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back.gifクテーシアス断片集(6/7)


ペルシア誌・インド誌

クテーシアス断片集(7/7)






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Fragmenta(6/6)

断片"45p, Alpha"
PLIN. N.H. 7, 23 (SOLIN. 52, 27):

 また多くの山々には、イヌの頭を持つ人間の種族がいて、それは野獣の皮衣を着、その言語は咆哮であり、獣や鳥の狩猟の獲物を食べて生きている。その狩猟のために彼らはその爪を武器として使うと言っている。彼によれば、彼が本を出版したころは、そういう人々が12万人以上いたと、クテーシアスは書いている。
断片"45p, Beta"
TZETZ. Chil. 7, 713:

 クテーシアスもインドイ人たちのところにはこういったこと、すなわち、琥珀の成る樹とキュノケパロイ(Kynokephaloi)〔犬頭族〕がいると言っている。彼の主張では、彼らはきわめて義しい人たちで、狩猟によって生活しているという。
断片"45p, Gamma"
AELIAN. N.A. 4, 46:

 インドイ人たちのところに昆虫がいて、大きさはカンタロス類ぐらいになり、〔色は〕真っ赤である。だから、あなたが初めてこれを見たら、辰砂を連想するであろう。これはすこぶる長い脚を有し、さわると柔らかい。そもそも、琥珀のなる樹の上に生じ、その植物の実を食べる。ところでインドイ人たちはこの〔昆虫〕を狩り、すりつぶし、これによって赤マントやその下に着るキトンやその他何でも、この色に変えたり色づけたりしたいものを染める。そもそもが、この衣裳はペルシア人たちの王のところにも運ばれる。この衣裳の格好良さときたら、ペルシア女たちにとって驚嘆すべきものに思われ、ペルシアの地元の〔衣裳〕と比較されてはるかに凌駕し、圧倒した、クテーシアスの主張では、世に唱われたサルディスのそれよりも丈夫で、輝かしいという。
 このカンタロス類がいるインディケーのこの地方には、またキュノケパロイ〔犬頭族〕と呼ばれる人々もいるが、彼らにこの名称を与えたのは、身体の見かけと自然〔本性〕による。他の点では人間に属するが、獣の皮を着て歩行する。彼らはまた義しい人々であり、人間たちのうち誰ひとりにも苦痛を与えることはない。そして人語を発することはないが、遠吠えをする、もちろんインドイ人たちの声は聞き取る。また彼らの食べ物は野生の動物である。しかもそれを易々とひっつかみ(というのも、俊足であるから)、取り押さえて殺す、調理に火は使わず、細分して太陽の日にさらす。さらにまたヤギやヒツジを飼う。しかし食べるのは野生のもので、飲むのは、自分たちが飼っている家畜の乳である。
断片"45q"
AELIAN. N.A. 4, 52:

