抜粋(Excerptum) XXV
Stobaeus I. 49. 68, vol. i, p.458 Wachsmuth.

ヘルメースの〔書〕。ホーロスに宛てたイシスのロゴス。

1
 「驚嘆すべき仕方で」とホーロスが云った、「おお、大いなる力を持った生みの母イシスよ、神による驚くべき魂つくりについて、おのおのの事柄をわたしに詳述してくださいました、わたしは驚きっぱなしです。しかし、魂が身体から離別してどこへ去りゆくのか、まだわたしに報告してくださっていません。そこで、わたしの望みは、これの観想の入信者にもなって、あなたのみに感謝することです、不死なる母よ」。


 するとイシスが云った。「心を傾注しなさい、わが子よ。これは必要不可欠の論点(zhvthsiV)なのですから。


いや、わたしのロゴスはこう述べます、存続し、かつ、消え去らぬものは、領域(cw:roV)を有すると。なぜなら、おお、最も驚嘆すべき、かつ、偉大な父オシリスの偉大な子よ、〔魂は〕身体から大気中へと勢いよく進み行き、区別なく広がり、たの無限の霊気とともに拡散し、次いで、同じ〔魂〕として再び身体にもどることももはやできないのはもちろん、以前出てきたことのあるあの領域に[あること]ももはやできず、あたかも、下方の容器から取り出しされた水が、取り出された元の同じ場所に注ぎ入れることもできないばかりか、これが取り出されてただちに、注ぎ入れられて、固有の領域を得ることもできず、ただ、水のあらゆる流動体と混合されるだけ、というようなことはありません。


いや、〔魂は〕そういうふうではないのです、おお、高邁なホーロスよ、わたし自身、あたかも不死なる自然の〔入信者〕であるかのように女入信者であり、「真理(=Alhqeiva)」の平野を旅してきたからには、諸有のそれぞれのことをあなたにつぶさに語りましょう、先ずは次のことをあなたに謂ったうえで — まことに、水はロゴスなき体、多数の結合物から擂りつぶされて流動体となったものであるが、これに反し、魂は固有の本性を有するもの(pra:gma ijdiofuevV)です、わが子よ、それはまた王的なものであり、神の両手と理性(vou:V)の作品であり、みずからがみずからによって理性へと道案内されるものです。そういう次第で、一にして他から構成されないものは、別のものと混合することはできないのです。ここからして、それ〔魂〕と身体との同道も、神の階調(aJrmoniva)となるには、必然(ajnavgkh)によらざるをえないのです。


そこで、一にして同じ場所にごちゃごちゃにでもなく、漫然と行き当たりばったりにでもなく、それぞれの〔魂〕は固有の領域へと送致されるのであって、このことは、まだ身体の中にあって、[したがって]固有の自然に反して肥満して、恰好において被る事柄からも明らかなことです。


 いや、そればかりか、心を傾注しなさい、おお、愛するホーロスよ、言われる類似に。すなわち、ひとつの同じ倉庫に閉じこめられていると想像しなさい、人間、ワシ、ハト、白鳥、鷹、ツバメ、スズメ、ハエ、蛇、ライオン、豹、狼、犬、ウサギ、牛、羊、また両棲動物のあるものら、例えば、アザラシ、カワウソ、亀、わたしたちのところのワニが、次いで、これらが、おお、わが子よ、一瞬にして、その倉庫から解放される、と。


必ずや、人間は市場と家屋にもどろうとするのでは<ない>か。ワシは、暮らしの自然をも有する霊気圏に。ハトは、〔大地に〕近い大気圏に。鷹たちは、それらよりも上方に。ツバメたちは、人間たちが住んでいるところに〔もどろうとする〕のではないか。スズメたちは、木の実のまわりに。白鳥たちは歌う自由が自分たちにあるところに。ハエたちは、地面のすぐ近く、人間どもの臭いといっしょに立ちのぼることのできる範囲でそれ〔地面〕から離れて(なぜなら、もともと、ハエは、おお、わが子よ、人肉喰らいであり、低空飛行するからです)。ウサギたちは茂み<に>、牛たちは囲い場<や>平野に。そして牧草地には羊たちが。蛇たちは大地の内部に。アザラシや亀は同類のものたちといっしょに海底や流水のなかに。陸地を失わず、同族の水にも見棄てられないよう、おのおののものは内なる法廷〔本能〕のもとに、固有の領域に立ち帰るのです。


