クテーシアス断片集(5/7)
ペルシア誌・インド誌
クテーシアス断片集(6/7)
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Fragmenta(5/6)
断片39
ATHEN. 4, 27 p.146C:
ペルシア人たちの王は、クテーシアスや、ディオーン『ペルシア誌』(690 F 24)の主張によれば、1500人と共に食事をしたという。この食事には、400タラントンを費消した。
断片40
ATHEN. 11, 11 p.464A:
というのもクテーシアスは、「ペルシアでは」と主張する、「大王の不興をかった者は、土器の(scil. ポテーリオン〔水差し〕)を用いる」と。
断片41
HESYCH. "sarapis"の項。
ペルシアの、中程度の白さの長衣(キトーン)だとは、クテーシアスが。「"sarapis"を引き裂かれ、髪振り乱した女が、髪をかきむしり、悲鳴をあげた」。
断片42
STEPH. BYZ. "Agbatana"。
……デーメートリオス(852 F 2)の主張では、"Agbatana"は2つある、ひとつはメーディアに、もうひとつはシュリアに。クテーシアスによれば、ペルシアのどこでも、メーディア語の"Agbatana"はαを2つ書く。
断片43
STEPH. BYZ. "Derbikkai"の項。
ヒュルカノイ人たちの近くの民族。アポッローニオスがカッパ(κ)で〔"Derbikkai"と〕書くのは美しい。ただし、クテーシアスは彼らのことを"Derbioi"(?)ないし"Terbissoi"と〔書くと〕主張する。
断片"44a"
TERTULLIAN. Ad. nat. 1, 16:
plane Persae, Ctesias edit, tam scientes quam non horrentes cum matribus libere faciunt.
断片"44b"
Apolog. 9:
Persas cum suis matribus misceri Ctesias refert.
断片45
PHOT. Bibl. 72 p.45a21_50a4:(T10)
[1]
インドス河について、狭いところはその幅40スタディオン、最も広いところは200〔スタディオン〕もあると彼〔クテーシアス〕は言う。[2]当のインドイ人たちについて、全人類の人口のほとんど大多数がいると彼〔クテーシアス〕は言う。(cf. F 49)。[3]この河にいる蛆(skolex)について、ここには他の獣たちのなかでこれのみが棲息する。[4]彼ら〔インドイ人たち〕よりも彼方に居住する人間はいないということについて。[5]雨は降らず、インディケーは河川によって給水されるということ。[6]パンタルベー(pantarbe)〔紅玉か?〕という宝石について。477の宝石と、貴重な鉱石を河の中に投げこみ――これをするのはバクトリアの商人である――、相互に一続きになったのをこのパンタルベーが引き上げた〔???〕。
[7]
破城用象隊について。[8]4ペーキュスの尻尾を有する小さな〔?〕猿たちについて。また、最大のおんどりについて。またオウムという鳥につて、〔この鳥は〕人間のような舌と音声を有し、大きさはタカぐらい、顔は真っ赤。黒い髭までつけているが、この〔鳥〕の首のあたりは辰砂のようにエナメル色をしている。またこの〔鳥〕は人間のようにインド語でしゃべり、ヘッラス語を学んだら、ヘッラス語で〔しゃべる〕ということ。[9]毎年、液状の黄金に満たされる井泉について――この井泉からは、毎年、土器で〔容積〕100プロクゥスが汲み上げられる。土器でなければならないのは、黄金が汲み上げられると凝結して、必ず容器を壊し、そのためにそれ〔黄金〕を流出させるからである。1プロクゥスにつき、1タラントンの重量がある。また、井泉の底にある鉄についても、クテーシアスの主張では、これから両刃剣(xiphos)が2振りも鋳造され、1振りは王〔アルタクセルクセース2世〕の、もう1振りは王の母后パリュサティスのもとにあるという。さらにこれ〔鋳造された両刃剣〕について彼〔クテーシアス〕の主張するところでは、大地に突き立てられると、群雲や霰や旋風(§18)の厄除けとなるという。そして、王が2度それをするのを、自分で見たと彼は主張する。[10]インドの犬たちについて、それは最大であって、ライオンとさえ闘うほどだということ。[11]大山脈について、ここからはサルドー土のみならず、縞瑪瑙その他の宝石も採掘される。[12]大いに暑いということ、また、太陽は、その他の地方においてそれ本来の大きさであるよりも、大きさが10倍あるように見えるということ。そのため、多くのものらが窒息してくたばる。[13]海も、ここではヘッラスの海に劣らぬと彼〔クテーシアス〕は主張する。ここの〔海の〕表面は、指4本分までが熱湯で、そのため、魚はこの熱湯近くでは生きられず、下方ですごす。
[14]