 わたしの聞くところでは、インドイ人たちのところには、大きさが馬と劣らぬぐらいの野生の驢馬がいて、身体の他の部分は白い、ところが頭だけは深紅に近く、眼は紺碧色を放っている。眉間には、大きさ1ペーキュス半〔肘から小指の先までの長さ〕ぐらいの角がある。角の下部は白く、上部は真っ赤、ところが中央部は恐ろしく黒い。インドイ人たちは、この多彩な角によって飲む者とわたしは聞いている、しかも、〔これで飲めるのは〕誰でもというわけではなく、インドイ人たちの中の最有力者たちだけである、この〔角杯の〕中間部に黄金を巻きつけているさまは、奉納〔神像〕の若々しき腕を腕輪で飾っているがごとくである。また、伝え聞くところでは、この角杯から味わう者は、不治の病を知らず、経験することもなくなるという。すなわち、彼は痙攣に罹ることもなく、神聖病〔てんかん〕と呼ばれる病気にも、それどころか毒薬でくたばることもなくなくなるという。さらに、何か悪いものを先に飲んでしまったとしても、それを吐き出し、彼は健康になるというのである。信じられているところでは、この全地の他のロバたち――飼われているのも野生なのも――はもとより、他の有蹄の獣は、アストラガロス〔註〕を持たず、まして肝臓に胆汁はもちろん持たない、ところがこの、角をもったインドロバたちは、クテーシアスの言では、アストラガロスをそなえ、胆汁なしということもないのである。さらに言われているところでは、アストラガロスは黒いという。ひとがこれをつぶしてみると、中味までそうである。さらに、ロバのみならず、ウマやシカたちよりもかなり俊足である。そして、走り始めは静かに、しかし少しずつ力を増し、かの地の人たちがこれを追跡するのは、詩句にあるとおり〔Il. XVII_75〕、「手の届かぬものを追いかける」ようなものである。
 なおそのうえに、雌が出産し、生まれたての仔を連れまわっているときは、これと群れになって、それらの父親たちは赤ん坊を守る。また彼らの暮らすところは、インドの平野の中でも最も人気のないところである。だから、インドイ人たちが彼らを狩りに向かうときは、自分たちのか弱くてまだ幼い仔たちは背後で牧草をはむにまかせ、自分たちは〔仔たちの〕ために闘う、そして騎手たちに突きかかり、角で突き刺す。そもそも、この角の強さたるや、以下のごとくである。これに突き刺されて、受けとめられるものは何もなく、身を退き、突破され、ぶつかりでもしようものなら、粉砕され、用無しとなる。さらには、ウマたちの脇腹にさえ突進して引き裂き、内臓をぶちまけさえしたこともある。まさにここからして、騎手たちは彼らに近づくことに恐れおののく。なぜなら、接近することの罰は、悲惨きわまりない死であり、自分たちもウマたちも破滅するからである。さらにまた咬むことにかけても恐るべき存在である。そもそも、彼らに咬まれると、あまりに深くまで達するため、食いつかれた部分をそっくり食いちぎるほどである。だからして、生きたまま成獣をつかまえることはできず、投げ槍や矢を射かけて、インドイ人たちがその角をその[死体]から奪い取って、述べたとおりの扱い方をするのである。しかし、インドロバたちの肉は食べられない。その理由は、もともと苦いことこの上ないことにある。
 〔"astragalos"については、島崎三郎の註を借用。  「アストラガロス astragalos はくるぶしの間にある距骨 talus であるが、動物によって形はさまざまである。反芻類では対称的な両凸型で、古代の*さいころ*にされたものであるが、他の動物では不整形である。アリストテレスは両凸型の、*さいころ*になるようなもののみを「アストロガロス」と呼んだ(『動物誌』上、p.367)〕

断片"45r"
AELIAN. N.A. 5, 3:

 インドス河は無獣であるが、ただこの河には蛆(skolex)だけが発生すると謂われている。その形は、木材から発生し〔木材を〕養分とするものらとほぼ等しいが、ここのものらは長さが7ペーキュスに達し、もっと大きいのも小さいのも見受けられる。これの太さは、10歳の子どもが両手で抱えるのもやっとぐらいである。これの上〔顎〕に1本、下〔顎〕にもう1本、歯が生えついていて、どちらも四角形、長さは1ピュゴーンである。そもそも、この歯の強力さはいかほどか、石であれ動物であれ――馴れたのも野生動物も――何でもこれに捕まれば、いとも易々と噛み砕いてしまうほどである。昼間は河の水面下や深みで過ごし、泥やへどろに住むことを好み、そのため人目につくことがない。しかし、夜になると、地上に這い上がり、何かに出くわすと、それがウマであれウシであれロバであれ、これをぐにゃぐにゃにして、次いで自分たちの住処に引きずりこみ、河の中で喰らい、生き物の腸以外はあらゆる部分をむさぼり食う。ただし、昼間であっても、これらを飢えが駆り立てる時は、土手の上で水を飲んでいるのがラクダであろうと牡牛であろうと、忍び寄って唇の先端をがっしりとつかまえ、この上なく強力な衝動と力強い牽引で水の中に引きずりこみ、ご馳走にあずかる。おのおのが指2本分もの厚さの皮膚に覆われている。そこで、これらを狩猟するために次のような方法が工夫されている。太くて強力な釣り針で、鉄製の鎖に取りつけられたのを降ろし、これに白麻製の幅広の(?)索具を縛りつけ、それ[釣り針]もこれも羊毛で包む、蛆(skolex)がこれを囓らないためである。そして釣り針に仔ヒツジないし仔ヤギをひっかけ、次いで先ず河の水の中に浸ける。そして30人以上の人間がこの索具をつかみ、おのおのが投げ槍を斜に構え、戦刀を帯びる。さらには、必要とあらば殴るために、用意の棍棒を横に置く。この〔棍棒〕はクラネイア製で、すこぶる強力である。次いで、釣り針にしがみつき、あるいは餌食を呑みこんだ蛆(skolex)を引っ張り、狩られたのを殺し、日光の中に、30日間、吊しておく。すると、濃い油がそれから陶器の容器の中に滴り落ちる。それぞれの生き物につき10コテュラまで放出する。この油を、彼らはインドイ人たちの王のところに運ぶ、印を付けて。というのは、余人はこれを一滴たりと保有することは許されないからである。しかし、かの生き物の死体の残りの部分は無用物である。そもそも、この油は次のような強力さを持っている。もしもあなたが、何とかして木材の山を燃やしてその熾火をまき散らしたいと思うなら、これを1コテュレ振りかけるだけで、前もって火種をうめなくても、点火できるのである。だから、もし、人間とか動物を燃やしたければ、あなたは振りかけるだけで、相手はたちどころに燃やされるのである。じつにこれを使って、言い伝えでは、インドイ人たちの王は、自分に敵意をもって刃向かってくる諸都市をさえ攻略し、〔その際〕越境の〔犠牲獣である〕牡ヒツジも、〔破城用兵器の〕亀甲も、その他の都市攻略用兵器をも待つまでもなかったのは、火をつけて攻略したからである。すなわち、それぞれが容量1コテュレの陶器の容器にこの油を詰め、栓をして、上から城門に振り投げる、そして小窓に命中すると、容器は粉々になって砕け散り、油がどろどろ流れ出る、そして火が城門に降り注ぎ、消すことができない。さらには武具をも闘う人間たちをも燃え上がらせ、その勢いはすさまじい。けれども、多量のくずを振りかけられると、もみ消され、消火される。こういったことをクニドス人クテーシアスが言っている。
断片"45s, Alpha"
ANTIGON. Hist. mir. 150:

 湖については、クテーシアスが記録していると彼(scil. カッリマコス[F 407 XXII Pf.])は言う、――インドにある湖には、シケリアやメーディアにあるのと同様、金や鉄や銅は別にして、ここに下向けにはまったものは受け入れず、何か曲がったものを放り込むと、真っ直ぐにして投げ返すと。しかし、白病〔ライ病〕と呼ばれる病を癒すという。別の池では、穏やかな日には、オリーブ油が浮上するという。
断片"45s, Beta"
PARADOX. Flor. 3:

 インドにある湖は、飛びこむ者たちを、まるで機械のように、大地に投げ返すということを、クテーシアスが記録している。
断片"45t"
PLIN. N.H. 7, 23:

 (断片"45p"からの続き)インド人のある種族では、女は生涯にたった一度しか子を産まない。そして子どもは、生まれるとすぐ白髪になり始める。

断片"46a"
AELIAN. N.A. 16, 31:

 そもそもクテーシアスが『インド誌』という書物の中で言っているところによれば、キュナモルゴイと呼ばれる人たちは、大きさがヒュルカニア〔カスピ海の南東、イラン北西の高原地帯の北西域、往時ここはパルティアの北西にあたり、現"Masenderan"〕のイヌぐらいの多数のイヌを飼っており、彼らは根っからの犬飼であるという。このクニドス人〔クテーシアス〕は、その理由をこう言っている。夏至から真冬にかけて、彼らの牛の畜群は、蜜蜂の群か移動された蜂巣のように徘徊する。牛たちは数の多さをますます増やす。しかし野性的で猛々しく、怒りを恐ろしいほど角にぶちまける。そのため、これを制御する方法が他にないので、彼らはこのためにいつも飼ってきた自分たちの飼い犬をこれにけしかける、すると〔イヌたちは〕これをいとも易々と打ち負かし、くたばらせる。こうして、肉の一部は、自分たちの食するにふさわしいと思える部分は取りのけて、残りをイヌたちに切り分けてやり、まるで功労者たちのために初穂を捧げるように、喜々として彼らと共有する。そしてもはや牛たちが徘徊しない季節には、イヌたちをほかの動物を狩るために使う。また、彼らは雌イヌたちの乳を飲むので、ここから〔キュナモルゴイと〕呼ばれるようになったのである。なぜなら、まるでわれわれがヒツジやヤギのそれを飲むように〔飲む〕から。
断片"46b"
POLLUX 5, 41:

 キュナモルゴイ人たちは南中方面の湿地帯あたりのイヌ族であるが、牛の乳を食物とする。そして、夏の間、インドのウシ族の襲来者たちを打ち負かすと、クテーシアスが記録している。

