抜粋(Excerptum) X (X Scott)
Stobaeus 1. 8. 41, vol. I, p.104 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕。タト宛て〔文書〕から。

1
 3つの時間についての発見は以下のとおりである。すなわち、〔3つの時間は〕それぞれ独立しているわけでも、合一しているわけでもない。もっといえば、それぞれ合一し、かつ、独立しているのである。


現在が過去と無関係だと仮定すれば、現在があることは、過去も生じていないかぎりは、不可能である。なぜなら、過ぎ去った時から現在が生じ、現在から未来がやって来るのだから。


 もっとよく吟味しなければならないとするなら、わたしたちは次のように推論しよう。過去時が過ぎ、その結果もはやそれ〔過去時〕ではなく、しかし未来〔時〕はなく、そこにいまだ現在せず、現在〔時〕も同時に現在してそこにとどまることもない、と。つまり、決定的瞬間、[時間の]針の先の一瞬さえも保持して存立していないとき、存立していることもできない〔時間〕が、どうして現在であると言われようか。


 さらにまた、過去は現在と接し、現在は未来と〔接し〕ているのだから、同一性と合一性と継続性によって、ひとつとなる(自分たちと無関係ではないのだから)。


このように、継続もし分離もしているのだから、時間は一にして同一である。

2008.10.14.


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