占星医学
[書誌情報] [解題]芍薬に関するヘルメス派小編 芍薬に関する議論(peri; th:V paiwnivaV)が読み取れるのは、少なくとも六つの占星術関連写本に於てで、体裁が少しずつ異なっている。第一〔系統〕の本文は、Vaticanus 952(以下、V写本)という14世紀のもの(CCAG, VIII-2、167-171頁)およびBononinensis 3632(以下、B写本)・Parisinus 2419(以下、P写本)という15世紀の二つ(CCAG, VIII-1、187-193頁)である。その本文は確かに古代のものだが、すでにビザンツのギリシャ語の単語を含み、ユダヤの影響を証言するものであり、しかもP写本の場合などキリスト教の影響が見出せる。P写本の校訂版はV写本(およびB写本)より長いものの、主張は同じである。第二〔系統〕はMatritensis 4616(OCAG, XI-2、164頁以下)のもの(以下、M写本)で、やはり古代のものである。第三〔系統〕になると中世のもので、Marcianus gr. app. II-163としてプラデル修道士が編纂し[タイトルは注3の"Le titre est"以下]、対応する体裁のものがレニングラードの写本(CCAG, XII、117頁以下)に見出せる。原則としてこの(フランス語)訳文ではV写本を採り、斜字体(イタリック)で山括弧(〈……〉)に入れてP写本から追加し、さらに共通部分の主な異文を脚注で指摘しておいた。 本論の出典は、ヘルメスの著作としてはっきり言及されているものと、『太古の〔書〕』と呼ばれてヘルメス派の『キュラニデス』に記された書物とである。加えて中世の異文では、芍薬をtrismevgistoV(Pradel、29頁26行)〔3倍偉大な〕という付加形容詞としている。(この語は)ヘルメス主義の埒外という扱いを受けていない。芍薬が、mh:ter tw:n botanivwn〔植物の母〕という名詞の下で引き合いにされているのは、葡萄が『キュラニデス』(10頁19行)でmh:ter aJpavshV qeivaV fuvsioV eujagou:V ejn futoi:V〔草木界におけるあらゆる神的な自然の良き導き手〕と述べられているのと同様だ。またおびただしいのは、(さまざまな体裁で伝わる)本論が、『キュラニデス』で芍薬に当てられた章やヘルメス派集成にある別のくだりと文章単位で対応する場合である。それゆえ『キュラニデス』とこの芍薬論とが、遡ればヘルメスが表したという植物に関する書物へゆきつくことに、疑問の余地はない。 加えて注目しておけば、一度でも占星術関連の本草論がさまざまな伝承を一つに合流していることを指摘するためにも、芍薬に関する章は、七惑星の植物に関する短い二編に読み取れる、といっておかねばなるまい。〔源流の一編〕はギリ シャ語でヘルメス・トリスメギストス著とされるもので(CCAG, VIII-3、153頁)、ラテン語訳でテッサロス著とされるものもある(CCAG, VIII-4、254頁)。芍 薬は、〔この二編を見れば〕ギリシャ語でアグラオパントン(ajglaovfanton)と、ラテン語でpaeoniaないしglycysideと名づけられている。そもそもその文章は、われわれの議論に於ける文章とほとんどかかわりがなく、ただ芍薬が〔どちらでも〕月の植物とされているにすぎない。この点(七惑星植物論という面?)がはっきり打ち出し、こちらの議論で欠いている細部がある、ということである。結局、神に対する呪文の一部 は、P写本にV写本への追加としてあるのだが(CCAG, VIII-1、188頁29行-189頁9行)、そっくりそのまま七惑星の植物に関するヘルメス派の二編の結びに(CCAG, VIII-3、164頁23行-164頁8行)見出せる。この呪文の方は、テッサロスのラテン語異本に欠けているため、Revue biblique(50号、1939年、69頁以下。