抜粋(Excerptum) XX (XX Scott)
Stobaeus 1. 49. 3, vol. I, p.320 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕。

1
 さて、魂は非体の有性である。仮に、〔魂が〕体を有するとするなら、もはや自身だけで存続することはないであろう。なぜなら、あらゆる体は、有ることを必要とし、配置の内に存する命をも必要とするからである。


すなわち、生成と変化を有するものすべてに付き従わねばならない。なぜなら、生成するものは大きさにおいて生成するのであり、<だから>生成するものは増大を有するからである。こうして、あらゆる増大するものには減少が付き従い、減少には腐敗が〔付き従う〕のである。


こうして、〔魂は?〕命の形相に与ることで生き、魂を<通して>有ることを共有する。しかし、原因そのものは、他のものにとって有ることに先行する。  今、「有ること」とわたしが言っているのは、ロゴスの内に生成すること、つまり、可考的命を分有するということである。そして、可考的命をもたらすのは、魂である。


生き物と呼ばれるのは、命によってであり、ロゴスを持つもの〔と呼ばれる〕のは悟性(to; noerovn)により、死すべきもの〔と呼ばれる〕のは体による。結局、魂は非体に属し、変異することのない力を有するものである。いったい、命までもたらす有性が有らぬとき、どうして[知性をもった]生き物と言うことができようか。いや、それどころか、ロゴスを持ったものとも言うことはできまい、知性をもった命をももたらす悟性的有性が有らぬときには。


 しかし、いかなる場合にも、悟性(to; noerovn)が体の結合を通して調和(aJrmoniva)に達することはない。仮に、結合の際に熱が超過したら、軽と過熱が生じ、冷が〔超過〕すれば、重と鈍が生じるからである。すなわち、自然は体の結合を調和(aJrmoniva)に合致させるのである(調和には3つの種類があり、熱にしたがうそれ、冷にしたがうそれ、中間のものにしたがうそれである)が、合致させるのは、星辰の混合を主宰する星にしたがってである。そうして、魂は<体を>運命づけられるとおりに受け取り、自然の働きによって、これに命をもたらすのである。


こういう次第で、自然は身体の調和を、星辰の混合に等化し、多くの混合物を星辰の調和と合致させ、その結果、相互に対する共感(sumpavqeia)を獲得するのである。なぜなら、星辰の調和の目的は、それらの宿命にしたがった共感を生むことだからである。

2008.10.13.


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