ペルシア誌・インド誌
クテーシアス断片集(1/7)
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[略伝]
医師・歴史家 前4世紀初期
クニドス出身で医師の家系に属した。アルタクセルクセース2世によって前405年から宮廷の侍医として召し抱えられる。前398年に王とコノーンとの間で連絡役として活動し、次いで帰国して23巻のペルシア史『ペルシカ』を著した。
クテーシアスの文体は高度に修辞的で、読み手の感情を引きこむことを意図している。その結果、彼の著作は事実問題ではきわめて信憑性が薄い。古代においては、冒険談と歴史の範疇の境界がいかに流動的であるかの一例である。(ダイアナ・バウアー編『古代ギリシア人名辞典』原書房)
[底本]
TLG 0845
CTESIAS Hist. et Med.
(5-4 B.C.: Cnidius)
1 1
0845 001
Testimonia, FGrH #688: 3C:416-420.
(NQ: 1,494: Test.)
2 1
0845 002
Fragmenta, FGrH #688: 3C:420-517.
fr. 8b: P. Oxy. 22.2330.
(Pap: 31,306: Hist., Med., Nat. Hist., Perieg.)
[邦訳]
以下の邦訳を利用させていただいた。
飯尾都人訳『ディオドロス神代地誌』(龍渓書舎、1999.6.)
プルタルコス(河野与一訳)『プルターク英雄伝(12)』(岩波文庫)
"3c,688,T"
TESTIMONIA
断片1
SUDA "Ktesias"の項(TZETZ. Chil. 1, 82/6)。
クテーシアルコスないしクテーシオコスの子、クニドス人。医師にして、ペルサイ〔ペルシア〕においてかの有名なアルタクセルクセース〔2世〕・ムネーモーン〔在位、前405-359〕の侍医を勤め、『ペルシア誌(Persika)』23巻を編纂した。
断片2
STRABON 14, 2, 15:
クニドス……当地からはクテーシアス――アルタクセルクセスの侍医にして、『アッシュリア誌(Assyrika)』『ペルシア誌(Persika)』を編纂した――も出ている。
断片3
DIODOR. 2, 32, 4(TZETZ. Chil. 1, 82/6):
クニドス人クテーシアスは、時代からいえば、キュロスが兄弟のアルタクセルクセース〔2世〕に征戦を起こしたときの人で、捕虜にされたが、医術の知識のおかげで大王〔アルタクセルクセース2世〕に召し抱えられ、15(†)年間、王に重宝がられて過ごした。〔断片5(2_32_4)〕
断片4
GALEN. 『ヒッポクラテースの「間接の整復について(Peri arthron emboles)」註』 70 (XVIII A p.731 Kun):
クニドス人クテーシアスは、彼(scil. ヒッポクラテース)の同胞である。というのも、この人〔クテーシアス〕も、生まれは、アスクレピオスの末裔だからである。
断片"5a"
EUSEB. Chron. ol. 95, 1:
有名なのは、グリュロスの子クセノフォンと、クテシアスとである。
断片"5b"
PHOT. Bibl. 72 p.36a6:(T8〔から続く〕)
彼〔クテーシアス〕が盛時にあったのは、ダレイオス〔2世〕とパリュサティス〔アルタクセルクセース1世の妹、ダレイオス2世の異母妹にして后、キュロスとアルタクセルクセース2世の母〕との間に生まれたキュロスの時代であった。〔このキュロスは〕アルタクセルクセース〔2世〕――ペルシアの王位はこの人〔アルタクセルクセース〕に受け継がれた――の兄弟にほかならなかった。
断片"6a"
PLUTARCH. Artox. 11, 3(=F 20):
〔キュロスに傷を負わされた〕彼〔アルタクセルクセース2世〕はわずかな手勢――その中にクテーシアスも含まれていた――を引き具して、近くのとある丘をおさえ、そこで休んだ。
断片"6b"
同 14, 1:
この戦闘の後、……クテーシアスをもその他の者たちをも、〔アルタクセルクセース2世は〕美しく褒賞した。
断片"7a"
PHOT. Bibl. 72 p.44a31:
