1
「真理について、おお、タトよ、人間 不完全なる諸部分から構成され、また、余所余所しい多くの身体から成り立っている生き物にすぎない が敢言することはできない。可能であり、あるいは義しいことは、これはわたしの主張だが、真理は永遠なる諸身体の内にのみ存在するということである。
2
これら〔永遠なる諸身体〕の身体そのものは真実である、 火はまさしく火(aujtovpur)であるだけで他の何ものでもなく、地はまさしく地(aujtovgh)であって他の何ものでもなく、大気はまさしく大気(aujtoavhr)であって<他の何ものでもなく>、水はまさしく水(aujtouvdwr)であって他の何ものでもない。これに反し、わたしたちの身体は、これらのすべて〔要素〕から成り立っている。というのは、一部は火に属し、一部は地に属する。また水にも大気にも属し、しかも火でもなく、地でもなく、水でもなく、空気でもなく、何ら真実なものでもない。わたしたちの合成が初めに真理を有していないなら、どうして真理を見たり云ったりすることができようか。しかし、神のご意志であれば、あなたは理会することだけはできよう。
3
さて、おお、タトよ、地上にあるすべてのものらは真理ではないが、真理の模倣物ではある。それも、すべてではなく、少数のものらがそれ〔模倣物〕である。
4
その他のものらは虚偽であり迷妄であって、おお、タトよ、ちょうど似像のように幻から成り立っていると思うがよい。で、上からの流出を幻が得ると、真理の模倣が生じる。しかし、上からの作用なしには、虚偽のまま残される。あたかも、似像は、見られるものの幻どおりに絵の身体を示しはするけれど、それ〔似像〕そのものは身体ではなく、〔似像は〕眼をもっているように見られるけれど、何ものをも見ることなく、<耳もまた>何ものをも全然聞くことなく、その他のすべても、絵はもっているけれど、見る者たちの視覚を欺く虚偽である、真理を見ていると思われているけれど、真実には虚偽であるのだから。
5
ところで、虚偽を見るのでないかぎりの者たちは、真理を見る。そこでもし、われわれがかくかくのものらのおのおのを有るがままに理会したり見たりするなら、われわれは真実を理会もし、見もするであろう。しかし、有に反してなら、われわれは何ら真実を理会することも見ることもないであろう」。
6
「すると、父よ、真理は地上にもあるのですか。[的外れではありませんね]」。
「おまえは躓いている、おお、わが子よ。真理は決して地にはないのだ、おお、タトよ、生出することもできず、真理について理会できるのは人間の中の数人であり、この者たちに神は見神の能力が生ずるよう授けてくださるにすぎない」。
7
「それなら、この地に真実は何ひとつないのですか」。
「わたしは理会し、わたしは言う。『すべては表象(fantasiva)であり思念(dovxa)である』。真実をわたしは理会し、わたしは言う」。
「すると、少なくとも真実を理解し言うこと、これを真理と呼ぶべきではありませんか」。
「ではどうか。有るものらを理解し言うべきである。しかるに、地上に真実なものは何もない。この世に真実なものは何もないという、このことは真実である。いったいどうして〔真実が〕生じることができようか、おお、わが子よ。
9
なぜなら、真理は究極の徳であり、無雑な善そのものであり、質料(u{lh)によって濁らされることもなく、身体によってまといつかれることもなく、裸で光り輝くもの、不変なる気高きもの、変異せざる善である。これに反し、この世のものらは、おお、わが子よ、おまえが見るとおり、この善を受け容れられぬものら、腐敗し、受動し、解体し、変化するものら、常に変異するものら、いや、他のものらから生じるものらである。
10
だから、自己に対してさえ真実でないものらが、どうして真実であり得ようか。なぜなら、変異するものはすべて虚偽であり、有るものの内にとどまらず、違う表象に変化して、次々と違う〔表象〕をわたしたちに示すからである。