170頁も参照)に訳出し注釈を附けておいた。 グリュキュシデーとか、アルパオーニアと呼ばれる植物の芍薬に関して 芍薬(paiwniva)がそう名づけられたのは、パイオーン(Paivwn)が見つけたからである。〈(P写本)人によってはトゼーリトーンtzhritw:nとも呼ぶ〉。「完全なるもの(tetelhsivnh)」〔奥義に達した完徳者〕といわれるのは、以前からある『太古の〔書〕』と題された書物でのことだ。ここからは処方である。月の欠けてゆく期間、芍薬探しに取りかかれ。位置するところからして、たちまち見つけ出せて〔芍薬の〕どの部分でも目に入りやすいはずだ。〔発見を〕もたらすのは、太陽が処女宮に入った時である。芍薬はとりわけ次の場所に生えている。ハイモス山地およびタウロメニアの山山、大バビロニア方面、トラキア、ガデイラ〔スペイン南西ガデス〕の先、エーゲ湾岸といった地域だ。他の地方にもむろん生えるが、上記地域のものに効能が及ばない。場所がどこであるか、十二宮のいずれにあるか、星辰からどんな影響〔ajpovrroia〕があるか、という〔違いの〕ためである。なしうるとすればかくして、このような次第による。 いわれてきたように、この聖なる植物は、見つけ出せるところに位置せねばならない。芍薬の閉じた種を一つ、開いた実から生じた〔種を〕もう一つ採り、両方を同じ植物の葉七枚でくるみ、清浄のまま、盛り上がったところ、そこだと望んでいるところに埋める。そうすると〔芍薬はやがて〕生え出て夜になれば、見つけられることになる。〔それゆえ〕にわか雨や風やゆれる大気から守っておけ。さてそういう次第で、月の日には、第一時の始まり、すなわち月の欠け始める時刻に、太陽が処女宮に入るが、夜明け前に家から清浄な状態で出でよ。準備万端整えられ、アザラシの完全な皮を持つことにもなるが、やはり〔月の日は〕生きものを解体する時期なのだ。〔このことは〕かつて神聖な書物の「解剖に関して」という章でいわれている。この符号を皮に書きこみ、〔皮を〕まがいでない生糸でこの植物の根元に結びつけよ。そういう次第で〔魔術の符号を〕書きこまねばならないことである。皮を結びつけながら、次の呪文をいえ。 「あがめられた天空と大地の神よ、あがめられ栄光を讃えられる始祖(to; ajrcevgonon)よ。あらゆる自然があなたをよしとし、その姿が、あなたという全宇宙に内在して栄光を讃える。というのも、あなたは完全なただ一つであり、始まりもなく、見えることもなく、到達も不可能であり、かわることもなく、限定もされず、侵されることもなく、永遠であり、測り知れず、窮めなく、人知を超え、根源にして目的であり、アルパー(!Alfa)であり、アドーナイ(=Adwnai<)であり、サバオート(Sabawvq)であり、セミメポラズ(Semimeforavz)であり、ゲセラゲであり、アムノイア(=Amnoiav)であり、イアナであり、サッダイ(Saddai<)であるからだ。あなたこそ、貧窮にも富裕にもし、下げたり上げたりし、矯正したり治したりし、死なせたり命をもたらしたりする。〈……〉だからあなたには、力トイウ力の主よ、聖なる住まいにある栄光の玉座という高みから一瞥して、わたしというあなたの奴隷にこの〔一瞥という特別な〕計らいをたまえよかし。〈(P写本)〔計らいにより〕この聖なる植物が効能を発揮するのは、あらゆる毒に対して、毎日熱・三日熱・四日熱、要するにありうるすべての発熱に対して、悪魔どもに対して、人間の呪文に対してである。勝利を引き寄せる呪力として役立ちうるのは、あらゆる害ある主人・女主人に対して、あらゆる不吉なまなざしや悪影響や奸計に対してだ。計らいをこの聖なる植物によってえられようし、自分に都合よくもなろう。そしてこの植物に触れるたびに、自分を好ましい時となろう。だれであろうとこの植物から作られた薬を服用するなら、さまざまな病に耐えさせてくれよう。