抜粋(Excerptum) VI (VI Scott)
Stobaeus 1. 21. 9, vol. I, p.189 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕、タト宛て〔文書〕から。

1
 「先の『概説』の中で、36のデカン注1)について明らかにするとわたしに約束なさったのですから、それらとそれらの作用について、今、わたしに明らかにしてください」。
 「なんの物惜しみもない、おお、タトよ、このロゴスはあらゆる〔ロゴス〕の中で卓越し、冠絶したものであろう。そこで、次のように理会しなさい。


 黄道帯の軌道 — 獣帯とも〔いわれ〕、5つの惑星と太陽と月と、それらのおのおのの軌道 — について、わたしたちはおまえに謂った」。
 「たしかに謂われました、おお、トリスメギストスよ」。
 「36デカンについても、あれらのことを想起して、おまえは次のように理会してもらいたい、これらに関するロゴスもおまえにとってよくわかるように」。
 「おぼえています、おお、父よ」。


 「たしかわたしたちは謂った、おお、わが子よ、万象を包む体がある、と。そこで、これ〔体〕も環状だと洞察しなさい。というのも、全体(to; pa:n)はそういうふうなのだから」。
 「そういう形があなたの言われるとおりだと理会します、おお、父よ」。
 「そして、この体の軌道の下に、36のデカンが配置されており、全体(to; pa:n)の軌道<と>黄道帯の〔軌道〕との中間に、両方の軌道を分かち、あたかも前者を持ち上げ、黄道帯の見おろしている、


惑星といっしょに運行しながら、7〔星辰〕とは逆方向であるが、全体(to; pa:n)の運行と同じ力を有する。そうして、一方では、〔全体を〕包摂する体を押しとどめ(というのは、それが単独で全体の内にあるときは、運行〔速度〕において極端であるから)、他方では、7つの他の軌道を急かせる。全体の軌道よりも遅い動きで運動するからである。こうして、それらと全体の軌道とが動くのは必然のごとくである。


 さて、〔デカンは〕7つの<……>の〔動き?〕もあらゆる軌道も<……>、いやむしろ、世界(kovsmoV)内の万象の番人のごときものと理会しよう。みずから万象を取り囲み、万象を保持しつつ、万象のよき秩序を見守るのだから」。
 「もちろんそういうふうに理会します、父よ、言われるところに従って」。


 「さらになお理会せよ、タトよ、〔デカンは〕他の星辰が受ける事柄を受けることもない。なぜなら、走路にしがみついて固着しているわけでもなく、妨害されて逆行するわけでもなく、ましていわんや、太陽の光によって掩われるわけでもない、これらは他の星辰が被ることだが。いや、自由であって、あらゆるものを超越し、厳格な番人にして、万象の監督者のように、昼夜を分かたず全体(to; pa:n)を取り巻いているのである」。


 「もしかすると、これらも、おお、父よ、わたしたちに作用力(ejnevrgeia)を持っているのでしょうね」。
 「最大のをだ、おお、わが子よ。あのものら〔天体〕に作用するのに、どうしてわれわれに作用しないなんてことがあろうか、〔わたしたち〕ひとりずつ個別にであれ、共同であれ。


 そういうふうに、おお、わが子よ、一般的に結果する万象の作用(ejnevrgeia)は、それら〔デカン〕に由来する。例えば、(わたしの言うことを理会せよ)王制の転覆、都市の叛乱、飢饉。疫病、海の干潮、地震、こういったことの何ひとつとして、おお、わが子よ、それら〔デカン〕の作用なくしては起こらないのだ。


 これらのことに加えてなおまた理会せよ。仮に、これら〔デカン〕があのものら〔7星辰〕を監督し、われわれがまた7〔星辰〕の支配下にあるなら、あのものらの何らかの作用が、われわれに及ぶのは、自身の息子としてか、あるいはあのものらを通してであると、おまえは理会するのではないか」。

10
 「これら〔デカン〕にとって、おお、父よ、体の型はいかなるものですか」。
 「じっさい、これらを多くの人々はダイモーンと呼んでいる。というのは、ダイモーンの類は何か固有のものではなく、一種特別の質料からなる他の体を持ってもおらず、われわれと違って魂によって動かされることもなく、これら36の神々の作用である。

11
 これらのことに加えてなおさらに理会せよ、おお、タトよ、これら〔デカン〕の働き(ejnevrghma)について、(tavnaV)と〔人々が〕呼ぶものを地上にも種蒔き、そのあるものは救いをもたらすが、あるものはきわめて破壊的である、と。