11
「人間も真実ではないのですか、おお、父よ」。
「人間であるかぎりは、真実ではないのだ、おお、わが子よ。というのは、真実は、自己から成るもののみで合成を有するもので、有るがままのものとして単独でとどまるからである。これに反し人間は、多くの〔要素〕から成り立ち、単独はとどまることなく、変化し、年齢から年齢へ、形姿から形姿へと変わりながら、しかもなお同じものとして天幕〔肢体〕の内にあるのである。そのため、多くの人たちは、わずかな時間を経る間に、わが子を認知〔覚知〕し得ず、逆にまた子も両親に対して同様なのである。
12
さて、変化のあまりに認知できないことが、真実であり得るか、おお、タトよ。正反対に、変化の多彩な表象の内に虚偽が生じているのではないのか。しかるに、おまえの理会では、留まるもの永遠なものは一種の真実である。しかし人間は永遠ではない。だから、真実ではない、というふうに。人間というものは表象にすぎないが、表象は虚偽の最たるものであろう」。
13
「それでは、おお、父よ、永遠の諸身体〔天体〕は、変化するのですから、これも真実ではないのですか」。
「たしかに、生出し変化するものはすべて真実ではない。しかし、父祖(propavtwr)によって生じたものらは、質料を真実なものとして保持いていることができるのだ。とはいえ、これらも変化のせいで一種の虚偽をもっている。自己にとどまれないものは何ひとつ真実ではないからだ」。
14
「それでは、真実なものとして、おお、父よ、何をひとは云い得るのですか」。
「ひとり太陽のみを 自余のいかなるものらとも違って変化を受けることなく、自己にとどまり、彼のみは真理を、それゆえまた世界の内における万物の創造を信じているのである、万有を支配しつつ、万有を制作しつつ。わたしはこれを崇拝もし、その真理を礼拝しもする。わたしが覚知するのは、一者にして第一位の〔造物主の〕次に、この造物主である」。
15
「それでは、第一位の真理とは何ですか、おお、父よ」。
「一者にして唯一者だ、おお、タトよ、質料によって成らぬもの、身体の内に有らぬもの、色なく、形なく、変化なく、変異なきもの、常に有るものだ。
16
これに反し、虚偽は、おお、わが子よ、腐敗する。つまり、地上にあるものらはすべて、真実なるものの摂理(provnoia)が腐敗によってこれを捕らえてきたし、包囲しているし、包囲するであろう。すなわち、腐敗なくしては、生成さえ成り立つことができないのだ。あらゆる生成に腐敗が付随するのは、再び生出するためである。というのは、生起するものらは、腐敗したものらから発生するのが必然であり、生成するものらが腐敗するのが必然なのは、有るものらの生成が停止しないためなのだ。有るものらの生成において、この第一の造物主を覚知せよ。こういう次第で、腐敗から生ずるものらは、時によって違ったものらが生じるのであるから、虚偽であろう。というのは、同じものらが生じるのは不可能だからである。同じでないものが、どうして真実であり得ようか。
17
だから、これらを表象と呼ぶべきなのだ、おお、わが子よ、少なくともわたしたちが正しく命名しようとするかぎりは。人間は人間性の表象、幼児は幼児〔性〕の表象、若者は若者〔性〕の表象、大人は大人〔性〕の表象、老人は老人〔性〕の表象と〔呼ぶべきである〕。なぜなら、人間は人間でもなく、幼児は幼児でもなく、若者は若者でもなく、大人は大人でもなく、老人は老人でもないからである。
18
かくして、変化するものらは、過去にあったものらにせよ、現にあるものらにせよ、虚偽である。とはいえ、このことは次のように理会せよ、おお、わが子よ、これら虚偽なるものらも、上方の真理そのものに由来する諸々の作用力(ejnevrgeia)に依拠しているというふうに。事情かくのごとくであるから、わたしの主張だが、虚偽は真理の働きの結果(ejnevrghma)である。
2008.10.03. 訳了。