断片"47a"
ANTIGON. Hist. mir. 146:

 (断片"11a"から続く)インドにあるシラの泉は、投げこまれものがどんなに軽くても浮かせることはなく、引きずり込むという。もっと多くの水についても、もっと多くの同じようなことを彼らは述べてきたのである。
断片"47b"
PLIN. N.H. 31, 21:

 クテーシアスによれば、インドにシラスと呼ぶ淀んだ水があって。その中では浮かぶものはなく、あらゆるものが底へ沈むという。

断片"48a"
ARISTOT. H.A. 3, 22 p.523a26:

 クテーシアスがゾウの精液について書いたことも、うそである。
断片"48b"
同 De gen. an. 2, 2 p.736a2:

 実際、クニドスのクテーシアスがゾウの精液について述べたことは明らかに嘘である。すなわち、ゾウの精液は「乾くと、まるで琥珀のように硬くなる」といっているのである。

断片"49a"
ARRIAN. Ind. 3, 6:

 クニドス人クテーシアスは、インドイ人たちの土地〔の広さ〕は、残りの全アシアに匹敵すると言っている。
断片"49b"
STRABON 15, 1, 12:

 クテーシアスの言では、インディケー〔の大きさ〕は、他のアシア地方に劣らぬと言う。

断片50
ATHEN. 10, 45 p.434D (EUST. HOM. Od. XVIII 3):

 クテーシアスの主張では、インドでは王が酩酊することはゆるされないという。

断片"51a"
PLIN. N.H. 7, 23:

 [23](断片"45p, Alpha"---断片"45t"に続いて)また彼〔クテーシアス〕はモノコリといって脚が1本しかなく、跳躍しながら驚くべき速力で動く人々の種類について述べている。またその種族は「傘足種族」と呼ばれるが、それは暑い季節には、彼らは地面に仰向けに寝て、その足の陰で身を守るからだと。そして彼らは穴居族から遠くないところに住んでいると。さらに西方には首がなくて眼が肩についている連中もいるという。[24]またインドの東部(カタルクルディ地区と呼ばれている)の山の中にはサテュロスがいるが、それは非常に敏捷な動物であって、時には四つ足で歩き、時には人間同様まっすぐに突っ立って走る。その速度が速いので、つかまるのは老いたものか、病気のものだけである。(以下、タウロン 710 F 1 に続く)
断片"51b"
TZETZ. Chil. 7, 629:

  カリュアンダ〔ハリカリナッソスの北東にあるカリアの島・都市〕人スキュラコス(709 F 7)は、インディケーについて書いたある書で、スキアポデス人たち〔"Skiapodes"「影-足」族。足で日陰を作る人たち〕とかオートリクノイ人たち〔Otoliknoi"「耳で籾殻を吹き分ける人たち」の意〕とか言い伝えられている人間たちが生まれついており……これは真実の話であるといっているが、他に無数の人たちが、そういったことや、もっと新奇なことを生涯に観察したと主張している、クテーシアス、イアムブゥロス(V)、イシゴノス、レーギノス(IV)、アレクサンドロス(273 F 141)、ソーティオーン(IV)、等々である。

断片52
PLIN. N.H. 7, 28:(Onesikritos 134 F 11 に続いて)。

 ペルガモンのクラテス(F 13 Mette)は100歳を越えるインド人について語っている。多くの人々はこれを「長命族」と呼んでいるが、彼はギムネタエ族と呼ぶ。クテーシアスは言っている。彼らの仲間にパンデ族と呼ばれる1種族がいて、山地の谷間に住んでいるが、これは200年以上も生き、若い時分は白髪だが、年をとると黒くなる。[29]そうかと思うと、40歳を越さない人々がいる。長命族の隣にいる種族で、その女たちは一度しか子を産まないと。アガタルキデス(86 F 22)もこれについて記している。彼らはイナゴを常食とし、きわめて俊足であると。クレイタルコス(137 F 23)は彼らにマンディという名を与えている。そして、メガステネース(715 F 13d)も彼らの村は300もあるという。そして女は7歳のとき子を生み、40歳で老境に入ると言っている。

断片53
ATHEN. 2, 74 p.67A:

 (断片38の続き)またこの著者は、『アシアの貢ぎ物について』という書の中で、大王の食事(F 39)に供されるものをすべてこの書に列挙しているが、そこには胡椒も酢も言及されていない。

断片54
ATHEN. 10, 59 p.442B:

 例えば、アレクサンドロスの歩測役(bematistes)バイトーンは『アレクサンドロスの旅行の歴程』(119 F 1)という表題を持つ書の中で、またアミュンタスは『歴程』(122 F 5)の中で、タピュロイという種族は酒好きのあまり、塗油としてさえ酒以外のものは使わないと主張している。またクテーシアスも、『アシアの貢ぎ物について』の中で同じことを記録している。さらにこの人物は、彼らはきわめて義しい人たちだと言っている。

断片55
STEPH. BYZ. "Sigynnos"の項。

 アイギュプトス人たちの都市だと、クテーシアスが『航海記』第1巻の中で。市民はシギュンノイ人(Sigynnoi)。

断片56
SCHOL. APOLL. RHOD. 2, 1015b:「次には、この者たち(scil. ティバレーノイ人たち(Tibarenoi)〔ポントスのケラススの族民、都市はコテュオラ〕)のところにある聖山(Hiron)、モッシュノイコイ人たち(Mossynoikoi)の住む地に……」

 この〔山〕は黒海(Euxeinos pontos)まで達している。この〔山〕に言及しているのは、クテーシアスも『周遊』第1巻の中で、スウイダスも第2巻(602 F 3)の中でマクローネス(Makrones)と言われる人たちについて。しかしもっとはっきりと、アガトーンが『ポントスの周航』(801 F 1)の中で、この〔山〕はトラペズウス市から100スタディオーン離れたところにあると主張している。だが、ムネーシマコスが『スキュティア人たちについて』第1巻の中でこの山について記録していると、エイレーナイオスが主張しているのは、無知による。というのは、ムネーシマコスが言及しているのは、エウローペーにあるスキュティケーであって、アポッローニオスや前述の人たちはアシアに編入しているのだから。トライケーには聖山(Hieron oros)が三つある。

断片"57*"
SCHOL. APOLL. RHOD. 2, 399/401:「ここキュタイイス大陸に、遠くアマランテス山脈とキルケー平野から、パシス河が蛇行しながらその幅広の流れを潮海に流入させる」

 "Amaranton"と曲アクセントで発音されると、ヘーローディアノスが『要約』(I 122, 17 L)という巻の中で。"Amaranta"は、ポントスにある都市。さらに彼〔ヘーローディアノス〕が主張するところでは、カルキスに山脈あり、ここからパシス河が流れ下る。これこそエペソス人ヘーゲーシストラトスの知らなかったことで、アマランタ人たちのことを、花咲き匂うこと、つまり、しおれない(amarantos)ことという意味で、パシスの草原の意に解した。だが、アマランタ山地はコルキス人たちのところにあるということは、クテーシアスが第2巻の中に記録している。パシス河が流れ出すのはアルメニアの山地からであるとは、エラトステネース(V)が主張しているところで、コルキスで海に流れ入るという。

断片"58*"
STEPH. BYZ. "Tiriza"の項。

 パプラゴニアの都市。民族は"Trizoi"。しかしクテーシアスは、彼らは"Tribizanoi"だとして、「オドリュサイから"Tribizanoi"までのパプラゴニアに居住している」を第2巻の中で。

断片59
STEPH. BYZ. "Kosyte"の項。

 ホムブリケーの都市。クテーシアス『周遊記』第3巻。民族は"Kosytaios"、[シケリアの都市]モテュエー(Motye)の〔市民が〕"Motuaios"であるようなもの。

断片60
HARPOKR. (DUD. Σ 601) "Skiapodes"の項。

 アンティポーンが『類似性について』(Vorsokr. 87[80]B45)の中で。民族はリビュア族。クテーシアスは『航海記』の中でアシアに属すると主張している。「これを越えると、名を"Skiapodes"〔蔭足族〕といって、ガチョウのように幅広の巨大な足を持った者たちがいて、夏には、仰向けにひっくりかえって、脚を上げて、足で蔭を作る」。

断片"61a"
ANTIGON. Hist. mir. 165:

 アルメニアの岩場からわき出る(scil. 水)のことをクテーシアスが記録していると(scil. カッリマコスが主張している [F 407 XXXVII Pf])、それによると、魚たちを黒変させ、この〔魚〕を味わった者は死んでしまうと。
断片"61b"
PLIN. N.H. 31, 25:

