断片1
HARPOKR. SUID.「ポルバンテイオン」の項(ET. M. 798, 26)。
……アテーナイのポルバンテイオンが、クゥレーテース人たちの王にして、エレクテウスによって亡き者にされたポルバースにちなんで名づけられたことは、アンドローンが『同族誌』第7巻の中で明らかにしたところである。ポルバースはポセイドーンの息子であったが、これはヘッラーニーコスが『アッティス』第1巻(4 F 40)の中で謂っているとおりである。F 13を見よ。
断片2
PHILODEM. p. eujseb. 34a 1 p.6 G:
心ならずもアポッローンはヒュアキントスを円盤で殺害した。そして、その墓を花で飾ったと、アンドローンが『同族誌』の中で謂っている。
断片3
同上、63, 1 p.34 G:
アンドローンは『同族論』の中で、ゼウスの命により、アポッローンはアドメートスの下僕となったと言う。しかしヘーシオドス(F 126)とアクーシラーオス(2 F 19)は、ゼウスによってタルタロスに投げこまれそうになったが、レートーの哀願によって、人間の下僕になったのだという。F 17を見よ。
断片4
SCHOL. D A HOM. Il. XVI 235:「足も洗わぬソッロイ人たち」
つまり、荒々しく遊牧民の暮らしをする非ヘッラス人たちのこと……あるいは、ある仕来りから、この神を崇拝する人たちのこと……一部の人たちの言うには、彼らが足も洗わぬのは、神域の外に出て行かないから、それゆえ洗う必要もないという。しかし、アンドローンが『歴史』の中で謂うには、そう呼ばれるのは、彼らは好戦的な者たちであるので、みずからをそういうふうに厳しく育てたからだという。
断片5
SCHOL. APOLL. RHOD. I 45:
アンドローンは『同族誌の要約』の中で、(イアソーンは)アイソーンと、ラオディコスの娘テオグネーテーとの子(であると謂っている)。3 F 104を見よ。
断片6
PLUTARCH. Thes. 25:
とにかく〔テーセウスは〕、コリントス人たちと取り決めをして、イストミア祭にやってくるアテーナイ人たちには、前列の座席を、見物人の乗って来る船の帆が広げられたときの広さだけ、提供することを決めたと、ヘッラーニーコス(4 F 165)とハリカルナッソスのアンドローンが記録している。
断片7
SCHOL. AISCHYL. Pers. 188(TZETZ. Lyk. 894. 1283):「非の打ちどころない美しさは、生まれを同じくする姉妹のよう(kasignhvta gevnoV taujtou:)」
ハリカルナッソス人アンドローンは謂う。「オーケアノスはポムポリュゲーとパルテノペーと結婚し、パルテノペーからはエウローペーとトライケーを、ポムポリュゲーからはアシアとリビュエーをもうけ、諸大陸はこの娘たちにちなんで名づけられることになった」。
断片8
SCHOL. APOLL. RHOD. II 711(ET. M. 655, 5):
パルナッソスは、在地の半神パルネーッソスにちなんで名づけられたとは、ヘッラーニーコス(4 F 196)が。しかしアンドローンがいうには、デウカリオーンの箱船(lavrnax)が漂着した。したがって、もとはラルナッソスと呼ばれたのが、後にラムダという字母の綴り間違いから、パルナッソスとなったという。
断片9
SCHOL. DIONYS. THRAC. (Gr. Gr. III) p.184, 20 Hilg:
文字はポイニクスのものだと言われると、キュメー人エポロス(II)やヘーロドトス(V 58)が謂う、これを発明したのがポイニクス人たちだからである。しかしエウプロニオスは、初めミルトス(これは深紅の色をしたもの〔土〕である) で書いたからだ、と。しかしエテオーネウス(VI)とメナンドロス(III)は、ナツメヤシ(Foi:nix)の葉に書いたから、あるいは、もっとすぐれた主張は、それによって理性が赤熱した、つまり、光り輝いたからという。しかしアンドローンと、オリュントス六賢人の〔ひとり〕メネクラテース(VI)は、アクタイオーンの娘ポイニケーにちなむという。しかし、アルキビコスの子アポッローニオスは、書記官たち(ajntivgrafoi)はナツメヤシで作った木片を持っていて、これで書いたからという。サモス人の歴史家ドゥリスは、『マケドニア誌』第8巻(II)の中で、アキッレウスの養父ポイニクスにちなむという。ロドス人アレクサンドロス(VI)は、プロノーポスとエウローペーとの子で、クレーテーでこれを発明したポイニクスにちなむという。この〔ポイニクス〕は、ラダマンテュスが嫉妬からこれを殺した。
断片10
SCHOL. DA HOM. IL. I 52:
〔屍〕体が焼かれること〔火葬〕の縁起がこれである。リュクムニオスの子アルゲイオスは、ヘーラクレースによって、やむをえず、こういうふうに葬られた最初の人物と謂われる。すなわち、言い伝えでは、ヘーラクレースがイリオン出征を糾合したとき、ラオメドーンは、戦列に加わる代わりに、ヘーラクレースに自分の娘ヘーシオネーを海獣から救出させ、これほどの功業の報酬として馬群を約束しながらこれを与えなかった。
断片11
SCHOL. HP EUST. HOM. Od. IV 517:「だがとうとう、もうじきマレイアの嶮しい岬に着こうというとき、まさしくそのとき、疾風が彼をひっさらって、魚鱗に富む海原の上を、烈しく呻き嘆息を吐き続けるまま運んでいった、海原のいちばん端の、以前はテュエステースが屋敷を構えて住んでいたところへ、当時はその子のアイギストスが住まっていたのだが」