インドス河はいくつもの平野や山地を貫流し、その流域に、いわゆるインドアシも生えている、これの太さは大人2人がかかえてやっと抱けるほど、高さは1万石船の帆柱ぐらい。もっと大きいのも小さいのもあるが、それらは当然、大きな山の中にあるということ。このアシには雄と雌があるという。そして雄は心材を持たないが、すこぶる強く、雌は〔心材を〕持っている。[15]彼らのところにいるマルティコラスという獣についても、次のようにいう、――顔は人間に似ている。大きさはライオンぐらい、色は辰砂のように深紅。歯は3列をなし、耳は人間のそれのごとく、眼も人間に等しく碧。尾は、陸棲サソリのようなのを有し、そこに刺し針――1ペーキュス以上――まで有す。さらに、尾の両側にもところどころ針を有す。また〔尾の〕先端にもサソリのように針を有す。そしてこれに近づく者あらば、針で刺し、刺された者は完全に死ぬ。また離れてこれと闘う者あらば、尾を前方に立てて、弓から〔矢を放つ〕ようにして針で命中させ、後方へは真っ直ぐにのばす。そして距離にして1プレトロンぐらい命中させる。命中させられたものは、何でも完全に死ぬが、象は例外である。この〔獣の〕針は、長さは1プゥスぐらい、太さは、極細のスコイノス〔学名"Juncus acutus"、イ草の1種〕ぐらい。マルティコラスとは、ヘッラス語で〔いえば〕「人食い8anthropophagos)」、たいてい人間を亡き者にして喰らうからである。しかし、ほかの生き物をも喰らう。さらに、闘う時は爪と針を使う。針は、彼〔クテーシアス〕の主張では、発射されると再び生え替わるという。インディケーには多くの〔生き〕物がいる。しかし、これを殺すには、人間たちは象に乗って、そこから〔飛び道具を〕命中させるのである。
[16]
インドイ人たちについて、義しさこの上ない人たちであるということ。また、彼らの習慣と法についても。
[17]
無住の聖なる地域について、ここを彼らはヘーリオス〔太陽〕とセレーネー〔月〕との名において崇拝している。ここには15日間、サルドー島の山からひとがやってくる。そして、1年のうち35日間、ここの太陽は祭礼のために冷たくなる。火を使わぬ人たちが、祭礼を挙行し、帰ってゆけるようにと。〔???〕[18]稲妻や雷鳴や豪雨はインディケーに存在しないが、風は多く、旋風もまた多い。しかも、巻きこんだものを何でも掠め去るということ。また、太陽は中天にかかっていながら、日の半分を寒くし、残りは、インディケーのたいていの場所をひどく熱くさせる。[20]インド地方では〔1年のうち〕35日間〔太陽が〕冷たいという太陽にまつわる話を信じようとして、彼〔クテーシアス〕は言う、――火もアイトネー〔シケリア東端にある火山〕から中心部を流れるけれども、人々が義しい人たちなので、これを破壊することなく、他のものを破壊する。またザキュントスにある小さな井泉は魚を産し、この井泉からピッチが採れる。またナクソスにある井泉、ここからは時として酒が流れ、しかも大いに甘い。また、リュキアのパセーリスの近くに不死〔不滅〕の火ありということも、夜も昼も岩の中で不断に燃えつづけ、水によっては消せないどころか、かえって燃えさかるが、ぼろきれによって消せるということ。
[21]
インディケー中央部に色黒の人間あり――ピュグマイオイ人と呼ばれる――他のインドイ人たちと同じことばを使う。彼らはひどく背が小さく、その最も身長の高い者たちで2ペーキュス、多くは1ペーキュス半。頭髪すこぶる長く、膝上、さらにはもっと下まで達っし、髭もどんな人間よりも大きい。だから、大きな髭をつけているので、もはや何も着物を身につけることなく、毛を、頭からのは後ろに、膝のはるか下まで、髭からのは前に、足まで引っ張られたのを垂らし、次いでその毛を身体中にぐるぐるまきに巻きつけ、これを着物の代わりにしている。恥部は大きく、彼らの足首に届くほどであり、しかもどっしりしている。しかし彼ら自身は鼻べちゃで、醜い。[22]彼らの家畜〔ヒツジ〕は仔羊くらいで、ロバもウシもほとんど雄ヒツジくらい、彼らのウマや半ロバやその他の家畜もすべて雄ヒツジより大きくはない。[23]インドイ人たちの王に、これらピュグマイオイ人の男たち3000が付きしたがう。というのは、ほとんどが弓兵だから。彼らは最も義しい人たちであり、インドイ人たちと同様、法習に従う。
[24]
野ウサギたちやキツネたちを狩るのは、イヌたちによってではなく、オオガラスやトビやハシボソガラスやワシによってである。
[25]
彼らのところに(周囲800スタディオーンの)池があり、ここには風が吹かないので、池の表面に油が広がっている。そこで彼らは小舟を出して池をわたり、池の中央部からスカピオンでその油を汲み取り、〔この油を〕利用する。ごま油も利用する。この池には魚もいる。また堅果〔(ドングリ)の油〕をも利用する。しかし池の油の方がすぐれている。
[26]
ここにはまた多くの銀や銀鉱石が産し、〔銀鉱は?〕深くない。むしろ、もっと深いのは、伝え聞くところでは、バクトリア人たちのところにあるそれ〔銀鉱〕である。さらにまたインディケー地方には黄金も産するが、〔その黄金は〕パクトーロス河におけると同様、河川の中にあって洗鉱されるのではなく、深山・大山脈があり、そこにグリュプスが住んでいる。四つ足の鳥類で、大きさはオオカミぐらい、脚と爪はライオンのよう。他の身体の中で翼は黒、胸の部分は深紅である。このグリュプスのせいで、山中の黄金は、多数あるけれども、入手しがたいのである。
[27]
インドイ人たちの家畜〔ヒツジ〕やヤギたちはロバよりも大きいということ。出産は4匹以上、たいていは6匹を産む。大きな尾を有する。繁殖期に〔尾を〕切り取るのは、交尾できるようにするためである。ブタもイノシシもインディケーにはいない。[28]インドイ人たちのところにあるナツメヤシや彼らのドングリ(balanos)〔「"drys"(ヨーロッパナラQuercus Robur, Q. aegilops)の実である」『動物誌』VIII_6(595a)、島崎註〕は、バビュローンにおけるそれの3倍ある。[29]河も、彼〔クテーシアス〕の主張では、岩から蜂蜜を流す。
[30]
彼〔クテーシアス〕が多くのことを言っているのは、彼ら〔インドイ人たち〕の義しさと、自分たちの王に対する好意と、死を軽んじることについてである。
[31]
