抜粋(Excerptum) III (IV Scott)
Stobaeus 1. 49. 5, vol. I, p.322 Wachsmuth.

同じ人〔ヘルメース〕の〔書〕。

1
 魂はすべて不死にして、永遠の動体である。じっさい、『概説』の中でわたしたちが謂ったことだが、動体には、諸作用によるものと、身体によるものとがある。


わたしたちは謂う、魂は、質料によってではなく一種の有性(oujsiva)によって生成し、無体であり、無体であるそれ〔有性〕に〔属する〕と。なぜなら、生成するものはすべてあるものから生成するのが必然であるから。


 もちろん、生成に消滅が追随するかぎりのものらのうち、これらに2つの動が随伴するのが必然である。ひとつは、魂の〔動〕(これによって動かされる)、もうひとつは身体の動(これによって生長し、消滅し、さらにはまた解体するときに解体する)である。この動を、消滅する身体の動とわたしは定義する。


 しかるに、魂が永遠の動体である所以は、それが常に動き、他の動体に作用するからである。だから、この道理にしたがって、魂はすべて不死にして永遠の動体であり、みずからの作用として動を有するのである。


 魂には種類がある。神的〔魂〕・人間的〔魂〕・ロゴスなき〔魂〕である。さて、神的〔魂〕は、神的身体〔天体〕の内なるその作用である。すなわち、その〔神的身体の〕内で動き、それを動かせる。


じっさい、〔魂は〕死すべき動物から解放されると、みずからのロゴスなき部分から離れ、神的身体の方へと出て行き、そこにおいて永遠の動体のように動く、すなわち、全体といっしょに運行するのである。


これに反し、人間的〔魂〕は、神的なもののあるものをも有し、その他のロゴスなきものら、つまり欲望(ejpiqumiva)や気性(qumovV)もこれに結びつく。これらは、これらが作用であるゆえに、不死ではあるが、死すべき身体の作用である。それゆえ、神的部分に属しはするが、神的身体の内なる魂に属するのであり、はるか遠く隔たっている。しかし、これ〔神的な部分〕が死すべき身体に入りこむと、かのものらも付着し、これらのものの現存によって人間的魂が常に生成するのである。


そして、ロゴスなきものらの〔魂〕は、気性と欲望から成立している。だからこそ、これらの動物はロゴスなきものと呼ばれているのである。魂のロゴスを奪われているゆえに。


魂なきものらの第四の〔魂〕を理会せよ。これは、諸々の身体の外にあって、動きながら作用するところのものである。ただし、これは神的身体の内にあって、動きつつ、あたかも通りすがりのように、それら〔諸身体〕を動かせるものである。

2008.09.28.


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