12
 さらにまた天上を運行しつつ、自分に対する奉仕者としての星辰を生み、<これを>召し使いとしても兵士としても有する。これらの〔星辰〕は、あのものら〔デカン〕の下に、霊気のなかに浮かんで、〔霊気と〕交わりつつ運行し、星辰のない場所は上方にひとつとしてないよう、その〔霊気の〕場所を充満し、全体(to; pa:n)をくまなく飾り、固有の作用を、しかし36〔デカン〕の作用には服従している〔作用〕を有するものらである。これらの〔奉仕者である星辰〕から、他の有魂の生き物たちのその場その場における破滅も、果実を害する生き物たちの大群も生じるのである。

13
 これらの〔星辰の〕下にはいわゆる熊座(Ursa Major)があり、黄道帯の中央に、7星から構成され、頭上に別の均衡を有している。この〔熊座の〕働きはまさしく車軸のごとくで、決して沈むことなく、昇ることもなく、それは同じ場所にとどまって、同じところを回転しているが、獣帯の<…〔欠損〕…>に作用することで、この全体(to; pa:n)を夜から昼に、また昼から夜へと引き継ぐものである。

14
 この〔熊座〕の後には、星辰の他の合唱舞踏隊があり、これに命名するだけの価値をわれわれは認めてこなかったが、われわれの後代の人たちは、記憶して、みずからこれらに命名することであろう。

15
 月の下には、別の星辰〔流星や大気現象〕があり、これらは腐敗的で、無為で、少しの間存続し、地そのものから、地を超えた霊気にまで蒸発するものらで、われわれもこれらが解消するところを目にでき、地上の生き物たちのなかで無用なものら — 例えば、ハエの類やノミのそれやウジのそれや、他の似たものらのそれのように、腐敗するだけにあり、それ以外の他の目的で生じることのない — に似た自然を有している。というのも、あのものら〔別の星辰〕は、おお、タトよ、われわれにも世界(kovsmoV)にも無用な存在であって、むしろ逆に苦痛で悩ませるもの、自然の副産物であって、その生成が余剰なものらである。同じ仕方で、地から蒸発する星辰も、上方の場所を占めることはない(下方から上るために不可能だからである)、が、たいていは重量を持っているので、おのれの質料によって下方へと引っ張られ、すぐに雲散霧消し、解体して再び地上に落ち、地を超えた霊気をかき乱すだけで、それ以外には何ら影響を及ぼさないものらである。

16
 〔これらとは〕別の類がある、おお、タトよ、「長髪」と呼ばれ、折を見て出現し、しばらくの後再び消滅し、昇ることも沈むことも解消することもないものらの類で、一般的に未来に成就する事柄の目に見える使者および伝令となる者たちである。彼らはその場所を太陽の軌道の下に有する。かくして、世界(kovsmoV)に何かが起ころうとする場合は、このものたちが現れ、<そして>しばらくの間目に見えた後、再び太陽の軌道の下に行って、目に見えざるものとしてとどまる、東に見えるもの、北に見えるもの、西に見えるもの、南に見えるもの、それぞれ別々に。だから、これらを占い星とわれわれは命名してきた。そして、星辰の自然は以下のごとくである。

17
 星辰(ajstevreV)は星座(a[stera)と異なる。すなわち、星辰とは、天に浮かんでいる星々であるが、星座とは、天体のなかに横たわっているが、天[の中に]ともに運行しているものらであり、われわれが12の獣を命名した所以のものらのことである。

18
 以上のことに無知でない者は、神をはっきりと理会できるのであり、敢えて云わなければならないとするなら、目撃者となって観想することも、観想した者として浄福者となることも〔できる〕のである」。
 「真に浄福者です、おお、父よ、それを観想した人は」。
 「しかしながら、不可能である、おお、わが子よ、身体の内にあるものが、それにめぐり会うことは。だから、ひとは自分の魂をこの世で鍛錬しなければならないのだ、それ〔魂〕が観想できるあの世に生まれたとき、道を見失わないように。

19
 これに反し、身体を愛するかぎりの人間どもは、美にして善なるもの相貌を観想することは決してできないであろう。というのは、どれほどの美であろう、おお、わが子よ、形もなく色もなく体もなきものは」。
 「何かあるのでしょうか、おお、父よ、それら〔形、色、体〕を欠いた美しいものが」。
 「ひとり神のみが、おお、わが子よ、いやむしろ、神の名はもっと偉大なものである」。

2008.10.19.


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