クテーシアス本人によれば、彼はパリュサティスの侍医であったので、囚われの身にあったクレアルコスの快適さと世話のために、彼女を通して多くのことを実行したという。
断片"7b"
PLUTARCH. Artox. 13, 7:
(断片23〔からの続き〕)いや、クテーシアスは、どうやら、おめでたいほど名誉愛の強い人物であったばかりか、それに劣らずラコーン贔屓、かつ、クレアルコス贔屓であったので、叙述の中にいつも自分自身のために場所をとって、そこに登場し、クレアルコスやラケダイモーンについて多くの美しい事柄を言及しているのである。
断片"7c"
PHOT. Bibl. 72 p.44b20:
王アルトクセルクセースがサラミスの王エウアルゴスに離反された諸原因。エウアルゴスからクテーシアスへの使者たち……クテーシアスから彼〔エウアルゴス〕への書簡……コノーンからクテーシアスへの書簡……コノーンについて、クテーシアスから大王への言葉。そして彼〔コノーン〕への書簡……ラケダイモーン人たちから大王のもとへ派遣された使者たちがいかに待たされたかということ。大王からコノーンとラケダイモーン人たちとへの書簡、これを運んだのはクテーシアス本人……クテーシアスの祖国クニドスへの到着、またラケダイモーンへも〔到着〕。ロドスにおけるラケダイモーン人たちの裁きと、追放。
断片"7d"
PLUTARCH. Artox. 21, 2:
[21_2]
しかし、〔キュプロスにあったコノーンは〕自分の計略が軍隊を〔必要とし〕、大王の軍隊は知謀の人士を必要としているのを見て、思いめぐらせていたことについて大王に書簡を送った。[21_3]そして、この書簡を運ぶ者として命じたのは、第一にクレーテー人ゼーノーン(F 31)か、メンデー人ポリュクリトス(これらのうち、ゼーノーンは舞踏家、ポリュクリトスは医師であった)を介して手渡すよう、しかし彼らが居合わせない場合は、医師クテーシアスを介してということであった。[21_4]こういうわけで、言われているところでは、クテーシアスはその手紙を受け取ると、コノーンによってしたためられた内容に添え書きして、クテーシアスも海上の作戦行動に有益な人物であるから、自分〔コノーン〕のもとに派遣するようにと書き加えたという。しかしクテーシアス(F 32)の主張するところでは、大王本人がみずからこの公共奉仕を彼に課したという。
断片8
PHOT. Bibl. 72 p.35b35:
クニドス人クテーシアスの書『ペルシア誌』は23巻本で公刊された。しかし、最初の6巻には、アッシュリア誌と、ペルシア誌以前の事柄を含み、ペルシア誌が詳述されるのは第7巻以降である。つまり、彼が第7巻、第8巻、第9巻、第10巻、第11巻、第12巻、第13巻に叙述しているのは、キュロス、カムビュセス、マゴス僧、ダレイオス、そしてクセルクセースに関する事柄で、そのほとんどすべてにおいて、ヘーロドトスとは反対のことを記録している、いやそれどころか、多くの箇所で彼〔ヘーロドトス〕をば嘘つきと暴露し、お伽噺作家(logopoios)との汚名をさえ着せている。というのも、ひとつには彼〔ヘーロドトス〕よりも若いからである。しかし、彼〔クテーシアス〕が主張するのは、自分は記録していることの多くを自分で眼にしたか、あるいは、目撃することができないところでは、ペルシア人たち本人から自分の耳で聞く者となり、そうやって調査研究を編纂したということである。だから、彼が反対のことを記録しているのはひとりヘーロドトスに対してのみならず、グリュッロスの子クセノポーンに対しても、いくつかの点に関して一致しないのである。彼の盛時は……(T 5b 〔に続く〕)。
断片9
DIODR. 14, 46, 6:
歴史編纂者クテーシアスは、『ペルシア誌』の調査・研究(historia)を、ニノスとセミラミスから始めて、この年〔前398年〕で擱筆している。
断片10
PHOT. Bibl. 72 p.45a20:
さらに『インド誌』も彼〔クテーシアス〕によって1巻本で公刊されている、書中ではイオーニア方言を多用している。
断片"11a"
STRABON 11, 6, 3:
(696 F 1)ひとはヘーシオドスやホメーロス、また悲劇作家たちが英雄〔半神〕物語をするのを信ずる方が容易であろう、クテーシアスやヘーロドトースやヘッラーニーコス(687 a T 3)や、他にもそういった人たちを信ずるよりは。