このように、それぞれの魂は、人間の姿をとってであれ、他の姿をとってであれ、地上に生きていても、自分がどこに赴くべきかを知っているのです、ただし、テュポーンの眷属のどれかが近づいてきて、牡牛は海底で、大気圏ではカメが生きながらえられると言えば別ですが。いったい、肉と血の洗礼を受けているということは、配置に違犯して懲罰を受けているのに(というのは、身体の内に宿ることは自分たちにとって懲罰なのですから)、何ら為すすべもないほど、それほどまでに〔血と肉の〕洗礼と懲罰<……>そして固有の自由に与っているという、こんなことを身に受けていることがあるでしょうか。


 さて、至聖の配列(diavtaxiV)は次のごとくです。最も高邁なわが子よ、かつて上界にあったことのある魂たちの配列を見つめなさい。天の頂から月までの〔領域〕は、神々と星辰とその他の摂理(pronoiva)のために空いています。しかし、月から〔下〕の〔領域〕は、おお、わが子よ、わたしたちのため、魂たちの住まいです。

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しかしながら、これだけの大気 — これを風と呼ぶのがわたしたちにとってのならいですが — は、自分の内に道をもっており、地上のものらが休息するために運動できるだけの固有の大きさをもっています、が、このことはまた後で述べましょう。とにかく、どんな仕方で自分のために運動しても、魂たちの邪魔にはなりません。というのは、これが運動しても、魂たちは、妨げられることなく、行き当たりばったりのように跳びあがったり跳びおりたりできるのです。というのは、これを通っても、混じることなく粘着することなく流れるのは、水が油の中を通るようなものなのです。

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また、この空間(diavsthma)は、おお、わが子ホーロスよ、主要な区分(moi:ra)は四つ、固有の領域(cwvra)60からできています。この〔4区分の〕うち、第1は大地から上〔の区分〕で、4つの領域からできていて、大地が山頂とか山の端までのび、そこに達するまでの範囲です。というのは、これ〔大地〕は、高さにおいてそれらを超えて登高する自然本性をもたないからです。これから上の第二の〔区分〕は8つの領域からできていて、ここで風たちの動きが生まれます(心を傾注しなさい、わが子よ、というのは、大地、天、その中間のあらゆる聖なる気息の口にし得ぬ神秘をあなたは傾聴しているのですから)。<また>風の動きのあるところには、鳥類の飛翔もまたあります。ですが、これより上〔の領域〕では、大気は動くこともなく、生き物を運ぶこともありません。しかしながら、この大気はこの自由を自然から得ているおかげで、固有の8つの領域のなかでも、大地の4つの〔領域の〕なかでも、自分の有する生き物たちとともに遊行するのですが、大地はその8つの〔領域〕に登高することはでき<ません>。

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また、第三の〔区分〕は、16の領域からできており、微細にして清浄な大気に満たされています。第四〔区分〕は32〔領域〕で、ここには極微にして純粋な、半透明の大気があり、自分自身に基づいて、自然本性的に赤熱である上方の諸天を区切っています。

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そして、この配列は、上方から下方へと、自然本性的に癒着することなく一直線であり、主要な区分は四つ、中間は12,領域は60になります。そして、これらの領域 — 数にして60になるのですが — に、魂たちが住み、それぞれ〔の魂〕は、〔各領域〕に対応した自然を有していて、一つの同じ組成(sustavsiV)に属し、もはや懲罰を受けることはないのです。なぜなら、諸領域のそれぞれが、大地から他の〔領域〕を超えていればいるほど、そこにある魂たちも〔超越している〕からです。領域と魂は、一つが他に卓越している分だけ後れをとっているのです。

14
 それでは、どんな魂たちが、これらの〔領域の〕それぞれに離脱するのか、ここからもう一度あなたに、おお、栄光あるホーロスよ、つぶさに言いはじめましょう、上方から大地近くへと、順番に。

2008.11.21.


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