胸郭や胸部や肝臓や脾臓の疾患に対して、下腹部あたりや腰の疾患に関して、屁や心配性や頭痛や痛風や関節炎に対して、どの葡萄園も畑も肥沃の園も囲い地もだめになる場合に対して、どんな敵が家の中へ入ろうとするのに対しである。あるいは口が利けるよう回復させ、結婚初夜の男を不能にさせ、記憶をとりもどさせ、規則正しく経血を排出させるであろう。いかなるところを立ち去るにせよ陸路でも海路でもこの植物をたずさえ、どんなできごと[δουλεια]にもそなえておけよう。これのおかげで道筋は好ましくも安楽になり、市(いち)でも競りでも何にでも赴ける。同様に磁石が神によって寵愛をえられ、鉄を引きつけてもはや放せないごとく、同様にすべてが私の元へ引き寄せられる。男でも女でも、この植物を介してこちらへ駆け寄るのは、あたかも神が贈物をたずさえてくるごときである。聖霊の計らいによりこの植物のおかげで、盗賊が入りこもうとすれば、目が眩んでもはや道を見ることもかなわない。この植物は、人助けをこととし、受胎のためにも受胎防止のためにもなる。どんな薬でも膏薬なり糊膏なりとして使うなら、清潔にし癒合させすっかり回復させる。この植物は出産を助ける。旅に有用である。案内となってよい道筋を見きわめさせる。戦闘やあらゆる水難や馬での遠征や断崖に於て助けてくれる。〉要するにこの植物が、どんな手当にも手立てにも用いれば役立つのは、御名が、あがめられ栄光を讃えられて何世紀にも及ぶからである。アーメン。」 さらにカルデア語・シリヤ語・ペルシャ語で「アーメン、アーメン、アーメン、いついつも」ということばを〔いえ〕。 加えてもう一度、呪文を〔いえ〕。「神よ、ケルビムの上にあって、その能力を発揮し、来りてわれらを守られよ」。第一の呪文は、七度いえ〈オリエントに向かって〉。しかしこのカルデア語・シリヤ語の呪文は一度だけだ。 このようになして、この場所へ七日間もどれ。その間ずっとすべてがよき秩序にあることであろう。立ち去ろうとするどの日でも、呪文は太陽の上がる前に唱えよ。さてそういう次第で、次の日すなわち第二の日には、家から第一時に出るさい使われたことのないケラミテース(keramivthV)を身につけよ。それは効力も認められしっかり試されたものだ。同様にシデーリテース〔「鉄石」の意。宝石。Plin. NH37.58〕および緑柱石も身につけよ。この植物を薫蒸し、その時、円形に〔燻蒸〕しながら二つの呪文を唱えるのだ。加えて、根元を円形に露出させて注意深く引き抜き、みずからにいいきかせるごとく手際よく扱うことで、みずからが〔芍薬に〕精通した完全なる者であるのに気づくであろう。じっさい部分部分、根・枝・葉および実・閉じた種および開いた種にわける時、こうした部分部分が何よりも価値あることを知るはずだ、もっとも高い〔価値〕といわれてきたものにまして。この聖なる植物に関して次のようにいわれている。神が、ヘルメス・トリスメギストスに対して、死すべきもの人間にとり薬のごとく苦痛を鎮めてくれ、生きる上で有用だ、と明らかにしたので、かくしてエジプトの聖なる書物に記入されることになった、と。 いかなる部分であれを持っているなら、えもいわれぬ御名であるイト高キ神を書きこんでおけば、悪魔を恐れる必要などない。こうした場合にはまた、呪いも家の中にゆきどころがない。そこで〔根に〕その符号を書きこんでたずさえるなら、毒にも他の害にも恐れる必要がなくなるであろう。自分自身から遠くへ三日熱・四日熱・毎日熱、要するにすべての発熱を追い払い、不吉なまなざしや悪影響や奸計を追い払うので、こうした植物は、加護をすべての人にもたらし、支持をかちとるはずだ。癲癇に苦しむ者があり、首にこの根をあてがうなら、待ち望むことなく治すことができよう。悪魔にとりつかれた者があれば、小片すなわち小さな切端の根で薫蒸せよ、悪魔を追い出せるはずだ。こうしたことこそ、神による作用である。 [この段落のあとは、二つの本文があまりに異なり、一方で他方を〔補って〕完成することができない。