アンドローンは、テュエステースの住居をキュテーラあたりに想定している。
断片12
SCHOL. HOM. Od IV 797:「〔アテーネーは〕幻像を造った、女人をそのままなぞった姿に、度量のひろいイカリオスの娘、イプティメーにそっくり、ペライの町に居住するエウメーロスに嫁いだかただが」
アリスタルコスは、ijfqivmhが形容詞なのか固有名詞なのか、迷っている(P)。――ペーネローペーの妹はそういうふうに呼ばれるのが有力である。しかしアシオスは謂う(F 10 Ki)。「イカリオスの娘たちは、メデーとペーネロペイアである」。しかしアンドローンは、ヒュプシピュレーだと言う(Ms. Barnes)。
断片13
SCHOL. SOPHOKL. OK 1053:
エウモルポスの子孫は、異邦人であるのに、秘祭の儀式を指導したのは、いったいどうしてかが問題となる。ある人の云うには、エレウシスの秘儀は、最初、トラキア人ではなく、トリプトレモスの娘デーイオペーが実修するよう一部の人々がエウモルポスに要求し、これを記録しているのは、イストロスが『乱れた戦列』第5巻(?)の中だという。しかしアケストロドーロス(III)は、秘祭の儀式を創始したのは第1代のエウモルポスから五代目の人物だとして次のように書いている。「記録によれば、エレウシスに居住したのは、最初は土地生え抜きの者たちで、次いで、エウモルポスに随従して対エレクテウス戦に馳せ参じたトラキア人たちであるという。しかし一部の人たちの謂うには、エウモルポスは、エレウシスで、デーメーテールとコレーに年ごとに捧げる入信式を発明したという」。ところがアンドローンが書いているところでは、入信式を発明したのはエウモルポスが最初の人物ではなく、エウモルポスは最初の人物から五代目の子孫だという。すなわち、ケーリュクスの〔親〕がエウモルポス、その子がエウモルポス、その子がアンティペーモス、その子が詩人のムゥサイオス、その子が、入信式を創始し、大祭司となったエウモルポスである」(F 1へ)。
断片14
STRABON IX 1, 6:
『アッティス』を編纂した者たちは多くの点で意見を異にしたが、少なくとも語るに足る者たちは、次の点では一致同意している。すなわち、パンディオーンの子どもは4人で、アイゲウス、リュコス、パラスと、四番めにニソスだが、アッティカも四地区に分け、ニソスがメガラ地方を抽籤し、ニサイアを建設した。(ところでピロコロス(III)は、この人の支配はイストモスからピュティオンまで及んだと謂うが、アンドローンは、エレウシス平原とトリアシオン平原までという)。四地区への分割の説明は人によってまちまちだが、ソポクレース(F 872)から次の説明をとれば充分である……メガラがアッティカの一部だったことは、これらのことが証拠に挙げられる。
断片15
同、X 2, 14:
しかしながら、ホメーロスによれば、ケパッレーニアはドゥリキオンでもなく、またアンドローンの主張とは違い、ケパッレーニアの一部がドゥリキオンなのでもない。というのは、後者を領していたのはエペイオイ人であり、ケパッレーニア全体を領していたのは、ケパッレーニア人だからである。そして、後者はオデュッセウスの、前者はメゲースの配下であった。4 F 144を見よ。
断片16
a) 同、X 4, 6:
「方言がそれぞれ異なり混じりあった」 詩人は謂う(Od. XVII 175) 「アカイア人もあれば、意気盛んなエテオクレーテス人もあり、またキュドーネス人や、三分に分かれたドーリス人やペラスゴイ人もあった」。スタピュロス(III)の謂うには、これらの人々のうちでドーリス人は東部、キュドーニア人は西部を領し、南部にハエテオクレータイ人がいて、……ところが、エテオクレータイ人とキュドーニア人とは土地生え抜きの族民で、残りが外来民だったらしく、アンドローンの謂うには、これはテッタリア もとはドーリス、こんにちではヘスティアイオーティスと言われる地方からから渡来したという。この地方から出発したのはパルナッソス周辺に居住したドーリス人で、この一段がエリネオス、ボイオン、キュティニオンを建設し、このためこの詩人によって「三族に分かれた」と言われた。しかしアンドローンのこの説がまったく受け容れられていないのは、ドーリスの4市を3市と、ドーリス人たちの母子をテッタリア人の植民市と言明しているからである。受け容れられている説では、tricavikeVは、trilofiva〔3条の〕冠毛ないし冠毛がtrivcinoV〔髪でつくられた〕を語源とする。
b) STEPH. BYZ.「Dwvrionの項。
断片17
PHILODEM. p. eujseb. 45b p.17G:
アスクレーピオスはゼウスによって殺害されたと書いたのは、ヘーシオドス(F 125)、ピンダロス(P III 57)、アテーナイ人ペレキュデース(3 F 35)、パニュッシアス(F 19 Ki)、アンドローン、アクーシラーオス(2 F 18)である。(F 3に続く)。
断片18
SCHOL. ARISTOPH. Ran. 1422:
アンドローンは、〔sc. アルキビアデースの〕帰還に関して、クセノポーンと意見を異にする。
断片19
APOLLON. Hist. mir. 8:
アンドローンは『ピリッポスへの供儀』の第4巻の中で。「アッティカのアクロポリスにはいってゆくカラスは一羽もいない、パポスのアプロディーテーの玄関を飛ぶハエがいないのも同じである。