断片"11b"
同 1, 2, 35:
テオポムポス(115 F 381)は、歴史書の中で神話をも述べると言明して、そのことを認めているが、その述べ方は、ヘーロドトースやクテーシアスやヘッラーニーコスや、インド誌の著者たちよりは〔神話と自覚している分〕ましである。
断片"11c"
ANTIGON. Hist. mir. 15:
しかし、この人物〔クテーシアス〕は多くの嘘を言っているので、抜粋は省略しよう。というのも、あまりに奇々怪々なこと(teratodes)に見えるから。
断片"11d"
PLUTARCH. Artox. 1, 4(F 15a〔に同じ〕):
とはいえ、クテーシアスは、その他にも、信じがたい途方もない神話のありとあらゆる種類の寄せ集めをその書に挿入したとはいえ。
断片"11e"
同 6, 9(断片29a〔に同じ〕):
時をずらして事実を改変し……彼の言葉は、真実から逸脱して、神話的・劇的なものと関係することしばしば。
断片11f
ARISTOT. H.A. 8, 28 p.606a8:
インディケー〔インド〕には、クテーシアス――この人はあまり信用できないが――によると、(断片"45k, Alpha"に続く)……
断片"11g"
ARRIAN. Anab. 5, 4, 2(F 45a):
クテーシアスが証拠として充分に信用できるとしての話だが云々 AELIAN. N.A. 4, 21(断片"45d, Beta"に続く)
断片"11h"
LUKIAN. Verae narr. 1, 3:
クニドスの人にしてクテーシオコスの子クテーシアスは、インドイ人たちの領土や、そこにおける事柄について、自分では知らないことも、他の人が真実を言うのを聞いたのでもないことを編纂した人物である。
断片12
DIONYS. HAL. De comp. verb. 10:
じっさい、トゥキュディデースの文体やラムヌウス区民アンティポーンのそれは、美しく作文されてはいるが……それほど快適なわけではない。これに反し、クニドス人クテーシアスの〔文体〕やソークラテース学徒クセノポーンのそれは、最高度に快適ではあっても、必要程度に美しいわけでもない(わたしは一般的に言っているのであって、例外なくといっているのではない、というのは、前者の作品にも快適さに調和しているものもあるし、後者の作品にも美しく〔調和しているものも〕あるのだから)。ところが、ヘーロドトースの書は、それら両方をもっている、すなわち、快適でもあり、美しくもあるのである。
断片13
PHOT. Bibl. 72 p.45a5:
この歴史編纂者〔クテーシアス〕はすこぶる明眼にして単純な人物で、それゆえまたその言葉は、快適さそのものとも不即不離である。ヘーロドトスと違って、全体を通してではないにしても、いくつかの言い回しにおいてイオーニア方言を使用している(T 10)。また、彼〔ヘーロドトス〕と違って、時宜を得ぬような余談に話をもってゆくということもない。とはいえ、諸々の神話――ここにおいて彼〔ヘーロドトス〕に悪罵されている――からは、この人物も離れられない(T 11)、この人の『インド誌』という題名の書物においてはとりわけそうである。しかし、この人の歴史〔調査・研究〕の快適さが生じるのは、大部分、この人の叙述の話題処理(diaskeue)においてであり、〔話題は〕情緒的で予想できない内容を多く含み、ほとんど神話に近いことでこれを彩っている。さらにまたこの人の言葉は必要以上に緩みきっていて、卑俗な言葉にさえ陥っているほどである。これに反してヘーロドトスは、この〔快適さの〕点でもその他の字句の力や技術の点でも、イオーニア方言の規準にほかならない。
断片"14a"
DEMETR. De eloc. 209:
まず第1に鮮明さ(enargeia)について。鮮明さ(enargeia)というものが生じるのは、まず第1に精確さ、つまり、何事も言い漏らさず、端折ることもしないことに由来する……[210]……生起しつつあることも、生起したことも〔省略しないことに由来する〕、[211]したがって、繰り返し(dilogia)も、一回だけ言うよりも鮮明さを増大させることしばしばである……
[212]