彼の言によれば、水源あり、これの水を汲まんとする者あらば、チーズのごとく噴き出すという。この凝固したのを3オボロスほど水の中にすりつぶして飲ませると、自分のしたことをすべて告白する。そこで、弾劾された者たちがいた時に、王はこれを使って、真実を見つけようとした。そして白状すれば、自裁するよう下命し、何も非難さるべき点のない場合には、釈放した。
[32]
インドイ人たちの中には、頭痛に罹る者も、眼炎に罹る者も、歯痛に罹る者も、口の潰瘍になる者も、化膿を悪化させる者もいないと彼〔クテーシアス〕が主張しているということ。だから彼らの一生は、120年、130年、150年。たいていは200歳まで生きる。
[33]
彼らのところに1スピタメー〔掌尺〕のヘビがいる。その姿は最も美しい深紅のようである。頭だけは真っ白。歯は1本もない。狩られるのは最も熱い山中で、ここからはサルドー土も掘り出される(§11)。このヘビが咬むことはないが、これが吐きかけたその部位を完全に腐らせる。尾に琥珀状のと、黒いのと、2種類の薬をぶら下げている。前者は生きている時に流れ出させ、後者の黒いのは死んでから〔流れ出させる〕。そして前者、つまり生きている時に流れ出たものをゴマ粒ほど与えられると、服用した者の脳みそが鼻から流失して、たちどころにくたばり、もう一方のは、与えられた者を死滅へと導き、1年たってやっと絶命させる。
[34]
彼〔クテーシアス〕の主張では、"dikairon"という添え名を持つ鳥も〔いる〕、これはヘッラス語で「義しいもの(dikaion)」を意味し、大きさはウズラの卵ぐらい。これが糞を埋めるのは、見つからないようにするためである。見つけて、これをゴマ粒ぐらい早朝に飲むと、夢うつつとなり、何も感ずることなく眠り、太陽が沈むころ、命終する。
[35]
樹木もあり、"parebon"と呼ばれ、大きさはオリーブ樹ぐらい。王宮の庭園にだけある。花もつけず実もならず、15ヶ月で根を生じ、地表に密生させる。その太さは最も細い腕ぐらい。この根は、1スピタメー〔掌尺〕ぐらいになると、触れるものを何でも自分の方に引きつける。金、銀、銅、石、この他にも、琥珀を除いて何でもである。さらにこの根が1ペーキュスぐらいになると、仔ヒツジでも鳥類でも引きつける。というのは、鳥類の大部分はこれによって狩られるからである。水も1クゥスほど噴き出させたい時は、この根を1オボロスほど投げこむと、あなたはそれを噴き出させられよう。葡萄酒でも同様である。あなたはそれを手で密蝋のように受けることができよう。次の日には融ける。腸を病む人たちには治療〔薬〕として与えられる。
[36]
インディケーを貫流する河もある、大きくはないが、幅ほぼ2スタディオンぐらい。河の名は、インド語では「臣下(Hyparchos)」(?)、ヘッラス語では、「ありとある善きものをもたらすもの」である。この河は、1年のうち30日間、琥珀を流れ下らせる。なぜなら、言い伝えでは、山中に(水は山脈を流れているから)水〔流れ〕にかぶさる樹木がある。次に季節は、アーモンド〔Prunus Amygdalus〕やパイン〔"pitys"〕や他のある樹が「樹の涙」〔樹液〕をもたらすとき、とりわけ1年の30日間である。次に、この樹液を河の中に落とす。この樹木の名はインド語で"siptachoras"〔学名"Schleichera trijuga"、Plin. HN. 37, 39〕、ヘッラス語では「甘い」を意味する。ここからもインドイ人たちは琥珀を採集する。さらにこの樹はブドウのように房になった実をつける。その粒はナツメヤシの球果のような粒である。
[37]
この山中に、彼〔クテーシアス〕の主張では、犬の頭を持った人間が生活している。野獣〔の毛皮〕からつくった衣服を身につけている。ことばはひとつの発せず、イヌのように遠吠えをして、そうやって自分たちのことばを理解する。歯はイヌのよりも大きい。爪もイヌのに等しいが、もっと大きく、もっと鈎状になっている。インドス河に至までの深山に住んでいる。色黒く、きわめて義しい人たちであることは(§43)、他のインドイ人たちと同様である。また、彼ら〔インドイ人たち〕の間で何が言われているかを解し、自分たちは会話はできないが、遠吠えと、手や指で合図する、聾者(や唖者)のように。インドイ人たちからはカリュストリオイ人と呼ばれている、これはヘッラス語で「犬頭族(Kynokephaloi)」という意味にほかならない。族民は12万人に達する。[38]この河の水源のほとりに、紫の花が生えていて、これから紫色が染められる、ヘッラスのそれに劣るどころか、むしろはるかに花うるわしい。[39]ここには、大きさカンタロスぐらい、辰砂のように真っ赤な昆虫が棲息しているということ。すこぶる長い脚をしている。蛆(skolex)のようにぷよぷよしている(§3...46)。そしてこの虫は琥珀のなる樹(§36)の上に発生し、その実を餌にして、だめにしてしまう、ヘッラス人たちのところでブドウをだめにする連中のようなものである。ところが、この虫をすりつぶしてインドイ人たちは深紅の服や着物(chiton)や他に何でも望みのものを染める。しかもそれはペルシア人たちのところの染料よりも上等である。[40]山中に住むキュノケパロイ人たちは耕作せず、狩猟によって生活している。これ〔獣〕を殺すと、太陽に当てて調理する。また、ヤギにせよロバにせよ、たくさんの家畜を飼っていて、家畜の乳や乳漿を飲む。"siptachoras"――これから琥珀が採れる〔§36〕――の実を食する(甘いからである)。そして、乾燥させて、これで籠(spyris)をいっぱいにする〔写本の乱れ〕――ヘッラス人たちのところで干しぶどうをそうするように、[41]キュノケパロイ人たちは筏を作り、積みこんで、これと紫〔の染料〕の貨物を輸出し、清浄な花を作り、[琥珀も]1年間に260タラントンを〔輸出する〕。