抜粋(Excerptum) VIII (VIII Scott)
Stobaeus 1. 4. 8, vol. I, p.73 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕。息子宛て。

1
 「万事正当に、おお、父よ、わたしに云ってくださいましたが、しかしさらにわたしに想起させてください、摂理(provnoia)に関することは何か、必然に関することは何か、同様に、運命(eiJmarmevnh)に関しても」。


 「わたしたちの内には、おお、タトよ、無体に3つの種類があるとわたしは謂ってきた。ひとつは可考的なものである。たしかにこれは無色、無形、無体にして、第一の可考的有性からなるものである。


さらに、わたしたちの内には、これに反対な形態(schmatovthV)がある。これは受動する。とにかく、可考的有性によって、何らかのロゴスに応じて動かされ、受動するものは、すぐに動きの別な種類へと変化するのであるが、これは造物主の思惟の影像である。


そして無体の第三の種類、これは、諸々の身体に関して結果するもの、つまり、場所、時間、動き、形、外観(ejpifavneia)、大きさ、種類(ei¥doV)である。そして、これらにも2つの違いがある。すなわち、そのひとつは個物の性質であり、もうひとつは身体のそれである。前者は個物の形における性質で、色、種類、場所、時間、動きである。後者は身体の固有性であり、形に表れた形、色に表れた色であり、さらには形状に表れた形状(morfhv)や外観や大きさである。以上がこれ〔諸々の身体に関して結果するもの〕に属するものらである。


 さて、可考的有性は、神の近くに生じ、自分自身の自由(ejxousiva)を有し、他のものを救済する〔自由を有するとともに〕、みずからを救済する。有性そのものが必然に服することはないからである。ただし、神に取り残されると、身体的自然を選び取ることになる(〔可考的有性〕そのものの選択も、摂理に反したものである)、こうして、この世界(kovsmoV)に属するものとなる。


 ロゴスなきものはすべて、何ほどかのロゴスに応じて動く。


そして、ロゴスは摂理にしたがい、ロゴスなきものは必然にしたがい、身体に関して結果するものらは、運命にしたがう。これが、摂理にしたがうものら、必然にしたがうものら、運命にしたがうものらのロゴスである」。

2008.09.29.


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