 クテーシアスは、アルメニアにひとつの泉があるが、そこには黒い魚がいて、それを食べるとたちどころに死ぬと書いている。

断片62
HARPOKR.「すなわち、その地域は"hypokydes"である(hypokydeis gar eisin hoi topoi)」の項。

 デイナルコスが『ステパノスを駁す』の中で。"hypokydes"が水没した(diugros)地域であることは、クテーシアス第3巻からして明らかである。エウポリオーン(F 181 Scheidw)は、「"hypokydes"とは例えば川岸の牧草地(heiamenes)のようなものである」。しかしながら、この弁論家に反対して書いている人たちの作品には、「中窪地(hypokoiloi)」と書かれている。

断片63
IOANN. LYD. De mens. 4, 14:

 胡椒の作り方は、昔の人たちやクニドス人クテーシアスによれば、次のごとくである。アズウメー地方に族民あり、名をベーッサダイ人〔註〕といい、矮小・貧弱な体躯をしていて、頭は大きく、髭を剃らず、インドイ人たちの自然本性に反して直毛をしている。彼らは地下の洞窟に住み、断崖の上に出没するのは、その土地になじんでいるゆえである。この人々が、藪のそばに生える棘のある小木から胡椒(peperi)を摘み取って集める。マクシモスいわく、「インディアに植物あり、初めは棘なしであるが、植えつけられると、ブドウのように樹を這いのぼり、あるいは、棚から垂れ下がり、テレビントス〔Pistacia terebinthus〕のようにブドウの房状の実をつけ、セイヨウキヅタ(kissa)状の長めの葉をつける。植えつけられて3年にして実を結び始める。8年にして枯死する。摘まれると黒くなるが、それはひからびたせいではなく、太陽にさらされるせいである、だから、陰干しされると、白いままとどまることになる」。

 〔Ptolem. VII 2, 15 にはガンゲース河の東の民として「Tiladai、別名Beseidai。彼らは体躯矮小にして肩幅ひろく且つ毛深く、顔面は低平、但し皮膚の色は白し」とあるによりM[u]ller註がBesatai或はBesadaiを推定して以来これが一般に認められて居る。mcCrindle p.218はこれを今日のAssam地方のSilhet付近の山間の民だらうとして居り、Lassen III S.38 Anm. 2は此の名を梵語のvaisada(「遅鈍なる」の義)から来たとし、ヒマラヤ山中のSikkimに住んだと観て居る」『エリュトゥラー海案内記』p.249村川堅太郎註。〕

断片"64*"
SERV. DAN. VERG. Ge. 1, 30:

 Thyle insula est Oceani inter septemtrionalem et occidentalem plagam, ultra Britanniam, Hiberniam, Orcadas. in hac Thyle cum sol in cancro est, dies continuus sine noctibus esse dicitur. multa praeterea miracula de hac insula feruntur, sicut apud Graecos Ctesias et Diogenes, apud Latinos Sammonicus dicit.

断片"65*"
SCHOL. BERN....BREV. EXPOS. VERGIL Ge. 1, 482 (App. Serv. p. 275 Hagen):

 fluviorum rex Eridanus] Padum dicit. ubi sit Heridanus, multi haerent. Eusebius ipsum esse Rhodanum putat propter magnitudinem/ Ctesias hunc in India esse, Choerilus ( 696 F 34f) in Germania, in quo flumine Phaethon extinctus est, Ion (F 62 N 2) in Achaia.

断片66
STRABON 16, 4, 20:

 天頂にある太陽にせよ、灼熱によって赤く染まった(erythrainomenos)山々にせよ、その反射によって出現する色合いにちなんで、この海をエリュトラ(Erythra)とある人たちは言っているという。つまり、推測は二とおりなのだと。
 しかしクニドス人クテーシアスは、泉があって赤味を帯びた赤土のような水を海に注ぎこんでいると記録しているという。
 またアガタルキデースは、後者〔クテーシアス〕の同市民だが(De Mar. R. 2_6)、生まれはペルシア人のボクソスという人の話として記録しているところによると、ペルシア人エリュトラスという人が……その島に初めて渡った……入植者たちをこの島はじめそのほかの諸島や沿岸地方へ派遣し、外海には自分の名をとって名づけたという。
 また、ある人たち(Deinias 306 F 7)は、エリュトラスはペルセウスの息子で、これらの地域の指導者だった説明するという。

断片67
GALEN. 『ヒッポクラテースの「関節の整復について(Peri arthron emboles)」註』 70 (XVIII A p. 731 Kun):