深紅に染める薬も別に同量を〔輸出する〕。琥珀も年間1000タラントンを、インドイ人たちの王に輸出する。さらに他のものも陸揚げして、パンや挽き割り麦や木綿の布地に加えて、インドイ人たちに販売する。販売するのは、ほかにも、獣の狩猟に使用する両刃剣、弓、投げ槍である。というのも、投げ槍と弓射にかけてまったく恐るべき手練者だからである。しかし、その彼らが戦争しないのは、人跡未踏の高山に住んでいるからである。彼らには、5年ごとに、王が贈り物として弓30万、投げ槍を同数、軽楯12万、両刃剣5万を与える。[42]このキュノケパロイ人たちには家屋がなく、洞窟の中で暮らしている。獣を狩るのには弓と投げ槍を使い、追跡して取り押さえる。俊足だからである。彼らの女たちが沐浴するのは月に一度、彼女たちに月のものがある時で、他の時には沐浴しない。男たちは沐浴せぬが、両手を洗う。油を使うのは月に3度、乳から採った油で、皮膚に擦りこむ。身につけている衣服は、男たちもその女たちも、ごわごわではなく、いかにも薄手の滑らかな鞣し革である。しかし、彼らの中で最も富裕な者たちは、亜麻布を着る。が、この者たちは少数である。彼らに寝椅子はなく、寝床を作る。が、この者は彼らの中で最も富裕な者とみなされており、この者は最多の家畜を有している。その他の財産は似たり寄ったりである。[43]男たちも女たちも、みなが臀部の上にイヌのような尻尾を有していて、それは大きく、毛むくじゃらである。女たちとは、イヌのように、四つんばいになって性交する。他の仕方で性交するのは、彼らにとって恥ずべきことである。しかし彼らは義しい人たちで(§37)、全人類の中で最も長命である。というのは、170年生き、彼らの中には200年生きる者たちもいるからである(§32)。
[44]
彼ら以上に長生きする別の族民が、言い伝えられるところでは、この河の水源の上方にいるという。この人たちは、色の黒さは他のインドイ人たちと同様であるが(§19)、何も耕作せず、穀物を食することもなく、水を飲むこともなく、家畜としてウシもヤギもヒツジも数多くを飼育し、その乳を飲み、他のものは何も〔飲まない〕。だから、彼らの誰かに幼児が生まれた場合、尻に肛門なく、まして排便することもないが、腰はもっていて、生まれつき開口部がある。それゆえ、排便はしないが、彼らは、言い伝えられるところでは、それほど濃くはないが混濁したチーズのような尿を放尿するという。だが、早朝乳を飲み、日中もう一度飲むが、言い伝えられるところでは、彼らのところには甘い根があり、これが腸の中で乳を凝固させないようにするという。かくして、夕方までにこれを囓って嘔吐し、あらゆるものを簡単に吐き出せるのである。
[45]
インドイ人たちのところに、ウマと同じくらいか、それよりもっと大きな野生のロバがいるということ。身体は白く、頭部は深紅、イヌのような眼をしている。額に角あり、大きさは1ペーキュス半。角の下部、額まで2掌尺(palaistes)ぐらいの範囲はすこぶる白い。角の上部は鋭い。この部分は赤く、すこぶる真っ赤である。他の中央部は黒。この角――〔この角で〕杯(ekpoma)を製作する――から飲む者たちは、(言い伝えられるところでは)痙攣に罹らず、神聖病〔てんかん〕に罹ることもない。いやそれどころか、毒薬にあたることもない。ブドウ酒であれ水であれ他の何かであれ、この杯から〔毒薬を飲むより〕先に飲んでも、毒薬の後に飲んでも〔あたらないのである〕。ところで、他のロバ類――飼いロバであれ野生ロバであれ――やその他の単蹄動物はすべてアストラガロスを持たず、肝臓に胆汁も持たない。ところがこの〔インドロバ〕はアストラガロスと肝臓に胆汁を有し、しかもそのアストラガロスはわたしが見たことのあるものの中で最美で、形といい大きさといい、まさしくウシのそれのようである。重さは鉛ほどもあり、色は辰砂のよう、しかも深さもそうである。この生き物の俊足と勇ましさはこの上ない。ウマも他に何が追いかけても、追いつけるものは何もいない。初めは比較的ゆっくりと走り始める。そして走る時間が増すほど、霊妙なほどの激走ぶりを示し、時間が経てば経つほど速く走る。だからこの生き物をつかまえる方法は他にない。だが、仔どもが小さいので、牧草地を連れまわる時は、多数の騎乗者に取り囲まれても、若駒を置いて逃げるようなことはせず、角と蹴りと咬みつきで闘う。そのためウマも人も多数を破滅させるが、みずからも弓射と投げ槍で捕らえられる。しかしその肉は苦すぎて食用にはならない。けれども、その角とアストラガロスのせいで狩猟されるのである。
[46]
インドス河の中に蛆(skolex)が棲息し(§3)、形はまたしくイチジクの中によく発生するもののごとく、長さは7ペーキュス、もっと大きいのも、もっと小さいのもいる。太さは、10歳年の子どもで、言い伝えられるところでは、両手でやっとつかめるほどだということ。歯は、上と下に2本を有す。この歯で何でもつかまえ、食いつくす。日中は河のヘドロの中ですごし、夜になると出てくる。そして陸で何かに出会うと、ウシであれラクダであれ、噛みつき、捕らえて河の中に引きずりこみ、腸を除いてすべての部分を食いつくす。捕獲されるのは、大きな釣り針に、仔ヤギや仔ヒツジをひっかけ、鉄の鎖に固定してである。捕獲すると、30日間これをぶら下げ、容器を下に置く。すると、この蛆から濃い油が、アッティカのコテュレーで10杯分流れ出る。こうして30日がすぎると、蛆は投げ捨て、油を安全に守りながら、インドイ人たちの王のもとにのみ運ぶ。他の者にはこれを手に入れることは許されないのである。この油を注ぎかけられたものは、材木も生き物も燃えあがらせ、燃え尽きさせ、多量の濃い泥によらざるかぎり、他の仕方では鎮火しない。
