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さて、あらゆる諸有と本当に〔有的に〕あるものらとをつかさどる前有(to; proovn)が存在する。前有(proovn)である所以は、一般的に言われる有性性(oujsiovthV)はこれによって本当に〔有的に〕有るものらや諸有 独自に思考されるものら と共通と理会されるからである。しかし、これらと反対のものらは、別のものに対して今度はそれ自体として自然であり、知覚の対象たる有性であり、自己の内にあらゆる可感的なものら〔知覚の対象〕を有している。これらの中間にあるのが、思考の対象かつ知覚の対象たる神々である。<……>あるものらは思考の対象に参与し、あるものらは思いの対象であり、あるものらは思考の対象である神々を共有する。
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しかし、似像そのものは考え(nohmav)に属する。例えば、太陽は天上の造物主である神の似像である。あたかも、かのもの〔神〕が万有(to; o{lon)を創造したように、太陽も生き物たちを創造し、植物を生み、気息を差配するからである。
2008.10.13.