抜粋(Excerptum) XV (XV Scott)
Stobaeus 1. 41. 7, vol. I, p.289 Wachsmuth.

ヘルメースの書。アムモーン宛て〔文書〕から。

1
 ところで、動くものは、万有(to; pa:n)を動かせる運動の作用(ejnevrgeia)によって動かされる。というのは、万有の自然が万有に運動をもたらすのであるが、ひとつの〔運動〕は自分の力にしたがったそれを、別の〔運動〕は、作用にしたがったそれを〔もたらす〕。そうして、前者は世界(kovsmoV)全体に浸透し、その内部で統括し、他は突き抜けて外側を取り囲んでいる。かくしてあらゆるものを通じて共通に融通しているのである。


 また、万物の自然も、生成するものらを生むのだから、生まれるものらに生長をもたらすのであって、一方では自分の種子[誕生]を種蒔き、他方では質料(u{lh)を動かすものとして有する。こうして、動かされることによって温められ、質料は火と水になり、前者は体力があり強力であるが、後者は受動である。そして火は水と正反対だから水を乾燥させ、水の上にのしかかる<大地が>生じた。しかしたっぷり乾燥されると、3つの〔要素〕 — 水<と>土と火 — から水蒸気が生じ、大気となった。


 これらは界面(aJrmoniva)のロゴスにしたがって、温は冷と、乾は湿と結合して、また、それらが息を合わせることで霊気と、取り囲む霊気に比例した種子が生じた。


 この〔種子〕は、子宮の中に落ちると、種子の内に平静にしておらず、平静にしていない種子をさらに変化させ、変化したものは増大と大きさをもつ。この大きさの上に、形の影像が被せられ、形を採る。さらに、この形の上に形相がのしかかり、この〔形相〕によって性格づけられるものはさらに性格づけられる。


さて、霊気は胎の内に活きた運動は有さないが、害する〔運動〕は有しているので〔?〕、これをも思考する命の容器(ただし、これは部分なく、変化なく、不変化性から決して離脱することがない)として界面(aJrmoniva)に合致させた、かくして胎の内なるものを数によって産み、分娩し、外なる大気の中に導くのである。


〔そこに〕最も近い魂が住むのも、親和的な特有性にしたがってではなく、宿命づけられたそれによってである。というのは、恋情がそこに内在することは、身体ともども、許されないからである。


それゆえに、〔霊気は?〕宿命にしたがって、思考の運動と、命そのものの知性的有性とを、生成するものにもたらす。なぜなら、霊気によって這い寄り、活き活きと動かせるからである。

2008.10.06.


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