[47]
インドイ人たちのところに、ケドゥロス〔kevdroV、学名"Juniperus phoenicea"とか"J. communis"など〕ないしセイヨウヒノキ〔kuppavrittoV、学名"Cupressus semperviens"〕のような高木あり、葉はナツメヤシ〔の葉〕のようだが、少しく幅広である。また、マスカリス〔"maschalis"枝のつけねの内側の小球〕を持たないということ。雄のゲッケイジュのように花は咲くが、実はつけない。〔この樹は〕インド語で小果(karpion)〔という意の語〕、ヘッラス語では"myrorodon"と名づけられている。しかし珍木である。この樹から油のしずくが流れで、このしずくを、羊毛を〔樹〕に結びつけて樹から雪花石膏製の香油壺(alabastros)の中に搾り取る。色はじっと赤味を帯び、いくぶん濃い、何にもまして快い香りがする。それは、伝え聞くところでは、5スタディオン隔たっても香るという。これは王と、その一族のみの所有物である。インドイ人たちの王はペルシア人たちの王に送り、彼〔クテーシアス〕の主張では、自分自身が眼にし、ことばに云うことも譬えることもできないほどの香りがしたという。
[48]
チーズや葡萄酒が、彼〔クテーシアス〕の主張では、何よりも甘いということを、自分で食べてみて、体験を通してわかったと彼は主張する。
[49]
インドイ人たちのところにある井泉は、彼〔クテーシアス〕の主張では、周囲が5オルギュイア〔1"orgyia"は両手を広げた長さ〕ぐらいで、四角形だという。水は岩の中にある。水面までの深さが3ペーキュス、水面下の〔深さ〕が3オルギュイアである。ここで沐浴できるのは、男も女も、インドイ人たちの最高貴顕で、彼らは足から身を投じて潜水する。飛びこんだ場合には、これを水は上に放り出す。人間たちを投げ上げるばかりでなく、陸上〔の乾いたところ〕に投げ出すのは、生き物なら、生きていようが死んでいようが、何でも、また、鉄と金と銀と銅を除いて、およそ投げこまれたものなら何でも〔投げ出す〕。水はきわめて冷たく、飲むに快い。しかし、水が大鍋で煮えたぎるような大きな音がする。またこの水は白癬や疥癬をきれいにする。インド語でバッラデー(ballade)〔サンスクリット語に"bala-adhana"という語がある。「力持(りきじ)」よ漢訳される。力を保持する意であるが、このことか?〕、ヘッラス語で「利益(りやく)泉(ophelime)」と呼ばれる。
[50]
インドの山地――ここに彼らのアシ(§15)が生える――に、その数3万人にもおよぶ人々がいる。彼らの女たちは、一生の間にただ1回だけ出産するが、生まれた子は上にも下にもきわめて美しい歯を持っている。また、頭部も眉も灰色の髪の毛をしていて、これは雄も雌も生まれつきみなそうである。そして30歳になるまでに、かの人々はめいめい身体全体の毛が白くなるが、それから以降は黒くなり始める。そして60歳になると、彼らは全員が黒い髪をしているのが見られる。また、この人たちはそれぞれの手に8本以上の指を持っている。同様に足〔の指〕も8本以上あり、これは男たちも女たちも同様である。また、すこぶる好戦的で、彼らの弓兵5000と、投げ槍兵も、インドイ人たちの王に付き従う。耳は、彼〔クテーシアス〕の主張では、あまりに大きいので、その肩は肘までがその耳に隠され、後ろでは背中全体が包み隠されるほどである。つまり、耳は一方が他方に接しているわけである。
[51]
以上のようなことを書き、物語って、クテーシアスは、真実この上ないことを書いていると言うのである、――あることは自身が目撃し、あることは目撃した当人たちから学んで書いたかのように、そして、他にも多くの、これらよりももっと驚くべきことは、見たことのない連中に、信じられないことを編纂したと思われないよう省略したかのように見せかけて。[こういったこともその書中にある。]
断片"45a"
ARRIAN. Anab. 5, 4, 2 (EUST. Dion. Per. 1143):
クテーシアスは、といっても、クテーシアスが証拠として充分に信用できるとしての話だが(T 11 g)、インドス河が最も狭いところでも、両岸は40スタディオーン離れており、最も広いところでは実に100スタディオーンもある、ただし川筋の大方の部分では川幅は、この二つの数字の中間どころだと言っている。
断片"45b"
AELIAN. N.A. 17, 29:
インドイ人たちの王は、敵勢に突進するとき、戦象10万に先導させる。わたしの聞いたところでは、最大・最強の〔戦象〕3000が別に後続し、こちらは敵の城壁を打ち倒すように教育されていて、王の命令いっか、〔城壁に〕のしかかる。打ち倒すのには、胸を使う。このことはクテーシアスも言っているが、彼は聞いた〔話〕と書いている。が、同じ人物がバビュロニアでは目撃したと言っているところによれば、ナツメヤシが象によって、同じ仕方で、つまりこの獣たちが力のかぎりそれら〔ナツメヤシ〕にのしかかって、根こそぎ打ち倒されたという。そもそも〔象たちがそんなことを〕するのは、彼らを調教したインドス人が、そうするよう彼らに命令した場合である。
断片"45c"
TZETZ. Chil. 7, 738:
アッラビア人たちの葦(Uranios 675 F 21)驚異とみなす人あらば、ツェツェースが言うに、インドイ人たちの葦は幅2オルギュイアぐらいあるとクテーシアスが書いているのを、誰が信じられようか? しかも、その葦の1節で、曳舟2艘を作るということを〔誰が信じられようか〕?