 ヒッポクラテースが股関節をはめようとしたことを〔人びとは〕非難した、そのわけは、すぐに外れるようにしたというのである、最初はクニドス人クテーシアスが(T 4〔に続く〕)……

断片68
OREIBAS. Collect. med. 8, 8:

 ヘッレボロス(helleboros)〔Thphr. HP. IX_10.1 参照〕に関するクテーシアスの〔言〕。「わたしの父親、および、わたしの祖父の時代には、ヘッレボロスを与える医師は一人もいなかった。なぜなら、これの混合法や、いかほどを与えたらよいかという容量や重量を知らなかったからである。だから、ヘッレボロスを与える者がいたとしても、初めに、大きな危険を冒そうとしている者としてその気になるよう命じたが、それでも服用者の多くは窒息し、生きながらえる者はわずかであった。ところが今は、安全この上ないものであると思われている」。

断片69
TZETZ. Chil. 3, 83_101:

 アッシュリア人たちの王、かのセソーストリス――ディオドーロス(1, 53)によれば、呼び名はセソオーシス――は、アッシュリアの独裁者たちの全領土の支配者であって、小王たちをこの人物の馬車のくびきにつないで、他の人たちならウマに牽かれるところを、彼ら小王によって牽かれ、当時の人たちによって世界覇者(kosmokrator)とも神とも呼ばれていた。あるとき、ひとりの小王がこの人物の愚をさとそうとして、運命の定めなさを謎かけによって示そうとした。すなわち、馬車を牽きながら、自分は車輪の回り具合(trochia)を見つめ、ひどく歩みの鈍いことを見えるようにさせたのである。そこで、彼に対してかのセソーストリスが言った、「なにゆえ道中を怠けるていのか、そなたは? 即刻申せ」。すると彼は、「車輪の回転(systrophe)〔"systrophe"には「急変」の意あり〕を眺めているだけで」と謂った、「わたしが回しているのではありませぬ」。たったこれだけのことで、セソーストリスは相手が明らかにしようとした意をさとって、高慢をさしひかえ、彼らの頸木を解き、残りの生涯、優しく知慮深い人物となった。クテーシアスとヘーロドトス〔出店不明〕、ディオドーロス(1, 58, 2)とディオーン(or. 71, 17?)、また、これらの人たちとともにカッリステネース(124 F 59 bis)、シモカトス(Hist. 6, 11)その他も、この話(historia)に簡潔に言及しているが、ある人たちは漠然と〔言及している〕。

断片70
TZETZ. Chil. 3, 640/7:

 ……いったいなぜキュロスが慈悲に言及したかをあなたに申しましょう。ペルシアの法習は、無慈悲な行為に対し、権力者たちはみな慈悲をわかち、強烈に審査したり懲らしめたりしてはならぬというのが、ほぼ一般的である。というのも、彼らの考えでは、無慈悲な者たちは、祖国に反し、同族に反し、神に反する不敬虔きわまりない連中だからである。キュロスの〔話(historia)〕はクセノポーン(Kyrup. 1, 2, 7)が、ペルシアの話(historia)はクテーシアスとヘーロドトス(1, 137, 1...3, 140...6, 30. 2...8, 85, 3?)が書いている。

断片71
TZETZ. Chil. 8, 985/92:

 ヘーロドトス(3, 110/2)、ディオドーロス(2, 49)、クテーシアス、その他すべての人たちが言っているのは、

断片72
ANTIGON. Hist. mir. 116:

 歴史著述家のアルサメーンの主張では、ペルシア人には生まれるとすぐ歯があるという。

断片73
[PLUTARCH.] De fluv. 21, 5 (=STOB. Flor. 4, 36, 20):

 ここ(scil. ミュシアのテウトラン山)には「病返し(antipathes)」と呼ばれる薬石が産する、この石は、酒で磨り潰され、患部に当てられると、白癩や癩病にきわめて美しく効くとは、クニドス人クテーシアスが『山々について』第2巻の中で記録しているとおりである。

断片74
[PLUTARCH.] De fluv. 19,2:

 この河(scil. アルペイオス河)ではケンクリティス(kenchritis)と命名される、葡萄に類似した薬草が産する、この薬草を医師たちは煮詰めて、心神喪失者たちに服用するよう与え、患者を狂気から解放するとは、クテーシアスが『河川について』第1巻の中に記録しているとおりである。

2002.10.07. 訳了  

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