そこで順番に訳すこととし、ヴァティカン写本952から始めよう。パリ写本2419にある一節に注意を喚起しておく。その短い断片こそヴァティカン写本の校定〔資料〕を残しているのである。] V写本 (VIII, 2,170,2 ss.) 第二章 受胎に関して 第三章 はなはだ強力なお守りに関して P写本(VIII, I, 191. 13 ss.) この植物の汁から薬が調合できる。それは、一度飲めばあらゆる内部疾患も治癒できるというもので、胸郭、胸部、二つからなる部位、すなわち、肝臓および脾臓といったあたり、あるいは臍、下腹、腹、腰といったあたりの疾患に対して〔効き目がある〕。要するにはなはだ強力なお守りに他ならない。ここからは処方である。芍薬の汁1オンス、ポタモゲイトーン(potamogeivtwn)1オンス、蘆木の樹脂香5〔単位不詳〕、テオゴン〔薬草の1種、不詳〕の根1。こうした材料、干し草をぬらせて粉末にしてから、ガラスの壺で保管せよ。必要と思われた時は、3ヘクサギア〔半オンス〕をあたえて葡萄酒で飲ませよ。患者が飲むさいに呪文を七回読み上げてやれば、患者は治る。 それの根で以てお守りに、葡萄園、畑、菜園を監視させることになる。根に小刀でケルマイ〔V本ではゲルマイ〕という先にあげた文字[魔術の記号]を刻み、樹木のもっとも高いところにつるせば、葡萄園、畑、菜園に高みから〔お守りは〕目を光らせることになろう。そうできれば、損害を被るようなことは、雹によっても霜によっても豪雨によっても暴風雨によっても、ないことになる。要するにこのお守りはありとあらゆる有害な獣や蛇に効く。有害なものとは、毛虫、いなご、ブラコス(?)、麦への虫害、パルコス、ブーコス、ペロカム(?)といった野菜や植物の果実を台なしにするものであり、クーメノスといった夜ずっと樹木の根っこにいて食べてしまうものであり、クーンといった葡萄を夜な夜な台なしにするものである。 (盗賊に関して) (声の衰えに関して) (健忘に関して) (月経の中断に関して) その植物の小枝を持ち、「ゲネムトリ・ガルガル」と記せ。そのようにすれば、みずから向かうできごとへの道筋も好ましく安楽になろうし、名誉までもそこに到ればえられ、ひとびとが走り来るさまは神に対してのようだ。もしもだれかがその葉に「アルケウ、イリ」ということばを書きこんで扉の敷居におけば、盗賊が家に入ってくるはずなのに、目を眩ませて通り道をまったく見えなくするはずだ。 芍薬の実は、受胎に有効であり、また受胎防止にも〔そうで〕ある[同じ文章がのVat. 952第2章にもある]。この薬は、石女に出産させ、子持女を不妊にする。種子一粒を開いた実から採取してアザラシの聖なる皮で包み、下腹部にゆわえつけて月の欠ける期間の三度にわたってそのままにしておけ。そんな風にすれば女は子宝をなくすであろう。この薬〔の効能〕を確かめたければ、動物なり鳥なりに実行すると、出産しなくなる。 種子から膏薬を調合すれば、アンギーナ〔咽頭・扁桃腺の炎症〕を解消し、化膿したりふさがりにくかったりする傷口を清潔にし、組織を回復させる。ここからは処方である。芍薬の種子1リットル、枝の汁1オンス、サルビアの搾り汁2オンス、メマカム〔?〕の根2オンス、蜜蝋1オンス、雁の脂肪1オンス、ピスタチオ1オンス。この混ぜ物をこしらえ、自宅に保管せよ。必要と思われた時には、役立てよ。混ぜ物をこしらえる時には、「アオー、イオー、イオーン、エローイ、オイカム、キアク、ザンプリ、リパ、カム」ということばをいえ。 産褥で猛烈な痛みに我慢し、また危険があるなら、その植物の開いた種を一つ油につけて、腰と下腹部とに塗ってこすれば痛みなく出産するであろう。この作業をしている間、完全なる者〔完徳者〕となる。 いかなる者にこの薬が知られていなくても、おのが息子以外のだれにも渡すべからず、手渡すなら密かに宝物のごとくせよ。〉 (訳:竹村 宏) |