断片"45d, Alpha"
ARISTOT. H.A. 2, 1 p.501a24:
以上の類には歯が二列のものはない。しかし、クテーシアスを信ずるとすれば、そういうものもある。すなわち、彼のいう所によると、インド産の野獣でマルティコラス〔"martichoras"、ペルシア語の"martijagara"(人殺し)すなわちmard-khara(人食い虎)のこと〕という名のものだそうだが、これは両顎に歯が三列あり、大きさはライオンくらいで、毛の深さも足もライオンに似て、顔と耳はヒトのようであり、目は青く、体は朱色で、しっぽはサソリの尾に似てその中に刺針があり、尻尾の生えた針を投げやりのように投げつけるし、笛とラッパを同時に鳴らしたような声を出し、速く走ることではシカに劣らず、獰猛でヒトを食う、という。
断片"45d, Beta"
AELIAN. N.A. 4, 21 (PHILES De an. propr. 38):
インドにいる不敵な猛獣で、大きさは最も大きなライオンぐらい、色は辰砂かと思われるぐらいの深紅、犬のように毛むくじゃらの獣がいる。インドイ人たちの発音でマルティコラス(martichoras)と名づけられている。顔は、その獣のではなく、人間のを見ていると思えるようなのをもっている。歯は3列がその上顎に、3列がその下顎に生えていて、先端はきわめて鋭く、イヌのよりもこちらの方が大きい。耳は、これもまた、少なくとも形態においては、人間にそっくりである、ただし、より大きくて毛むくじゃらではある。眼は青色、これも人間にそっくり。足と爪は、ライオンのそれのようだと考えていただきたい。尻尾の先にはサソリの針を備えており、この針は〔長さ〕1ペーキュス以上あり、その尻尾はどちらの側も針で仕切られている。尻尾の先端は、遭遇した相手を針で刺し殺し、たちどころにお陀仏にする。誰かがこれを追跡すると、これは側面の針を矢弾のように発射し、しかもこの動物は遠矢の射手である。また正面に針を発射する場合は、尻尾を反り返らせる。サカイ人たちのように後方に〔発射する〕場合は、これは尻尾をのびるだけのばす。命中した相手は、殺す。ただし、ゾウだけは亡き者にすることができない。投擲される針は、長さは数プウス、太さはイグサくらいである。そもそもクテーシアスが言い、インドイ人たちも彼に同意していると彼が主張するところでは、この針が放たれた箇所には、別の〔新しい〕針が下から生え、この悪行の継続ができるようにするという。また、この同じ人物が言うには、人間を食べるのがことのほか好きで、多数の人間を亡き者にする。しかも、ひとりずつを待ち伏せるのではなく、2人でも3人でも襲撃し、たった1頭でこれだけの人数を制圧する。〔自分以外の〕残りの動物は〔いずれも〕打ち負かすが、ライオンを倒したことはいまだかつてない。この動物が人間の肉を好物として満足するということは、その名前も示唆している。というのは、その意味するところは、ヘッラス人たちの言葉(phone)でインドイ人たちのいう「人食い」である。この行動から呼ばれているのだからである。また、シカに匹敵するほど最速に生まれるいている。 だから、インドイ人たちが狩るのは、この生き物の赤ん坊で、尻尾がまだ針を持たないやつである。そして、〔捕まえると〕石でその尻尾を粉々にして、針が生長しないようにする。鳴き声はラッパの音にかぎりなく近いのを発する。
この動物が、インドイ人たちのところからペルシア人たちへの贈り物として送られてきたのを、ペルサイで見たことがあるとクテーシアスは言う。
断片"45d, Gamma"
PAUSAN. 9, 21, 4:
[4]インドイ人たちのことを扱ったクテーシアスの書の中に出てくる動物――インドイ人たちによってマルティコラス〔と呼ばれ〕、ヘッラス人たちによっては「人喰い」といわれていると彼は主張する――を、トラ(tigris)だとわたしは納得している。しかし、この動物には両顎とも3列ずつの歯があり、尾の先に針があって、近いところではこれらの針で身を守り、離れている人間に対しては、弓を引く人の矢と同じように針を飛ばす、というが、インド人が事実に反するこの噂を認め合っているのは、この動物をひどく恐れているためだ、と思う。
[5]また、虎の色についてもインド人は間違っていて、虎が太陽の光の下に現れる際にはいつでも、単一の赤色だ、と思っている。しかし、これは虎が素早く動くか、または走っていない時でも連続して回転する――とりわけ離れて見ていた場合――ためである。
断片"45d, Delta"
PLIN. N.H. 8, 75:
クテーシアスの記すところでは、この同じ国〔エティオピア〕には、彼がマンティコラ(mantichora)と呼ぶ動物が生まれるが、これは櫛の歯のように噛み合う3列の歯並みがあり、顔と耳は人間のようで、眼は灰色、色は血のように赤く、体躯はライオンのようで、サソリのように尻尾で刺す。声はパンの笛とトランペットが混ざったよう、脚は非常に速く、人間がことのほか好物である。
断片"45e, Alpha"
ANTIGON. Hist. mir. 166:
[F 107 XXXVIII Pf]:火については、クテーシアスが記録していると彼(scil. カッリマコス)は主張する、――パセーリス人たちの領土のあたりにあるキマイラの山の上に、いわゆる不死の火がある。これこそは、ひとが水をかければ、よりよく燃えあがり、藁屑をくべて押しつけておくと、鎮火するという。
断片"45e, Beta"
PLIN. N.H. 2, 236:
パセリスのキマエラ山も燃えている。実際夜も昼も消えることなく焔を出して燃えているのだ。クニドスのクテーシアスは、水はその火を煽るだけだが、土か糞はそれを消す、と言っている。
断片"45f*, Alpha"
EXCERPT. CONST. De an. 2, 67 (Suppl. Aristot. I 1 ed. Lambros p.53, 27):
インドイ人たちの土地にはピュグマイオイと呼ばれる人たちがいる。彼らはインディケーの中央部に広大な土地を有し、インドイ人たち同様色黒で、また彼らと同じ方言を話すが、すこぶる背が小さい。彼らのうちの最も背丈の高い者でも、2ペーキュス、たいていは、男も女も1ペーキュス半である。そこで小さい子どものうちは、木の服(himation)をとってきて、そのまま身に巻きつけておく。若者になると、長髪にする。ほかのピュグマイオン人たちもみな、膝やそれよりもっと下まで届く非常に長い髪をしており、髭もどんな人間よりも大きいので、話では、〔身体が〕小さいので、髭そのものが足まで届くほどで、背中には髪が膝のはるか下まである。だから、大きな髭が生えるので、もはや着物を何も着ることなく、頭からは髪の毛を後部にたらし、髭からの毛は前部にたらす。こうやって、身体のまわりを毛でぐるぐる巻きにして、そうやって着物の代わりに毛で包みこむのである。恥部もまたすこぶる大きなのを有し、足首に接するほどで、しかも強壮である。しかし彼らは鼻べちゃで、醜く、他のインドイ人たちと似たところがない。さらに彼らの女たちも、男たちと同様、小さくて醜い。
