抜粋(Excerptum) V (V Scott)
Stobaeus 1. 41. 8, vol. I, p.290 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕、[アムモーン宛て]タト宛て〔文書〕から。

1
 そうして、あらゆる永遠の身体の主にして造物主は、おお、タトよ、一度きり制作して、二度と制作することがなかったし、現に制作していない。なぜなら、それらをそれら〔永遠の身体〕自身に引き渡し、互いを合一させた後は、永遠なものらであるから何ら欠けるところなきものとして運行するに任せたからである。もしも何らか必要とするならば、お互いに必要とするであろうが、外からの付け足しは何ひとつ〔必要と〕しないのは、不死なものらだからである。というのは、あのかたによって生じた身体は、そのような自然(fuvsiV)をも有しているからである。


 ところが、身体の内なるわれらが造物主は、われわれを、解体し死すべき身体として、制作したし、常に制作しているし、制作し続けるであろう。なぜなら、自身の造物主を模倣することは、彼にとって掟に反するばかりか、何よりも不可能だからである。というのは、前者は、非体である最初の有性から制作したのだが、後者は、既にできあがった体からわたしたちを制作したのだからである。


 そういう次第で、正当なロゴスにしたがえば当然、くだんの諸身体は、非体的有性から生出したものらであるから、不死である。他方、わたしたちのそれの方は、解体し死すべきものである。わたしたちの質料(u{lh)が諸身体から構成されているものとして、


脆弱で数多くの援助を必要とするからである。(はたして、わたしたちの身体の紐帯が、かりそめの間であったにしろ、どうして耐えられようか、同等の諸要素や、わたしたちの身体を更新するものから、日々進入してくる一種の養分を受得しなかったとしたら。というのも、地と水と火と空気の流出がわたしたちに生じ、これがわたしたちの身体を新しくして、その天幕(skh:noV)〔肢体〕を保持しているのだから)。


 その結果、諸々の運動に対してもわれわれはあまりに脆弱で、1日たりと運動を担い得ず、よく知るがよい、おお、わが子よ、わたしたちの身体が夜の間に休息しないかぎり、1日の間、持ち堪えられないであろう。ここからして、造物主は善であり、万象を予知するものであるから、生き物が持続するために、夢を、運動の疲れの最大の<……>を制作し、しかも、〔運動と眠り〕それぞれに時間を等しくなるよう、いやむしろ、急速によってより多くなるよう、配分したのである。


 そこで、わが子よ、眠りの作用は最大だと理会せよ、それは魂の〔作用〕とは反対であるが、それに劣ることはない。というのは、魂が運動の作用であるように、同じ仕方で諸身体も眠りなくしては生きられないからだ。要するに、休息(a[nesiV)は紐帯からの放免(a[fesiV)でもあり、


内部で作用して、進入してくる質料(u{lh)を身体の中に作りこみ、各部分に親しいものを配分する。血には水を、骨や髄には地を、筋や血管には空気を、視覚には火を。だからこそ、眠りが作用しているとき、身体はまさしく快感をはっきりおぼえるのである。

2008.10.04. 訳了。


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