌そのものが、上方の世界と下方の世界と、世界(kovsmoV)全体をこのうえなく輝かしく照らし渡しているのです。すなわち〔太陽は〕中央に世界(kovsmoV)を冠のように戴いて坐し、善き馭者のように、世界(kovsmoV)という戦車を安定させつつ、〔手綱を〕自分の方へと引き寄せ、勝手気ままに走行することを決して放置しません。その際の手綱とは、命、魂、気息、不死、生成のことです。こういう次第で、〔太陽は〕自分から遠くない範囲で、いや、真実を云わねばならないとするなら、自分といっしょに走行させているのです。


 そうして、次の仕方で万物は造作されます、 — 不死なるものらには、永遠の持続性を分かち与え、二つのうちのひとつ、天を目指す部分から上へ送るものは、自分の光の飛揚によって養い、他方、水地土と空気からなる中空の全体は、〔中空の内部に〕閉じこめられつつ照らし渡る〔光〕によって、命を与え、世界(kovsmoV)のこれら諸部分にある生き物たちを、生成と変化によって揺り動かせ、


相互に循環的に変形させ、変容させる、それは、種族と種族、種類と種類相互の互換的変化であって、巨大な諸身体〔天界の星辰〕におけるとのと同様に、造作しつつ制作するのである。すなわち、あらゆる身体の持続性は変化であって、不死なる〔身体〕のそれは、解体することなきもののそれであるのに対し、死すべき〔身体〕のそれは、解体を伴う〔変化〕である。これこそが、不死なるもの〔身体〕の死すべきもの〔身体〕に対する、また、死すべきもの〔身体〕の不死なるもの〔身体〕に対する相違です。

10
 さて、彼〔太陽〕の光が密であるように、彼〔太陽〕による命の産出も密なるものであり、場所の点でも供給の点でも絶え間がありません。というのも、ダイモーンたちの多くの合唱舞踏隊が彼のまわりを取り囲み、それは多彩な軍勢に似て…〔欠損〕…共に住んでいるが、不死なるものらとも遠く離れておらず、そこ〔不死なるものら〕からこれら〔死すべきものら〕の領域を割り当てられ、人間どものすることを監視し、神々によって課せられたことを実現させるのであって、暴風、豪雨、雷雨、火〔星辰〕の異変、地震、なおそのうえに飢饉や戦争によって、不敬虔に報復するのです。

11
 これ〔不敬虔〕こそは、神々に対する人間どもにとっての最大の悪である。なぜなら、神々の分は慈しみをくだすこと(eu¥ poiei:n)〔直訳すれば「善く制作すること」〕、人間どもの分は敬虔であること、ダイモーンたちの分は加勢すること(ejpamuvein)だからである。だから、その他、人間どもによって敢行されたことは、迷妄のせいであれ、大胆さのせいであれ、必然 — これを運命と呼ぶのです — のせいであれ、無知のせいであれ、そのすべては神々の前に数え上げられことはありません。しかし不敬虔だけは、裁き(divkh)にさらされてしまうのです。

12
 また、あらゆる種族の救い主にして養育者が太陽です。そうして、知性的世界(kovsmoV)が感覚的世界(kovsmoV)包み、多彩多様な形相(ijdeva)によってこれに嵩を与えて満たすように、太陽(h{lioV)も世界(kovsmoV)の内にある万物を包み、万物の生成に嵩を与え、力を与えます。また、死滅し消散したものらを引き取ります。

13
 さて、これ〔太陽〕の下に配置されるのがダイモーンたちの合唱舞踏隊、というよりも合唱舞踏隊団〔複数〕です。というのは、これらは多数おり、多彩で、星辰の方陣のもとに配列され、それら〔星辰〕のそれぞれと同数です。だから、配置にしたがって、星辰のそれぞれに仕えるのであるが、もろもろの自然(fuvsiV)、つまり、諸々の作用力(ejnevrgeia) — ダイモーンの有性(oujsiva)は作用力(ejnevrgeia)であるから — の点では善いものも悪いものもいる。また、それらのなかには善と悪とが混ざったものたちもいます。

14
 これらのものたちはみな、地上の諸行事や地上の騒乱に対する権限を定め受け、多彩な攪拌に従事する — 公的には、諸国家や諸民族に対して、私的には個人に対して。すなわち、わたしたちの魂を自分たちの都合のよいように作りかえ、かきまわすのです、わたしたちの神経、髄、静脈、動脈、そして脳にさえ巣くい、内臓にまでも浸透して。

15
 じっさい、わたしたちのめいめいが生まれ、魂を受けるのを受け取るのは、誕生のその瞬間に対応したダイモーンたち、つまり、星辰のそれぞれに配された召し使いである。ところが、このものたちは瞬間ごとに交替し、同じものたちが留まることはなく、輪番になっている。そういう次第で、このものたちは身体を通り抜けて魂の2つの部分に潜りこみ、それぞれが独自の作用力(ejnevrgeia)によってこれ〔魂〕をふらふらさせるのである。しかし、魂のロゴス的部分は、ダイモーンどもからは無主なるもの、神を迎えるものにふさわしいものとして立っているのである。

16
 こういう次第で、ロゴス的部分に、太陽(h{lioV)を通じて光線が射しこむなら(これらの人々は全体でも少数ではあるが)、この人たちのダイモーンたちは無力である。なぜなら、ダイモーンも神々も、誰ひとりとして神の一条の光線に対しては何もなしえないからである。しかしながら、その他の者たちはみな、ダイモーンたちによって魂をも身体をも導かれ運び行かれるのである、それら〔ダイモーンたち〕の作用力(ejnevrgeia)を歓愛し思慕するがゆえに。じつに†愛欲は、惑わされつつ惑わすものだというのがロゴスではないか†。そういう次第で、わたしたちの身体という道具を使って、この地上のあらゆる支配を手中にしている。このような支配のことを、運命(eiJmarmevnh)とヘルメースは呼んだのである。

17
 こういう次第で、知性的世界(kovsmoV)が依拠しているのは神、感覚的世界(kovsmoV)は知性的〔世界〕に〔依拠し〕、太陽(h{lioV)は、知性的・感覚的世界(kovsmoV)を通じて、神から善、つまり、造物活動(dhmiourgiva)の流出を供給されているのである。また、太陽のまわりには8個の球体があり、〔これらは〕それ〔太陽〕に依存している。〔その8個とは〕遊行しないものたち〔星辰〕のそれ〔球体〕と、遊行するものたちの6個のそれ〔球体〕と、地球をめぐる1個の〔球体〕である。これらの球体にダイモーンたちは依拠し、そのダイモーンたちには人間ども〔依拠する〕。こうして万物と万人は神に依拠している。

18
 ゆえに、万物の父が神、造物主(dhmiourgovV)が太陽(h{lioV)、世界(kovsmoV)は造物活動の道具です。そうして、天界は知性的有性(nohth; oujsiva)が統治し、天界は神々を〔統治し〕、ダイモーンたちは神々に配置されて人間どもを統治する。これが神々とダイモーンたちの一団です。

19
 以上のものらを通じて、神は万物を自分自身のために制作するのであって、万物は神の部分なのです。万物が〔神の〕部分であるなら、結局、万物が神です。だから、〔神は〕万物を制作することで、自分自身を制作し決してやめることがありません、〔神〕自身も終止することのないものだからです。そして、神は終わりを持たないように、その〔神の〕制作も、初めとか終わりとかを持たないのです。

2008.09.21. 訳了。


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