断片"45f*, Beta"
EBD. 2, 556 (p.139, 27):(F 45ib)
ピュグマイオイ人たちの間では、彼ら自身も小さいように、彼らの家畜もその他のものらも小さい。
断片"45g"
AELIAN. N.A. 4, 26:
ウサギたちやキツネたちを狩るのに、インドイ人たちは次の方法による。狩猟にイヌは必要とせず、タカやオオガラスやさらにはトビの雛を捕まえてきて、育て、狩りの仕方を教えこむ。その調教法はこうである。馴れたウサギや、家で飼っているキツネに肉を結びつけ、走るよう放つ、そして雛鳥にこれを脚力まかせに追いかけさせ、その肉をわがものにするにまかせておく。雛たちの方は、全力で追いかけ、くだんのウサギなりキツネなりを捕獲すると、つかまえた褒美として肉を手に入れる。そしてこの餌は彼らにとって大いに魅力的なのである。こうして、〔雛たちが〕狩りの知恵に習熟したら、山のウサギたちや野生のキツネたちに向けて彼らを放すのである。鳥たちはいつもの食事を期待して、それら〔ウサギやキツネ〕が現れると、全速力で追いかけてつかまえ、主人たちのところへ運んでくると、クテーシアスが言っている。また、それまでは〔獲物に〕結びつけられていた肉の代わりに、捕獲された〔ウサギやキツネ〕の内蔵がかれらの食事となるという、このこともそこ〔クテーシアス〕からわれわれの知ったことである。
断片"45h"
AELIAN. 4, 27:
わたしの聞くところ、グリュプスとはライオンぐらいのインドの四足動物で、最高に頑丈な爪を有するが、これもまたライオンのそれに似ている。しかし背に翼あり、その羽根の色は恥部は黒色、前部は紅色という話である。ところが翼本体はもはやそういう色ではなく、白色。その首は黒ずんだ群青色の羽根で花と飾られていると、クテーシアスが記録している。口はワシの嘴のようなのを有し、頭も同様なのを、手による制作者たち(cheirourgountes)が〔絵に〕書き、〔彫刻に〕作っているとおりである。彼〔クテーシアス〕の主張では、それの眼は炎のようである。巣は山上に作る。また、成獣をつかまえるのは不可能で、幼獣を捕獲する。また、インドイ人たちの隣人であるバクトリア人たちの言うところでは、これ〔グリュプス〕そこにある黄金の番人であるという。そしてまた、彼ら〔バクトリア人たち〕の主張では、これ〔グリュプス〕はその〔黄金〕を掘り出し、それで巣を編むのだが、そこから抜け落ちたのをインドイ人たちが手に入れるのだという。しかしインドイ人たちの方は、彼ら〔グリュプス〕は前述の黄金の番人だということを否定する。なぜなら、グリュプスたちはちっとも黄金を必要としないからである(これが彼らの言っていることなら、信じられることを言っているようにわたしには思える)、そうではなくて、黄金を集めにやって来るのは自分たちの方であって、彼ら〔グリュプス〕の方は、自分たちの赤ん坊のためにも、侵入者たちと戦うことさえ恐れているというのである。〔グリュプスは〕他の動物とは争って、易々と制覇するが、ライオンには、ましてゾウには対抗できない。そもそも、これらの獣の不敵さを恐れて、地元の人々は、日中、黄金を漁りに出ることはなく、出かけるのは夜間である。なぜなら、この好機には、気づかれないことが多いらしいからである。その場所――そこでグリュプスたちが暮らし、金鉱石[地帯]があるところ――は、もともと恐ろしいほどの荒野である。〔そこに〕やって来るのは、前述の物質の狩人たちで、1000や2000といった人数で武装し、シャベルや大袋を運搬し、月のない夜を待ちかまえて掘り始める。こうして、グリュプスに気づかれなければ、彼らは二重の利を享受する。というのも、命が助かるばかりか、運搬物を家郷へ運びまでし、金鉱の嗅ぎ方を学び知っている者たちは、精錬して、自分たちの知恵によって、前述の諸々の危難の代償に、莫大な富をてにするのだからである。しかし逆に、見つかった場合には、破滅してしまう。そして家郷へ舞い戻ってくるのだが、わたしの聞き知っているところでは、3年や4年経ってからのことである。
断片"45i, Alpha"
AELIAN. N.A. 3, 3 (Exc. Const. De an. 2, 518 = Suppl. Aristot. I 1 p.132, 10):
(断片"45k, Beta"に続いて)またインドの家畜(ヒツジ)は、幅1ペーキュスの尻尾を有すると、どこかで彼〔クテーシアス〕は主張している。
断片"45i, Beta"
EXCERPT. CONST. De an. 2, 556 (Suppl. Aristot. I 1 p.139, 13):
クテーシアスによる。「「インドイ人たちの家畜は、ヤギもその最大のものよりも大きい。そればかりか、ヒツジやヤギは、たいていは6匹まで仔を産む。ヒツジもヤギも3匹よりも産む数が少ないことはない。大多数は4匹を産む。ヒツジもヤギも幅広の尾を有し、しかも長くて、ほとんど地面に直接触れんばかりである。地面に尾を引きずるものもいる。だから、生まれたてのヒツジは、その尾を切り取ってやる。というのは、その尾が切り取られないと、歩けないからである。それ〔尾〕は食するにきわめて美味である。それぞれが重さ10ムナもある尾を有し、もっとも小さな尾でもそれぞれ5〔ムナ〕ある。この尾から彼らは油を作り、この油は特に副食に用いる。雄ヒツジの尾は、重さ3ムナを取り除くが、一部のものからは4〔ムナ〕も〔取り除く〕。次いで、縫い合わせて健全にさせる。それをしなければ、雌ヒツジたちは尾をつけていられないからである。これをするのはいつも1年ごとである。すると再び硬脂〔『動物誌』III_17〕が出来、尾はもとどおりになる」。
〔断片"45j"欠番〕
断片"45k, Alpha"
ARISTOT. H.A. 8, 28 p.606a8:
インディケー〔インド〕には、クテーシアス(この人はあまり信用できないが)によると、イノシシもブタもいないが、無血類や有鱗類はみな大きい、という。
断片"45k, Beta"
AELIAN. N.A. 3, 3:
そもそも、次の〔例〕も動物たちの自然の固有性である。すなわち、インドイ人たちのところにはイノシシもブタもいないとクテーシアスが言っている。