これこそ、その繰り返しゆえに無駄なおしゃべりとして〔人々が〕クテーシアスを責めるところのものであるが、多くの箇所においては、おそらく、その責めは正当であるが、多くの箇所においては、この人の鮮明さに感づいていないのである。というのは、この人には同じことが2度提起されることしばしばで、それがより多くの強調を実現しているからである、[213]例えば次のような箇所(F8a〔に続く〕)……[215]さらにまた、全体として、この詩人は――彼のことを正当にも詩人と呼ぶ人がいるから――すべての作品において鮮明さの職人であって、[216]例えば、次のような点においても〔そうである〕。なすべきは、何が起こったか、出来事をすぐにはなく、少しずつ言って、聞き手を宙ぶらりんにして、はらはらするよう強いることである。これをクテーシアスは、キュロスの戦死についての報告の場面(F 24)で実行している……じつにそういうふうに、少しずつ、次第次第に〔話を〕進め、やっとのことで、現に言われている内容そのものを吐露して、報告者は、心ならずも災禍を報告しているのだということを、大いにその人らしく、鮮明に明らかにするのである。母親も、それから聞き手をも、不安の中に投げこみながら。
断片"14b"
PLUTARCH. Artox. 11, 11:(F 20c. 11, 10)
こういったものがクテーシアスの言葉であって、それはあたかも鈍刀で人間をゆるゆると亡き者とするがごとくに、亡き者としたのである。〔キュロスの最期を述べた箇所の評〕
断片15
PLUTARCH. Artox. 13, 6:(F 23)
というのは、クセノポーンは、クテーシアスが大王のもとでいっしょに過ごしているのを知っていた。なぜなら、そのことを言及しているし(Anab. 1, 8, 26/27)、また彼〔クテーシアス〕の諸書物にも明らかに遭遇しているからである。
断片16
SUDA "Pamphile"の項。
……ソーテーリデースの娘。彼〔ソーテーリデース〕には論文もあると言われている……クテーシアスの書物の梗概を3巻本に。
断片17
PORYPHYR. b. EUSEB. P.E. 10, 3, 23:
ソーテーリダス宛のポッリオーンの書簡は「クテーシアスの盗作について」である。同人にはまた「ヘーロドトースの盗作について」という書もある。
断片"18a"
PLIN. N.H. 1, 2:
……不思議……典拠著作者……外国の〔典拠著作者〕……ヘロドトス、アリストテレース、クテーシアス、エペソスのアルテミドロス(V)……
断片"18b"
同 1, 7:
……異様な身体の種族……生活上の発見について……典拠〔著作者〕……メガステネス(715)、クテーシアス、タウローン(VI)、エウドクソス(V)、オネシクリトス(134)、クリタルコス(137)……
断片"18c"
同 1, 8:
……陸棲動物……インドの〔陸棲動物〕……典拠著作者……外国の〔典拠著作者〕……ユバ王(275)……クテーシアス……
断片"18d"
同 1, 31:
……いろいろな水……不思議な〔水〕……典拠〔著作者〕……カッリマコス、クテーシアス、エウディコス……
断片"18e"
同 1, 37:
……琥珀について……外国の〔典拠著作者〕:ユバ王……クテーシアス……
断片19
GELLIUS N.A. 9, 4, 1:
fasces librorum venalium expositos vidimus (in Brundisium) ... ( 3) erant autem isti omnes libri Graeci miraculorum fabularumque pleni, res inauditae, incredulae, scriptores veteres non parvae
auctoritatis: Aristeas Proconnesius ( 35) et Isigonus Nicaeensis (IV) et Ctesias et Onesicritus ( 134) et Philostephanus (IV) et Hegesias ( 142). ( 4) ipsa autem volumina ex diutino situ squalebant.
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