断片"45k, Gamma"
EXCERPT. CONST. De an. 2, 572 (Suppl. Arist. I 1) p.143, 17:
クテーシアスに拠る。「インディケー全域にはブタもイノシシもおらず、インドイ人たちの中には、人間の肉と同様、その肉を食う者はだれ一人としていない」。
断片"45l*"
AELIAN. N.A. 4, 36:
インドイ人たちの大地は、歴史編纂者たちの主張では、それは薬草豊富にして、これら〔薬効ある樹木の〕若枝(blastema)〔註〕の多産ぶりも恐ろしいほどだという。そして、そのあるものは命を救い、咬み傷によって死んだも同然の者たち(かの地ではそういったことが多い)をその危難から護り、逆にあるものは、破滅させ、あっという間にお陀仏にする、この中のひとつこそ、ムラサキヘビから採られたものであろう。そもそもこのヘビは、見たところ長さ1掌尺(spithame)ほど、色は最も深い紫色をしているようである。その頭部は白く、彼ら〔歴史編纂者たちの〕説明ではもはや紫色ではないが、その白さは普通のものではなく、雪や乳よりもはるかに白いという。このヘビに歯はない。そして〔このヘビが〕見つけられるのは、インディケーの最も灼熱の地域で、咬むことは決してなく、その点では、これは馴れていておとなしいとあなたは謂うことができるかも知れない。しかし、これが〔毒液を〕吐きかけると、わたしの聞くところでは、それが人間のようなものであれ獣であれ、その部分全体が必ず腐るという。だから、これが狩られる時は、彼らは尻尾の部分をつまみあげて、そうすると当然、頭部は下に、地面を見るようにするのである。そして、この動物の口の真下に、青銅で作られた容器のようなものを置く。すると口を通ってあのしずくが、その容器の中に滴り落ち、凝結・凝固する。これを見たら、アーモンド〔"amygdale"、学名"Prunus amygdalus"〕の涙〔樹液〕だとあなたは云うことだろう。さて、このヘビが死ぬと、入れ物を取りのけて、別のを置く、これも青銅製である。すると、[これは]死体から再び液状の漿液(ichor)が流出するが、これは水に似ている。彼らは3日間放置する、そのうえでこれも凝結する。両者は、色の点で異なる。すなわち、後者は恐ろしいほど黒いが、前者は琥珀色に似ているのである。ところで後者は、胡麻粒ぐらいの大きさをとって、酒であれ食べ物であれ、ひとに与えると、彼は先ず初めに強烈な震えにとらわれ、次いでその両眼〔の瞳〕が収縮し、脳みそがくずれて鼻から滑り落ち、悲惨きわまりない、しかも迅速な死に方をする。また、この薬がもっと少量の場合は、この場合でも彼にとって死はまぬがれがたく、やがては死亡する。これに反し、黒いやつ――これこそは〔ヘビの〕死体から流れ出たものであるが、それも大きさ胡麻粒ぐらい――を処方された場合は、化膿して、肺病が患者をとらえ、1年間衰弱によって衰えてゆく。そして多くは2年まで生きながらえるが、少しずつ死んでゆくのである。
〔註。幹から分かれ出た枝を「アクレモネス」「オゾイ」と呼び、これから一本だけで生じた枝(klados)を"blastema)と呼ぶ――Thphr. HA. I_1.9〕
断片"45m*"
AELIAN. N.A. 4, 41:
インドにいる最も小さい小鳥の種類といえば、次のものであろう。高山や、「滑らか岩」と呼ばれる岩場に巣をかけ、大きさはウズラの卵ぐらいの小鳥である。その色は橙赤色をしていると考えていただきたい。インドイ人たちはこれを自分たちのことばでディカイロン(dikairon)と名づけるのを好むが、ヘッラス人たちは、わたしの耳にしたところでは、ディカイオン(dikaion)〔と名づけるのを好む〕。これの糞(apopatema)は、稗ぐらいの大きさなのを、飲み物の中に溶かしこんで服用すると、〔その人は〕夕方には死んでしまう。しかし、その死は夢見るごとく、はなはだ快適にして苦悩なく、[詩人たちが「伸びやかに眠るがごとく(lysimeles)」〔手足を伸ばした眠り/死〕〔Od. XX_57, XXIII_343〕とか「大往生(ablechros)」〔寿命をまっとうした死〕〔Od. IV_221, XI_135, XXIII_282〕とか名づけるのを好むところのものである。なぜなら、この死も苦悩からは自由であり、それゆえ、必要な者たちにとっては最も快いものであるからだ]。そもそも、この上ない熱心さをインドイ人たちはこの〔薬〕の所有に傾けた。本当に諸悪を忘れさせるものと考えたからである。じっさい、数々の高価な贈り物の中に含めて、ペルシア人たちの王にインドイ人たちの王はこれをも送ったのである。そして相手〔ペルシア〕王も受け取って、他のすべてのものよりも尊重し、癒しがたい諸々の悪病の対抗剤として、また解毒剤として、必要に迫られたときのために蓄えたのである。だからペルサイでは、王自身と王の母親以外には、他の者がこれを持つことさえできなかった。[それゆえ、インドのとアイギュプトスのと、どちらの薬が価値あるか、比較吟味してみよう。アイギュプトスの薬が涙を抑え、対抗するのはその日かぎりであるが、インドの薬は諸悪を永遠に忘れさせる。また、前者は女の贈り物であるが、後者は鳥とか秘密の自然――前述の優秀さによって真にこの上もなく思い縛めから免れさせる――の賜である。そしてインドイ人たちはこれを所有する幸運を得ていたので、この世の牢獄からは、そうしたいときにいつでもの解放されるのである。
断片"45n, Alpha"
APOLLON. Hist. mir. 17:
クテーシアスの主張では、インドイ人たちのところには、"parebon"と呼ばれる樹があるという。この樹は、自分に接近するものを何でも、例えば金、銀、錫、銅、その他どんな金属でも引きつけるという。さらには近くに飛来するスズメも引きつける。この樹がもっと大きくなると、ヤギでも家畜〔ヒツジ〕でも同じ背丈の生き物でも〔引きつける〕。
断片"45n, Beta"
HESYCH. "parebon"の項。
クテーシアス〔の作品〕にある。一種の樹。
断片"45o"
PLIN. N.H. 37, 39:
クテーシアスは、インドにヒポバルス河があり、この名はその河があらゆる幸いをもたらすことを示している、と言う。その河は北方から流れて来て、こんもり茂った山の近くで東の大洋に注ぐのであるが、そこの木々に琥珀がなる。これらの木々はピッタコラ(pitthachora)と呼ばれているが、これは「非常に甘みのあるもの」という意味である。
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